明日、19日(土)大阪で開催されている中之島グリーンマーケット周辺で、アーサナのデモンストレーションとキールタンを行います。14時半頃〜16時半頃を予定しています。
http://www.suito-osaka.jp/enjoy/machiasobi_gm/
お近くに起こしの際はぜひ遊びに来てください〜!
明日、19日(土)大阪で開催されている中之島グリーンマーケット周辺で、アーサナのデモンストレーションとキールタンを行います。14時半頃〜16時半頃を予定しています。
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今日は月に一回のさまらさの台所の日でした。今日は、秋の味覚!きのこを使った料理を3品ご紹介しました。
きのこのあんかけ天津飯と奥にあるのはきのこのディップをクラッカーの上にのせたもの。(オリーブが添えてあります)
きのこってほとんどが水分なんです。しっかり炒めて水分を飛ばすと旨味が凝縮され、とてもコクがでます。天津飯には中華出汁を使わず、きのこでお出汁を取っています。きのこを使う時は、から煎りしてから使うと風味がよく、旨味が増しますよ。
今日はなぜか、必死になりすぎて会の最中の写真を撮ることをすっかり忘れていました 😯
なので、出来上がりの写真だけです〜。ごめんなさい!
食事の後は、ヨーガと食事のお話。今日は「素材を生かし切る」ということについて話をしました。
素材を生かし切るってどういうことでしょうか?みなさんからでた声は、
「食材を無駄にしない」「美味しいうちにいただく」「食事をする時は穏やかに、楽しい気分でいただく」などなど、どれもとても大切なことですね。きっと日々気をつけておられることだと思います。
図の紫色の花びらを1枚ずつめくると、このように書かれています。
これらは食事だけに留まらず、日々の生活のどんなことにも共通しています。
素材というところを、食材だけでなく、人やものに当てはめて考えてみてください……!相手の気持ちになったり、相手の良いところを見ようとしたり、人を見るときに観念に縛られないというのも大事なことです。また、人というのは他人のことだけでなく、自分のことも含みます。自分自身を生かしきるためには、「私は頑固だから」とか「私は臆病だからこれはできない」とか決めつけたりせず、本来の自分自身を見つめ、素直になることはとても大切です。参加者の方からは、「料理と日常が共通していることが心に残りました」「人間関係も同じなんですね」といった感想をいただきました。参加してくださったみなさま、ありがとうございました〜。
来月は京都と大阪でもさまらさの台所を開催します。ぜひお越し下さいね〜。
さて、前回のギーターカードの続きです。あのカードを見て何を思い出したのか、それを書きますね。読んでいない方は前の記事をご覧ください。
私がヨーガを始めて京都の千本丸太町にあるヨーガ・ヴィハーラという一軒家でに引っ越して来たときのことです。そこはヨーガのクラスをしたり、ヨーガをしている人が集まるお家で、そのころは先輩3人との4人の共同生活でした。
ちょうど『悟り』の出版記念イベントが間近にあり、ヨーガ・ヴィハーラではそのイベントに向けて毎日準備が行われていました。キールタンの練習や聖劇の練習、会の進行のミーティングなど、家に帰るとたくさんの人がいるという毎日、私は縁あってこの家に引っ越してきたのですが、仕事先が遠く、毎朝6時に家を出て、夜の7時か8時頃に帰宅していました。私の部屋は玄関のすぐ横だったこともあり、みんなの荷物置きに使っていたので、帰宅して部屋に入るとたくさんの荷物が置かれていたことを覚えています。
ヨーガに邁進しようと思い、この家に引っ越してきたのだから、毎日アーサナをしたいと思っていた私は、帰宅してすぐにアーサナがしたかったのです。(ご飯を食べてしまうとアーサナができないし、朝が早いので、さっさとアーサナをして寝たかったのです)でも、私の部屋には荷物があり、アーサナをするスペースはなく、家にたくさんの人が出入りすることも相まって落ち着かずにいました。「こんな状態ではアーサナも瞑想もできない」と思っていても、クラスに行けば「アーサナや瞑想は毎日する方が良い」と言われます。
絶対の絶対にできないという訳ではないのです。例えば荷物を部屋の端にまとめてスペースを作るとか、時間が遅くなってもみんなが帰るまで辛抱強く待つとか。でもスペースを作ってアーサナを始めると、その荷物を取りに人が出入りし、その度にアーサナは中断します。また私がアーサナをしていることで、邪魔してしまったという思いを相手に持たせてしまい「ごめんね!」と言われるたびに、謝らせてしまったという思いがありました。自分の意志を通そうとすればするほど上手く行かないような気がする……だけどアーサナはしないといけないと言われている。私はその狭間でとても窮屈になり、イライラする日々が続いていました。
ある日、何気に話をしていたヨーガの仲間が「忙しくてもアーサナや瞑想は毎日しないといけない」と言われたことに端を発し、私の思いは爆発します!
