神のかくれんぼ

「もういいかい?」「まーだだよ」

私は小さい頃、ときどきですが、『かくれんぼ』をして遊んでいました。
鬼になった人が目をふさぎ、「もういいよ」の声で、隠れん坊を探し出す遊びです。
今の子供たちもしているのでしょうか👀?

今回のブログは、『神のかくれんぼ』についての物語をご紹介させていただきます。

あるとき、裕福な商人が商用で旅に出た。
実業家に変装した泥棒が彼の道連れになり、チャンスがあり次第、彼からお金を盗もうと狙っていた。
毎朝、彼らが泊まっていた行きずりの宿屋を出る前に、商人は決まって明けっ広げに彼のお金を数えてからポケットに入れた。
そして夜になると商人は、見たところ怪しむ様子もなく眠りについた。
商人が眠っている間に、泥棒はいつも必死に商人の持ち物すべてを調べるのだが、お金を見つけることはできなかった。
失望に終わる宝探しの夜を何度か味わった泥棒は、結局諦めて彼の本当の意図を商人に白状した。
そして、どうしてそんなに上手くお金を隠せたのかを教えてもらうように懇願した。
すると商人は、何気なく答えた。
「私は、最初からあなたの企みを知っていました。ですから毎晩、あなたの枕の下にお金を置いたのです。あなたが決して見ようとしない、唯一の場所がそこだと十分承知していたので、私は安心して眠れました」

泥棒(心)は外の世界に財宝があると思って探し求めます。
しかし、至高の財宝(神・真実)は泥棒が決して見ようとしない唯一の場所、心の内奥に神ご自身が隠されたという、何ともトリッキーな神のお遊びをこの物語は隠喩しています。

私はこの物語を読んだ時、「今、ここに、この瞬間に、神(真実)は在る!」そう思い、ハッとさせられ、心の内側に意識がグッと引き戻されたのでしたーー

「もういいかい?」「もういいよ」

私、大人になっても、かくれんぼやってるなと感じます。

心は目隠しされた鬼ーー
「もういいよ」の神の呼び声で心の目を開いて瞑想し、神を探求しているのだと思いました👹💨

そして、「みーつけた!」と言って笑いたいです、無邪気な子供のように😄

愛するクリシュナが突然お隠れになり、クリシュナを探し求めるゴーピーたち。 再び彼女たちの前に顕れたクリシュナは、次の弁明をします。 「手に入れた財が失われたとき、財をなくしたその人は、それのことばかり考えて、他のことは気にもとめないように、それと同じように、女たちよ、私のために世の常識も、ヴェーダの規定も、自分の身内も、放擲し去ったあなた方を、私に信順させるために、私は眼に見えぬ姿をとって、密かに隠れてしまったのだ」

ゴーパーラ


フォカッチャの会

先日、京都と松山の数名でオンラインでの勉強会をしました。私は松山に住んでいますが、京都へ通うことができていた時には、毎月先輩グルバイが住む庵に滞在させていただいていました。その時に過ごした時間のように、気軽にヨーガの疑問を聞いたり、皆で師に思いを寄せて語り合ったりできるような交流を、ということで、先輩方が実現してくださったのです。私たちはこの勉強会を「フォカッチャの会」と呼んでいます。なぜこのようなネーミングなのかは後ほど触れるとして、まずはその様子をご報告したいと思います!

日ごろ感じていた些細な疑問を先輩にたくさんお聞きしたのですが、中でも強く印象に残っているものがあります。質問したのは、<日常生活で何を大切にしているか>ということです。
私は食材などの買い物をする時に、同じものを買えるならできるだけ安く買いたいという思いを持っていました。少し遠いお店へ行けば安く買えるけれど、時間がなくて近いお店で高く買った場合、「時間がかかっても睡眠時間を減らせば遠くのお店へ行けたのに、ベストを尽くしていないのではないか」といったことを考えてしまっていました。
ベストを尽くすことは大切だけれど、この場合<安く買うこと>に執らわれているようにも感じていて、先輩たちは普段どのようなことを大切にして日常生活を送っているのかを尋ねました。

この質問に対して先輩は、八正道 の中の『正命』について話してくださいました。以前先輩は師に、「正命とは生活を整えることですか?」と質問されたそうです。師は力強い口調で、
「正命とは生活を整えるとか、そんなこと小さなことではない。どう生きるかということだ 」
と教えてくださったそうです。そのお話を聞いて私は、「ヨーガを中心に生きたい」と思いました。今の私にはアーサナ、瞑想、聖典の学習が必須です。その時間を確保し、かつ疲れて集中できないといった事態は避けたい。ではそのためにはどうすることがベストなのかと考えれば、答えは自然と出てきます。
(※ここで言う『どう生きるか』ということは理想と同義です。私は咄嗟に『ヨーガを中心に生きたい』と感じたためそのままお伝えしましたが、もっと考えれば、理想を掲げ、それを実現するためにはどう生活するのか、と落とし込んでいくことになると思います。)

加えて、思いを残さないということも教えてくださいました。こう、と決めて行動したなら、思いを残さない。例えば、日々の料理は大切だと教えられていますが、「今日は時間が限られているから、料理は簡単なもので済ませよう」という日があってもいい。もしそう決めたら、それ以上料理のことについては思わない。当たり前のようですが、ベストを尽くせているのか?と悶々と考えていた私にとってはとてもクリアな答えでした 。

実は、この勉強会は二日間にわたって行われました。このようなやり取りに加えて、一日目の夜にフォカッチャ(イタリア発祥の平たいパン)の生地を仕込み、二日目の朝には瞑想会をした後、仕込んでいた生地を焼いて朝食を共にするという何とも贅沢なプログラムだったのです!!ここでフォカッチャの登場です!最近、師が好んで召し上がられているフォカッチャのレシピを、一緒にお住まいのシャーンティマイーさんが先輩に伝授され、それをさらに私たちが教えていただいたのでした。このフォカッチャは簡単に作ることができるのに、とっても美味しいんです。何より、師を思いながら同じものをいただき、味わえる歓びを毎日感じることができます。


そのフォカッチャのレシピをブログにも掲載させていただけるということで、ご紹介いたします!

