『マハーヨーギーの真理のことば』お知らせ第三弾

11月になりましたね。
今月23日(祝・水)には、師シュリー・マハーヨーギーのご聖誕日を迎えます!!!
今年のご聖誕祭では、『マハーヨーギーの真理のことば』、そしてついに台湾でも出版されることとなった『ヨーガの福音』、この2冊の新刊がお披露目となる予定です!!!
師の存在と導きに心から感謝を捧げる大切な日と、師の教えが形となって多くの方に届けることができるという、とっても喜ばしい嬉しい出来事が重なります!

出版のほうは本当に、いよいよ!という段階に入ってきました。
無事に印刷会社への入稿が終わり、色校正が上がってきて、最終確認&修正・調整をしている最中です。
とってもいい本に仕上がりそうで、ワクワクしています〜。
本の中身はもちろんですが、師が手がけてくださった装丁デザインも、どうぞ楽しみにしていてくださいね。

さて、前回のお知らせでは全16章の章と節立てを紹介させていただきました
こんなに凄いボリュームなの?!と驚かれた方も多いと思います。

今回は・・・・・

ジャジャーン!!! 
各章のすべての見出しを公開しました!

その数なんと500以上になります!

«こちらのページをご覧ください。

あまりに膨大で、ブログでは全部を掲載するのは難しいので、ここでは第一章「生きる秘訣」の見出しのみをご紹介しますね。
生きる上で何を軸としていったらいいのか、仕事や家族に対する捉え方、さまざまな人間関係の問題を解決して他者に優しく誠実に接する秘訣、執らわれのない、ぶれない強い心になることなど……特にこの章は、誰もが日常で感じる苦悩や疑問に対する普遍的な真理が説かれています。
質問者に寄り添い、シンプルに、明快に語られる師の言葉は心に響きます。
ヨーガのことを全く知らない方でも、きっと多くの気付きを得られるのではないでしょうか。

第一章 生きる秘訣

第一節 何のために生きるのか
運命を切り開く
自由と幸福
永遠の幸せ
心のフィルターを透明にする
幸福と不幸は表裏一体
安心できる礎を求める
人生の二つの目的
人生について考える—存在の自覚
何のために生きるのか
自らの生き方に責任を持つ

第二節 仕事の秘訣
仕事の選び方
人は仕事のためにあるのではない
仕事とリアリティ
職場ではなく自分を変える
本質を見つめる
今、目の前のことをより良く
淡々と仕事をする

第三節 人間関係の秘訣
自分の荷物をまず片付ける
人との衝突回避のヒント
他者を傷つけた時
本体だけを見る
カルマに取り合わない
差別なく接する
鉱物に差別感を持たない
他人の評価に執着しない
自分の基準で量らない
善悪の基準
慈悲喜捨の教え
解決法は自分の中にある
子供を持つこと
人として芯となるもの
親と子のあり方
最高の親孝行

第四節 愛のかたち
無償の愛を学ぶ
愛を思わないのが本当の愛
愛を行為する
愛と尊敬
身近な人への奉仕
可愛い子には旅をさせる
愛の本質
愛の真理

第五節 真の自由と強さ
執着を手放す
空っぽになれば楽しめる!
楽しみの秘訣
子供の遊び—自由
卑屈と謙虚
自分を決めつけない
愚痴は心を汚す
病は気から
過去から自由になる
今を大事に生きる
除去すべきは未来の苦
逃げずに立ち向かう
恐怖心の克服
孤独を識別する
孤独感の原因
心を強くする
嘘も方便
素直・勇気・実行
自分を大切に
将来の不安を取り除く
幽霊は心が創り出す
聖人は街に住み、俗人は山に隠れる
天国と地獄

*予約については追ってご案内させていただきます。


11月23日発刊予定!!
マハーヨーギーの真理のことば

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ著
A5版 536ページ
8,800円(税込)

マハーヨーギー・ミッション 


甘い物をやめた変化

こんにちは、ゴーパーラです。
秋の空はいろんな表情を見せてくれますが、先日は綿あめのような雲が空一面に広がっていて、とても美しかったです⛅️

さて、今回のブログは甘い物の制御についてです。
私は小さい頃からお菓子が大好きで、甘い物に依存した生活を送っていたのですが、ヨーガを始めてから甘い物を断つ決意をしました。それは師の前で「一生やめます」と誓いました。
それから12年経ったのですが、甘い物をやめてどんな変化や影響があったのか、最近そのことを振り返る機会があったので、ちょっとブログの方でもご紹介させていただきます。

