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朱に交われば赤くなる!

ヨーガを深めるにはどうすればいいか? 深めたいと思っても、なかなか思い通りには深まらないものです。でも、時期が来れば草木も蕾をつけて花開いてくるように、ヨーガをきちんと実践していれば、やがて実っていくものです。

今回、熱心にサットサンガや様々なクラスに参加されている吉岡さんが、地道な実践の様子と自らの変化について寄稿してくださいましたので、ご紹介したいと思います。


4年前にふとしたきっかけでヨーガに出逢った頃は、とても生きるのが苦しくて辛い時だった。それでも最初は、仕事も忙しくてクラスにはあまり行けず、真理の教えももっともだけれども、それができたら誰も苦労しないと思っていた。
でも2年前、「このままじゃいけない!」と思ってサットサンガやクラスに真面目に行き始めた。とにかく、できるだけクラスに行って、朱に交わって赤くしてもらうほかない!と思って通ってきた。そして、生きていることの苦しさから逃れるには、「できないし無理」と思っていた真理の教えを実践していくしかないのだ、といつからか思うようになった。それはたぶん、休み休みでも行っていたクラスで、その教えを生きている先輩グルバイ(兄弟姉妹弟子)を見ていて感じていったのだと思う。
そして今は、正に朱の原液がヨギさんなのだと思い、サットサンガに通っている。

バクティ・サンガムのクラスでは、最初は違和感しかなかったが、「現実に生きている人のように神を愛せたら、どんなに幸せだろう!バクティをわかりたい!」と思って再びクラスに参加した時には最初の違和感はなくなっていた。人間の力を越えた神のような存在がいるとずっと思っていたけれど、私が思っていた神とバクティ・サンガムで歌われている神と、結局同じものなのだなと感じるようになった。

鴨川でのバクティ・サンガム

そして、神を悟るには瞑想が不可欠だか、最初私は座ることすらままならなかった。シッダ・アーサナ(達人坐)で座ると足にも背中にも力が入り、心を静かにするどころではなかった。とにかく瞑想ができるようになりたいと思って瞑想専科に通い始めた。でも毎週は通えなかったり、行けてもクラスが終わったらすぐに現実の忙しさに引き戻されるという状態が長く続いた。
それでも、少しずつ少しずつ、教えが私の中に染み込んでいったのだと思う。8年前に両親が亡くなり支えを失った私が、代わりの支えとしてずっと握りしめていたもの、それを昨年「それは真理ではないからいらない!」と思えるようになったのだ。そしてそれを手放したことで、自分の時間が格段に増えた。それまでは寝る前にアーサナと瞑想をしていたので座るとすぐに眠くなってしまった。だけど時間が確保できたことで、仕事が休みの日はとにかく昼間に1時間座ろうと決めた。1時間は長かった。骨が折れるんじゃないかと思うくらい足が痛かったし、心もいろんなことを喋り始めたけれど、「それでもいい!座ってなんぼや!」と思って座った。しばらくそれを続けて次は1時間半座った。それはそれは長かった。いろんなことが頭に浮かび出すのだけれど、少しの間だけど心が静かにしている時があった。私の場合それは長く座ってみたからこそ得られた感触なのだと思う。今もまだまだ瞑想というにはほど遠いけれど、今の私ができることを積み重ねていくしかないのだと思っている。

毎週木曜日の京都瞑想専科(キャンパスプラザ京都)

アーサナは、私は頸椎の異常で首から肩にかけて痺れがあり、特にシールシャ・アーサナ(逆立ちのポーズ)の練習で嫌な違和感があった。ヨギさんは、暖かくなったら練習を始めたら良いと先輩グルバイを通じてアドバイスをくださった。整形外科の先生は、他のところのアーサナで身体を痛めた人が大勢整形外科に来るからという理由でヨーガを全否定された。でも私は整形のリハビリには通わずにアーサナ・クラスに行き続けた。結果、いつの間にか違和感も痺れもなくなり、シールシャ・アーサナもできるようになった。
それから去年、睡眠時無呼吸症候群と診断されたが、アーサナと瞑想をしっかりやって心穏やかに眠りについた時は明らかに無呼吸の回数が減り(症状が改善)、アーサナが集中できていなかったり気になることを抱えていたりすると、無呼吸の回数が増えた。こうしたことから、アーサナの力を信じざるを得なくなり、たとえ時間は短くても集中してやるように心がけるようになった。

