投稿者「サティヤー」のアーカイブ

ラーマクリシュナのうたわれたキールタン 

『ラーマクリシュナの福音』の中で、シュリー・ラーマクリシュナは、たくさんのキールタンを歌っておられます。そのキールタンは、私たちが普段うたっている神の御名を繰り返すという単純なものではなく、歌詞があるものです。メロディーは分かりませんが、歌詞の内容はとても美しく、私もうたってみたいなぁ・・・と思うものがたくさんあります。今回は、その中の一つを紹介します。

これはゴーピー(牧女)たちが、クリシュナ神への愛をうたった歌で、『ラーマクリシュナの福音』の中で何度か出てくるものです。

「私のクリシュナはまだ見つからない。おお、友よ
彼のいないわが家のなんと寂しいこと。
ああ、もしクリシュナが、
私の頭の髪でさえあったなら、

私は念入りにそれを編み、バクルの花で飾るのに。

私のクリシュナ髪のお下げを、
入念にととのえるでしょう。

クリシュナは黒く、私の髪も黒い、
黒と黒は一つになる。

ああ、もしクリシュナが、
私の鼻の飾り輪でさえあったなら、

彼はつねに私の鼻に下がり、
私の唇は彼にふれたでしょう。

    だが、そんなことはあり得ない。
ああ、なぜ私は、こんな愚かな夢を見る。

クリシュナが、私の鼻の飾り輪などになるものか。

ああ、もしクリシュナが、
私の腕の腕輪でさえあったなら、

彼はいつも私の手首にくっつき、
私は誇らしげに歩くでしょう。

腕輪をゆすって音をさせ、
これ見よがしに腕を振り、

クリシュナ腕輪を身につけて、
王様の道を歩くでしょう。」

恋をしたことがある人なら、誰でもわかると思いますが、愛する人とは片時も離れていたくなく、一緒にいたいものです。「ああ、彼が(彼女が)ここにこうしていてくれたなら…」という想像(妄想?)は誰でもするものです。そして「そんなことはあり得ない、なぜこんな愚かな夢を見る…」と言いながらも、また想像を始めてしまうところが、この歌の中でとてもリアルで、素朴で、なんとも言えない可愛さがあります。

これは、一見すると単なる人間の恋愛の様子がうたわれているようですが、本当は魂と神との関係を象徴的にうたったものです。魂(牧女)は神(クリシュナ神)に恋い焦がれ、一心に神を求め、常に一つになりたいと望んでいるのです。バクティの感情を表現する時には、日常の中の誰もが経験するような状況を、バクタの心境になぞらえてあるのものがたくさんあります。キールタンは、神への魂の叫びであり、神と魂を結ぶ愛の歌なのですね。


さまらさの台所 コロッケの美味しい作り方

先日のさまらさの台所では、今が旬のじゃがいもを使ったコロッケを3種と、ライスコロッケ を紹介しました!黒豆の枝豆を贅沢に使った、枝豆コロッケ、本格インドスパイスを使ったカレーコロッケ、旬のきのこの旨味をギュッと引き出した、きのこコロッケ、そして、チーズがとろーり美味しい、トマトライスコロッケ です。

参加した方からは、「どのコロッケも素材の旨味があって感動しました!」「今まで自分で作っていたものもあったのに全然違うものでした」「コロッケの種類がこんなに豊富とはびっくりしました」と喜びの感想をいただきました。

それぞれのコロッケが美味しいのは、黒豆の枝豆や、きのこといった旬の素材が美味しいのはもちろんですが、ベースになるじゃがいもの味がポイントになります。ではここで、さまらさ風コロッケの種の作り方をご方法をご紹介します。

じゃがいもをゆがくとき、たっぷりのお水でゆがき、最後にゆで汁を捨てるという方も多いと思います。実はゆがいている間に、ゆで汁にじゃがいもから栄養分が流れ出ています。そのゆで汁を捨てるのはとてももったいないですね。また、水っぽく仕上がることで、じゃがいもの味が薄くなり、つぶしたときにも水っぽい仕上がりになります。

でも、さまらさのゆがき方だと、はじめに鍋に入れる水を少なくしているので、栄養分も逃さず、じゃがいもの味も濃く仕上がります。また、水分がしっかり飛んでいるので、じゃがいもをつぶしたとき、ホクホクとした仕上がりになります。このように作った種に、旬のきのこや黒豆を混ぜて作るコロッケは、美味しいこと間違いなしです!

