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紅葉🍁プレーマ・アーシュラマの集い!

12月とは思えないような暖かい日差しの中、1日の日曜日にプレーマ・アーシュラマで四回目となる「アーシュラマの集い」がおこなわれました。

当日は京阪神のグルバイを中心に京都に滞在中のマールラー、マーク、エミリーの台湾グルバイも参加し総勢30名の参加者が集まりました。

最初に仁和寺の山門に集まり二班に分かれて美しい庭園を散策しました。紅葉はベストの見頃からは少し遅れた様子でしたがそれでも御覧ください!

仁和寺紅葉ツアー

二手に分かれて出発!

紅葉をバックに楽しそうなグルバイの顔!

晩秋の京都を満喫した一行はプレーマ・アーシュラマに到着し御茶を頂いて一服。

集いの始めは皆で祭壇に礼拝。オームを奉納しました。
そして話題は自然と、今も喜びの余韻にある先週のサットグル・ジャヤンティーの話に!
なんと当日の写真をスライドショーで観るという嬉しいサプライズが用意されていました。

歓喜のジャヤンティーのスライドショーを楽しみました!

皆んな夢中で見ていました!台湾からのグルバイもとても喜んでいました!

15分程のスライドショーに映し出される写真は、どれも喜びの顔、顔、顔。
当日の感動が参加者の胸に甦ります。
何より師の慈しみ深い、優しく甘い眼差しに皆食い入るようにスクリーンに見入っていました。
式の間には見れなかった師が大いに笑われ、驚かれ、弟子の祝辞や聖劇を心から御喜びになられている様子を初めてアップで観ることができました。

続いて当日にホームページに告知されyoutubeに公開された、「エターナルクエスト」のダイジェスト版映像をいち早く観せてもらいました。
なんとこの映像は構成、デザイン、編集、フォントの選択に至るまで師が手がけられたそうです!!

そこからは、ジャヤンティーの感想を参加者がそれぞれ話してくれました。
初参加の廉くん、藍ちゃんも、先輩グルバイ達の真摯にヨーガに向き合う姿勢が、全ての祝辞に表れていてとても感動した。カッコ良かった。と話されていました。

その中で素晴らしい祝辞を奉納した美香ちゃんが、祝辞をグルに奉納出来るまでの過程を教えてくれました。

楽しくも真剣な皆んなのお話に引き込まれました。

祝辞候補者として初めて集まった7月からジャヤンティーを迎えるまで、担当者のアドバイスに支えられながら、日々の実践とヨーガの成就に向けた情熱に自ら向き合い、
何度も何度も自問自答し、ついに自分の役割を見つけ決意をもって高らかに師への想いを宣言してくれたのでした。

一人の修行者が少なからず通るであろう、己の性質との苦闘の跡がはっきり感じられただけでなく、それを乗り越え勝利した者だけが語れるとても力強い宣言でした。
それを可能にしたのは、グルへのひたむきな信愛と感謝だと私は強く心動かされました。

最後は、皆でキルタンを歌います!ハレ・クリシュナ、マナサ・バジャレイ。
黄金色の西日に照らされた皆の笑顔は、心のなかで師を思いながら歌っているのが手に取るようにわかる最高の瞬間でした!!

皆んなで歓びの中でキールタンを歌いました。

このアーシュラマの集いに参加して、サットグル・ジャヤンティーの意味、その吉祥さをあらためて噛みしめていました。
初めてジャヤンティーに参加された方も、当日は残念ながら参加できなかった方も、皆さんの話からとてもいいものを受け取られた様子でした。

チャイタニヤ


歓喜のジャヤンティー2019!!!

晴れ渡った秋空に紅葉が見事に映える、朝から心地よい日射しの11月23日(土)、最愛の師、シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサの御聖誕祭(ジャヤンティー)が開催されました!

