ミッションについて

 

シュリー・マハーヨーギーの渡米とニューヨークでの活動を支えた中心的な人物であるアーナンダマーリー。彼女がシュリー・マハーヨーギーのニューヨーク来訪とマハーヨーギー・ヨーガ・ミッション設立までの経緯を寄せたものです。
(『プラナヴァ・サーラ』プロローグより抜粋)


1994年のある晩、私は祭壇に25セント硬貨を供えて言った、「最愛なる御方、ヨーギー、どうかニューヨークに来てください」、それ以来毎晩それを続けた。いつかは分からない、でも必ずヨーギーは来てくださるという思いだけがあった。
その頃ニューヨークでヨーギーの存在を知っている者は誰もいなかった。私は出会う人皆にヨーギーの真実を話した。ヨーギーの慈愛を分かち合える人がいない――そう感じて寂しく感じることもあった。でもヨーギーを慕うたび、私は祝福に満たされていた。強い信仰だけが私をつないでいたのだ。どこにいても、何をしていても、私の心の中にはヨーギーが密かに棲んでいたのだ。

1995年11月、私はシュリー・マハーヨーギーの御聖誕祭に、祭壇にためられていた捧げ物を持って京都に戻った。2年ぶりにヨーギーの姿を目の前にした私の気持ちは高ぶり、言葉を忘れてしまっていた。どれだけヨーギーに会いたかったことか。どれだけヨーギーを求めていたことか――歓喜のあまり私の心は泣いていた。
「どうかニューヨークに来てください」滞在中私はヨーギーに何度も懇願した。
ついにヨーギーは応えられた、「近い将来必ず行く」。
その言葉は私を満たし、大きな気力を与えたのだった。

ニューヨークで私はヨーガ・アーサナのクラスを指導し始めていた。93年のヨーギー御聖誕祭に3日間京都に戻った折の土曜日、いきなりヨーギーから、「ニューヨークのヨーガセンターではどのようにアーサナを行なっているのか、今日はアーサナを指導しなさい」と言われ、アーサナをやり始めたばかりの私は、よく考えればヨーギーから直接アーサナを学んでいた先輩たちを前に、その日アーサナクラスを指導したのだった。それを機にニューヨークに戻ってからアーサナを真剣にやり始め、94年にはあるヨーガセンターでクラスを担当するようになっていた。いくつものヨーガセンターに行って、そこでどのように教えているかを体験もした。だが、ヨーギーに再会したまさにその瞬間、またもやそんなすべては消え去り、私がやってきたことがまったく無意味だったことをはっきりと覚った。ヨーギー、そしてヨーギーから輝きあふれる教えは、あらためて、すべてを超えた、まったく驚くものだったのだ。

思い返してみれば、ヨーギーとの出会いはとても自然に訪れたように思える。インドでは昔から、人は全生涯をかけてグルを探すという。それでも本当のグルに出会えるのは、ほんの希な天の恩恵を授けられた人々だけだ、ということをヨーギーに出会ったその当時は知らなかった。それがどんなに祝福に満ちていることなのか、そこにはどれだけ深い意味があるのか、ヨーギーが誰なのかを覚ったとき、この啓示の深みによってすべてが明らかにされたのだった。もう何も求めるものはない――それがすべてだ。
私はヨーギーに言った、「ヨーギー、なぜ私がニューヨークに戻らなければならないのか私には分かりません。ヨーギーはここ(京都)にいるのに」。
ヨーギーは言われた、「アーナンダマーリー、ニューヨークでよくやってくれているよ」。

ヨーギーのニューヨーク来訪を胸に秘めて私はニューヨークへ戻った。いつもヨーギーのことだけを話し続けた。ヨーギーに来ていただきたいからというよりも、それしかなかった――ヨーギー以外に私を満たすものは何もなかった。
親愛なる姉妹ナディーシャはその私を見ていた。そしてそれを心から真剣に感じていた人だった。とても繊細な彼女は彼女自身多くの問題を抱え、私も彼女をとても心配していた。前々から彼女に疑問を手紙にしてヨーギーに送るよう話していた。私は彼女がグルを求めていたことを知っていた。ついに彼女は疑問を手紙にしてヨーギーに送り、そして数週間後にヨーギーより返事を受け取った。その晩電話で彼女は言った、「ヨーギーに会いたい……」。 私は言った、「 行くべきよ!」。

1週間後、彼女は日本に発ち、ヨーギーのもとで一週間を過ごした。戻って来た時の彼女の顔は至福に満ち溢れていた。彼女は、彼女のグル――サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサに出会ったのだ。そして私も、愛するヨーギーの崇高なる英知、愛を分かち合うことのできる喜びで嬉しさに溢れていた。

4月になり私たちが貯めたお金を合わせると、ヨーギーを招待することができるのに気が付いた。ヨーギーに伝える前に、どのようにして人々にそれを知らせるか、サットサンガの場所や日程の計画をすべきか、何も計画すべきでないかなど決めかねていた。ヨーギーの来訪は私たちの考えられる範囲を超えていたのだ。