<材料>
(A)強力粉 200~240g
(A)ドライイースト 小さじ1
(A)砂糖 小さじ1
(A)塩 小さじ1/4
(A)ぬるま湯(40度くらい) 200ml
(A)オリーヴオイル 大さじ1
オリーヴの実・乾燥バジル 適量
岩塩 少々

1.(A)を大きめのタッパーに入れて混ぜ、ひとかたまりにして冷蔵庫で一晩寝かす
2.翌朝タッパーを冷蔵庫から出し、常温で30分~1時間ほど放置
3.バットのようなものにクッキングシートを敷き、生地を平らに広げる
4.種を除いてスライスしたオリーヴを表面に押し込み、乾燥バジルとオリーヴオイル(分量外)、岩塩を全体に馴染ませ、フォークで生地を何か所か刺す
5.オーブンまたは魚焼きグリルで加熱
 加熱の目安…オーブンなら220度で予熱後、15分程度焼く。魚焼きグリルなら始めはアルミホイルをかぶせるなどした後、焼き色がつくまで焼く。
※ご家庭の調理器具によって分量や加熱方法などは微調整していただければと思います。
6.食べる前に好みでオリーヴオイルをかける

二日間の交流を終えた後は、まるで京都から帰ってきた時のようなすがすがしい気持ちで一日を過ごすことができました。シッディ(ヨーガの修練の副産物として現れる超自然力)を使って同時に二か所に姿を現した聖者がいましたが、私たちはオンラインという現代のテクノロジーを利用して、離れていても空間を超えることができます。 そして、グルバイとの交流によって前に進む力を与えていただいているということ、それは何にも代えがたいほど力強いということを、あらためて実感しました。
このような機会を与えてくださった先輩方、そしてすべてを導いてくださっている師への感謝を胸に、今日も理想を見つめて生活しています。

3月に入って行なわれた第3回目のフォカッチャの会。この日は東京のグルバイの方も参加されました! (写真のフォカッチャはオーリブの実がなかったので、ブルーチーズと粉チーズで代用しています)

大森みさと


海と波

他県への移動が難しい状況になって、はやいもので一年。どんな一年を過ごされていましたか。私は、力んで空回りしたり、時には迷走することもありましたが、その度に様々な形で師に導かれて、ヨーガを続けられたように思います。そんな中で、師の教えがつまった『ヨーガの福音』が私の希望となって、道を照らし、なくてはならないもののひとつになりました。

至高の真実は名も無く形もなく、ただ存在である。
 それだけが真実在であり、真我であり、神と呼ぶものである。
 その一つなるものが一切万物として顕現しているのだ。
                   シュリー・マハーヨーギー

 この教えのように、すべてのものの中にある神を感じたい!それが、ありありと存在することを見たい!しかし、日常の中でそれを行うには、とても難しいことだと感じていました。
ある時期、仕事先が遠方のことが多く、そこへ向かう乗合の車の中で『ヨーガの福音』を開き、開いたところに書かれている教えを読み、それを感じながら、考えながら現地までの時間を過ごすことが日課になっていました。

それは海と波のようなものです。
 心はいろいろな波の形に巻き込まれてしまう−−−だから心は違いを見てしまう。
 でも本当は一つの海しかない。
 至高の真実には形もない、名前もない、ただ存在するだけ−−−
 それだけが「実在」であり、それは生まれも死にもしない。
 それが私たちの真我であり、神とよばれている。
 その至高の意識が一切万物として顕現しているのだ。
                  シュリー・マハーヨーギー

松山 双海海岸

 ある日、海岸線を走る車の中から、ぼんやり海をながめていると、突然、「それは海と波のようなものです」という教えの真意が体感となってやってきました。日常の中のすべてにおいて、私が見ていたのは波だったということが明確にわかったのです。「えー!!あれも、これも!!ぜんぶ波だったんかい!!」思わず、ツッコミを入れるほど、自分が波を見て、あーでもない、こうでもないと真面目に巻き込まれ、批評していた姿が滑稽で、一気に波への興味が冷めていくのがわかりました。その一方で、海の存在を同時に感じたのでした。「なんて静かで穏やかなのだろう」身を委ねると、一瞬で心が満たされ喜びが溢れる、波とは異なるその体感は、師にお会いした後、「また会いたいなぁ」と自然に思ってしまう、それに似ていて、いい意味で中毒性がありました。それ以来、日常の中で起こる出来事や自分の心の動きを感じると、「それは波だよ。あるのは、海だよ。」というと自然に体感した海へとシフトされ、識別がなされました。そして仕事の合間には、自ら海に飛びこんでいます。

 この体験は、ひとつのきっかけに過ぎません。大切なことは、いつでも、どんな時でも、聖典を読んだり、大好きな覚者や聖者の写真を見たり、オームやマントラ、神の御名を唱えて、心を神聖なものに向けておくことだと感じています。まだまだ、みんなで集うことは難しそうですが、感染対策とあわせて、波に巻き込まれない対策も徹底して楽しんでこの難局を乗り越えていきましょう!

オーム・タット・サット・オーム!!

山口正美


石の上にも三年

ヨーガに出会って3年ほどになります。

もともと子供の頃から能動的・積極的な性格ではなく、主体的に何か新しいことに挑戦したことなどほとんど記憶にない私ですが、ヨーガに関しては(神の思召しや恩寵という話は置いといて)自らの意志で求め、やると決意しました。周囲に流されるように始めたことが長続きしたことはあまりなかったので、ヨーガを始めた頃、『少なくとも3年間は続けよう』という思いが密かにありました。そして3年経った今、紆余曲折ありましたが何とかヨーガとの縁は続いており、とにもかくにもその時の思いは実現したという感慨が、なきにしもあらずです。

このブログの執筆依頼を機に、この3年間を振り返ってみました。

実家の近くにあるでっかい石。の上にも三…

日々の変化は微々たるものですし、ヨーガの実践によって、変化に対して無頓着になってきたり過去を蒸し返すことが減ってきたこともあって、普段、変化を実感することはあまりありませんでした。しかしこの機会に改めて自分を振り返ってみると、さすがにそこそこ変わっています。

アーサナや瞑想の習慣が身について、暇つぶしにやっていた娯楽は離れていきました。食事を改善しようとする意識も芽生えて、手軽に腹を満たそうとする悪習慣は去りつつあります。上述の、変化に対して無頓着になってきたことや過去を蒸し返すことが減ってきたことなども含め考えると、まだ実感のない変化もあるかもしれません。
こうやって並びたてると、改めてヨーガに対する感謝が湧いてきます。ただ、これらの変化をもたらした実践に対して常に前向きに取り組めたわけではなく、3年という短い期間の中でも紆余曲折ありました。

最初の頃は『カルマの道ではなくヨーガの道を』と張り切ってやっていましたが、高級スイーツにも犬のフンにも止まる蠅の如く、心はヨーガの実践と過去の習慣との狭間をフラフラしていました。徐々に過去の習慣が剥がれていき始めると、今度は、日常の中でカルマとヨーガを二項対立させているような自分の理解に違和感を覚え、「正誤の評価を下して正しい一方へ行こうとしているが、そういう方法で二元性を超越したものであるはずの真実に辿り着けるのか」「辿り着く? そもそも真実は遍在であるはずなのに、どこからどこに到達しようというのか」などなど、言葉上の理屈や納得を求めようとする煩悩とヨーガの実践との狭間をフラフラする始末です。

