京都」カテゴリーアーカイブ

丹波お野菜を使った一膳 さまらさの台所

日曜日は、さまらさの台所がありました。今回は、丹波にある「さまらさふぁーむ」から旬のお野菜を持ってきてもらい、当日参加者の方と一緒にその野菜を使った献立を考え、調理し、いただきました!新鮮なお野菜は、ぴかぴか光っていました!!

それぞれが考えてきた献立を出し合って、その中からどれを作るかを考えます。アイディアがたくさん出ましたが、その中でみんなが特に作ってみたい!!!というものに絞って献立を立て、調理しました。

献立(左手前から時計回り)
・新じゃがいものガレットにサルサソースをかけて(厚みを出してオムレツ風に)
・焼きなすとバターのパスタ(美味しいバターを使い、濃厚に仕上げました)
・なすとピーマンの味噌炒め
・即席きゅうりのピクルス
・万願寺唐辛子のおかか和え
・トマトとココナッツのスープ(写真がありませんが・・・)

あまりの美味しさに、参加者の皆さんと感動しながらいただきました。そもそもお野菜の味が濃く、甘くて美味しい!!大満足の一膳になりました。

では、「新じゃがいものガレット」の簡単レシピをご紹介します。
材料:じゃがいも オリーブオイル お好みで(チーズやじゃこ、天然ワカメの粉末 青のりなど、何も入れずにプレーンでも美味しい)
 1 じゃがいもを薄くスライスし、千切りにする。
 2 1にお好みのものを混ぜる(チーズやじゃこ、天然ワカメの粉末や青のりなど)
 3 フライパンに多めのオリーブオイルをひいて熱し、2を入れて薄く広げる。
 4 中火〜強火で両面をカリカリになるまで焼き、仕上げに塩をふる。

暑い日にぴったりの、簡単で美味しい一品になると思います。分厚くオムレツのように焼きたい場合は、少し小麦粉を混ぜると良いですよ。ぜひお試しください!!


真理をつなぐ黄金の綱 <サットサンガより>

6月1日、サットサンガが行われました。師シュリー・マハーヨーギーのお座りになる椅子の前には、黄色い花が、太陽が沈む直前、水面に光が反射してキラキラ輝いている光のように美しく生けられていました。それは、師の到着をすべてのものが、今か今かと待ち望み、歓喜しているように感じられました。

会場には老若男女、たくさんの弟子が集い、途切れない問答が続きました。その中で、印象的だった教えをご紹介します。

過去と未来というものに振り回されないようにしなければならない。
それには過去を忘れる、記憶としてはあるでしょうけれども、それにとらわれないようにする。反対に未来にも、未来の不安とか心配とか様々なものは、すべて妄想的なものですから、それにもとらわれないようにする。そうして目の前の、今のその瞬間的な出来事、それに対応していく。そこにベストを尽くすということ。それが日常の行為のあり方です。そしてさらには、ヨーガの教え、真理というものをよく学び、考え、そして瞑想していく。そんな中で、自らの内に信念とか、そして信仰というもの、それを養っていく。まさに、信仰というのはその真理をつなぐ黄金の綱になりますから、揺るぎないものになります。

私たちは、生まれてから現在まで、どれだけの過去という名の記憶、印象を持っていることでしょう。最初は、こんな事があったという程度の記憶が、同じような状況に何度か直面するたびに、印象がどんどん深く刻まれていきます。そして、その印象が強くなればなるほどに、私たちはそれに影響を受けてしまうことになります。
特に、家庭や職場の人間関係に大きく関与しているのは、この過去の記憶と印象だと思います。私にはそれぞれの場所に「この人だけは、どう考えてもおかしい」と思う人がいました。そう思う原因は、まさしく過去の記憶と印象でした。
けれども、最近、その記憶と印象がなくなっていることに気づかされたのです。そして、これがなければ、いつでも、優しく、笑顔で接することができるし、相手がどんなことをしていようと、それを「あーだ、こーだ」思う心も存在しないことを知りました。
師は、軽やかにおっしゃいました。

大胆に進んでいきましょう。もう真実があるだけです。神があるだけです。

自らが作り出した幻を捨て、真実を知りたい、神を見たい!!!真理をつなぐ黄金の綱を揺るぎないものにし、それだけを見て、師の教えを胸に、恐れず進んでいきたい、そう思った瞬間でした!

