投稿者「サティヤー」のアーカイブ

ある朝のできごと

先日仕事(私はヘルパーとして在宅障がい者の支援をしています)に行くと、利用者さんが2日間食事をしていないと言われました。「え!?なんで?」とビックリして理由を聞いてみるも、「食欲ないねん、放っておいて」という素っ気ない返事、顔も暗く、まったく元気がありません。いつも私のお弁当を覗き込んで、あれ食べたいこれ食べたいという人なので、顔の前にお弁当を持っていったのですが、「いらん!」と一言。これは相当変だなーと思いながらも放っておいてと言っているので、その夜はそのまま見守ることにしました。

翌朝、コーヒーは飲めるというので飲んでもらっている時、「このまま神様が連れて行ってくれへんかな……」と誰に言うでもなく消え入りそうな声でつぶやかれました。
その言葉を聞いた瞬間、食欲不振になっている原因がなぜか理解できました。それは具体的な細かな原因が分かったという訳ではないのですが、その人の中にある悲しみみたいなものに触れたような気がしたのです。

思わず「辛いですね……」といって黙り込む私。二人してしばらくの間黙っていました。じっと息をひそめてただ彼女の思いに寄り添いました。一瞬ですが彼女の人生の中に入ったような不思議な感覚がありました。どのぐらいの時間がたったか分かりませんが、気がつくといつもと同じ光景がそこにあり、彼女はコーヒーを飲んでいました。言葉をかけて慰めようとは思いませんでした。

帰り際、彼女は私をみて微笑んでいました。「またお弁当持ってくるし、次は食べてな」と言って帰りました。


バクティ・サンガム 特別編

先日、新春!バクティ・サンガム特別編が開催されました。去年の年末最後のバクティ・サンガムが大好評だったため、急遽企画され、この日を迎えました。
バクティ・サンガム 2016.2前回初めてバクティ・サンガムを体験され、今回も続けて参加された方が3名、今回が初参加という方が5名、総勢約20名で、またまた大盛況となりました!

今回は新春!特別編ということで、バクティ・サンガムでよく歌われる定番の曲、
①Hare Krishna、②Manasa Bhajare、 ③Jaya Jagadambe、の3曲を歌い、それぞれの歌の神様
①クリシュナ ②シヴァ ③ドゥルガーが紹介されました。
写真にもあるように、神様の美しいタペストリーが飾られて、いつにもまして神々しい空間になりました。そして、ミラバイさんが以下のクリシュナのエピソードを紹介していたとき、面白いことが起こりました。

 「クリシュナが小さい頃、ある時、彼が泥土を食べていると牛飼いの友達が養母ヤショーダーに言いつけました。ヤショーダーはクリシュナを呼びつけて叱責しましたが、クリシュナはやっていないと言い張りました。するとヤショーダーはクリシュナに口を開けて見せてみなさいと命じました。クリシュナが口を開け、彼女がその中を覗き込むと、そこには、なんと、全宇宙が広がっていたのです。」

この「全宇宙が」と言った瞬間、最前列に座っておられた女性が、何かの衝撃が走ったかのように「あっ!」と驚かれたのです。後でお話を伺うと、その時なぜかクリシュナに惹かれ、もっともっと知りたいと思うようになったそうです。自分の好きな理想の神様が見つかるのは、意図せず恋に落ちてしまうような、こういう瞬間なんだろうなぁと思いました。
20160221_bhakti_sangam2

来月からは、毎回一人の聖者やバクタをご紹介し、その人にちなんだキールタンの曲を歌っていく予定です。

皆さま、どうぞお楽しみに~

 

ヨーガダンダ


さまらさの台所2月

さあ!毎年恒例の味噌作りです!!
大豆と麹とお塩だけでできるお味噌。教えてもらってから6年、私は毎年作っています。
毎年少しずつ味が違うのは、使う大豆やお塩の違いもありますが、年によって気温が違うことも関係しているのでしょうね。その年にしか作れない味わいがあります。

