投稿者「サーナンダ」のアーカイブ

愛媛サットサンガ(3)

愛媛の特別サットサンガの最終日は今治。
ゆるキャラのバリィさんに象徴される今治は、タオルや造船、やきとりが有名なしまなみ海道の町です。
会場の山本さん宅に入ると、ちょっとお年を重ねた方が多いような気が……
それもそのはず、名簿を見ると70代の参加者だけでも10名近く……(驚き!!)
でもみなさん、色鮮やかなミッション40周年Tシャツを着て、何だかとても可愛らしい。(←お世辞ではありません。ヨーガ行者は嘘は言いませんから笑)
会場は幾分、和やかな空気感でしたが、サットサンガが始まるとそのムードは一転、皆がヨギさんに集中し、真剣な問答が展開されました。

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その内容は、身近な人を亡くした方が多かったため、死に関連した問答が多くありました。
「亡くなった人と、どのように付き合っていったらよいのか?」「お経を唱えるとは?」「来世に修行をもちこしてもいいのか?」
死についての問答は松山でもありましたが、ヨギさんが説かれることは一貫しているように思いました。
それは、「死を正しく理解すること」です。
この今治のサットサンガでは、以下のように説かれました。

「死という問題がありますけれども、生まれた者はいずれ死にます。これはこの宇宙、すべての掟です。死なないためにはどうすればいいのか。生まれないことになります。でも、誰もが生まれてきてしまったんですから、この死という問題には直面せざるを得ません。やはり、死というものを正しく理解する必要があります。死を恐怖するだけではだめです。不安に思うだけでもだめです。正しく理解すればいいんです。死というのは肉体がなくなること。肉体から命が去ってなくなること」

そしてヨギさんは、もっとも大切なことを説かれました。

「その本体である魂は決して死なない。決して殺されることはない。どんな爆弾をもってきても破壊されることもない。そんな不死の永遠の存在がそれぞれの本質、本性です。神そのものです」

私は愛媛へ出発する日、「今までで一番心に残っているヨギさんの言葉は何ですか?」と、ある方から尋ねられました。
その時突然、「本当の自分とは、この身体でもなく心でもない、その奥にある永遠の存在」という言葉が浮かび上がってきました。
私はその言葉が今までで一番印象に残った言葉であるとは思ったこともなかったので、驚きました。
そのままを伝えたらよかったのですが、それを口に出すことができませんでした。

大袈裟に聞こえるかもしれませんが、この今治のサットサンガが終わった時、そこにあったものはヨギさんの振動だけでした。
私は愛媛の3日間、胸の奥にずっと熱いものを感じていました。
それはヨーガを始めた頃に感じたものと同じ感覚でしたーー「これがあれば、どんな宝石も財産も名誉もいらない」、そう思えるものです。
私は改めて、この愛媛の3日間を振り返り、胸を熱くさせるものがどこから来ているのか、それが何なのか、確信しました。
それこそが、「不死の永遠の存在」だと!!!
そしてヨギさんはいつもずっとそれだけを説かれ、それに目覚めるように皆を導かれている。
クレイジーともとれるこの真実を真剣かつ誠実に述べている人に、私は未だかつて会ったことがありません。ヨギさん以外に!!!

この愛媛の特別サットサンガは、愛媛のグルバイの方々の長年に渡る準備と、ヨギさんへの純粋な思いがあってこそ、実現したものでした。
愛媛の方々の働きは本当に誠実そのもので、京都から来た私はそれに乗っかっただけでした。
ヨギさんの存在とお言葉、そしてグルバイこそが真の宝であり、希望であり、祝福であり、どんな爆弾にも負けない至福の爆弾だと感じる3日間でした。
本当にありがとうございました!!!(終)

飯尾洋平


愛媛サットサンガ(2)

「この人生で、もっとも大切なものは何でしょうか?」

家族や恋人、仕事、お金、または神……その答えは人の数だけあるのかもしれません。
でもたぶん、自分が幸せを感じることが、その答えであるように思います。
生きている限り、人は必ず幸せを求めていると思います。
でも、なぜかその幸せは続かないし、また得られない。
満たされることはなく、結果は苦しむことがほとんどです。
では、どうしてそうなってしまうのでしょうか?
愛媛の特別サットサンガ二日目は、この人生の難問についての問答がありました。

サットサンガ二日目は、昨日に引き続き、松山ヨーガ・サークルで行なわれました。
二日目ということもあり、昨日よりも会場の雰囲気は和らぎ、心地よい集中感がありました。

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昨日に続いて2回目の方〜!

