皆さま、こんにちは。
約1年半ぶりのブラゴパーラです。
今回は京都東山の「六波羅蜜寺(西光寺)」を訪れました〜
この六波羅蜜寺は951年、踊り念仏の開祖である空也上人により開創されたお寺です。
この像、歴史の教科書で見たことある人、多いのでは?
口から仏が出てるって、インパクトありますよね。。(笑)
一体、どういう人物だったのでしょうか?
空也上人は、伝説では醍醐天皇の皇子といわれ、若くして五畿七道を巡り苦修練行、尾張国分寺で出家し、空也と称すようになります。
出家後は名山を訪ね、練行を重ねると共に一切教を紐解き、948年に比叡山座主の延昌より大乗戒を授かり、光勝の法号を受けます。
しかし空也上人は山や寺に籠ることなく、当時疫病が流行っていた京都の町の中に入り、小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、南無阿弥陀仏の念仏を称え歓喜踊躍し、病魔を鎮めたといわれています。
うーん、天皇家の皇子で出家し、日本各地で修行、そして疫病で苦しむ衆生のために市井の中に入っていったということで、この経歴から見ても空也上人はものすごい行動的で、仏教の教えを探求して実践し続けていた人物だったということが分かります。
少し話は変わりますが、私は小学生の時に『平家物語』がなぜか好きでその本や人形劇に触れていて、平家一門が六波羅蜜寺の境域に住んでいたということで、その寺名は知っていました。
この六波羅蜜寺には、空也上人像の隣に平家棟梁の平清盛像も安置されていました。
『平家物語』では平清盛は傲慢な人物として描かれていますが、経典を手にしているこの像からも分かるように、剃髪をして厳島神社にお経を奉納するなど、仏者としての一面も垣間見れます。
しかし、この平清盛と空也上人をくらべてみると、空也上人の手には経典がありません。
左手に鹿の角の杖、右手に撞木、胸に金鼓を持っていますが、でもこの空也上人の像を見ていると単純ですが、「何も持っていない『空っぽ』なお方だなぁ〜!」ということを感じました。
仏教では悟りの智慧の境地を「空」と表現しています。
贅沢や肩書き、そして経典の知識を手放し、金鼓を鳴らし歩くその身体から出てくるのは南無阿弥陀仏の御名だけーー
仏教の教えを行動をもって探求し続け、そして阿弥陀仏に帰依し、苦しむ衆生を阿弥陀仏の住む極楽浄土へと誘い、歓喜踊躍した空也上人の仏者としての生き様が感じられた今回のブラゴパーラでした😎
今回で6回目のブラゴパーラですが、実はこの6回、密かに「六波羅蜜」をテーマに進めてきました。
六波羅蜜とは「布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧」という仏教で説かれる悟りに至るための6つの修行です。
気付いた方、おられましたか(笑)?
よかったら読み返してみてください〜!
布施…「御金神社編」
持戒…「千本ゑんま堂 引接寺編」
忍辱…「釘抜地蔵 石像寺編」
精進…「千本釈迦堂 大報恩寺編」
禅定…「高山寺 明恵上人編」
智慧…「六波羅蜜寺 空也上人編」
ゴーパーラ