その他聖者」カテゴリーアーカイブ

ナーグ・マハーシャヤ

松山でのこと、ヨギさんはある方の質問に対しておっしゃいました、「謙虚さがなければ、ヨーガは進めていくことができません」。

8月21日は、その謙虚な心で知られた、シュリー・ラーマクリシュナの弟子であるナーグ・マハーシャヤ(1846−99年)が誕生された日です。彼の生涯は『謙虚な心』という比較的小さな書籍に記されています。私たちはその本から、ナーグ・マハーシャヤという尊き家住者が、燃え上がるような情熱を持って心の中に謙虚さを築き上げていった、その生涯を知ることができます。 

「謙虚さ」とはどのようなものなのでしょうか。初めてこの本を手にした頃、私は「謙虚さ」という言葉に、静かで穏やかなイメージを持っていました。ですので、この本を読み始めて、驚愕してしまいました。ナーグ・マハーシャヤは、自分の心の中に良くない感情を見つけると、石などで自分の頭を打って血だらけになってしまうのです。そればかりか、自分のために炎天下で働く人々を見ていることができず、屋根修理の職人に対して仕事を止めるように泣き叫んで懇願し、自らを打ち始めます。いったい、これは何なのでしょう、頭を打つのが謙虚さなのでしょうか。それが最初の感想でした。

けれども、少しずつヨーガを学んでいくにつれて、常軌を逸しているように見えるこれらの行為の意味が少しだけ分かってくるようになります。本の中では、ナーグ・マハーシャヤと親交深いギリシュ・バーブがこのように言っています。

「常に打ち続けることで、ナーグ・マハーシャヤは、自我の頭を粉々に砕いた。何を持ってしても、彼の自我の仮面を蘇らせることはできなかった」

つまり、ナーグ・マハーシャヤはあらゆる方法を使って、自分の心から「私」と「私のもの」を破壊し続けていたのです。謙虚な心とは、静かで穏やかな状態なのかもしれません。けれども、その状態に至るためには、こんなにも激しく「私」を打ち砕いていかなければならないのでしょうか。

頭を打つだけではなく、ナーグ・マハーシャヤは積極的に他者に奉仕することによって、心から「私」と「私のもの」を追放します。その奉仕も尋常なものではなく、自分が飢えたり、借金することになってしまっても、当然のように、困っている人々にお金や食べ物を与えました。雨季、雨漏りのないたった一つの部屋に来訪者を泊まらせ、彼と彼の妻は、玄関で瞑想と祈りに一晩を過ごしたといいます。あるいは、やはり雨季に、彼を慕ってやってきたずぶぬれの信者のために、食事の準備に必要な燃料として自宅の棟木を切ってしまうのです。家を破壊する白アリにも愛情を注ぎ、追い出すことなく保護します。いったいどうして、ここまでして彼は、「私」と「私のもの」を破壊し、あるいは謙虚な心を持つことを選んだのでしょう。 

実は、ナーグ・マハーシャヤの献身的な性質は、シュリー・ラーマクリシュナと出会う以前から顕著だったようです。彼は、いつでも困っている人を喜んで助けたといわれています。ただ、それでも彼には大きな悩みがのしかかっていました。神に会いたい! 彼は信仰深い一生を送りたいと願っているのに、妻もいて、仕事もしています。そうした足枷から自由になり、神に会うためだけに生きたい。彼はそう悩んでいたようです。

ですから、ナーグ・マハーシャヤが初めてシュリー・ラーマクリシュナと出会ったときは、もうどんなにか感激して、興奮したことでしょう! 最初の出会いが「彼の興奮した心に献身の炎を燃え上がらせた」と、本には書かれています。そして、そのように燃え上がる心を抱えて、翌週再びシュリー・ラーマクリシュナに会いに出かけたのです! そのとき師は彼に「あなたの霊的な進歩については何一つ恐れることはない。あなたはすでに、非常に高い状態に到達している」とおっしゃいました。その後、彼の放棄の姿勢は、先に書きましたような、通常の人々には理解し難く、常軌を逸していると思われるほど強烈なものとなっていったのです。

「私」と「私のもの」を心から放逐してきたナーグ・マハーシャヤの心には、他者あるいは「あなた」しか残らないのでしょう。そして、シュリー・ラーマクリシュナとの出会いによって、そのあなたは神であり師に他ならないことを知り、そうして万物の中に神を見て、神の召使いとして生きることになったのでしょう。実際に彼は「もし彼が、『なぜ手を合わせているのか』と、尋ねられると、『あらゆる所、そしてすべての存在の中に、イシュタを認めるからです』と答えた」そうです。そのような心のあり様こそ、本当の意味で謙虚さなのだろうと思います。

 

「神はまさに願望成就の木なのです。神は、我々が望んだものは何であれ、与えます。しかし我々は、生死の輪廻へ再び引きずり込むような願望を、欲するままに求めてはなりません。人は、神の神聖な御足に対する揺るがぬ信仰と、神御自身の真の知識をお与え下さい、と主に祈願しなくてはなりません。ただそうすることによってのみ、人は世界の汚らしい枷を逃れ、神の恩寵を通して自由を獲得するのです。世俗的な目的を欲すれば、それに付随する害悪も引き受けなくてはなりません。神の瞑想と、神の信者たちとの霊的な交わりに、ときを捧げる者だけが、災難と惨めさに満ちたこの世界を越えることができるのです」

『謙虚な心――シュリー・ラーマクリシュナの弟子ナーグ・マハーシャヤの生涯』より抜粋

「私」と「私のもの」を放棄し、神だけを求めながら、真理の教えを誠実に守って慎ましく、謙虚に生きていくことができますように。そして、そのために必要な、狂わんばかりの情熱を持つことができますように。

笹沼朋子


スワーミー・ヴィラジャーナンダ

私がヨーガを始めたばかりの頃、熱心に読み込んだ本の一冊が『最高をめざして』です。
353の短い教えが書かれているため、パッと開いたところから読め、ちょっとした空き時間に手に取ることができました。また、著者の厳しさの中に愛が溢れる快活な教えは受け入れやすく、私の落ち込んでいた心がたった数行の言葉に鼓舞され、読後に別人のように晴れやかになることがあり、本当に驚きました。それもそのはずです! 19世紀インドの大覚者シュリー・ラーマクリシュナの最高の叡知を受け継いだスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(以下スワーミジー)の直弟子がこの本の著者、スワーミー・ヴィラジャーナンダだからです!

