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天に一番ちかいシェアハウス

こんにちは!あたしの住んでる家には、ヨガっていうのをやってるおんなのひとふたりがいっしょにいるねん。
母ちゃんよりちょっと年上、やって。
あたしはまいにち保育園行くけど、ダルさん(ダルミニーさんやよ、って母ちゃんに教えてもらったけど、まだあたし小さいからダルさんってよんでんねん)とちささんはおべんとう作っておしごと行きはんねん。
保育園から帰っておやつ食べてるときもまだ帰ってきはれへんで。だからあたしのおやつのラムネ、1個づつ置いといてあげんねん。
最初来たとき、夜になっても帰りはれへんから「今日はとまっていくの?」って聞いた。「これからずっと一緒やで。ずっと一緒に寝たり起きたりご飯食べたり、一緒に暮らすの。お部屋に入る時はトントンってしなあかんよ」って母ちゃんが教えてくれた。
朝、トイレに行くときにちょっと見えたで。鏡のまえでおなか出してベコってしてはるとこ。ヨガしてはんねんて。あたしもちょっとできるで、保育園でやったことあるし。

と、同居人で3歳のあ〇ちゃんに登場してもらいました。
去年の10月、女の子とお母さんが先に住んでいたシェアハウスに、ダルミニーさんと私は引っ越して来ました。ちょうど東へ15分程歩くとアーシュラマ、西へ15分程歩くとプレーマ・アーシュラマという立地にある一軒の家です。
不思議な取り合わせだと思われるかも知れません。でも当然のめぐりあわせだったように感じます。

四人家族!?

私にとって、いまは東京から京都に引っ越してきて3年目の春になります。京都に引っ越して来てからはサットサンガやクラスに自転車や徒歩で通えるようになり、へなちょこだった私は満員電車で身体や心が潰されることもなく、余力いっぱいの新鮮な気持ちでヨーガに取り組めるようになりました。
色々なクラスに通ってみて、「日曜日の朝のクラス」がとても心地良いと思うようになりました。日曜日は仕事が休みのこともあり、前日の土曜日は夜更かしをしてしまいがちです。
そして朝は遅くに起きて「ああ、休日だ!今週も良く働いたからゆっくりしよう」と、本当によく働いたかと言えばそうでない週もあるのに、何もしないで午前中を過ごすことも良しと考えていました。
日曜日のクラスに通いたいと思うと、朝は早く起きます。土曜日は早く眠ります。
スタジオへはバスか自転車で下鴨方面まで通うのですが、道程がとっても気持ち良いです。鴨川を渡っていくときに見える山や川の景色や、街道沿いの樹々が、雨の日も晴れの日も四季おりおりの様子を見せてくれ、朝から得をした気分になります。

日曜朝クラスに通う途中の鴨川で

スタジオの板張りの木は立派で、大切に作られた空間なんだと伝わってくるところです。
そして講師のダルミニーさんですが、クラスの最初や終わりに話してくださる体験談やヨーガの話は笑いあり時には涙ありで、また次の週を楽しみにするようになります。
休日のスタートにダルミニーさんから指導を受けてアーサナをしっかりやることで、1日を通して心や身体が善い方向へ動くようになり、月曜日からも新たに仕切り直して過ごすことができます。休日の朝一番のクラスは本当にお勧めですよ!!

