ヨーガの教え

ヨーガの真髄

「カルマ・ヨーガの極意」

一カ月くらい前に京都のアーシュラマを初めて訪れた斎藤さんは、ヨギからスワーミー・ヴィヴェーカーナンダに似ていると言われ、それから必死になって彼の本を探し『カルマ・ヨーガ』を読んだそうだ。

斎藤「まさに僕が思っていたことがいっぱい書いてある本でした。真理を求めるために瞑想やアーサナがあると思うのですが、働くということによっても真理を得られる道があるのではないかと思っておりまして、そこのところをヨギさんから、もう少し分かりやすいように教えていただけたらと思います」

ヨギ「人間の活動というのは誰もが必然として行なわなければならないものです。同時に、この世では衣食住を賄うためにも、仕事という活動も不可欠なものです。人によりさまざまな仕事に就きますが、これはどこからそのような選択が行なわれ、適合しているのかといえば、これもまたカルマという―カルマというのは、こうなればこういう結果を迎えるであろうということと同時に、こういう傾向の心の性格であるということもまたカルマとして捉えられます。芸術の傾向が強い人もあれば、商売の傾向が強い人もある。研究者としての傾向が強い人もある。あるいは技術者、さまざまな傾向というものもカルマの領域から生まれてきたものと見なされます。人は自らのカルマというものから逃れることはできない。つまり撒いた種は刈り取らなければならないという、そのカルマの法則の定めとして、この世における仕事という行為は義務である。そこに仕事によって有名になりたい、お金儲けもしたい、幸福になりたい、さまざまな思いも付着するかもしれないけれど、基本的には自らが選択した仕事というのは義務として捉えるものです。だから言わんとすることは、不平不満を言うべからず、それは自らを養うため、あるいは家族を養うため、この社会の役割のためにも仕事をせよ、それが義務であるというのが一つです。

そしてその上でこのヨーガという、悟りという人間的完成を理想とした生き方を望むならば、カルマを超えることを学び、そして実践していくわけですから、深まっていけばいくほどに、世間の義務的仕事、義務的な状況というものから、次第に離れていく状況が生まれていきます。これは同時に小さな家族や自らのために働いていた仕事が、もっと大きく普遍的な意味での、世界のためとか人々のためとか、すべてのためにという、そういうふうに立場を大きく変えることにもなります。そのような状況が生まれ、また情熱が高まっていけば、初めに言った愛のお話のように、自らを投じて他者のためへの働きをする。これは、どんな仕事というわけではなく、しかし、することにおいてはすべて他者のため、あるいは宇宙のため、世界のために何か行為をするという。

カルマ・ヨーガのカルマという言葉は、もともとは行為するという意味です。その行為が心の思いをもって行為することから、そこに結果というものを残して、そしてその撒いた種を摘み取っていかなければならないという、いわば自動的、機械的なメカニズムになってしまいますが、カルマ本来の意味は行為という意味になります。ですから行為という手段を通して深めていく、悟りに至る、そういうヨーガをカルマ・ヨーガというふうに特に呼んでいます。

カルマ・ヨーガは誰もにとって身近なヨーガであり、同時にどのような状況であったとしても、それは主婦であっても、あるいは仕事をもっていても、それをエゴ的な仕事と理解せずに、これをヨーガだと理解することによって仕事への執着が離れ、反対に仕事を支配するというように立場を逆転させることになっていきます。それがカルマを超えていくという、カルマが主人公なのではなくて自分が主人公なのだと、カルマを従わせるというように変化します。もちろんそれには真理の教えという、正しい教えを学んでいくこと、そして瞑想していくことは欠かせません。これがカルマ・ヨーガというものです」

斎藤「はい、ありがとうございました」

ヨギ「ヨーガというと何か特殊なもののように、誤解を与えているところも多々あると思いますけれども、本来は理想的人間とは何か、人間の本質とは何か、その探求の歴史でもあったわけです。そうして人間的な円満な完成というものが、そのヨーガの結末に訪れるわけです。だから特殊なものではなく、誰もにとって最も身近なものです」

日々是ヨーガだというつもりで仕事に取り組んでいるという江利川さん。なかなかうまくいかないこともあるが、去年、一昨年に比べるとイライラすることが減ってきた実感があると話す。

江利川「人々のために仕事をするというのは、例えば釜ヶ崎に炊き出しに行くとか、マザー・テレサのされていたようなことをイメージするのですけれど、そういうことではなく、日々の自分の生活の中でヨーガ行者の魂でそれに接していくということですか」

ヨギ「一つの違いは、そのかかわっている仕事から見返りというものが与えられるという関係と、それを受け取らないという関係、ここで大別できますね。しかし私は、それに優劣を付けたらおかしいけれども、通常のカルマ・ヨーガと優位のカルマ・ヨーガというふうに呼ぶことがあります。完全な自己犠牲的行為がなされる時には、見返りはもちろんないでしょう。それが最も高度なカルマ・ヨーガとして理解されます。しかしヨーガを学んでいき、そしてすべてをヨーガ的な思いでもって行為をしていくならば、そこに今携わっている仕事に見返りがたとえあったとしても、それはそれなりの役に立つ仕事をしているということだと思います」

 

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