さまらさではいつも、素材そのものの味を生かす調理方法をご紹介しています。今回は、じゃがいものゆがき方だけでなく、きのこの旨味を出す方法や、カレーのスパイスを美味しく使うポイントなどもご紹介しました。新鮮な食材は、それだけで十分美味しいのですから、大切にいただきたいですね。

ご好評につき、12月16日(日)(@ヨーガ・ヴィハーラ 15:00〜17:30)にもう一度コロッケの会をします。残念ながら、黒豆の枝豆コロッケは時期が外れてしまうので作れませんが、カレーコロッケ、きのこコロッケ、ライスコロッケ の3種類を作ります。ぜひ!ご参加ください。


バクティ・サンガム キールタン

Bhajamana Ma

Bhajamana Ma Ma Ma Ma   Bhajamana Ma Ma Ma Ma

Anandamayi Ma Ma    Anandamayi Ma Ma

Anandamayi Ma Ma   Anandarupa Ma Ma

 

6月から3ヶ月間バクティ・サンガムでは「Bhajamana Ma 」というキールタンを歌っています。Bhajamanaとは心から讃えよという意味、そしてMaはお母さん、母なる女神のこと、Anandamayi は至福に満ちている、Anandarupaは至福の姿をとられたという意味です。

「心よ!至福に満ちている母なる女神を讃えよ!!」

というキールタンですね。女神の優しさに包まれるようなメロディー、単純で覚えやすい歌詞、日常でもいつの間にか口ずさみ、その都度Maに思いを馳せることができます。

ところで、Maといえば、一番に思い出す聖者がいませんか?
Maへの信仰に全てを捧げた19世紀のインドの大聖者、シュリー・ラーマクリシュナです。

カーリー(女神、Ma)寺院の神職をしていたシュリー・ラーマクリシュナは毎日熱心に礼拝するうち、「生きているMaに会いたい!」という思いを募らせていきます。そしていつしか寝食を忘れ、狂ったように神を求め、ついにMaを見神するのです。

シュリー・ラーマクリシュナは生涯をかけて神を求め、愛することを教えられます。全身全霊でMaを求めた彼が、実際どのようにMaに祈っていたか、その言葉を弟子に教えておられる箇所を見つけましたのでご紹介します。

「私はいつも彼女(Ma)にこう祈った『おお母よ、おお至福に満ちたお方よ、私にお姿を見せてください。くださらなければ駄目です。おお低き者たちの主よ、おお、宇宙の主よ、私は決してあなたの宇宙の外にいるのではありません。私は知識を失っています。修行もできていません。信仰もありません。あなたはお慈悲をもって私にお姿を見せてくださらなければいけません』」

シュリー・ラーマクリシュナはいつも、神はもっとも親しい身内だと言われます。子供が母親に泣きつくように心の底から泣いて神を求めたら、神がそっぽを向いておられるわけがないと教えられます。私はこのBhajaman Maを歌うとき、いつもこのシュリー・ラーマクリシュナの祈りの言葉と、神への態度を思い起こし、心でこう叫んでいます。

「私に純粋な信仰を授けてください。くださらなければ駄目です!!」

8月のバクティ・サンガムでもBhajamana Maや、他の女神のキールタンを歌いますので、ぜひぜひご参加ください! 大阪8月10日(金) 京都8月26日(日)になります!