去年の夏の日のクラスの終わりでした。
ダルミニーさんから、お知り合いが管理している家があり、部屋を見に行く予定があると聞きました。
たまたまその日は予定が空いており、興味があってついて行かせて頂くことにしました。特に引っ越す気持ちはありませんでしたがーー
行ってみると何故か心地良いと感じる家で、先ほどのあ〇ちゃんが膝に乗って親しく話かけてきてくれました。
そしてたまたま、近々に部屋が4つ空いたというタイミングでした。
翌日には、色々考えずにあそこに住んでみようと決意して、ダルミニーさんと二部屋ずつ借りることになりました。
特に強い思い入れがあったり、何が何でもグルバイと一緒に住みたいと思ったりしたわけではありませんでした(もちろん一緒に居たいですが)、という話を先輩グルバイにすると笑いながら「熟年夫婦みたいですね」と言われました。
そうかもしれないなあ、熟年の電撃結婚みたいだなと思いました。縁に手繰り寄せられ、気づいたら入籍していましたという感じかもしれません。
ダルミニーさんと一緒に住まわせて頂くと決めると、健やかなる時も、病める時も、助け合っていこうという気持ちが湧いていました。やはり夫婦のようです。
そのうえ想像もしなかった子育て疑似体験もさせて頂くことになり、日々、話題や驚きが多く、笑いが絶えません。
ある時、郵便物が届きました。差出人は私の知っている人でした。しかしあて名は同居人の名前(あ〇ちゃん一家宛て)でした。
共通の知り合いがあったのでした。フェイスブックの「知り合いかも?」のようにそんな郵便が届くことってあるのかと思いました。しかもその差出人は、10数年前にクラスに通っておられて、師にも会っている人なのでした。驚きました。
夏の日に家を見に行く日程から、住まいの立地場所、同居人になる人と共通の知り合いがあってその人がクラスに通っていたこと、いま滞りなく暮らせていること等を考えると、自分が選んで決めていることなんて何もないんだなと思いました。そもそも何かを選ぶという何かができるような自分も存在していなくて、神が計り知れない配慮を払っておられるだけなのでした。
こうやってこの家で先輩グルバイと3歳児とお母ちゃんと暮らすことになって、荷物を片付けて広場に連れ出してもらったような気がしています。それは、身軽になってすがすがしい気分です。東京から京都に引っ越して来た際にもそのすがすがしい気持ちはあったのですが、それに伴って少しの不安もあり、力強く動くことはできずにいました。今回は、先輩グルバイが同じ屋根の下に居て下さるという願ってもない環境です。心が揺らいだり怖じ気付いてしまいそうな時も、毎朝、1階のダルミニーさんが開けるブラインドの音が聞こえると、正しい場所へ戻ってくることができます。それは、師のいらっしゃる場所です。同じ志を持つ仲間と過ごす日々が、自分自身だけでは困難な道のりも、高みに登らせて下さると信じています。
この肉体での時間は無限ではありません。最後の最後までやり切ったと言えるように、この世の事とあらゆる人に対してあなたのご意志を行為できるよう、存分に私を使いきりたいです。そのために環境を整えてくださったのだと思っています。

ダルミニーさん(右)と

最後に再びあ〇ちゃんからです。

あたし、6月になったら田舎に引っ越しするねん。もうすぐダルさんとちささんともお別れ。あたしと母ちゃんがいなくなったら寂しいと思うから、だれか一緒に住んでくれる人がないかなあって。いつでも見にきていいよ、あとちょっといるから遊びにきてね。

そんな訳です。同居人を募集しています。天にいちばん近いシェアハウスの住人になりたい方はいらっしゃいませんか?いつでもご見学ください、お待ちしています。
(余談ですが、あ〇ちゃんの名前の漢字には「天」が使われています)

早川ちさ


スワミ・ヴィヴェーカーナンダからのインスパイア

『ヴィヴェーカーナンダの生涯』は何年も前に一度読んだことがあるのですが、断片的な記憶しかありません。しかし、あまりにも有名な聖者ヴィヴェーカーナンダのことは、サットサンガやパラマハンサ、ブログでもよく登場するので有名なエピソードは知っています。久しぶりに読み返してみると、とにかく心臓がえぐられるぐらい感動し、言葉をなくし、ただただ泣いてしまいました。なんと濃密な人生でしょうか。今回は、その感想を少し書かせていただきました。


(ヴィヴェーカーナンダの略歴などは今回省かせていただきます。まだ読んだことがないかた、あまり知らない方は私の説明を聞くよりは実際に読んでもらった方が良いと思います。)

今、私がヴィヴェーカーナンダとはどういう人か?と聞かれたら、こう答えます。

「人間の中にある神性を最も信じ、それをありありと見た人。自分自身がそれであるということも、それを他の人の中に見ることも、誰にでも可能だと断言し、それは、人に奉仕することによって実現する、ということを自らの命を削って世界に発信した人」

読んでいると、本を飛び出してヴィヴェーカーナンダが、今この世界に向けて同じように「全てが神の表れである、だから万人に仕えなさい」と語りかけてくるようで正直圧倒されました。それは彼のあまりにも濃厚な人生全体が、そのメッセージを含んでいると思ったし、一瞬たりともその想いから外れていない彼の一つ一つの行動が、彼の獅子の如く力強い言葉とともに証明しているように感じました。彼は、メッセージを世界に送っただけに留まらず、実際に一人でも多くの人間を目覚めさせるために、具体的に行動を起こし、そのために命を使ったのです。