11月23日朝、プレーマ・アーシュラマ横の紅葉

1年で最も大切な日!常日頃私たちを絶えず真理へと導き、溢れる愛を注いでくださっている最愛の師に、少しでも感謝の思いを伝え、ヨーガの道を歩む決意を伝えようと、弟子たちが高まる思いを胸に抱いて集いました!日本各地から大勢の弟子が集い、台湾からもたくさんの弟子が参加しました。ニューヨークにはインターネット中継が繋がり、深夜にも関わらず、熱心なグルバイ(兄弟姉妹弟子)が参加しました。皆、特別な日に師とお会いできる幸運を喜び、紅潮する顔が印象的でした。もちろん、都合で参加できなかった弟子たちも、それぞれが師への純粋な思いによって参加していたことでしょう!

たくさんのグルバイたちが全国各地から続々と集まりました。受付を済ませ、開始を待ちます。

台湾からも!ジャヤンティー初参加の方もおられ、ドキドキしながら開会を待ちます。

真理の恩寵が天から降り注ぐような歓喜の1日!!!さあ、ジャヤンティーの始まりです!

ジャヤンティーでは、プージャー(礼拝)、祝辞、キールタン奉納、聖劇奉納が行なわれます。詳細は新年の機関誌『パラマハンサ』1月号に譲るとして、ブログでは写真を中心にジャヤンティーの内容をご紹介したいと思います。

真実そのものの顕れであるサットグル(真実の師)とのかけがえのない縁を喜び、深い感謝を込めて礼拝が捧げられました。清らかな鐘の音が会場を鎮め、聖音オームの振動が広がります。マントラが殷々と朗唱され、散華の歌が捧げられました。無形の真理が人の姿をとって地上に顕現するその祝福と喜び!!!サットグルに出会えることがどれほど稀有で、得難いことか!道を歩む者にとって暗闇の中の唯一の光!その輝きに目を奪われることでしょう!

弟子は、グルの存在と導きにどれほど救われ、新しい命を授かり、生き方が変わったことか。その思いを結晶化し、8名の弟子が力強い祝辞を捧げました。またニューヨークからもたくさんの歓びのメッセージが届けられ、紹介されました。生中継ではニューヨークに集まったグルバイたちのリアルタイムの声も届けられました。本当に、純粋な思いが宝石のように輝いていました!

京都、東京、松山の弟子たちから祝辞が捧げられました!みんなそれぞれが、シュリー・マハーヨーギーへの深い感謝の思いと力強い決意を捧げました。

ニューヨーク・ミッションのアーナンダマーリーの祝辞がジャヤデーヴィー代読で捧げられました!

そして、台湾から参加したグルバイが、初めてジャヤンティーでキールタン「Bhajamana Ram バジャマナ・ラーマ」を奉納します。歓び溢れる歌声が会場を満たし、聴く者のハートを震わせます!みずみずしい純粋な思いに会場が満たされました。

台湾のグルバイによる初めてのキールタン奉納!シュリー・マハーヨーギーへの純粋な思いがキールタンとともに捧げられ、師は終始慈愛に満ちた目で見ておられました!

さあ聖劇です!今年の演目は、聖典ウパニシャッド「ウパコーサラが火から学んだ教え」です。2007年に奉納した聖劇「サティヤカーマのグルへの入門」の続編です。この日のために全てを出し尽くした面々が師に喜んでいただけるよう、精一杯演じました!

ウパコーサラは、グル・サティヤカーマに入門し、火の儀式を習得します。しかしブラフマンの叡智を学びたいウパコーサラ・・・果たして結末はいかに!? 2007年の聖劇の写真も登場?火の化身が渾身のハカを披露?!タパスはブラフマンなり!!! 写真を拡大してお楽しみください!

聖劇の後のインタビューでは、聖劇にまつわるエピソードが紹介されました。

弟子たちの祝辞や奉納を喜びをもって受け取ってくださったシュリー・マハーヨーギー。その慈愛に満ちた御姿を目にし、私たちのハートは歓びに満ちました!

なんと歓喜に満ちたジャヤンティーだったことでしょう!最愛の師への限りない感謝の思いと、ヨーガの実現への力強い誓願は、誰ものハートにしっかりと刻まれました!