それでも今なおヨーガとの縁が保てているのは、やはり先輩方の存在が大きかったと感じます。真剣にヨーガを実践されている先輩の姿は、過去の習慣や知的思索の誘惑を遥かにしのぐ魅力を放っています。直接お会いしたり動画などでヨーガに対するその姿勢を拝見するたびに、過去の習慣や知的思索に反応する自分を恥じ入り、ヨーガの実践へと舵を切ることができました。まぁ『実践からフラフラ離れそうになっては先輩の背中に導かれる』ということ自体が、この3年間で何度も繰り返されているのは面目ないところでもありますが。

直近の瞑想専科の動画受講で、その並み居る先輩方が異口同音に、『あきらめず粘り強く実践し続けた』『心が限界まで追い込まれたような時に道が開けた』というお話をされていました。私をいつも導いてくださる力の背景を垣間見るとともに、ヨギさんと出会って以降、さらに道が開けるような体感がなかったこれまでの私の実践には、心が限界まで追い込まれるほどの真剣さがなかったのだと痛感しました。

心が追い込まれるほどの実践に尻込みする思いはありますが、ある意味この3年間で「心にゆとりのある実践を3年続けても、変化するだけで道は開けない」ということを体得したといえる私には、それほどの実践が必要だということは明白です。この厳しくも明白な結論と、できれば追い込まれたくないという甘えとの狭間でしばらくフラフラするであろう私は、また先輩方の背中に導かれ、助けられることでしょう。これまでもこれからも、ありがとうございます。

ヨーガに出会って3年。
3年座り続けてようやく石は温まってきましたが、これから必要なものは、虚仮(こけ)の一念。岩をも通す一念が必要なことがわかった3年目の振り返りでした。

深水晋治


シヴァと三日月🌙

ヨーガの第一修行者であり、グル(師)であり、守護神であられるシヴァーー
シヴァはヨーギー(ヨーガ行者)にとって憧れの存在です。


大学生の頃、インドを旅行していた時からシヴァを目にしていて、「シヴァ、カッコいいな〜!」と思っていました。
でも意外と知らないことも多く、

「シヴァの頭に付いている三日月は何なのか?」

とグルバイ(ヨーガの仲間)とオンラインで話している中で話題に上がり、「うーん…」となり、調べることに。
ネットや書籍で調べるのはどうかと思い、いちばん信頼のおける師シュリー・マハーヨーギーのシヴァと三日月について説かれた教えを兄弟子から教えていただきましたので、以下たっぷりとご紹介させていただきます!

「三日月そのものはーーナンディーという牛がいるでしょう、ナンディーのシンボルなの。ナンディーは牛で、シヴァの本当に親しい仲間ですけれど、やっぱりアジア――インド、日本もそうだけれども、農耕民族に牛というのは欠かせないものですし、その欠かせない牛を使って農業、作物を恵みとしていただいてきたわけです。そこに必要なのは雨ですよね、雨。あまりに降り過ぎるとそれこそ山崩れになるから、度が過ぎるとだめだけれども、やっぱり水が不可欠です。その水というのは、もちろん天から降りてくるわけだし、シヴァは暴風雨の神として――前身はルドラーという神であったということも言われているしーーそういう土着的なシンボルとして神格化されているのがこのルドラーでありシヴァであり、またナンディーもそういうふうにして神格化されている。だからシヴァが三日月を戴いているというのは、やっぱりそこにその重要性を象徴しているんじゃないかと思います。
もちろんアムリタとも関係をしていて、アムリタというのは直訳すれば不死ということです。これが霊的な甘露という味わいを指すことにもなっていくのですけれども、この自然界を見てみれば、朝に草木に夜露がくっ付いているのが見られますよね。あれは天から降りてきたアムリタというふうに理解されるわけです。夜の間に、月の時間の中においてアムリタが滴り落ちている。だからシヴァも、月というナンディーを象徴する三日月というのは、夜の象徴なんです」

ーーシュリー・マハーヨーギー

なんとシヴァの三日月は傍にいるナンディー(牛)の象徴であり、それは農業や雨、夜露(アムリタ)と密接に関係していることを意味していたのですね!

ではなぜ、形が半月や満月ではなく、三日月なのでしょうか?
その意味も師はお答えになっていました。

「シヴァの三日月は月を表していますけれどもーー月も本来は丸なんですけれどもね、三日月で表されていることの意味は、月の満ち欠けという活動性。よくインドの代表的な三神を創造、維持、破壊というふうに呼ばれることがあります。ヴィシュヌは維持を司り、シヴァが破壊を司る。破壊は破壊で終わるわけではなく、そこには再生という意味がもたされていますから、ここでも命のダイナミックな活動性が見えています。月もそのように、同じように理解できると思います。だから、シヴァの三日月は自然界における変化のあるダイナミックな活動性、そして死と再生、そういうものも象徴的に描かれている。それが三日月という形になっているということです」

ーーシュリー・マハーヨーギー

三日月の形は、月の満ち欠けという活動性を表していて、それは死と再生のシヴァのダイナミックな性質を象徴しているということーー
なるほど、謎が解けました!

この他にも師は、毎年作っているマハーヨーギー・ミッションのカレンダーに満月と新月の印があることーー月の暦の太陰暦にも言及されていました。

「最近は、なかなか夜空を見上げるという機会はめっきり減りましたよね。だから、今夜の月の形がどんなのかというのは知らないままに、一年一年が過ぎ去っていっているような気がします。でも自然界の働きというのは、太陽より、むしろ月の満ち欠けによって運行している。例えば、潮の満ち引きであるとか、作物の成長であるとか、あるいは四季折々の自然の命であるとか。そういうものを少し思い起こすことができたらということと、現代私たちが使っているカレンダーというのは太陽暦ですけれども、その昔は太陰暦といって、月の満ち欠けによる暦、カレンダーを使っていたそうで、いまだにアジアの地域ではそういうものも併用して使っていることが多いです。太陽と同じぐらいに月の神秘性というか、その存在というものも時には思い出して、美しい月を眺めることができたらといったヒントにもなればと思いまして、満月と新月を入れているんです。
ヨーガをやっていれば、シヴァ神の髪のところ、あるいは額に三日月が描かれているのをよく見つけていると思うのですけれど、あれはシヴァという神格がこの自然というものに深くかかわっている――月というのはシャクティ(根元力・女神)ですよね――それと一体になっているという象徴が込められています」

