永遠の物語 悪から善がでて来る

またもや永遠の物語を読んでいると、こんな話がありました。

王様が大臣をつれて狩りにでかけました。王様は無神論者でしたが、大臣は大変信心深く、人の身に起こったことはなんであれ、究極には神の思召しで彼のためによいことになる、と信じていました。

王様は森の中で雄ジカを見つけました。弓に矢をつがえようとした時、鋭い矢の先端で手の指を1本傷つけてしまいました。大臣は王様にこの傷は何かお為になるでしょう、と進言しました。これを聞いて王様は腹を立て、近くの井戸に大臣を突き落としました。王様は憎々しく、井戸に落ちたのはお前の幸せためであるぞ、と言いました。

王宮に帰ろうとした矢先、王様は盗賊の一団に捕まってしまいました。彼らは女神カーリのお祀りの準備をしていて、生贄(いけにえ)として祭神に捧げる男を探していました。王様は女神の前につれてこられ、沐浴させられた後、身体を調べられ、指の傷が発見されました。身体が完全に無傷な人間しかお供えしない、というのが盗賊たちの掟でした。それで彼は放免されました。

ここで王様は今日の出来事をよく考え、指の傷が自分を救ったことに思いいたり、大臣の言葉の正しさを悟りました。彼はそこで井戸に戻って大臣を引き上げました。彼が大臣に一部始終を話すと、後者もまた、もし王様が私を井戸に突き落としていらっしゃらなかったら、盗賊は私を捕らえて生贄にしたでしょう、と言いました。


どんな状況下にあっても、素直に神を信じ続ける大臣の姿に胸が躍りました。すべては神の思し召し、と言葉にするのは簡単ですが、実際にどんな状況も受け入れていくということは、尋常でない強い信仰が要ることです。そして物語の結末は痺れました。王様は大臣の進言の通り、指に傷を負ったことで命が助かり、大臣は王様に井戸に突き落としてもらったお陰で、盗賊に見つからずに命が助かったというのです。神のなさることは人間の想像を超えている、と言います。そして神は不可能を可能にすると言います。どんなときも神へのゆるぎない信仰をもつ大切さが、とてもよく感じられる物語でした。

ところで最近、私はわりと長く働いた職場を辞め、新しい仕事に就くことになりました。新たな人との関わりや、新たに仕事を覚えることなど、今までと勝手の違うことに慣れるのには、しんどいことも色々あるだろうな・・・と思うと、自分で決断したこととはいえ少し不安を感じていました。けれどこの物語を読んで頑張れる気がしてきました。すべては神の思し召し。どんなことも自分のためになるのです。この金言を常に胸に抱きながら、新しい仕事と向き合っていきたいと思います。

                                  アマラー

 


幸せ、生きがいとは?

前回まで、お金や仕事を通して何を求めているのか?と考えていた時、最終的に行き着いた答えは「本当の幸せ」だった。
子供の頃、日本昔話に限らず…お伽話を信じていた私は(笑)、「もし魔法のランプから、願いを一つ叶えてくれる魔人が現れたら何を頼もう?」と考えていた。幼稚園がキリスト教でお祈りが習慣づいていたからか、魔人へ考えた願い事は「一生、願い事がない最高の幸せにしてください」だった。今思うと、我ながら欲張りな願い事だと思うけれど、子供心にも願い事には終わりがない、と思っていたからなのだろう。しかし、すべての願い事がなくなるほどの最高の幸せって何だろう? そう思いを巡らせていた時、数年前の経験が思い起こされた。

ある時、一からやり直したい、誰も知らない所に移って人の役に立つ生き方がしたい、と思っていた。そんな時、ハンセン病患者へ治療を尽くされた精神科医の生涯を偶然に知り、取り憑かれたように関連する本を片っ端から読み続けた。
特効薬がない時代、患者さんの多くは、突然、家族と引き離され強制隔離をされたという。名前、素性、人間としての尊厳も奪われ、療養所(隔離施設)の中で病の為に朽ちていく自分の身体と向き合い、一生そこで生き長らえなければならなかった。過酷な環境で精神錯乱状態になった人、自ら命を絶った人、そのような中で生き抜いた人。一縷の光を見失わず、懸命に生きた方たちの痕跡を知るにつれ、生きることと死ぬことの狭間、命の存在の根源は何なのかと、そこから目を背けられなくなった。
隔離施設のあった島で偶然にもその医師の特別展が展示中だと知り、導かれるように島へ行ったのは数年前の今頃だった。

残酷な歴史が刻まれた収容所や監房、当時のままの史跡を巡った。完治された方々が今も島に住んでおられるが、ほぼ誰にも会わなかった。
島で生涯を全うされた死後でさえも、差別や偏見の為に引き取り手の家族がない何千もの遺骨が安置されている所にも向かった。現地で借りた自転車で、長い坂道を登り切ると、突如、空を舞うたくさんのトンボに囲まれた。そこは海が見下ろせる小高い丘のようになっていた。無数のトンボが、あまりにもフワフワと周りを舞い続けるので、今は姿なき人たちに代わって先導してくれているようだった。残酷な歴史とは裏腹に、その辺りは静かで安らかな空気に満ちていた。