手前が吉岡さん。スタジオサンゴッホ(京都)のクラスにて。

さまらさは、先輩グルバイに誘っていただいて軽い気持ちで参加したのが最初だった。私は料理が嫌いだったし、全くしなかった。自分一人の為に料理なんかする時間がもったいないと思っていた。さまらさでは調理の他に食にまつわるお話もされるのだが、その時のふとした会話の中で、自分の料理嫌いの原因がわかり、そうしたら、それから料理が嫌いではなくなってしまった。休日は時間を忘れて料理に没頭することもあるようになった。おまけに、今までは捨てていた例えばカボチャの種なども、レシピを調べて無駄にしなくなった。なにより、そういったことを面倒くさいと思わなくなった。どうしてなのかなと考えると、食べ物はすべて命だから、その命をいただく過程を面倒くさいなんて思ったらその命に失礼だと思うようになったのかな?と思う。それは、さまらさだから感じられた学びだと思う。簡単で美味しいのは今やネットのレシピにも溢れているけど、それだけじゃない、生きていく上で大事なことをじわじわと身に染み込ませてくれるのがさまらさだと感じる。レシピだけではなく、いつも何かの気付きを持って帰ることができるのだ。

ヨーガ・ヴィハーラでのさまらさの台所。右端が吉岡さん。

掃除について。祝祭でアーシュラマのお掃除をさせてもらった時、掃除するのが嬉しかった。家の掃除は面倒くさいと思っているのに何が違うんだろうと思った。私は神様に会いたいと思っているのに、だったらアーシュラマだけでなく、自分の家も(自分の心も)綺麗にしておかないと神様は来て下さらないだろう、と思った。そうしたら大嫌いだった掃除が嫌いでなくなった。今まで面倒くさくて嫌なことだった家事全般が、服を着ることのように当たり前のことに感じるようになった。

今こうして振り返ってみると、マハーヨーギー・ミッションに出逢えたのも、掴んでいたものを手放せたのも、いつも、いつも、グルバイの助けがあった。本当にありがたいことだと感謝している。
ヨーガは体得しなければ意味がない。私はまだまだ全然だ。あ~あ(ため息)、と思うこともあるけど、ヨギさんは「感想はいらない」とおっしゃっていた。今生の時間が足りるか足りないかわからないけど、もうヨーガ以外の道がないことだけはわかってる。この身体がある間、神だけを見つめて少しでも近付けるように、生きていきます!

吉岡恭子


弟子のサットサンガ〜新春の集い〜

2020年最初の集いは、1月11日(土)17時から、マハーヨーギー・アーシュラマで弟子のサットサンガが行われました。現在師は、ニューヨークご訪問中で京都にはご不在ですが、いつものように東京、愛媛、大阪、京都からたくさんの弟子が集まりました。松、梅、葉牡丹、南天、千両のお正月のお花が玄関や部屋に生けられ、壁には、カレンダーと年賀状の原画や24年前に師が達磨をモチーフに書かれた「寿」の文字が飾られており、いつも師がお座りになられていた場所には、同じようにムートンが敷かれ、姿はないけれど、まるで師がそこにいらっしゃるかのように感じられました。ここアーシュラマに来ると、心が清々しく、穏やかになり、なんともいえない安心感に満たされます。

アーシュラマの玄関を飾る正月のお花

2階のサットサンガ会場に飾られた、師直筆の寿の書とカレンダー原画。

最初に先輩方数名でマントラを唱え、プージャ(礼拝)が行われました。そして、アーシュラマが開かれて、今年で45年目に入り、その間、この場所で絶えず真理に導いて下さったかけがえのない師の存在と導きを感じ、全員で師への感謝を捧げました。アーシュラマ開設初期に通われていた数名の方とこの年末年始にかけ交流があったことの報告に合わせ、当時の新年最初の集いの様子など聞き、思いを馳せました。また、カレンダーのモチーフとなった、師が「オームカーラアーサナ」をしている貴重な写真の話になりました。師がアーサナをなさっていた当時の写真はほとんどないとのことでしたが、この写真は師が20代の頃インドにご訪問された折、現地の人によって撮影されたものだそうです。このアーサナは、完成した形がオームの文字になっていると聞き、驚きました。師の姿が本当にそうなっていたからです。なんと美しい!きっと現地の人も、あまりの美しさに思わずシャッターを押したに違いないと思います。

