昨日も京の七夕に行ってきました。お昼はとても暑かったですが、夕方から夜にかけて、鴨川は風が気持ちよく、とても涼しかったです
今回は松山から来ていたグルバイにもデモンストレーションをしてもらいました〜!
突然の参加者はオーストラリアから旅行に来ている男性!嬉しいですね。その後ろにいる男の子は恥ずかしそうにしていて、輪の中には入って来なかったけれど、嬉しそうにずっと歌ってくれました。かわいいですね〜。
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8月1日から京の七夕というイベントが行われていますが、今年もイベントでにぎわう三条河原でアーサナのデモンストレーションを行ってきました。
河原には竹籠のライト(風鈴灯)が置かれています。毎年そうなんですが、ここでデモンストレーションをすると、その空間にバッチリととけ込み、まるで自分たちのためにセッティングされた舞台であるかのように感じます。通りすがりの人たちもこのデモンストレーションがイベントの一環であると勘違いしている人も多いのです
今回は早速、マハーヨーギーオリジナルTシャツをそろえて着てやりました!
では、ご覧ください。
気迫のあるアーサナに吸い寄せられるように人が集まって見ていました。
次回は8日(土)の夕方に行く予定をしています。
暑ーーーーい 😯 !!!いったい私はどこにいるんだ……熱帯の国?!と思ってしまうほど暑いですね。みなさん、熱中症などお気をつけください!!
さて、今日は月に一回のシッダ・マールガの日でした。毎回3人の方が憧れる聖者を紹介してくれます。今日は、ヨーガナンダ、マザーテレサ、サーラダーデーヴィーでした。
生きた時代や国は違っても、聖者の本質は同じだと言われます。今日3人の話を聞いていて共通しているなと思ったのは「素直」ということ。真理や神を求める素直さです。
素直と聞くと、ひねくれたところのない、おとなしいいわゆる良い子を想像するかもしれませんが、そういったものとは少し違うと思います。求めるものには命すら差し出すことができる潔さ、人からなんと言われようと、自分もしくは神を信じる強さ、そして信じたことを行動に移す強大な力、そういったものを感じます。
素直さについて、イエスキリストの言葉に
「貧しきものは幸いなり、彼は神を見るだろう」
という言葉があります。この貧しきものというのは、心の中に余計なものが入っていない単純な心のことを言うそうです。
私たちは子供の頃からたくさんの言葉や知識を身につけ、常識と言われることを疑うことなく行ないます。詰め込んだものが多ければ多いほど、単純になることは難しいかもしれません。でもイエスキリストは、単純な心を持つものが神を見るというのです。
素直になるためにはでいつの間にか身に付けてきたことにとらわれず、空っぽにしていくことが大切なんだと思います。
でも元々は、だれもが単純でシンプルなのだから、空っぽでシンプル、素直そのものの聖者を見習っていくことで、きっとキリストの言う貧しきものになる日が来るのだと思います。
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最近、まじまじと自分の足を見て驚いたことがありました。外反母趾がなくなっていたのです。中学生のころから外反母趾になり、靴もそこだけがポッコリ出ていたのですが……本当に不思議なことです。
あまりに嬉しくて、ヨーガの先生に報告してしまいました。外反母趾って足の親指の力が弱いとなるようです。ヨーガのアーサナでは、立ち木のポーズというものがあります。片足で木のようにまっすぐに立つポーズですが、軸足の親指に体重をかけるようにと教えられます。そういえば、習った頃は親指より小指側に重心があり、片足で立つことが難しく、ふらふらしていました。何年かやっている内に立てるようになっていたと思います。親指にしっかりと体重が乗るように意識していたら、身体の重心の位置が変わっていったのかなぁ〜と思います。
立ち木のポーズだけではなく、アーサナ全体を通して、身体は正しい位置に矯正されますが、まじまじと自分の足を見て、こういうことか〜と腑に落ちました
私たちの身体には足の親指から、アキレス腱、足首と足の裏側を通って大切な筋が通っていると言われます。特に前屈のポーズや鋤のポーズは、その大切な筋を伸ばして強化してくれます。
以前、昔の人は雪駄や下駄を履いていて、いつも親指に力が入っていたから、健康だったと教えてもらいました。それを聞いてからは私も毎年暖かくなるとゴム草履を履いています。
身体の位置が正されることで、腰痛や肩こりもなくなり、身体は疲れにくくなります。そして、まっすぐな姿勢でいることで呼吸数も少なく、落ち着いてくるようです。日々の積み重ねで、変わるものですね。アーサナってすごいです!!