島の路地でふと視線を感じ、見上げると目が合った花

姿なき存在へ挨拶を終え、丘から降りると不意に道に迷った。とその時、島の人に初めて出会った。おばあさんは顔や手が不自由だった。道を尋ねると、すぐさま笑顔でハキハキと教えてくださった。そして別れ際「またいらっしゃい!」と誰かのような満面の笑顔で言われた。「また来ます!」元気よく私は手を振った。
その後、時間の限りに史跡を巡り、最後に浜辺に行った。この浜辺から身を投げた人、対岸へ泳いで帰ろうと途中で力尽きた人、真っ暗な夜の浜辺で帰りたいねと泣きながら、そして歌を歌った人たちもいたという。どんな思いでこの海を見ていたのだろうか。それでも生きていくと思った人たち。血のにじむような努力と忍耐を重ねられ生き抜かれた。医師の記述によると「肢体不自由で視力まで完全に失ってベッドに釘付けでいながらも、窓の外の風物の佇まいや周囲の人々、動きに耳を澄まし、自己の内面に向かって心の眼をこらし、そこからくみとるものを歌や俳句の形で表現し、そこに生き生きとした生きがいを感じていた人たちもいた」という。
どのような状況でも平安に満ち足りたムードを保つことができれば、それは一種の悟りだと師に教わったことがある。並大抵のことではないけれど、如何なる状況にあっても、万物の背後にある本質、大いなる一者を感じ取ることができたなら、それほどの生きがいはないと私は思う。
その日、結局ほとんど島の人に会わなかった。代わりにたくさんの猫やトンボは寄ってきて、花や草木や石、建物さえもが無言の存在感を放っていた。そしてずっと太陽は、真上から島をじっと見守るかのように照らしていた。島全体が沈黙にあるような空気の中で、存在って、幸せって、生きるって何かな、と思わずにはいられなかった。
さっき出会えたおばあさん、今ここで生きておられることは、きっと今は不幸じゃないよなと私には思えた。過去の歴史の出来事からおばあさんを見るよりも、今のおばあさんの存在だけを正面から見たいと思った。おばあさんの満面の笑顔が、私にそう思わせた。
過去は過去。あるのは今しかない、と師の言葉が蘇る。じゃあ私に今できることは何かなと思っていた。

静かな浜辺

島の会館で、映像を通して知った何名かの中の、あるおばあさんの話が忘れられない。
その方が幼い少女だった頃、隔離施設に入ることになった。お兄ちゃんが途中まで送ってくれた。最後の駅で別れる時、お兄ちゃんは優しく肩を撫でて、そして去っていった。それから辛くて毎日泣き続けた。夜空を見上げながら海へ石を投げ、この海がなければ帰れるのに、と泣いた。
「いつも、いつも泣いていた。でもある時に、私の業(ごう)を果たそうと決めた」と、きっぱりとおばあさんはおっしゃった。壮絶な状況で、生きるという覚悟を決められたのだ。魂が震えた。与えられた命を全うするということ、人の命はなんて神々しいのか、たった一人の人の命は本当にかけがえがない、決して代わりのきかない尊いものだと思った。涙が止まらなかった。どんな命も同じ、トンボの命も、猫の命も、人の命も本当に同じで、どんな姿であろうが存在は太陽のように煌々と輝いていた。
「誰もの中に尊い存在があるということを忘れてはいけない。固く信じるべきです。自分自身の中にあるその尊い存在を見失ってはいけない」と師から教わった。島の無言の空気から、なぜかそれをありありと感じ続けていた。

数日後、師に、役に立てるならそこに行きたいと思いをお伝えした。師は私の思いを大切にされながらも、今焦って決めることではない、というニュアンスのことを言われた。その瞬間、思い詰めていた何かが溶け、今ある場所でやることをやらないとダメだと思い、ここでできないことは、どこでもできないと自分の未熟さを実感した。島の方たちの生き様に触れ、心は自然と内へ向き、押し黙っていた。思えば私は、誰かの役に立ちたいという思いに、実は自分が誰かに必要とされたい、私が生きている意味が欲しい、という願望を重ねていた。その時、私にとっての不幸とは、誰にも必要とされないことだと思っていた。今、気付いた。状況に幸せや不幸を見いだし逃げていたのだ。環境や状況によって変わるものは、本当の幸せではないのに。
私は私としてこの世に生を受けた。人それぞれ与えられた環境があり、私は私の人生を生きていかなければならない。
「自分が自分を生きる」という師のお言葉がある。比べたり、逃げたり、背伸びしたり、誤魔化したり、そういうことは全部、自分が自分を生きていないことになる。自分を見失っているからこそ光を求めるけれど、別のものでは置き換えられない。求めるのなら本当のものだけを求めなさい、と学んできた。本当のもの…、本当の幸せ、本当の自分――それは限りない至福そのものだという。まさにそれが子供の頃に思った、すべての願い事に終止符を打つ最高の幸せなのだろうと思う。それに至る道がヨーガの道。いちばん幸せなことは師に、ヨーガに、縁を持てたこと。今の自分に向き合うことが、「本当の自分」に目覚める道だと思う。