丹波の野菜を使った夏のご飯!! さまらさの台所

先日、さまらさの台所がありました。今回のさまらさの台所は、場所を3つに分けて行いました(各班で5人〜6人)
いつもはこちらでメニューを用意し、作り方を紹介しながらクラスを進めますが、今回は決まったメニューはなく、前日に丹波から届いた新鮮な夏野菜を見て、それぞれの班でメニューを決め、調理をし、いただくという趣旨のクラスになりました。
丹波から届いた野菜がこちら!!トマト、新じゃがいも、新玉ねぎ、万願寺、ピーマン、なす、ロロン(かぼちゃの種類)

それぞれの班によって作ったものが違いますが、どの班も丹波の夏野菜を堪能し、これから続く夏に生かせるメニューを考えたようです。今回はその一部をご紹介します。

まずは、いつもクラスをしている、ヨーガ・ヴィハーラ。丹波から届いた野菜を見て、参加者それぞれで一膳を考えてみました。そして一人ずつ発表する中、「これどうやって作るの!?」「これ食べてみたい!」など話しながら一膳を決めていきました。決定したメニュは、トマトの冷製パスタ、焼きなすのマリネ、じゃがいもの冷製ポタージュ、夏野菜のパコラ(インド風天ぷら)

この猛暑ですから、冷たく、さっぱりとしたものが欲しくなりますね。そこで一番に考えたのがトマトの冷製パスタ。でも暑いからこそエネルギーになる、パンチの効いたものも欲しくなります。「揚げ物が食べたいな〜」という意見から、インドのスパイス、豆の粉を使って作るインド風天ぷら(パコラ)を決めました。
たくさんある新じゃがいもは冷製のポタージュスープに、大きくてピカピカ輝いているなすは、焼きなすにして、マリネにしました。それでは今回作った、簡単!!トマトの冷製パスタをご紹介します。

(5人分)材料:トマト中5個、玉ねぎ中1/2個、パスタ300g (一人60g)、塩適量

1 トマト中3個をすりおろし、中2個はザク切りにし、ボウルに入れておく。

2 玉ねぎ1/2はみじん切りにし、塩もみしておく。

3 玉ねぎから水が出たら手でしっかりと絞り、1に入れて混ぜる。

4 ゆがいたパスタを氷水などで冷やし、3のソースをかけていただく。

オイルが入っていないので、サラダのようにあっさりした夏向きの味わいです。オリーブオイルは卓上に置き、お好みでかけるとまた違う味わいで2度美味しいパスタとなります。トマトの甘みと爽やかさが、体に染み渡る美味しさです。ぜひ夏のメニューに加えてくださいね!

そのほか2箇所で行われたさまらさの台所は写真とともにご紹介します!!

まずは、プレーマ・アーシュラマ。当日の天気や、みんなの体調を考慮して決めたメニューはこちらフレッシュトマトの冷製パスタ(にんじんの葉を少しそえました)、焼きなすの冷製スープ、スティックサラダ(にんじん、きゅうり、ディップはマヨネーズと味噌、酢

食事は2階のアトリエで!まるでレストランのようにテーブルセッティングも美しいです。

参加者からの感想をいただいています。
「当日のお天気と皆の体調で冷たいスープ、パスタ、スティックサラダがすんなりと決まったのが流石!!と感じました。通常とまた違ったインスピレーションあふれる楽しいさまらさでした。」

「初めてのプレーマ・アーシュラマでの調理ということで楽しみにしていました!新鮮なお野菜はそのままで美味しいけれど、それをどう生かすか?実践を重ねている人からくるアイデアは豊かで、また数人いることで、流れるように(メニュー、味付けが)決まっていく感じが生き生きとしていておもしろかったです。」

「焼きなすのポタージュ、絶品でした!本当に体と心に染み渡る感覚がありました。スティック野菜のディップもきゅうりとにんじんのみずみずしさと甘みが感じられました。」

続いて、アーシュラマこちらのメニューは、トマトご飯、茄子とピーマンの味噌炒め、焼き野菜(かぼちゃ、万願寺)、スパニッシュオムレツ(じゃがいも、玉ねぎ、ドライバジル)、にんじんサラダと生のトマト、にんじん葉のおひたし

こちらも感想をいただいています。

「旬の野菜を使って料理するということだけでなく、生活の知恵や暮らしのあり方を教えていただき、でもあるがまま、とても自然で……感激の連続でした」

「わたしが印象的だったのは ものの場所もわからず どうしようという感じだったみんなが お互いにいろんな質問をしたり、短時間の調理の行程のなかで 落ち着いて、しぜんに役割分担して調理されている様子が清々しかったです。調和、円満、喜び、 そんなことが自然に思いました。」