行程はとてもシンプル!大豆、塩、麹を全部混ぜたら終わり〜!!なのですが、大豆を浸けるのに多少時間がかかります。今回は1kgの大豆を使い4kgの味噌を作りました。まず大豆を水に浸けるところから。18時間給水させると大豆は2倍以上に膨らみます。これで美味しい大豆が蒸せるのです。(左 乾燥大豆 中 12時間後 右 18時間後)

大豆 大きさ

味噌玉

蒸し上がった大豆をつぶして塩麹と混ぜます。だんだん味噌らしい雰囲気が出てきました。味噌玉にして空気を抜いていきます。

味噌玉を詰める
プラスチックの容器に入れてたものは一年後にこんな色に変わります。お家で作る味噌はゆっくり、じっくり一年かけて醗酵させるので香り高くまろやかな味に仕上がります。市販の味噌はこの醗酵の過程を超特急で仕上げるため味が違うようですね。
味噌

試食では昨年作ったお味噌でごま味噌を作り、さらにそれを使って3種類のごま味噌ドレッシングを作って、旬の野菜を蒸したものといただきました。ごま味噌とドレッシングは焼きおにぎりにしたり、炒め物に使ったりと出番がたくさんありそう。みんなで美味しくいただきました。
味噌ドレッシング

習ってみて「意外と簡単だな〜」と思われたと思いますが、自分で作ってみてさらに「簡単!」と分かると思います。なんでもやってみるものですね。味噌を作るたびに、自分の身の回りの物は何でも誰かによって作られたものなんだな〜と感じます。意外と買わずに作れるものもあるかもしれないと目先が変わるかもしれませんよ。


直観

先週の土曜日の夜にサットサンガがありました。東京や松山、ニューヨークからグルバイ(ヨーガの仲間)が集まり、師であるヨギさんからヨーガを学びます。直接学べる貴重な機会なので全国、世界中から集まります。
アーシュラマの二階は満員!熱気がすごかったです。特に日本でヨギさんに会うのが最後になるニューヨークのグルバイからは気迫を感じました。(ニューヨークグルバイの滞在記事はこの記事の下にあります)
さまざまな質問があり、ヨギさんはその質問に一つずつ答えてくださいました。

直観についての質問は、前日にグルバイ同士で話していた内容だったこともあり、私にはとても印象的でした。

 

「ヤマ・ニヤマをやっていくことによって身口意が一致する。そうすることで心はサットヴァ性(清浄)になっていく。サットヴァ性の中から正しい直観が生まれる。」

「身口意を調えることで直観が得られる。最初にひらめいた直観に言葉と行為を一致させることで無駄な思いを発しなくなる。そうすると必要なときに必要な直観が思い浮かぶようになる。熱心にやれば早道になります」

ヤマ(禁戒)非暴力、正直、不盗、純潔、不貧、 
ニヤマ(勧戒)清浄、知足、苦行、聖典の学習、神的な存在への帰依
身=行動 口=言葉 意=心の思い 調える=矛盾なく同じにしていく

時として、思ったことと言っていることがバラバラだったりすることはありませんか?
大人になるとけっこう平気でこういうことをしてしまうことがあります。身口意を調えるというのは単純に思ったことをすぐに行為していくということになります。良い思いの時はもちろんですが、思いって良い思いもあれば、悪い思いもあります。「この人ムカつく!」と思ってそれを口に出すと、とんでもないことが起こることは誰でも想像がつきます。そもそもそんなことを言いたくないですよね。そんなときはその思いを良い思いに変化させるといいと教わりました。
こんな思いを持ちたくないな……と思ったらそれもすぐに行動!思いを変化させます。そして、むしろこういう思いを持てたらいいな……と思ったそれもすぐに行動!そういう習慣を付けていくことが大切だと教わります。

身口意を調えていくと無駄な思いを発しなくなると言われています。確かに何でも思ったことをすぐに行動してしまえば、「あーやらないといけないことがあるんだけど、めんどくさいな〜」とか頭の中でごちゃごちゃ考える要素はなくなっていくでしょうね。その分心がシンプルになることで正しい直観が得られるんだと思いました。