ジャヤンティ後は各庵に集い、皆でプラサードをいただきながら、歓びの余韻を味わいました。その報告は次回のブログに譲ります。

少しはジャヤンティの様子が伝わりましたでしょうか。このような歓びの機会を与えてくださった師シュリー・マハーヨーギーに心より感謝いたします!本当にありがとうございました!

ジャイ!サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ キ ジャイ!!!!

サーナンダ拝


すべての聖典が教えるところ〜京都 定例サットサンガ〜

師の教えに耳を傾けていると、自分の小さな心の世界を突破し、無限に広がる真理の大海が広がっていくような感覚になることがあります。

先日行なわれた京都の定例サットサンガ。
和やかながらも真剣な問答が続く中、師が気迫を込めて語られた、印象に残るシーンがありました。

聖典『バガヴァット・ギーター』を読みながらノートをとり、わからない部分をチェックしているという質問者。意志や想念などの心の働きと専心(バクティ)についての問いに、師は明瞭にそれらを解き明かれた上で、些細な言葉に翻弄されず心を神のみに向けるよう、力強く導かれました。

 シュリー・ラーマクリシュナはどう言っているかーー。
『バガヴァット・ギーター』の教えは、すべてを放棄せよ! これだけだよと。
単純じゃないですか。言葉上の詮索なんていうのは学者がすればいいことであって、ヨーギーがするものではない!
ノートなんてとらなくてもいいし、分析なんてしなくてもいい!
それよりも、自分自身の心の安らぎ、もう一方ではどれだけ神の至福を味わえているかーー実質的な果実というものを味わうようにしてください。 

真摯に受け止めた質問者がお礼を述べた後、師は満面の笑顔で軽やかに続けられました。 

すべての聖典が教えるところは、無知煩悩をなくしなさい、放棄しなさい、
そして神、アートマン、ブラフマンという真理だけが真実だと――この二つです。
すべての聖典が詰まるところ言いたいことは、これだけなんです!

師の言葉は、時に落雷のように、私たちの頑ななこだわりや観念、習慣性といった心を一撃します。心はついつい複雑にいろんなことを捉えようとしますが、真理は、神は、単純でシンプル。師がいつも私たちに伝えてくださっていることも、まさにこの二つのことに限るのです! 
余計な心を一切排除し、大胆に、ダイレクトに真理に飛び込んでいけますように!

さまざまな知識や情報が氾濫している現代、古代から続くヨーガの道の入り口を見つけることはとても難しく、たとえ権威ある聖典を手にしたとしても、その内容を正しく理解していくことは困難だと思います。またどれだけ知識を得たとしても、実際のものとはならないでしょう。

あらゆる聖典のエッセンスをご自身で実証し、ヨーガの道をたった独りで開拓してこられた師の存在と生きた教えは、求道者を速やかに真実へと導く、何よりも確かな道しるべであり、稀有なるものだと感じます。

敬愛する師のご聖誕日を前に、師の導きに心から感謝を捧げます。

マードゥリー


リセット

仕事と子育ては、私のヨーガの大切な実践の場です。それは日常で関わるすべての人や物の中に神を見て行為していくことです。

さて、最近我が家では子供に少し元気がなくて、心配になって、ヨーガの教えを伝えて励ましたり、寝る前にアーサナをするよう誘導したり、美味しいおやつや面白そうなマンガを買ってきたりと、サポートに努める日々でした。そうするうちに、こちらの心身も疲れてきました。

子供に神を見て行為しているつもりなのに、なんで疲れるのだろう?こういう時期だし仕方ないのかな?と思いながら、何とかやり過ごす日々でしたが、先輩グルバイに事情を説明すると「ちょっと構い過ぎなんちゃう?」と言って頂きました。そして、その言葉の意味するところが先日のサットサンガで、家族や身内に対する接し方についてのヨギさんのお答えによって明確になりました。