オーム タット サット オーム!!!

山口正美


さまらさの台所 梅干しを使ったレシピ

日曜日はさまらさの台所がありました。今回は蒸し暑くなる季節にぴったりの梅干しを使ったレシピをご紹介しました。

・なすの梅煮(左上) (昆布だしで煮るとだし汁がピンクになります!)
・豆腐と夏野菜の照り焼き梅ソース(右)
・きゅうりとみょうがの梅漬け(左)

梅干しはそのまま食べると口をすぼめてしまうほど酸っぱいですが、調味料として火を通して使うと酸っぱさが和らぎ、反対にコクが増します。さっぱりとした口当たりの良さが特徴で、暑い日で美味しくいただけるレシピだと思います。

食事の後は参加されている方とヨーガトークスを行い、日々の実践の様子を伺いました。家族と住んでいる方は料理を通してヨーガを実践している様子がとても印象的でした。家族のために食事を作ることは当たり前かもしれませんが、毎日になると大変なこともあります。また食べられるものが限られてくると相手のことを考えてメニューを考えたり、調理法を工夫したり、食事を通じて家族が円満に生活できるように日々実践されていることが伺えました。料理が苦手だと言われていましたが、何よりも相手を思う気持ちが大切だと感じたし、それは相手に通じているだろうなと思いました。

今回のさまらさの台所は、みんなでごはんを作って食べると美味しい!!という感想が多かったです!!


発心!! <サットサンガより>

立夏らしく、日中は初夏のような暑さとなった5月11日(土)の定例サットサンガ。その中で、特に私がインスパイア(鼓舞)されたのは、発心についてのお話です。

よく考えてみれば、八歳の頃に真実の意識に目覚められた師シュリー・マハーヨーギーには、発心も精進も必要ありません。にもかかわらず、師は並々ならぬ志を持って、十二年間も黙々とアーサナをされ、徹底的にこの世界と心の理を解き明かされました。「動機なき精進、それが自然体だった」、さらには「かなり精進した」と師はサットサンガの中でおっしゃいました。全ては、後に現れる私たちを導かれるためになされたことに違いありません。

そして師は、発心について次のようにおっしゃいました。

必要なのは、感じること、気づくこと、そして求めること、探すこと。

まず、この世界がどういうものなのかに気づくこと。諸行無常、諸法無我、一切皆苦、そう教えらえている真理に気づかなければならない。
普通はこの世の中で何かを求めてあくせくしますけれども、実はこの世界は常に変化をして何一つ確実なものはない。様々な現象という経験も、そこに真実は見つけることはできない。そして、誰もが望んでいる幸福というものも、全ては限定的であり不完全であるから、その結果は苦しみに終わる。
では、一体何が本当の幸せなのか、これを求めなければならない。ブッダ、あるいはヨーガには、ニルヴァーナ(涅槃寂静)、サマーディ(三昧、瞑想の深い境地)という言葉に表現される至福の境地がある。そして、苦しみをつくりだす原因は無知であると見抜いているわけです。このことをまず理解すること。そうしたら、心の向きや行動様式を、世間に対する執着から真実の方に向けることができる。ここで大いなる転換をしなさい。これが発心です、全ての原動力です。

私はこれらの教えを聞きながら、自分自身のことを思い返していました。
師がニューヨークにご布教に行かれた際に、師の傍に何度か滞在させていただいた私は、東京に帰ってからもずっと、ヨギさんのことや滞在中のことを考えていましたが、ニューヨークでの出来事を消化しきれず、私の心はなかなか晴れませんでした。

そんなある日、「この限りある心でヨギさんを理解するなんて無理だ。けれども私は、ヨギさんの本当のことを知りたい!!!!!」と祭壇の前で泣いていました。これが私の発心だったのだと思います。
師のお言葉によって、その時の熱い思いが一瞬で蘇りました。

師は、私たちを目覚めさせようとしてくださっている。やさしく、そして私たち以上に諦めることなく。しかし、いつまでも師であるヨギさんに甘えっぱなしではいけない。仕事や日常生活に飲み込まれずに、ヨギさんだけに一点集中する、正精進あるのみ!! あらためてそう強く願ったサットサンガでした。