①味覚の変化
まず、甘い物をやめてしばらく経った時、味覚の変化がありました。それはチーズやバター、牛乳などの乳製品がとっても甘く美味しく感じられ、それまではそんなこと感じたこともなかったのですが、「乳製品って嗜好品だな〜」と思ったのです。自分は根っからの甘いもの好きで味覚は変わらないものだと勝手に思い込んでいたのですが、いや、味覚って変わるんやなと。これが好きあれが嫌いなどの好き嫌いというのは習慣性のもので、習慣が変われば好みも変わるということに甘い物をやめていく中で気付かされました。

②心の変化
また甘い物をやめて心がどう変わったのかを振り返ってみると、いちばんは自信がついたということが感じられました。それは「俺、甘いものやめれたで〜」というエゴ的な自信ではなく、ヨーガへの信頼・確信が持てたということです。自分の信じる師の前で甘い物をやめると誓ったので、それは必ず守っていきたいと思い、これが自然とサティヤー(嘘をつかない、正直さ、誠実さ)の教えの実践になり、このことを続けることで実際に甘い物をやめることができ、ヨーガを続けていけば依存や執着って本当になくなるんだと思ったのです。そういうヨーガへの信頼、自信になったということです。

③アーサナへの影響
それともう一つ、甘いものをやめたことはアーサナにも影響をしていました。アーサナは12年間毎日しなければいけないということが教えられていますが、ヨーガを始めて1年くらいはやらない日もあったりしました。でも何か心にモヤモヤがあり、またヨーガに不誠実だなと感じ、アーサナも毎日しようと決意しました。その日からは今でも毎日アーサナを実践していますが、これができているのも、振り返ってみると甘い物をやめるという誓い、サティヤーの実践が派生していたのではないかと感じています。

④心の制御
一つのことを心に決めて実行することは依存や弱さを克服し、心の忍耐・制御の力が養われると感じています。ヨーガに出会っていなければ、そして師に出会っていなければ、今頃どんなふうになっていたのか……虫歯どころでは済まなかったとゾッとします😨おかげさまで虫歯はゼロですので、心もエゴで蝕ばまれぬように、心の制御の実践を弛まず続けていきたいと思っています。

仁和寺門前の吽形像。エゴや煩悩は立ち入り禁止🚫

※補足:決してヨーガを行なう人が甘い物をやめないといけないということではありません。私の場合は特に依存度が高かったので、そのようになりました。

ゴーパーラ


平等であるために

平等。
私はこの言葉が大好きです。文字を見るだけで安心することもありました。世の中は不公平だと感じることが多かったからか、この言葉そのものに憧れていたのかもしれません。

実際この世界では不平等としか思えないような出来事が起きています。
では、平等とは何なのか? 本当に存在するのか?
不平等だと感じる度に疑問が湧き起こりました。

その後ヨーガに出会い、誰もの中に等しく真実が存在していると知った時に、これこそ私が求めていた平等だと思いました。

心の目で見れば不平等な世の中も、真実の目から見れば、姿形や性質は様々でも、その中には一なる真実がある。それは一つのものである。それを体感するには、悟りの境地に至る必要があるのかもしれません。
しかし、道半ばであっても、平等であれるように努めることができます。

今、私は平等であるために、真実の側から見るように努められているだろうか。
振り返ると、心の側から見ていることの多さに気付きました。平等でありたいと願いながらも自ら違いを見てしまっているのです。また、特に苦手と感じる人がいると、その人の中にも真実があると意識しようと力み、何とかしようと焦って失敗したりしています。
心ではなく、真実の存在をより深く信じ、そこに全てを委ねていくようにすることが必要なのではないかと思いました。

まだひと月ほどの期間ではありますが、実践するにつれて身体の力が抜けて、平安な気持ちで過ごす時間が長くなりました。
不思議なほど次々と問題が発生する日々だったのですが、一つ一つ落ち着いて丁寧に対応することができたように思います。
苦手な人に対面しても余計なことを考えず、少しでも何らかの思いが生じたらすぐさま一なる真実に委ねるようにすることで、今行為するべきことを自動的に行なえるような感覚になることが増えてきました。
また、目の前にいる人の中に真実が存在していることに愛しさを感じて胸がいっぱいになる瞬間が何度もあったことは、これまでにない経験でした。

私の今年の抱負は、「(神に自分を明け渡して委ねるという信念をもとに)一つの物事に対して粘り強く取り組むこと」でした。
取り組む中で、熟考して行動する習慣が身に付いてきたように感じます。
今回体験したことがまた新たな積み重ねになるよう、より確実に実践をしていきたいと思います。

玉川上水沿いの遊歩道。美しい緑がまだ楽しめますが、足元にはどんぐりが落ちていて、秋を感じます。


 

ハルシャニー


『マハーヨーギーの真理のことば』 お知らせ第二弾

先日の『マハーヨーギーの真理のことば』出版予定の発表後、多くの方から喜びと期待の声が寄せられています〜!
今日は、気になる本の中身について、もう少しお伝えしたいと思います。

全16章で構成されている、すべての章と節立てを一挙に掲載させていただきます!!!
これだけでも、もの凄いボリュームと濃密な内容であることを感じていただけるかと思いますが、実はそれぞれの節に数多くの項目(見出し)があり、目次だけでも10ページもあるんです!