ニューヨークでの体験を語る船勢さん。

そして、昨年の12月25日から1月5日まで、師の滞在しているニューヨークを訪れた船勢さんがニューヨークでの体験を話してくれました。何より驚いたのは、師が選んでくださったというカーリーレッドのパーカーを着ている彼女は、それまでとは全くの別人のように生き生きと輝いていました。師から注がれた愛が喜びとなって表情に溢れ出て、それを見ているこちらまで喜びで満たされました。そして、その変化は表情だけでなく、彼女の話し方にまで及んでおり、さらに驚かされました。「ヨーギーさんが、私の師(グル)だと確信しました。これから、何に取り組んでいくべきなのか、明確になりました。これからは、それに取り組んでいきたいと思います。」と力強く、軽快に話す彼女にそこにいた誰もが魅了されました。また、その場にいた兄弟弟子からの様々な質問にわかりやすく的確に答えるその姿勢は美しく感じました。彼女の一連の変化を通して、師の導きを目の当たりにし、そこから、過去に激変して帰国したという先輩方の様々なエピソードを聞き、大いに笑いました。アーシュラマにいる間、ずっと心はニューヨークの師を想っていたように思います。

ミッションオリジナル年賀状ークリシュナとラーダーの原画も飾られていました。

あっという間に予定の時間となり、アーシュラムを出ると、シンとした空気に寒の入りを実感し同時に、月明かりが冴えわたっていることに気づかされました。先輩と一緒に見上げるとそこには満月がありました。あぁ!ヨーギーさん!その月は美しく輝き、ヨーギーさんそのものを現すかのようでした。

オーム タット サット オーム!!

山口正美


永遠の言葉

去年の年の暮れに家の掃除をしていたとき、今までサットサンガでヨギさんのお言葉を書き留めたノートを、何気なくパラパラっとめくり眺めていました。

13年ほど前のノートを読んでいると、アーサナについてや、聖者の話、瞑想に入るための方法、日常生活をどう過ごすのか、事細かに丁寧に答えてくださっている内容が書かれていて、深遠な言葉にワクワクして、心奪われて、つい掃除を忘れサットサンガの世界に浸っていました。その中で背筋がすっと伸びる言葉がありました。

初めからヨーガの成就が前提にある。そのためだけにこの肉体は維持されなくてはならない。

ああ正にそうだ、と思いました。思い、言葉、行為はすべて根本的な動機から成り立っています。根本的なところがヨーガの成就であったなら、生活がヨーガそのものとなり、人生そのものとなるのです。ヨギさんのお答えはいつもシンプルで、的確で、瞬時に実践できる希望の光を常に与えてくださっています。弟子(質問者)の心に寄り添い、どの言葉からもヨーガの成就という目的だけを見据えた愛が、絶え間なく時空を超えて流れ続けているのを感じました。

この肉体は、ヨーガの成就のためにある。ヨーガの成就のためだけにある!!!ヨギさんの果てのない愛の中で、常に純粋なものだけを追い求めて生きていけるよう、努めたいと思います。

本年もどうぞ宜しくお願い致します。

                                                                                                                                                            アマラー


ウパコーサラの導き

11月23日。この日は師シュリー・マハーヨーギーのお生まれになった日。
私たち弟子は、永遠の真理とともに肉体をもって現れてくださり、その道を指し示してくださる師へ感謝を捧げる御聖誕祭(ジャヤンティー)を毎年開催させていただいています。
その弟子にとって1年で最も大切な集いとなるジャヤンティーでは聖劇が奉納されますが、今年私は聖劇に参加する機会を得ました。
ちょうど、松山バクティ・サンガムで「神の懐の中は、無恐怖である」という気づきがあり(過去のブログ、太鼓の導き!をご覧ください)、それがまだ、胸の中でありありと実感できた時、ウパコーサラという主役のバラモンの求道者役に抜擢されました。劇は小学校の学芸会以来でしたが、何も不安はありませんでした。それはまさに、あの時の実感からくるもので、神にお任せし、私は精一杯できることをやればいいんだという確信でした。

火の儀式をするウパコーサラ(ジャヤンティー当日)

聖劇の練習では、京都の先輩と関わらせていただく貴重な時間でした。そこでは、より良いものを作るために途切れなく集中し、その為に必要なことには惜しみなく尽力される姿を目の当たりにしました。より良くするための意見は、先輩後輩関係なく聞き入れられ、意見を出す時にも、自分の考えをはっきりと伝えるけれども、それを押し通すようなことは一切されませんでした。また、松山在住の私のために、スカイプで何度も練習してくださり、私が京都に滞在中には、聖劇に関わるすべての役割の人が時間を作って、一緒に練習してくださいました。その先輩方の姿に鼓舞され、過ごした2か月は、楽しくて仕方がありませんでした。