スワーミジーが西洋諸国を大胆に駆け巡り、シュリー・ラーマクリシュナの尊い教えを広めた偉業はインド中に知れ渡り、民衆は歓喜に湧き立ちました。スワーミジーご帰国の数年前から、僧院ですでにシュリー・ラーマクリシュナの直弟子たちと修行に励んでいたヴィラジャーナンダはスワーミジーに会うことをどれほど待ち焦がれていたでしょう! スワーミジーは国外にいる時から兄弟弟子や僧院の若者たちに何度も手紙を書き、個人的な幸福を追求するのではなく他者のために生き、シュリー・ラーマクリシュナの教えを人々に伝え広めるよう鼓舞し続けていたのです。そして、帰国後のスワーミジーからヴィラジャーナンダという名前をいただいた彼は、師の教えを心の底から敬い、師を喜ばせ満足させようとひたむきに奉仕を続けました。

本日、6月10日はヴィラジャーナンダ(1873~1951)がお生まれになった日です。彼の生涯はまさにスワーミジーの次の言葉を真剣に受け止め実践したものでした。

「自分自身の救済を求めれば、地獄に堕ちるであろう。至高の境地に達したいのであれば、他人の救済を追求しなさい」

ヴィラジャーナンダの働きは多方面にわたり、災難に苦しむ人々の救済活動、『スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ全集』(全集の大部分は彼の講演における筆記録、その他は彼による文書、手紙、会話の記録など)第一巻~第五巻までと、東西の弟子たちによる『スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ伝』全四巻の資料収集、編集、および出版に尽力しました。
またヴィラジャーナンダは、彼の大勢の弟子たちのために霊性の問題に関する彼の考えや経験を心に浮かぶままに書き留めていました。弟子たちにせがまれ、それらをまとめてベンガル語で出版し、さらにベンガル人以外の弟子たちの要望によってヴィラジャーナンダ自身が英訳し出版、彼が76歳の頃です。その日本語訳が『最高をめざして』です。

最後にグル(師)について今も最も心打たれる教えを本書より引用し、この通りに歩むことでグルのお導きに感謝を示していきたいです。

「人は霊性の世界で、グルへの心からの帰依と信仰がなければ進歩することはできない。決してグルの言葉を疑ってはいけない。それはヴェーダまたは諸経典の言葉と同じように神聖なものであると知れ。もしあなたが真理を悟りたいと思うなら、グルの助言に完全に従うよう努力せよ。今生にも来世にも、あなたのグルほどにあなたのことを思ってくださる人はないのだ、ということを知れ」

スワーミー・ヴィラジャーナンダの御写真。ベルルマトから許可をいただき、そのホームページよりお借りしたものを掲載しております。

アーナンディー


「私を愛している?」

黄緑色だった若葉も濃い緑に変わり初夏の陽気を感じます。生い茂る木の下を通ると、葉と葉の間から届く満ち足りた光や空気に、気持ちがスーッと静まります。
以前よく一緒に歩いた目の不自由なおばあさんが、建物の陰と木の陰とでは心地良さが全然違うから見えなくても木の陰に入ったらすぐに分かるわ~とよく仰っていました。それまで私は木の陰よりも建物の陰の方がしっかりした陰で涼しいのでは?と思っていたのですが、意識して感じてみると本当に仰る通りで、なるほど!と一緒に喜んだものでした。また、おばあさんは整備された歩きやすいアスファルトの道よりも不安定で危なそうな河原や砂利道などを好まれる方で「土とか石のデコボコ道の方がしっかりと踏み込んで気ぃ張って歩ける。天然の足裏マッサージみたいで気持ちいい~」とも言われていました。私の固定観念を次々と壊していただき(笑)自然を感じて豊かに生きる、ということを実地で教わった方でした。自然に抗わずその時々を楽しまれ、また暮らしぶりや持ち物が驚くほどシンプル身軽で、闊達な方で憧れでした。今も木陰に入ると、あのおばあさんのクシャっとした笑顔が浮かび嬉しくなります。

大きな木陰

包み込まれるような大きな木陰

ところで、まだ福祉的な仕事とは無縁だった頃、目の不自由な方に拙い道案内をしたことがありました。その時、お相手がとても素朴であたたかい感謝を示されたため、その御恩をお返ししたくて、しばらく気持ちがずっと落ち着きませんでした。どうすればいいのかが分からなかったからです。でもその時、以前に『パラマハンサ』(機関紙)の紙面で読んだ『ホーリー・マザーの生涯』からの大好きなお話に導かれるように私はある方法を見つけられました。これからは道で出会った目の不自由な方へ、みんなへ同じようにしていこうと。
時には、さまざまな事情から会いたくても会えない人や状況があるかもしれません。人とは本当に一期一会だなと感じます。そのお相手には直接出来ないことを別の方へ、他のみんなへ、同じようにする、ということを意識するようになりました。

きっかけとなったホーリー・マザー(ラーマクリシュナの御伴侶であられたサーラダー・デーヴィー)のお話はこんなお話です。


たいへん手のかかる家庭の厄介者だったという女の子が、お母さんと一緒にホーリー・マザーをよく訪ねていました。女の子はホーリー・マザーが大好きでしたが、ある日ホーリー・マザーが別の場所へ発たれる日が来て、少女へおっしゃいます。

いい子ね、私のところに来るようになって、もう随分になりますね。私を愛している?

「はい、とっても。大好きです」

どれくらい?

女の子は思いっきり両腕を伸ばして言います。「これくらいよ」

・・・遠くなってしまっても、それでも愛してくれる?