多くの言葉に感銘を受けましたが、その中で自分自身が時代を超えてヴィヴェーカーナンダの恩寵をいただいていると感じた言葉を一つ紹介させてください。

「ヒンドゥ思想を英訳し、無味乾燥な哲学と難解な神話、奇妙で驚くような心理学をわかりやすく簡潔な一般向けの宗教にして、同時に最高の知性の要求にも答えることは、実際に試みた人にしかわからない大役だ。難解なアドヴァイタが日常生活の中で生命を持った詩的なものとならねばならない。煩わしいヨーガの学説が極めて科学的で実践的な心理学が引き出されなくてはならない。そしてすべての子供にも把握できるような形にすること、それが私の仕事だ。どこまで完成するかは、神のみがご存知だ。働く権利はあっても、その結果に対する権利は持たないのだから」

インドの歴史背景については詳しくありませんが、ヴィヴェーカーナンダの時代(そのもっともっと前から)インドには宗教の地盤はしっかりとあったと思います。しかし、難解で誰にでも分かるようなものではなく、おそらくブラーミンと呼ばれる僧侶階級にある人が理解できるものとなっていたのかもしれません。彼はヒンドゥ思想がもつ、その霊性の宝石をもっと日常生活の中で生命を持つよう、子供でも分かるような形にする必要性を感じていたのではないでしょうか。インド人に対してはもちろんのこと、新しくヒンドゥ思想に触れた世界中の人、特にアメリカ人に対して理解できるようにという思いがあったと思います。ヴィヴェーカーナンダは、インドの貴重な霊性の宝石は、宝石箱がないために汚物の山に埋もれている、反対に西洋は、健全な社会という形で宝石箱を作り上げたが、宝石を持ってはいなかったと言われています。そのため宝石箱を持つ国に、宝石を伝える必要性を感じていました。

そして実際に試みられた彼のいう「大役」の一つが、私たちが手にすることができる代表的な四冊「カルマ・ヨーガ」「バクティ・ヨーガ」「ラージャ・ヨーガ」「ギャーナ・ヨーガ」ではないでしょうか。


クラスに通いだしてまず始めて読んだ本は、「カルマ・ヨーガ」だったと思います。働くということの意味が理解できない、生きるためにお金を稼ぐ必要があることは頭で理解できるが、それをすることが生きることなのかと混乱していた私にとって、働くときの正しい考え方を教えてくれました。「利己心を捨てて働くこと、働きの結果、果実は私のものではないこと、そこに重要性はないということ。結果ではなく、働くという行為によって束縛から解き放たれ、ついには自由になること」自分自身の人生の方向性を知り、安心と喜びを得たことを覚えています。

「キャーナ・ヨーガ」を読んだときは、人間の本性について、私の中に神聖なものがあるのだということを知り、そのものすごく力強い言葉に圧倒されてしばらく動けなくなったことを覚えています。また、神、宗教というこれまで漠然としていた言葉、それでもその言葉の中に「神聖なものがあってほしい」と心のどこかで願っていたことに対して、「それでよかったのだ」と思うことができ、喜びで満たされたことを覚えています。

どちらの本にしても、それを読んで終わりではなく、実際の仕事や家族と関わりの中で、その考えを根付かせようと努力するすべを教えてくれたように思います。これこそが、ヴィヴェーカーナンダが願っていた「アドヴァイタが日常生活の中で生命を持ったもの」となったのだと思います。彼の働きは、時代を超えて、国境を超えて、ひとりのまだヒンドゥの思想を知らない日本人の中に根付き、理想を持たせてくれたと思います。

そして何より、インパクトがあったのが、「誰がこれを言っているのか!」ということでした。これを書いた人が実際に存在していた人間であるということ、それが何よりの励ましでした。人間の可能性をどこまでも広く大きくし、理想的な姿を現してくれました。同じ人間としてこのような人がいる・・・それだけで私は希望を持ち興奮したことを覚えています。

ヴィヴェーカーナンダと自分との関わりについて思いを馳せていたとき、ふと思い出されるエピソードがありました。それは、ヴィヴェーカーナンダのグルであるラーマクリシュナが、修行時代、自らの内にある驕りを無くすため、パリヤと言われる不可触民のトイレを自分の髪の毛を使って掃除をしたというエピソードです。ラーマクリシュナの中に不平等さや驕りが実際にあったのかどうかは分かりませんが、これは弟子に、教えを行為で示すためになされたように思います。誰もの中に神聖がある、すべてが同じ存在であると口で言うだけでなく、実際の行為で見せる。ヴィヴェーカーナンダがアドヴァイタ(不二一元論)を日常生活に根ざしたものとするために奮闘したことは、師であるラーマクリシュナの教え、そのものだったのだと思いました。ラーマクリシュナが実際に生き、それを見たヴィヴェーカーナンダが、それを同じように生き、さらに方法を駆使して世界に広めた、すべての根っこは師であるラーマクリシュナにあるし、こうして生きざまとして師と一つである、その姿にとてもとても憧れを感じました。