火の化身たち

ある時、ウパコーサラの心境がセリフや動作に表れていないということでアドバイスを頂いたことがありました。改善するべきところは理解でき、先輩の見本の真似はするけれど、できるのはその時だけで、すぐ忘れてしまう、まったく身につかない状況でした。それだけではなく、ウパコーサラの演技によって、先輩方の演技にも影響を及ぼし魅力を半減させていることを感じて、自分の至らなさに腹がたちました。同時に主役の役割とは、その劇を作る要になる存在だということに気づいて、それまでの自らの考えの甘さを反省しました。それまで、ウパコーサラを演じていたつもりでしたが、ふと「私の考えるウパコーサラ」を演じていたと思いました。「私」のわかること、理解できる心境は演技できるのですが、「私」のわからないことは演技出来ないので、セリフが本の朗読みたいになり、動作は、やるように言われたからやっている、劇のほとんどがこの状態でした。主役のウパコーサラがしっかりと演じられないとこの劇は成り立たない!そのためには何をしたらいいのか。

師サティヤカーマの導きでブラフマンの叡智を授かるウパコーサラ

技術的な面では、先輩から教わった方法を練習することで、私の話し方や息遣いの癖、本当の意味でセリフが覚えられていなかったことに気づかされました。また、内面的には、ウパコーサラの心を知る必要がありました。それには、「私」の考えを捨てて、ウパコーサラのセリフを頼りにその心情に迫り、私の身体を道具として使い現していく。先輩からのアドバイスを聞く時も「私」の考えを捨てて聞き、素直にやってみる。「私」の心が動くと途端に出来なくなる。「私」が主体となるものを徹底的に排除して、ウパコーサラになる!本番前の2週間、ただひたすらこれだけをやっていました。いつしか、ウパコーサラの憧れた、知りたかった「ブラフマン」は、「神」と同じ存在であることに気づかされ、ウパコーサラの表面的な心よりも、常にウパコーサラの中心にある「ブラフマン」を知りたいという熱意と師の教えである真理への信仰と師の導きへの感謝を感じるようになっていました。

クライマックスの一コマ。ウパコーサラの心情に迫ります!

当日、不安や「私」の心が動く原因になるものは一切ありませんでした。願いはただひとつ、師であるヨーギーさんが、喜んで楽しんでくださる劇になりますように!本番は、あっという間、無我夢中でした。

聖劇に魅入る観客

この体験から、「私」というものは、一切いらないことを実感しました。「私」があるから心の動揺を作る原因となり、「私」の考えや判断があるから真実や本質が見えない。真理というものは、「私」がなくなってはじめて、浮かび上がってくるように感じました。これから、さらに主体となる「私」を捨て、「真理」「神」「あなた」を主体としていけますように。

このような機会を与えてくださった師に感謝いたします。

オーム タット サット オーム!!

山口正美


紅葉🍁プレーマ・アーシュラマの集い!

12月とは思えないような暖かい日差しの中、1日の日曜日にプレーマ・アーシュラマで四回目となる「アーシュラマの集い」がおこなわれました。

当日は京阪神のグルバイを中心に京都に滞在中のマールラー、マーク、エミリーの台湾グルバイも参加し総勢30名の参加者が集まりました。

最初に仁和寺の山門に集まり二班に分かれて美しい庭園を散策しました。紅葉はベストの見頃からは少し遅れた様子でしたがそれでも御覧ください!

仁和寺紅葉ツアー

二手に分かれて出発!

紅葉をバックに楽しそうなグルバイの顔!

晩秋の京都を満喫した一行はプレーマ・アーシュラマに到着し御茶を頂いて一服。

集いの始めは皆で祭壇に礼拝。オームを奉納しました。
そして話題は自然と、今も喜びの余韻にある先週のサットグル・ジャヤンティーの話に!
なんと当日の写真をスライドショーで観るという嬉しいサプライズが用意されていました。

歓喜のジャヤンティーのスライドショーを楽しみました!

皆んな夢中で見ていました!台湾からのグルバイもとても喜んでいました!

15分程のスライドショーに映し出される写真は、どれも喜びの顔、顔、顔。
当日の感動が参加者の胸に甦ります。
何より師の慈しみ深い、優しく甘い眼差しに皆食い入るようにスクリーンに見入っていました。
式の間には見れなかった師が大いに笑われ、驚かれ、弟子の祝辞や聖劇を心から御喜びになられている様子を初めてアップで観ることができました。

続いて当日にホームページに告知されyoutubeに公開された、「エターナルクエスト」のダイジェスト版映像をいち早く観せてもらいました。
なんとこの映像は構成、デザイン、編集、フォントの選択に至るまで師が手がけられたそうです!!

