先日、祖母が亡くなりました。93歳、大往生と言って良い年齢だと思います。
最後に会ったのは2019年の秋。コロナ禍で会えないまま別れの時が来るかもしれないと覚悟はしていました。しかし、いざその時を迎えてみると、祖母にもう会えない寂しさが溢れてきて、葬儀にも参加して見送ることすらできないという現実を受け入れられない自分がいることに気付きました。
ヨーガで学んだ、「死とは服を着替えるように肉体を脱ぎ捨てていくこと」「死とは心の死滅であり真の自己は決して死なない」という教えを事あるごとに意識し、私なりに理解していたつもりでした。葬儀やお墓といった形式がなくても故人を偲び大切にしていくことはできると思っていました。だから死を嘆き悲しみすぎてはいけないと思っていました。しかし、今回会えないまま祖母が亡くなり、最期のお別れにも立ち会えなかったという事実は、私の心を大きく動揺させました。悲しさと寂しさと虚しさが一気に押し寄せて心を支配しようとしましたが、その勢いを止めてくれたのは記憶の中にある祖母の笑顔でした。
明るくて、雲ひとつない青空のような祖母の笑顔が、私は大好きでした。
祖母の死を受け入れようと、その人生に思いを馳せ、数々の思い出を振り返るうちに気付かされたことがあります。
それは命の偉大さと尊さです。
この世界にはたくさんの命が存在していて、人間だけではなく動物も植物もそれぞれ与えられた役割があり、それを全うするために生きています。祖母はその役割を全うしたから肉体を離れた。私にもいつかその日が来る。私が関わっている人たちにも、関わっていない人たちにも、必ずその日が訪れる。
人は様々な関わりの中で互いに影響を与え合っている訳ですが、具体的に何かしてあげたりしてもらったりということでその影響し合っているのではなく、その命が存在していること自体が大きな力を持つから他の命に影響を与えているのではないか。一つ一つの命が他に代えることのできない尊い存在だから、互いに与え合うのではないか。
そう思い至り、全ての命に対する畏敬の念と、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
今年は近場の蓮を見に行きました。早朝だったため、これから開こうとする状態。生命力を感じました。
私は今生において孫という立場で祖母に出会いました。一緒にいる時間だけではなくて、離れている時間も、祖母が生きていて存在してくれていることがいつも力を与えてくれていました。
その魂が肉体を離れることで、その力はなくなってしまうのか?
答えは否です。
私たちの本質は純粋で尊く、肉体が死を迎えても決して死ぬことがない。それが変わることのない真実だから。今回祖母との別れの辛さに心が支配されそうになっていた時、祖母の笑顔によってその勢いが止まったことも、祖母が私に与えてくれていた力の影響なのではないかと思います。
そんなことを思っていた時、Web版パラマハンサ7月配信の知らせが届きました。
「プラナヴァ・サーラ 本当の生きる意味」で、数年前のサット・サンガでの師のお言葉が、このタイミングで読んだことで、胸に染み入りました。
質問者:『プラナヴァ・サーラ』(書籍)の死に様に関しての内容で、強い信仰を持つということと、神の中で死になさいということがすごく印象的でした。信仰を持つということと神と一緒になるということで死を超えられるという、そこにはそういう意味がありますか。
あります。それからもっと実質的なところにおいては、臨終の間際の思いというものは非常に強いとされているのです。だから通常だとカルマの連続で、ある一定量のカルマによってまた来世という流れになるのですけれども、その臨終の一念発起というかその思いの強さによって、それらのカルマを飛躍的に良くするという、そういう力が生まれるというふうにもいわれています。
祖母が亡くなる前日に親族数人が面会を許可され、声をかけた時、ニコッと笑ったと聞きました。誰の声かは分からなかったかもしれないけれど、最後に祖母の耳を通して何かが伝わり笑ってくれたということは、肉体を去る前に安心して穏やかな気持ちで旅立てたのかもしれない。それが来世に良い形で繋がっていくのかもしれない。そんな風に思えました。
この日のサット・サンガの中で、師はこうも仰っています。
本当は誰もの本性という本体は神聖なもので、エゴとかそんなものは初めから本当はない。無知なんていうのも本当はない。…自分もそうだし、他人も他者も全てのものが同じ本質を持っている。二つとない同じものだから、愛おしい、尊い。そういうふうに他者に対しても優しく尊敬を持つこともできるし、全てのものを愛おしくいたわることもできます。これが生まれてきて、生きる本当の意味になると思います。
「生きる意味」を知ったからには、今生でそれだけを見て生き切ることができるはず。
誰もが真実を実現することができると、それが既に私たちの中にあるということを、師は常々おっしゃってくださっています。それを体現し、ありありと見せてくださっています。
その言葉を信じ、その姿に倣い、最期の瞬間まで諦めることなく生きていきたい!今、私史上最高に強い決意を感じています。
何度挫けそうになっても何度でも立ち上がって、私が与えられた役割を全うしていきたいです。
ハルシャニー