そんな中、ある男性の方が次の質問されました。

男性「心は道具として使うということなんですけれども、結局僕らは上手く使えてないから苦しみの中で生きてしまっていると思うんです。人の本性が真理であったり神であったりするならば、なぜ苦しみが次々生まれて絶えることがないのかということがすごく疑問で、その点についてお伺いできればと思うんですが」

ヨギさんのお答えは、「真理ではない間違った智慧、これに心がすがって、そこからさまざまな欲望を紡ぎ出し、それに執着した挙げ句、結果として苦しみに至る」という、「真実を知らない無知」が苦しみの原因であるというものでした。
心は常に変化する世界や肉体が永遠であると思い、またエゴを自分であると思っていることがその間違いであるとヨギさんは説かれ、そして「幸せ」について、以下のように言葉を尽くして答えられました。

誰もが幸せを願って人生の中で努力をしていると思いますが、その幸せや喜びというものが本当に永遠であるのかどうか、完全であるのかどうかといえば、つくりあげられた幸せもやはり、この世界と同じように状況の変化の中で刻々と姿を変えます。つかの間の喜びは、やがて苦しみや悲しみに変わることはある。またこの世界は最近も起こったように天災もあれば、どうにも人間の力では敵わないような出来事も起こります。そんなことに接すると心も痛むし、苦しみ悲しみも起こります。しかしそれらも、いわば変化の一相なんです。いいときもあればよくないときもあります。東洋の農業国にとっては雨は必要なものだし、農作物を豊かにもしますが、それが増えすぎると洪水にもなって人の命も奪うこともある。包丁も美味しい料理を作ることができれば、人を傷つけることもできる。何事にも二面性があります。一方的にそれが善であり、悪であるとも言いがたい。しかし心は何かしらに執着をして、それにとりすがってしまう。それは正しく見れていないから。その結果、思うようにならない時に苦しみ悲しみを感じてしまうわけです。心はそんな間違いを原点としながら、儚いことも知らずにこの世界の中でいろんな喜びをつくりあげようとしています。そうしてそれにすがってしまうんです。それに執らわれてしまうのです。それが苦しみとなるわけです。そのような無知、そして無知から生じた煩悩、つまり欲望や執着というものを自分がつくり出したにもかかわらず、それらによって自分が苦しんでしまうというのが先ほどの問題の答えなんです。
ここに苦しみから脱出する方法も暗示されています。つまり、無知を無くせばいいわけです。簡単な話です。正しい智慧、真理を学べば、無知は無くなるわけです。そうすれば儚いことを追いかけることも、それに執らわれることもないし、心は混乱することもないのです。

なぜ人はこの人生において幸せを求めているのに苦しむのか、またそれをどのように無くせばいいのかーー心や世界の二面性を正しく見ることによって、つまり真理を学ぶことによって無知が無くなり、苦しみから抜け出せるーー
この人生の難問についてここまで分かりやすく、また確信をもって答えるヨギさんのお言葉に、参加者は真剣に聞き入り、会場の集中度はピークに達していました。
しかし、ヨギさんはそれを解きほぐすかのように、以下のように話されました。

