ヨーガの実践

自由


スローライフの展覧会『L'expo』にて開催したヨーガ・ワークショップでのスピーチより
(2006年2月25・26日)

私がヨーガに出会ったのは6年ほど前(2000年)のニューヨークでした。その当時、私はダンスを通じて自由を追求していました。
何かを理解した時、あるいは何かを獲得した時、心は自由を感じますが、私の場合、ダンスにおいて顕著に感じることができました。「人種のるつぼ」といわれるニューヨークでは、ありとあらゆるダンスを学ぶことができます。そうすることにより、感じている自由を無限に大きくすることができるのではないかと思い、究極的に自由な踊りの完成を夢見て、できる限り多くのクラスを受け、また練習を繰り返しました。朝から晩まで……、寝返りを打ちながら踊っていたこともありました。
一方で、そのような生活が肉体にかける負担も感じていました。踊り終わった後で血尿が出始めた時、ある種の不安が持ち上がってきました。このペースで踊り続けたなら長く生きられないのではないか、究極の自由な踊りが完成する前に死んでしまったら元も子もない、死んでしまったらどうしようと本気で悩みながら、それでも踊り続けていきました。

ある意味命懸けで続けていたダンスでしたが、ある出来事を境にパタッとやめてしまいました。きっかけはブッダーーお釈迦さんの言葉でした。
二千五百年前のインドで、ブッダは一王国の王子としてこの世に生を受け、宮殿の中では贅沢三昧の生活を過ごしていたそうです。しかしある時、ブッダは疑問を感じました。
「宮廷の栄華も、健やかなこの肉体も、人から喜ばれるこの若さも、結局この私にとって何であるのか。人は病む。いつかは老いる。死を免れることはできない。若さも、健康も、生きていることも、どんな意味があるというのか。
人間が生きていることは、結局何かを求めていることに他ならない。しかし、この求めることについては、誤ったものを求めることと、正しいものを求めることの二つがある。誤ったものを求めることというのは、自分が老いと病いと死とを免れることを得ない者でありながら、老いず病まず死なないことを求めていることである。
正しいものを求めることというのは、この誤りを悟って、老いと病いと死とを超えた、人間の苦悩のすべてを離れた境地を求めることである。今の私は、この誤ったものを求めている者にすぎない」
こう言って、ブッダは城を飛び出したそうです。
私はこの一節を読んだ瞬間、その場で泣き崩れ、そのまま一晩中のた打ち回っていました。自分が今までダンスによって求めてきた自由というものは、いつかは滅びていく儚い肉体の中に求めてしまっていたーーつまりブッダの指摘するところの、誤ったものを求めていたということに気付かされたからです。十年間命懸けで求め続けていたことが違っていた・・・・・・。しかし同時に自分の前に新しい道が開かれているような、新しく生まれ変わるような感じもしていました。次の日の朝は晴れ晴れとした気分でした。その前日までは朝起きたらすぐにダンスの練習を始めていたのですが、もう踊ろうという気が起こらず、自分のダンスは終わったのだということを自覚しました。それがちょうど、私の師ーーシュリー・マハーヨーギーに出会う一週間前の出来事でした。

最初に師を間近で見た時、その仕草や顔の表情、醸し出す雰囲気から、「この人には憂いがない」、「これこそがずっと求め続けていた自由の境地なのではないか」というふうに感じました。
また驚くべきことに、エゴというものが微塵も感じられませんでした。私が接したことのある世界でも一流といわれるようなダンサーやミュージシャン、あるいはアーティストたちは皆一様に謙虚でした。けれども何処かしらに、「私はダンサーである」、「私はアーティストである」というようなエゴが必ず垣間見えました。しかし、その時目の前にした人物に関しては、全くそのようなものを見つけることはできませんでした。
さらにこれまでの人生に於いて感じてきた疑問を全部ぶつけたのですが、それに対する答えは的確であり明瞭、そして完璧でした。最も印象深かったのは、「ヨーガの修行のために日本に帰りたい」と願い出た時、師は「自ずと答えが出ます」とおっしゃいました。しばらくして私の祖父が入院していることを告げると、間髪を入れず、「見舞ってあげなさい」という力強い言葉が返ってきました。やるべき義務を果たさずに自分のやりたいことに突っ走っていく私の傾向を見て取られたのだと思いますし、後々になって、アーサナをしたり座って瞑想することだけがヨーガなのではなく、他者に対して積極的に奉仕していくこともヨーガであるということを知るようにもなりました。
自ら選んだ選択ーーダンスを辞め、瞑想の道(ヨーガ)に入るということが間違いでなかったと確信し、こんなにも全面的に自分を受け止め、寸分違わず正しい方向に導いてくれる存在に出会えたというーーこの上ない吉祥な縁に胸を躍らせ、すぐさま師が住まわれる京都に移住しました。

「一つの自由が獲得されれば、また次の自由が欲しくなる。つまり欲望には際限がない。ヨーガでいうところの自由というものは、そのように際限なく渇望するものではなく、それらに終止符を打つ意味での、完全な、もうそれ以上のものがないというところの自由です」と、師は教えられます。今ヨーガの道の途上にある私は、終止符を打とうとしてなかなか打てない状態ですが、それでもダンスをやっていた時に比べると、明らかに自由が増えているのが分かります。
まず体が極めて健康になりました。もちろん不老不死を望んでいるわけではありませんが、体に関して悩まされることがない、気にしないですむーーこれも一つの自由だと思います。
またダンスをやっていた時には、明らかに人の評価によって心が浮き沈みし、常に周囲の目を気にしていました。しかし今は「自分はダンサー」という枠組みを外してしまった分、本質的な部分で人とかかわれるようになったし、自由に交流ができるようにもなってきました。
さらに、これまでに培ってきた価値観やこだわりというものがなくなっていくに従い、いろいろなことが自由に行なえるようになってきました。
師はこのように教えられます。「この手に何か持っているーー心が何かを持っているーーと不自由です。だから執着を放棄するーー自由、これが自由です。必要な事を必要な時に行なえます。これが心の本来の状態です」
これはヨーガの大いなるメッセージだと思います。私たちの心の本来の状態、本当の自分は自由であるというーーわざわざニューヨークまで行ってダンスを勉強しなくてもーーもともと自由なんだということです。その本来の状態に立ち返るための具体的な実践法をヨーガは提供してくれています。その内容はいたって科学的であり普遍的ーー肌の色、民族、文化、宗教に関係なく、誰もが共有できるものです。より多くの人がヨーガに触れ、ヨーガを体験し、自由を味わっていただければ幸いです。

ヨーガダンダ

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