「はい、同じように愛します。忘れることはありません」

どうしたらそれが分かるかしら

「マザーに分かってもらうには、どうしたらいいかしら」

もしあなたがお家の人をみんな愛することができれば、私を愛してくれていることもきっと分かるわ

「分かったわ。家族のみんな愛します。わがままはもうやめにします」

それはとっても良いことですよ。でもあなたが分け隔てなくみんなを平等に愛するってことが、どうしたら私に分かるかしら

「みんなを等しく愛するにはどうすればいいの」

平等に愛するには、愛する人々から何も求めないことですよ。もし求めれば、もっとたくさん与えてくれる人とそうではない人ができるでしょう。そうなれば、もっとくれる人たちを好んで、少なくしかくれない人たちは愛さないということになってしまうわ。そしてあなたのみんなへの愛は平等ではなくなってしまうでしょう。偏りなく皆を愛せなくなってしまうわ

少女は何の見返りを求めることもなく、みんなを愛することを約束したそうです。

*参考・引用:『ホーリー・マザーの生涯』


2020年にコロナが蔓延し始めサットサンガ(真理の教えを問答形式で学ぶ場)もお休みになり、マスク生活で息を潜めるように過ごした3月、コロナ禍で初めての『パラマハンサ』が郵便で届きました。サットサンガの記事に、いちばん聞きたかった師のお言葉がありました。

質問者「ヨギさんのことはとても好きですが、自分のことをもっと愛していることに気付きました。このような自分は嫌です。どうしたらいいでしょうか」

師「そうして気付いたことは良かったです。これからはそれを改めていけばいい。そして本当に私を愛しているのならば、あなたの周りにいる人たちを愛して、奉仕してください

師のお言葉は、ホーリー・マザーのあのお言葉と全く同じものに感じ、以来、大切な指針となっています。ホーリー・マザーが少女に仰った「私を愛している?」。その問いかけは、その時々の目の前の人、一(いち)なる「あなた」からの声なのかもしれません。

長岡京の花

クラスへ行く道すがらの一期一会

 

 野口美香 


『あるヨギの自叙伝』を読んで(10)ーーアーナンダマイー・マー

今回のブログは、ベンガルの“至福に浸る聖女”アーナンダマイー・マーをご紹介します。

中央がアーナンダマイー・マー。向かって左が夫のボーラナート。

ある意味、『あるヨギの自叙伝』の中でもっともインパクトのある写真だと思います(笑)。アーナンダマイー・マーはヨーガーナンダを見るなり、「まぁ、パパ様! ようこそおいでくださいました」といかにも懐かしそうにそう言ってヨーガーナンダに密着し、その突然の行動に彼女の信者たちも驚愕したそうです。この写真はその初対面の時に撮られたもの……
こんなに自由で愛らしい彼女とは、いったいどんな御方だったのでしょうか?

アーナンダマイー・マー(1896−1982)は東ベンガル(現バングラデシュ)の小さな村の出身。両親はヴィシュヌ派の熱心な信仰者でしたが裕福な家庭状況ではなく、彼女は小学校に2年も満たないほどしか通えませんでした。しかしながらそこに暗い影はなく、ハーシ・マー(微笑みの母)、クシール・マー(幸せの母)と近所の人から呼ばれるほど彼女は朗らかで愛らしい気質でした。ただ、幼い頃からしばしば恍惚の状態になっているのを目撃されています。
当時の習慣に従い、13歳に満たない年で結婚します。その5年後に夫と初めて会い、後に夫はアーナンダマイー・マーの弟子になります。
彼女御自身にはグルはおらず、内なる導きのまま毎夜激しいアーサナをし、マントラを数時間唱え、また自らで自らをイニシエーション(師が弟子の入門を許可するときの儀式。秘法の伝授)するなど、通常では考えられない霊性の歩みをしています。彼女のこうした内なる導きは「ケヤーラ」という自然発生的行動、また神の御意志と言われているものです。ヨーガーナンダと初めて会った時の無為自然な振る舞いも、このケヤーラということですね。

その後、アーナンダマイー・マーの存在は世間に知られるようになり、カーストや宗教、国籍を越えて多くの人々を至福へと導き、霊的祝福を与え続けました。
政治的なことをはじめ、自身の肉体的なことなど全く意に介さなかった超俗性の持ち主ですが、それが単なる浮世離れではないことは彼女の残された教えから明らかです。その教えに触れると、「人としてどう生きるべきなのか?」という人間のもっとも根本的なことに立ち還る必要性に気付かされるのです。

「多くの人々が、新しいよりよい世界をつくることをいろいろ考えています。しかしあなた方は、そういう現象的なことよりも、もっと根本的なものに目を向けなさい。それを瞑想するほうが、完全な平和を期待することができます。神や真理を求めることこそ、人間の義務です」
『あるヨギの自叙伝』P474

義務を意味するサンスクリット語「ダルマ」には正義、徳がありますが、「真理」という意味もあります。社会や国という環境下において義務や正義、善行を果たすことはもちろん大切ですが、そういった枠組みを外したありのままの人としての義務ーー「普遍の真理(神)の探求・実践」こそ、恵みに満ちた神の御足下(地上)に生まれ生かされている人間の根源的義務であると彼女は教えてくれます。そして、その義務を行為していくことは決して堅苦しいものではなく、何より人に完全な平和ーー「永遠の至福」をもたらしてくれることを彼女の微笑みが物語っています。

『あるヨギの自叙伝』の中でヨーガーナンダは、アーナンダマイー・マーの目が片時も神から離れていないことに驚いたと述べています。そして今なお、彼女の甘美な声がありありと聞こえてくると述懐しています。

「ほら、永遠なるおかたといっしょの私は、いつも同じでございます」

4月30日はアーナンダマイー・マーの御聖誕日です。至福の母であり女神であられる彼女に思いを馳せたいと思います。

*参考資料 『シュリ・アーナンダマイー・マーの生涯と教え』アレクサンダー・リプスキ著

ゴーパーラ


マザーに憧れて

キールタンの中に、Bhajamana Ma(バジャマナ・マー)という曲があります。

おお 心よ 母を讃えよ 
母よ 母よ 母よ 母よ 
歓喜に溢れる母よ 至福に満ちている母よ 
至福の姿をとられた母よ

この曲を歌っていたある時、ラーマクリシュナはマーのことをこの曲のように思われていたのではないかなと思うことがありました。そして、今はこの曲を歌うと、自然とサーラダ・デーヴィーのことを思います。