そこからは、ジャヤンティーの感想を参加者がそれぞれ話してくれました。
初参加の廉くん、藍ちゃんも、先輩グルバイ達の真摯にヨーガに向き合う姿勢が、全ての祝辞に表れていてとても感動した。カッコ良かった。と話されていました。

その中で素晴らしい祝辞を奉納した美香ちゃんが、祝辞をグルに奉納出来るまでの過程を教えてくれました。

楽しくも真剣な皆んなのお話に引き込まれました。

祝辞候補者として初めて集まった7月からジャヤンティーを迎えるまで、担当者のアドバイスに支えられながら、日々の実践とヨーガの成就に向けた情熱に自ら向き合い、
何度も何度も自問自答し、ついに自分の役割を見つけ決意をもって高らかに師への想いを宣言してくれたのでした。

一人の修行者が少なからず通るであろう、己の性質との苦闘の跡がはっきり感じられただけでなく、それを乗り越え勝利した者だけが語れるとても力強い宣言でした。
それを可能にしたのは、グルへのひたむきな信愛と感謝だと私は強く心動かされました。

最後は、皆でキルタンを歌います!ハレ・クリシュナ、マナサ・バジャレイ。
黄金色の西日に照らされた皆の笑顔は、心のなかで師を思いながら歌っているのが手に取るようにわかる最高の瞬間でした!!

皆んなで歓びの中でキールタンを歌いました。

このアーシュラマの集いに参加して、サットグル・ジャヤンティーの意味、その吉祥さをあらためて噛みしめていました。
初めてジャヤンティーに参加された方も、当日は残念ながら参加できなかった方も、皆さんの話からとてもいいものを受け取られた様子でした。

チャイタニヤ


歓喜のジャヤンティー2019!!!

晴れ渡った秋空に紅葉が見事に映える、朝から心地よい日射しの11月23日(土)、最愛の師、シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサの御聖誕祭(ジャヤンティー)が開催されました!

11月23日朝、プレーマ・アーシュラマ横の紅葉

1年で最も大切な日!常日頃私たちを絶えず真理へと導き、溢れる愛を注いでくださっている最愛の師に、少しでも感謝の思いを伝え、ヨーガの道を歩む決意を伝えようと、弟子たちが高まる思いを胸に抱いて集いました!日本各地から大勢の弟子が集い、台湾からもたくさんの弟子が参加しました。ニューヨークにはインターネット中継が繋がり、深夜にも関わらず、熱心なグルバイ(兄弟姉妹弟子)が参加しました。皆、特別な日に師とお会いできる幸運を喜び、紅潮する顔が印象的でした。もちろん、都合で参加できなかった弟子たちも、それぞれが師への純粋な思いによって参加していたことでしょう!

たくさんのグルバイたちが全国各地から続々と集まりました。受付を済ませ、開始を待ちます。

台湾からも!ジャヤンティー初参加の方もおられ、ドキドキしながら開会を待ちます。

真理の恩寵が天から降り注ぐような歓喜の1日!!!さあ、ジャヤンティーの始まりです!

ジャヤンティーでは、プージャー(礼拝)、祝辞、キールタン奉納、聖劇奉納が行なわれます。詳細は新年の機関誌『パラマハンサ』1月号に譲るとして、ブログでは写真を中心にジャヤンティーの内容をご紹介したいと思います。

真実そのものの顕れであるサットグル(真実の師)とのかけがえのない縁を喜び、深い感謝を込めて礼拝が捧げられました。清らかな鐘の音が会場を鎮め、聖音オームの振動が広がります。マントラが殷々と朗唱され、散華の歌が捧げられました。無形の真理が人の姿をとって地上に顕現するその祝福と喜び!!!サットグルに出会えることがどれほど稀有で、得難いことか!道を歩む者にとって暗闇の中の唯一の光!その輝きに目を奪われることでしょう!

弟子は、グルの存在と導きにどれほど救われ、新しい命を授かり、生き方が変わったことか。その思いを結晶化し、8名の弟子が力強い祝辞を捧げました。またニューヨークからもたくさんの歓びのメッセージが届けられ、紹介されました。生中継ではニューヨークに集まったグルバイたちのリアルタイムの声も届けられました。本当に、純粋な思いが宝石のように輝いていました!

京都、東京、松山の弟子たちから祝辞が捧げられました!みんなそれぞれが、シュリー・マハーヨーギーへの深い感謝の思いと力強い決意を捧げました。

ニューヨーク・ミッションのアーナンダマーリーの祝辞がジャヤデーヴィー代読で捧げられました!

そして、台湾から参加したグルバイが、初めてジャヤンティーでキールタン「Bhajamana Ram バジャマナ・ラーマ」を奉納します。歓び溢れる歌声が会場を満たし、聴く者のハートを震わせます!みずみずしい純粋な思いに会場が満たされました。

台湾のグルバイによる初めてのキールタン奉納!シュリー・マハーヨーギーへの純粋な思いがキールタンとともに捧げられ、師は終始慈愛に満ちた目で見ておられました!