ターリカー


ニューヨークの弟子プラパッティーの滞在🇯🇵🌸

満開の桜が咲く中、4月7日の祝祭に合わせてニューヨークからプラパッティーさんが来日されました🌸

プラパッティーさん(右)。アーナンダマーリーさん(左)も同じ日にNYから一緒に来られました。

プラパッティーさんは約1週間の滞在で、私の住まいであるシャーンティ庵に宿泊しました。
彼女はニューヨーク在住のレバノン人。
ヨーガを始めて2年ほどの彼女ですが、ニューヨーク・ミッションがウェブ配信している『Pranavadipa』はすべて読んでおり、ヨーギーさんの教えや日本の弟子の記事の内容についてとってもよく知っています。
特に驚いたことが、北野白梅町のスーパーのイズミヤの前を通った時に、「今は大きなスーパーマーケットだけど、昔は喫茶店があったみたいで、高校時代の師ヨーギーさんはここで識別瞑想をされていたそうだよ」と私が話すと、彼女は即座に「名前はブラック、でも中はホワイト一色の喫茶店!?」と答え、イズミヤの写真を撮り始めたことです……😅

嵐山の角田香勢園さん。お店の方と仲良くなり、お抹茶の手解き🍵

到着初日、私はプラパッティーさんに日本に来た理由を尋ねました。
一つには、日本の弟子がどういう方法でヨーガを実践しているか知りたいということ。
もう一つは、師ヨーギーさんに会いたかったからという理由でした。
私は彼女自身のヨーガの目標はどうなのかと思い、「あなたの理想は何ですか?」と尋ねると、彼女は「まだ理想は分からない」と答えました。
「理想がはっきりすると、より具体的にヨーギーさんや弟子から教えや実践を学び取ることができると思うよ」と私はアドヴァイスしました。
すると次の日から彼女は会う弟子、会う弟子に「あなたの理想は何ですか?」と尋ねていました……😅

すごく素直で、理解も早いプラパッティーさん。
短い滞在期間の中、レバノン料理を2度も作ってくれました😋
レバノンは宗教間の争いが絶えない地域―—レバノンにいた頃の彼女は特定の宗教は信仰していなかったそうですが、「真実は自分の中に在る」ということを感じていたそうで、当時の彼女は難民の人に衣服を与えるボランティアをしていたそうです。
国境を越えて素晴らしいグルバイに出会え、今後彼女がどのように理想を見つけてヨーガを実践していくのか、本当に楽しみです😃‼️

祝祭後、その時の感動を話すプラパッティーさん☺️

ゴーパーラ


神なる真実在だけが在る!

満開だった美しい桜の花も終わりに近づき、季節が新緑へと向かっていくのを感じます。

 4/7に開催された祝祭、サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラーは、(前回の記事の通り)シュリー・ラーマクリシュナの臨在とともに、神なる歓び、至福に溶け入るようなひと時となりました。

その前夜には、定例サットサンガが行なわれました。祝祭に向け、多くの人がシュリー・ラーマクリシュナの生涯に触れ、思いを高めてきたこともあってか、神の真実を表すマントラ(聖音)から始まり、バクティ(神への信愛)やリーラー(神の遊び戯れ)についてなどの質疑応答も続きました。

その日、師がサナータナ・ダルマ(永遠の真理)とアヴァターラ(神の化身)について語られた言葉をここにご紹介します。

真理というのは、当然ながら永遠であるわけです。時代性や民族性、一切の条件に左右されるものではない。それは変わらずに、時間を超えて在り続けている真実のことです。この真実がすべての生き物の中に、そしてこの全宇宙の中に、本質として宿っている。だけど人間の心はそれを知らないで、むしろ反対に間違った思いをもってこの世の中と接してしまって、そこで儚い自由や儚い偽物の幸福などを追いかけてしまう。その結果はみじめな苦しみということになるわけです。