バクティ・サンガムでサーラダ・デーヴィーのことを教えていただいてから、その存在にとても惹かれ、二冊の書籍を購入しました。ラーマクリシュナの聖なる妻であられたサーラダ・デーヴィーは、師の弟子や信者から愛情と尊敬を込めてホーリー・マザー(聖母)と呼ばれておられました。私も密かに「マザー」とお呼びしています。そして、ラーマクリシュナご自身もサーラダ・デーヴィーの汚れのない純粋さを確信され、聖なる母として正式に礼拝を捧げられたことも記されていました。

マザーがどれほど強い信仰をお持ちだったか。どれほど深く大きな愛をお持ちだったか。私には到底計り知ることはできません。けれど、私はマザーにとても憧れます。ラーマクリシュナもお認めになられたような存在でありながら、マザーは生涯変わらず慎ましやかであられました。ラーマクリシュナの男性の弟子が増えてお側に仕えるようになった頃、彼らの前に出られないほどはにかみ屋で控え目であられたマザーは、ニ、三十メートル程のところにお住まいになりながら、ラーマクリシュナにお会いできない日が時には二カ月も続きました。マザーはラーマクリシュナにお会いしたい気持ちを堪え、ポーチの仕切りの小さな穴の後ろにたたずみ、ラーマクリシュナの歌声に耳を澄ませられました。そうして何時間も立ちっぱなしになられたためにリューマチを患われたこともありました。

また、ラーマクリシュナを愛し、常に拠り所にしておられました。どのような状況にあっても師の教えに誠実であられました。そしてマザーは教えてくださっています。

”平安を望むのなら、誰の欠点も探らないことです。
自分の欠点を調べなさい。
世界を自分のものとすることを身に付けなさい。
子供よ、誰ひとり他人はいません。
全世界があなたのものです”

日常でその教えを思い起こすと私の中の高慢な思いはすぐさま力を失います。ヨギさんは、マザーのことを「泥池に咲く蓮の花のような人」とおっしゃったそうです。
今いる場所で、マザーを見倣い、熱心に実践を続けたいと思います。

いつでもマザーを思うことができますように。
携帯の待ち受け画面もマザーのお写真にしています。

藤原里美  


揺るがない信頼

暑さがまだまだ厳しく、口を開けばついつい暑いと言ってしまいがちですが、そんな中でも季節の楽しみ方がありますよね。私は、暑い中、道を歩いている時何処かの家から聞こえてくる風鈴のさわやかな音が耳に入って来た時や、夏の昼間に飲むアイスコーヒー、夕日の沈む美しい空のグラデーションを見たり、夕方ひぐらしの鳴き声を聞くと、さっきまでの暑さを忘れ心がホッとし落ち着きます。

愛媛松前町にある高忍日賣(たかおしひめ)神社の風鈴回廊。ここは全国唯一、産婆、乳母の祖神である高忍日賣大神をおまつりする神社だそうです。風鈴のさわやかな音色が夏の暑さを緩ませてくれます。

こんな風に日々心穏やかに過ごしたい。しかし、一日の大半の時間を過ごす職場では、なぜこんなにも心が動揺しその場の状況に翻弄されていくのでしょうか…。

その日も仕事中に周りの人の会話が耳に入ってきました。周りから聞くと威圧感があるような、その言葉は、本当にその相手の事を真剣に考えて発している言葉なのか?
傷つける行為ではないのか?
私の心は、その言葉を発した人にピッタリとくっつき、心は大きく動揺し、その人に対するどうにもならない思いを募らせていくという出来事がありました。
悶々とした日々が続く中、以前ゴーパーラさんのブログでも紹介されていた、ブラザー・ローレンスの『敬虔な生涯』を昼休みに開けてみると、ある一節が目に飛び込んで来て、はっ!としました。

ある日、私(修道院長のヨセフ・ド・ボーフォール)は深い考えもなく、ある重大な問題を彼(ブラザー・ローレンス)に話しました。それは、彼が深く心にかけていたことで、長い間、その為に労してきたことでした。それが成就せず、提案に反対する決議がされたのです。この事に対して、彼は淡々と答えてました。「このように決めた人には、それなりの理由があるのでしょうから受け入れなければなりません。後はただ、それを遂行するだけです。もう何も言うべきではありません。」実際に彼はその通りにしました。実に完全に。それ以降、それを取り上げる機会はいくらでもあったにも、かかわらず、彼はひとことも口にしませんでした。

『敬虔な生涯』より

私の場合、その人が発した言葉にもそれなりの理由がある事など全く考えず、それでいてどうにもならない自分の感情に何の意味があるのか…。
この状況で自分に出来る事は、お互いが良い方向に向かいますようにと祈る事。それしか見つからず気持ちを切り替えるようにしました。
と、同時にブラザー・ローレンスの、感情に流されず決めた事を貫く意思の強さ、そこに近づきたい。そう感じました。

愛媛県伊予市 伊予五色浜海岸

会社では人それぞれの立場が違います。その為自分の意見や考えが正当だとは限りません。
自分というあやふやな目線から見るのをやめてみるように心掛けてみました。
また、その方から心を離すようにしてみました。
心が言葉や態度に反応して、行こうとする度に引き戻す。

これは、今現在も実践中ですが、心を執着している事から離していくと、留まる事が身についてきたように思います。
今までの心の習慣を変える事は上手くいったりいかなかったりの日々ですが、ここで働く時間どう過ごしていくかを考えたとき、師がいつも私たちをそう見てくださっているように、どんな状況であってもその人の中にある尊い存在だけを見ていきたい。と強く思うようになってきました。

また師は松山特別サットサンガでこうおっしゃっていました。

一人で部屋の中でアーサナや瞑想をしているのは、まだ練習にすぎない。やはり、さまざまな自然界の中で、人の中での出来事の中で、自分の心がどれほど落ち着いていられるか、そこでヨーガが試されている。

シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

苦しい時、実践が思うように進まず行き詰まった時、師のお言葉や聖典の教えは、その苦しみが瞬時に取り除かれるよう導いてくださいます。ヨーガを学び始めてこの10年、何度もそのような体験をさせて頂きました。
その度にヨーガに対する揺るがない信頼、それが培われてきたように思います。
心の動揺に振り回される事を恐れずに、日常は本番だと思い、どんな場面でも心を落ち着かせヨーガを深めていきたいです!

