「すべてのサンスカーラを取り除くには、命を引き換える献身がいる」と以前ヨギさんがおっしゃったことがあります。献身とは何か調べてみると(献身とは、身を捧げること。自分の利益をかえりみず尽くすこと)と書かれていました。
何年か前、人を不快にさせることを口にしてしまう人がいて、私の指を見て「爪が半分割れてるね(生まれつき親指の爪が半分しか生えてこないのです)。気持ち悪い」と言いました。人の気持ちを考えず自由奔放に言葉を放つその態度に、激しい怒りが湧いてしばらく嫌な思いが続きました。
その日寝る前にそのことを考えていて、何故あの人はああいう言葉を発したのだろう?言葉の奥に秘められた思いは一体何だったんだろう?と考えました。その人自身の状況を考えてみると、他の人とあまり関わることがない孤独な状況であること、コミュニケーションを取ろうとしたが、素直な性格なためにそのような言葉が出たのだと分かってきました。
自分が不快だったのは、小学生の時クラスの男子に同じようなことを言われてからかわれ、悲しい印象をもったままそのフィルターを通して物事を見ていたからだということに気が付きました。真理をあてがってみると、この肉体は自分ではなくて、神の道具である、本当の私とは一切関係ない。だから何を言われようとも私が傷付く必要はない、そう思えました。
次の日からその人と話す機会があると、この身すべてを差し出す覚悟で向かい合いました。その人の語る思いに集中していくよう毎回努めていると、いつの間にかその人の気持ちがよく理解できるようになり、自然に本音を言ってもらえるような、そんな関係が築けるようになっていきました。
それから何年か経ち、爪のことを言った人がまた同じこと(爪のこと)を言いました。けれどそこには以前感じた嫌悪感はありませんでした。その人の性格が分かってきたことに加え、肉体をただの物質と見なしている自分がいました。「爪は生まれつきやけど、あんまりない形で格好いいやろう?」と冗談を言う余裕さえありました。
後で振り返って、こういう機会がなかったら私は自らの肉体を物質として扱っただろうか?と考えました。心が反応して逃げ出したくなるときこそ、サンスカーラを取り除くチャンス。どこにいても喜びだけを感じる自分になるまで、取り組んでいこうと思います。