と言葉では簡単に言えます(皆大笑)。実際は心というのは、なかなかそれをこうだよと理屈で言ってもそのようになってくれない。これが厄介なところ。だから少々時間も必要です(皆笑)。そして学ぶことも、昔の言葉で言う修行といいますけれど、やっぱり少しは努力をしなければなりません。なぜならこの無知というものは昨日や一昨日できたものではないのです(納得や驚きの声)。もうおよそ想像がつかないぐらい昔から輪廻転生してきている、生まれ変わって何度も何度も繰り返し生まれ変わってきているこの中で形成されてきているわけですから、心そのものをすっかりクリーンアップするにはちょっと手間も時間もかかることを覚悟してください。
だけど、この智慧に人生において出会う縁をもったということは、その生涯においてそれを達成することができるという希望です。必ずできます。

私はヨギさんのこの「希望」という言葉を聞いた時、天井から何かが降ってくるような、そんな感覚がありました。
それは「祝福」でした。
ヨーガと出会ったこと、そしてヨギさんと出会ったこと、この人生においてこれほど吉祥なことはない、そう感じました。
私だけではない、会場にいるすべての人が「祝福」され、ヨーガに「希望」を見いだした瞬間であったように感じました。

サットサンガが終わって、ヨギさんに「今日のサットサンガ、どうだった?」と尋ねられ、この時感じたことを話そうとすると、不思議と胸の奥から込み上げてくるものがありました。
言葉に詰まりながら「松山が祝福されたと感じました。会場にいた人は皆、ヨーガをやっていこうという気持ちになったと思います」と話すと、ヨギさんは笑顔で一言、「松山まで来た甲斐があったな」とおっしゃいました。(続く)

飯尾洋平


愛媛サットサンガ(1)

5月21日、22日、23日の三日間に渡り、ヨギさんが愛媛を訪問され、特別サットサンガが行なわれました!
これは愛媛の方々の念願であることはもちろんですが、私の念願でもありました!
なぜなら愛媛は、私が京都の大学に進学するまで過ごした「地元」だからです!
そして今回、私は京都から師に同行させていただくという幸運にも授かり、本当にドキドキとワクワクで胸が高鳴っていました!

愛媛での特別サットサンガは、最初の二日間は松山、三日目は今治で行なわれ、申し合わせたように45名を超える参加者が集いました。大袈裟ではなく、この三日間とも質疑応答は全く途切れることはありませんでした。どの参加者も真剣かつ誠実にヨギさんに質問し、そのヨギさんのお答えは大変素晴らしいものでした。そのすべてをご紹介したいところなのですが、このブログでは特に私の印象に残ったことをお伝えしたいと思います。 

一日目の松山、その会場は松山ヨーガ・サークルでした。
2005年から発足したこのサークルの拠点になっているスタジオは、松山の一等地である松山市駅のすぐ近くにあります。
京都でいえば四条河原町、東京でいえば新宿アルタ前といったところでしょうか? 地元の方なら本当に驚くような中心地です。
この日は初日ということもあり、参加者はヨギさんと会える歓びと期待、また緊張が入り交じったある種、独特の雰囲気が会場全体を覆っていました。

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スタジオは満員!

そんな中、二番目に質問したのが、去年の二月に京都のサットサンガに初参加したDさんでした。
その京都のサットサンガの時にDさんは、幼い頃から母親の言葉に傷付けられ、今は介護が必要な母親にどのように接していけばよいかと質問し、ヨギは「過去に執らわれないこと。どんなことを言われようと奉仕すること」とお答えになっていました。
Dさんはこの一年間、ヨギさんのお言葉を胸にもって母親に接し、母が嫌いだという思いはなくなってきたが、自分自身のことを思っている不純さと、真理からいちばんかけ離れているお金に対する執着が抜けきれなく、どうしたらいいのかと質問をしました。

ヨギさんは即座に次のように答えました。

「もったいないね。そんなこと思っている、それだけでも時間も精力もご自身の人生そのものがもったいない。そんなことやっている暇はない。そんなのどうでもいいこと! はっきりそこでそんなことに執らわれないようにする。そうして心を教育していかないといけない。あぁ、もったいない! あぁ、本当に目の前に宝物があるのに!」

