ジャヤンティ」カテゴリーアーカイブ

いちばん大切なもの

「それ」さえあれば、生きていける。

胸の奥にそれがあると知った時、どんな宝石もいらないと思った。
もうすでに永遠のダイヤモンドが胸に埋め込まれていた。
心がそれを忘れそうになると、私のハートをつかみ、いつも思い出させてくれる存在ーー
そのお方は我がグル!!

Gururadiranadisca guruh paramadaivatam
Guroh paratanam nasti tasmai srigurave namah
Om shanti shanti shanti

グルは始原であり無始(無限)の存在。グルは最高の神格。
グルより優れたものはない。その聖なるグルに礼拝いたします。
オーム、平安あれ、平安あれ、平安あれ。

11月23日のサットグル・ジャヤンティで唱えられるマントラーー

どうかハヌマーンの態度でグルに礼拝できるようにと切に願います。

ゴーパーラ


イーシュヴァラ・プラニダーナ

「イーシュヴァラ・プラニダーナとは、主(始原のグル・真理・悟り)への揺るぎない熱情」

シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

11月は日本人の主食のお米の収穫と献上の季節であり、そして私たちの主(グル)であるシュリー・マハーヨーギー・パラマハンサの御聖誕月でもあります!

先月私は介護の仕事の一環で、稲刈りと天日干し、脱穀のお手伝いをさせていただきました。脱穀をした小金色のお米の一粒一粒は光り輝いていて、とても感動しました。

私たちの命は食物によって生かされ、その命の源は、古来より「神」と呼び慣わされてきた大いなる存在です。すべての命は神によって光り輝いています。そして真正のグル(師)は、その存在そのものーー

11月23日は新嘗祭の日であり、師の御聖誕日です。この吉祥な日に向けて、大いなる師の存在と導きに感謝を捧げ、真理・悟りへの熱情を大いに高めていきましょう!!

ゴーパーラ


2020ジャヤンティー in 東京

2020年11月23日。東京では、今年は弟子1人1人がそれぞれの場所でこの吉祥な日を迎えました。私たちにとっては、師が御降誕されたとても大切な特別な日です。

東京は朝から澄み切った青空が広がる気持ちの良い天候で、例年のようにみんなで集う形ではないものの、私は歓びに湧き立つ想いで『パラマハンサ NO.142』を封筒から取り出しました。今年は『パラマハンサ』誌面を通して、弟子から師への感謝の想いを祝辞として献上しています。
先輩グルバイが描かれた表紙の絵「師とともにある歓び」を観て、より一層歓びが大きくなりました。

『パラマハンサ』142号ジャヤンティー特別号

ページをめくると、弟子からの祝辞が掲載されており、どのメッセージからも師への想いが溢れ出ていて、読んでいると胸が震えるものばかり。読み進めるたびに師への想いで胸がいっぱいになり、歓びの涙が次々と溢れました。みんなが一堂に会したジャヤンティーと同じような感動がありました。読み終えた後に「シュリー・マハーヨーギ・ストートラム」を捧げ、時が経つのも忘れて師のお写真を眺め続けていました。

ちょうど翌日はヨーガ・瞑想クラス。たまたまグルバイだけだったこともあり、ジャヤンティーの過ごし方や感想を報告し合いました。
みんなそれぞれの自宅で場を調えて、例年と変わらず気持ちを高めて『パラマハンサ』を開いたようです。中には気持ちが高まりすぎて、開くまでに何度もストートラムを歌ってしまった、という人も!
台湾のグルバイがYouTubeにアップされた「TANTROKTAṂ DEVISŪKTAM/タントローキタム デーヴィースークタム(女神への讃歌)」を聴いて気持ちを調えた人もいました。
実際には行かれなくとも、京都の方角に向かって過ごした人もいました。
いつも暮らしている自宅という空間が、神聖な喜びに満たされて特別なムードだった、歓びがこみあげて自宅にいることを忘れた、との声もありました。
きっとこの日は日本各地で、N.Y.で、台湾で、それぞれの家がアーシュラマとなったことでしょう。