ーーシュリー・マハーヨーギー

月の満ち欠けが潮の満ち引きなどの自然界の働きに影響しているということは知ってはいたのですが、こうやってしっかりと教えていただくと納得というか、月はシャクティー(自然・女神)の象徴でもあるということで、もう唸るしかできないシュリー・マハーヨーギーのシヴァと月についての教えです。
これら師の象徴を読み解く深遠な力に、私自身はシヴァの如き瞑想力を感じずにはいられませんでした。

リシケーシュのシヴァ像

ちょっと余談になりますが、私は約4カ月前から職場のある嵐山に引っ越しました。
昨年までの6年間くらいは北野天満宮近くにあった自宅から嵐山まで、テレビでよく映る渡月橋を渡って自転車通勤していました。
嵐山は洪水や河川の氾濫が数年前にあるなど、水害も多い地域です。
嵐山近くのだいたい車折神社辺りになると急に雨が降ってきたり、スコールのような凄まじい大雨と雷に襲われたこともあり、山と川が隣接している地形から雲が発生しやすく、大雨や嵐に見舞われることが多い場所なのかなと感じていました。
ただその反面、嵐山は本当に自然豊かな表情を見せてくれる景勝地でもあります。
桜や紅葉はもちろんのこと、新緑もきれいですし、秋の夕暮れも美しい。
渡月橋に奇跡のような虹のアーチがかかっていたこともありました。
大雨の後は川の流れる音が「オーム」に聞こえるほどダイナミックな流れになり、心が一瞬にしてその轟音に奪われる体験もありました。
そして夜は、「渡月橋」という名が示すように、橋から見える月が本当にきれいなのです。

嵐山を南に下がった松尾大社のすぐそばには、古くから月の神様を祀る月読神社というものもありますし、遥か昔からここに住んでいた人たちは月への感謝の念を感じていたのだろうと想起させます。
月、雨、雷、川、山という自然のダイナミックな運行が凝縮されている嵐山ーー日本でシヴァを感じられるスポットなのでは👀、と私は思います!

 

過去のブログにはシヴァのことを紹介しているブログがいくつかあります。
久しぶりに読むと、とても面白かったです!!
皆さまもぜひ読み返してみてください。

「シヴァ神」
「神と魂を結ぶ愛の歌ーーキールタン」
「不滅なる主ーーキールタンの味わい」
「ブラヨーヘイ」vol.7 北野天満宮編

リシケーシュのシヴァとガンジス河

 

ゴーパーラ


アヒンサー(非暴力)に徹する

新型コロナウイルス感染症は私たちの日常を大きく変えました。
私が暮らしている地域でも、医療従事者のお子さんの保育園登園拒否や、病院内駐車場の通勤車への心ない張り紙など、差別や偏見による行為を聞くことが度々あります。
過剰な不安感や間違った情報によるものがほとんどだと思われますが、決してあってはならないものです。そして、医療従事者に対してだけではなく、身近なところでも起きています。

以前にブログで少し紹介させていただきましたが、職場の鍼灸治療院に来院される患者さんにも、状況が長期化するに連れて気持ちに余裕がなくなっているように見受けられる方が少なくありません。
高齢で一人暮らしの方は、買い物に出かけることすらも怖くなり、塞ぎがちになっています。そんな気持ちを抱えて買い物に出かけた時に、家族連れが賑やかに買い物しているのを見ると、自分ばかりが我慢を強いられているようで腹立たしくなると言っていました。同じく高齢の方で日頃から警戒心が強かった方は、陽性者が出たと噂で聞いた建物には絶対に近付かないようにしている、怖くて人が歩いているのを見ると、陽性者ではないかと疑って見るようにしている、と言っているのも聞きました。 また会社勤めの方は、社内で陽性者が出た際に、その感染経路が飲み会だったと聞いて、憤りを感じて投げやりな気持ちになってしまったと言っていました。

話を聞いているとそう思ってしまう気持ちが分かるような気がして、つい感染対策に気を付けていない人達のことを一緒になって話してしまいました。でも、それを言ったところで現実は何も変わらないし、むしろ心の中がもやもやとして余計に波立つような感覚になりました。自分は感染対策に気を付けて生活しているという自負の元、会ったこともない人達に対して偏見を抱き、差別的な 発言をしてしまっていることに気付き、反省しました。
こういう何気ない会話をする中でも、互いの思いや言葉の持つ力に影響を受けているのだと痛感します。

ヨーガの教えの中に、アヒンサーがあります。非暴力の教えです。
アヒンサーは、他者(全生命)に対していかなる苦痛も与えない、という意味。それは行為はもちろんのこと、言葉で与える苦痛や心の中で思うことも含まれています。
日常生活でアヒンサーを実践していく時は、苦痛を与える言動をしないように気をつけますが、自分にはそんなつもりはなくても、言葉遣い一つで相手を傷付けてしまうこともあります。頭で分かってはいてもそう簡単にできることではありません。だから、やはり根本である思いを正しいものにしていくことが重要だと思います。

自宅近くの公園で見つけたフキノトウ。「真理は一つ」という花言葉があります。

それで、先ほど書いた通り、コロナ禍にまつわる様々な患者さんとの会話の中で、私自身がアヒンサーを実践できていないなあと感じ、改めて意識して今できる具体的なことは何かを考えました。先入観を持たない、ネガティブな話題が出ても同調しない、そういう話題に終始しないように話の方向を変える、等々。でも、何かもっと大切なことが抜けているのではと思い至りました。
それは、上辺の行為だけ調えるのではなく、「すべての生命は等しく尊い」という真理が思いの根本になければならないんだということ。
思いが正しくなれば自ずと謙虚になり、優しさに満ちた言動に繋がっていく。

ふと、昨年末のブログに書いた「愛は優しさでしか表せない」ということと、アヒンサーを実践することとは同じであるという気がして、今一度ただ他者を愛しむようにしようと決意を新たにしました。このことが根本にあれば、小さな行為でも大きな意味を持つかもしれない。最初からうまくいかなくても、謙虚さを持って訓練していこうと思い、具体的な実践を始めていきました。

  • 患者さんと会話をしながらも、その人の中にある純粋な存在をイメージして感じるようにする。
  • 話に安易に同調しないように気をつける。
  • 揺らぎそうになったら、みんな尊い存在なのだから、と心の中で繰り返す。
  • 相手の思いや言葉を否定するような発言にならないよう気を付けながら、少しでもその人の気持ちが明るい方に向かっていけるように願いながら発言することを心がける。
  • 話をしたタイミングでうまくいかなかった時は、その患者さんが玄関を出てお帰りになるその瞬間までチャンスを伺い続けて、チャンスがなかった場合は思い切り笑顔でお見送りするようにする。