 愛するも愛さないも、(接し方が)冷たいも温かいも、それは常識的な観念、思いに過ぎない。遠くの人も近くの人も一緒。同じように接していれば、必要な行為ができるはずです。

この言葉を聞いたとき、どんよりしていた自分の心がすーっと軽くなるのを感じました。私は子供を愛そうとしていた!感情任せに、しんどそうに見える子供の心を必死で何か別の安心できるもので埋めてあげたいと躍起になっていた!と思いました。その背後には、自分が早く楽になりたいというエゴ的な思いがあったことに気が付きました。

子供自身が自分で考え、自分の人生を歩んでいかなくてはなりません。アーサナを指導する、お菓子、マンガ、自分が良かれと思っていたものは全部、子供が自発的に望んだものではありませんでした。それにヨーガの教えは子供を尊重した上で、タイミングを見て伝えるもの。子供への尊敬を忘れ、子供のペースを無視していたんじゃないか、と思いました。

さあ、リセットです。愛おしい神だけを想うことに努めながら、一歩引いたところで見守っていこうと思います。そして、もうすぐ師であるヨギさんの御聖誕祭です!日頃の感謝の気持ちを精一杯捧げられるように日々を過ごしたいと思います。   

通勤途中の街路樹。美しく色付いてきました。

                                                          アマラー


サットサンガ@マハーヨーギー・アーシュラマ

先週の土曜日、マハーヨーギー・アーシュラマにてサットサンガが行なわれました。趣のある調えられた京町家の空間に、各クラスからの初参加の方が中心に集いました(なんと九州から遥々来られた方もありました!)。

和やかな雰囲気の中、活発な質疑が続きました。シュリー・マハーヨーギーは終始にこやかに様々な質問に応えながら、私たちが人生において何を一番大切にするべきか、何をゴールに据えるべきか、丁寧に語ってくださいました。
誰もが師の存在に魅了され、師が語られる真理の言葉を受け止め、これから歩みを進めるための大きな力をいただいたように思います。

終了後にはたくさんの感謝と感動の声が届けられました。師の尊さ、人となり、導きをそれぞれがどのように感じ取られたのかが、それらのメッセージからみずみずしい喜びとともに伝わってきます。ここにいくつかをご紹介します。


ヨギさんに近くでお会いして、実際のお声を聞くことはなかなかないのですが、それだけで透明な、とても純粋な水に触れたような、清らかな心地よい時間を過ごさせていただきました。
自分は誰か?という問いかけについて、瞑想クラスで教えていただいてきたことが、より具体的に理解できたように思います。
エゴで覆い隠されてしまっている本当の自分を少しずつ明らかにしていくことがするべきことなんだとわかりました。
そして、カルマについても果たしていかなければいけないんだと気付きました。
みなさんの真剣な問いかけに対して、ヨギさんの柔らかな笑顔がとても印象的でした。本当に素晴らしい機会を与えてくださり、ありがとうございました。
これからのヨーガの実践のための、心の支えになりました。

* * *

質問に対して真理から答えを出されているということが初めての体験で、非常に心に響きました。ヨギさんが言っているからという理由でただ信じるのではなく、「自分で考えて、確かめて、実感してください」と言われたことが印象的でした。

* * *

ヨギ様にお会いできて一番強く感じたのは「何もない中にすべてある」ということでした。
所有や肩書きの多い生き方より、最も豊かな生き方だと思いました。
「すべての命が永遠であり、一つである」
あなたが私で、私があなた。すべては一つ。
みんなが「それ」に目覚めたら、争いも諍いも苦悩も消滅すると思いました。
貴重な体験をさせていただき心から感謝いたします。
また必ず参加したいです。

