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十二因縁(十二縁起)

師と過ごした台湾での夜、私は原因、原因を探求していくブッダの十二因縁の瞑想の必要性を感じた。(前回のブログ「集」はこちら
では、「十二因縁(十二縁起)」とは一体どういうものなのか?
それは、老いや死をはじめとする一切の苦しみが起こる原因のプロセスを、根本原因である無知にまで遡っている。

無明…真実を知らず、永遠・絶対でないものを永遠・絶対だと見なす根源的な無知。
…自我意識や執着を生み出す元となる、無意識のうちにある潜在的傾向、サンスカーラ。
…自我と他者を区別し、外界を認識する意識。
名色…名前と形という、区別・差別を生み出す微妙な要素。
六処…視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚という5つの感覚機能と思いの働き。
…感覚や思いを通じた外界との接触。
…外界の対象を感じ取ること、感受。
…欲望の対象を渇望・渇愛すること。
…欲望の対象を取ろうと執着すること。
…カルマをもって輪廻する煩悩的存在。
…生まれること。
老死… 老いと死をはじめとする一切の苦しみ。

見慣れない仏教用語が並び、十二の意味を理解するだけでも難解に感じるが、この十二因縁を知的に理解している人は学者をはじめ、仏教者にも少なからずいるだろう。
ただ、どれだけの人が実際に十二因縁の瞑想を行ない、本当の意味を理解しているだろうか?
台湾での夜、師は「知的理解」と「体験的理解」の違いを次のようにおっしゃられた。

ゴーパーラ「十二因縁の公式を、心に当てはめながら見ていってもいいんですか」
ヨギ「それを単なる知的理解で終わらせてはいけない。自分の心を材料にして、自分の心はそれに対してどのような反応を示すか――自分の心がその十二因縁のリアルな体現者となったように順次、十二の原因を遡っていくというのかな」
ゴーパーラ「リアルな疑似体験というか、そういうように進めていく」
ヨギ「本当は疑似体験じゃない。自分の心を材料にするから、(強調されて)直接体験やで、これはほんまは。それを直接体験と思えるぐらい切迫した、心に切迫させていかないといけない。そうでないと知的理解という疑似体験に終わってしまう」
ゴーパーラ「それは言い聞かせのレベルとは全く違う」
ヨギ「言い聞かせじゃない。その原因をしっかり理解すること。単なる言い聞かせはいらない。(強調されて)しっかりと理解すること。それは心そのものが変わっていく。それが直接体験の効果というか結果というふうになっていくはず」

私は小さい頃からずっと執らわれている欲望があった。
台湾の夜から私は十二因縁について考えを巡らせていたのだが、瞑想中にその執らわれている欲望が湧き出てくることがあった。
するとその瞬間、名と形が形成され、そこに手が伸びてつかみにかかり、その対象を渇愛する心の動きが感じられた。
それは一瞬の出来事だった。
この十二因縁とは生死の輪廻という大きなスパンの構図だと理解していたが、一瞬の思いの中にも十二の要素すべてが詰まっているようにも感じられた。
私自身、今まで行なっていた識別瞑想では、欲望やその対象に対して、「それは永遠ではない、絶対ではない」というふうに真理をあてがっていた。
その効果として欲望への執着は薄らいでいたが、まだ完全に消えてはいなかった。
だが、この十二因縁の構図でもって欲望を分解していった時、何か咀嚼しやすい感覚があった。
それは、心の中で欲望の消化が促進されるような新たな実感であった。

そして台湾から帰国して約2週間後の4月7日、ブッダ御聖誕日の前日にサットサンガが開かれた。
私は実践した十二因縁の瞑想について師に確認した。
師は、「それは心が造り出す条件下の構造そのものを明らかにするという意味において、その十二個を辿っていくということは有意義」と言われた。
しかしながら師は、それよりも「もっと大事なことがある」と示されたのだった。
(続く)

ゴーパーラ


*老いや死のような一切の苦しみ(老死)は生まれたこと(生)に原因があり、生まれたことはカルマによって輪廻する煩悩的存在(有)に原因があり、その輪廻的存在はさまざまなものを取ろうと執着すること(取)に原因があり、執着は欲望の対象を渇望すること(愛)に原因があり、渇望は対象を感じ取ること(受)に原因があり、対象を感じ取ることは外部との接触(触)に原因があり、接触は視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚・思いの六つの感覚機能があること(六処)を原因とし、六つの感覚機能は名前と形(名色)という微妙な想念があるために起こり、名前と形は自分と他者を分けることで外界を認識する意識(識)を原因としながら、名前・形とその外界意識は相互に依存して成り立っている。また自他を区別して外に向かうその意識はサンスカーラという無意識の潜在的傾向(行)を原因とし、潜在的傾向は永遠でないものを永遠と見、自己でないものを自己と見る無知(無明)に原因する。これら十二の因果をまとめると以下のようになる。(原因<結果、で示す)
無明<行<識><名色<六処<触<受<愛<取<有<生<老死

 


MYMオリジナルトートバック&Tシャツ新登場‼️

すでにホームページでは発表されましたが、マハーヨーギー・ミッションの新作オリジナルTシャツが出来上がりました〜!!!

