それがヨーガです!

さて、前回のギーターカードの続きです。あのカードを見て何を思い出したのか、それを書きますね。読んでいない方は前の記事をご覧ください。

私がヨーガを始めて京都の千本丸太町にあるヨーガ・ヴィハーラという一軒家でに引っ越して来たときのことです。そこはヨーガのクラスをしたり、ヨーガをしている人が集まるお家で、そのころは先輩3人との4人の共同生活でした。

これは昔カフェをしていた時のものです。オレンジの扉がシンボルです!

これは昔カフェをしていた時のものです。オレンジの扉がシンボルです!

ちょうど『悟り』の出版記念イベントが間近にあり、ヨーガ・ヴィハーラではそのイベントに向けて毎日準備が行われていました。キールタンの練習や聖劇の練習、会の進行のミーティングなど、家に帰るとたくさんの人がいるという毎日、私は縁あってこの家に引っ越してきたのですが、仕事先が遠く、毎朝6時に家を出て、夜の7時か8時頃に帰宅していました。私の部屋は玄関のすぐ横だったこともあり、みんなの荷物置きに使っていたので、帰宅して部屋に入るとたくさんの荷物が置かれていたことを覚えています。

2008年に出版された『悟り』

2008年に出版された『悟り』

ヨーガに邁進しようと思い、この家に引っ越してきたのだから、毎日アーサナをしたいと思っていた私は、帰宅してすぐにアーサナがしたかったのです。(ご飯を食べてしまうとアーサナができないし、朝が早いので、さっさとアーサナをして寝たかったのです)でも、私の部屋には荷物があり、アーサナをするスペースはなく、家にたくさんの人が出入りすることも相まって落ち着かずにいました。「こんな状態ではアーサナも瞑想もできない」と思っていても、クラスに行けば「アーサナや瞑想は毎日する方が良い」と言われます。

絶対の絶対にできないという訳ではないのです。例えば荷物を部屋の端にまとめてスペースを作るとか、時間が遅くなってもみんなが帰るまで辛抱強く待つとか。でもスペースを作ってアーサナを始めると、その荷物を取りに人が出入りし、その度にアーサナは中断します。また私がアーサナをしていることで、邪魔してしまったという思いを相手に持たせてしまい「ごめんね!」と言われるたびに、謝らせてしまったという思いがありました。自分の意志を通そうとすればするほど上手く行かないような気がする……だけどアーサナはしないといけないと言われている。私はその狭間でとても窮屈になり、イライラする日々が続いていました。

ある日、何気に話をしていたヨーガの仲間が「忙しくてもアーサナや瞑想は毎日しないといけない」と言われたことに端を発し、私の思いは爆発します!

もう限界だと思った私は、ヨーガの先生に質問に行きました。今の自分の状況を話し、「毎日アーサナや瞑想をしなくちゃいけないことは十分かっているけれど、今の状態ではできない!それでもヨーガをするにはアーサナをしなければいけないのですか?」と尋ねました。

先生は言われました。

 

「そんなときにはアーサナや瞑想はしなくてもいい。それよりも家に来ている人たちが気持ちよく家を使えるようにして上げなさい。それがヨーガです

 

その言葉は本当に目からウロコでした。

その瞬間、心がホッと落ち着き「それがヨーガなら、私はヨーガを続けることができる」そう思ったことをよく覚えています。先生の言葉を聞いて、ヨーガは自分のことを優先するのではなく、常に相手を優先することなのだと分かりました。たとえヨーガを深めるために必要だと言われているアーサナや瞑想であっても、例外ではないということです。

先生はホッとした私を見て「アーサナや瞑想はまたできる時が来るから、そのときにしたらいいよ」と優しく言われました。

そのとき言われた「それがヨーガです」という言葉、私はそれによってヨーガというものを理解していきました。それはまったく複雑ではなく、落ち着いて考えたら当たり前のことだと思いました。動揺すると、すぐに真実が見えなくなってしまいますが、そういうところを変えていくことがヨーガだと知りました。自分にとって指針となり、いつも心にとどめている言葉です。前回紹介したギーターのカードを見ながら、その時のことを思い出しました。

 

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です