ヨーガの実践

マザーからのメッセージ


ミッション隔月誌『パラマハンサ』より

マザーハウスには世界中からボランティアが集まる。日本から来たボランティアの女性と柴崎さん。

インドは私にとって憧れの国でした。多くの人を目覚めさせたヨーガの偉大な聖者ラーマクリシュナが誕生した国。貧しい人の中の最も貧しい人に仕え、尽きることのない愛を与え続けたマザー・テレサが生きた国。いつか行きたいと思っていたけれど、なかなか実現しませんでした。しかし、私には看護師になってからずっとずっともち続けていた問いがあり、その答えをどうしても知りたいという思いがやまず、今回答えを求めてコルカタに行くことを決めました。なぜコルカタなのかといえば、その答えを教えてくれるのは、マザー・テレサ以外に思いつかなかったからです。

私がもち続けていた問いというのは、「死に逝く人をどのように看取ることが最も相手にとって良いか」ということでした。私は外科病棟で働いており、患者さんの多くは癌を患っています。手術が無事成功して退院しても、再発や転移によりまた戻ってこられ、最期を看取るというケースも少なくありません。しかし多くの病院がそうであるように、私の勤務する病棟もたいへん忙しく、患者さんの最期のために十分な時間を割くことはとても難しい状況です。この仕事を志した者なら誰だって患者さんに寄り添い、最後の一息が絶えるまで、その人が安らかであることを願いながら看取りたいと思っているはずです。

私はある時ふと考えました。私たちは時間がないから十分にケアできないと思っている。でも、もし一日の勤務でたった一人の患者さんだけ看ることを与えられ、その人の最期を完全な看護で看取りなさいと言われたら、果たしてできるのだろうか。そもそも完全な看取りってあるのだろうか。時間をかけなければ、良い看取りができないのか。

私はある日同僚に尋ねました。「たった一人の患者さんを完全なかたちで看取りなさいと言われたら、どのように看取る?」。彼女は少し悩んだ末にこう答えました。「二十四時間その人の傍にいる。患者さんに聞きながら、その人が楽な体位を取ってもらったりアロマをしたり。音楽とか好きなものを聴いてもらったりする」。私はさらに尋ねました。「じゃあ、その人が話すことができないほどだったら?」。彼女は「表情を見ながらやる」。私はさらに「表情の変化もなかったら?」。彼女は「分からない……」。彼女が答えたことは、とても大切なことです。とても尊い答えです。でも私は心の中で彼女に言いました。「それがもし最高の答えなら、今の病院で私たちが完全なかたちでそれを行なうことはできないね」

いろいろなジレンマを感じながらも私が病院で働き続けているのは、やはり人の多くが病院で亡くなるからです。その最期に触れることができるからです。たとえ現代の医療がどれほど間違っているとしても。

マザー・テレサはすでに亡くなっていますが、彼女の生きざまはきっとシスターたちに受け継がれているはずです。私はシスターたちの働きを見てマザーの教えを感じ、それを吸収して日本で実践したい、そう考えました。だから、コルカタのマザーの施設でボランティアをすることにしたのです。

ボランティアに来た生涯をもつ若者にシスターが祝風を与えている。(シスターはいつも誰に対しても愛情深いマザーの分身である)

マザーのお墓には震災のあと、日本の地図と鶴、花で形作られたメッセージが添えられていた。

私が出発したのは三月十一日。あの東北の大震災、津波が起こった日です。自分が発ったわずか四時間後にあのような大惨事が起こるとは思ってもみませんでした。何の因果か、看取りについて答えを求めていた私が、多くの方の命が失われたその日、日本を離れる結果となりました。コルカタでは多くの人が地震津波のことを知っており、マザーハウス(神の愛の宣教者会の本部)の礼拝堂でもたびたび日本のためにミサが行なわれました。ミサの間中すすり泣く声が聞こえ、ここでもみんなが悲しみに沈んでいました。ある日本人シスターは言いました。「今コルカタは日本にあります」。私は答えを求めてコルカタにやってきたのに、来た途端コルカタは日本へ行ってしまった。私は姉が被災地に住んでいるため、とても気になっていたけれど、どうしても自分が探している答えをここで見つけてから帰りたいという強い思いがありました。そしてなぜだかは分からないけれど、それが被災した人たちのために私ができることなのだと感じていました。