弟子一人一人の祝辞から、共通したものを感じたという感想もありました。
それは、どこにいてもみんな同じように師への言葉に尽くせない感謝の想いが溢れていて、私たちが師から与えて頂き続けているものを一人でも多くの人に伝えていきたい、行為していきたいという強い願いです。
師の行為は常に優しく慈愛に満ちています。私たちはそれぞれに様々な悩みや苦しみを抱え、師の下に辿り着きました。師は私たちの中にある純粋な本質のみを見て、絶妙なタイミングでヨーガの道を歩めるように導き続けてくださっています。そこには何の計らいもありません。

私はサーナンダさんの祝辞に特に胸が熱くなりました。
”ヨギさんは本当に根気良く、時には何年もかけて導かれることもあります。いったい一人の人間の事をそこまで親身になって考えてくださる存在が他にありましょうか。単に大変だと同情するだけでなく、救いを求める人を抱きしめるだけでなく、具体的な解決の仕方を考えてくださるばかりか、弟子に対しては、未来にわたって真実に目覚めるための道筋すら敷いてくださるのです。そのような存在がサットグルと呼ばれる存在です。
ヨギさんご自身にとっては何の益もございませんし、働く義務すらない。それでもヨギさんは人々のために、ただ愛ゆえにその尊いお身体を保ってくださり、私たちにまるで奉仕してくださっているかのように接してくださいます。その尊い行為に触れて、心が動かされない者がいましょうか。そのようなグルの愛と叡智に触れて、心が変容しない者がいましょうか。本当にありがとうございます。”

この感謝の想いを具体的に表すのが、他者への行為だと思います。私たちがして頂いた事を同じように誰かに対して行為していくということ。
こうした 想いを互いに確認しつつみんなと話していると、現在クラスに通ってきてくれている人たちにとって、どうしていくのが良いかという話になりました。

オンラインでもっと工夫して何かできないか、こうしたらもっと良いかも、と話は尽きず。そして、『パラマハンサ』を読むことで過ごしたジャヤンティーも素晴らしかったけれど、やっぱり少しでも師にお会いしたい!!!と一層想いを熱くしました。

アーシュラマ近くの北野天満宮が懐かしくなり、自宅近くの谷保天満宮(国立市)に行ってきました。

ジャヤンティーの余韻に酔う中、こうして話ができる機会を頂けたことにも本当に感謝です。
まだ先が見えない状況だからこそ、どこかにヨーガを必要としている人が以前にも増していると思います。今ヨーガを学び実践している人たちのためにも、これから出会える誰かのためにも、みんなで今できることを考えるだけでも力が湧いてきます。

東京のグルバイの一人で、なかなか会う機会のないサルヴァーニーさんからはメールで感想をいただきました。

ヨギさんへの愛と信仰で輝く弟子の祝辞と弟子を導くヨギさんの姿から、ヨギさんはどれほどに働かれているかを感じました。
今年は様々な変化がありましたが、その渦中でも相応に落ち着いて過ごせているのは、心の中にヨギさんがいらっしゃるからだと思っています。
どれほど思っても足りることはありませんが、ヨギさんの誕生と存在に深く感謝いたします。

みんな同じ空間でともにお祝いをすることができなくても、溢れる感謝の想いは師へと注がれてます。

私たち一人一人が、それぞれの身体が置かれた場所で、師のように愛ゆえの行為ができますように。今日という1日1日を最善を尽くして過ごすことができますように。それを真摯に淡々とやっていくうちに、少しずつでも師の行為に近づいていけると信じています。

ハルシャニー


サットグル・ジャヤンティー2020!