厳しさもあるお言葉でしたが、Dさんは一瞬にして何かが落ちていったように、その表情はとても晴れやかになっていました。
Dさんとは去年の二月に京都でお会いして、その後松山でのクラスに熱心に参加され、また瞑想特別クラスの際は積極的にお手伝いをしている姿や話などを見聞きしていたので、その良い変化は京都からでしたが感じていました。
ヨーガは実践だといわれますが、真理の教えはすぐには身に付かないのが大半です。そんな葛藤から生まれたこの質問とこのヨギさんのお言葉はサットサンガの醍醐味そのものであると感じました。

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参加者のみなさんがヨギさんを食い入るように見つめていたのが印象的でした。

その後サットサンガは、死の恐怖というところから苦集滅道の教えがあり、また輪廻転生や宗教の本質についてのことが話され、最大延長の二時間半のサットサンガになりました。
ヨギのお言葉に涙する方、目が点になっている方、納得してうなずいている方、いろんな反応がありましたが、質問をせずに下を向いて座っている人もいました。
その下を向いていたのが私の母でした。

実は私の母は約二年前から松山ヨーガ・サークルのアーサナクラスに通っており、今回ヨギさんに初めて会いました。
質問はしなかったし、下を向いていることが多かったので、「ちゃんと聞いているのかな?」と思っていたのですが、サットサンガが終わって数時間後に電話をして「今日はどうだった?」と聞くと、「ヨギさんの声がよかった。若々しかった! 笑いもあって、ヨギさんてこういう人なんだというのが少し分かった。空の教えや苦集滅道の話が分かりやすかった」と話し、電話越しの母の声がいつもよりイキイキしているのが分かりました。
何だかそれがとても嬉しかった一日目のサットサンガでした。(続)

飯尾洋平


夏の瞑想合宿のご案内

みなさん、瞑想と聞いてどういうイメージをしますか?

瞑想って、無になることなんちゃうの〜、や
アーサナクラスに通っているけど、瞑想ってよくわからんわ〜、や
自分なりに瞑想してみてるけど、これでいいんやろか〜、など
いろいろなイメージをお持ちかと思います。

瞑想ってなんなのでしょう?
私も最初はただ無言で座ってるだけやけど何が起こるんや?と不思議な気持ちでやっていました。
同時期にヨーガの教えを学ぶ機会も増えてきて、徐々に染み込むようにわかるようになってきた
ことがあります。
それは、瞑想によって心は穏やかになり、日常の心のあり方も変化するということです!
ストレスの多い現代社会で生きる上で瞑想はめっちゃ有効や!と思います。
瞑想する人が増えれば社会全体が変わるかもしれません!?

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この夏7月16〜17日、そんな瞑想を学び体験できる特別合宿を開催します。
場所は滋賀県近江神宮内の近江勧学館です。
神社の敷地内にありますのでとても静かで、神聖な気持ちで瞑想を学べること間違い無しです。
もちろん中身のプログラムも充実していますので、密度の濃い体験が出来ることでしょう☆
ぜひぜひこの機会を逃さずにご参加ください!

お申し込みはHP(←クリックしてください)またはお電話にて受付開始しています。
定員もありますので、お早めにお申し込みくださいね(*^^*)

モリピー


誰でもできる

2016年4月24日から5月5日まで、ミラバイさんが再び台湾に来てくださいました。昨年に引き続き、ミラバイさんの2回目の訪問です。この期間に2回のバクティ・サンガム、3回のサットサンガ、4回のアーサナ・瞑想クラスが行なわれました。前回のエッセイの記事は4月24日のバクティ・サンガムについてでしたが、今回はサットサンガの様子をご紹介したいと思います。

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この2週間の中で、3回のサットサンガ以外にも、アーサナ・瞑想クラスの後に毎回30分の質疑応答が行なわれました(よく延長して、1時間になってしまいましたが…)。みんなはとても熱心に、たくさんの質問をしました。アーサナや瞑想についての質問もあり、人生の難問についての質問もありました。でも、どんな質問にも、ミラバイさんは明快で分かりやすく答えました。みんなは知恵に溢れる答えを真剣に聞いてうなずいたり、ユーモアに富んだ話に思わず笑ったりしていました。真理の話を聞けば聞くほど、みんなはミラバイさんの魅力に惹き付けられて、とても自然に自分の心を開くことができたそうです。