いちばん身近にある京都の地元の川

世の中の不条理さとは無関係に、今、自分に与えられているもの――自己の命に対して謙ることができれば、生きていること、息をしていること、生かされているからこそ今見ている世界があることにも気付かされる。瑞々しい純粋な命のきらめきを感じた時、美しく愛おしい生命の躍動感を感じた時、自分を形作るすべてがそれに共鳴しその歓びと一体化する時、その背後にあるのは、たった一(ひとつ)の存在だと思う。万物の、命の根源の現れに触れる歓び、それこそが真の生きがい、幸せであると思う。それを私に教えてくれたのは、ハンセン病患者の方たち、そしてその方たちと共に生きた方だった。そう学ばせてくださったのは師だ。「自分の中に本当の幸せがある」と。

…と考えると、まさか魔人は、私の願いを叶えるための道は用意してくれたのか⁈(まだ信じてる⁈) でも道を歩くのは自分!「自分が自分を生きる」ために。

野口美香


時間も空間も超える存在

昨年までは、ヨーガの学びを深めるために月に1回ほど東京から京都に通う生活でしたが、今年はそれが叶わない状況が続いています。
クラス休講中はオンラインでのクラスや瞑想会でグルバイ(兄弟姉妹弟子)と繋がり続けられたことが支えとなっていましたが、クラスが再開されてからは東京のグルバイとは会えるようになりました。短い時間であっても、直接顔を見て話せること、クラスで共に集中を高め合えることに、これまで以上に喜びを感じています。
ただ、東京以外のグルバイとはまだしばらくは会うことができそうにありません。このブログ『ヨーガを生きる』で各地域のグルバイの実践の様子に触れられることが楽しみの一つとなっています。

ヨーガを学んでいるという大きな共通点はあるものの、性質や傾向は人それぞれ違うので、共感し鼓舞されるところもそれぞれ異なります。また、一人一人の環境や状況も違うので、ヨーガの実践の仕方や体感の内容も様々です。ブログからはそれらが垣間見られて、力をもらったり、気付きがあったりします。

最近、野口美香さんの書いたブログ記事『何のためのお金』を読んでいて感じたのですが、生活していく中での気付きの過程が、一つ一つ丁寧に自分自身の視点で描かれていて、美香さんがかつて聞いた師の教えを着実に実践していっている様子が伝わってきて、私ももっと丁寧に確実に実践していきたい!と鼓舞されました。
ブログの締めくくりには、
野菜を油で揚げる音が、まるで水琴窟(すいきんくつ)と雨音のように澄んでいて美しかった。瞑想的な、さまらさな音色。
と「さまらさの台所」Webクラスの感想があり、とっても素敵な表現に、日々の慌ただしさが一瞬静止してリセットできたような感覚にもなりました。

そして読み終わった後、思い出したことがあります。
美香さんと初めてお話したのは、京都に通い始めたばかりの頃。美香さんがまっすぐとこちらを見て、時折うなずきながら私の話に耳を傾けてくれたことは、今でもはっきりと覚えています。
美香さんご自身は決して多くを語られませんでしたが、彼女の話した言葉の中で特に印象に残っているものがあります。(言い回しは正確ではないことをご了承下さい。)
「ヨギさんはこちらが近づいた分だけ、近づいて来てくださる。自分をさらけ出すほど、こちらが近づいた以上にもっともっと来てくださる。」
美香さんがまっすぐ前を見据えて話してくれたその姿を見て、私もそうしていきたい!と憧れのような想いを持ちました。
もっとヨーガのことを学んでから質問しないと、とか、こんなこと質問しても、とか、余計なことばかり考えて足踏みしていたのですが、何でも質問してしまえ!と背中を押されたようで、これを機に少しずつ質問ができるようになりました。

こんなふうに、グルバイとの交流では、ほんのちょっとした会話やメールのやりとりの中であっても、大きな気付きやインスパイアを受けることがあります。それは時に自分を省みるきっかけとなったり、背中を押してもらうきっかけとなったり。もしグルバイの存在がなければ、ヨーガの道を歩むスピードはもっと遅くなっていたのかもしれないと思うことが多々あります。
少し前のシャルミニーさんが書いたブログにありましたが、「ガンジス河の砂の数ほどもあるこの世すべての命の中で、人として生を受けるということはそのガンジス河の砂を手ですくったほどであり、たくさんのご縁が重なって成る稀有なことである。さらにそこから親指の爪の上に乗る砂の数ほどの人が、人として生まれてきた本当の大切さに気づき、喜ぶことができる」、というこの教えの通り、グルバイとは稀有な縁で繋がっていて、共に喜びを分かち合える存在だと思います。
離れた場所にいて会えなかったとしても、互いの存在に支えられていると、確かに感じることがあります。

東京代々木クラスにてヨーガの仲間と共に!新しいトートバッグと。

“ヨーギーは時間と空間を超えている”と言われていますが、師はもちろんのこと、ヨーギー・ヨーギニーとして道を歩んでいるグルバイもそうであると思います。
現在のような状況下で様々な葛藤や迷いが生じることもありますが、いつどこにいても常に師やグルバイと共にあるということを忘れずに、実践を続けていきたいです。

ハルシャニー


新! MYMタペストリー誕生!!