マザーの関連施設では、ボランティアができる所はいくつかあり、登録時にシスターとの面接で決定します。シスターは私に「ダヤ・ダン(親切な贈り物という意味)という障害児の施設に行ってください。そこでは月曜日と金曜日に医務室が外の人たちに開放されるため、ナースとして働いてください」と言われました。ダヤ・ダンの子供たちはとっても可愛らしく、大きな瞳をキラキラさせていました。そこで私は看護をしたり、他のボランティアと同じように洗濯や掃除、リハビリを行ないました。また医務室ではイタリア人、チリ人のボランティア医師と、イタリア人でナースの資格をもったシスターと一緒に、来られた方の傷の手当てをしました。裸足で外を歩き大きな釘が突き刺さった人、機械に指を挟まれ取れかけている人などさまざまで、病院にかかれない貧しい人がたくさんやってきました。日本では医師がやるようなこともその現場ではやらなければならず、戸惑うこともありましたが、今まで私が外科で働いてきたことは、処置の方法や薬の選び方において、とても役に立ちました。来られた方は、どんなささやかな処置に対してもとても喜んでくださり、私の足の塵を取って感謝を示してくださいました。

ダヤ・ダンのリハビリルーム。15人くらいの重度の障害児がリハビリを受けている。

カーリーガートにある有名なニルマル・ヒリダイ(死を待つ人の家)は改装中で、他の施設に患者さんを移動させていました。その施設でも私は一日だけ働くことができました。ボランティアをしての感想は、ダヤ・ダンもニルマル・ヒリダイも、清潔さや介護・看護の質は日本とは全く違うけれど、行なわれている内容はさほど変わらないということです。ニルマル・ヒリダイに行った時は、むしろ日本の病院にいる終末期の患者さんの方が悲惨なように思えました。私はなぜなのか不思議に思い、そのことについて、現地で知り合った日本人ナースのSさんと話をしました。きっとここでは日本のように延命をしないから、日本の患者さんのように最後の最後まで苦しむほどは生きないのだろうということで納得しました。寿命の尽きた命を無理に永らえることは、新たな苦しみを生むのだと改めて感じました。

道端で倒れ、連れてこられるという状況はコルカタの方が悲惨かもしれません。しかし、コルカタではシスターの祈りの中で患者さんは亡くなります。シスターと私たちは、一体どこが違うのでしょうか。私はSさんにある日、「ここでの医療の質は、先進国のレベルから見ると決して高いとはいえない。もともとナースであったシスターも、出身国がさまざまだし、受けてきた教育レベルはまちまちだ。でも、私たちとシスターは決定的に違うところがある。それは、私たちは目の前にいる患者さんのために働くけれど、シスターは神のために働くということ。どちらが尊いか。それは神のために働くことだと思う。そして患者さんがどちらで看取られる方が幸せか。やはりここで亡くなる方がずっと幸せだと思う」と、確かそのようなことを言った記憶があります。今振り返れば、私は少しずつ自分の疑問に対する答えを見つけ出していたのかもしれません。

マザーの精神を受け継いだシスターたちは親しみやすく、とても身近に感じました。彼女たちは神のために多くのものを放棄し、厳しい環境の中に飛び込んでいる、本当に尊敬すべき人たちです。特に私が医務室で一緒に処置を行なったシスターは、イタリア人らしく陽気でいつも笑顔ですが、とても孤独を大切にする人です。シスターや神父さんは神との結び付きがすべてであるため、肉親や恋人など強い結び付きを絶つそうです。自分に不要なものは放棄していくシスターの決心が、傍にいて感じられました。私はシスターたちと接するたびに、ヨギさんがいつも言われていた、「たとえ手に持っていても心で放棄していかなくてはいけない」という言葉を思い出しました。そして私たちヨーガを目指す者もシスターも、やろうとしていることは同じなのだと感じていました。