地元伊予灘サービスエリアから見る夕日。松山市界隈がとても綺麗に一望出来る場所です。

玉井眸


ブラザー・ローレンスの教え〜神との対話〜

最近、複雑な問題に直面し、その答えを求められることがありました。
いろんな人の立場が絡まる問題であったので、答えを出すのが難しいと感じ、どうしようかと考えていました。
そんな時、私はブラザー・ローレンスに出会い、彼の信仰心にとても感銘を受けていました。
彼の実践の特徴の一つが「神との対話」です。

「私たちは何をするにも、すべてのことを主に相談する習慣を作らねばなりません。そのために、神と絶えず語り、自分の心を神に向ける努力をしなければなりません」

私は彼に倣い、瞑想の時にその問題を神へ相談しました。
そうすると突然「光」が見え、「光あれ」という言葉が自分の内側から出てきました。
その時私は、「そうか、自分が答えを出すのではなく、ただ光のようにあれば答えが照らし出される!」と感じ、自分のするべきことが示されたように思いました。
その直後、期せずして次から次へとその問題に関する出来事が起こりました。
私はただ光のようにあることを心掛け、淡々とその事象に対応し、そうすることで複雑に見えていた問題の答えが自然と照らし出され、無事に解決に至りました。

ブラザー・ローレンスはおっしゃいます。

「神は決して私たちに大きなことを望んでおられるのではなく、私たちがすべての時の瞬間瞬間をわずかでも神をおぼえ、神をあがめ、神の恵みを求めて祈り、私たちの苦しみを打ち明けて語り、神がすでに与えてくださった恵みや、今、試みの中に与えてくださっている恵みをおぼえて感謝するのが大切なことだと思います。神が求めておられるのは、あなたができるだけ多くの時に、神を自分の慰めとすることなのです」

私は、ブラザー・ローレンスを通して問題の解決に至ったことを、神に感謝しました。
でも改めてこの教えを読んだ時、もっと大切なのは「結果に執らわれず、どんな時も神をおぼえ、あがめ、祈り、神の恵みに感謝すること」であると、さらにまたブラザー・ローレンスから教わったように感じました。

「世の光」であられたイエス・キリスト。

ゴーパーラ


オンラインで「理想の聖者」について語らう!

6月に入りましたが、皆さま、いかがお過ごしですか?
こちら京都は緊急事態宣言が再々延長され、私の住む嵐山は観光客も少ない状況です。
そんな中ですが、5月は多くのグルバイ(仲間)とオンライン交流をしました!

「フォカッチャの会」では愛媛、金沢、和歌山、また台北のグルバイと楽しく有意義な時間を共有しました。

また、ニューヨーク・ミッションで行なわれている「Study In Practice (SIP)」にも3回続けて参加させていただきました。

「学ぶことを学ぶ」がテーマのSIPは、余談なしの真剣な勉強会で、終始ヨーガの話が展開されます。
「ヨーガは知識ではなく実践、そして体得」
そう師は教えられますが、「どうしたら知識ではない学びができるのか?」「自分の偏った考えに陥らずに学べるのか?」「どのようにヨーガの教えを日常に結び付けられるのか?」といったことを話していきます。
会に参加する中で、私自身改めて感じたのは、やはり「学ぶ」には「理想の存在」が必要不可欠だということです。
「こうなりたい」「こう生きたい」「こうすればいいんだ」という気付きや道標が、理想の存在を見つけることでより明確になるーー
つまり、理想の存在を持つことで、学び、見倣うことがより実際的になされ、修行者の大いなる助けになると思ったのです。

SIPに参加した数日後、フォカッチャの会のヨーガ・トークスの時間には、皆さんと理想について話をしました。

参加したグルバイたちは、それぞれ理想の聖者をもっておられ、そこに近づく努力をされていました。
以下、要約したものをご紹介します!

神に対してひたむきで真っすぐなスワーミー・アドブターナンダが大好きで理想としていますが、私は以前、人間関係に悩み、部屋で声を押し殺してよく泣いていました。そんな時、アドブターナンダのエピソードを読みました。「人気のないところに行き、泣いて神に祈らなければならない。その時に初めて、彼はご自身をお示しくださるだろう」というシュリー・ラーマクリシュナの教えを実践していたこと、「彼はこの世の何事にも頓着せず、人生の唯一つの関心ごとは師にどのように忠実にお仕えするかということだった」、これらに衝撃を受けました。「私は自分のことばかり考えて自分のために泣いている。こんなばかばかしいことは、もうしたくない!神を求めて泣きたい!神に対して誠実に真摯に生きたアドブターナンダのようになりたい!」苦しい時だったからこそ、真逆の生き方をしていたことに気付き、より深く心に響き、理想に生きたいと心底思うことができました。

・昔から闘う女性に憧れている自分がいて、その性質を棄てるのではなく、ある時から生かそうと思い、闘う女性の究極に女神カーリーを見出しました。また理想の聖者は、煉瓦に頭をぶつけるぐらい狂っているナーグ・マハーシャヤ、それしかないと思っています。