もう限界だと思った私は、ヨーガの先生に質問に行きました。今の自分の状況を話し、「毎日アーサナや瞑想をしなくちゃいけないことは十分かっているけれど、今の状態ではできない!それでもヨーガをするにはアーサナをしなければいけないのですか?」と尋ねました。
先生は言われました。
「そんなときにはアーサナや瞑想はしなくてもいい。それよりも家に来ている人たちが気持ちよく家を使えるようにして上げなさい。それがヨーガです」
その言葉は本当に目からウロコでした。
その瞬間、心がホッと落ち着き「それがヨーガなら、私はヨーガを続けることができる」そう思ったことをよく覚えています。先生の言葉を聞いて、ヨーガは自分のことを優先するのではなく、常に相手を優先することなのだと分かりました。たとえヨーガを深めるために必要だと言われているアーサナや瞑想であっても、例外ではないということです。
先生はホッとした私を見て「アーサナや瞑想はまたできる時が来るから、そのときにしたらいいよ」と優しく言われました。
そのとき言われた「それがヨーガです」という言葉、私はそれによってヨーガというものを理解していきました。それはまったく複雑ではなく、落ち着いて考えたら当たり前のことだと思いました。動揺すると、すぐに真実が見えなくなってしまいますが、そういうところを変えていくことがヨーガだと知りました。自分にとって指針となり、いつも心にとどめている言葉です。前回紹介したギーターのカードを見ながら、その時のことを思い出しました。
久しぶりにギーターのカードシリーズです。バガヴァッド・ギーターの教えが書かれている美しいカードを1枚選んで、その教えを紹介しています。今回選んだカードには、
「アルジュナよ 義務を忠実に行え
そして成功と失敗を等しいものと見て
あらゆる執着を捨てよ
このような心の平静をヨーガという」
下のタイトルがいいですね。「SUCCESS in YOGA」この絵はヨーガが成功した状態を現しているのでしょうか。私がこの絵から受ける印象は「平安、静寂」です。
ヨーガとは何ですか?と言われたとき、たくさん答え方がありますが、ここでクリシュナは「あらゆる執着を捨てた心の平静がヨーガである」と言っていますね。執着しているものって、分かりやすいものありますが、時には見えないものもあります。このカードを見たときに思い出したことがありましたので、それはまた次回に書きますね。
京都の火曜日のクラスは、9月1日から「体験コースヨーガ+瞑想を始めよう!」が始まっています。アーサナと瞑想を1時間ほど実習した後に、瞑想を進めるための学びをしています。
第一回目のクラスでは、そもそも瞑想とは一体どんな状態なのかを説明しもらいました。よく、瞑想は無になること?何も考えないの?など聞かれます。
この図を見ると分かりますが、何も考えないというのではなく、心を「対象」に向けていくということになります。それはどんな状態か……日常生活で近いものと言えば、例えばマンガを読んでいたり、映画を見ていたり、ものすごく真剣に読んでいる(見ている)と「ご飯やで〜」と言われても聞こえない時がありますよね。子供の頃によくあったような。「呼んでんのに、いつまでも何してんの!!」と怒られた記憶がありますが、わざとではなく本当に聞こえなかったのです。それは、何も聞こえないほど心がマンガ(対象)に集中していたからだと思います。このようなことが、この図の中で、心が対象に向かって集中されている状態だと思います。
対象はいろいろですが、集中状態というのは、日常の中で誰もが経験することですね。ただ、瞑想はこの集中状態のことだけを言うのではなく、この図を見ると、集中し続けることで心と対象が一体(ひとつ)になることと描かれています。では、マンガに集中しつつけることでマンガと(もしくはお話の何かと)一体になるのでしょうか?なると思います。なりたい方はがんばってください!
瞑想すとどうなるイメージがありますか?と参加者にお聞きすると「穏やかになる」「強くなる」「優しくなる」という答えが返ってきました。どれも正解!でもマンガに集中して瞑想しても、そういった状態になるかな〜?……ならないかな〜と思います。
みなさんのなりたい、強く優しく穏やかな人になるためには、瞑想の「対象」がとても大切になります。それはまた、このクラスが進むにつれ、学んでいけると思います!