もう10年ちょっと前のことになります。キールタンの野外活動を始めた時、アーシュラマの設立当初からずっと祭壇に掲げられてきたサハスラーラ・チャクラの旗をお借りできることになりました。その旗は師がデザインされ、当時アーシュラマに通われていた一期生の方が染色をされたそうです。旗の中央には、悟りの象徴でもある千弁蓮華が描かれていて、上部にはサンスクリットの文字でこのように書かれていました。

純粋な歓喜から一切万物は生まれる
それは歓喜によって維持され
歓喜に向かって進み
歓喜に回帰する

この宇宙すべて、私たちを含めた一切万物の姿が表現されている真理の言葉です。
旗印とは本当によく言われたもので、この旗を実際に手にし掲げると、自分たちが目指す悟りがすぐ目の前に広がるような気がして、見上げる度にその目標を思い起こさせ、また最愛の師がすぐ傍にいてくださるような気がして、いつも大いに勇気付けられてきました。

40年以上も前に作られたこの旗は、真夏の太陽や突然の風雨にさらされることによって、当然ながら劣化が進んでしまいました。できればこの旗は、MYMの宝物として保存しておきたい! そのかわりになる2代目がほしい! そう思い、師にご相談したところ、新たにデザインを考案してくださり、なんと2代目を制作することになったのです。ちょっと時間がかかってしまいましたが、先日その2代目がようやく完成しました!! 

それがこちら!! 

ジャーーーーン♪♪

なんとも力に満ちた、目の覚めるような鮮やかな赤色に、
中央にはMYMのシンボルマークでもある蓮!

デザインしてくださった師は、先日、次のような祝福の言葉をくださいました。

ーーー
MYM 新旗(タペストリー)に寄せて

「真理は一つ 見者はそれを様々な名で呼ぶ」(リグ ヴェーダ)
真理は名もなく形もないが、それを見た者ーー覚者らは様々な名で呼んできた。
真実在、神、ブラフマン(梵)、アートマン(真我)、サットチットアーナンダ‥‥
名という言葉も真実を象徴するもので、形もまた同様である。
光、イーシュヴァラ、サハスラーラ チャクラ(千弁蓮華)‥‥
タペストリーのサハスラーラ チャクラとその中央の黄金色のシルエットは上記の象徴
である。また背景の赤色は一切造化の力能(シャクティ)を象徴している。

ーーー

師が長年説かれてきている教えが、このタペストリーにギュッと凝縮して表現されていることを改めて感じました。師がご覧になっている世界を見たい。それを見る人だけが見るのです。
古代から途絶えることなく続いてきている尊い真実を私たちも受け継ぎ、師の息吹の吹き込まれたこのタペストリーとともに、次の世代、また次の世代へと永遠に紡いでいくことができますように。

今は、実際にみなさまにお披露目ができなくて残念ですが、今後、MYMのさまざまな活動のシーンで、きっと目にしていただけることがあると思います! どうぞお楽しみに!

ミラバイ


恒河沙 ― 大都会東京でヨーガに生きる!    

故郷である大阪から家族とともに横浜に転居して3年、その後東京に移り住むこととなり早11年以上が経ちました。
こちらの生活にもすっかり慣れ、東京ライフをエンジョイ!?していますが、それでもいまだに東京の街の大きさや人の多さに圧倒されることがあります。まるで小高い山のようにあちこちにそびえ立つ高層ビル群、どこに行っても街中に溢れ返る人人人…。特に都心に行くと東京が世界有数の人口の多い大都市であることを実感します。

大都会東京

とても大きな数を表す単位に「恒河沙/ごうがしゃ」(10の52乗)というものがあるそうですが、これは仏教の経典に出てくる言葉で「ガンジス河の砂の数くらいたくさん」という意味なのだそうです。東京の人の多さを体感する度に、私はいつもこの「ガンジス河の砂の数」という言葉が頭に浮んできます。と同時に、ここ東京だけではなく世界中には多種多様なたくさんの人が生きているということを改めて思い出します。

以前、仏教の教えで「ガンジス河の砂の数ほどもあるこの世すべての命の中で、人として生を受けるということはそのガンジス河の砂を手ですくったほどであり、たくさんのご縁が重なって成る稀有なことである。さらにそこから親指の爪の上に乗る砂の数ほどの人が、人として生まれてきた本当の大切さに気づき、喜ぶことができる」というようなお話や、「ガンジス河の砂の数ほどの仏さまがいる」という教えがあると聞いたことがあります。
古代インドのリシと呼ばれる聖者や賢者たちは、人として生まれること、そして真実を探し求めること、それを実現することのできる人としての命はとても尊いもので、人として生まれたということは吉祥なことであると教えていると師から教わりました。またヨーガにもこの世のすべてが神の顕れであるという教えがあります。そして、ヨーガを志す者にとって本当の師に巡り合えるということは大変に稀なことであり、得難い宝であると教えられています。