序章
第一節 シュリー・マハーヨーギー
第二節 サットサンガ
第三節 本書の構成と学び方

第一章 生きる秘訣
第一節 何のために生きるのか
第二節 仕事の秘訣
第三節 人間関係の秘訣
第四節 愛のかたち
第五節 真の自由と強さ

第二章 真理・真実在
第一節 生と死の理(ことわり)
第二節 ブッダの教え
第三節 アートマンの真理
第四節 悟り

第三章 心と世界の理
第一節 カルマと輪廻転生
第二節 カルマと苦の原因
第三節 心の性質と働き

第四章 ヨーガの道
第一節 ヨーガの道
第二節 発心と入門
第三節 成就への歩み

第五章 身口意を調えるヤマ・ニヤマの教え 
第一節 ヤマ・ニヤマとは
第二節 ヤマの教え
第三節 ニヤマの教え

第六章 アーサナの実践
第一節 プラーナを制御する
第二節 アーサナの目的
第三節 実践の心得
第四節 アーサナの醍醐味

第七章 食の大切さ
第一節 ヨーギーの食事
第二節 食事と心の関係
第三節 食の心構え

第八章 実践の秘訣
第一節 自然の理を学ぶ
第二節 日常の実践
第三節 無執着と放棄の実践
第四節 忍耐と精進
第五節 理想への情熱

第九章 大宇宙と小宇宙の神秘
第一節 プラーナの制御とクンダリニー
第二節 タントラとシャクティ
第三節 神秘の宇宙

第十章 奉仕と献身の道
第一節 利他的行為の実践
第二節 自己犠牲と慈悲の行為
第三節 ヨーギーの行為

第十一章 真の愛
第一節 バクティ
第二節 神に近づく
第三節 甘美な愛
第四節 愛の極致
第五節 信仰と芸術

第十二章 信仰
第一節 純粋な信仰
第二節 信仰を育む
第三節 神への開け放し

第十三章 瞑想――基本編
第一節 瞑想の基礎
第二節 瞑想の実践
第三節 識別の方法

第十四章 瞑想――実践編
第一節 識別瞑想の実践
第二節 死の瞑想
第三節 真我への瞑想
第四節 聖者・神への瞑想

第十五章 宗教と社会
第一節 ヨーガと宗教
第二節 ヨーガと社会

第十六章 聖なる存在
第一節 ヨーギーとしての在り方
第二節 覚者
第三節 グル

前半は、誰もが生きていく上で直面するだろう、様々な問題に対する秘訣や指針となる教えが編集されています。そして、その上でヨーガの目指すもの、またそれを実現するために学ぶべき世界と心の仕組み、ヨーガの道についての教え、具体的な日常の実践が纏められています。
後半は、ヨーガを一層深めていくために、クンダリニー・ヨーガ(神的エネルギー、女神とシヴァ神の合一)、カルマ・ヨーガ(無私の行為)、バクティ・ヨーガ(神への信愛)、そして瞑想、識別、更にはヨーガの成就者とグル(師)について学べるように構成されています。

まずは前半でしっかりと基礎を学び、後半に進んでいただけたらと思いますが、それぞれの人の答えを求める項目から、また関心があるところから、読み進められるようにもなっています。
皆さま、どうぞお楽しみに〜!!!

師が長年にわたり、世界各地で真理を解き明かしてこられた全ての記録から厳選された教えが、ここに著されています!
この書は、これからヨーガを学ぶ人、そしてすでに熱心に実践している人、また未来に縁をもって道を歩む人にとって、かけがえのない導きと祝福となることでしょう!

マハーヨーギーの真理のことば

初期の頃の校正紙 師にも何度も目を通して頂きました。

11月発売予定!!
マハーヨーギーの真理のことば

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ著
A5版 536ページ
8,800円(税込)

マハーヨーギー・ミッション 


カーリーをもっと近くに!