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皆さん、こんにちは ダルミニーです。
今回は久しぶりに「ラーマーヤナ」の「ハヌマーン、ランカーの都城でシーターを探索する」の章をご紹介します。
森に追放されたラーマたち一行は、森の中に住む聖仙たちを悩ませるたくさんの羅刹(ルビ:らせつ)たちを殺し、聖仙たちを助けますが、ある日、ラーマとラクシュマナが留守をした隙にシーターは誘拐されてしまいます。(詳しい事情はちょっと割愛させていただいて)
ラーヴァナという羅刹王にシーターが誘拐されたことを突き止めたハヌマーンは、海をひとっ飛びして、ラーヴァナの住むランカー都城へシーターを探しに行きます。
そこでハヌマーンは日が沈み、夜になるのを待って、身体を小さい猫ほどの大きさに縮め、侵入していきます。ハヌマーンは、まずラーヴァナの宮殿の周囲に住む羅刹たちの邸宅を探索し、そしてとうとう羅刹王の宮殿にやってきました。
その宮殿は、あたかも財宝主クペーラ神の宮殿のように心を楽しませる広大なものであった。足首飾りの音や帯の鈴の音や、また小鼓の面を打つ音や、その他の楽器の音が響いていた。大宮殿には多くの高楼が連なり、宝石のような女官が群れをなし、とても美しい垣を巡らしてあった。その大宮殿にハヌマーンは忍び込んだ。
宝石がちりばめられた階段、黄金の格子窓、水晶でできたテラス、象牙、真珠、ダイヤモンド、珊瑚、銀、黄金でできた柱、豪華な宮殿の中でラーヴァナと美しい妻たちは時を忘れ、酒や歌舞、遊びに興じ、疲れて眠りこんでいる者もいます。これらすべての娘たちは、王仙の娘、再生族の娘、神々の娘、ガンダルヴァの娘たちなのですが、ラーヴァナが戦いの末、力ずくで奪ってきた王女たちなのでした。王女たちは最上の装飾と衣装に飾られ、連れてこられたことも忘れ、今やラーヴァナに愛情を注いでいるほどです。ラーヴァナは、とても高価な光り輝く黄金の飾りによって輝き、宝石をちりばめた王冠は素晴らしい光を放っていました。ハヌマーンは思います。
「ああ、なんと姿の美しいことか、ああ、なんと心の堅固なことか、ああ、勇気の素晴らしいことよ。この剛勇、この輝かしさ、ああこの羅刹王にはすべての吉祥の相が備わっている。もしこの羅刹王が法を犯しさえしなければ、真に強力な勇士であろうに」
ハヌマーンは、そこから少し離れた美しい寝台でひときわ美しい夫人が寝ているのを見つけます。それは実はラーヴァナの王女マンドーダリーなのですが、ハヌマーンは「若さと美しさを具えたこの女性こそシーターに相違ない」と推測し、大喜びします。そうなのです。ハヌマーンはシーターを見たことがなく、ラーマが告げた装飾品のことしか聞いていなかったのでした。しかしここでハヌマーンは考えます。
「ラーマから離れたら、あの優しい女性は眠ることなどできない。食べることも化粧することも、酒を飲むこともできないはずだ。彼女はラーマより他の人にかしずくことはできない。神々の世界にさえもラーマに匹敵する者はいない。この女性はシーターではない」と確信し、再び探し回ります。しかしなかなかシーターを見つけることができまず、まさかシーターは殺されたのではないかと不安になったりもします。でもハヌマーンは決して諦めず、ラーマやラクシュマナ、神々に成功を祈り、瞑想ののち、やっとのことでアショーカの森でシーターを見つけ出すのです。