今やっていることが本当にアヒンサーと言えるのかどうか分かりませんが、やり続けた先に体得されていくものだと思うので、今は自分がよいと思うことを根気強くやっていきたいと思っています。

登山中に見つけた杉の切り株から、小さな幼木の芽が芽吹いていました。

ヨーガの聖典『ヨーガ・スートラ』では、アヒンサーについてこう書かれています。

非暴力(アヒンサー)に徹した者のそばでは、すべての敵対が止む。

一人一人がアヒンサーに徹することで、少しずつでも差別や偏見をなくすことができる。穏やかな空気が流れて平安な世界に変わることができる。そうなれるよう、まずは自分自身が徹底して実践していきたいと思います。

ハルシャニー


真っ正直

自分が巳年だからか蛇に割と愛着がある。動物園でも爬虫類館が好きだった。蛇は、ヒンドゥー教ではナーガという蛇の神様もいらっしゃるし、日本でも白蛇は縁起が良いとされているように、どこか神秘的なところがある。特に目が神秘的だ。
ところがそんな私にとって、昨年は蛇の生殺しのような期間(!)から始まった年だった。

毎年、寒い一月頃、いつも艶やかに姿を見せる。

昨年の元旦、眼に不調があり救急病院へ行き、大学病院で精密検査するまで安静に、と指示を受けた。目の不自由な方に付き添う仕事をし、目の知識だけは頭でっかちだったため、最悪の眼の事態を想像した。じっと待つしかない長い休み期間は、まさに蛇の生殺し状態だった。

休みが明け、大学病院で精密検査したが原因不明。ところが気持ちが切羽詰まっていたからか、その時の医師の、何げない一言に傷付いた。次週、別の検査となったが、不信感を抱いたまま同じ医師に診てもらっても納得できそうになく、それにまたこのまま一週間待つ…、と思うと途方に暮れ、家族に相談した。家族は、昔に家族がお世話になった個人眼科を受診するのも一案、と提案してくれた。セカンドオピニオンだと考え、家族が信頼する先生の診断なら納得できるはず、とその眼科へ行った。私の目的は、別の先生による真っさらな診立てを知ることだったから、最初に救急病院へ行ったこと以外の、大学病院のことや家族から紹介を受けたことは特に話さないことにした。ただ純粋に眼の症状だけを診てほしい、真実が知りたいと、その時は思っていた。

その眼科は、地元の人に愛されているような、こじんまりとした和やかな雰囲気で、患者さんとスタッフの方たちの朗らかな会話が、ゆったりと流れていた。そこでボーっと順番を待っていると、自分の眼のことだけでいっぱいの張り詰めている自分に気付いた。名前を呼ばれ、小学校の保健室にあったような、視力検査の黒いスプーンみたいな懐かしい器具を手渡され、片眼ずつを覆い、看護師さんが手作業で視力検査から進めていかれる。幾つかの検査が終わり、いよいよ部屋の一角にある小部屋に入る。まるで洞窟のような真っ暗な空間。闇を照らす煌々としたライトを額に付けた、ちょっと怖そうな男の先生がおられた。先生は、理科室にあったような眼の模型やイラストなどを使い、熱心に丁寧に症状を説明された。どうなるのか、はっきりと原因が知りたかった。爆弾を抱えたまま安静に過ごすなんて嫌だった。だけど先生は、私の質問に対して、科学ではどうしても原因の分からないこともある、今は様子を見るしかなく、申し訳ない、と説明された。その謙虚な説明のされ方に驚きながら、なぜ原因不明かということにも納得し、治療方針をお伺いし、お礼を伝え診察室を出ようとした。
すると「〇〇さんのご家族ですね」とおっしゃった。「(保険証の)住所を見れば遠い所からわざわざここへ来られるのもおかしいし、分かりましたよ、〇〇さんお元気にされていますか?」と。先生は、家族の眼のことを大切に思われ、一人の医師として、かつて診た患者の将来を案じておられたことが分かった。そしてなんと突然、涙を流された。びっくりした私は家族がここを勧めてくれたこと家族の眼のこと、元気にしていることを伝えた。忙しそうな診療時間中にもかかわらず、先生は真っすぐに私の目を見ながら真剣な表情でずっと話を聞かれた。先生の真心のような、尊いものが伝わってきて胸が熱くなった。

咲き始めた!

次の診察は一週間後。私は大学病院の経緯を話してないことに引っかかりだし、これで本当にいいのかな、と思った。自分が決めた方針だったし、だからこそ診断にも納得できた。嘘を付いた訳でもないし何も悪いことはしてない。でも、と思った。繰り返し考えた。今思えば、些細なことをわざわざ取り上げ大層な問題にしていたのかもしれないが、その時は無視できなかった。私はトゥリヤーナンダ(インドの聖者の方)が好きで、かつてヨーガの仲間の前でそのことを話したことがあった。トゥリヤーナンダがある弟子に言われた言葉があり、よく心の中で唱える。

「悟りは強く、純粋で、真っ正直な者だけに与えられる」

明日は診察日という日の夜、お風呂の湯船の中でもその言葉を唱えていた。ふとその時、トゥリヤーナンダからの言葉が聞こえてきた。(気がした!)

「なぜできないのか。もし君が彼を本当に愛しているのなら、彼が知らないことを知らせてあげることをなぜ躊躇するのだ。愛している者に向かっては、何でも話すことができるはずだ。人を愛する時、どうしてそこに恐れなどがあり得よう」

瞬きもせず、じっと話を聞かれた先生の眼差しが焼き付いていた。その先生に、話せないことがあるのはおかしい、やっぱりありのままを話そう、と思った。先生が仕事をされる上で必要な情報かもしれない。患者の役割があるとすれば、それを果たさなければいけない。
「彼(先生)が知らないことを知らせるのになぜ躊躇するのか?」。 今更知らせれば私が医者に不信感を持っている人という悪い印象になる、そうなると家族にも迷惑が及ぶ、それに大学病院の診立てを伝えれば先生の診方も変わるかも…、次から次へと奥に潜んでいた自分への保身、人への疑い、恐れが浮かび上がる。でも「人を愛する時、どうしてそこに恐れなどがあり得よう!」。トゥリヤーナンダのこの言葉は、あまりにも力強すぎて、私のしょうもない拘りの思いを吹き飛ばした。もう自分の眼がどうなるかとか、眼に対しての本当のことが知りたいとか、もうそんなことはいいやんかと思えた。先生の真っ直ぐな眼差しはトゥリヤーナンダの眼差しと重なった。私も真っ正直でありたい!と、不安が全くなくなった。