母なるガンジス河

そんなことを思いながら大勢の人々がせわしなく行き交う東京の雑踏の中に立っていると、ガンジス河の砂の数ほどもあるこの世の命の中で、皆一人一人が人として生まれてきた尊い命をもっている人達なんだなぁと感じます。そしてその中の一人である私は、たくさんのご縁によってヨーガと出会い、本当のヨーガの師に巡り合うことができ、師の下でヨーガの道を歩むことを決意しました。

   「それ」は今、ここに在ります。
   「それ」は常にどこにでも在ります。
   「それ」のみが在るのです。
   「それ」が真のあなた自身なのです!
      シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

まだまだ道半ばの私ですが、たとえ何処にいたとしても、真実を実現することのできる人として生を受けたこの尊い命を吉祥なものとして生きたいと思います。

シャルミニー


『あるヨギの自叙伝』を読んで(6)ーーラマナ・マハリシーー

約2年ぶりの「『あるヨギの自叙伝』を読んで」のコーナーです‼️

今回は、20世紀インドの覚者ラマナ・マハリシです。

「身体は死滅するが、魂は死によって決して手を触れられることはない。私とは不滅の魂なのだ」

ーーラマナ・マハリシーー

16歳でこの不滅の魂である「本当の私」に目覚めたラマナ・マハリシ。
今年に入り私は、「本当の私」に瞑想を始め、ラマナ・マハリシにすごく惹かれるようになりました。

そこで最近、『あるヨギの自叙伝』にヨーガナンダがラマナ・マハリシのもとを訪ねていたことが書かれていたのを思い出し、読み返してみました。

すると、ラマナ・マハリシについて記されていたのは、写真を含めてわずか1ページ……😅

なぜこんなに短いのだろうと思ったのですが、2人の交流がわずか数時間だったこと、またラマナ・マハリシにはすでに弟子がいたので、ヨーガナンダは詳しい紹介を留めたのかもしれないと思いました。(現に今、ラマナ・マハリシの著作は弟子や信者によって数多く出版されています)

ただ、この1ページの中には、「沈黙の聖者」と称されるラマナ・マハリシとの「言葉ではない交流」が感じられます。

例えば、アーシュラマ(僧院)を訪れたヨーガナンダを暖かく迎えたラマナ・マハリシは、傍にあったヨーガナンダが発刊していた雑誌『イースト・ウエスト』が積まれた山を指差したそうです。
また、ラマナ・マハリシの弟子たちを交えての会話だったため、ラマナ・マハリシ自身はほとんど何も語らなかったようですが、その穏やかな顔は神のような愛と英知に輝いていたそうです。

心の波が静まる「沈黙」が訪れると、その奥に在る不滅の魂「本当の私」から「無限の歓び」が湧いてくると言われています。
たとえ言葉を発さなくても、ラマナ・マハリシのちょっとした行為やその表情から、霊的な交歓がなされていたことが感じられるエピソードです。

そしてヨーガナンダは、ラマナ・マハリシの紹介を最も主要な教えである「私は誰か」で表しています。

スリ・ラマナは、苦悩する人類に、彼らが見失ってしまった〝完全なるもの〟を取り戻させるために、「人はたえず『おのれとは何者か』と自らに問いかけるべきである」と教えている。これこそまさに〝偉大なる問い〟である。これ以外の考えを厳しく排除することによって、人は、真の自己の中にしだいに深く沈潜し、雑念に惑わされないようになるのである。

「おのれとは何者か」、つまり「私は誰か」ーーこれをヨーガナンダは「偉大なる問い」と言っています。
いろんな問いがこの世界には溢れています。
例えば、「仕事とは何か?」「人生とは何か?」
ただ、どんなことを考えるにしても、「仕事をしている私」「この人生を生きている私」というふうに、そこには「私」がいます。
「私のしたい仕事をする」「私がやりたいように人生を生きる」とはよく聞きますが、「では、その私は誰か?」と考える人は本当に稀です。
この主体を考えないこと、これこそ苦悩する人類の盲点であり、その主体である「私」を熟考し、偉大なる「本当の私」を自覚するための問いが、「私は誰か」にあると思います。

今年に入り私自身、「私は誰か」という瞑想を始めていますが、上記のヨーガナンダの一文にそのヒントをいただいた気がしました。
それは「たえず」「それ以外の考えを厳しく排除」というところです。
バクタが神以外のことを思わないように、心にいかなる思いが起こったとしても本当の私に立ち戻る「私は誰か」、その問いを繰り返し繰り返し実践していく、これを徹底していきたいと私自身、強く思いました。

そして今回、『あるヨギの自叙伝』はどんな小さなエピソードや一文からでも真理が学べ、本当に素晴らしい聖典であると改めて実感しました!
まさに真理で埋め尽くされた宝の宝庫です🌝💎

ゴーパーラ


カーリーヤントラ・カラートートバッグ!

トートバッグ カラー

見てください〜。このカラフルなトートバッグ。
マハーヨーギー・ミッションオリジナルのトートバッグに、新たにカラーバージョンができました!!! ぱっと目を引く鮮やかな色合いから、これからの季節に似合いそうな、こっくりとした深みのある色目まで彩り豊か。全17色ほどあります!