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あるクラスでのこと、一人の参加者が他の人との問答に感銘を受けて、「ミラバイさんのようになりたい」と感嘆しました。そして、もう一人は「MYMのヨーガだけをやって、今のミラバイさんの境地に到達できますか」と聞きました。

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実は、去年の5月から、台湾では毎月1回の読書会を行い始めました。読み物は日本の先輩たちが書いた記事です(NYのウェブに公開している記事です)。それらの記事から、基本的なヨーガの知識や先輩たちがどういうふうに実践しているか、たくさん勉強になりました。でも、例えば<カルマヨーガ>や<ヨーギーを目指して>などの記事を読んで、時々こういう声もあります:「抽象的にすぎて、分かりません。」「難しすぎるので、私にはできません」「自分にとって遥か遠くのことようです。私は凡人です。そのようなれますか?」

イエスや仏陀などの聖者に対して、そのような思いは多いでしょう。「彼らは特別です。私は凡人です。なので、その境地に到達できません」

しかし、ミラバイさんが台湾に来てくれるのは、私たちにとってはとても貴重な機会です。完璧な手本は今私たちの前にいます!ミラバイさんは最初からミラバイではなかったです。彼女も人生に疑問をもって迷っていました。彼女もヨーガの道で失敗したことがあります。だけど、彼女は続けてきて、今のミラバイになりました。真剣にヨーガの教えを実践していけば、確かに霊的な成長はできるのです!

ミラバイさんの話しを聞いて、感じた知恵や魅力は、彼女が努力を欠かすことなく実践している証明です。ミラバイさんは複雑な道筋や曖昧な話術を言っていません。彼女はただ真理そのものをみんなに伝えます。言葉だけではなく、彼女の姿を通じて、真理を表します。

ヨギさんは、真理は単純なものと言われます。ヨーガを実践することは、必要ではないものを捨てて、自分を純粋にして、ますます単純な真理に近づいていくことです。私たちがミラバイさんに惹き付けられるのは、ミラバイさんからその単純さ、その純粋さを感じたからだと思います。

実践し続ければ、私たちも誰でもそのような単純に、純粋になれます。ミラバイさんからそのような確信をいただきました。ミラバイさんに言葉にならない感謝をしています。

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愛媛サットサンガのご案内!

このたびとっても嬉しいご案内があります!マハーヨーギー・ヨーガ・ミッション40周年に際して、私の尊敬する大好きな師、ヨギさんが松山と今治まで来てくださって特別サットサンガをしてくださる運びとなりました。

私自身はヨギさんにお会いしてから、松山から京都まで定期的に通い続けてヨギさんから直接、学ばせていただきました。それはやはり、サットサンガの醍醐味は書物では得られないものだったからです。

ヨーガを学び始めたばかりの頃のあるサットサンガが今でも忘れられないのですが、ヨギさんが私をまっすぐみつめておっしゃった「悲しむのは無知があるから」という教えの内容というよりも師の優しい眼差しと柔和なお姿、そして優しい口調とお言葉が印象に残りました。松山へ帰ってからも不思議といつまでも胸の中から離れず、ずっとその言葉に支えられ普段の私なら間違いなく動揺するようなことに直面した時、目の前のことに巻き込まれることなく、冷静に行為できたことがあります。いつも人に甘えることしか考えていなかった私が人の支えになりたいと初めて思えた出来事でした。

さて、松山ヨーガ・サークルの活動が始まって11年になりますが、少しずつクラスに参加される方も増えてきて、ヨーガに関心を持って実践を続ける方が増えてきました。今回、ヨギさんを愛媛の地にお迎えするという念願が叶い、特別サットサンガが行われることになり、クラスに来られている方がヨギさんにお会いし、ヨーガへの縁を深める機会になると思うと、本当に嬉しく思います。いま、わくわくしながらみんなで準備をしています。

ぜひ多くの方がヨギさんの存在そのものに触れ、ヨギさんのお言葉を耳にして、その後の実践につなげていただけたらと願います。きっと素晴らしい体験になるだろうと思います。

このような吉祥な機会を授けてくださった師に、心から感謝を捧げます。

松山ヨーガ・サークル
アーナンディー


大宮グッドフェスティバル参加レポート!