初めてカーリー・マーのお姿を目にしたとき、「これが神様なの?しかも母なの?」と心の隅で思ったように記憶しています。それほど強烈なヴィジュアルの持ち主ですが、彼女を慕うようになって数年経った今感じているのは、私にとって彼女は、大きくて穏やかで、慈しみと愛情に満ちた、まさに母そのものだということです。

『あるヨギの自叙伝』の中に、パラマハンサ・ヨーガーナンダとマスター・マハサヤとのエピソードが出てきます。その章ではマスター・マハサヤが聖母様と絶えず交流されている様子が描かれています。聖母様がカーリーであるとは書かれていないのですが、そこに記された宇宙の母についての一節がとても好きで、その描写を読むと私は、カーリーのことを思い浮かべずにはいられなくなります。そして彼女の底知れぬ愛を感じて、何とも言えない安心感とあたたかい気持ちに包まれます。

「天の母に子供のような心で近づいて行った歴代の信仰者たちは、彼女が常に自分と遊んでくれていることを証言している。マスター・マハサヤの生涯においても、聖母様が、事の大小に関係なく彼と戯れておられる情景がしばしば見られた。神の目には、大事も小事もないのである。もし神が、原子をあのように精巧に造られなかったならば、大空もあの壮大な天体の構成を誇ることはできなかったであろう。神は、この宇宙が一本のねじくぎの緩みのためにくずれ去るようなことのないように、どんなささいな事にも等しく心を注いでおられるのである。」

『あるヨギの自叙伝』P84より引用

私がどんな存在であるかは全く関係なく、彼女に無条件に愛されてここに存在しているということを知りました。カーリーが常にすべての存在に対して愛情を注いでおられるから、今のこの瞬間も宇宙が保たれています。どんな存在も、等しく彼女が世話をしている子供です。母親に見守られて無邪気に遊ぶ子供のように、カーリーが展開し、維持しているこの世界で私も、生まれてきた歓び・生きる歓びを存分に味わいたいと思っています。

そして、かつての聖者たちが彼女と交流してきたように、私も彼女と本当に話してみたいと思っています。それが叶った時には、何を話そう、どんなことを聞いてみよう、どんなお声で答えてくださるのかな?なんてことを想像してはワクワクしています。最も近しい母なのだから、実現できないはずがない!と思っています。

もっともっと彼女に親しんで近づきたいと思い、あるものを作りました。それは粘土で作ったマスコットです。かなりデフォルメしているし、お見せできるほどの出来栄えでもないのですが(と言いつつ堂々と写真を載せています…!)、私にとってはかわいいカーリーです。

デリケートな素材だったため、ニスを塗って持ち歩けるようにしました。

なぜマスコットなのかというと、幼いころの自分を思い出したからです。よく、お気に入りのキーホルダーや小さな人形を肌身離さず持ち歩き、それが本当に命のある友達のように思って、心の中で話しかけたり一緒に遊んだり、いろんな経験を共有したりしていました。その時と同じように、神様とも親しみを込めてふれあい、常に一緒にいることを忘れずにいたいなぁと思い、自作してみました。

これから、この小さなカーリーがいつもそばにいてくれると思うだけで、私の心は喜びでいっぱいになります。彼女とどんな時間を過ごせるのか、とても楽しみです!

大森みさと


アベダーナンダからのメッセージ

主に対して確固たる、ゆるぎない信仰と強い信仰心を持つことを望むのであれば、あなたはタパッスヤーつまり厳しい苦行も習慣にすべきだ。タパッスヤーとは、当てもなくあちこちをさまよい歩くことではない。その言葉が実際に意味しているのは、規則正しく変わることなくジャパや瞑想を実践し、自制心を養うことである

10月2日は、シュリー・ラーマクリシュナの直弟子スワーミー・アベダーナンダの御聖誕された日です。私はアベダーナンダのことをほぼ何も知らない時に彼の単刀直入なその言葉に出会い衝撃を受けました。彼の口を通して届けられたその真理のメッセージに耳を澄ませました・・・

Abhedananda

彼の出家前の名前はカーリープラサード。知性に恵まれ宗教的で哲学的思索に優れていた彼は、真理を求める中で「哲学者になりたい」と思っていました。ギーターを熟読し、霊的な叡智を渇望し、ヨーガを実践したいと切望しますが、友人から適切な指導者なしにヨーガ・スートラを実践してはならないと言われ、真に悟りへ導いてくれる師を求めます。その時ラーマクリシュナとの出会いがありました。
師の没後は僧院の一部屋が「カーリー・タパスウィの部屋」と呼ばれたほど一日中その部屋で厳格な霊性修行とヴェーダーンタ(究極的真理)の研究に没頭し、後には遍歴の旅に出て厳しい修行生活を約10年間送ります・・・しかし転機が訪れます。