シーターは、衣装も泥にまみれ、飢えにやつれて、哀れな様子で何度も溜息をついています。愛するラーマと離ればなれになり苦悩に涙しています。そこへ深く彼女へ恋情を抱いたラーヴァナが装飾品で身を飾り、優美な装いでシーターに会いに来ます。ラーヴァナは優しい態度でシーターを誘惑し、ランカーの女王となるように懇願します。
「私に望みのものを言うがよい。今日はそなたの最上の装飾をせよ。思いのままに、あらゆる娯楽を楽しむがよい。飲むがよい。そして愉快に過すがよい。そなたは私の寵愛を頼りにして楽しく遊び、そなたの友人も遊び戯れるがよい。わたしの繁栄と幸福を見よ。幸運な女よ。そなたは樹皮を着たラーマごときをどうしようというのだ。ラーマは勝利への道を捨てた。そのため栄光を失い、森に生活し、誓戒に専念し、いつも大地に横になる。ラーマは決してわたしの手からそなたを取り戻すことはできない。そなたはわたしと一緒に望みのまま楽しむがよい。そなたに財宝の蔵と全地球を与えよう」
シーターは悲しみに打ちのめされ、苦悩に苦しみ震えながら、ゆっくりと答えます。
「権力によっても、財宝によっても、わたくしを誘惑することはできません。太陽の光は太陽だけのものであるように、わたくしはラーマ様だけのものなのです。他の誰の者でもありません。わたくしは世界の主であるあの方の美しい腕を枕にしたのに、どうして他の者の腕を枕とすることができましょうか。わたくしはまさしくあの大地の王ラーマ様の妻たるにふさわしい女なのです。あなたがダシャラタ王の王子によって命を奪われることは確かです。あたかも巨木が雷によって破壊されるように」
何を言っても誘惑に負けず、頑として譲らないシーターに対して、ラーヴァナは二ヶ月の猶予を与え、それでも言うことを聞かなければ、切り刻んで食べてしまうぞと、ぞっとするような言葉を残して去って行くのでした。
もうお気づきのように、ここでは多くの役者たちが登場します。
欲望や快楽の誘惑に負け、美しい装飾品で身を飾り、ご馳走を食べ、遊びに興じている王女たち。
主人の命を忠実に守り、目的を果たすまで決して諦めず努力するハヌマーン。
身も心もラーマに捧げ、ただラーマだけを恋い慕い、どんな誘惑にも決して負けないシーター。
そして残忍で無慈悲、エゴと無知に支配され、自分を三界の王であると見誤っているラーヴァナ。
「人生は舞台」ともいわれ、この世の中では、さまざまな役割の人がいて、さまざまな物語が展開していっています。私たちも子供の役、学生の役、父の役や母の役、いろいろな役柄をこなしていっていても、年を重ねていっても、常に変わらない自分という本体を意識し、知っていると思います。
私はこの世界で、常により良く、誠実で、勇気のある役を演じたいと思っています。
ダルミニー
今日は京都でのさまらさの台所!夏野菜を使って初の試み、メキシカン!
チリビーンズ、メキシカンサラダ、トルティーヤを作りました。
見てください〜。夏野菜が元気いっぱいです!
チリビーンズにはたっぷりのトマト、パプリカ、ピーマン、キドニービーンズを使い煮込みます。
同じ野菜で作るメキシカンサラダは生のお野菜をスパイスとレモンで和えていただきます。
2階の部屋に人がいっぱい!今日はたくさんの参加者がありました。暑い中ご参加いただきありがとうございます!