・以前、理想(の聖者)を決めかねていた時、先輩弟子から「気楽に決めていいよ」とアドヴァイスをもらいました。理想って気楽に決めてええの?と戸惑いつつ再考……スワーミー・プレーマーナンダの伝記の一節「彼は骨の髄まで清らかだった」に触れた時、「私には無理だ」とすぐに自分でもびっくりするほどの拒否反応が出た事を思い出しました。そして、なぜそれほどまでに拒否したのだろうとその原因を探っていく中で、逆に清らかさに憧れをもっている自分に気付き、プレーマーナンダを理想としました。彼に近づきたいけれど近づけない。壁を感じていたのですが、つい最近、どうにかしたいと七転八倒していると、「プレーマーナンダ」という「名前と姿」を超えた言葉では表せない『何か』が理想であり、更にその先に師のヨギさんがおられるのを感じました。
プレーマーナンダの言葉、「まずはじめに全身全霊でひるむことなく誠実であるように試みることだ。過去、現在、未来におけるいかなる時も、真理は必ず勝利する」が大好きです。

・最近、ブラザー・ローレンスの『敬虔な生涯』を読んで、とても感銘を受けました。この人生を彼のように神への礼拝に生きたいです!

理想について話すのは、本当にいいですね。
とってもポジティブになれます!!

最後に、私の理想の聖者スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの最高に力強い言葉を紹介させていただきます。

皆さん自身の心にむかって、「私は彼である、私は彼である」とおっしゃい。歌のように、それを昼夜、心の中に響かせなさい。そして死の時には、「私は彼である」と宣言しなさい。それが真理です。世界の無限の力は皆さんのものです。皆さんの心を覆っている迷信を追い払いなさい。勇敢になろうではありませんか。真理を知り、真理を実践せよ。ゴールは遠いかもしれない、しかし目覚め、立ち上がり、ゴールに達するまで止まるな!

今こそ、内面へのヨーガを深める時ーー理想を見つけ、学び、近づき、一つになる時だと感じます!!

誰かが間違ったボタンを押したら、こんな画面になりました。

ゴーパーラ


『あるヨギの自叙伝』を読んで(9)ーーブラザー・ローレンス

ブラザー・ローレンスという聖者をご存知でしょうか?
『あるヨギの自叙伝』に、彼のことがほんの少しだけ紹介されています。

「17世紀のキリスト教徒の神秘家であったブラザー・ローレンスは、自分が初めて神の直接認識の境地をかいま見たのは一本の木を眺めているときであったと語っている。人はみな木を見ているが、木を見て木の造り主まで見た人はまれであろう」

たったこれだけの紹介でしたが、私は不思議とこの聖者に惹かれて、彼について調べてみました。
すると、「修道院の調理場や靴修理という身分の低い仕事をしながら、常に神と共にあった」ということが書かれていました。
私はそれを知った時、「私も仕事をしながらどんな時でもヨーガ(神)の境地に留まりたいのだ! 彼がどのような実践をして生涯を送ったのか、もっと知りたい!」と強く感じ、彼の談話と書簡が収められた聖典『敬虔な生涯』をすぐに購入しました。


100ページほどの聖典でしたが、ブラザー・ローレンスの素朴な言葉で語られる神への純粋な信仰に、私はただただ胸を打たれました。
以下、その彼の言葉を抜粋して紹介します。

「私たちが疑いの中にあるときにも、私たちが神をあがめ、神への愛をもって行動するという以外に何の野心も持っていないなら、神は必ず光を与えて下さいます。私たちの聖化は、私たちがすることを変えることによるのではなく、ふつう私たちが自分のためにしていることを、神のためにすることによるのです。多くの人々が、ある特定のことをしなければならないという思いに駆られつつも、さまざまな思い込みによってなすために、結局は不完全なことしかできず、それも、きまって手段を目的ととりちがえているのは悲しむべきことです。私の発見した神に近づく最上の方法は、神に従う生活の中で与えられた普通の仕事を、私たちのうちにひそむ人間的な要素から遠ざけつつ、できる限りを尽くして純粋に神を愛するために行なうことです」

「私たちの務めはただ神を知ることです。神を深く知れば知るほど、ますます神を知りたいという飢え渇きを覚えるものです」

「もし神が私を一瞬たりとも見放されるなら、私ほど哀れな者はありません。でも神は決して私を見放されないお方であることをよく知っています。私には信仰によって肌に感じるほどに強い確信があります。それは、私たちが神を捨てないかぎり、神が私たちをお見捨てになることは決してないということです。私たちは神と共にある者となりましょう。神と共に生き、また死ぬ者でありましょう」

神のご臨在と確信に満ちたブラザー・ローレンスの信仰心がありありと感じられる、なんと力強い言葉でしょうか!
私はこの『敬虔な生涯』を何度も読みましたが、その度に新しい発見と新鮮な歓びに満たされるのです。

では、ブラザー・ローレンスがどんな生涯を送ったのか、彼の言葉を軸に少し紹介したいと思います。

ブラザー・ローレンスは1614年にフランスで生まれ、キリスト教信者であった両親に育てられます。軍職に身を投じたローレンスでしたが21歳の時に負傷し、その時から神に身を捧げることを考えるようになります。正確な年代は不明ですが、おそらくこの頃に神の直接認識の境地を体験したようです。彼自身はこの体験を次のように振り返っています。

「ある冬の日、私は落葉して見るかげもない一本の木を見ながら、やがて春が来ると、その木に芽が出て、花が咲き、実を結ぶ……、と思いめぐらしているうちに、いと高き神の摂理と力とを魂にはっきりと映され、深く刻みつけられました。そしてこの世のことはすっかり心から消え去りました。この恵みを受けてから、もう40年たちますが、その時ほど、神への愛を強く感じたことはないと言えるかもしれません」