デザインはカーリーヤントラ!
ゴールドとシルバーの豪華2色使いで、なんと全19色のカラーバリエーションとなっています!
そして今回は、要望の声が多くあったトートバックも同時発売です!!!

このカーリーヤントラは、シヴァとシャクティの合一から宇宙万物が展開するというヨーガ哲学を表したもの――下向きの三角形がシャクティ(女性原理)を表し、五つの三角形の線は「五感覚器官」「五運動器官」「五大」を意味し、真ん中のビンドゥがシヴァを象徴しているそうです。
このカーリーヤントラを見ていると、何だか不思議と引き込まれ、瞑想的なムードになります。
事実、ヤントラは瞑想に用いられる神聖なシンボルで、師のヨギさんは以前、ヤントラについて以下のことを述べられています。

「このヤントラを瞑想時に使うということは、その教えを十二分に理解し認識する、それを知るということです。だから単純に眺めていてもそれは教えそのものですから、その図形、もしくはその表されているもの、そのものが教えと重なってより本質を知っていくことになります。同時に瞑想者の心を真理に向かわせていく。つまり識別を助ける意味において、真理の教えそのものを心が十二分に理解、認識することが目的とされています。そしてそこに表されている象徴的な教え、これを具体的に心に適合させていく」

ヤントラってシンプルだけど、心を真理へと導く偉大な力をもった象徴なのですね!
でもそんなことを聞くと「普段使いできないな……」と思ってしまいますが😅、このデザインをしてくださったヨギさんからは、「ドンドン普段で使って!そのために作ったんやから」と言われました。
ですので、トートバックとTシャツ、早速に普段でも使ってみました〜‼️

MYM御用達の大洋堂珈琲さんにて、ヨギさんブレンドの珈琲豆をラリターが購入し、

私ゴーパーラが珈琲を淹れました〜☕️

実はこのトートバックは、モデルをしてくれたラリターが昨年7月にニューヨークでヨギさんに同行した際に持ち上がった企画でした。
私もちょうどニューヨークでラリターと滞在が重なっていて、そのアイディアを聞いていました。
その時からほんの少しですが、このトートバック企画に協力させていただきました。
途中、頓挫しそうにもなっていましたが、ヨギさんとMYMのデザイン部アートマンが全面的に携わってからは、すごいスピードで仕上がっていきました。
私自身、完成するまでの過程を垣間見させていただきましたが、サイズやカラー、フォント、使い勝手などすべてにおいて徹底して吟味され、師ヨギさんの熟考と集中、持続力、センス、すべてが驚異的で圧巻でした。
カーリーヤントラもいろいろなデザインのものがありますが、この作品は別格だと感じます。
瞑想、仕事、買い物、オシャレ、プレゼントにと、どんなシーンでも使えて、どんな時でも真理に導いてくれる強力アイテムです‼️

どうですか、欲しくなってきましたか〜笑?
Tシャツ全19色、大人買いの方、ぜひお待ちしております😎✋
ネット予約・販売はこちらから

ゴーパーラ


集(原因)

渇望――それは、喉が渇いて水を求めるように、激しく執着すること。
仏教の教えでは十二因縁の中に含まれていて、執着の原因である。
しかし師は台北での夜、「のたうちまわるほどの切羽詰まった真理への渇望」を説かれた。(前回のブログはこちら⇒「渇望(タンハー)」

ブッダは身的苦行を棄て、瞑想によって生死の原因である欲望への執着を見つけ、またさらなる原因のサンスカーラ、そして大原因の無知を暴き出し、悟りを実現した。
後にその因果の理は「十二因縁」として体系づけられた。
では、どうしてブッダはその内的探求が可能だったのだろうか?
通常、人は原因を外に見たり、たとえ内に見たとしても、無知という大原因まで辿り着くことは到底不可能のように感じられてしまう。
事実、ブッダ以前にカルマの因果論は見つけられていたが、カルマの原因である執着とその根本原因の無知は見つけられていなかった。
私は師に問うた、「ブッダのように原因、さらなる原因を探求するには、どうしたらいいのでしょうか」
師は次のように応えられた。