リーダーであるヴィヴェーカーナンダは、自分たちは個人の解脱を望むのではなく、他者に奉仕し、師の教え、永遠の真理を世界に広めるために喜んで一生を捧げることが使命だと考え、兄弟弟子たちへ痛切にそれを感じさせました。ヴィヴェーカーナンダがアメリカそしてロンドンへ渡った頃、彼はアベダーナンダに共に加わって師の思想を一緒に広めるようにと頼みます。ヴィヴェーカーナンダの言葉は師の言葉だと確信していたアベダーナンダはロンドンへ行きます。ヴィヴェーカーナンダは事前にロンドン市民へ「インドから到着したばかりの学識ある兄弟僧が、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)に関する講演を行なう」と先に発表し、それは新聞でも速報されました。演説など全くしたことがなかったアベダーナンダは、それを知ってひどく困惑してヴィヴェーカーナンダの無分別なやり方に強く抗議します。しかし、ヴィヴェーカーナンダは言いました「私の人生のあらゆる苦難の時に、いつも強さと勇気をお与えくださった、あの御方にお任せしたまえ」。
・・・アベダーナンダは師の限りない恩寵に頼り、当日、姿を現します。ホールは超満員、彼の講演は素晴らしい成功をおさめました。ヴィヴェーカーナンダのイギリス人の弟子によると「ヴィヴェーカーナンダは『仮に私がこの次元で死んだとしても、私のメッセージはこの愛すべき者たちの口を通して伝えられ、そして世界はそれに耳を傾けるだろう』と考えておられたようだった」。
ヴィヴェーカーナンダは、アベダーナンダに仕事を引き継ぎインドへ戻ります。ロンドン、ニューヨークと、アベダーナンダは、さらに師の教えを伝えるため多種多様な活動を続けました。その間には数々の困難や、彼の成功を嫉妬したある宗教者たちからの陰口を受けることもありましたが、アベダーナンダはいつもの活力と落ち着きを決して失わず仕事を続け、多くの人々が彼のメッセージに耳を傾けました。異なる文化の重要な国々に、彼は師の教えを広め続けました。25年間も。

彼がほとんどの講演で話されたことは、思いの清らかさと、身分や宗教や国籍に関係なくすべての人を愛する精神を養う、ということ。
神を信じるか信じないかに関係なく、自制心、集中力、正直さ、すべての人に対する無私の愛があれば、我々は霊的完成への途上にあるのです」。その四つが欠けているなら、その人の信仰は言葉だけのものだということ。彼自身はそのすべてを体現されていたからこそ、様々な困難があっても25年間もの間、異国の地に留まって人々のために師の教えを伝え届けるという真の宗教者の仕事に喜んで一生を捧げ、その使命を果たされたのだと思います。

Vivekananda Avhedarnanda

ヴィヴェーカーナンダと、二度目のヴィヴェーカーナンダの渡米に同行したトゥリヤーナンダと、ニューヨークのヴェーダーンタ協会を任されていたアベダ―ナンダ。彼らは共に師の教えを人々に伝えた。
ニューヨークにて、左からヴィヴェーカーナンダ、トゥリヤーナンダ、アベダ―ナンダ。

また、博識多才だった彼は多作な書き手でもあり、著作は非常に分かりやすい文体で豊かな情報と深い哲学を含んでいたことから、彼の語った言葉を直接聞けなくとも様々な国のもっと広い範囲の人々へ、その活字となった思想が影響を与えました。57歳の頃にインドへ戻った彼は、人々に霊的恩恵をもたらすため休むことなくエネルギーの最後の一滴まで使いました。

私はアベダーナンダの言葉から、困難な状況があっても状況のせいにしたり、また状況そのものを変えようとする必要はないことを学びました。神から与えられたその状況に留まって、そこで自分の内面を変えることによって、好ましくない状況を自分にとっての好ましい状況として受け入れることができると。それは毎日の規則正しいヨーガの実践によって。
良くするも悪くするも、何事も自分次第!」と師であるヨギさんから教わったことと一致します。アベダーナンダからのメッセージに耳を傾けると、自分にとってはマイナスだと感じている状況さえもがヨーガを生きるための不可欠な材料である!と私たちを鼓舞してくださっているように感じます。
聖者からの言葉は特別であり、それが活字であっても翻訳された言語であっても、時空を超えて直接届くのだと思います。その聖なる振動は消えません・・・

「内面の安らぎと充足感がなければ、人はどこへ行っても落ち着きのなさと苦痛を感じるだろう。あなたの識別能力を使って自分の心の周りに壁を張り巡らすことだ。外部の事情という邪魔ものがあなたの心に入り込むのを許さないように。これがサーダナ―(霊的修行)であることを知ることだ。あなたは俗世に心にかなう場所を見つけられない。好ましくない状況を好ましい状況に変えることを学ぶように。自分の心を耳から引き離すと、馬車のゴロゴロという音が聞こえなくなる。自分の持ち場を守り、主に祈るように。神は我々の助け手、そして大黒柱であられる