「ヤマ・ニヤマ」や「身口意の一致」はヨーガの教えの中でとても基本的な教えです。今一度私も意識して行っていこうと思いました。
ヨギさんは実践を続けていくと心に「空(くう)」の状態が訪れると言われました。「空(くう)」は「空(そら)」と書きます。これはインドの言葉で「スカ」と言われ、インドでは「楽」という意味だそうです。昔ヨギさんに「心が空っぽやと楽やで〜」と言われたことを思い出しました。

フリージア、シクラメン、蝋梅、京王桜

アーシュラマの階段に飾られたお花、フリージア、シクラメン、蝋梅、啓翁桜

サティヤー


大切なヨーガの教え

先週の木曜日からニューヨークのグルバイ(ヨーガの仲間)3人が京都に滞在しています。シャーンティ庵に宿泊しながらサットサンガやクラスに参加されています。先日、一緒に夕食を食べてお話をする機会がありました。まだ到着して数日、時差ぼけなどで眠たかったかもしれませんが夜遅くまで一緒に話ができました。彼らは遠いニューヨークからヨーガを学ぶために京都に来られています。ヨーガに対してとても真剣で真摯な気持ちが伝わってきました。

4年前、私はヨギさんの渡米時に3ヶ月同行させていただきました。今回日本に来ているグルバイの中にはそのときにニューヨークで会ったグルバイもいて、彼らを見ていると自分がニューヨークに行った時のことを思い出しました。私もヨーガを学ぶためにニューヨークに行ったのですからとても真剣でした。しかも、3ヶ月間も集中して学ぶことができたのは本当に恵まれていたと思います。はじめは生活に慣れることで必死でした。少しずつ慣れてくると、だんだんその生活が当たり前になり、貴重な体験をさせてもらっているということを意識することもなくなっていきました。そんな時、ヨギさんに言われたことがあります。

「後悔することがないように毎日を過ごしなさい」

その言葉を聞いた時は身の引き締まる思いでした。滞在も終盤でしたし、もう一度自分自身のことを振り返り、日本に帰ったら後悔することはないか、何のために来ているのかなど必死で考え、思い残すことがないように一日一日を過ごそうと意識しました。

その言葉を聞いた時は、大切な滞在を無駄にしないためだと理解しました。でも今はその時だけのことではなく、生きている貴重な人生の一瞬一瞬のことで、場所や時間を限定した言葉ではなかったと理解しています。今でも言われた時のヨギさんの口調や表情、その時のシチュエーションを思い出します。思い出すたびに、あのとき感じたように身の引き締まる思いがします。


京都火曜日のクラス

京都の火曜日のクラスは、柳馬場六角通りにある六角スタジオというビルの5Fで行っています。京都に住んでいる人なら「街中ですね〜」と言うところ。参加者はこの辺りで働いている人もいますし交通の便が良いのでいろいろなところから通ってきてくださいます。

先日のクラスはこの冬一番の寒さでした。受付の用意をして待っている時「こんな寒い日にみんな来てくれるかな〜?」と少し心配でしたが、みなさん「寒い!!寒い!!」と言いながらも続々と来てくださいました!とても嬉しかったです。

せっかくなので体を温めましょうーーー!ということで、この日はふだんやらないアーサナに挑戦。なかなかキツいアーサナに挑戦することでみなさん「暑い、汗が出てきたー」と言われていました。

特に苦戦したのがこのクジャクのポーズ(マユラ・アーサナ)です。みなさん「どうなっているの?」デモンストレーションしてくれた洋平君をまじまじと見ていました。
クジャクのポーズ

クジャクのポーズの効果は「脾臓肥大などの疾患のすべてを取りのぞき、体質の異状から生じたもろもろの病気をなおす。大食した粗悪な食物をことごとく灰と化し(消化し)、胃の火を起こして猛毒を中和することができる」(聖典『ハタヨーガ・プラディーピカー』)ということです。