ライブ感のある、さまらさの台所、調理だけでなく、暮らし方の姿勢も学べたようですね。みなさんそれぞれにを楽しんでいただいたようです。またこのような企画をしていこうと思います。
次回のさまらさの台所は、通常のクラスの形となり、9月23日(日)となります。


さまらさの台所 手作りでご飯のお供

パラマハンサ会員向けのさまらさの台所があり、19人の参加がありました!
今回紹介したのは、ちりめん山椒、昆布の佃煮、新生姜の甘酢漬け、味噌玉の4種類。冷蔵庫にあるとご飯のお供として日々の食事に重宝するものばかり、手作りすることで、安心して食べることができます。

さて、味噌玉って何だと思います?

お湯を注いだらすぐに味噌汁ができる、あさげやゆうげというインスタント食品をご存知ですか?家にある味噌で出汁を取らずに、同じように簡単に味噌汁を作ることができるのです。
味噌(大さじ1)にかつをぶしの粉(ひとつまみ)を混ぜ、そこに乾燥わかめ、お麩などを入れてます。そこにお湯を注ぐと、出汁を取らなくても簡単にお味噌汁が出来上がります。

サランラップに包んでおくと、持ち運び便利!!お弁当に持っていくこともできます。
こんなに簡単にお味噌汁が作れると、手間が省けて本当に助かりますね。

今回のさまらさの台所では、ご飯にお味噌汁、おかずは、ちりめん山椒と昆布の佃煮、新生姜の甘酢つけという一膳をいただきました。一見すると何と質素な!メインのおかずはないの?・・・という一膳ですが、実は食べてみるとこういう食事は体も心もほっとすることに気がつきます。どうしても、メインのおかずを作らなければ!とか、あまりに簡単な食事だと、手を抜いてしまった!という印象が残ったりします。けれど、本来食事には「〇〇しなければならない」というものはないと言うことを学びました。

ヨーガの実践を中心とする生活(日々のアーサナ、瞑想を実践する生活)には、その日、そのとき、またその時期にふさわしい食事があります。

あるときは夕食を速やかに済ませてサーダナ(アーサナや瞑想)にしっかり時間を取るときもあります。あるときは、時間に余裕を持ち、旬の食材を使って、できたての料理をいただくこともあります。またあるときは、誰かと一緒に過ごす時間を大切にするときもあります。その日の状況や、自分の修行の時期に応じて、ふさわしい形で食事ができるようにするには、自分自身で判断していく力をつけていくことが必要になります。

食事は人生の目的ではなく、本当の目的(自分の理想)を実現するために必要とするこの体を調えるために取るものです。まずは、その目的をしっかり見据え、日々の食事作りをしていくことが望ましく、自分の判断に対して「今日はこれでよし!」と思う力をつけていくことも大切です。

 


USAフェスティバル

今より遡ること約100年前、かのパラマハンサ・ヨーガナンダは神の啓示を受け、海を渡りアメリカへと布教の旅に出られました。そして2018年6月15日の明日、私たちの師のヨギさんも海を渡り、N.Y.へと旅立たれます。わたくしヨーガダンダも、ヨギさんに先駆けて、海を渡り、USAフェスティバルに行ってまいりました。とは言いましても、USAとは大分県宇佐市の宇佐のことで、海を渡ったと言いましても、関門海峡をバスで渡ってまいりました。

縁あって、1年ほど前からヨーガのクラスをさせていただいている宇佐市は、田園風景が広がるのどかな街なのですが、お店の前に自由の女神の像が建っていたりする、何だかお茶目な街なんです。そんな宇佐市の町興し的なお祭り――USAフェスティバルでヨーガ体験クラスの依頼があり、参加させていただくことになりました。10回目を迎えるUSAフェスティバルは由緒ある宇佐神宮での開催です。

宇佐市のクラスには、不思議と子供さんが多く通われていて、今回はその仲良し二人組にデモンストレーションをしてもらいながらクラスを進めていきました。石畳の地面は硬くてヨーガマットだけでは不十分だったのですが、近所の畳屋さんが畳みを提供してくださいました。地域の人たちの結び付きに感銘を受けました。

鋤のポースです。視界の先にはどこまでも続く大空。

瞑想の前に、座るポーズをいくつか紹介させていただきました。

瞑想の時には、ガヤガヤした雰囲気の中に静寂の空間が生まれたように感じました。

最後に、お菓子をもらいにきた子供たちと立木のポーズ!