「気付くこともいっぱいあると思うけれど、そこで断定しないこと」

何の変哲もない言葉かもしれない、しかし私はそれを聞いた瞬間、直観的にその教えの深みが感じられた。
「断定しないこと」、それは自分の修行や行為、どれにも当てはまると感じられた。
例えば、日常の実践について。
何年か前、私はミラバイさんから「洋平君(当時の名前)は日常が大事って言っているけれど、それってどういうこと?」と尋ねられたことがあった。
その時私は、「サットヴァ(快活)に行為していくことかな」と答えた。
自分自身この数年、日常生活で軽快に動くことを意識的に取り組んでいた。
しかしながら最近ミラバイさんと話していると、「日常の実践とは心の波を静めること、つまり内的な軽快さがそれである」と暗に教えていただくことがあった。
振り返ってみると数年前、ミラバイさんはそのことを私に教えてくれていた。
にもかかわらず、自分の実践やサットヴァの理解を疑わなかった。
つまり、「断定」していたのだ。

人は自分の心のフィルターという色眼鏡を通して物事を見て、判断して生きている。
さまざまなものを付加しているのである。

「付加条件とは、すべて。環境や性別、年齢、経験、それらをすべて外していく。眼鏡が曇っていることはヴェーダーンタで説かれていること。でもそれを実際に外さないといけない。それがヨーガ全体の実践」

師は実際に眼鏡を外すジェスチャーをして、そのように言われた。
私はこの師の一言で、ヴィヴェーカーナンダが「プラティカル・ヴェーダーンタ」という言葉を使っている意味が理解された。

「これではない、これではない……」

原因、原因を見ていきたい――私は「十二因縁」の瞑想が必要だと感じた。
窓から見える台北101のライトアップは消えていた。

(続く)

 

ゴーパーラ


松山特別サットサンガの感想‼️

前回のサティヤーに続き、松山グルバイの山口正美さんが松山特別サットサンガに参加した感想を寄せてくれました!
三児の母である山口さんですが、お子さんも成長して母としての役割を果たそうとしている今、神への熱い思いと決意に満ち満ちています!


「これからの人生をバクティ・ヨーガ成就のために使う!神に狂うんだ!」

5月19日、20日に開催された松山特別サットサンガでヨギさんが松山に来てくださって、そう決意することができました。

ヨギさんのお話から、誰かの心が見ている世界がこの世界をつくり出していて、そこに真実はないということ、マーヤーなんだということを直感しました。同時に、神のみが唯一の真実、リアリティーなんだと納得しました。
そして、神に狂いたい気持ちの反面で、そうすることによる世間や家族との生活での不安をヨギさんに打ち明け、「安心して進んでいいよ」とお言葉をいただき、「よし!行くしかない!」と胸が熱くなりました。
家に帰って瞑想をして、その後もヨギさんのお写真の前から離れられず、ヨギさんのお写真の前で眠りました。

『行為でもって愛をあらわしている、それが奉仕です』

松山特別サットサンガでのこのヨギさんのお言葉は、私の心につきささりました。
今まで、「役割だから」「ヨーガの教えだから」ということに縛られ、「精一杯やるんだ」「失敗しても気にしないんだ」「自分の心を捨てるんだ」と一体、私を主人にして何をやっていたのでしょうか⁇

もっともっと神に占領されたい!
神に狂いたい!
神の道具となって、周りの人に行為したい!
今の私は、神を求めることだけが生きる道です。

ヨギさんが帰られて、今、私には、「シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ、このお方が私のすべてのすべてである。そして、私の生涯をかけてお仕えするんだ」ということだけがあります。

シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ キ ジャイ︎!!!

山口正美


松山特別サットサンガのご報告‼️

5月19日、20日にシュリー・マハーヨーギーの特別サットサンガが愛媛の松山で開かれました!!!
レッドソックスの大谷が6号ホームランを打った18日、マハーヨーギー・ミッションの共用車シトロエンを走らせ、いざ京都を出発🚗💨
天気予報は雨だったにもかかわらず、空は晴れ間も見え、休憩のパーキングエリアでは強烈な日差しが照ったり、夕食時突然の大雨の音が外から聞こえてくるも、ヨギさんが一歩外に出ると雨は止んでいました。
私は尋ねました、「ヨギさん、大谷は何であんなにメジャーで活躍できているんですか?」

「もっているとしか言いようがないわ」

いやいや、ヨギさんも「もっている」というしか言いようがありませんよ!!!

サットサンガは両日ともに快晴の中、満員の参加者で埋め尽くされ、会場の松山ヨーガ・サークルは熱気と集中感でパンパンに!!!
特に初日のサットサンガは、ヨギさんが着座されるやいなや問答がスタート!
そこから質問は途切れることなく、真剣さあり、笑いあり、涙ありの素晴らしい内容でした。
このブログでは、1日目のサットサンガの様子をダイジェスト版で報告させていただきます!

5月19日(土)1日目のサットサンガの様子!