* * *

アーシュラマの2階に着いた時、不思議と緊張がほぐれ、以前お会いした時と変わらない雰囲気のヨギさんにほっとしました。
「わたしは誰?」ということを考えていくことで真我が目覚めることに近づいていく、名前はあくまで印であるということが強く印象に残りました。
家に帰ってからそのことについて考えていると、そういえば「ブッダ」という言葉は人の名前でもあるけれど、「目覚めた人」という意味があったことを思い出しました。本当の自分(=真我)に目覚めることが、今後の目標だなということを、今回のサットサンガを通じてようやく実感しました。
まだスタート地点に立っている感じで、まずはヤマ・二ヤマできているかなという確認と実践から取り組んでいく所存です! 道は長そうだし、今世で実現できる可能性は限りなく低い気がしますが、今回知ることができただけでも一歩踏み出したのかなと思います。
また、食事や働き方に対する姿勢など他の方の質問も、自分自身の今ある状況に置き換えて考えることができてとても勉強になりました。ヨギさんと今回この場を作ってくださった皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。

* * *

子どもに伝えるべきことについて、ヨギさんが「神はここ(胸の内)にある」とおっしゃられたことがとても胸に響きました。自分の子が救われ、また自分も救われた思いがしました。
ヨギさんの眼差しと、ヨーガと瞑想に励みなさいとのお言葉を胸に努力していきたいと思いました。

* * *

ヨギさんの印象は、(上手な表現ができません。失礼をお許しください!)よい意味で拍子抜けするほど、師匠とか教祖とかにありがちな変な威張るような力んだ威厳が全くなくて、もんのすごいニュートラルな感じの方(力みが全く感じられない人)だなぁと感じました。
一連のお話を拝聴させてもらって感じたことは、アートマン(真我)を覚醒することが人生の目標、目的であるということ。そのためには、自分の心のモヤモヤ(カルマやエゴ)が起こらないような選択をし、思考を変化させていくことも必要なのかなと感じました。
かなり独りよがりな思考に陥りがちな私には、よい影響を受けたと思います。

* * *

ヨギさんが慎重に言葉を選んで長くなく必要なお話を受け答えされている姿に感銘を受けました。お一人ずつの思いは違えどその方の必要な答えと言葉には、普遍的な共通するものがあり、サットサンガに集まる理由がわかりました。真の導師のお姿に感謝の念を覚えました。
私へのお答えにも、確たる確信の言葉を得られました。この日が来たことに大きな感謝と、これからは迷わずひたすらにヨーガの道を歩んで行きたいと決心したところです。


マハーヨーギー・ミッションでは、毎月第一土曜日、師の定例サットサンガを行なっています。
また今月、10月19日(土)、20(日)は松山でも特別サットサンガを開催予定です。
どちらも、初めての方も、どなたでもご参加いただけます。
生き方を模索している人、ヨーガや瞑想を真に学びたい人、師を探している人、自由や愛、真実を求めている人・・・ぜひ、師の息吹に直接触れてみてください!


アーシュラマの集い

9月も下旬になり、秋風が心地よい季節になりましたね。
爽秋の候、いかがお過ごしでしょうか?
 
ところで、まだ残暑が続いていた9月1日、京阪神のグルバイ(ヨーガの仲間)がアーシュラマ(僧院)に集いました!この日は、師のニューヨークからのご帰国前に、アーシュラマを掃除してお迎えしたいという思いで、マハーヨーギー・アーシュラマとプレーマ・アーシュラマの二班に分かれて、両アーシュラマのお掃除をさせていただきました。(参加者はマハーヨーギー・アーシュラマは11名、プレーマ・アーシュラマは10名の計21名)
マハーヨーギー・アーシュラマでは、お掃除が初めての方もおられる中、先輩グルバイから場のプラーナを調えるヨーガ的お掃除の心構えなどを教わりながら、一階と二階、玄関やお庭のお掃除に取り組みました。
プレーマ・アーシュラマは礼拝室、玄関周り、縁側・庭の雑草引の他に、土手の清掃・花壇の手入れをしました。
 
 
午前の掃除後は、丹波で農業をしているグルバイのお野菜を使って、料理班が作ったお食事をプラサード(神のお下がり)としていただきました。野菜の味わいが存分に生かされたお料理が本当に美味しく、その流れでヨーガ談義に花が咲きました!最近の瞑想の取り組みや、大切にしている師の教えなどを一人一人が話していき、あっという間の楽しいひと時でした〜
 