最愛の師が御聖誕された11月23日は、私たち弟子にとって一年の中で最も大切な特別な日です。しかし、今年はとても残念ですが、弟子が一堂に会して祝祭を開催することができず、機関誌『パラマハンサ』にて感謝の思いを祝辞として捧げさせていただくことになりました。

ジャヤンティー当日は、師の恩寵により、マハーヨーギー・ミッションを代表して近隣の役員が師にプージャーを捧げさせていただきました。そして、師への感謝とともに、京阪神、東京、松山、台湾、ニューヨーク、各地の弟子たちの活動や実践の様子、メッセージなどをスライドショーでご報告させていただきました。

ご覧になられた師は、「今日のこのヴィデオをはじめ、『パラマハンサ』も読ませていただいて、みんなの深まりと信仰と、それから誓願というものがすごく感じられて、すごく歓んでいるところです」とおっしゃられ、一日も早くこの事態が収束することを願われていました。また、このような状況下においても、「一人一人のあり方が大事であり、一人でも二人でもが勇気をもって(真理に基づいて)生きていくということしかない」とおっしゃられました。

今年は略式でのジャヤンティーとなりましたが、たとえ遠く離れていても、師の存在と教えを拠り所とし、真理に生きていこうとする世界各地の弟子たちの純粋な信仰と誓願が捧げられた、誠に浄らかな祝福されたジャヤンティーであったと感じました。

またたくさんの弟子たちはそれぞれの場所で、師への思いとともに、ストートラムを歌い、献上したようです。

このような場を与えてくださった師に深く感謝を申し上げます。

ジャイ、サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ キ ジャイ!!!

オーム・タット・サット オーム!

 

マハーヨーギー・ミッション


本日はサットグル・ジャヤンティー🍁

11月23日は、私たちの師シュリー・マハーヨーギーの御聖誕日「サットグル・ジャヤンティー」です。

無形の真実在が人の姿をとって御聖誕された最も吉祥な日ーー

残念ながら、本年は一同に会して祝祭を開催することはできませんが、本日京都の弟子数名が略式という形で師に感謝と礼拝を献上します。
また、11月20日に発行された『パラマハンサ』は「サットグル・ジャヤンティー特集号」ーー師の御聖誕と導きの感謝、弟子の悟りと献身奉仕の誓願ーーその祝辞が掲載されています。
会員の方は、御聖誕日にこの『パラマハンサ』を開くことになっていますが、もうお読みになられたでしょうか?

今年はとりわけ多くの祝辞が献上され、すべての祝辞が師への感謝と愛に溢れ、その純粋な思いが輝きを放って反射し合い、私には『パラマハンサ』が熱く光り輝いているかのように見えました。

無形の真実在が人の姿をとって顕現された師の存在は「奇跡」としか言いようがありません。
そしてまた、人が本気で真実・神を目指そうと決意し、その道を歩んでいること、これも同様に「奇跡」としか思えません。
師は以前、次の言葉をおっしゃっています。

「ヴェーダ(天啓聖典)の権威によって至高の存在が輝くのではなく、

至高の存在によってヴェーダが輝くのである。

それは抽象的概念や空想の産物ではなく、

具体的にこの地上に身をもって顕れた存在のことなのである。

ゆえにグル・ジャヤンティーの真意はここにある」

師に出会わなければ、聖典の1ページも理解できなかったと思います。
また、私たちの人生には常に不安と苦しみが付き纏っていたことでしょう。
しかしながら、私たちを照らす「光輝く存在」がこの地にお生れになったのです!!!

昨日、「シュリー・マハーヨーギ・ストートラム」が期間限定でYouTubeにて公開されました。
場所は違えど、師の御聖誕されたこの祝福された日に、ハートの内でその歓びを分かち合い、師に最大の感謝を捧げましょう!!!
お天道様も祝福されています!!!

23日、東の空には朝日が昇り、西の空には虹が架かっていました🌈 奇跡!!! 

ゴーパーラ


ヨーガの仲間と分かち合うサットグル・ジャヤンティー!