みなさんこんにちは~。初めてブログを書きます。志世です。

昨日は『大宮グッドフェスティバル』というイベントに参加してきました!3人のヨーギーたち(注:親子ではありません〜)がアーサナのデモンストレーションを行いながら、アーサナをするとどんな良い効果があるのかをと~っても楽しく!分かりやすく!ヨーガダンダさんが説明していきました。

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説明をする座長のヨーガダンダさん

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バッタのポーズ
「スマホやパソコンの画面を見過ぎて目の疲れがとれないことも多いですよね~。そんなときはこのポーズ!首の裏あたりに刺激がきて目に良い効果があります!寝る前にこのポーズをして次の日の朝見えなかった新聞の文字が見えるようになった人がいるんですよ~!」

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肩立ちのポーズ
「このポーズは老化を防ぐポーズと言われていて、古い聖典によると60歳が16歳に若返ると言われています!」

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瞑想の座
「アーサナによって呼吸が静まると、心は平安な状態が訪れます。ヨーガを続けていくとアーサナをしている時だけではなく日常の中でもその心境が続くようになっていきます。」

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「へ~!!!」「ほ~!!!」といった具合に身近な話からどんどん観客の関心を引き寄せていき、やがて会場全体が集中感のある神聖なプラーナへと包まれていきました。

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デモンストレーションが終わった後はさっそく年輩のご婦人や若い男性たち、様々な年齢層の方が幾人か興味をもたれてクラスの案内チラシを取りに来られました。「一度でいいからやってごらん!あなたの人生変わっちゃう♪」と唄っていたヨーガダンダさんの熱いハートがバッチリ伝わったようです!

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おまけ:アーサナを真似する可愛らしい姿も見ることができました。

ありがとうございました。

平岡志世


大宮グッドフェスティバル出演決定!

みなさん、ゴールデンウィークはどのようにお過ごしですか?
どーも、ヨーガダンダです。

今年のゴールデンウィークはまるで夏みたいに暑いですねぇ~!ゴールデンウィークはゆっくりして、仕事の疲れを癒したいのに、家族サービスやら何やらで、よけいに疲れてしまったなんて方もいらっしゃるかもしれませんねぇ~。肩もこってるし、腰も痛いし、最近飲み会が続いて胃腸の調子もおかしい、なんてねぇ~。病院に行ったら薬渡されて、その薬の副作用でまた他の薬がいるようになって、お金もかかるし、悪循環ですねぇ~。でもヨーガはもともと誰もが持っている自己治癒力ってなもんを使って治していくんで、ただですよ!副作用もないしねぇ~。本人のやる気さえあれば、ね!

一度でいいからやってごらん
体の中から活性化
この世は夢か、幻か
あなたの人生変わっちゃう♪

ってな感じでですね、今回は大サービスで、ヨーガのポーズをお見せしちゃいますよ!三人のヨーギーの集中感のあるアーサナ、ね、特にKidsヨーギニーのアーサナは見物でっせ!
肉体、肉体の中にある微細な体、そして霊的な部分ってな感じで順を追って説明していきやす!
さぁ、興味のある方は大宮グッドフェスティバルへ! 寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!