 
 
プレーマ・アーシュラマでは、ニューヨークに師と5日間滞在した桜井さんの話を聞きたいとの声が多く、その時の話を聞き、その流れで、師の日常の過ごされ方や教えなど各自が今も強く残っているニューヨーク滞在時の導きを話していき、学びも多く、楽しい会になりました😄
 
 
今回参加したグルバイからは、「掃除の素晴らしさ、アーシュラマを大切に守っていこうという気持ち、グルバイ同士の交流が与えてくれる勇気。師からいただいたそういったさまざまなものの有難さを再確認できた良い1日でした」という感想がありました。
サットサンガやクラス以外の時間でゆっくりと話す機会が意外と少なかった京阪神のグルバイですが、今回の集いを通じて、共同してお掃除をしたり皆でお料理をいただくことで、グルバイ同士の親しみが芽生えたり、より深まったように感じました。
また、このようにアーシュラマの集いができればと思っています!
 
 
ゴーパーラ

日常がアーサナにあらわれる

アーサナのクラスを受講していたときのことです。鳩のポーズ(カポタ・アーサナ)をすると、毎回腰が痛いと思っていたので、講師の先生にポイントを尋ねると、「それは落ち着くところに落ち着くというか・・・自分でやり続ける中で見つけていくしかない」と言われ、そして「やっぱり腰に力を入れること」と言われました(違和感のある痛みであれば無理せず控えることも言われています)。実はその前回のクラスで、別のアーサナ(マッチェーンドラ・アーサナ ねじる形)でも腰が引けていることを指摘して頂いていたのでした。

アドバンスで取り組んでいる鳩のポーズ。もっと腰に力が入れられると、顔の位置がさらに足へ近づきますね。

そう言えば猛暑が始まってから身体がだるく、水分を取る量も増えて、普段から家の中では猫と一緒に寝そべってゴロゴロしていることが多い・・・。仕事中もお腹の力を抜いて悪い姿勢をしていることが多い・・・と日常での行為を思い出し、思い当たる節があることをお伝えすると、「アーサナはたった2時間やけど、他の時間の方が長いから・・・・・・。でも今気付いたんやから、もう大丈夫!」と優しく勇気付けてくださいました。日常の在り方がダイレクトにアーサナに影響していることを改めて実感し、自分の身体の癖をしっかりと見てくださっている先生の視点の深さに感謝するばかりでした。

帰りに自転車をこぎながら、心の習慣も同じだなと思いました。何かに執着していたら、どんな場面においてもそれが原因で心は苦しんでしまう。隠そうとしても隠せなくて誤魔化してうやむやにしても状況は変わらない。謙虚になって努力を続けていくことでしか、前には進めないのだと思いました。

さあ、やっと涼しく過ごしやすい季節となりました。アーサナを始めるのにも良い季節ですね。日々の生活も、アーサナも、瞑想も地道に取り組んでいこうと思います。

アマラー


徹底した識別の先にあるもの~サットサンガより

2カ月にわたるニューヨークご布教から戻られた師にお会いするため、多くの弟子や新しい方が集まった9月の定例サットサンガ。今回、師からニューヨークの様子をお聞かせいただきとても嬉しく励みとなったのは、ニューヨークのサンガ(弟子たちの集まり)のつながりが強くなっているということです。

彼らは個人主義的な教育を受けて育ち、サンガのつながりを深めていくことは簡単なことではなかったようですが、勉強会やミーティングを通じそれぞれの悟りへの熱情が高まり、サンガのつながりが強くなっていったそうです。
ニューヨークでの最後のクラス後、深夜にもかかわらず師と別れ難かった多くの弟子たちが師の滞在するお住まい前の公園に集まり、師にキールタンを捧げたそうです。捧げずにはいられない!!それほど情熱が高まっている!!!そんな様子が目に浮かび、聞いている私たちもその溢れる思いに触れたようでした。
こうした変化について師は、「2年前に話した“ロープの例え話”が薬となったようです(笑)」といたずらっぽくおっしゃいました。(→ロープの例え話のブログ

