ヨーガは、真実に目覚めるための数千年の古代から伝わる霊的な道です。ヨーガを学ぶには、ヨーガを成就したグルが不可欠です。言葉を超えたグルの導きは、道を歩もうとする私たちにとってはかけがえのないものとなります。サットサンガ(真理の集い)とは師を囲んでの神聖な集まりのことであり、師から直接教えを授かる最も大切な学びの場として位置づけられています。
12月から―古代から伝わるヨーガの真髄―師の直接指導によるアーサナ・瞑想クラスが始まりました。その後行なわれたサットサンガでは、アーサナの質問が相次ぎ、師から貴重な教えをたくさんいただきました。師は、まずアーサナは毎日行なってください。二つ、三つするだけでもやっていくと違いますよとアドヴァイスをくださいました。
クラスではアーサナを中心に体得していきますが、ヨーガ全体の中でみるとアーサナは限られています。日常の中での心の使い方、身体の使い方、行為というものがカルマとなっていきますので、単純なことですけれど、ヤマ・ニヤマの実践が大切になってきます。
ヤマ(ヨーガ的禁戒) 非暴力 正直 不盗 純潔 不貪
ニヤマ(ヨーガ的勧戒) 清浄 知足 苦行 聖典の学習 自在神への祈念
例えば、非暴力(アヒンサー)というのは、他の動物、すべてのものに対して、何ものも傷つけないということ、また正直(サティヤー)というのは、誠実であるということ、こういうことを行なっていくことが、全体の行為を良くしてくれることになります。日常も心して行為してほしいと思います。アーサナはより良い行為をしていくための力となり、身体と心の浄化を施してくれます。日常の行為とアーサナによって全体にヨーガが深まっていくはずです。
そして師は、ヨーガを深めていくことでヨーガ行者の身体になっていくとも教えてくださいました。
この世界はあらゆることが二元性をもっています。快・不快、好き・嫌い、暑い・寒い、ヨーガを行じていくとそういうものがどちらもがなくなっていき、二元性を超えていくことになります。身体に関してもあってないかのような状態になります。病気になれば身体は痛みを訴えてきますが、直ったら訴えはなくなります。また心が何かを訴えるということは心に病気があるに違いない、それらを癒すために真理の教えがあります。真実がその病を癒すのです。心を本来の無垢なないかのような状態にしてくれます。簡単な話でしょう?
師は、私たちの心と身体について、心も身体もあってないかのような状態が本来の状態なのだと、分かりやすく教えてくださいました。ヨーガによって、私たちは心や身体が抱え込んでいる重い荷物をどんどん捨て去っていくことができるだと思いました。
そして師は
必要なのは熱意です
と教えてくださっています。私たちはなんのためにアーサナをしているのでしょうか。自分はどうなりたいのか、自分のなりたい理想とする姿を具体的に思い描き、しっかりと意識し、その実現を目指すことが、熱意となって私たちをさらに進ませてくれるのだと思いました。
ダルミニー