会の前半、初参加の男性が真剣な眼差しで「人生の目的と、それを達成するための手段を教えてください」とストレートに質問、ヨギさんは次のようにはっきりとお答えになりました。
「人生の目的、それは真実を悟ることです。その真実とは何かと言えば、本当の自分を実現することです。この世界は生まれては変化をし、そしてすべて消滅をします。この身体も心も、刻々と変化をしてやがてはなくなります。しかしなくなるものにあって、なくならないものが一つだけあるのです。それが魂という(力強く)存在なのです。そして誰もがその魂の顕れなのです。これを学んでいくに従って、同時にこの世のあり方とか心の有様、さまざまなことも理解されていきます。そうしてそれらには執らわれないで、本当のものだけを求めていこうという気持ちがより強くなっていきます。そのための学びや瞑想というような思いを集中していくことによって、それは自覚されることになります。この人生の目的である真実を、その存在を実現してください!」
終始、ヨギさんのお言葉を瞬きもせずに聞いていた質問者の男性。深々と頭を下げるその目には、涙が滲んでいました。

会の中盤、「お釈迦様の教えの一切皆苦をまだよく分かっていなくて、自分は年から年中苦しんでいるわけでもないし、楽しいこともあるし、世の中を見てもそれなりに幸せな人も多いんじゃないかと思うんですけれど、一切皆苦とはどういうことを言っているのか教えていただけますか」と熱心にヨーガを実践しているKさんが素直な疑問を投げかけます。ヨギさんは、「よくよく見つめてみれば、この世の中というのはすべてが苦しみに終わる。その苦しみの中身は何かというと、誰もが経験するかもしれない年老いること、あるいは病気、そしてまた死という事実がやがてやってくる。それはやはり生まれたから死ぬということであって、つまり生病老死というふうに生まれ、老い、病し、そして死というもの、これはほとんどの人にとっての逃れることができない苦しみになるだろうと。実際、そのように誰もが感じてしまう」と四苦の教えから始まり、苦集滅道の全容を一から丁寧に説かれていきました。
この時、不意に私の目にヨギさんの横に生けられているカサブランカと芍薬が目に入ってきました。
その生けられた花はまるで宙を浮いているかのように、この世の物質とは思えないほどの美しさを放っていました。
この花もいずれ散ってなくなるのに、なぜこんなにも美しく咲いているのだろう――
そんな思いがよぎった後、大病を患っていたNさんが後遺症からくるであろうかすれた声で、でもしっかりとした声で、「真理の存在は物質なのですか。心なのですか」と質問、ヨギさんはNさんの声に同調するかのように、力強く次のようにお答えになりました。
「それは思いを超えたものですから、しかしそれは在ります。ただ在るとしか言えない。そしてまた、在ると言えるのはそれだけなのです。それだけが在ります。(声高に)これは間違いなく誰もが実現できることです!誰もがそれなんですから!だからできることといえば、心を静めるというそれだけなのです。そうして一切の悩みや苦しみ、もちろんそれから願いとか望みとかそういうもの、両方いらない、何にもいらない!そのようにして本当に空っぽの空っぽになった時、ふっとそれが目覚めるという感じです」

この時すでに松山ヨーガ・サークルの熱気と集中感は、歓びのプラーナに変容していました。
歓喜で満ち満ちた中、サットサンガ中に笑顔の少なかった女性が「妬みやひがみの感情に左右されてしまって、その度にすごい落ち込んでしまう自分がいるので、そういう自分があってもいいのか」と質問、ヨギさんは次のようにお答えになりました。
「もっと自分自身を強くすること。それは自分を信じることです」
一見厳しいようにも聞こえますが、ヨギさんの優しいトーンのお言葉を聞いた瞬間、その女性からはつっかえていたものが取れたように、涙が溢れ出しました。
それは誰が見ても、美しく浄らかな涙でした。

「サットサンガ」――それはヨギさんから真理の教えを学び、授かるところです。
でもその教えとは、単なる言葉や教義ではなく、本当に生きるということ、そしてその命がもつ歓びを授けていただける吉祥な場であると、今回の松山特別サットサンガに参加して実感させていただきました。
こんな素晴らしい空間に自分が身を置かせていただいていることが嬉しくて嬉しくて、ヨギさんに、またこの場を一所懸命に設けた松山の方々に感謝を感じずにはいられませんでした。
最高の松山特別サットサンガでした!!!
ヨギさん、松山のグルバイの方々、本当にありがとうございました!!!!!!


松山の報告ブログはまだ続きます〜!次は京都から同行したサティヤーさんです😁

ゴーパーラ


ミラバイさん、台湾訪問の報告! (by プリヤー)

2年ぶりに、ようやくミラバイさんを台湾に招待することができました!

4月25日から5月8日までの2週間、台北で各2回のアーサナ‧瞑想クラスとバクティ‧サンガム、3回のサットサンガが行なわれました。また今回はそれに加え、特別企画を開催――グルバイ(兄弟姉妹)のマールラーが住んでいる台中で初めてアーサナ‧瞑想クラスが行なわれました!
このミラバイさん訪台の様子を、写真を交えながら私プリヤーが報告させていただきます!