当面のあなたの務めは、神の御心に完全に服従することである。あなたの取るに足らない願望は実現されない以上、それはきっぱり諦め、完全に神の御意志にお任せして漂うが良い

世間の束縛を感じていて、平安を見い出していないという状況自体、精神世界においては向上の手段である。
あなたが着手した仕事は礼拝することであると自覚しつつ、あなたは神に仕えているという考えを肝に銘じて、労働の成果を神に捧げよ

アベダーナンダ!この世に生まれてきてくださって、師の教えを多くの人々に届けてくださって、本当にありがとうございます!!!今もこうして私たちに伝わっています!!!

*参考・引用・抜粋『真実の愛と勇気 ラーマクリシュナの弟子たちの足跡

野口美香 


ヨーガ・アーサナの力 その4〜自分の枠を超える

アーサナの実践を続けていくと、呼吸の変化内的なプラーナ(気)の充実とともに、少しずつ自分の限界というものが広がっていくのが感じられます。
始めの頃は身体がきつくてしんどいなと思っていても、いつの間にかその辛さはなくなり、心地よい集中感に変わっていきます。このポーズは苦手だなあと思うものがあっても、逃げずにやり続けていけば、苦手な気持ちはなくなり、不思議と得意なものとの差異がなくなっていったりもします。

アーサナの実践に慣れてきたならば、ポーズを保持して戻す前のもうあと一呼吸か二呼吸、自分の限界を超えていくように行なうことで、さらに深めていくことができるといわれます。
仕事も何事も、自分のできる範囲だけでやっていると、それ以上の進展はありませんが、ここまでしかできない、という限界を少しずつでも超えようとチャレンジすることで、キャパシティが広がっていくのだと思います(注:ただし決して無茶はしないでくださいね。力まずに呼吸を大切にしながら深めるのがポイントです)。

ある時、サマコーナ・アーサナ(開脚の形)を完成に近づけていくコツがあるかという質問に対して、師が「コツは毎日することしかないなぁ」と仰ったことがありました。あまりにシンプルなお答えに、妙に納得した記憶があります。
開脚は、私にとってとても苦手なアーサナでした。かなり内股気味だったこともあり、最初は痛すぎて、立って脚を開こうとしても思うように開かず、バランスを崩しておしりから転倒してしまうほどでした(苦笑)。また力を無理に掛けすぎて怪我をしてしまい、なかなか治らなかったこともありました。もう無理だと避けていましたが、師の言葉を聞いて、少しずつでもまた地道にやっていこうと思えました。
だんだんと刺激はある中でも呼吸が深くなり、背骨へのプラーナの集中を感じるようになっていきました。時間はかかりましたが、10年越しくらいで身体も変わってきたように思います。いつの間にか以前の恐怖心や苦手意識は消えていて、瞑想の坐法に直接繋がるようなアーサナだと感じられるようになりました。

サマーコーナ・アーサナ

神足ふれあい町家にて(長岡京)サマコーナ・アーサナを実践中

普通は、自分にとって嫌なことは避けたくなるし、好ましいものはもっと欲しいと思うものです。自分の中に「好き」「嫌い」といった心の枠があり、それに当てはまる出来事を前に、大きく心は反応し、揺れ動いてしまいます。嫌なことを避けてばかりいると、その時は逃れられたと思っても、また別のかたちで同じようなシチュエーションがやってきて、いつまでも克服できていないことに気付かされたりもします。そして、好ましいものを求めることで欲望は膨らみ、それが思い通り手に入らないと、結果的には苦悩を味わいます。

アーサナの目的は聖典にもあるように、明確です。それは二元性を超えるということです。二元性――つまり肉体が感じる暑い・寒い、空腹・満腹、あるいは様々な感覚器官の動揺、さらには心理的な好き・嫌いであるとか、好・悪も、善・悪も含めた一切合財の二元性を超えること。
(シュリー・マハーヨーギー)

体と心は常にいろいろなことを訴えてきます。しかし、心身の状態がどうであれ、ちくいち感想をはさまずに、コツコツと淡々と続けていくことで、自分の作った囲いを取り払い、様々な状況に振り回されない精神力を養っていくことができるのだと思います。忍耐力もついていきます! 
また、その実践の積み重ねは、あらゆる二元的な状況を超えた、一なる真実に向かっていく大きな熱と力となっていくに違いありません。
そうして、『アーサナ(坐法)は堅固で快適でなければいけない』という言葉の意味が達成される時、見るもの、聞くもの、触れるもの、この世界を取り巻くすべての事柄の影響を受けずに、心を完全に制御下に置くことができるのでしょう。