とにかくひたすら野菜を切ります。
野菜を炒めているだけで「美味しそう〜!このまま食べたい」という声も
トルティーヤは小麦粉で作りました。簡単にできることにビックリ!!
柔らかくてとっても美味しかったですね。
できたーーー!色合いがキレイ〜。
食事の後は食材について、具体的に何を食べると良いのかをクイズで学びました。
突然ですが、クイズです!!
食材は3つの性質に分けられます。清浄な性質をサットヴァ性、活性化させる性質のものをラジャス性、心身を重くする性質をタマス性といいます。さまらさでは、サットヴァ性の食材を中心にしてラジャス性の食材を少々加え、タマス性は避けるようにとおすすめしていますでは、
「牛乳はサットヴァ性?ラジャス性?タマス性?どーれだ!」
「野菜はサットヴァ性になりますが、野菜の中でもラジャス性のものが2つあります、それはなーんだ!」
「タマス性の食材、お肉やインスタント食品などありますが、もう一つ隠れているものは何だと思います?」
写真の下に答えがあるので見ないで〜!
答えの前に……。
みなさん、今日のメニューはぜひ家で作ってみたい!と言っておられました。お土産にスパイスをお渡ししたので、それを使って作ってください〜。メキシコ料理と聞くと、お肉のイメージがありますが、お肉なしでもとっても美味しく作れますし、優しい味わいが身体に染みわたりましたね。
さて、答えです。
牛乳はサットヴァ性。野菜の中でラジャス性のものは玉ねぎとねぎ。タマス性のものはアルコールでした!当たってましたか?
今晩の夕食。台所の食材の残りでーートマトソースパスタにはパプリカを入れて、試作で作ったメキシカンサラダの残りに、台所で残ったキドニービーンズを混ぜて、たくさん汗をかいたので、フライドポテトを付けました。(私が作ったんじゃないけど……)疲れが吹っ飛びました〜!
2日目に行く前に……。1日目の夜にはさまらさトークスがあり、シャチーさん、マードゥリーさんの体験談を聞きながらさまらさの基本的な考え方を学びました。お出汁を取った後の煮干しはどうやって使う?ごぼうやかぼちゃは軽く蒸しておくと便利!など、とても実践的。
さて、2日目!まずは買い出しです。今日のメニュー”焼き野菜”の野菜は現地調達。
まず行ったのはおひさまいち
太陽市(おひさまいち)ってどんなとこ〜。こんなところです。
朝採りのお野菜を中心に旬の野菜がいっぱい!さまらさメンバーのテンションが一気に上がります!!京都にもこういう所があればいいのに〜。さー野菜を選ぶぞ!!!!
昨日使ったオクラも、こんなに大きくて新鮮なものがあるな〜。今日ももう一回作る!?
坊ちゃんかぼちゃ!京都ではほとんど見いひんし、せっかくやからこれ使う!?
見てーーー!こんなに大きい玉ねぎがめちゃくちゃ安い。持って帰りたい〜!
やっぱり、その土地で採れた新鮮なものが一番いいですよね。たくさんの野菜の中から美味しそうな野菜を調達、帰りたくないぐらいおひさまいちが気に入りました。
朝から降っていた雨は、さまらさの台所に行くころにはすっかり上がり、良いお天気に!
さあ!台所開始です!!2日目は和食の一膳、どれもこれもあっという間にできちゃう、さまらさメンバーお気に入りの7品。
切り方にもコツがあるの?しっかり確認!
みんな真剣そのもの!一瞬を見逃すな、手元が見たいよー!