先生のマードゥリーさんから、瞑想のコツ!それは座り慣れることだとアドバイスがありました。毎日1分でもいいので、座ってみてください。それが、5分になり、10分になり、少しずつ座り慣れてくると、だんだん嬉しくなります。忙しい毎日の中で、短くてもゆっくりと自分と向き合え時間を楽しんでください。
昨日は京都でバクティサンガム(キールタン)がありました。20人近い方が参加され、みんなでキールタンを歌い、神へ恋する思いを高めました。大いに盛り上がりましたね〜!昨日習ったのは、「Radhe Radhe Govinda Radhe」というキールタン。ゴーヴィンダ(クリシュナ神)がヤムナー側の岸辺で、ヴリンダーヴァンの小道で、ラーダー(女神)を讃えるという内容です。まずは歌声をお聞きください。
会の中では先生のミラバイさんにより聖女ミラバイ(ミーラー・バーイ)の生きざまが紹介されます。(同じ名前なのでややこしいですね〜 😯 )ミラバイは今から500年ほど前のインドの聖女で、クリシュナ神を愛し、神とともに生きた偉大なバクタ(神を親愛するもの)です。彼女の生きざまに触れることで、どのように神を思い、神に語りかけ、神に触れてきたのか、その手がかりを知ることができます。
今回紹介してくださったのは、ミラバイ(ミーラー・バーイ)が嫁いでからのお話で、全てを神の思し召しとして、どんな状況にも動じない姿を話して聞かせてくれました。
(詳しい内容が知りたい方はhttp://sakti.jpの偉大な詩人たちをご覧ください。)
お話って文字で見るより、語ってもらうことで心にダイレクトに入ってきます。ミラバイさん(現代の方)がまるで古のミラバイ(ミーラー・バーイ)と重なり合います。(名前も同じだし)最後には詩を紹介してくれました 😀
次回は10月2日(金)大阪、京都25日(日)に開催されます。ぜひお越し下さい!
二元性ってなんでしょう? この言葉、私はヨーガをして初めて聞きました。調べてみると「一つのものが二つの原理によって構成されていること」とあります。これでもなんのこっちゃ?と私は思います。ヨーガでは、二局対立したもの、例えば「好きと嫌い」「暑い寒い」など教えてもらいました。例があるとちょっと分かりやすいですね。
ヨーガはその二元性を超えると言われます。じゃあ超えるってどういうこと、それらがなくなるということでしょうか?
今年の夏は暑かったですね。(まだ続いていますが)今年「ヨーガはやっているけど、私は決して二元性は超えられない……」と思ったのです。この暑さを超えるなんて絶対に無理!!
前回のクラスで、二元性を超えるのに一番効果的なポーズは前屈(パシュチモーッターナ・アーサナ)だと教えてもらいました。前屈のポーズ、知っていますか?
前屈する時は足を前に伸ばして座り、つま先は天井に向け、膝はしっかりと伸ばします。
背骨をまっすぐに伸ばしたまま足の親指を持ちます。この時、もう一度しっかり腰を伸ばし、吐く息とともにお腹を太ももに近づけるようにして前屈します。
お腹が太ももに近づいて来ると、だんだん体が2つに折れているのでお腹の辺りは圧迫され、呼吸が窮屈になります。お腹の辺りに熱を感じて暑い!顔が足に近づくと吐いた息が顔に跳ね返ってまたまた暑い!ここでゆっくりと呼吸を繰り返すのですが、なんて窮屈なポーズでしょう!?でもこの窮屈さに耐える!?受け入れることで二元性を超えていけるのだと言われたのです。
(写真の私、ちょっと力んでますね。そして、足の先見てください、少し逃げています。難しいな〜)
二元性を超えるというのは「暑くない、寒くない」というふうに無感覚や鈍感になるのではなく、感じるけれど心がそれに振り回されないことだと教わりました。
「なーんだ!暑いとは感じてもいいんだ!」と喜んだのもつかの間、それに心が振り回されないと言われ、うーん 🙄 、私の場合は振り回されまくりだな〜と思いました。
写真の前屈の形、なかなかきついですが、それを行うときにはただ呼吸に集中して行います(「痛い!とか、もうやめたい!とか思ってもすぐにストップ! 呼吸、特に吐く息に集中します」)それによって耐える力、ただ耐えるだけでなく、心が不動になる力を養ってくれるということです。日常では、一つの思いが浮かぶと、それに関連して連想ゲームのように思いがつながります。「暑いな→汗だくで気持ちが悪いな→涼しいところにいたいな→仕事に行くのが嫌だな→アイスでも食べようかな……」でもアーサナをしていくことで新しい回路ができると言われました。それは、感じるけれどそれによって余計な思いは出ないという回路です。「今日も暑い!以上!(夏だから当たり前的な?)」こんな感じでしょうか。
もちろん、前屈の形だけでなく、それはアーサナ全体を通してできるようになるのだと思います。今年のような暑いときにも、まったく暑さに翻弄されなくなったとしたら、それはたいしたものだな〜と思います。来年の夏のためにも、がんばってアーサナしておこう !