実はこれらのバッグ、一点ずつ手染めされているんです〜!
同じ色でも一点ごとに微妙な表情の違いがあるのも、多少の色ムラが出ているのも、手染めならではのいい味わいとなっています。

ミラバイ@@プレーマ・アーシュラマ

ゴールドとシルバーで描かれたカーリーヤントラは、シヴァ(男神)とシャクティ(女神)の合一から宇宙万物が展開するというヨーガ哲学が表されています。
伝統的にも瞑想に用いられてきたシンボルだそうで、シンプルで直線的な形に秘められた真理のエッセンスが感じられます。持ち歩いていると大いなるパワーをもらえそうですね!
ぜひお買い物に、お仕事にと、日々活用していただけたらと思います。

たくさん入る!トートバッグ

たっぷり入るLサイズ。ノートパソコンも余裕で入ります!

バッグは全部で80枚限定なので、ご希望の方はお早めに〜。
詳細・ご注文はこちら

ちなみにカーリーヤントラの半袖Tシャツは完売、レディースのロングTシャツSサイズのみ、赤・黒各1枚あります。小さめなのでお子様にもおすすめです(キッズ150サイズくらい)。ご希望の方はご連絡ください。

ヨーガダンダ、ラームダース

ヨーガダンダさん&ラームダースさん(やっぱり兄弟。似てますね〜)
真夏の暑い最中に黙々と染色してくれました。ありがとうございます!
無心に作業することで、サットヴァ(純粋)になるのを感じたとか。

マードゥリー


永遠の物語 牡牛ー神

最近、『永遠の物語(日本ヴェーダーンタ協会)』の本を読みました。

その中でこんな話がありました。

ある1人のヨーガ行者が人里はなれた森で修行をしていました。1人の牛飼いが、このヨーガ行者が何時間も瞑想や苦行をし、1人で勉強して過ごしているのを毎日見て、何をしているのか興味が湧き、近寄って言いました。

「旦那、神への道を教えてください」このヨーガ行者は非常に学識が深く、偉大な人物でした。「お前がどうやって神を理解できるのかね。お前はただの牛飼いだ。うすのろめ。帰って牛の番でもしていろ」と答えました。男は立ち去りましたが、しばらくすると本当に知りたいという欲求が強くなりました。居てもたってもいられず、またヨーガ行者のところにやって来て、神の教えを請いましたが、また追い返されました。

それでも牛飼いは神について知りたくてたまらず、またヨーガ行者のところに行きました。あまり強引にせがむので、ヨーガ行者は男を黙らせようと、「お前の飼っている群れの中の大きい牡牛のようなものだ。それが神だ。神はそのような大きい牡牛になるのだ」と言いました。

男は牡牛を神と信じ、日夜拝み始めました。その牡牛のために一番緑の濃い草をやり、横で休み、明かりを灯してやり、近くに座り、後を追いました。そのようにして年月がたちました。

ある日、あたかも牡牛から出たような声が聞こえてきました。「私の息子よ、私の息子よ」牛がしゃべっているのかどうなのか、心の悩みを思いめぐらしました。何度か声を聞くうちに、やっと分かりました。声は自らの心の中から聞こえて来たのです。そして神は自分の心の中に居ることを悟りました。最高の教師が説くすばらしい真理が分かったのです。「私はつねに汝とともにある」。まずしい牛飼いは神秘の全容が分かりました。

そこで彼はヨーガ行者のところにまた赴きました。牛飼いは全身神々しい姿に変わり、顔つきにも天国の光の輝きが放たれているかのようでした。ヨーガ行者は思わず立ち上がりました。「何という変わりようだ?どこで見つけたのだ?」「旦那、あなた様がそれをくださいました」「なんだって?私は冗談で言っただけなのに」


牛飼いの、偏見をもたれても2度断られても諦めず、ヨーガ行者に教えを請いに行った心の強さに感服しました。彼の中では、ただ純粋な神への探求心で胸がはち切れそうなのがひしひしと伝わってきました。

そして牛飼いは、方便であるヨーガ行者の言葉をそのまま素直に受け入れて実行し、ついに内なる神に目覚めました。牛は神のシンボルとなっていたのです。純粋に神だけを求めて礼拝する真剣な思いを、ヨーガ行者の思惑とは別のところで神はちゃんと受け止めておられ、ついには恩寵を与えられたのです。

どこにいても、何をしていても、純粋に神に捧げたいという気持ちで日々を過ごしていれば、神はその思いに応えられ、いつか道が開ける時が来るのだと勇気をもらいました。

                                                                                                               アマラー


ある夏の日の出来事

今年の7月は太陽が恋しくなるほど梅雨空が長く続きましたが、8月は太陽のパワーを存分に感じる気候となりました。

私は6、7月の2ヶ月間、職場である治療院の移転作業をしていました。壁を塗ったり、畳からフローリングへ変える施工をしたり、普段はしない力仕事が続いたせいか、あちこちが筋肉痛になり身体が硬くなってしまいました。毎日自宅でのアーサナは続けていたものの、なかなか硬さが取れない状態。でもクラスでみんなと一緒にアーサナすると、次第に硬くなっていた身体がふわふわになる感覚がして、クラスが終わる頃には気分も頭の中もスッキリした状態になるので、これまで以上にクラスのありがたさを感じていました。