参加者の方々から嬉しい感想をいただきましたのでご紹介します。
日本料理は砂糖+お酒+みりん等を使うものだと思っていました。使わなくても美味しいものが作れることが分かりました。また目からウロコでした。舌だけでなく、心にもたくさん栄養をいただき、ありがとうございました。
いろいろ新しい発見がありたくさんメモをとりました。一品一品にかかる時間がとても短くて簡単で分かりやいレシピだと思います。切り干し大根のカレー炒めが最高でした!レシピに困ったら迷わず作りたいです。
材料を無駄にせず、ゴミが少ないことに驚きました。とても無駄にしていたことに反省しました。
料理は私にとって”作ること”がメインでした。さまらさの台所は自分も”食べる” ”身体を大切にする”ことを教えてくれました。それが一番の目からウロコだったかもしれません。本当に本当にありがとうございました。
今回「料理」という 主婦には できて当たり前だからこそ 、緊張する所だったのですが 二日間とも 全く 自分の思いや計らいが 無駄な事だったと 思いました。食事という物が 空腹を満たすだけのものではないのだと 初めて感じれたし ヨガの入り口に立っている身として これからきちんと向き合っていきたいと思いました。
参加者のみなさま、ありがとうございました。そして、さまらさの台所を開催するにあたってご尽力いただいた松山のスタッフのみなさま、本当にありがとうございます。
こんなにもたくさんの方が参加してくださるなんて、本当に嬉しかったです。さまらさを通じてヨーガが深まりますように、みなさんの真剣さに触発され、私たちさまらさスタッフもさらに精進していこうと思いました。ありがとうございました。
帰りの車から見えた朝焼け(爆睡していたけど……。)ずっと運転してくれたクリパール、ありがとうございます!
今日はシッダ・マールガの日でした。(シッダ・マールガとは、ヨーガを3年以上学んだ人がシッダ=成就者への道を進んでいくためのクラスです)
毎回、3人の方がそれぞれのお気に入りの聖者に瞑想し、感じたことを話してくれます。よく知っている聖者のときもあれば、あまり知らない聖者もいて、毎回とても興味深く話を聞いています。今日は、ガンジー、トゥリヤーナンダ、ホーリーマザーでした。どれもとても良かったです。聖者の話を聞くと、そうしてこんなにも嬉しくなるのでしょうか。
ガンジーと言えば、インド独立運動の指導者にして、「インド建国の父」、その運動は「非暴力、不服従」でとても有名です。教科書でもお馴染み、お顔も一度見たら忘れられない 😉
今日ガンジーを紹介してくれたキンカラさんは、その昔、映画「ガンジー」のあるシーンを見て「初めて特別な大きな愛に触れた」と話してくれました。
それは、イスラム教徒に自分の子供を殺されたヒンドゥー教徒の男にガンジーが言った言葉です。その男は怒りのあまり、イスラム教徒の子供を殺してしまい、自分は地獄行きだとガンジーに語ります。
ガンジーは言います。
「地獄から抜け出せる方法がある。子供を拾うのだ、親を亡くした子供を。ただし、ムスリムの子供だよ、ムスリムとして育てるのだ」
その言葉はガンジーそのもの。ガンジーなら、そうするはず。
キンカラさんは、ずーっと昔に見た、映画のワンシーンにインスパイアされ、人々を平等に見るというガンジーの教えをずっと実践されてきたのだと感じました。
今日、話を聞いていて、非暴力も平等も、優しさも、愛も真実に通じるものには「強さ」と「積極さ」が欠かせないものだと感じました。
ちょっとお顔も似てきたかしら。。。 😯
ヨーガ・瞑想体験コースでは、毎回テーマがあり、アーサナの後にテーマにそった話をしています。今回のテーマは「呼吸が変わる!性格が変わる!」という衝撃なタイトル?!性格を変えたいと思っているのが前提のようですが、自分の性格に100%満足している人はいないのではないでしょうか?自信がないところや、変えたいところ、人のことをうらやんだり、誰にも言わなくても自分では何かあるような気がします。でもヨーガをするとどんなふうにでも変われると思うのです。
私がヨーガをする前に変わりたかったところは、「すぐに動揺する」こと。