ふれあい町家

さあ、暑さが過ぎ去って大気のプラーナが中庸といわれるこの時分は、私たちの心身を調えるにはとってもいい季節です! 素晴らしいヨーガの智慧と力をより多くの方に体験していただけることを願って、この「ヨーガ・アーサナの力」のシリーズを終えたいと思います。
そして、古から伝わるヨーガの秘儀を伝授してくださっている師に、心から感謝を捧げます。


マードゥリー 


ラーマクリシュナとの交換日記

鱗雲

辺り一面、青の世界・・・

夜になる直前の時間。海の底みたいなインディゴブルーの空に、宝石のような秋の鱗雲が広がっていました。

9月23日は秋分の日でしたね。この日を境に、日の出は遅く、日の入りは早くなっていくとか。そんな秋の夜長には、じっくりと読書もできそうな気がします。師の教えの新刊が待ち遠しいです。

昨年秋のバクティ瞑想専科のクラスをきっかけに『ラーマクリシュナの福音』を毎日読みだし、もうすぐ一年。私は文字を読むのが割と好きなため読む時は没頭して一気に読み終えることが多いですが、聖典、特に聖者の生涯になるとそうはいきません。なんというか・・・終わってほしくないのです。
だから『ラーマクリシュナの福音』も後半ぐらいから、できるだけ終わりに近づかないように、ゆっくりゆっくりとスピードを落として読みました。それでもやっぱり終わりはくるもので、遂に最後の行を読み終えてしまい、寂しい感情に襲われる前にすぐさま1ページ目に戻り、何事もなかったかのように最初から読み始めて事なきを得ました。今は、最初の段階からゆっくりと読むことを学習したので超スローペースで読んでいます(笑)

バクティ瞑想専科で「『ラーマクリシュナの福音』には当時の日付も記録されているから、例えばその日付ごとに気になるところをノートに書き留めたりするのもいいよ」と教えていただきました。受講していた時はそれを出来ていませんでしたが、クラス終了後にすぐきっかけがあり毎日ノートに書き留めるようになりました。 一カ月ほどたった頃、ふとノートを読み返しました。そこには自分にとっての特別な言葉だけが宝石のように散りばめられていました。どこを読んでもラーマクリシュナから直接いただいているかのような、とっておきのお言葉ばかり。その日記はだんだんとラーマクリシュナと私だけの特別な交換日記のようになっていきました。

毎日、本を読むことが、私の中ではラーマクリシュナとの約束ごとになっていたので、いつも待ってくださっているように感じていましたが、さらにお言葉を書き留めていくと、それはもっともっと特別な意味合いを持っていきました。 時にはその時間がなかなか取れずに日をまたいで0時を過ぎてしまって焦ることもありましたが、一日の終わりにようやく落ち着いて一対一で向き合えるひとときは貴重な瞬間でした。 
繰り返す中で感じたのは、私はこのことに間違いなく支えられているということ。よりそれを感じたのは、仕事や用事などで目まぐるしい日がしばらく続いた時。アーサナや瞑想、聖典を読む時間をどこで取るかに苦労し、でもどんなに時間がなくても自分にとっては大切なことだから忙しいからといってその時間を雑な感じにしたくないなと思っていました。そしてそういう忙しい時こそ、それが拠り所にもなっていました。深夜、静かになった部屋でラーマクリシュナのお言葉と向き合う、その時間だけは日常から切り離されてぽっかり浮かんでいるような断絶感があり、ある一定の変わらない何かがありました。修行とか実践とかそういう類いでもなくて、ただただ神のお言葉を聞く、それだけ、それだけがある、という感じでした。

そんな日々が淡々と過ぎていった時、ああ、私には師の恩寵によってこの時間が与えられ、だから毎日こうして元気に生かしてもらってるんだなと思えました。日記に書き留めたお言葉は、読み返してみると無意識に何度も同じような意味合いのお言葉を選んでいることに気付きます。ラーマクリシュナが、それだけ何度も何度も愛をもって同じ一つのことを繰り返し伝えてくださっているからだと思いました。私たちの師ヨギさんのように。 

一つの理想を忠実に守りなさい。それで初めて神を悟ることができるのだ」 

お前たちは一つの理想を固く守らなければいけない。深く潜りなさい。そうしなければ大海の底にある宝石を手に入れることはできない。表面に浮かんでいるだけでは、宝石を拾い上げることはできないよ

 「深く潜れ、おお、心よ、神の美の大海に。もしお前が底の底までおりるなら、そこに愛の宝石を見いだすだろう……」 

*参考・引用 『ラーマクリシュナの福音』

野口美香 


待望の新刊 11月発売予定!!