翌日の診察日、先生に、ありのまま経緯を伝え最初から話さなかったことを謝った。すると「そうです、真実を話してほしいのです」 先生の声が、洞窟のような暗室に響いた。ドキッとした。真実を、真理を軸にしてきたつもりだったから。先生は続けて、小さな町医者ではどうしようもないことがあります、もうここでは診られないという時にはすぐに信頼する大学病院の医師を紹介します、とおっしゃった。私にできる限りのことをここでします、と真摯に話された。胸が詰まりそうだった。
それからしばらく通院し、眼は治っていった。先生は、どうして治ったのか分かりません、薬の効果か分からない、あなたの自然治癒力で治ったのかもしれません、よかったです、ととても喜ばれた。そんなことを正直に言われる病院の先生に会ったことがなかった。最後の日に先生は、私は医師としては失格です、と言われた。涙を流したことを恥ずかしそうに謝られた。医師は、力士が土俵上では決して感情を出さないように、どんな時も淡々と行為しなければいけないのです、と自分を戒めるようにポツリと話された。私は先生のことは全然知らないが、先生には先生の精進されている道があり、先生も私もみんな同じなんだと思った。私は私の信じるヨーガの道を誠実に歩みなさい、と教えられたようだった。そして、真っ正直とは理屈じゃない、それが真理だった。真理に対して潔白でいること、誠実でいること。自分が切羽詰まろうが、張り詰めようが、そういう時こそ、だった。トゥリヤーナンダが真っ正直な先生の姿を通して、教えてくださった。そして、そこは師のお膝元でもある北野天満宮のお側だったのも単なる偶然とは思えなかった。(思い込みだろうか⁈)

最近、近所の山で偶然見つけた、木・石・牛だけの小さな拝所。

真理に対して間違ったことをしている時には自分で気付けますか? と師にお尋ねしたことがある。師は「自分で気付くし、結果が教えをくれることもあるし、また第三者が教えをくれることもある」とおっしゃった。
師の恩寵の下、周りの人や環境からどれほど与えられているか。私は真理を軸にできている! なんて奢らないように、古い自分からは蛇みたいに脱皮を繰り返していきたい。そういえば、蛇は脱皮する前の期間じっと動けなくなるという。ということは、もしかして私のあの時も、生殺しではなく脱皮前の…⁉ (また都合よく解釈 笑。もはや願望) とにかく!常により良く変身していけるように、何度でも脱皮するため(笑)やっぱりいつも唱える。

「悟りは強く、純粋で、真っ正直な者だけに与えられる!!!」

冬に際立つ。木の枝の美しさ!

野口美香


ヨーガと心の傾向 ②ヨーガはヴァーサナーとの闘い!?

「自分のヴァーサナーを何とかしたい!!」と悶々としていたある日、長年師の下でヨーガを続けておられる京都の先輩と電話でお話をさせていただく機会がありました。そこで私は、先輩にヴァーサナーについてうかがってみることにしました。(前回のブログ

私は「ヴァーサナーについて教えて下さい。自分のヴァーサナーをどうにかしたいのですが、どうしたらいいですか?」と率直に質問しました。先輩はとても丁寧に答えて下さいました。
「そうですね。“長い間ニンニクが入っていた壺からニンニクを取り出しても、ニンニクの匂いは消えずに残っている”とよく例えられるけれども、ヴァーサナーは空気のようなもので実体がないんですよ」
そして、次のように説明して下さいました。
ヴァーサナーというのはサンスカーラ(※1)が積み重なってできる心の傾向であり、例えば、好き嫌いやその対象に対してどのような反応をするか、また様々な物事の理解の仕方の傾向や、その人がとる行動、話し方や文章の書き方など、すべてに影響を与えている。師は「風向きのようなものだ」とおっしゃられたそうで、心に入ってきたものはすべてその方向に流されることになるそうです。
真理を学び、自分がヴァーサナーの影響を受けていると頭では理解できたとしても、その理解の仕方自体も影響を受けていることになるので、ヴァーサナーを相手にしても仕方がないし、ヴァーサナーに意識を向けるとかえってそれに捕われてしまう。けれど、そのままにしておくと新たなカルマ(※2)を作り出す温床になってしまうのだそうです。(前回のブログ参照
そして、「ヨーガはヴァーサナーとの闘いなんですよ」と穏やかかつ軽やかな口調で言われました。
今まで何となく理解していたのですが、なんと厄介なものなのでしょうか…!!それにヴァーサナーを相手にせず、ヴァーサナーと闘う!?一体どうやって闘えばよいのでしょう??
「では、どうすればいいのですか?」私は更に質問を続けました。
「やはり真理だけを見ていくことしかないんですよ。唯一真理を求めていくことだけが、大元であるエゴと無知を滅ぼして、心の消滅にともなってヴァーサナーに打ち勝つことになるわけです」と先輩は言われました。

その後、しばらくして別の先輩にグルバイが質問をしている場面に居合わせることがありました。彼女は「頭では、やってはいけないそっちにいってはダメだ!と思っているのに、どうしてもそっちに行ってしまうんです。止めようとしてもなかなか止められないという時はどうしたらいいでしょうか?」と話されていました。私はヴァーサナーのことかなぁ、と思いながら聞いていました。
その先輩はご自分の経験を例に出しながらこう答えられました。
「車やバイクってある程度スピードが出ていると、ブレーキを踏んでも“惰性”の力が働いてすぐには止まれないよね。それと同じで、これまで長年続いていた習慣や性質って、すぐには改まらないことが多いよね。
昔、私がバイクに乗っていて山道のカーブにさしかかった時、曲がり切れずにガードレールにぶつかって転倒したことがあったのだけれど、その時ぶつかってはいけない!と思ってガードレールばかり見ていたら、吸い寄せられるようにそっちに向かって行ってしまったんですよ。本当はそっちではなく自分が進む道の方を見なければいけなかったんですよね。
避けたい対象を意識するのではなく、やはり自分が本当はどうしたいのか、どうなりたいのかということに意識を向けるようにした方がいいよ」と話されました。
私は、なるほど!どちらの先輩も同じことを言われているなぁ!と思いました。“ガードレール=ヴァーサナーやその対象”を見るのではなく“自分が進む道=真理”を見ること。
分かりやすい例え話や言葉を使って物事の本質を丁寧に説明されるお二人のお話を聞きながら、私は先輩方に師のお姿が重なって見え、長年師の下でヨーガを続けて来られた先輩方にまた改めて憧れと尊敬の念を深めたのでした。

職場近くの公園の白梅の花が咲き始め、風に乗って甘やかな香りが運ばれてきました。

私は、先輩が教えて下さったヴァーサナーとの闘い方「唯一真理を求めていくことだけが、大元であるエゴと無知を滅ぼして、心の消滅にともなってヴァーサナーに打ち勝つことになる」とは、『ヨーガ・スートラ』の一番最初に書かれている「ヨーガとは心の作用を止滅することである」と同じことだということにはたと気が付きました!ということは、ヴァーサナーはヨーガが成就するまでなくならないということになります。だから「ヨーガはヴァーサナーとの闘い」なのか…。なんという長期戦なのでしょう!?