大宮グッドフェスティバル
■日時:5月4日(水)16時10分~16時40分
■場所:四条大宮駅前バスロータリー会場

ヨーガダンダ


神を愛し、神に近づく

「ミラバイのキールタンは、何が違うと感じましたか?」。3月、アーナンダマーリーさんに聞かれました。

「はい…西洋の音楽家が行なうキールタンはコンサートみたいですが、ミラバイさんのとはずいぶん違います…」。私は漠然と答えました。

4月24日に、台湾でバクティ‧サンガムが行なわれました。
それは、ミラバイさんの訪問期間の一回目のクラスであり、参加人数が一番多く会場が一番大きいクラスでした。

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40人の参加者の中で、アーサナクラスに来ている方もいるし、新しい方もいました。初めてバクティ‧サンガムに参加する人もいました。みんなはミラバイさんの綺麗な歌声と優しい眼差しと笑顔に吸い込まれてリードされました。ドラマーのプリヤーは去年もドラムをしてくれて、伴奏もミラバイさんと息が合い、参加者はすぐメロディーと歌詞を覚えました。まもなく雰囲気が調和してきました。みんなはメロディーに合わせて体を揺らしたり、目を閉じて陶酔したり心ゆくまで歌っていました。音楽が静まると、何人かが喜んで涙を流していました。私もその中の一人です。

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その後のサットサンガで、私はまっ先に質問しました:「どうしてキールタンを歌うと涙が出てくるのですか?」

「それは、心が神聖な存在に触れたからです。皆さんも経験があるかもしれませんが、とても美しいものや何か偉大なものに触れると、感動して泣いてしまうようなことがあると思います。それは知性や理性を越えたものです。それはとてもいい経験で、神に近づく扉を開いてくれると思います。もっと神を愛して、近づいていってください」。ミラバイさんは優しく応えました。

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私はもともとキールタンが大好きです。去年、まだミラバイさんが誰か分からない時、youtubeにあるBoloBoloの映像を見て、すっかりミラバイさんの歌声に惹かれました(もし私がレコード会社で働いていたなら、きっとミラバイさんと契約を結びたい!と子供っぽく思いました)。そして、ミラバイさんのキールタンに参加しましたが、その時の感動がずっと心の中に残っています。

今年参加者の立場だけではなく、スタッフとして準備から退場までにもかかわりました。バクティ‧サンガムが終わってから、アーナンダマーリーさんの質問をもう一度思い出しました。自分の感受の違いを素直に話したいです。

以前、キールタンのことを好きすぎて、台北だけではなく、バリ島や香港にまで行って西洋ミュージシャンのキールタンに参加しました。ストレスの解消や頭が一時的に静まる喜びを楽しむことは、キールタンの目的と思い込んでいました。

けれども、ミラバイさんは歌を通じて、何の見返りも求めずに、神へ素朴に敬虔にすべての愛を捧げます。そしてキールタンを繰り返すことによって人々に内に在る聖なるものに触れさせます。

私はその純粋で透明で言葉にならない存在にまた少し近づいたと感じました。来週また一回のキールタンがあります! 台湾にいる私たちはどんなに幸運なのでしょう。

エッセイ(台湾)

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ミラバイは4月21日から台湾を訪問しています。今回の記事は、4月24日に開催された第1回目のバクティ・サンガムとサットサンガの様子をエッセイさんが日本のグルバイのために記事にされたものです。ルーさんが日本語に訳してくれました。たくさんの方々が熱心に参加され、ミラバイと交流されている様子がよくわかります。

ありがとうございました〜


『黒インド古典』のご案内

皆さん、初めまして。
洋平です。
ブログ、初投稿です。(たまに「孔雀のポーズ」の写真が上がっていますが、それが僕です)

アーサナ②
「The Eternal Quest」で披露された孔雀のポーズ(右)

4月29日(金・祝)に西梅田のアギーというお店で行なわれる「黒インド古典」というイベントのご案内をさせていただきます。
この「黒インド古典」は、シタール奏者のオザキ シュウヘイさんとタブラ奏者の室ユウヤさんが主催する「インド古典音楽」のイベントで、
そこに、昨年11月に行なわれた「The Eternal Questー永遠の探求ー」の前半部——アーサナ・瞑想のデモンストレーションと『ウパニシャッド』の詩の朗唱を、オザキさんのシタール演奏を交えて、森岡・奥田・洋平の3人のメンバーで再演させていただきます!