そうこうしている間に三週間が経ち、私が日本に帰る日が来ました。たくさんの貴重な経験ができました。看護師としても、人としても。でも、私は最後の最後まで自分が知りたいと思っていた「最高の看取り」という問題に対し、納得できる答えを見いだしてはいませんでした。これでは単なる良い旅で終わってしまう。私は心にぽっかりと穴が空いたように感じていました。コルカタを離れることが寂しいとも、日本に帰れることが嬉しいとも思っていませんでした。  

飛行機が無事に関西空港に着き、京都に向かう電車の中で、私は何気なく「ボランティアへ、マザー・テレサのメッセージ」という、最終日にシスターから頂いたものを読んでいました。その内容は、「痛いと感じるまで他者を愛すること」、そして「聖なる者になる」ということです。マザー・テレサといえば、貧しい人への善行がクローズアップされがちですが、彼女の言葉をよく見れば、自己犠牲や聖なる者になることが大切なメッセージであることが受け取れます。「“I will, I want, with God's blessings, Be Holy”(私はなります。私はなりたい。神の祝福とともに、聖なる者に)」「神聖さとは、決して一部の者だけの贅沢品ではないのです。私たちみんなに課せられた義務。一つのシンプルな義務なのです」 と彼女は言います。私は家に帰るまで何度も何度もそれを読み返しました。

そして家に着いてから、私はマザーハウスで会った日本の神父さんのブログを開きました。その中には、あるシスターがコルカタのマザーハウスで日本のボランティアに向けて送ったメッセージが書かれていました。その内容は、単に被災した国の私たちを癒し励ます言葉ではなく、日本の若者がどのようになってほしいかという願いが書かれていました。使われている言葉は違うけれど、その内容は「聖なる者になりなさい」ということです。その時、涙が溢れて止まりませんでした。嬉しくも悲しくもない、ただ、自分が求めていた答えが見いだせたと感じました。「看取り」という言葉はどこにも書かれていません。でも私は見つけ出すことができたのです。

最高の看取り方は、傍にいる時間ではなく、何らかの特別な方法ではなく、看取る者が聖なる者であるということです。看取られた人がいちばん幸せになれる看取られ方、それは聖なる人に看取られるということ。なぜ聖なる人に看取られるのがいちばん幸せなのかといえば、それは聖なる人だけが、本当に人を愛することができるからだと思います。日本の神父さんが初めてマザー・テレサに出会った時、自分がこの世でいちばんマザーに愛されていると感じたそうです。そしてマザー自身、このように言っていたことがあるそうです。「多くの人が私の所に来るけれど、私には目の前にいる人がすべてです」。そう、この世の中で聖人がいちばん愛を与えることができる人なのです。

そして私は、いちばん好きなヨギさん(ヨーガの師)の教えを思い出しました。「強い信仰をもちなさい。ベッドの上で死のうが道端で死のうが関係ない。神の中で死になさい」。いちばん幸せな死に方は、強い信仰をもって死ぬこと。では、もともと信仰がなければどうなるのでしょう。神の中で死ぬことは不可能なのでしょうか。それでもたった一つ希望はあります。それは聖なる者に看取られることです。聖なる者に看取られた魂は神聖になります。神に近づき、神の中で死ぬことができます。人は一生涯を背負いきれないほどの苦しみの中で生きます。どんな生き方をしてきた人でも、最期の瞬間を、最高の愛の中で死んでいくことが許されているはずです。

最終日にいつもの笑顔の女の子と。

聖なる者になること、そうなることを欲し、決意し、近づくこと。私は自分の使命を改めて自覚し、自分の道が導かれたものだと実感しました。そのために神は私をグル(師)の下に運び、ヨーガに出会う前消えそうになっていた私の命を救ってくださった。私には生きたグルがいる。私はヨギさんを信じ、ヨギさんの導きの下に聖なる者にならなければいけない。それが生きるチャンスをもう一度与えられた私の使命だ。私自身のために、そして私が出会うすべての人の死が祝福されたものになるよう、「私はなります。私はなりたい。神の祝福とともに、聖なる者に」。

柴崎友里

*芝崎さんは、帰国後すぐに支援活動を行なうため、被災地である石巻へと発ちました。その時の体験談はヨーガ・ヴィハーラのブログに掲載していますのでご覧ください。

 

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