「人には親切でありたい」「困っている人がいたら助けたい」 一見当たり前のことですが、常にそうあり続けることはとても難しく感じます。例えば、自分の心身が疲れて余裕がなかったり、また相手が苦手なタイプの方であったり、それだけですぐに人を思いやるどころではなくなります。師シュリー・マハーヨーギーと出会う以前の私は、それは人間の性なのだからしょうがないと思っていて、そんな自分に対してもこの世の中に対してもうんざりしていました。そんなこんがらがった心模様を師は一掃し、希望の光を見せてくださいます。『マハーヨーギーの真理のことば』第十章より引用させていただきます。
エゴと無知がある限り、私たちがこの世で生きている時には他者を犠牲にしている。他者を犠牲にしながら、そして自分だけ良くあろうと、自分のために他者を犠牲にするというのが一般的なあり方です。これは今も言ったようにエゴと無知がそうさせているわけで、他者を傷つけて、あるいは犠牲を強いていても平気なのが無知。
でもヨーガを深めていった時には、他者ではなくて自分のこの体と心を犠牲にして、他者のために行為することができる。自分を犠牲にしようとか、するとか言っている間は、まだ本当の自己犠牲はできないかもしれない、それもまだ訓練中かもしれない。出来上がってしまえばもう何の計らいもなく、極めて自然なかたちで他者のための行為だけが為されていくようになる。
師の教えに触れ、生き方を変えたいと願いカルマ・ヨーガ(献身奉仕のヨーガ)に取り組むようになってから、奉仕にそぐわない自分本位な思いが心に湧くとそれに気づくようになりました。湧き出た思いを振り払い、とにかく奉仕の実践に沿った言動を行ない続けます。それは1日1日が地道な努力の連続です。それでも師のお言葉が困難を超えていこうとする力を与えてくださいます。
ただ、本当に百パーセント全身全霊でもって他者だけを見つめること。自らを顧みるとか、自らのことに気付くような一パーセントも持ち合わせていない。
奉仕におけるヨーガにおいては、他者の中に神を見ること、ただそれだけです。単純だけれど、その思いで心を満たしておかなければ、またできないことです。
師のお言葉からは、その背後にある相手を思いやる優しさや限りなく大きな愛がひしひしと伝わってきます。この本(『マハーヨーギーの真理のことば』)全体を通して全てのお言葉が、相手のために、相手の立場に立って、相手に伝わる話し方で語られていて、そこには師ご自身の自分の都合は一つも見つけられません。師が自らの身をもって本当のカルマ・ヨーガのあり方を見せてくださっているのではないでしょうか。
奉仕への取り組みはその人を自分中心のむなしい生き方から引き離し、神様だけを見つめて生きる機会を与えてくださいます。それはこの世の中で何よりも幸せなことなのだと思います。そして師のお言葉が道を指し示してくださいます。どんな状況の中でも他者の中に神様だけを見つめて、よりいっそうカルマ・ヨーガに励んでいこうと改めて決意させていただきました。
船勢洋子