11月14日(土)、秋の高く澄み渡った空の下、東京でともにヨーガを学ぶ仲間が久しぶりに集いました!
東京で3月に外出自粛要請が出されて以降、オンラインでの自主瞑想会などで定期的に顔を合わせる機会はありましたが、クラス以外で大人数で集まることは控えていたため、皆で集まるのは数ヵ月ぶり。今回、残念ながら仕事や家庭の都合で参加できなかった方もいましたが、久しぶりの再会を喜び合いました!
この日の集いの目的は、なんといっても11月23日に迎える私たちの師サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサのジャヤンティー(御聖誕祭)の歓びと師への感謝の気持ちを皆で分かち合うため。古来、ヨーガでは一生をかけて師を探し求めたといわれています。常に私たちを大きな慈愛によって真理へと導き続けて下さっている師。私たち弟子にとって師は闇を照らす灯明そのもの。その最愛の師の御聖誕日は歓びに満ちた一年で最も大切な日です。

この日のノアスタジオ代々木でのヨーガ・瞑想クラス。皆さん真剣に瞑想に取り組まれています。

クラス終了後、皆でスタジオから徒歩5分ほどの場所にある新宿御苑へ。
穏やかな秋の日差しの中、ソーシャル・ディスタンスに気をつけながら気持ちの良い芝生の上で円座に。大空の下で体も心ものびのびと広がっていくようです。

みんな楽しそう!時間を忘れるひと時を過ごしました。

皆それぞれが大切にしている師の教えやエピソードなどを飾らない言葉で思い思いに語り合いました。
忘れられない師との出会い、ニューヨーク・ミッションで師と一緒に過ごした日々のこと、毎年の御聖誕祭の役割で学んだ大切なこと、日々の実践に生かされている師から授かった言葉…。また、まだ師に会われていないSさんは私たちを通じて感じている師のイメージをお話して下さり、嬉しさとともに身が引き締まる場面もありました。
皆の話を聞くたびに、一人一人が師との特別な結びつきを持っているのだなぁと思います。そして、師が端的に弟子の性質を見極め、いかにその時々に一番必要な導きをされているのかということを感じ、改めて感謝の思いと師の計り知れない偉大さを思わずにはいられませんでした。
皆で笑ったり、泣いたり、真剣に聞き入ったりしていると、まるで師が私たちと一緒に円座に加わり、あの子どものような純粋な笑顔でお話を聞かれているように感じました。

それぞれの場所で迎える今年のジャヤンティー。一人一人何処にいたとしても、師への愛と感謝を捧げ、師とともにある歓びと真理の光で皆が満たされる日となりますように!!!

ジャイ!!!!!!

最後にマスクを取って、とってもいい笑顔!!(撮影ターリカー)

シャルミニー


御聖誕の日に思いを寄せて

一年と少し前、初めて師にお目にかかったその日、師は私の命にヨーガの光を灯してくださいました。その日から私の生活はすっかり変容してしまいました。常にヨーガが中心にあるのです!お会いする前までどうやって生きていたのか不思議に思うほどです。そして私のハートは、その光の源を求めるように、師であるヨギさんという果てしなくてまばゆい存在にどんどん惹きつけられていきました。

海を見ると、師の「この世界は、ちょうど海の波のように変化はしていても、そこには海(真理)だけがある」という教えを思い出します。

今年の初めにニューヨークに滞在し、師の懐に飛び込み、ヨーガを学ばせていただきました。その数日間は奇跡だったのかなと思うほどに尊い時間でした。小さな自分と対峙しては、もうだめなのかもしれないと真っ暗闇の中にいるように感じた夜もありましたけれど、朝目が覚めてそこに師がいてくださったことで、「あぁ、大丈夫なんじゃないかな」とただ安心したことを覚えています。私がそこに存在していることを喜んでくださっているような、そんな安心感をずっと感じていました。懐に飛び込みたい!という私の願いを受け止めてくださった、師の大きな愛情に包まれていたのだと思います。そしてその愛情は今も、誰ものそばにあるのだと信じています。

なぜ生まれてきたのか、どう生きるのか。私たちの命の秘密―――。
本当に知りたいことは学校では教えてくれなかったし、誰かに聞いたところで確かな答えが返ってくる気はしなかったけれど、師はすべてにまっすぐ答えてくださいます。
私は今生きています。生きているということは、その命を動かす大いなる存在と常に一緒であるということ。昨年の御聖誕祭に参加したとき、降って湧いたように「生まれてきてよかった」と感じました。きっと、五感では感じることのできないその存在と共にある喜びを、師がハートに直接味わわせてくださったのだと感じています。