毎回のアーサナ‧瞑想クラスは静かで集中感が漂い、参加者たちは自分の限界までポーズと呼吸を深めていきました。クラス最後の30分の質疑応答の中では、ポーズの順番や注意点、毎日のアーサナの時間帯、飲食とアーサナの関係、瞑想についてなど、たくさんの質問が出ました。どの質問に対しても、ミラバイさんは丁寧で分かりやすく答えていました。ミラバイさんの励ましを通じて、みんなはもっと自信をもって実践を続けられるようになりました。

アーサナ・瞑想クラス@台北

アーサナ・瞑想クラス@台北

アーサナ・瞑想クラス@台中

『真実を求めて』を買ってサインをもらうシーン

サットサンガでは、最初多くの参加者は悩みや不安を抱えているように見えましたが、ミラバイさんから出るヨギさんの教え、真実の答えは、不安の雲を吹き払って、聞いているうちにみんなからは笑顔がこぼれて、時にはミラバイさんのユーモアで大笑いしました。会が終わると、誰もが晴れやかな表情になっていました。

サットサンガ@台北

サットサンガ@台北

またバクティ・サンガムは、たくさんの人が心待ちにしていたことでした! 今回ミラバイさんは、台湾の私たちが歌ったことのないキールタンを2曲紹介されました。一つは踊りたくなってしまう『Siva Sambho』で、もう一つは歌詞とメロディが簡単で覚えやすい『Tumi Bhajare Mana』です。ミラバイさんはずっと私たちを励ましました――キールタンはいつでもどこでも歌える。どんな曲でもどの神の御名を唱えてもいい。その神にまつわる物語を知らなくても問題ない。大事なのは、神の御名を唱えることによって、私たちの心に再び神聖な存在を憶えさせること。キールタンでは、何人かが陶酔するように目を閉じて歌っていました。それは神とのつながりを、その歓びを感受していたのかもしれません。

ここで、グルバイのシューシューとアヤノの感想をご紹介します!

シューシュー:
ミラバイさんの来訪をとても楽しみしていました。最近仕事のため、アーサナクラスに行けなくなって、それで心がだんだん動揺してきて、自分で制御できないほどの葛藤と苦しみを感じていました。でもミラバイさんのキールタンのおかげで、私は解放されて、もう一度平安を味わいました。目を閉じてキールタンを歌うと、ミラバイさんの歌声がまるで滝のように私の胸を急激に打ち、脳天が衝撃を受け続けました。涙も止められませんでした。最後のマントラの時、メロディを教えるためにミラバイさんが一度唱えました。その時、とても自然にミラバイさんはまず目を閉じて呼吸をしてから口を開きました。その敬虔な姿を見て、バクティ・サンガムはミラバイさんのコンサートでもなく、パフォーマンスでもない、彼女がリードされるのは私と神との会話だったのだと気付きました。今回の機会を通じて、再び先輩の力強さを感じました。これからも頑張ります!

アヤノ:
3月にヨギさんが日本に帰られた後、私は病気になったこともあって、心の中にたくさん真理に逆らうものが浮かび上がっていました。苦しんで葛藤していましたが、ミラバイさんが来られたのは、恵みの雨のようでした。
何回もミラバイさんにお会いしましたが、特に今回、ミラバイさんのお姿にヨギさんが見えるように感じました。それはいったい何なのでしょうか? 本当に知りたいです!
1回目のキールタンでは、歌を歌って心の中が歓びでいっぱいになり、ミラバイさんの笑顔と歌声からヨギさんの愛を感じました。サットサンガでは、この1カ月間の葛藤について質問をしました。その中で、あたかも他には何も存在せず、神との関係だけがここに在るように感じました。
ヨギさんは以前、「もっとグルバイと一緒に時間を過ごすように」とおっしゃったことがあります。今回ミラバイさんの来訪を通じて、実際に真理を実践している方の様子を身近に見ることができました。ミラバイさんが優しく話されるうちに、「真理を心に教える」ということがどんなことなのか、突然分かるようになりました! もし真理を頑固な心に教え込めば、私も優しい態度でみんなにヨギさんの教えを分かち合えるでしょう!
ミラバイさんは私たちのような小さなお花の世話をしてくださいました。本当にありがとうございました。また前に進めます!