治療院に生けられている向日葵

ようやく移転作業が終わり無事に新しい治療院で診療を開始した日は、ちょうどクラスがある日でした。
最後の患者さんの治療を終えたら急にホッとして、眠気とともに身体が重だるくなりました。ああ、早くアーサナがしたい!とクラス会場のある代々木へ向かう電車に乗っていたところ、車内が急にざわめき始めました。乗客同士のトラブルで、男性2人が激しい喧嘩をしていました。他の車両へと移る人、スマホに夢中で無関心の人、車両内の光景に強い緊張感と違和感をおぼえました。ちょうど乗り換えする駅に到着したのでその車両から降りましたが、乗り換えを済ませても心拍数はしばらく上がったままで、自分で思っていた以上に動揺していたことに気付きました。とにかく早くアーサナがしたい!プラーナを調えたい!とすがるような気持ちになっていました。

その後クラス会場に到着し、いつも通りクラスが始まりました。最初のヴリクシャ・アーサナ(立木の形)では思いの外ふらついて、まだ落ち着いてないんだなという思いが頭をよぎりましたが、その思いはすぐに捨て去るようにして、今吐いている息に集中するようにしました。続いてマールジャーラ・アーサナ(猫の形)では、普段はない背骨がきしむような感覚がありましたが、今できる最大限まで形を深めたら、あとは息を吐くことだけに集中しました。シャヴァ・アーサナをする度に身体から緊張感が取れて、眠気と重だるさはすっかりなくなりました。疲れている時にアーサナをすると、これはきついだろうな、とか今日は無理しないようにしよう、という思考がいちいち出てきてしまうことがあったのですが、この時は最初に多少の思いがよぎっただけで、あとはリードの声に導かれながら淡々と形を作り呼吸を深くしていくことをやり続けたような感覚がありました。

8月26日の代々木クラスにて

クラスが終わり家に戻ると、夫に「今日は(移転初日で)大変だっただろうに何でそんなに元気なの?」と言われました。そう言われて初めて、そうか今日は確かに大変だったかも、と人ごとのように思い出したくらいでした。もちろん電車内での出来事の記憶もありましたが、それに対しての印象や思いは消え去っていました。クラスの後でなければ帰ってすぐに夫に一連の出来事を報告していたと思いますが、話そうという思いもありませんでした。

アーサナをすることもクラスに通うことも日常の一部となり、毎回集中して行うようにしていたつもりでも、いつの間にか真剣さが足りない状態になっていたのかもしれません。
今回のクラスに関しては、切羽詰まった状況に陥ったことで真剣さが引っ張り出されたのだと思われます。
このことで思い出したのが、『ヨーガの福音』の中の、神を求める1人の男が聖人の元へ行き「神を悟らせてください!」とお願いをするという話です。
聖人はくる日もくる日も同じ生活をしていましたが、ある日河で沐浴している時に、聖人についてきていた彼の頭を河の中に押さえつけました。彼の苦しみが限界を超えようとしたとき、聖人は手を放して彼に言いました。
「何が欲しかったのか?」
彼は答えました。
「息がしたかったのです!」
聖人は言いました。
「もしおまえが、ちょうど息を求めたように心底から神を求めるなら、神を悟ることができるだろう」

息ができなくなるというのは苦しく、そのまま死に直結するという恐怖もあります。
それが限界を超えようとしたときに、ただ息がしたいとそれだけを求める純粋さと真剣さが生じる。それを日常の中でいかに持ち続けるか。けして容易いことではありませんが、そうしていく必要があります。

人はあっという間にその時々の状況に慣れて、何となく日々を過ごすことができます。
どんな状況下でも流されることなく、何にも惑わされることなく、本当の自分を実現するという目的を達成したい。より純粋に、より真剣に、求め続けたい。
そんなことに気付かされた、夏の出来事でした。

ハルシャニー


仕事の動機は?

面接や履歴書で問われるのは、志望動機。幼い頃も「将来は何になりたい?」と聞かれた。私はずっとなりたいものが見つからず、学校の進路指導では、最後は先生にも諦められた(!)

仕事というのは、人生の中で重要な位置を占めていると思っていた。けれど、ヨーガでは仕事が特別な位置付けではなかった――仕事自体は何でもよく、従事することになった仕事に対してベストを尽くすが、それ以上でもそれ以下でもない、仕事での結果にも執らわれない。それを知った時、目から鱗が落ち、仕事像の呪縛から解き放たれた。

空に向かって真っ直ぐ咲く!