このところクラスを担当させていただく中で、子供から大人まで、また元気な方や心がしんどい方、いろいろな方と接する機会を与えていただいています。そんな中で私が願うのはいつも同じでありたいということです。目の前に尊い存在を見て、はからいなく行為する。聖者、覚者の行為から、いつもそのことを感じます。私もそのあり方を見倣って、少しでも近づいていきたいと思います。京都でも、福岡でも、宇佐でも、そしてUSAであったとしても。

 

おまけ

午前中のクラスには、空手の道場に通う子供たちが多数参加してくれました。

『パラマハンサ』の記事――「ヨーガよかばい!」でお馴染みの国友司さんもチラシ配りに汗を流してくださいました。畳みの上で一休みしていた大学生の二人はこの後クラスを体験されました。

yogadanda


松山特別サットサンガのご報告 サティヤー編:私が見た!師のお姿

今回ヨギさんと一緒に、私、サティヤーも松山に同行させていただきました。

サットサンガの内容はゴパーラが報告してくださったので、私はまた別の角度から、私が「見た」ヨギさんのお姿をご紹介します。

松山に行ってまず感じたこと、それは松山のクラスを運営しているアーナンディーを始め、他のみんなの働きの素晴らしさです。ヨギさんが快適に過ごすことができるようにと、細かなところまで気を配って準備をされていました。そして、その準備を本当に喜んでしていることが伝わってきました。食事や移動、どのシーンを切り取っても、おもてなしの気持ちが溢れていました。サットサンガの会場の準備はもちろんですが、参加する方が、ヨギさんに会い、質問をするという大切な機会を逃さないように、いろいろな形でフォローし、寄り添ってこられたことを感じました。本当にヨギさんへの感謝と愛が溢れていて、とても!とても感動し、学ばせていただきました。

でも!!!!でもでもでも、もっともっともっとびっくりしたのは、そのおもてなしと感謝を何倍、いや、何百何千倍も上回る形でヨギさんが彼らを、そして参加された全ての人を祝福し、もてなし、喜ばせておられるお姿でした。それが、どのようなものかということは、もう・・・・・うまく言葉で説明することがきでない・・・(「なら、書くなよ」・・と言わないで)私はただ、それを「見た」としか言いようがないのです。

言葉にすると「無私の行為、人のためだけに生きる姿」というものをありありと見たということでしょうか。でもやっぱりそれを言葉にしたくない!!本当に素晴らしいものを見せていただいたとしか言えないのです。

私の言葉では、到底うまく説明できないので、以前ヨギさんがお話しされていた中から、今回私が「見た」ものはこれだという言葉を見つけたので、紹介させてください。

自分の命を捧げて他者を愛する意味を教えて欲しいと質問した人に対して答えられたものです。

「不二の永遠の存在、もしくは神が、神の中で遊び戯れていることが、究極の意味です」

捧げるということや愛するということ、それらは自分と他者とを分けた中で成立する言葉だと観念づけられています。だから他者に自分を捧げるとき、そこには努力が必要であったり、あるいは無理して疲れたり、そんな時もあります。もちろんそんなことばかりではなく、自然にできることもあるけれど、基本的には私と相手という二つが存在する中での行為として捉えています。

でも、私が見たヨギさんの姿は、私が知っている「愛」や「捧げる」という言葉は届かず、捧げる者も、捧げられる者も、本当は二つとない永遠の存在で、ただ、遊び戯れているという、その言葉通りの美しい、美しい姿でした。それを見た私は、ただただ、お手上げ!感服しました。人として最高の姿を見せていただき、私はその姿を胸に焼き付けました。

