「社会には宗教が必要」と説くヴィヴェーカーナンダ。(前回のブログはこちら☜)
ではなぜ、そう言えるのだろうか?
『宗教の必要』という講演(『ギャーナ・ヨーガ』収録)においてその理由が述べられているが、テーマの最終到達点、そこに向かって行くヴィヴェーカーナンダの迫り方が本当に圧巻なのである。
ヴィヴェーカーナンダは宗教の必要を説くにあたってまず、「宗教の始まり」を見る。
近代では二つの学説があり、一つは「霊魂(祖先)崇拝」、もう一つは「自然崇拝」から宗教は生まれたとする説を紹介。
「霊魂崇拝」としては、古代エジプト人の宗教を例に挙げている。
古代エジプト人の場合は、複体(人の内部に含まれているもう一つの肉体)が霊魂と考えられ、人が死ぬと複体は肉体の外に出て生き続けるが、その複体の生命は死体が害われずにいる間だけ続くという。
誰もが知っているあの巨大なピラミッドは、死体保存のために作られたということ……😱
このエジプトの他、バビロニア、中国、アメリカの古代の宗教は霊魂(祖先)崇拝に始まりを見出すことができるようである。
もう一方で、宗教は「自然崇拝」に始まったとする説。
暁、夕暮れ、暴風、自然の途方もない巨大な力、美しさ、これらが人間の心を動かし、その背後を見たい、もっと知りたいと熱望し、ときにはそれらの現象に魂と身体を与えて擬人化する。
アーリヤ人の『リグ・ヴェーダ』をはじめ、古代ギリシャ、ゲルマン、スカンジナヴィアの宗教がそれに該当するようである。
う〜ん、これだけ聞いても、かなり勉強になる👀📝
もうお腹いっぱいという方もおられると思うが、これからが本番、ヴィヴェーカーナンダの知力の本領が発揮されていく。
霊魂(祖先)崇拝、自然崇拝というこれら二つの見解は矛盾するように見えるが、「第三の基礎の上で和解させることができる」とヴィヴェーカーナンダは言う。
大胆にもそれを、
「感覚の限定を超えようとする努力」
と独自に提唱するのである。
「人は自分の祖先たちの霊魂を、死者の霊魂を、探し求めます。つまり肉体が解消した後、そこに何があるかをひと目でも見たいのです。あるいは、自然の途方もない現象の背後に働いている力を理解したいと願います。どちらにせよ、彼が感覚の限定を超えようと努力しているのだ、ということは確実です。彼は自分の感覚だけに満足してはいられないのです。それらを超えることを欲するのです」
歴史やその学説の網羅、それだけでもなかなかできることではないが、それらの知的理解に終始せず、その当時の民族の人たちが求めていた心情を感じ取るようにして、ヴィヴェーカーナンダはその共通点を見出すのである。
そして、この感覚の限定を超えようとする努力が「真の宗教の萌芽」であり、そして「社会」にも必要なことであるとヴィヴェーカーナンダは説いていくのである。
長くなるので、続きはまた次回に🙇
ゴーパーラ