ヨーガの秘訣・京都編・・・あるバクタの愛の1日

ヨーガには、バクティ・ヨーガ(神への信愛)と呼ばれるものがあります。アーサナ(ポーズ)や瞑想を主とするラージャ・ヨーガ(王道ヨーガ)と比べると、愛という感情を用いて進めていくところが少し違っています。愛の感情は、知性や意志よりも強く、心を一瞬で変えてしまう力があります。近代の大聖者ラーマクリシュナ・パラマハンサの伝記を読むと、その常軌を逸した行動に驚いてしまいます。神の愛人と呼ばれるバクタは、神に酔い痴れ、神に狂い、その甘美な愛に我を失ってしまうのです!

先日松山でバクタと名高いAさんに会った時、Aさんがスマホにダウンロードした中世の偉大なバクタ、シュリー・チャイタニヤの絵を見ながらニタニタしたり、涙ぐんで神への愛に憧れている姿を見て、「変態」だと思いました。バクタにとって「変態」は褒め言葉であって、私たちの方こそ世間の常識に縛られ、理性に縛られてしまって、我を忘れて没頭できない不自由な理性人なのです。その束縛から愛の力で解放されたバクタのなんと幸福なこと!サナギから変態して蝶になるように、Aさんが変態しているんだと感じたエピソードでした。

今回は、まさにその愛の力で変態してしまった人、現代のチャイタニヤさんが、自分の1日を寄稿してくださいました。バクタに憧れを持つ人にとっては参考になるかと思い、ブログで紹介させていただきます。素晴らしきバクタの信仰と愛に満ちた1日をとくとご覧あれ!


午前7時。
猫がいつものように私の頬を甘噛みして起こします。この子は私の呼吸が穏やかなとき、まるでサマーディー(瞑想の深い境地)に入ったような顔で、グルグル喉を鳴らして貴方を讃えます。
今日はお天気ですが、かなり寒くなりそうです。師よ、今、貴方は何をされていますか?
あの、香ばしく豆の味が凝縮された至福の一杯を召し上がっているでしょうか。

貴方の好物の黒豆ご飯のおにぎりは、車の中で食べましょう。

車の窓から見える景色、行き交う人々が顕れては過ぎていきます。
不安そうな表情の年配の女性、ふてくされたように早足で歩くサッカー部の高校生。信号を渡りきれるか心配になるお爺さん。駅の出口で楽しそうに話をする出勤前のサラリーマン。
私はどうしても彼等全てが幻だとは、片付けられないのです。
彼等一人一人が今日一日、幸福でありますように。そして家に帰り、幸せの内に眠りにつけますように。
貴方のリーラー(神の戯れ)に私と彼等の喜びが顕れますように。

師よ、どうか教えて下さい。私だけがこの世のカラクリを知りたいと思っているのでしょうか?もっと多くの人がグル(師)を求めてやって来るようになるには、私達は何をすればいいのでしょうか?

ときどき、不安になるのです。
私が貴方への信仰を失うことは、またあの真っ暗な嵐の海に一人放り出されるようなことは、もう二度と起こらないでしょうか?
貴方の示す世界以外に、私の欲しいものがまたリーラーの中に現れるのでしょうか?

昨日は会社のみんなとラーメンを食べました。今週末は仕事帰りに付き合いで飲みに行きます。
日常は貴方とお目にかかった後にも、以前と変わらない形で毎日やって来ます。
これらのことは、私に何をもたらすのでしょうか?
それらによって私は何かを損なうのでしょうか?師よ、どうか教えて下さい。
誰が、サットヴァ(純粋)なのでしょうか?誰がタマス(怠惰、鈍重)だと言うのでしょうか?

正午。
昼休み。アーサナ(ヨーガのポーズ)の実習後、最後の十分ほどを瞑想に座ります。貴方のことを思うこの心がそれ以外のことに目を奪われませんように。私の心と身体、以外の視点に留まれますように。貴方の目線でこの世界を見られますように。
どうか、いついかなるときも、貴方のことを思えますように。この感覚がもっと確かで力強いものになりますように。
もう二度と心が貴方以外の世界を信じませんように。
もがきながら進んで行く私に、どうかその為の信仰と実践の力を、貴方の恩寵を、お与え下さい。

午後6時。
帰り道、ラジオからお気に入りの曲が流れます。
オルガンの音色も、甲高いシンバルの音も、スモーキーなヴォーカルも、私には音楽としてではなく、生命への、リーラーへの、そして貴方への賛歌のように聞こえます。他愛も無いラブソングも、私の心とすり替わり貴方への愛しさに呼吸が荒くなり胸が苦しいです。
貴方の一日のうち、ほんの数秒間でも、私の望みが届けられますように。
貴方から教えて頂いた、ヨーガの全てが、私の人生を変えてしまいました。
今、私には確かな土台が出来つつあります。このまま進んで行けばいいのだという自信が日に日に大きくなっていきます。
この喜びは何故私にもたらされたのでしょう?師よ、どうか教えて下さい。

今まで、貴方が私に起こされた数々のマジックは、決して口外できない私だけが知っている確信となって、貴方の偉大さを証明しています。
少し歯がゆいのですが、貴方は全くそしらぬお顔で、何も仰いません。
ただ、目が合った時に悪戯な瞳で微笑まれるのです!
それは何という甘美な瞬間。何という喜びでしょう。

午前0時。
貴方が見据える先々に、私に出来る働きがありますように。
貴方の大いなる計画の一端に、私の居場所が用意されていますように。
そのために、この老体を調えておきましょう。
今日もアーサナ、しっかりやりましたよ!

師よ、お休みなさい。
深い熟眠のなかで、私は一旦死にます。
そして“純粋な意識”として、今夜もお目にかかれますように。

ハリ!!!!!

Caitanya


ヨーガの秘訣・京都編・・・あるバクタの愛の1日」への2件のフィードバック

  1. ナンディニー

    電車の中で読ませていただいて、涙が止まらなくなりました。私も日々、師をいつの瞬間でも思っていられますように。

    返信
    1. サーナンダ 投稿作成者

      ナンディーニさん!「グルは真理を心から求めた時に、その人の前に姿をとって顕われる。」と言われていますものね。私達には師がいらっしゃる。そのことを常に心に思って暮らしたいですね。 チャイタニヤ

      返信

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