今年も一年で最も大切な日が近づいてきています。大切な人には喜んでほしい、笑った顔が見たい、そう思います。では、師は何を喜んでくださるのだろう。―――以前、師は誰よりも弟子の幸せを願ってくださっていると伺ったことがあります。真実を実現し、私自身が至福の境地にとどまることで、その愛に応えることができるのではないかと思います。それは私個人の幸せではなく、すべてのための、もっと普遍的な幸せです。大切な人が大事にしているものは、同じように大事にしたいと思います。師が慈しまれる、この世界のすべての存在を、私も優しく愛することができますように。

秋と冬の間の澄み切った空気も、色づき始めた木の葉の一枚一枚も、近づきつつあるその吉祥な日を祝福しているように感じて胸が高鳴ります。こうして喜びの中で御聖誕の日を迎えられることにも、師の恩寵を感じずにはいられません。いつも見守ってくださっている師に、心から感謝いたします。

大森みさと


サットグル・ジャヤンティー 火の儀式

11月、街が黄金色の銀杏並木で彩られる頃、サットグル・ジャヤンティー(師の御聖誕祭)のお祝いの季節がやってきます。
真理に導いてくださる、真正の師がお生まれになった日をお祝いするこの祝典を迎えることは、年に一度、弟子にとってはかけがえのない大切なことです。

初めて私が師にお会いさせていただいたのも、20年ほど前のサットグル・ジャヤンティーでした。場所は、マハーヨーギー・アーシュラマ。歴史を感じる重厚で美しい京町屋に足を踏み入れた瞬間に、歓びと、清浄な空気感に包まれ、やや緊張と昂揚気味で訪れた私を、優しい笑顔で温かく迎えてくださった師にお会いしたあの日のことは、一生忘れることがないだろう出来事で、まさしく「永遠の真理」に触れた瞬間でした。

そのような感動を体験した、翌年のジャヤンティー。師に楽しんでいただきたいと私は以前に習ったことのある インド舞踊を「出し物」としてエントリーしました。今思えば、赤面の至り、なんと大胆な計画を講じたことかと、我ながら天晴れなことです(苦笑)。 そして、この申し出は前年同様に温かく迎えられ、師のご厚意とお導きのおかげで、準備段階で無事に「献上」に変容し、当日を迎えることとなりました。 

2000年のジャヤンティで奉納した踊りの一場面

わたしの踊りがどうだったか???は、さておき、その時に、踊りの習わしに沿って、灯明(ランプの炎)を献上させていただきました。師は祝典の中で、そのことについて触れられ、火を献上する儀式は非常に古く、宗教的な役割を大きく担ってきたとお話ししてくださいました。そして次のように教えてくださったのです。

「(聖典に)ヨーガそのものが、内的な火の儀式という風に形容される箇所があります」
「外的な火だけでは浄化と完成というものが望めるべくもない。やはり心、内的な問題であって、瞑想、つまりヨーガを行なうことこそが浄化と完成への道である。したがって、これが内的な火。火というのは不純物を焼き尽くす。だからみんなはいつもそういう意味では、毎日火の儀式を行っていると言えるわけです」

灯明の献上

師はいつも 慣習や形に執らわれず、わたしたちに真理に則った最善の道と在り方を、示してくださいます。
この年の以降には、お祝いの席で、弟子一同から灯明の献上をさせていただいています。その歓びの日の献上は、実は「日々の行ないとヨーガ」があってこそのものであり、そしてそれこそが、わたしたちが何よりも求めるべき「真実」に至る道であるということを、師は教えてくださいます。

師の存在と、マハーヨーギー・アーシュラマの凛としたあの空気感に心を寄せながら、「誰もの中に真実がある」という、師の教えを信じて!
毎日を大切に過ごしたいと思います。
そして今年も晴れやかにサットグル・ジャヤンティーを迎えられますように!