この2週間、とってもハードなスケジュールをこなしてくださったミラバイさん。台湾のみんなはミラバイさんの魅力に深く惹かれました。ヨギさんやヨーガの教えを話される時のミラバイさんは揺るぎなく、明快でロジカルであり、同時に優しく広大な心をもって、全く批判せずに完全に相手の状態を受け入れ、誠心誠意、真理の言葉を与えてくださいました。また、ミラバイさんの真摯な眼差しと明るい笑みはすべてを溶かし、誰もの顔が自然に綻んでいきました。みんなはまるで子供のように不安も心配もなく、楽しくミラバイさんと交流することができました。

ミラバイさんが執筆された『真実を求めて』を開けば、ヨーガを学び始めた反抗的で頑固な女性がそこにいますが、今、目の前にいるミラバイさんの姿は美しく光り輝いています。この二人は本当に同じ人なのか!と思ってしまうくらいです。けれど、「私でも歩んでこれたので、みんなも必ずできますよ」と、ヨーガの道を歩む先輩ミラバイさんは保証してくださいました。

真実を求める道には起伏があり、うまくいかない時もあるかもしれませんが、ミラバイさんのような先輩が前を歩んでいるからこそ、私たちは安心を得て、勇気をもって前進できます。
ミラバイさんが台湾に来て、無私にヨギさんの教えと一切を分かち合ってくださって、本当に感謝の思いでいっぱいです。ありがとうございました! 次回のミラバイさんの来訪を楽しみにしています!

*速報:
今回ミラバイさんの来訪とともに、ヨギさんから台湾への祝福が届きました。クラスや読書会を行ない、グルバイたちがよく来る場所は216巷と呼ばれていましたが、ヨギさんはその場所に「Ananda Ashrama(アーナンダ アーシュラマ)」と名付けられました。その名前を受け取った時、グルバイたちはみんな感動して大歓びしました。本当に大きな贈りものを受け取りました。このアーシュラマに来る人たちが至福を感じられるように頑張ります!!
ヨギさんに心からの感謝を捧げます。

プリヤー


渇望(タンハー)

「アッ、アイスコーヒー!」

私は台湾で開かれるサットサンガに参加するため、早朝に日本を発ち、バスと地下鉄を乗り継いで直接、会場のジョイフルリビングに向かっていた。
3月後半にもかかわらず、南国の台湾は暑く、汗が止まらなかった。
普段は夏でもアイスコーヒーはめったに飲まない。
でも私は思わず、会場近くのカフェでアイスコーヒーをオーダーした。
私の喉は、冷たいアイスコーヒーを渇望していたのだ。

サットサンガに参加し、台湾グルバイと交流した後、師の滞在している宿に着いた。
ミラバイさんが夕食のカレーを準備してくださっていて、皆でいただいた。
宿にはミラバイさんの他、ニューヨークからアーナンダマーリーさん、また前日から一緒に住んでいるラームダースも京都から来ていた。
食後は師の淹れる極上のドリップコーヒーをいただき、至福のひと時を満喫。
リラックスした中、会話は自然とサットサンガのようになっていった。
約2週間後に春の祝祭が行なわれることもあり、その内容は「ブッダ」についてであった。
ブッダが最初に説いた教えは「苦集滅道」であったといわれている。
感情を挟まず心の苦しみを観察し(苦)、その原因を瞑想によって見極め(集)、執らわれを無くし(滅)、実生活でその無執着を実行する(道)――
このブッダの苦集滅道の教えを、時代を超えて私も実践していた。
その結果、心の執着は弱まり、真理への思いが高まっていた。
しかし、どこか深まりが足りないということも感じていた。
この夜、苦集滅道の「感情を挟まずに心の苦しみを観察すること(苦)」に関して、師は次のように強くおっしゃられた。

ラームダース「瞑想を深めていく時に、まず止観というのが大切ですよね。何の思い込みも挟まずに、とにかく観察を続けていくことで、どんどん原因の部分に深く入っていくというか」
ヨギ「そうできたら。誰が止観しているのか? 一方では心やろ。もう一方では心を見るわけやろ。それは矛盾した話やん。同じ一つの心が二つのことはできない。だからそんな悠長な止観みたいなものはできない。もっと苦しみながらと言ってもおかしいけれども、のたうち回るくらいの切羽詰まった直接的な体験をしないとだめ」
ゴーパーラ「何の感情も挟まずに心を見ることが大事だと先輩から教わったのですが、そんなの無理?」
ヨギ「感情挟んだらええねん。もっと感情挟んだらええねや」
ゴーパーラ「のたうち回るぐらい」
ヨギ「そうや。感情が無くなるというのは、全部終了して初めて無くなるんやから。それまではついて回ってるんやから。心の働きそのものが思考とか感情とか、そういうものによって成り立っているわけやから、それを無くすなんていうことははっきり言って不可能や。だからもう一方では、必死になるとか言うやんか。それは、のたうち回るっていうことやで。格好もクソもないねん」

確かにそうだ、病気の正確な診断ができるのは優れた医者だけである。
患者が患者自身の病気を冷静に診断し、治療することなんてできない。
病気に絶望し、病気を治したい、健康な状態に戻りたいという強い思いが患者自身から湧き出てこない限り、医者を探すことはもちろん、治療やリハビリは不可能だ。
私は、はっきりと自分に足りないものが感じられた。
それは、のたうち回るくらい切迫感をもって真理を求めるということ!
そうでないと苦しみは完全に滅しない。
薬をちょこちょこ飲んでももう意味がないのだ!
師は、さらにこう言われた。

「のたうち回わるというのはタンハー。渇望を伴いながらもがくとかね。もがくというのは、単純な話はほら、修行者が水の中に頭をつけられて息ができひん、もがくやんか。何がしたいんやって、息がしたいだけやて。まさに水の中に頭突っ込まれたあの状況や」

(続く)

ゴーパーラ


NYグルバイ、エーカーンタ!