さあ聖劇です!今年の演目は、聖典ウパニシャッド「ウパコーサラが火から学んだ教え」です。2007年に奉納した聖劇「サティヤカーマのグルへの入門」の続編です。この日のために全てを出し尽くした面々が師に喜んでいただけるよう、精一杯演じました!

ウパコーサラは、グル・サティヤカーマに入門し、火の儀式を習得します。しかしブラフマンの叡智を学びたいウパコーサラ・・・果たして結末はいかに!? 2007年の聖劇の写真も登場?火の化身が渾身のハカを披露?!タパスはブラフマンなり!!! 写真を拡大してお楽しみください!

聖劇の後のインタビューでは、聖劇にまつわるエピソードが紹介されました。

弟子たちの祝辞や奉納を喜びをもって受け取ってくださったシュリー・マハーヨーギー。その慈愛に満ちた御姿を目にし、私たちのハートは歓びに満ちました!

なんと歓喜に満ちたジャヤンティーだったことでしょう!最愛の師への限りない感謝の思いと、ヨーガの実現への力強い誓願は、誰ものハートにしっかりと刻まれました!

ジャヤンティ後は各庵に集い、皆でプラサードをいただきながら、歓びの余韻を味わいました。その報告は次回のブログに譲ります。

少しはジャヤンティの様子が伝わりましたでしょうか。このような歓びの機会を与えてくださった師シュリー・マハーヨーギーに心より感謝いたします!本当にありがとうございました!

ジャイ!サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ キ ジャイ!!!!

サーナンダ拝


すべての聖典が教えるところ〜京都 定例サットサンガ〜

師の教えに耳を傾けていると、自分の小さな心の世界を突破し、無限に広がる真理の大海が広がっていくような感覚になることがあります。

先日行なわれた京都の定例サットサンガ。
和やかながらも真剣な問答が続く中、師が気迫を込めて語られた、印象に残るシーンがありました。

聖典『バガヴァット・ギーター』を読みながらノートをとり、わからない部分をチェックしているという質問者。意志や想念などの心の働きと専心(バクティ)についての問いに、師は明瞭にそれらを解き明かれた上で、些細な言葉に翻弄されず心を神のみに向けるよう、力強く導かれました。

 シュリー・ラーマクリシュナはどう言っているかーー。
『バガヴァット・ギーター』の教えは、すべてを放棄せよ! これだけだよと。
単純じゃないですか。言葉上の詮索なんていうのは学者がすればいいことであって、ヨーギーがするものではない!
ノートなんてとらなくてもいいし、分析なんてしなくてもいい!
それよりも、自分自身の心の安らぎ、もう一方ではどれだけ神の至福を味わえているかーー実質的な果実というものを味わうようにしてください。 

真摯に受け止めた質問者がお礼を述べた後、師は満面の笑顔で軽やかに続けられました。 

すべての聖典が教えるところは、無知煩悩をなくしなさい、放棄しなさい、
そして神、アートマン、ブラフマンという真理だけが真実だと――この二つです。
すべての聖典が詰まるところ言いたいことは、これだけなんです!

師の言葉は、時に落雷のように、私たちの頑ななこだわりや観念、習慣性といった心を一撃します。心はついつい複雑にいろんなことを捉えようとしますが、真理は、神は、単純でシンプル。師がいつも私たちに伝えてくださっていることも、まさにこの二つのことに限るのです! 
余計な心を一切排除し、大胆に、ダイレクトに真理に飛び込んでいけますように!

さまざまな知識や情報が氾濫している現代、古代から続くヨーガの道の入り口を見つけることはとても難しく、たとえ権威ある聖典を手にしたとしても、その内容を正しく理解していくことは困難だと思います。またどれだけ知識を得たとしても、実際のものとはならないでしょう。

あらゆる聖典のエッセンスをご自身で実証し、ヨーガの道をたった独りで開拓してこられた師の存在と生きた教えは、求道者を速やかに真実へと導く、何よりも確かな道しるべであり、稀有なるものだと感じます。

敬愛する師のご聖誕日を前に、師の導きに心から感謝を捧げます。

マードゥリー


リセット

仕事と子育ては、私のヨーガの大切な実践の場です。それは日常で関わるすべての人や物の中に神を見て行為していくことです。

さて、最近我が家では子供に少し元気がなくて、心配になって、ヨーガの教えを伝えて励ましたり、寝る前にアーサナをするよう誘導したり、美味しいおやつや面白そうなマンガを買ってきたりと、サポートに努める日々でした。そうするうちに、こちらの心身も疲れてきました。