今日は、とっても!とっても!嬉しいお知らせがあります!
師が説かれた真理の教えをまとめた新しい本が、まもなく出来上がります〜!
師にも編集、装丁デザインなどご尽力いただき、長年かけて取り組んできたのですが、この度、ようやく出版の目処が立ちました。
タイトルはーー『マハーヨーギーの真理のことば』です!!!

師はこれまで45年以上に渡って、世界各地で多くの道を求める人々、人生のさまざまな問題に苦悩する人々を永遠・普遍の真理へと導いてこられました。今回発刊する本は、その間残された1997年〜2019年の貴重な記録の中から厳選・抜粋されたものになります。

ヨーガを学んでいる方はもちろん、まだ知らないという方でも、基本から理解と実践を深め、読み進めていくことができます。
全536ページと、あのヨーガのロングセラーといわれる(ご存知の方も多いと思いますが)『あるヨギの自叙伝』(パラマハンサ・ヨガナンダ著)と同じくらいのサイズ感になる予定で、ヨーガの教えがくまなく網羅された、とっても濃密な、ボリューム豊かな内容になっています。探し求めている答えがすべてここにある!と思える本だと思います。

内容については今後、追ってご案内させていただきます。
どうぞ楽しみにしていてください!

 


マハーヨーギーの真理のことば

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ著
A5版 536ページ
8,800円(税込)

師シュリー・マハーヨーギーが語られた全記録から編纂されたヨーガの集大成、全16章。
インスパイアーに満ちた師の真実の言葉は、人として生きる真の意味を喚起させ、霊性の道を歩むかけがえのない祝福と導きとなるだろう。


マハーヨーギー・ミッション 


仲間と共に 久しぶりの瞑想会で感じたこと

東京ではコロナ禍になってからオンラインで瞑想会を定期開催しています。
2年以上経ち、いつかまた実際に集まって瞑想会ができるといいなぁと思いながら過ごしていました。

そんな折、東京のグルバイ数人でオンラインで話していた中で、こんなやり取りがありました。
シャルミニーさん「コロナが終わったらみんなと合宿がしたい」
ターリカーさん「いきなり合宿ではなく瞑想会とかいいんじゃない?」
シャルミニーさん「しよう!しよう!瞑想しよう!!」

家ではなかなかまとまった時間をとって瞑想できないから、とにかく集中して実践する時間が欲しい!足が痛いから長く座れないと思っているけれど、座る形なんてどうでもいいから、まずは集中できる環境が欲しい、そしてグルバイと一緒なら最高!という思いがあったのだそうです。
画面越しではありますが、シャルミニーさんの溢れる熱い思いがひしひしと伝わってきました。

感染状況は相変わらず落ち着かないままですが、それなら感染対策に気を付けて、まずは月に1回でも集まって瞑想会をしてみよう!ということに。
それぞれ離れた場所で暮らしているため会場探しに苦戦することが多いのですが、今回はすぐにアクセスしやすい会場が見つかり、まず第1回目を開催する運びとなりました。

迎えた当日。
会場は広い和室で、部屋に入ると都心とは思えない静けさを感じました。

参加者は7名。久しぶりに集まれたこと、そして これまでクラスに参加しづらかったグルバイとも数年ぶりに再開できたことも、嬉しく、まずは輪になって近況報告などを交えてお話ししました。

その後、各自瞑想に座る準備としてアーサナや呼吸法をしてから、座りました。

同じ空間で皆で瞑想をするのは本当に久しぶり。目を閉じればもちろんみんなの姿は見えなくなるのですが、共に座っている気配を感じながら、自然と深く集中していけました。
瞑想の終わりの合図のオームが聴こえてきて目を開けると、みんなの姿が見えて、この上なく満たされた気持ちになりました。

瞑想を終えた後に話している中で、普段は腰の痛みを感じやすいのにあまり気にならなかった、実際に同じ空間で瞑想することでより集中が高まる感じがした、との感想を頂きました。

瞑想会を始めるきっかけとなったシャルミニーさんと同じく、家族がいる環境では瞑想もアーサナもままならないグルバイもいました。
一人でもできるサーダナですが、みんなで実践できる場を設けることで、普段できないことができる。より深く瞑想することができる。
サンガの大切さを改めて実感しました。

以前のように時間を気にせず話すことは難しくても、こうした機会を少しずつでも持ち続けることで互いに高めあっていけますように。

ハルシャニー