インド黒古典
イベントのチラシです。

ところで皆さん、話はガラッと変わりますが、「インド」には行かれたことがありますか?
僕は十一年前の二十歳の時にインドを初めて訪れたのですが(←意外にも昔だったと驚く)、
そのインドの地に初めて足を踏み入れた時、

「この世界に、こんな場所があるのか!?」

と、とても驚いたのを覚えています。
目に入る人や建物、景色やその空気感はまるで夢か映画を見ているような感覚に陥るほどで、帰国後もそのインドの世界観や宗教に魅せられていき、その延長でインドがその発祥である「ヨーガ」にも出会いました。
それで最近になってからなのですが、このインド特有の空気感が醸し出されているのは、「インドには多くの聖者が生まれたから」ということを師から教えていただき、「なるほど」と納得しました。
確かにインドはブッダを筆頭にシャンカラ、チャイタニヤ、近年ではシュリー・ラーマクリシュナやラマナ・マハリシといった数々の聖者が生まれ、その信仰や礼拝が人々の生活に根付いていますよね。
でもこのインド、さらにその宗教の歴史は古く、何と驚くことに有史以前からリシと呼ばれる聖仙たちが存在し、瞑想によって真理の探究を行なっていたというのです。
その聖仙たちの最も古い足跡が記されたものが、今回のイベントでも朗唱される『ウパニシャッド』の詩なのですが、
この『ウパニシャッド』の中では、

「聖者たちは瞑想に没入し、自らの内に『真の自己』、自ら光り輝く『唯一の神』を見た」
「ヨーガを行じる者は『真の自己』を悟ることによって、『真実なる神』を直接的に体験する」

ということが書かれています。
つまり『ウパニシャッド』では、「本当の自分」は「神」だと言っているのです。
これ、かなり強烈な宣言ですよね。
「自分が神」とは一見、エゴイスティックに聞こえますが、真に「自分が神である」ことを悟ると「一切が神である」ということが悟られるとも、この『ウパニシャッド』は明言しているのです。
「!?」のマークが頭によぎった人もいるかもしれません。

でも私たち、クレイジーとも思われるこの宣言と探求を、「マジ」で信じて実践しています!!!

昨今、ヨーガはアーサナが主流になり、ヨーガ=アーサナと捉えられがちですが、アーサナは目的に至る手段であり、ヨーガの一部です。
私たちは今回、アーサナのデモンストレーションをしますが、別にアーサナ(孔雀のポーズとか)の披露をしたいのではありません。
アーサナによって身体と呼吸を制御し、瞑想によって心を静めて、「真理」「本当の自分」「神」に近づきたいためにやっています。
そしてできることなら一人でも多くの方に、「マジなヨーガ」を知ってもらえたら、感じてもらえたらという思いでやっています。
「今習っているヨーガってどうなの?」「ヨーガのエッセンスって?」また、「インドの世界観を感じたい」「ちょっと自分を変えたい」と思っている方など、もしインドやヨーガや神、本当の自分、またインド古典音楽ということに少しでも興味や関心がありましたら、是非「黒インド古典」にお越しいただけたらと思います。

最後になりましたが、今回のイベント主催者であるオザキさんは十代の頃からインドに渡りシタールを続けている、シタール一筋の三十二歳。すでに私たちとは2回共演しており、アーサナと瞑想のムードを一層引き立ててくれる演奏をしてくれます!タブラの室さんもキャリア十年を超え、演奏時の「手の動き」と「目」は凄いです。インド古典音楽のことを何も知らない僕が言うのもおこがましいですが、インド古典音楽に「マジ」な方たちだと感じています。

それではイベントでお会いできるのを楽しみにしています!

4月29日(金 祝)18時開場 投げ銭
@無国籍料理 “Aggi”(アギー)
〒531-0075 大阪市北区大淀南1-2-5
06-6452-4558

飯尾洋平