サラニー


ウパコーサラの導き

11月23日。この日は師シュリー・マハーヨーギーのお生まれになった日。
私たち弟子は、永遠の真理とともに肉体をもって現れてくださり、その道を指し示してくださる師へ感謝を捧げる御聖誕祭(ジャヤンティー)を毎年開催させていただいています。
その弟子にとって1年で最も大切な集いとなるジャヤンティーでは聖劇が奉納されますが、今年私は聖劇に参加する機会を得ました。
ちょうど、松山バクティ・サンガムで「神の懐の中は、無恐怖である」という気づきがあり(過去のブログ、太鼓の導き!をご覧ください)、それがまだ、胸の中でありありと実感できた時、ウパコーサラという主役のバラモンの求道者役に抜擢されました。劇は小学校の学芸会以来でしたが、何も不安はありませんでした。それはまさに、あの時の実感からくるもので、神にお任せし、私は精一杯できることをやればいいんだという確信でした。

火の儀式をするウパコーサラ(ジャヤンティー当日)

聖劇の練習では、京都の先輩と関わらせていただく貴重な時間でした。そこでは、より良いものを作るために途切れなく集中し、その為に必要なことには惜しみなく尽力される姿を目の当たりにしました。より良くするための意見は、先輩後輩関係なく聞き入れられ、意見を出す時にも、自分の考えをはっきりと伝えるけれども、それを押し通すようなことは一切されませんでした。また、松山在住の私のために、スカイプで何度も練習してくださり、私が京都に滞在中には、聖劇に関わるすべての役割の人が時間を作って、一緒に練習してくださいました。その先輩方の姿に鼓舞され、過ごした2か月は、楽しくて仕方がありませんでした。

火の化身たち

ある時、ウパコーサラの心境がセリフや動作に表れていないということでアドバイスを頂いたことがありました。改善するべきところは理解でき、先輩の見本の真似はするけれど、できるのはその時だけで、すぐ忘れてしまう、まったく身につかない状況でした。それだけではなく、ウパコーサラの演技によって、先輩方の演技にも影響を及ぼし魅力を半減させていることを感じて、自分の至らなさに腹がたちました。同時に主役の役割とは、その劇を作る要になる存在だということに気づいて、それまでの自らの考えの甘さを反省しました。それまで、ウパコーサラを演じていたつもりでしたが、ふと「私の考えるウパコーサラ」を演じていたと思いました。「私」のわかること、理解できる心境は演技できるのですが、「私」のわからないことは演技出来ないので、セリフが本の朗読みたいになり、動作は、やるように言われたからやっている、劇のほとんどがこの状態でした。主役のウパコーサラがしっかりと演じられないとこの劇は成り立たない!そのためには何をしたらいいのか。

師サティヤカーマの導きでブラフマンの叡智を授かるウパコーサラ

技術的な面では、先輩から教わった方法を練習することで、私の話し方や息遣いの癖、本当の意味でセリフが覚えられていなかったことに気づかされました。また、内面的には、ウパコーサラの心を知る必要がありました。それには、「私」の考えを捨てて、ウパコーサラのセリフを頼りにその心情に迫り、私の身体を道具として使い現していく。先輩からのアドバイスを聞く時も「私」の考えを捨てて聞き、素直にやってみる。「私」の心が動くと途端に出来なくなる。「私」が主体となるものを徹底的に排除して、ウパコーサラになる!本番前の2週間、ただひたすらこれだけをやっていました。いつしか、ウパコーサラの憧れた、知りたかった「ブラフマン」は、「神」と同じ存在であることに気づかされ、ウパコーサラの表面的な心よりも、常にウパコーサラの中心にある「ブラフマン」を知りたいという熱意と師の教えである真理への信仰と師の導きへの感謝を感じるようになっていました。

クライマックスの一コマ。ウパコーサラの心情に迫ります!