ヨギさんが、あまりにも無為自然に、ただ遊んでおられるように見えるので、それはどのようにしたらできるのかとか、どのような心の状態なのかとか、詮索したり、自分の小さな思考のレベルに落としたくはなく、ただ神の遊びが台無しにならないように、せっかくだから私も一緒にその場に身を任せて遊ぼう!という気持ちだけでした。

なんとなんと甘美な3日間だったことか・・・。

でも、もう言葉はこのぐらいにして、その甘美さをただ味わいたいと思います。

サティヤー


野菜たっぷりおうちご飯 5月

外で食べるごはんも美味しいけれど、やっぱり家で作ったごはんを食べると、からだもこころもほっとしますよね。そんな、美味しいから何度でも作りたくなるおうちごはん。5月は季節の野菜を使ったお弁当をご紹介します。
http://www.mahayogi.org/classes/samarasa

青葉が美しい5月は、野外でランチするのが一番気持ちが良い季節、お弁当を持ってぜひお出かけください。

ヨーガでは「食は薬なり」と教えます。

何でも食べたいものは簡単に買う事ができる現代、気分に任せて好きなものを適当に食べていると、風邪を引きやすくなったり、疲れが取れなかったりします。ここで言う薬とは、健康を保たせ、弱っているところを補うものという意味、食事は、病気の時に正しい薬を選んで飲むように、自分の心と体を良い状態に保つために摂るものです。

そう考えると、食事の取り方や食材の選び方は、とても大切になりますね。ヨーガをしている、していないに関わらず、誰もが心も体も健康に過ごしたいと願っていると思います。クラスでは、食材の選び方や食事の取り方についてもしっかりご紹介していきます。
ぜひご参加ください。


バクティ・サンガム キールタン

すっかり春!桜が満開になっています。バクティ・サンガムでは3月から新しいキールタンを歌っています。「Panduranga Vittale」(パーンドゥランガ ヴィッターレー) ヴィシュヌ神を讃えるキールタンです。4月、5月とこのキールタンを中心に歌っていきます。

神の御名を何度も何度も唱えるキールタンですが、御名に集中し、心を込めて歌っていると、突然心の奥から歓びが溢れ出す瞬間があります。先日久しぶりにバクティ・サンガムに来てくれたゴパーラも良い体験があったようですよ、ご紹介します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私にとっては約3年ぶりのバクティ・サンガム。

  あなたがラーマの御名を唱える時

  百万の罪の記憶が消え失せる

  幾生涯の記憶は

  ラーマの御名の朗唱によって消滅する

 最近、中世のミーラー・バーイーのこの詩を目にして、「そんなことってあるのかな? もしそうなったら、それはいいな」と漠然とながら憧れのようなものを感じていました。

 この日のバクティ・サンガムは、キールタンのメドレーでした。会が始まってすぐ、「世俗の話も聞かなくていい、余計なことも考えなくていい。神だけを思い、それだけに浸れるこのバクティ・サンガムはとてもいいな~!」という思いが湧いてきました。

 会の前半、「ラーマとシーター」だけのフレーズの曲がありました。「なんてシンプルな曲なんだ!」と思い、歌い始めました。目を瞑って、ただただラーマとシーターの御名だけを歌いました。曲が終わった時、自然と涙が溢れていました。隣で歌っていたチャイタニヤさんも泣いていました。

 その後もたくさんのキールタンを歌いました。そしてミラバイさんが「次がラストの曲です」と言った時、「えっ、もう終わり!?」と思い、とても驚きました。

その時、自分が時間の感覚を失っていることに気付きました。瞑想に座っても、ここまで時間を忘れたことはありませんでした。

 百万の罪と幾生涯の記憶が消滅したのかは分かりません、でも神の偉大な力と、グルバイの力強い歌声とメロディーに包まれた「至福」のひとときでした。

ゴーパーラ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー誰でもが簡単に歌うことができるキールタン、初めての人も、久しぶりの人も、ぜひバクティ・サンガム にこの歓びを体験しに来てください。


さまらさの台所 パエリア

今月のさまらさの台所では、パエリアを紹介しました!