「何事も一足飛びにはいきません。一歩一歩です」
私は、師に出会った頃、私が質問したことに対して師が答えて下さったことをまた思い出しました。何も前進していないのではないかと焦りを感じる時に、いつも励みにしている大切な師の教え。あぁ、やはり師のおっしゃる通りなのだなぁ…と、今さらながら心の中で師の御前に額づく思いがしました。四の五の言わず真理の教え、ヨーガを実践しよう。やはりそれしかないのだ。私は自分のヴァーサナーとの闘いに腹を括りました。
それから私は、これまで以上にそのことを意識して日常生活の中でヨーガに取り組むことにしました。
(続く)

※1 サンスカーラ/この世界で経験するあらゆる事柄は心に何らかの印象を残し、その内容に応じた結果(カルマ)をもたらす。この潜在的な残像印象をいう。
※2 カルマ/行為とそれによってもたらされる結果を意味する。利己的な悪しき行為は苦という結果生み、非利己的な善き行いは楽の結果を生む。それゆえ、本来の意味である行為とともに、その結果と、さらには作用・反作用、因果応報の真理も含んでいる。
(『悟り』/サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ著 用語解説より)

辛夷も春の準備を始めています。

シャルミニー


『あるヨギの自叙伝』を読んで(8)ーーマハートマー・ガンディー

マハートマー・ガンディー
イギリス植民地支配からの独立を非暴力運動で勝ち取り、「インド独立の父」と称される彼の名を、誰もが一度は聞いたことがあると思います。

「剣を取るものは剣で滅びる」ーーこの聖書の格言が『あるヨギの自叙伝』のガンディーの章で引用されていますが、ガンディーは武器を取らず、掴んだのはインドの聖賢たちが太古より発見し培ってきた「偉大な叡智」非暴力でした。
ガンディーが生きた2度の世界大戦のあった激動の20世紀インドにおいて、イギリスの圧政・暴力は想像を越える厳しさだったと思います。
その過酷な状況下において、非暴力を実行に移すことは容易でなかったにもかかわらず、なぜガンディーはそれを貫き通せたのでしょうか?

今回『あるヨギの自叙伝』を読み返すと、ガンディーの揺るぎない非暴力の信念・信仰の根底には「ヨーガの教えと日々の実践」があったことがはっきりと分かりました。
『あるヨギの自叙伝』には、1935年にガンディーとその信奉者の住むアーシュラマにヨーガーナンダが数日間滞在したことが記されています。
そこではガンディーがヨーガを実践していたとは明記されていませんが、ガンディーの熱心な信奉者たちが立てたサティヤグラハ(真理を順法する)の11の誓いが紹介されており、それを読むと最初の5つがヨーガの基礎を成すヤマ(禁戒)そのものであることは明らかです。

「暴力を用いぬこと、真理に従うこと、盗みをせぬこと、禁欲を守ること、何物も所有せぬこと、労働をいとわぬこと、嗜好品をつつしむこと、何物をも恐れぬこと、いかなる宗教をも平等に尊敬すること、スワデーシ(自家製品または国産品)を用いること、非賎民を解放することーーこれら11か条の誓いを、謙譲の精神をもって守ること」

ヤマの教えを基本に、残りの6つの条項が加えられ、ガンディーとその信奉者たちが日々この教えを実践しているのでした。
アーシュラマでのガンディーの暮らしは至極シンプルです。
常に下帯一枚しか身に付けていない衣服、味覚と密接に関わっている性エネルギーの禁欲を実行に移すために嗜好品を排した菜食の食生活、また宿泊したヨーガーナンダの部屋は最小限度の手作りのロープ製のベッドが一つ置いてあるだけーーしかし、窓の外からは保護している牛の鳴き声や鳥のさえずりという牧歌的な豊かな自然の響きが調べを奏でていたことが記されています。
ヨーガーナンダ自身、「至るところに現れているガンジーの徹底した質素と自己犠牲の精神に心を打たれた」と述べているほどです。

「もし真の政治家になりたいのならガンディーを見よ」

現代の日本の老獪な政治家に対して私はそう言いたい。
国民に自粛を要請している中での高級クラブ訪問やステーキ会食、また女性蔑視発言などガンディーには無縁であります。

ガンディー(右)とヨーガーナンダ(左)。

余談はさておき、ガンジーはヨーガの実践によって自らを律し、真実という愛をインドの民衆、とりわけパリヤ(不可触民)に分け与え、カースト差別撤廃と宗教間の壁も取り払い、インド国民のみならずすべての人を平等に見ていました。
そんな母国とすべての人を愛したガンディーですが、その彼に多大なる影響を与えたのが真正のヨーギーであったスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(1863-1902)です。
ヴィヴェーカーナンダはインド放浪中、イギリスの支配により自信を喪失し怠惰に陥っていた民衆とその貧困の惨状に胸が張り裂け、インドに必要なのは「宗教でなくパンだ」と言い、西洋の物質科学を自国に持ち帰るべく海を渡り、西洋世界にはインドが古来より培ってきた真実の叡智を与え、インドのみならず世界をヨーガによって救おうと行動し、人類への奉仕に身を捧げました。
さらに、すべての宗教の平等ーー「それに至る道はさまざまだが、真実は一つ」という宣言を大胆にもキリスト教優位の西洋世界で臆することなく高らかに叫びました。
ガンディーはヴィヴェーカーナンダのすべての著作を読んだ後、「私の祖国に対する愛が何千倍も深くなった」と語っているほどヴィヴェーカーナンダから大きなインスパイアを受けています。

そしてこのインドの英雄ヴィヴェーカーナンダを生み出したのが、とりもなおさず彼の最愛の師シュリー・ラーマクリシュナでありました。
ヴィヴェーカーナンダは師を「ブラーミンの中のブラーミン」と讃え、自らが最上カーストのブラーミンであるという奢りを拭い去るために、夜中にこっそりとパリヤの家に忍び込み、自らの長い髪でトイレ掃除をしていたシュリー・ラーマクリシュナのその謙虚な生き様を「真似したい」「私のヒーロー」とまで言っています。