永遠の真実というものを人々が忘れそうになった時には、その真実そのものが化身してこの地上に顕れ、もう一度人々に思い起させる。時空を超えた存在でありながら、時空に限定されたこの世の中で働きをする。それをアヴァターラ、神の化身と訳していますが、そういう存在が時折顕れる必要がある。それがブッタであり、また近代ではシュリー・ラーマクリシュナである。そういう本当に大切な、尊い真理と存在に対して、私たちも思いをもう一度新たにしようということで明日、祝祭という形をとって行おうとしているわけです。

さらに師は、神なる真実在だけが、真理だけが在ることを何度も語ってくださいました。
会場は、翌日の大歓喜を予感させるかのようなムードに包まれました。

* * *

そうして迎えた祝祭の当日。みんなの熱い思いのこもったメッセージがすべて終わった時、師はアヴァターラの降臨の意味、そして誰もが真実を悟ることができることを力強く語られた後、笑みをたたえ、私たちがマントラを繰り返し唱えるよう導かれました。

OM TAT SAT OM(オーム タット サット オーム)!
OM TAT SAT OM!!
OM TAT SAT OM!!!

全員で唱えた聖音が、その場に高らかに響き渡った時、誰もの中に在る真実が呼び起され、共鳴し合うような強い感覚が生まれました!

神は真実在なり!!!

みんなの内からほとばしり出た、この宣言、サナータナ・ダルマの振動を、この胸の内にも外にも、さらに大きく響かせていきたい!と思います。

マードゥリー


歓喜の春の祝祭! サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー!

第3回 サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー -神性示現大祭- が、2019年4月7日(日)に開催されました。

今年はまさに春爛漫の麗らかな晴れの日で、京都の桜は満開!会場となったプレーマ・アーシュラマは春の喜びに包まれ、祝祭が行なわれました。全国各地から、そしてニューヨークから、プレーマ・アーシュラマにはたくさんの弟子たちが集いました。祝祭会場には、溢れる喜びの笑顔が輝きました。

プレーマ・アーシュラマの周辺の桜は満開でした!

毎年恒例の祝祭前の仁和寺ツアー。ツアーコンダクターは今年もターバンを巻いたゴーパーラさんと、着物姿の高橋さんです。

さあ、仁和寺ツアーが始まります!

美しい花々に負けないほどの喜びの笑顔!

サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラーは、永遠普遍の真理サナータナ・ダルマとそれを100%純粋な形で具現されたアヴァターラ(神の化身)の顕現に感謝を捧げ、私たち自身アヴァターラが示された道を歩み、サナータナ・ダルマの実現を誓願する、喜びの祝祭です。

仁和寺ツアーを終え、続々と参加者が美しい笑顔をまとってやってきます!

受付で記帳をします。

昨年の祝祭では正覚者ブッダに迫りましたが(→昨年のブログ)、今年は19世紀の大聖者シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサの愛の大海に溶け込み、至高の神の愛に酔いしれました!真理は永遠であることがありありと感じられる、素晴らしい祝祭になりました!

詳細は、機関誌『パラマハンサ』5月号に譲るとして、ブログでは当日の写真を中心に祝祭の模様をお伝えしようと思います。『パラマハンサ』にはとても力強い素晴らしい祝辞の数々が掲載されますので、発行を楽しみにお待ちください!

会場のプレーマ・アーシュラマにサハスラーラの旗が翻ります。

玄関を飾る色とりどりの花々が喜びとともに参加者を出迎えてくれます。

バンスリー、タブラー、鐘、シタールの調べが会場を喜びの音色で包みます。

祝祭が始まり、礼拝の儀が行なわれます。永遠の真理とアヴァターラ、そして師シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサに感謝を捧げます。

神聖なプージャーのムードに会場が満たされます。

シュリー・ラーマクリシュナの存在とサナータナ・ダルマに迫った八人の真剣でいながらもユニークなスピーチに、師も参加者も全員が真剣に聞き入り、笑い、涙し、歓喜に沸き立ちました!

今年は、この八名が、シュリー・ラーマクリシュナの生き様、悟り、導き、働きを熱く語りました!

情緒豊かなスピーチに、会場には笑いと涙が溢れます。

みんな、聞き入り、魅入ります!

サティヤーさんは祝辞の中で、ラーマクリシュナの福音の世界にみんなを連れていってくれました。そして福音の中のキールタンを再現するかのように「ハレ・クリシュナ」を歌い、会場を歓喜が渦巻きました!