26歳の時、パリのカルメル会に助修士として入会し、その2年後に修道誓願を立てます。ローレンスは「自らを全く神に捧げ、神への愛ゆえに、神とかかわりのないものはすべて捨てる決意を固めた」のです。ただ、最初の10年は辛い時期を過ごします。苦手な台所の仕事を与えられ、仲間が彼を修道院から追い出そうとしたり、また内的な葛藤が彼を苦しめます。「自分が願っているように神のものとなっていないかという心配」、「いつでも目の前をちらちらする過去の罪」、また「神のいつくしみ」までもが嘆きの源であり(※神が与えてくれるもの、それは神そのものではないと拒んでしまう)、人間も理性も神すらも対抗しているように感じられるのでした。しかし、ローレンスはつまずき倒れてはすぐにまた立ち上がるという、「一度も神から離れたことのない者のように神の臨在を思う訓練」を繰り返し続けます。神への信仰だけが彼の側にあり、苦しめば苦しむほどますますその信仰が増し加わっていき、ついにその魂は神と結ばれる日がやってきます。

「私はさまざまな悩みと思い煩いで一生を終えるしかないと考えていた時、突如として私は、自分が変えられたことに気づきました。その時までずっと悩みの淵におかれていた私の魂は、奥深くに内なる安らぎを味わいました。それからは、単純に信仰により、謙遜と愛をもって神の御前に働くことができるようになり、神を悲しませるようなことは一つとして考えたり、言ったりしないようにしています」

ローレンスがこのように聖化されたのは神の愛はもちろんのこと、神以外のことを放棄する決意と不断の実践、その賜物だということは明らかです。
その後ローレンスは常に神のご臨在の中で生きることになりますが、彼の言葉を借りれば、それは「王よりも幸福な気持ち」であったそうです。

「私は神への愛ゆえに、フライパンの小さなオムレツをうらがえします。それが終わって、何もすることがなければ、私は床にふして私の神を礼拝し、オムレツを作る恵みを与えて下さったことを感謝し、それから、王よりも幸福な気持ちで立ち上がります。他に何もすることができない時、神への愛のためには、一本のわらを拾い上げることでも十分です。人々はどのようにして神を愛するかと学ぶ方法をさがしています。その人たちは、私の知らないいろいろな実際的方法を実行することによって、神への愛を得たいと願っています。さまざまな手段によって神の臨在の下に留まろうと苦労しています。それよりも、すべてのことを神を愛する愛のためになし、生活の必要の中ですべき自分のあらゆる務めを通して、その愛を神に示し、神と心を通わせることによって自分の内に神の臨在を保つことの方がもっと近道ではないでしょうか。複雑なことは何もありません。率直に、単純に、それに向かって行きさえすればいいのです」

さらに驚くことに、ローレンスは病の苦痛が最も烈しいときでさえ、一瞬たりとも辛そうな様子は見せず、喜びに溢れていたそうです。「痛みはないのですか?」と見舞いに来た修道会のメンバーが思わず尋ねると、「すいません。痛みはあるのです。わきが痛いのです。でも魂は満たされています」と答えるのでした。
そして最後に次の言葉を残し、ローレンスは神の身許へ召されたのでした。

「私は今、永遠になしつづけることをしています。神を誉め、賛美し、礼拝し、心を尽くして神を愛しています。他の何ものにも心を煩わされないで、神を礼拝し、神を愛すること、これが私たちのなすべき仕事のすべてですよ。兄弟たち」

私は今回、『あるヨギの自叙伝』を通して本当に素晴らしい聖者にお会いできたと実感しています。
宗教的偏見などは全くありませんでしたが、ブラザー・ローレンスによって初めて、私はキリスト教の信仰がすごく身近に感じられました。
またバクティ・ヨーガでは「神の御名を唱え、ただ神を愛する」ということが説かれていますが、バクティ(神への信愛)の思いもまた同時に身近に感じられました。

私の師であるシュリー・マハーヨーギーはよく次の言葉を言われます。

「愛とは捧げること、自らを他者の幸せのために与えることです」

ブラザー・ローレンスのように日々の生活の中で常に神を礼拝し、愛し、そして他者に奉仕することをしていきたいと私は今、強く思っています。

ローレンスの死後、霊的低迷期の時代にあって宝石のように光を放つ彼の生き方に深い感銘を受けていた修道院長のヨセフ・ド・ボーフォールが彼の談話と書簡を集め、本にまとめます。彼の存在はフランスでは忘れ去られますが、イギリスの地で本の出版が少しずつ重ねられ、世に知られることになったそうです。そして、ヒンドゥ教の多くの修行者もローレンスの本を読んで非常に感嘆しているという報告もあるそうです。こちらの本には、そのことが触れられています。

ゴーパーラ


『あるヨギの自叙伝』を読んで(8)ーーマハートマー・ガンディー

マハートマー・ガンディー
イギリス植民地支配からの独立を非暴力運動で勝ち取り、「インド独立の父」と称される彼の名を、誰もが一度は聞いたことがあると思います。

「剣を取るものは剣で滅びる」ーーこの聖書の格言が『あるヨギの自叙伝』のガンディーの章で引用されていますが、ガンディーは武器を取らず、掴んだのはインドの聖賢たちが太古より発見し培ってきた「偉大な叡智」非暴力でした。
ガンディーが生きた2度の世界大戦のあった激動の20世紀インドにおいて、イギリスの圧政・暴力は想像を越える厳しさだったと思います。
その過酷な状況下において、非暴力を実行に移すことは容易でなかったにもかかわらず、なぜガンディーはそれを貫き通せたのでしょうか?

今回『あるヨギの自叙伝』を読み返すと、ガンディーの揺るぎない非暴力の信念・信仰の根底には「ヨーガの教えと日々の実践」があったことがはっきりと分かりました。
『あるヨギの自叙伝』には、1935年にガンディーとその信奉者の住むアーシュラマにヨーガーナンダが数日間滞在したことが記されています。
そこではガンディーがヨーガを実践していたとは明記されていませんが、ガンディーの熱心な信奉者たちが立てたサティヤグラハ(真理を順法する)の11の誓いが紹介されており、それを読むと最初の5つがヨーガの基礎を成すヤマ(禁戒)そのものであることは明らかです。

「暴力を用いぬこと、真理に従うこと、盗みをせぬこと、禁欲を守ること、何物も所有せぬこと、労働をいとわぬこと、嗜好品をつつしむこと、何物をも恐れぬこと、いかなる宗教をも平等に尊敬すること、スワデーシ(自家製品または国産品)を用いること、非賎民を解放することーーこれら11か条の誓いを、謙譲の精神をもって守ること」