桜の木も緑に色付き、あっという間に新緑輝く季節になってきましたね😃🍀
先日の4月8日、マハーヨーギ・ミッション春の祝祭「サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー」が開催されましたが、その祝祭に合わせてニューヨークからエーカーンタさんが来日していました!

向かって右がエーカーンタさん、左がアーナンダマーリーさん。in鞍馬。

エーカーンタさんは5年前のちょうど桜が満開の時に京都を訪れていて、前回同様に今回もラームダースと私の住まいのシャーンティ庵に滞在しました。
まるでパラマハンサ・ヨーガナンダを思い起こす少年のような笑顔の彼は、東欧のルーマニア出身。
チャウシェスク政権下で過酷な青少年期を過ごした彼は、料理を手伝ってくれてもとても手際がよく、毎日お母さんの料理の手伝いをし、家族で支え合って暮らしていたそうです。
ちなみに彼のお兄さんは、あのパラマハンサ・ヨーガナンダの『あるヨギの自叙伝』をルーマニア語に翻訳した方のようです😲

今回の10日間の滞在でエーカーンタさんは祝祭に参加したことはもちろん、連日に渡って多くのグルバイと交流をしました。
真我の探求――「私は誰か?」のギャーナ・ヨーガの瞑想をしている彼は、同じギャーニーであるサーナンダさんと数多くの問答を繰り広げていました。
ギャーナ・ヨーガの瞑想のレベルについて質問する彼にサーナンダさんは、「ギャーニーにとってレベルなんてない!在るのはアートマンだけで、その他のものはすべて幻想!」というような感じで、ヒートアップした問答が展開されていました。

シャーンティ庵でサーナンダさん(左前)と交流した時の様子。

エーカーンタさんのこの10日間の滞在は、もう心も身体もパンパンになるほど、相当な濃密な滞在であったと感じます。
彼はヨーガを始めて5年ほどで、ほとんどが先輩弟子という状況の中、たくさんの話を聞くうちに、ニューヨークに帰って自分が日本の弟子のようにヨーガを実践できるのかという不安や恐怖がよぎったそうです。

しかし滞在最後の夜、エーカーンタさんのその思いは吹き飛ばされていました。
この日、彼は師のヨギさんと一緒にクリパールさんが農業を営んでいる丹波を訪れ、その後師と夕食を共にしたそうです。
そこで師にその心中を打ち明けると、師は「ヨーガを続けて実践すること」と、そして次のことをおっしゃられたそうです。

「その恐怖しているのは誰か?」

師と交流した後、夜遅くにシャーンティ庵に帰宅した彼の表情は、大袈裟ではなく、光輝いていました。
心の迷妄の雲は吹き飛ばされ、光を放っていました。
この日が「人生でいちばん最高の日」と歓びに溢れて話していたエーカーンターー

師の存在を心から尊敬し、愛している最高のグルバイです!!!

「あの梵鐘を鳴らすのは……誰?」

ゴーパーラ


京都・大阪 瞑想1日ワークショップのご案内!

皆さま、こんにちは🌸
4月に入って新学期や新生活をスタートされた方も多いと思いますが、いかがお過ごしでしょうか?
京都の瞑想専科は5月10日から第4期が始まります!
詳しくはこちら⇒http://www.mahayogi.org/classes/meditation_kyoto

瞑想専科が始まってはや1年半が経ちますが、第1期から参加している野口美香さんが瞑想専科に通いながら日常の中で瞑想を続けてきた感想を寄せてくれました!
瞑想を実践している方はもちろん、新しいことを始めたり、慣れない環境で苦戦している方にも、きっと役立つ内容であると思います😁


瞑想専科では、心の機能や性質について、心がまるで一つの臓器でもあるかのように客観的に、また丁寧に教えてくださいます。
私は日常生活の中で嫌な思いをした事柄に再び関わる時、瞬時に「嫌だ」と反応してしまいます。瞑想の成果は日常に現れると教わってきたので、そういう反応が分かると瞑想ができていない証拠として、自分に落胆することが増えていきました。しかしある頃から落胆した後、「そこで落ち込むのは違う」と神の声?が聞こえるような気がして、川の流れが変わるように思考回路が変わりはじめました。
瞑想専科で、こんなお話を聞きました。