子供に神を見て行為しているつもりなのに、なんで疲れるのだろう?こういう時期だし仕方ないのかな?と思いながら、何とかやり過ごす日々でしたが、先輩グルバイに事情を説明すると「ちょっと構い過ぎなんちゃう?」と言って頂きました。そして、その言葉の意味するところが先日のサットサンガで、家族や身内に対する接し方についてのヨギさんのお答えによって明確になりました。

 愛するも愛さないも、(接し方が)冷たいも温かいも、それは常識的な観念、思いに過ぎない。遠くの人も近くの人も一緒。同じように接していれば、必要な行為ができるはずです。

この言葉を聞いたとき、どんよりしていた自分の心がすーっと軽くなるのを感じました。私は子供を愛そうとしていた!感情任せに、しんどそうに見える子供の心を必死で何か別の安心できるもので埋めてあげたいと躍起になっていた!と思いました。その背後には、自分が早く楽になりたいというエゴ的な思いがあったことに気が付きました。

子供自身が自分で考え、自分の人生を歩んでいかなくてはなりません。アーサナを指導する、お菓子、マンガ、自分が良かれと思っていたものは全部、子供が自発的に望んだものではありませんでした。それにヨーガの教えは子供を尊重した上で、タイミングを見て伝えるもの。子供への尊敬を忘れ、子供のペースを無視していたんじゃないか、と思いました。

さあ、リセットです。愛おしい神だけを想うことに努めながら、一歩引いたところで見守っていこうと思います。そして、もうすぐ師であるヨギさんの御聖誕祭です!日頃の感謝の気持ちを精一杯捧げられるように日々を過ごしたいと思います。   

通勤途中の街路樹。美しく色付いてきました。

                                                          アマラー


サットサンガ@マハーヨーギー・アーシュラマ

先週の土曜日、マハーヨーギー・アーシュラマにてサットサンガが行なわれました。趣のある調えられた京町家の空間に、各クラスからの初参加の方が中心に集いました(なんと九州から遥々来られた方もありました!)。

和やかな雰囲気の中、活発な質疑が続きました。シュリー・マハーヨーギーは終始にこやかに様々な質問に応えながら、私たちが人生において何を一番大切にするべきか、何をゴールに据えるべきか、丁寧に語ってくださいました。
誰もが師の存在に魅了され、師が語られる真理の言葉を受け止め、これから歩みを進めるための大きな力をいただいたように思います。

終了後にはたくさんの感謝と感動の声が届けられました。師の尊さ、人となり、導きをそれぞれがどのように感じ取られたのかが、それらのメッセージからみずみずしい喜びとともに伝わってきます。ここにいくつかをご紹介します。


ヨギさんに近くでお会いして、実際のお声を聞くことはなかなかないのですが、それだけで透明な、とても純粋な水に触れたような、清らかな心地よい時間を過ごさせていただきました。
自分は誰か?という問いかけについて、瞑想クラスで教えていただいてきたことが、より具体的に理解できたように思います。
エゴで覆い隠されてしまっている本当の自分を少しずつ明らかにしていくことがするべきことなんだとわかりました。
そして、カルマについても果たしていかなければいけないんだと気付きました。
みなさんの真剣な問いかけに対して、ヨギさんの柔らかな笑顔がとても印象的でした。本当に素晴らしい機会を与えてくださり、ありがとうございました。
これからのヨーガの実践のための、心の支えになりました。

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質問に対して真理から答えを出されているということが初めての体験で、非常に心に響きました。ヨギさんが言っているからという理由でただ信じるのではなく、「自分で考えて、確かめて、実感してください」と言われたことが印象的でした。

* * *

ヨギ様にお会いできて一番強く感じたのは「何もない中にすべてある」ということでした。
所有や肩書きの多い生き方より、最も豊かな生き方だと思いました。
「すべての命が永遠であり、一つである」
あなたが私で、私があなた。すべては一つ。
みんなが「それ」に目覚めたら、争いも諍いも苦悩も消滅すると思いました。
貴重な体験をさせていただき心から感謝いたします。
また必ず参加したいです。

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アーシュラマの2階に着いた時、不思議と緊張がほぐれ、以前お会いした時と変わらない雰囲気のヨギさんにほっとしました。
「わたしは誰?」ということを考えていくことで真我が目覚めることに近づいていく、名前はあくまで印であるということが強く印象に残りました。
家に帰ってからそのことについて考えていると、そういえば「ブッダ」という言葉は人の名前でもあるけれど、「目覚めた人」という意味があったことを思い出しました。本当の自分(=真我)に目覚めることが、今後の目標だなということを、今回のサットサンガを通じてようやく実感しました。
まだスタート地点に立っている感じで、まずはヤマ・二ヤマできているかなという確認と実践から取り組んでいく所存です! 道は長そうだし、今世で実現できる可能性は限りなく低い気がしますが、今回知ることができただけでも一歩踏み出したのかなと思います。
また、食事や働き方に対する姿勢など他の方の質問も、自分自身の今ある状況に置き換えて考えることができてとても勉強になりました。ヨギさんと今回この場を作ってくださった皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。