ドッキネッショルのカーリー寺院の全景の見取り図や写真を紹介しながら、シュリー・ラーマクリシュナが生涯を過ごされた場所に思いを馳せます。

師は1986年にドッキネッショル寺院を訪問されています。ちょうどラーマクリシュナ御聖誕150年祭が行なわれていたそうです。その時の印象を伺う貴重な機会を得ました。ありがとうございます!

一言で言えば、神の愛だけがある!神だけが真実在!愛の大海に溺れた、まことに得難い一日でした!八人の祝辞の締めくくりとなったシャチーさんのスピーチを聞いた時、そのように感じました。神がそこかしこにおられるように感じ、愛によって神に結び付けられたように思いました。

歓喜に満たされ、アヴァターラの祝福と導きが今も変わらず永遠にあり、サナータナ・ダルマへの信仰が強く胸に刻まれた祝祭になりました。

師とすべてのアヴァターラに心より感謝を捧げます。

ジャイ・サナータナ・ダルマ ジャイ・アヴァターラ!

オーム・タット・サット オーム!

サーナンダ

 

サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラ

桜の花が満開になってきましたね。いよいよ今週末4月7日(日)は、御室にあるプレーマ ・アーシュラマで第3回「神聖示現大祭ーサナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー」が開催されます。永遠の真理——サナータナ・ダルマ——それを体現された神の化身——アヴァターラに感謝と喜びを捧げる日です。

今年の祝祭は、19世紀に生きた大聖者、シュリー・ラーマクリシュナに焦点を当てて行われます。シュリー・ラーマクリシュナを通して、その本質である永遠の真理そのものに触れる機会となることでしょう。

シュリー・ラーマクリシュナがどのような方かということや、彼の教えの数々は、このブログの中で何度も紹介しています。ひとことで紹介することは難しいのですが、「ラーマクリシュナの福音」の中で著者であるMがラーマクリシュナについて表現している箇所を見つけましたのでご紹介します。

「ハリ(神)の愛に常に酔っておられ、神聖な愛と燃えるような信仰を持ち、子供のようになって神と語り、神を恋い焦がれて泣くお方。すべての女性を母と観て拝み、世俗の話を嫌って油の流れるように絶え間なく神の話ばかりし、すべての宗教は憎み合わずに、お互いに敬意を持って接し、仲良くしなければならぬと言われるお方」

このような姿を見て、生きておられた時代はもちろんですが、今もなお時代を超えて多くの人が彼に惹きつけられたのです。

去年のサナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラーでは、釈迦牟尼ブッダに焦点を当てて行われました。当日は、ハートの全てをブッダに捧げた祝辞の数々を聞き、ブッダに思いを馳せ、まるでそこに神聖なブッダがおられるかのように感じ、歓喜の美酒に酔っ払ってクラクラになったことを覚えています。

個人的には今年、シュリー・ラーマクリシュナへ感謝を捧げることができることをとても嬉しく思っています。私にとってラーマクリシュナは身近な存在で、心底お世話になっていると思っています。ヨーガの歩みを進める上で、たくさんの教えをいただき、時空を超えて導いてもらっていると感じています。常々感謝の思いでいっぱいですが、大切な仲間と一緒にその存在への感謝、歓びと愛を捧げることができれば、それほど嬉しいことはありません。今年もラーマクリシュナご自身がそこにいてくださり、きっと歓喜の中一緒に過ごすことができるのではないかと、今から楽しみにしています!!!!

御室の桜は満開でしょうか?!こちらも当日が楽しみです!

サティヤー


下鴨・烏丸ヨーガ・瞑想クラスの春企画

最近、うぐいすの鳴き声が美しく響くのを聞きました。春の到来ですね〜!