いくら知識があっても、アーサナをして瞑想をしていても、此岸(しがん)につながっていては一歩も彼岸(ひがん)に進むことはできない。すべきことは、ロープを外すこと。まずこの世界に対する執着を無くすこと。

そして、こうもおっしゃられました。
心にまがい物があるような状態では、真剣さも情熱も限りがあるということになる。

世間への執着を手放し、放棄する。それがなければ、全てに限りがありその先へは進めない。師はこの日のサットサンガを通じて識別の必要性を説かれましたが、まず自分が握りしめているものを見極め、手放さなければならないと強く感じました。そして、初めて師にお会いするために遠方から参加された方にこう説かれました。

放棄というものは、闇雲には出来ないものです。正しい識別によって、心が「これは間違っていたのだ、これはいらないものなのだ、これは完全ではない、永遠ではない」ということを理解すれば、その問題は識別されたということになって、自動的に放棄されます。
やるべきことは、引っ掛かっている問題に対して「それは完全なのか、それは本当の幸せなものなのか、永遠に存在しているのだろうか、真実なのだろうか」と、真理の言葉を突き合わせるようにして。そうすればどちらが正しいかということが直観されます。識別はそのようにしてやっていってください。

識別と放棄を繰り返し、さらに微細なところから原因というところまで識別を徹底する。本質としての真実性があるのか、ないのかを見極めていく。こうした徹底した識別は、「玉ねぎの皮を剥いていくようなもの」と師はおっしゃいます。

全部剥いてしまえば何もない!からっぽで自由!!それは私たちが拝見している師のお姿そのものです。私も夢からすぐにでも覚めたいけれど、やることは一歩ずつ、日々努力を積み重ねること。玉ねぎを剥いたその先に何があるのかを、ご自身で示してくださる師に出会えた奇跡に感謝をしながら、努力を重ねる!!そう強く思ったサットサンガでした。

ターリカー


不滅なる主ーーキールタンの味わい

バクティ・サンガムでは、今年も3カ月間かけて1曲のキールタンを歌い込んでいくということを行なっています。6月からチャレンジしているのは、「Hara Hara Mahadeva(ハラ ハラ マハーデーヴァ)」というシヴァ神を讃える歌。2007年に新風館で行なったライヴ映像もありますが、私も歌うのはほぼこの時以来で、約12年ぶり(!)でした。

久しぶりに歌ってみて、軽やかで楽しい、とてもいい曲だなあと思いました。でも単純に楽しいだけではない、何かがあるような気もするのですが、それが何かがまだよく分からない。キールタンはもちろんどれもが神を讃えた歌ではあるのですが、この歌の本質は何だろう・・・。それがなんともつかめないまま、一カ月ほど歌っていました。

Hara Hara Mahadeva Sambho   Kasi Visvanatha Gange
Kasi Visvanatha Gange   Kasi Amarnatha Gange・・・

歌詞は、単純にシヴァ神の御名を讃えていきます。その中で、Kasi(カーシー) という言葉が出てきます。意味はベナレス。インドの地名です。

ベナレスは昔から有名な聖地の一つで、シヴァ神の都ともいわれています。多くの聖者が住んだ場所でもあり、また多くの人がそこで人生の最期を迎えることを望み、やってくるところでもあります。なぜなら解脱できるといわれているから。私も20代の頃にベナレスに行ったことがありました。目の前にガンジス川が流れていて、上流には火葬場があり、その下流では沐浴をしたり洗濯をしたりしている。死ぬことも生きることも等しく日常にありました。ベナレスはインドの人々にとって特別な聖なる場所。・・・そんなことを思い巡らせながら歌を練習していた時、破壊と再生を司る主シヴァがこの世界で起こる変化のすべてを大きく受け止め、見守り続けていること、そしてシヴァの祝福が今もなお降り注がれていることが突然胸に飛び込んできて、深く感動しました。長い長いインドの歴史の中で、どれほど多くの人たちがシヴァ神を崇拝し、そこに救いを求め、またベナレスの地を愛してきたことか。

