ヨーガの教え

自由への道

「エゴと個性」

アムビカー「友人に『どうしてヨーガをしているのか』と聞かれて『自分のエゴをもっとなくしていきたい』と説明した時に、『自分は個性がなくなるというのがとても嫌だ』ということをはっきり言ってくれて。個性を大事にという教育も受けていますし、そりゃそうだろうなあと思うんですけれど、私の言葉でうまく彼女に説明ができなくて残念だった思いがあります。そういう時にどういうふうに言えばよかったと思われますか」

ヨーギー「(皆に問いかけるように)個性……って何でしょう?(笑) 個性、つまりある個体を認識する上での個別性のことですね。この人はこういう人だ、あの人はこういう人だ、そういう本人が思っている自分らしさというか、自分という個性を失いたくない、こういうことなのです。しかしです。この体、細胞も、それから心も刻々と変化している。つまり何をもって個性と言えるのかということです。厳密にこれを突き止めていけば、変化している以上、変化しているのが個性と言うしかないのです。でもそれを個性と呼ばないのです。その時その時違いますから。個性というのは、本当に変わらない普遍性のものをもってして、初めて個性という名称が合致します。

じゃあ、変わらないものは何かと言えば、心ではなく、また体でもなく、永遠の真理であり、神であり、魂である、ということになるのです。だから多くの人は個性という言葉を勘違いしています。
(ご自身の髭に触れられながら)今、髭があるからといって個性だと思う(皆笑)、髭を剃ってしまえば個性がなくなるとか(皆大笑)、本当に多くの場合、単純な、そういうような言葉でさえもが錯覚されています。いろいろな事柄は変化をしますけれども、その変化をさせている中心となっているものはエゴという――エゴイズムというものですね。これはなかなか消えにくいものです。やがては消えますけれどね。
だから暫定的に、このエゴが個性というふうに言えるかもしれません。そうすればエゴというのは利己主義的なものですから、あまり感心するものではありません(笑)」

中村「そのエゴと向き合う時、瞑想をしていて自分のエゴを見つけた時に、それは苦しみとなって自分の心に突き刺さってくることがあるんですけれども、苦しみと分かっていながらそれと向き合うというか、そこに自分を差し出すことはとても勇気がいるし、苦しいし、辛いことだと思うんです。それを乗り越える勇気というか、秘訣というか、そういうものを教えていただけませんでしょうか」

ヨーギー「全く、昔から同じような問題があったそうです。それは例えて言うと、ちょうど警官に化けた泥棒が泥棒を追いかけるようなもの。捕まりっこない、ということですね(笑)。
いくら理論的に、つまり理屈で『エゴというのは間違っているよ』と言ったとしても、それもまた心の中での世界ですから、今言ったようなことが起こるわけです。スルリとすり抜けてしまう。
だからここでは、もう一つの大きな助っ人というか、大きな力に助けてもらうことが必要です。それが神的な、あるいは神聖な存在であったり、真理の言葉であったり、これらは実存である以上、やはり心も納得せざるを得ない力をもっています。直感的に、もう心は有無を言わず真理の前には平服するはずです。
だから繰り返し繰り返し、その真理の言葉、あるいは神聖な存在を心に呼び起こすことで、エゴはやがて消えていきます。その時、本当の個性が顕れます。変わらないもの、という意味でのね」
中村さんは後方の席から静かに両手を合わせる。(続)

 

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