長ーーーい間、たっっくさんの方からリクエストがあったパエリア!やっと紹介することができました。ただのパエリアではありませんよー!これは私たちの先輩であるシャーンティマイーさんのレシピです。今回担当してくれたゴパーラも、さまらさ班のサラニーさんも私も、それぞれが別の機会にご馳走になったことがあります。何かの折にシャーンティーマイーさんが作ってくださるパエリアはとても美味しく、華やかで、食事をしたシチュエーションにも思い出があり、あんな風に作れるようになれたらいいなーという憧れのお料理でした。

参加者のみんさんからは、パエリアを習えることをとても楽しみにされていることが伝わってきました。開始から、調理、食事と終始、華やかなパエリアにふさわしく、歓びに満ち溢れる会でした!!

今回の会のテーマは「食事を楽しむ」、昨年から引き続きでゴパーラが担当してくれました。(毎回担当者がテーマを持って取り組んだ内容を話してくれます)当日話しをしてくれた内容を掲載します。

去年のさまらさの台所ではお弁当という形で、「旬をいただく」というテーマに取り組みました。旬をいただく中で、その旬の食物がもつ美味しさやプラーナから、大地のエネルギーを感じるようになり、「命の恵みをいただいている」という感謝の気持ちが自然と内から湧いてきて、食物が愛おしく、丁寧に調理する自分がいました。それからは、料理を作るのが楽しく、自分の作る料理が美味しく感じられるようになってきました。それまでは訓練として料理をしていたところがありましたが、「楽しんで料理を作り、いただく」というところに心が向かい始めました。今回のパエリアは、みんなでお皿を囲んで楽しく食べれるメニューということで、自分の今の心境にピッタリだと感じました。

 ただ、「楽しむ」ということを考えた時、みんなでワイワイと料理をいただくことも楽しいことの一つだと思いましたが、パーティーのように賑やかに食事することは稀で、普段の料理は割と淡々として地味なもののように思いました。そんな中、「日常の中で料理を楽しむとは何だろう?」と思いながら、今回のパエリアに取り組みました。

 そして今回、パエリアを作っている中で楽しいと感じたこと、それは「輝き」を感じた時でした。今回、パエリアのメインはあさりとホタルイカですが、タマネギも大きく切って一つの具材としていただきました。エリンギは小さく切りましたが、この小さい中に魚介の出汁の旨味が吸い込まれて、深い味わいを出していました。トッピングのパ プリカは火を通さず蒸らすことで、色鮮やかでシャキッとした食感になり、アクセントになりました。最初はシャーンティマイーさんにただ教わった通りに作っていましたが、自分で作っていくうちに、シャーンティマイーさんが食材一つ一つのことを思って作っていることが自然と感じられました。そして自分がこのように一つ一つの食材のことを感じながら作って出来上がったパエリアを見た時、それは輝いて見えました。その輝きに触れ、その料理をいただいた時、内からくる歓びのようなものを感じ、何だか嬉しい、楽しい気持ちになりました。

 この感覚は、去年から実践しているお弁当でも感じられました。私は今までは、「お弁当を作る時間がもったいない」と思っていて、お弁当は前の日の 残りを持っていくことがほとんどでしたが、去年のさまらさの台所でお弁当を担当した時、さまらさ班のサティヤーからは「朝に一品でも作ってみたらいいよ」と言われ、朝にお弁当の一品を作るようにしました。その時にサティヤーは、「私は忙しい仕事の中、お弁当を開けた瞬間が仕事中の唯一の喜び!」とも言っていて、それを聞いた時は「何か食いしん坊やな、それって食べ物に執着してるんちゃうの?!」と心の中で思ったのですが、実際に朝一品のおかずを作ると、お弁当が瑞々しくなり、その蓋を開けた瞬間、お弁当が輝いていて嬉しい気持ちになり、とても美味しい味わいだと感じることがありました。

 毎日の料理は淡々としているかもしれません、でもそんな中にもその輝きが 感じられると、嬉しい楽しい気持ちになるように思います。このさまらさを通していただいた気付きを大切にして、これからも食の恵みに感謝し、楽しい思いで日々の料理に取り組んでいきたいです。

                                        ゴパーラ