歌詞の中には、 Amarnatha (アマルナータ)という言葉が出てきます。不滅なる神という意味。主シヴァはもちろんのこと、私たちの本質も不滅である。破壊の神のイメージが強いシヴァ神ですが、不滅の神とも呼ばれ慕われてきたその意味と、シヴァ神のもう一つの側面を、ようやく少しだけ体感できたように思いました。私はこの日以来、シヴァ神をグッと身近に感じるようになりました。今でも、シヴァ神の御名から与えられたその振動が胸に鮮やかに残っていて、彼の御名を唱えるたび、喜びに満たされます。

8月まで「Hara Hara Mahadeva」を歌います! ぜひバクティ・サンガムに来て、この歌を一緒に歌ってみてください!

 

 

ミラバイ


最も大切なのは真実の体験〜定例サットサンガより

7/9、師はニューヨークへご出発されました。日曜日には今回1回目となる直伝クラスが行なわれる予定です。

渡米を目前にした7/6、京都では定例サットサンガが行なわれました。
この日は初めて師に会う方や、遠方からの久々の参加となる方もあり、和やかなムードの中、みな喜びと期待に胸を膨らませているようでした。その場には、企業に努めるサラリーマン、医療研究者や従事者、小さな子どものいるお母さん、ダンサー・・・と、本当にさまざまな年齢層の、さまざまな環境に身を置いている人たちが集いました。

職場などの人との関わりにおけるあり方や社会問題の捉え方、過去や未来、物質的なものへの執らわれからどうしたら解放されるか、献身奉仕についてなど、師はどのような問いにも寄り添って耳を傾け、とても丁寧に答えていかれました。

会の終盤、師は、人生の中でどんなものを求め、追いかけ、ひと時の存在感を得たとしてもすべては消え去っていく、最も大切なのは真実の体験だと、力強く語ってくださいました。

自らの本質が永遠の存在であり、完全であり、真実そのものの実存であるということ! これ以外のものはなんにもない!

この地上にあっては、私たちが肉体という物質をもっている以上、否が応でも何らかの物質をもって存在している。この椅子も存在している、この部屋も存在していると思っているけれど、でもこれらはいつか作られ、いつかなくなっていく。建物だってなんだって永遠ではないわけです。一時的な現象としての存在の姿を見せているにすぎない。

しかし、真実の存在というものはそんなものではない!
まったく一点の汚れもなく、生まれたこともなければ、死ぬこともない。それでいて実存としてのリアリティがありありと在る! 

なんて確信に満ちた、ダイナミックな宣言なのでしょう!
ああ、これこそが聞きたかった! これこそを心の底から欲していた! たとえ何度お聞きしていたとしても、師の口からこぼれ出る真理の言葉は、みずみずしいエネルギーとなってハートに流れ込み、私たちの本性を喚起させるのです。

さらに師は次のようなお話を続けられました、
この世界はその永遠の存在の顕れであり、本来は素晴らしい、美しい世界であるべきなのだけれど、無知が入り込んで悲惨な出来事がたくさん起こる。だからこそ、一人一人が真実の存在に目覚めること。それを体験することができたら、仕事でも何であっても軽やかに行なえ、それでいて善いことができるはずだと――。

時に、いったいいつ本当の目覚め、その体験はやってくるのだろうと、やり切れない気持ちになることもありますが、師からいただいた大きな励ましを糧に、「みんなは永遠の存在、誰もが“それ”である!」と名言してくださった、“それ”だけを見て、また進んでいきたいと思いました!

 

次回の定例サットサンガは、師のご帰国後、9月の第一土曜日になります。
生きていく中で、何か本当のもの、確かなものを探している人がいるのなら、ぜひ師のサットサンガを体験していただきたいです。言葉では到底届かないもの、直接肌で感じてこそのものがあると思います。

マードゥリー