さて、下鴨と烏丸のクラスでは、来月からヨーガと瞑想をより深く学んでいくための合同企画が始まります! 
半年の間で、春、夏、秋それぞれ4回、テーマに沿って集中的に学べる期間を設ける予定です。まず4月からのテーマ「ヨーガとは何か」の中では、目指していこうとするゴールとそれに至る道のり、ヨーガの生理学的、心理学的な内容、日常での行為や心のあり方など、アーサナ(ポーズ)だけではない、古から伝わる大切なヨーガの教えについて触れ、自分の内側を見つめる機会にしていきたいと考えています。

ヨーガを始めた頃、それまで全く耳にしたことのなかったヨーガの知恵を教わり、とっても新鮮で惹きつけられました。それは、自分自身の身体の神秘であり、思い悩みを巡らせ、からまった心の問題をほどく糸口であり、漠然と描いていた理想や生きる意味のクリアな答えでもありました。
自分の身体や心のことなのに、何も知らずにいたなんて・・・。ここまで熟知されたヨーガってすごい! あぁ、これからこれを自分の軸にしていけばいいんだ!と、たくさんの発見や驚きがあったものです。クラスの中では、私たちが繰り返し学ぶ中で感じ取ってきたもの、ヨーガ魅力や奥深さを、ぜひ皆さんと共有させていただけたらと思っています。

通常はしっかりとアーサナを実践する内容で行なっていますが、テーマをあげている期間はアーサナの時間はいつもより短めになります。初めての方も、久しぶりの方もムリなく進めていただけます。
ご参加お待ちしています〜!

ヨーガと瞑想を学ぶ 4回シリーズ×3

下鴨クラス 日曜日10:00-11:30
烏丸クラス 火曜日19:00-20:30

STEP1 ヨーガとは何か   4/14(下鴨)・16(烏丸)〜
1.ヨーガの理想と道
2.呼吸の制御と心身の浄化
3.日常を調える
4.心のしくみを知る

STEP 2 日常を変える 7月〜
STEP 3 瞑想のための学び 9月〜

詳しくはこちら
https://www.mahayogi.org/kyoto/kyoto-class201904-09

長岡京朝クラスの会場、神家ふれあい町家にて。菜の花の咲く中庭には紋白蝶が飛んでいました。

 


真実に心を尽くす <サットサンガより>

3月9日(土)、ニューヨークご布教から戻られたばかりにもかかわらず、師シュリー・マハーヨーギーは直伝クラスの最終回とサットサンガを行なってくださいました。

まず、2年4か月にわたり、師自らヨーガの真髄を私たちに伝授してくださったことに、心からの感謝を捧げさせてください。毎回、自分でも驚くほど集中することができました。アーサナ前、師のそばに座っただけで涙が溢れることもありました。師の導きにより心の波を静めることで、思考や理屈を超えて、真実在を体感させていただきました。本当にありがとうございました。この感謝の気持ちは、ヨーガを深めていくことでお返ししていきます。

さて、この日の直伝クラス・サットサンガとも、日本各地から多くの方が師の下に集いました。師に初めて会われる方もたくさんいて、サットサンガで質問が途切れることはありませんでした。

その中で私が最も印象に残ったのは、真理以外のことに思いを巡らせる弟子に対してのお言葉です。

「そんなくだらないことにどうして心は囚われるの?どうでもいいじゃない、そんなことは。それよりももっと大事なことに、心を尽くしなさい。」

それは、日常生活においてこの世のいろいろなことに目を向ける私自身への言葉でもありました。京都から東京に戻った私は、自宅や会社で「これはどうでもいいことではないのか?」と自らに問いかけていることに気付きました。それほどその言葉は、私の心に深く残っています。

師は直伝クラスの最後に、こうおっしゃっています。

「どんな分野であっても、懸命に努力をした人だけが成功します。いわんやヨーガにおいては当然そうです。数え切れない輪廻転生をしてきた苦しみの生涯に終止符を打つという、偉大なる作業なのですから。この生涯において、吉祥なヨーガに縁を持ったということだけでも本当に恵まれた素晴らしいことです。この吉祥な縁をさらに実りあるものとして、この生涯のうちに自由に、悟りを実現してください。」

仕事や日常生活は適切に対処しつつも、常に真実に心を尽くすこと。気付けば神を手放していた…なんてことでは、この偉大なる作業をやり遂げることはできないのです。「真実に心を尽くしているか、これはどうでもいいことではないのか」を常に自らに問い続けていく。4月のサットサンガで師に再びお会いする日まで、必ず続けたいと思います。

ターリカー