5月の初め、私はヨーギーに電話をして、航空券を購入する準備ができたことをお伝えした。
ヨーギーは言われた、「とても自然に感じる」。
あらかじめ設定をしておくべきか否かを尋ねると、
「計画なしに行きます。必要ならそうなるだろう。そうでないなら、それはそれでかまわない」。
私たちは興奮していた。同時に、あらためてこの重大な意味、何よりも自分たち自身の内的な準備の必要性を強く感じていた。ヨーギーが到着される前の晩、私は全く眠ることができなかった。

1996年6月28日、サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサはニューヨークの地に足を降ろされた。翌日から人々はヨーギーのダルシャンを受けようと、「ケーヴ」(アーナンダマーリーの小さなアパート)を訪れ始めた。それはその後3カ月間、連日連夜続いた。いろいろな人たちが訪れた。ある人たちにとっては何もかもが新しく、またある人たちは深い献身を示し、そこを訪れた誰もが皆、ヨーギーにインスパイアされたのだった――愛であり、慈悲そのものであるこの神的存在に!
インテグラル・ヨーガ・インスティテュート(IYI)のスワーミーたちもまた、ヨーギーを訪れ深くインスパイアされたのだった。その後彼らはヨーギーに、IYIの教師たちの講習会でアーサナを指導していただけないかと依頼してきた。ヨーギーは、「サットサンガをする」と応えられた。「悟り」こそがヨーガであるからだ。ヨーギーはよく言われる、
「多くの人がヨーガの本来の目的を忘れ、方法――単なる物質的肉体の訓練に執らわれてしまっている。目的を忘れてはいけない。ヨーガは“悟り”だ!」

IYIでは一般に向けてのサットサンガも行なわれ、ヨーギーは深い尊敬の中迎えられた。
「貴方に会うと、貴方といると、スーフィズムを学んでいるような気がします」
カヴィクマール(マイケル・ハリソン)は、初めて「ケーヴ」を訪れた時、ヨーギーに言った。そして彼はただちに4回のサットサンガ(『不滅の真理』というタイトルで行なわれた)を金曜の夜にスーフィーブックスで行なえるよう手配した。数週間にわたって、ヨーギーに会いに、聴きに多くの人々が口伝えに集い、この至高の覚者から聖なるダルシャンを授けられた。サットサンガの後はいつも神聖な静寂だけが在り、人々は立ち上がろうとも立ち去ろうともしなかった。それこそがまさにヨーギーのメッセージである“唯一性、愛、聖性顕現”だった。そこにはキリスト教徒、仏教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒、ヒンドゥー教徒などさまざまな宗教の人々がいた。ヨーギーは言われる、
「山に登るには多くの方法があるけれど、いったん頂上に着けばすべては同じです。一つしか在りません――それが真理です」
ヨーギーの中にはすべてがあるのだ。

その後ヨーギーは人々の要望に応え、スーフィーブックスでヨーガ・アーサナ、瞑想、サットサンガ、「サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサによるヨーガの直伝」を行なわれた。

ヨーギーが日本に発たれる直前、私たちはヨーギーへの感謝を捧げる奉納コンサートを開いた。そこには様々な顔ぶれ、オペラ、ジャズ、民族音楽といった異なった音楽があった。それはヨーギーの教え「いかに私たちは皆一つであるか」の反映のようだった。私たちはヨーギーのもとに結ばれていた。その夜の最後、長い沈黙の後ヨーギーは皆を前にして言われた、
「ただ、愛だけが在る」
「異なる音が調律され、一つの美しい音楽が奏でられるように、異なる肌の色や宗教が調和し、唯一の“真の愛”が顕現する」

ヨーギーの滞在中、数多くの美しいドラマが誕生した。ヨーギーは言われる、
「私はニューヨークで多くの“真の求道者”たちに出会いました。真の求道者のいる所にはどこにでも、私は在るでしょう」
いつか誰かが言ったヨーギーへの質問を思い出す、
「今まで幸せを感じたことはありますか?」
ヨーギーは答えられた、「いつの日か、もし弟子が真理を悟ったならば、そのときはおそらくね」

ヨーギーはただ「真理」のみを見る。
ヨーギーはただ「真理」のみを語る。
ヨーギーこそが「真理」。

ヨーギーは尽きせぬ慈悲で私たちを永遠に導いてくださっている。
ヨーギーの弟子たる者よ、我らそれぞれが分身となって一つになろうではないか!
成長し、不屈の意志をもって臨もうではないか! 心は常に信仰と献身で満ちている! 語るのではなく、それを生きるのだ!
悟り――不滅の真理に命を懸けて、すべてを捧げるのだ!それが私たちのグルの生きざまだ!
多くの人々が、永遠の真理を啓発するサットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサによる導きを求めた。1996年12月24日、教えをより多くの人々と分かち合うため、「マハーヨーギー・ヨーガ・ミッション」が設立された。宗教、人種、文化、国、性別、そして私たち個人の名前をも超えていかなければならない。
「これは一体誰の仕事なのか」
「すべての行為の行ない手は誰なのか」を常に思い起こさなければならない。
これは始まりだ。
「私たちは一なるものから来た。私たちは一なるものに帰らなければならない」

ジャイ・サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ・キ・ジャイ!
オーム・タット・サット・オーム

1996年12月24日 ニューヨーク
マハーヨーギー・ヨーガ・ミッション
アーナンダマーリー

 

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