ところで私は最近、転職を考えていた。目の不自由な方に付き添う仕事をしてきたが、情熱が薄れてきていた。しかし、「仕事は何でも構いません」と師もいつもおっしゃっているし、ここから淡々と続けるのも大切に思える。これまで仕事を続ける中で、師はさりげなく私の仕事への思いを尊重され、そして優しく背中を押してくださった。だからこそ迷いながらも続けられてきた。…と、悩んでいた矢先、不意に元日から眼に不調があり仕事をセーブすることになり、調子が元に戻ると次はコロナ禍で仕事ができなくなった。必然的にお金や仕事について、じっと見つめることになった。(お金については前回書かせていただいた→前回ブログ

振り返ると、始めた当初は、私が目になる!役に立ちたい!と思い入れがあり、やりがいも大きかった。いつからか、誰もがそれぞれの立場で人生を歩んでいると知るにつれ、目が不自由ということが単純に不自由とか障害というふうには思えなくなり、最初に抱いていた「困っている人」という見方がなくなった。この仕事の必要性を見いだせなくなり、最近は仕事をする動機がよく分からないまま働いていた。
その状態を何とかしたくて、ヨーガの教えを拠り所に仕事自体の目的を考えていたことがあった。目の不自由な方が求める視覚情報を正しく伝え、自分の体を道具にして道中を安全に案内し、相手がその日の目的を果たせれば、仕事の目的も果たされたことになる。仕事の前には、そう意識し、相手の今日の目的に集中するよう徹していくと問題点は気にならなくなり、どんな仕事も仕事自体の目的を果たすことが仕事なのだと実感する瞬間があった。仕事が存在しているということは、その仕事自身の目的があるから。道理として、目的がない仕事なんて存在しないことになる。だから、この仕事は必要ないのでは?と私が考えるのは愚問だったことが分かった。けれど、情熱は戻らないままだった。

そしてステイホーム期間、生活にさほどお金がかからないと気付いた時、お金を得るための仕事は優先順位が下がっていった。その頃、前回ブログを書き進めていた。
種明かしになってしまうけれど、前回ブログ『何のためのお金?』の中で
「生きていく、それだけをシンプルに考えれば、本当はそんなにたくさんのお金は必要ないのかもしれない」という文章の後、最初は
“そんなにたくさん働く必要もないのかもしれない”
と続けて書いていた。しかし校正してくださった先輩から、この一文に対してコメントが添えられていた。
「働くのは結果的にはお金を得ることが目的になりますが、それだけでなくて、仕事を通じて様々な経験を積むというカルマを果たすためだとも考えられます。生きている限り行為をしなければなりませんし、ではどう働くのかという働き方と働きの目的が大事になってくるのかなと思います」

ハッとした。 ここだけ文章の校正というよりも、私への核心を突かれるヨーガの教え…、働きの目的…、私自身の働きの目的は、はっきりしないままだった。お金、仕事、人生…もう一度それぞれの目的について考え続けた。

そんな時、久しぶりに長時間の仕事があった。内容的にも安全確保に神経を注ぐ仕事だったので、ちゃんと動けるか不安もあった。結論からいえば、私の体が私自身を導いてくれた。口からは必要な情報が勝手に飛び出し、足と手は安全確保をしながら勝手に動いてくれた。不思議だった。こんな感覚は初めてだった。仕事後、妙に静まり返り、私はこの身体を生かさなければいけない、と思った。昔、「自分が人間として生まれたからには、この心と身体を使って生かせることがしたい」と思ったことを突然、思い出した。たしか当時の履歴書にもそう書いた。人生の目標が「悟り」なら仕事もそのためにある、だから働くんだ、ということが実感を伴って繋がった。

仕事帰りによく立ち寄る。いつも季節の花が咲いている。

眼に不調が出た期間、やっぱり困ること不自由なことがあった。それで気付いた。困っている、不自由というのは、ただの事実なだけで良い悪いの次元ではないと。つべこべ考えず、ただあるがままを見よ!と自分の眼から一喝された気がした。仕事にベストを尽くすには、自分の情熱とか、相手が困っている・いないとか感情論は必要なく、あるがままの事実を正しく見ることがまず必要だった。そういえば、事あるごとに意識してきた言葉がある。「一にも二にも観察」 十数年前、福祉職に転職した時にヨーガの先輩から言われた言葉だ。先輩は全く違う仕事をされていた。けれど私はこのアドヴァイスを守ることで、仕事中、幾度も助けられてきた。職種は関係なかった。どれだけ自分を棄てて、対象だけを正しく見れるか? 長年、師の下で学ばれた先輩は私にそう示唆されていたのかもしれない。

どんな仕事にも必ず対象(人やモノ)があり、対象のために仕事を進めていっている。その仕事自身の目的を果たすことが仕事。でも仕事は単なる一つの役割。だからこそ役割ならば、それに徹しなければいけない。もっと目的に集中しなければいけない。この身体に任せて、今の仕事がくるなら無心で働けばいい。「どんな役割にも優劣はなく同等で、できることは心を込めてやっていくということ」と師から教わってきた。
この命が生かされ、身体が動くのは、やっぱり摩訶不思議で、大いなる存在を思わずにはいられない。ヨーガでは、本当の自分はこの体でもなく、この心でもないという。心のざわめきが静まったとき、本当の自分が輝き出るという。

夏の光で輝く花

自分のやりがいも動機も何も要らないじゃないか!と思えた。むしろこれからは、自分自身の個人的動機のない働きを目指したいな。そして、師が仕事に対して贈ってくださった言葉、「真心を込めて、やっていく」を胸に、その時々の与えられた役割に徹したい。それが仕事をする動機だと思う。
今なら進路指導でも、「将来は何になりたい?」の質問でも、堂々と言えそうかな(笑)「なりたいものはヨーギーです」

野口美香