「もし神を実現したいのなら、謙虚な掃除人であれ!」

この言葉は政治家ではなく、自らに言いたい。
シュリー・ラーマクリシュナのこのトイレ掃除の驚愕のエピソードは、謙りの極みだと痛感します。
そしてまたガンディーのサティヤグラヒスの誓いが「すべて謙譲の精神でもって守ること」と記されているように、何を行なうにも謙虚さが最も大切であると教えてくれます。
『あるヨギの自叙伝』には、ガンディーは毎朝4時に起床し、神に祈りを捧げていたことが記されています。
以下、ガンディーの祈りと謙譲についての言葉です。

「祈りはわれわれに、もし神の支えがなかったらわれわれは全く無力である、ということを思い出させてくれる。どんなに努力しても、もし祈りを怠ったら、もし自分の背後にある神の恵みなしにはどんな努力も役に立たぬという明確な認識を忘れたら、その努力は完全とは言えない。祈りは謙譲への呼びかけであり、また、自己純化や内的探求の呼びかけである」

インド独立は、真理・神への不屈の信仰と謙譲の精神の持ち主であったガンディーの大いなるリーダーシップにより成し遂げられました。
そのガンディーの偉大な思想・働きは日々のヨーガの実践とヴィヴェーカーナンダの強力なインスパイアリング、そしてヴィヴェーカーナンダを育てたシュリー・ラーマクリシュナの存在によって生み出されたと言っても過言ではないと思います。
マハートマー・ガンディーの「マハートマー」とは「偉大な魂」という称号で、民衆が進んで彼に捧げたものであるそうです。
ガンディーという偉大な魂は、ヴィヴェーカーナンダとシュリー・ラーマクリシュナから受け継いだ魂であったのだと私は感じます!!!

最後に一言、ガンディーがヨーガを実践していたことは『あるヨギの自叙伝』を読んで再確認しましたが、私がそのことを初めて知ったのは、わが師シュリー・マハーヨーギーからであります。
またヨーガーナンダが1952年にロスアンゼルスでインド大使ビナイ・セン氏のために開いた晩餐会で演説した後にマハー・サマーディに入ったのは、「インド独立を見届けたから」という大変深い意味があってのことで、そのことも師から教えていただきました。

1998年10月のマハーヨーギー・ミッションのカレンダー。

※マハートマー・ガンディー
(1869年10月2日ー1948年1月30日)
イギリスで教育を受け弁護士となって赴任した南アフリカで、彼は人種差別を受ける。傷心の彼が故国で発見したものは聖賢の偉大な叡智だった。彼はそれまでの西洋思考や価値観、生活態度の全てを改め、ヨーガを実践する。その頃インドではイギリスからの独立運動が高まり、人々は彼をリーダーに推し上げた。彼が提唱したサティヤ・グラハ(真実と愛、あるいは非暴力から生まれる力)、スワデーシ(自力生産)、塩の行進等は民衆の心を動かしめ、遂にはインドを独立へと導いた。

ゴーパーラ


パラマハンサWeb化の衝撃と歓び!!!

ついにこの日がやってきた!
「紙媒体のパラマハンサがWebに移行する」というお知らせに、コロナ禍にあっても何とか以前と変わらない気持ちで暮らしていた私は、思ってもみない衝撃に見舞われました。

機関誌『パラマハンサ』には、多くのサットサンガから選りすぐられた師の教えが記されたプラナヴァ・サーラをはじめ、バラエティに富んだヨーガのエッセンスが掲載され、読者を真理へと導いてくれていました。私自身は、好きな記事には見出しを貼り、さまらさのレシピはリストに書き出し、大切な教えの載ったページをばらして持ち歩く、そんなふうにして、いつでも手に取り、繰り返しじっくり読むことのできる紙面の『パラマハンサ』を、どれほど自分が頼りにしていたのか、痛感しました。

振り返ると、私自身のヨーガの歩みは、常に『パラマハンサ』とともにあったと言えると思います。師がいらっしゃる京都からは遠く離れて住む身にとっては、『パラマハンサ』はヨーガの道を歩む上で掛け替えのないものです。先輩方の経験談を読むと大いに励まされましたし、たとえ文字を読むのがしんどくても、表紙や写真を眺めていると心穏やかになれました。パラマハンサ-至高の白鳥-という名の通り、毎号郵送で飛んできてくれるのを心待ちにしていました。
しかしもう、新しい号の紙面を手にすることはないのだと思うと、ちょっと残念さと悲しさでなんとも言えない気持ちになりました。

見出しを付けた過去の『パラマハンサ』と書き写したさまらさレシピ。大変お世話になりました!

スマホでのトップ画面!パラマハンサが美しく、各記事のアイコン写真も綺麗です!(サンプルページ 5月以降に正式にアップ予定)

しかし、いつまでも沈んだ気持ちでいるわけにはいかないので、気を取り直してサンプルのパラマハンサWebページを見てみることに。
するとそこには、今までモノクロでしか見られなかったサットサンガの写真がカラーになり、色使いの美しい細密画が何枚も掲載されている! さらに、初めは画像の鮮やかさに目を奪われがちでしたが、画像の貼られた記事を読んでいると、これまでの『パラマハンサ』を読んでいるときとは違う感覚が働き、その話の内容にすっと入っていけるような気がしてきました。
印象的なのはプラナヴァ・サーラの写真で、サンガに集う人たちの真剣なまなざしと、問いに応じてくださる師の慈愛に満ちた面持ちとが相まって、自分もその場に参加しているような臨場感を感じました。師が直々に教えを授けてくださっている場面を目にし、実際の問答を読むことができるとは、なんと貴重なことかと思います。他にも体験記やシリーズとなっていた読み物は、一気にまとめて読めるし、気になる言葉を検索すると関連する記事が選び出されてきます。いつでもどこでもヨーガの教えを読むことができる! 忙しい毎日でも仕事でヘコんだときでも、パラマハンサのサイトを見れば前向きになれる! 画像に加えて音声や動画も配信されるようになれば、さまざまな面からヨーガを知り、学ぶことができるに違いありません。
そんなことを考えているうちに、紙面ではなくなると知った時のショックや、横書きになって内容が頭に入るのかしらという心配はいつの間にかどこかに吹き飛び、Web版パラマハンサがとても楽しみになってきました!

すでにインターネットは人々の生活の中で情報伝達やコミュニケーションの手段として欠かせないものとなっており、ヨーガを学んだり、広めるためにこれを利用するということは大きな意味があると思います。特に先行きの見えない今、将来を不安に思う人、自分の生き方や生きる目的を真剣に考える人が世界中に大勢いて、『Web版パラマハンサ』がその人たちが真理に触れるきっかけになるとしたら、それはとても嬉しいことです。
ヨーガの道は、先入観や固定観念をもたず、変化を恐れず大胆に進むもの、と教えられています。新たに大きく発展していく『パラマハンサ』、5月の配信が待ち遠しいです。

マイトリー