毎週火曜日、京都六角スタジオでは、6月から全8回の体験コースをしていました。それは先週で終了、9月1日からは、また新しい体験コース「ヨーガ+瞑想を始めよう!」が始まります。それまでの2回のクラス(8月18日、25日)では、一つずつデモンストレーションを見て基本ポーズの作り方から完成ポーズでの保持、戻し方まで丁寧に学ぶ特別クラスを行っています。昨日は1回目が行われました。
このチャクラ図を見ながら、自分たちの身体のどの辺りにチャクラがあるかを確認し、そのチャクラに集中することで、どのような効果があるかをおさらいしました。
それを踏まえた上で、デモンストレーションを見て、正しい形を目で確認します。習い初めのころは、デモンストレーションを見ながらアーサナを行いますが、慣れてくると人のアーサナってなかなか見る機会がありません。たまにデモンストレーションをみると、「なるほど!ここを伸ばすから、ここに刺激が行くんだな〜」などと客観的にとらえることができます。そして、自分のアーサナを作る時もそのイメージをもって新たな気持ちですることができます。
慣れてくるとどうしても、自分の癖が出たり、いつの間にか自分のやりやすいように動いていることってあるんですよね。でも自分流だと、せっかくアーサナを行っていても効果って薄いと思うのです。恐らく自分流というのは、無意識の場合が多いと思うのですが、自分の動かしやすいようにポーズの形が変わっていると思うのです、だから刺激が減ると思います。
何年か前に、もう一度ひとつひとつのポーズを一から正しく、言われた通りに作ろうと試みたことがあります。そうしたら、いつもやっているアーサナがとてもキツかった!!!でもその代わり、チャクラに熱を感じたり、背骨全体が熱くなったりしました。それは内的な効果が高まった証拠だと思います。とても良い経験でした。せっかくアーサナをするのなら、効果を逃したくはないですよね。来週8月25日(火)19時〜も特別クラスがあります。ぜひご参加ください!!
京都は暑そうですね~。私の方はと言うと…夜勤明けで、仕事中は急変もあって疲れ果て、帰宅してシャワーを浴びて夕方から翌朝までひたすら眠っていたのですが、朝方眠い目をこすりながら疲れた体を何とか起こして、どうしても我慢できなかったので、ある物を取りに行ったのです。私が取りに行ったもの、それは、なんと、毛布!!毛布ですよ!京都の皆さん。半袖短パンで寝ていた私は、寒くて我慢できなかったのです。寒い…???今夏ですけど。そうなんです、京都人の私にとって、ここの夏は涼しいんです。周りの人は暑くてヒーヒー言ってるんですけど。だからちょっと涼しくなると、私にとっては寒いんです。だからね、今日の晩御飯はアツアツのお好み焼きでした。美味しそうでしょう?えっ?いらんのっ?