ヨーガのクラスに行き始めた当時、私はデパートで働いていました。受付嬢と言えば聞こえがいいかもしれませんが、けっこう苦情を言って来る人が多く、怒りが爆発している人にひたすら謝るというのも仕事のひとつでした。激怒している人って本当に怖いですよ私も当時は若かったので、怒り狂っている人を目の前にして泣きそうになったり、手が震えたり、いつもなら出来ることが出来なくなって焦ったりしていました。その様子を見て、怒っている人の怒りはさらに増し、怒りの矛先はいつのまにか私に向き、なおさら怒られる……。というような悪循環が何度もありました。私のストレスもかなりのものだったと思います。
ヨーガを始めたのはその仕事を始めて1年が過ぎた頃、何気ないきっかけでした。クラスに通ってしばらくして、家でもお風呂上がりにアーサナをして寝ていました。
ある日、いつものようにものすごい形相のお客さんが来られ、いつものように怒りを爆発されました。私は瞬時に「怖い!!」と思い、いつものように恐怖で萎縮しそうになったのですが、なぜかならないのです。「……あれ???」内心、なんかおかしくない?と思いながら、でもどこかで落ち着いている自分がいたのです。
怒っているお客さんが何を怒っているのかがよく分かり、そのことに対して誠心誠意謝っていると、なぜかお客さんの気持ちが落ち着いてきたのです。「こんなことあなたに怒っても仕方ないのに、ごめんなさいね」そう言ってその方は帰っていかれました。いつもと同じことをしているのに、なんでこんなに違うんだろう!?本当に不思議で、不思議で仕方なかったです。あと、とても印象的だったことは、こちらが落ち着いていたら、相手も落ち着くんだなぁ〜ということ、初めての経験でした。
その後、ヨーガのクラスの先生に、不思議なことがありましたと何となく話をしたところ、
「それはヨーガの効果です!!!!!」とはっきりと言われました。
「へーーーーーーー 😯 ヨーガってそんな効果があるん!」とビックリした記憶があります。
今になって思うのは、ヨーガのクラスに通い、毎日少しでもアーサナをしていくことで、私の呼吸が深く落ち着いたリズムへと変化していったのだと思います。それは日常の生活にも影響し、今まで動揺していたような状況が訪れても呼吸が乱れず、そのため心は動揺せず、落ち着いて対処できるようになっていたのだと思います。
こうして、自分が直したいなと思っていた「すぐに動揺する」という性格が、少しずつ変わっていったような気がします。
思い出してみると、そのころは不思議なことがたくさんありました。今ならそれがヨーガの効果だと理解しますが、その当時は、いったい自分に何が起きてるんだろう?と思っていました。
人の多いデパートの中にいて、全てが止まっているように見えたり、今日はなんでこんなに静かなんだろうと思っていたら、実は来客数がすごい多い日だったと後から知ったり。エレベーター(運転していました)のことを「私はもう支配した」(ちょっと言葉にすると怖いですね)となぜか確信したり、「はぁ????」と思われるかもしれませんが、いろいろありました。
ヨーガって面白いですよ
火曜日のヨーガ・瞑想体験コースは会場が六角スタジオになりました。
ぜひ、遊びに来てくださいね〜。
今日はバクティ・サンガムの日!東京や台湾から参加してくださった方もありました。
キールタンは神の御名を繰り返し、繰り返し歌っていきますので、言葉が分からなくても、一緒に歌っているともっと深い部分で分かり合えるような気がしました。
まずはお聴きください。
何度も歌っていくことで、神に触れる瞬間があるといつもミラバイさんは言われます。
今日、キールタンを歌っているとき、心の奥から喜びが溢れ出す感覚がありました。この世界全体がクリシュナの中にあるーーーすべては神聖なものだと胸にストンと落ちました。
もしかしたらそれを神と言うのでしょうか。
歌うたびにそのとき感じた感覚を思い出し、味わうことで、その経験は一過性のものではなく永遠になるとミラバイさんは言われていたと思います(すみません!うるおぼえです……)
今日感じた感触を味わいながら、また家でも歌っていこうと思いました。