クジャクは毒を持つサソリを食べても解毒し消化する力をもっているそうです。このポーズをすると、ちょうど胃と腸の辺りに両肘が入り、そこで全身のバランスを取るのですが、すごく圧迫されて活性化されるのが分かります。体中が本当に熱くなります。

たまに新しいポーズに挑戦するのは楽しいですね。寒い時期は瞬間的に体を温めてくれるこんなアーサナを取り入れてみるのはいかがでしょうか。


愛するということ

今日は月に一度のシッダ・マールガの日でした。毎月3人が好きな聖者の生きざまから学んだ気付きを話してくれます。今回はシュリー・ラーマクリシュナの直弟子、プレーマーナンダとラーマクリシュナーナンダ。その他には女性の聖者、アーナンダモイマーとマザーテレサについて話がありました。

この4名の聖者やこれまで紹介してもらった聖者すべてに共通していることは「神を愛する」ということと「神に明け渡す」ということ。もうこれはヨーガの進歩において必要不可欠だと痛感します。彼ら、彼女らは神なる存在を愛し続けました。

でも「愛する」ってどういうことでしょうね。
たとえば「歯磨きをする」とか「食事をする」とかいうと「する」の前の言葉は具体的で意味や行動がすぐに思いつきます。でも「愛する」と言われると「歯する」と言われたときに歯に何するの?と思うように結局何をするの?と思ってしまいます。(私だけかな……)

今まで人や動物を愛したことがない訳ではないのですが、聖者の言われる「愛する」ということと同じではない気がして、彼らの言う「愛する」が分からない……と思う時があります。

シュリー・マハーヨーギーは教えます。

「愛とは捧げること、自らを他者の幸せのために与えることです」

そうすると、「他者のために自らを捧げる=愛する」 ということになりますね。

自分を捧げるってどういうこと?次の疑問が生まれます。
自分を顧みずに相手のために行動するということでしょうか。どんな時も?そんなことできるの?私という意識があるのに、そこに戻らない時があるの?

でも、一度もそうなったことがない訳ではないと思います。誰かを思うとき、心配しているとき、誰かが嬉しそうにしているのを見るとき、悲しみを共有しているとき、自分のことを微塵も考えることなく、相手だけを思うことが。そんな純粋な思いは「愛する」に近い気がします。それが、常になってくれば今日は自分を差し出せたとか、今日はできなかったとか、判断することもなく、常にそうであるという状態になるのでしょうね。

「神に明け渡す」ということも「神を愛する」ということの延長線上にある気がしました。彼らの生きざまにはほど遠いですが、一歩一歩近づけるように努力しようと思いました。

ラーマクリシュナの弟子たちの足跡が書かれた本

ラーマクリシュナの弟子たちの足跡が書かれた本

 

 

 


明日はパラマハンサ発刊日

隔月奇数月10日は機関誌『パラマハンサ』の発刊日です。『パラマハンサ』はMYM会員として年会費を払われた方に無料配布している会報誌になります。

パラマハンサ表紙
1997年から発刊されているので今年で19年になります。

『パラマハンサ』は現代の聖典、真理の教えが書かれています。内容はサットサンガ(真理の集い)での質疑応答、ヨーガの教え、ヨーガを学ぶ者の実践談などが書かれています。何度も読み返すことで学びは深まります。

ヨーガを始めた頃、いくつかある『聖典』は時代背景が違ったり、国や文化が違うことで読んでいてもどこかのおとぎ話を読んでいるかのような感覚がありました。パラマハンサを読むことで、ヨーガの教えをもっと具体的に自分のこととしてとらえることができたと思います。

自分も同じ悩みや苦しみがあると質問者に同調し、それに対する教えを読むと、まるで自分が教えを授かっているかのような気持ちになりました。先輩方の具体的なヨーガの歩みを知ることで、日常の中に実践するヒントを見つけ、真似をすることで少しずつヨーガを理解していったところがあります。