それでは、暑い京都の夏をお過ごしの皆様のために、今日は涼しいお水の話をしたいと思います。聖書に出てくる有名なお話、「サマリアの女」
イエスはシカルと呼ばれるサマリアの町に到着します。ヤコブ(旧約聖書の創世記に登場するヘブライ人の族長)がその子ヨセフに与えた土地の近くにあって、そこにはヤコブの井戸があります。イエスは長旅で疲れ、その井戸のほとりに座って休んでいました。昼頃のことでした。そこに一人の女が水を汲みに来ます。(普通井戸汲みというのは朝と夕の二回、涼しい時間にするのが習わしであり、真昼の最中、井戸汲みにやってきたというのは、彼女は人目を避けてやってきたということ。彼女は過去において五人も夫を替え、現在も正式に結婚していない男性と同棲していた。そのため、人々は彼女を白い目で見ていた)。
「私に水を飲ませてください」とイエスは女に声をかけます。「なんですって!ユダヤ人であるあなたが、サマリアの女である私に水を飲ませてほしいと頼むのですか?」と女は尋ねます。(サマリア人は、イスラエル人とアッシリアから来た移民との間に生まれた人々とその子孫であり、彼等はユダヤ人にイスラエル人の血を汚した者といわれ迫害を受けていた)。
イエスは答えます。
「もしあなたが神の賜物を知っており、また『水を飲ませてください』と言ったのが誰であるか知っていたなら、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えるでしょう」。
女は言います。「あなたは汲む物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手に入れるのですか?あなたは私たちの父ヤコブよりも偉いのですか?ヤコブがこの井戸を私たちに与え、彼自身もその子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです」
するとイエスは言いました。
「この水を飲む者は誰でもまた渇く。しかし私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」。
女は言います。「主よ、渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもいいように、その水を私にください」。
これは、師と弟子の出会いの場面です。あるいは、人が弟子となる瞬間を描いたものです。イエスが彼女に「水をください」と言った時、彼女は困惑し拒否します。でも、徐々に彼女の内面は変化していくのです。最後には「その水を私にください」と懇願しています。イエスは言葉によって、眼差しによって、存在すべてによって彼女の中に入り、彼女に祝福を与え、彼女の心を変えてしまわれたのです。彼女はイエスとの出会いによって、イエスが誰で、彼が何を与えるかを悟り、自分が何を必要としていたのかを知ったのです。そして自分から求めたのです。「あなたの愛をください」と。
イエスは弟子たちに言いました。「求めよ」と。そしてこの場面でも言っています。「あなたの方からその人に頼み、その人は与えるでしょう」と。だからまず弟子が求めなければならないということです。そうでないと、神の愛は無駄に流されていくだけなのです。神はそれが耐えられないのです。なぜなら、神は私たちを愛しすぎているからです。この場面はいつも私に問いかけます。
あなたはイエスが待っているその人になりますか?
ユクティー
今日は月に一度のさまらさの台所の日でした!今年は日本全国どこでも暑ーーーーい。こんな時は食欲も落ちるかもしれませんが、そんな時期にとっておきの一品をご紹介しました。それは”冷や汁”です!!宮崎県の郷土料理で、農民食だそうです。暑い夏に畑仕事はきっと大変。体力のいるお仕事ですから、簡単に作れて、体の火照りを冷まし、栄養満点な冷や汁が好まれたようです。また、その昔、陣中食としても好まれたようですよ!いざ出陣!ってヨーガ行者は何と戦うのでしょうか?己の心でしょうか……。
冷や汁に戻ります。その土地土地によって使う材料はいろいろのようですが、さまらさ風の冷や汁はごまをたっぷりと使います。
簡単な冷や汁の最大のポイントであり、唯一時間がかかるのがこのごま擦り。
あら?どちらのお坊さん?!と思ったかしら、彼はごまをするのがとっても得意!!ごまを擦っている途中に他の人からごまを擦られていました。(意味分かります?)
疲れてきたみんなからバトンタッチ、最後にはスーパー主婦のお二人が、ごまから油が出るまで擦ってくれました。さすがの手際!はやーい!
油が出るまで擦ったごまにお味噌と出汁を加えて。このお味噌もさまらさで作ったお味噌ですよ。
冷や汁を冷やしている間に、付け合わせのだし巻きを作ります。みんなでわいわい!
今回、冷や汁はいりこで出汁を取りましたが、その出し殻をオリーブオイル、お醤油でいただきます!すべてをいただけますね。
出来上がり〜。冷たくて、薬味が利いていて、体がシャキッとします。とても美味しかった
最後に、サラニーさんがヨーガで教わったお釈迦様のお話を紹介してくれました。
お釈迦様が苦行をされ、長い断食をされたのちに、瞑想で「健康を害しての修行は修行にあらず。健全な肉体に健全な精神が宿る」と悟られ、スジャータという名の娘さんが差し出された乳粥をいただかれた事は有名なお話です。修行をしている道中では、目的と方法が入れ替わってしまい、方法だけに執着してしまう落とし穴があります。修行が何のためなのか、という問いかけをして道を歩くことが大事であり、常に目的をしっかりと見据えていくことの重要性が説かれています。
サラニーさんはこれを聞いて次のように感じたそうです。
「この教えからさまらさの台所をしている中で、食事を学びながらも、自身が何のために食事づくりをしているのかを思い起こすことが大事だときづかされます。私達は、さまらさの台所で、健やかな心身のために日々の食事を調えていくことの大事さを学んでいます。その目的は、本当の自分を悟るために、心と身体を調えていくこと、清浄に近づけていくことです。美味しいお料理を覚えることの、本来の目的を見失わないように、そして身体の滋養となってくれる食事に感謝して歩んでいきたいです」
次回は9月13日(日)「きのこいろいろ」をご紹介します!これは本当におすすめです。きのこの美味しい季節に美味し食べ方をご紹介します。ぜひご参加くださいね。