ヤマの教えを基本に、残りの6つの条項が加えられ、ガンディーとその信奉者たちが日々この教えを実践しているのでした。
アーシュラマでのガンディーの暮らしは至極シンプルです。
常に下帯一枚しか身に付けていない衣服、味覚と密接に関わっている性エネルギーの禁欲を実行に移すために嗜好品を排した菜食の食生活、また宿泊したヨーガーナンダの部屋は最小限度の手作りのロープ製のベッドが一つ置いてあるだけーーしかし、窓の外からは保護している牛の鳴き声や鳥のさえずりという牧歌的な豊かな自然の響きが調べを奏でていたことが記されています。
ヨーガーナンダ自身、「至るところに現れているガンジーの徹底した質素と自己犠牲の精神に心を打たれた」と述べているほどです。

「もし真の政治家になりたいのならガンディーを見よ」

現代の日本の老獪な政治家に対して私はそう言いたい。
国民に自粛を要請している中での高級クラブ訪問やステーキ会食、また女性蔑視発言などガンディーには無縁であります。

ガンディー(右)とヨーガーナンダ(左)。

余談はさておき、ガンジーはヨーガの実践によって自らを律し、真実という愛をインドの民衆、とりわけパリヤ(不可触民)に分け与え、カースト差別撤廃と宗教間の壁も取り払い、インド国民のみならずすべての人を平等に見ていました。
そんな母国とすべての人を愛したガンディーですが、その彼に多大なる影響を与えたのが真正のヨーギーであったスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(1863-1902)です。
ヴィヴェーカーナンダはインド放浪中、イギリスの支配により自信を喪失し怠惰に陥っていた民衆とその貧困の惨状に胸が張り裂け、インドに必要なのは「宗教でなくパンだ」と言い、西洋の物質科学を自国に持ち帰るべく海を渡り、西洋世界にはインドが古来より培ってきた真実の叡智を与え、インドのみならず世界をヨーガによって救おうと行動し、人類への奉仕に身を捧げました。
さらに、すべての宗教の平等ーー「それに至る道はさまざまだが、真実は一つ」という宣言を大胆にもキリスト教優位の西洋世界で臆することなく高らかに叫びました。
ガンディーはヴィヴェーカーナンダのすべての著作を読んだ後、「私の祖国に対する愛が何千倍も深くなった」と語っているほどヴィヴェーカーナンダから大きなインスパイアを受けています。

そしてこのインドの英雄ヴィヴェーカーナンダを生み出したのが、とりもなおさず彼の最愛の師シュリー・ラーマクリシュナでありました。
ヴィヴェーカーナンダは師を「ブラーミンの中のブラーミン」と讃え、自らが最上カーストのブラーミンであるという奢りを拭い去るために、夜中にこっそりとパリヤの家に忍び込み、自らの長い髪でトイレ掃除をしていたシュリー・ラーマクリシュナのその謙虚な生き様を「真似したい」「私のヒーロー」とまで言っています。

「もし神を実現したいのなら、謙虚な掃除人であれ!」

この言葉は政治家ではなく、自らに言いたい。
シュリー・ラーマクリシュナのこのトイレ掃除の驚愕のエピソードは、謙りの極みだと痛感します。
そしてまたガンディーのサティヤグラヒスの誓いが「すべて謙譲の精神でもって守ること」と記されているように、何を行なうにも謙虚さが最も大切であると教えてくれます。
『あるヨギの自叙伝』には、ガンディーは毎朝4時に起床し、神に祈りを捧げていたことが記されています。
以下、ガンディーの祈りと謙譲についての言葉です。

「祈りはわれわれに、もし神の支えがなかったらわれわれは全く無力である、ということを思い出させてくれる。どんなに努力しても、もし祈りを怠ったら、もし自分の背後にある神の恵みなしにはどんな努力も役に立たぬという明確な認識を忘れたら、その努力は完全とは言えない。祈りは謙譲への呼びかけであり、また、自己純化や内的探求の呼びかけである」

インド独立は、真理・神への不屈の信仰と謙譲の精神の持ち主であったガンディーの大いなるリーダーシップにより成し遂げられました。
そのガンディーの偉大な思想・働きは日々のヨーガの実践とヴィヴェーカーナンダの強力なインスパイアリング、そしてヴィヴェーカーナンダを育てたシュリー・ラーマクリシュナの存在によって生み出されたと言っても過言ではないと思います。
マハートマー・ガンディーの「マハートマー」とは「偉大な魂」という称号で、民衆が進んで彼に捧げたものであるそうです。
ガンディーという偉大な魂は、ヴィヴェーカーナンダとシュリー・ラーマクリシュナから受け継いだ魂であったのだと私は感じます!!!

最後に一言、ガンディーがヨーガを実践していたことは『あるヨギの自叙伝』を読んで再確認しましたが、私がそのことを初めて知ったのは、わが師シュリー・マハーヨーギーからであります。
またヨーガーナンダが1952年にロスアンゼルスでインド大使ビナイ・セン氏のために開いた晩餐会で演説した後にマハー・サマーディに入ったのは、「インド独立を見届けたから」という大変深い意味があってのことで、そのことも師から教えていただきました。

1998年10月のマハーヨーギー・ミッションのカレンダー。

※マハートマー・ガンディー
(1869年10月2日ー1948年1月30日)
イギリスで教育を受け弁護士となって赴任した南アフリカで、彼は人種差別を受ける。傷心の彼が故国で発見したものは聖賢の偉大な叡智だった。彼はそれまでの西洋思考や価値観、生活態度の全てを改め、ヨーガを実践する。その頃インドではイギリスからの独立運動が高まり、人々は彼をリーダーに推し上げた。彼が提唱したサティヤ・グラハ(真実と愛、あるいは非暴力から生まれる力)、スワデーシ(自力生産)、塩の行進等は民衆の心を動かしめ、遂にはインドを独立へと導いた。

ゴーパーラ