①なぜできないかを考える
②自分にはまだできないことを自覚する
③どうすればできるようになるかを考える
④できるようになるまで淡々と実行していく

自分に照らし合わせていくと、悩む時は心のどこかで「自分はできる」とうぬぼれているからで、「悩むのは優劣意識があるから」と教わったその通りだと思えました。できない自分を認めたくないという思いが邪魔をして、なぜできないかの原因を見極められずシリアスになっているだけでした。そうではなく今、できていない現実の自分を受け入れて、どうすればできるようになるのか?努力で解決できそうなら、それをひたすら行なっていくだけと学びました。

瞑想専科で学びながら生活するうちに、瞑想も日常も別に上手くいかなくてもいいと思え、もしずっと上手くいかないとしても、「最後までやり通したい、諦めずにこれを淡々としていく」と思うようになり、それが自分のヨーガへの信仰であり、信念だと思いました。そう思えたことで、瞑想で何かを得ることが目的ではなくなり、焦りの気持ちも消え、ただ毎日行なおうという祈りのような気持ちに変わりつつあります。そして、あれこれ考える心の奥にあるそれらを見ている意識、そちらが本当の自分というところに、自然に導かれているように感じています。
どうしようもない時こそ、押し黙って自分に向き合い、繰り返し瞑想を試みる――これからも瞑想の実践を続けていきたいと思います。

                                        野口美香


京都の瞑想専科は4月21日(土)、また大阪の瞑想専科は4月22日(日)にワークショップが行なわれます。
瞑想にご関心がある方、深めたい方はぜひご参加ください😇

<京都>
● 日時:2018年4月21日(土)14:00〜15:30
● 会場:京都駅近 キャンパスプラザ京都 2階和室(京都市下京区西洞院通塩小路下る東塩小路町939)
● 参加費:1回2,160円
● 内容:瞑想の実習、講座、Q&A
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<大阪>
● 4/22(日)14:00〜15:30
*次回ワークショップ:6/7(木)19:30〜21:00
● 会場:中之島 中央公会堂(大阪市北区中之島1-1-27)
● 参加費:2,160円
● 内容:座法(座る形)の練習、講座、瞑想体験
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ゴーパーラ


ブラゴパーラ vol.5 「高山寺 明恵上人」編

皆様、こんにちは。
寒い日が続いていますが、わずかばかりか日差しも暖かく感じられ、春めいてきましたね。
今回のブラゴパーラでは、立春の2月4日に洛西高雄の「高山寺(こうざんじ)」を訪れてきました〜😎

ここは、洛中の喧噪を離れた深山。
凛と立つ杉の木が物語るように、そのプラーナ(気)は澄み切っていました。

境内に入ると、「明恵上人」の掛け軸がありました。

弟子の成忍が筆写したものといわれているそうです。

この高山寺は、鎌倉時代に明恵上人が開山したお寺。
大学で仏教を勉強していた私でしたがその当時は、明恵上人のことは「法然を批判したお坊さん」ということだけしか知りませんでした😅
この明恵上人は、『摧邪輪(ざいじゃりん)』という書物で法然の念仏を批判をしています。
その内容は、念仏を唱えることによって救われるとする法然の専修念仏に対して、仏道には悟りを求める「菩提心」が必要不可欠だというもの。
ただ今回、この明恵上人に触れてみると、念仏批判をしたこの明恵上人こそが「念仏者」なのでは👀❓と感じさせられました。

明恵上人は、宗派は華厳宗ですが、若い頃から真言密教や禅、またサンスクリット語を学んでいたエリート。
将来を嘱望されていましたが21歳の時に国家的法会の参加を拒み、その後は遁世して和歌山の白上、京都の高山寺で修行に励みます。
この間、ブッダへの強烈な思慕が顕著になってきます。
ブッダへの思いから『大唐天竺里程記』という書物を作って仏跡巡礼の計画を立て、2度もインドに渡ろうとしたほど(一度は病、二度目は春日明神の神託で断念)。
そして何よりブッダへの強烈な思慕の表れは、禅定に入るために自らの右耳を切り落としたということ――
出家して奥深い山に入ること自体、煩悩を断ち切らないとできないこと、またそこで修行していたら煩悩がなくなっていきそうな印象も受けます。
それでも心の奥深いところでは切っても切れない根深いものが煩悩だということを、明恵上人は教えてくれます。
しかし、その煩悩を断ち切って悟りに至りたいという覚悟から、彼は右耳を祭壇にくくりつけ、切り落とします。

「楞伽山(りょうがせん)」(インドの南海地方にあるとされる山)と名付けられた高山寺の裏山。
そこで穏やかな表情で瞑想している明恵上人。

ただ、切り落とされた右耳は隠れています。
私はこの掛け軸を見ているとその穏やかな表情の背後から、明恵上人の悟りへの凄まじい情熱と、そして何よりブッダへの愛を感じずにはいられません。
このブッダへの純粋な思いこそが「本当の念仏」ではないか、そう感じた今回のブラゴパーラでした。

この高山寺には日本最古の漫画とも称される絵巻物「鳥獣人物戯画」も伝わっています🐸🐰

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