当日、不安や「私」の心が動く原因になるものは一切ありませんでした。願いはただひとつ、師であるヨーギーさんが、喜んで楽しんでくださる劇になりますように!本番は、あっという間、無我夢中でした。

聖劇に魅入る観客

この体験から、「私」というものは、一切いらないことを実感しました。「私」があるから心の動揺を作る原因となり、「私」の考えや判断があるから真実や本質が見えない。真理というものは、「私」がなくなってはじめて、浮かび上がってくるように感じました。これから、さらに主体となる「私」を捨て、「真理」「神」「あなた」を主体としていけますように。

このような機会を与えてくださった師に感謝いたします。

オーム タット サット オーム!!

山口正美


紅葉🍁プレーマ・アーシュラマの集い!

12月とは思えないような暖かい日差しの中、1日の日曜日にプレーマ・アーシュラマで四回目となる「アーシュラマの集い」がおこなわれました。

当日は京阪神のグルバイを中心に京都に滞在中のマールラー、マーク、エミリーの台湾グルバイも参加し総勢30名の参加者が集まりました。

最初に仁和寺の山門に集まり二班に分かれて美しい庭園を散策しました。紅葉はベストの見頃からは少し遅れた様子でしたがそれでも御覧ください!

仁和寺紅葉ツアー

二手に分かれて出発!

紅葉をバックに楽しそうなグルバイの顔!

晩秋の京都を満喫した一行はプレーマ・アーシュラマに到着し御茶を頂いて一服。

集いの始めは皆で祭壇に礼拝。オームを奉納しました。
そして話題は自然と、今も喜びの余韻にある先週のサットグル・ジャヤンティーの話に!
なんと当日の写真をスライドショーで観るという嬉しいサプライズが用意されていました。

歓喜のジャヤンティーのスライドショーを楽しみました!

皆んな夢中で見ていました!台湾からのグルバイもとても喜んでいました!

15分程のスライドショーに映し出される写真は、どれも喜びの顔、顔、顔。
当日の感動が参加者の胸に甦ります。
何より師の慈しみ深い、優しく甘い眼差しに皆食い入るようにスクリーンに見入っていました。
式の間には見れなかった師が大いに笑われ、驚かれ、弟子の祝辞や聖劇を心から御喜びになられている様子を初めてアップで観ることができました。

続いて当日にホームページに告知されyoutubeに公開された、「エターナルクエスト」のダイジェスト版映像をいち早く観せてもらいました。
なんとこの映像は構成、デザイン、編集、フォントの選択に至るまで師が手がけられたそうです!!

そこからは、ジャヤンティーの感想を参加者がそれぞれ話してくれました。
初参加の廉くん、藍ちゃんも、先輩グルバイ達の真摯にヨーガに向き合う姿勢が、全ての祝辞に表れていてとても感動した。カッコ良かった。と話されていました。

その中で素晴らしい祝辞を奉納した美香ちゃんが、祝辞をグルに奉納出来るまでの過程を教えてくれました。

楽しくも真剣な皆んなのお話に引き込まれました。

祝辞候補者として初めて集まった7月からジャヤンティーを迎えるまで、担当者のアドバイスに支えられながら、日々の実践とヨーガの成就に向けた情熱に自ら向き合い、
何度も何度も自問自答し、ついに自分の役割を見つけ決意をもって高らかに師への想いを宣言してくれたのでした。

一人の修行者が少なからず通るであろう、己の性質との苦闘の跡がはっきり感じられただけでなく、それを乗り越え勝利した者だけが語れるとても力強い宣言でした。
それを可能にしたのは、グルへのひたむきな信愛と感謝だと私は強く心動かされました。

最後は、皆でキルタンを歌います!ハレ・クリシュナ、マナサ・バジャレイ。
黄金色の西日に照らされた皆の笑顔は、心のなかで師を思いながら歌っているのが手に取るようにわかる最高の瞬間でした!!

皆んなで歓びの中でキールタンを歌いました。

このアーシュラマの集いに参加して、サットグル・ジャヤンティーの意味、その吉祥さをあらためて噛みしめていました。
初めてジャヤンティーに参加された方も、当日は残念ながら参加できなかった方も、皆さんの話からとてもいいものを受け取られた様子でした。

チャイタニヤ