ヨーガを始めた年の夏、かじりつくように過去の『パラマハンサ』を読みふけったことを覚えています。軽く持ち運びができるので肌身離さず持ち歩き、少しでも時間があるとどこででも読んでいました。それはまるで乾いたスポンジが水を吸収するかのように真理の教えは私の身体と心に染み渡り、どこにいても何をしていてもヨーガの教えに浸っていたことを覚えています。とても幸せで忘れがたい夏です。

会員の方は明日を楽しみにお待ちください。そして、まだ読んだことがない方はクラスでもお見せしますのでぜひ声をかけてくださいね。きっとあなたがヨーガを深めるヒントがそこにあると思います。

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バガヴァッド・ギーター

バガヴァッド・ギーター ハヌマーン

明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年は申年ですね、ということでハヌマーンが描かれたカードを選んでみました。ハヌマーンはしっかりと前を見据え、ラーマから大切な教えを授かっているように見えます。

 

「わたしも きみも ここにいる すべての人々も
かつて存在しなかったことはなく
将来 存在しなくなることもない
始めなく終わりなく永遠に存在しているのだ」

「永遠」も「存在」も言葉としては理解できますが、本当のところどういうことなんでしょう。やっぱりまだまだ感じることができません。自分が感じるのは変わりゆくものばかり。たとえば自分の肉体のこと、仕事や日常の諸々のこと、自分の考えや思い……。そういったころころ変わっていくものに存在を感じ、いつも永遠でないものに心が奪われているような気がします。いったいいつになったら私が私だと思っているものの化けの皮がはがれて永遠の存在だと気がつくことができるのでしょうか。この言葉を読みながらそう思わずにはいられませんでした。

ヨーガでは「神」や「真我」「真理」を永遠の存在だと教えます。まだ分からない、だけど分からないと思っている心を見ずに永遠である存在を思い続けることだけ、それだけをしていこうと思いました。教えを素直に聞く、信仰深く働き者ののハヌマーンのようにそうありたいと思いました。


バクティ・サンガム(キールタン)

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昨日は今年最後のマハーヨーギーヨーガミッションのクラス、バクティ・サンガムがありました。 新しい方が10人も来られ、全員でなんと25人!キールタンの大合唱はとても華やかで盛大でした。

その中には11月3日のThe Etrenal Quest(国際交流センターでのイベント)を見て参加してくださった方もいらっしゃいました!!!「今まで聞いたことのない歌と幸せな空気に触れたような感じがして、興味がわいた」「すごく楽しそうだった」

私たちのパフォーマンスを見て、そう感じてご参加くださったようです。とても嬉しいことです。

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昨日新しく習ったキールタンの歌詞を紹介します。キールタンは神の御名だけを繰り返すものが多いですが、今回は少し違い歌詞に意味があるものでした。本当にその通りだなぁ〜と歌詞の内容をを噛み締めながら歌いました。

 Charana Kamala Bando

Charana Kamala Bando Hari Natha ki

Charana Kamala Bando

Jyoti Shamanta Priya Charanamrita

Jivana Me Pave Ananda

 

主の蓮の御足にひれ伏します。光のように輝く 愛おしいアムリタの御足
私たちの命は あなたから与えられた至福に満ち溢れている

 

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 主の前にひれ伏す時、止めどない歓びがわき起こります。私はどこに行ってしまうのだろう、一瞬よぎる思いも歓びにかき消され、ただただ歓びの中にとけ込みます。永遠に続けば……そう思わずにはいられないものです。

それは何かを得て喜んだり、面白いことがあってウキウキしたり、そういったこととはまったく違う、私の細胞すべて、魂が歓びに震えているとでも言うのでしょうか、嬉しくて嬉しくて、飛び上がり踊りだしそうになります。この歓びがずーっとずーっと続いていくように、これからもヨーガを精進していこうと思います。いつでも、どこにいても主の御足に礼拝していられますように。

今年もあと少しですね。みなさまにとって今年はどのような年でしたか。

サティヤー