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子どもに伝えるべきことについて、ヨギさんが「神はここ(胸の内)にある」とおっしゃられたことがとても胸に響きました。自分の子が救われ、また自分も救われた思いがしました。
ヨギさんの眼差しと、ヨーガと瞑想に励みなさいとのお言葉を胸に努力していきたいと思いました。

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ヨギさんの印象は、(上手な表現ができません。失礼をお許しください!)よい意味で拍子抜けするほど、師匠とか教祖とかにありがちな変な威張るような力んだ威厳が全くなくて、もんのすごいニュートラルな感じの方(力みが全く感じられない人)だなぁと感じました。
一連のお話を拝聴させてもらって感じたことは、アートマン(真我)を覚醒することが人生の目標、目的であるということ。そのためには、自分の心のモヤモヤ(カルマやエゴ)が起こらないような選択をし、思考を変化させていくことも必要なのかなと感じました。
かなり独りよがりな思考に陥りがちな私には、よい影響を受けたと思います。

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ヨギさんが慎重に言葉を選んで長くなく必要なお話を受け答えされている姿に感銘を受けました。お一人ずつの思いは違えどその方の必要な答えと言葉には、普遍的な共通するものがあり、サットサンガに集まる理由がわかりました。真の導師のお姿に感謝の念を覚えました。
私へのお答えにも、確たる確信の言葉を得られました。この日が来たことに大きな感謝と、これからは迷わずひたすらにヨーガの道を歩んで行きたいと決心したところです。


マハーヨーギー・ミッションでは、毎月第一土曜日、師の定例サットサンガを行なっています。
また今月、10月19日(土)、20(日)は松山でも特別サットサンガを開催予定です。
どちらも、初めての方も、どなたでもご参加いただけます。
生き方を模索している人、ヨーガや瞑想を真に学びたい人、師を探している人、自由や愛、真実を求めている人・・・ぜひ、師の息吹に直接触れてみてください!


アーシュラマの集い

9月も下旬になり、秋風が心地よい季節になりましたね。
爽秋の候、いかがお過ごしでしょうか?
 
ところで、まだ残暑が続いていた9月1日、京阪神のグルバイ(ヨーガの仲間)がアーシュラマ(僧院)に集いました!この日は、師のニューヨークからのご帰国前に、アーシュラマを掃除してお迎えしたいという思いで、マハーヨーギー・アーシュラマとプレーマ・アーシュラマの二班に分かれて、両アーシュラマのお掃除をさせていただきました。(参加者はマハーヨーギー・アーシュラマは11名、プレーマ・アーシュラマは10名の計21名)
マハーヨーギー・アーシュラマでは、お掃除が初めての方もおられる中、先輩グルバイから場のプラーナを調えるヨーガ的お掃除の心構えなどを教わりながら、一階と二階、玄関やお庭のお掃除に取り組みました。
プレーマ・アーシュラマは礼拝室、玄関周り、縁側・庭の雑草引の他に、土手の清掃・花壇の手入れをしました。
 
 
午前の掃除後は、丹波で農業をしているグルバイのお野菜を使って、料理班が作ったお食事をプラサード(神のお下がり)としていただきました。野菜の味わいが存分に生かされたお料理が本当に美味しく、その流れでヨーガ談義に花が咲きました!最近の瞑想の取り組みや、大切にしている師の教えなどを一人一人が話していき、あっという間の楽しいひと時でした〜
 
 
 
プレーマ・アーシュラマでは、ニューヨークに師と5日間滞在した桜井さんの話を聞きたいとの声が多く、その時の話を聞き、その流れで、師の日常の過ごされ方や教えなど各自が今も強く残っているニューヨーク滞在時の導きを話していき、学びも多く、楽しい会になりました😄
 
 
今回参加したグルバイからは、「掃除の素晴らしさ、アーシュラマを大切に守っていこうという気持ち、グルバイ同士の交流が与えてくれる勇気。師からいただいたそういったさまざまなものの有難さを再確認できた良い1日でした」という感想がありました。
サットサンガやクラス以外の時間でゆっくりと話す機会が意外と少なかった京阪神のグルバイですが、今回の集いを通じて、共同してお掃除をしたり皆でお料理をいただくことで、グルバイ同士の親しみが芽生えたり、より深まったように感じました。
また、このようにアーシュラマの集いができればと思っています!
 
 
ゴーパーラ