ひとつひとつのヴィヴェーカーナンダの行為は、あまりにも大きく、自分の生きている生活とかけ離れていて、彼を理想として何をすればいいのか一瞬わからなくなることがあります。でもそうではなく、彼が信じた人間の本性、神聖さ、純粋さは、すでに誰もの中にあるのだから、それを自らの中に実現していくこと、そして、目の前の人もその神聖な存在なのだから、自分の目の前の人に奉仕していくこと、それだけなのだと気付かされます。

最後にヴィヴェーカーナンダの力強い言葉を紹介して終わりにします。

「私は死ぬまで弛まずに働くだろう。そして死後も世界のために働くだろう。非真理に比して、真理は無限の力を秘めているのだ。それは人格、純粋さ、そして真理の力、人としての力だ。私にこうした力がある限り、あなた方は安心してよい。誰一人として私の髪の毛一本とて痛めることはできない。やっても失敗に終わるだろう、主がそうおっしゃったのだから」

彼は今も働いているのです。私たちもそれに続こうではありませんか。


真っ直ぐな竹のように!

一夜にして目の覚めるような美しい桜に包まれる春。すべてが桜色一色に見える十日間ほどの時間。その格別な時に、一切万物の根源である存在へ、感謝を捧げる祝祭が行なわれた。あれは夢だったのかな…と思うような歓喜の中にいた。
祝祭の翌日もまた翌日もその次の日も、世界は何事もなかったかのように朝を迎え、道行く人々も何事もなかったかのように歩いている。なぜかそれがとても不思議に見えた。瞬く間に桜の花びらは風に舞い、大地には次々に鮮やかな花々が蕾を付け始め、木々からは黄緑色の新緑が一斉に芽吹きだし、季節はどんどん進む。私の住む地域には竹林が多く、新しい竹、竹の子も顔を出している。

美しい竹と桜

祝祭から数日後の仕事の帰り、バスに乗る気分になれず竹林の道を歩くことにした。とぼとぼ歩きながら、私は誰なんだろう、と思った。何事もなかったかのように道行く人々の方でもなく、こうして生を謳歌している植物たち鳥たちの方でもない。どっちでもない自分は、なんなんだろう。急にポツンと浮いてるような、心もとない気持ちに襲われた。
仕事帰りだったからか珍しく疲れている自分がいた。疲れるということは、何かが間違っているんだと思う。そう思うと、一挙に虚しくなった。
これまで自分は、人と接する時には人を傷つけないようにと細心の注意を払い、自分の行動や言葉が真理に沿っているのかと考え、直せることは直し、ヨーガの教えに沿えるよう、やれることは全部やりたい、人からのアドヴァイスがあれば全て取り入れたいと躍起になって、自分なりに気を付けてやってきた。けれど、こんなに頭でずっと考えて、生きて、これがヨーガなんだろうかと、そんな思いがどっと押し寄せてきた。

祝祭で師のお顔を見た。声を聞いた。その優しい声を、私はずっと聞きたかった。あなたの声を、あなたの姿を、ずっと見たかったんだ、と思った。自分がそんなことを思っている自覚はなかった。けれど、あの時に分かった。師に直接お会いできるのは、かけがえのない瞬間。インドでは師を生涯かけて探すんだという。それほどの尊い稀有な存在に巡り会えたという奇跡。でも、そう思うのなら、師の教えを生きていなければ堂々とお会いすることに喜びを見いだしてはいけないように、どこかで思ってきた。ヨーガじゃなく、どんな世界でも、師匠から教えてもらったことを生徒が体現できていなければ、師匠のおられる甲斐がないじゃないかと思うから。だから、この状況になった時、今こそ教えを生きる機会を与えられている、会えなくても大丈夫なはず、と繰り返し思ってきた。でもそれは単なる稚拙な強がりで、全然そうじゃなかったのだ、私は、いつも師の声を、師の姿を、自分の見る世界の中に探していた。だからこそ、生きてこれたんだと気付いた。あの日、一日だけは、探さなくても、今は師の、その優しい声が聞こえる、お姿が見える。オンラインでも何でもどんな方法でも有り難かった、ただ、師が、お元気にされていることが見たかった。生きる歓びを教えてくださった大切な先生が、師匠が、どうされているか、ずっとお元気で幸せに、と願うのは当たり前のことだ。今、どんな声で、どんな話されかたで、どこを見られて、どんなふうにおられるか、それが私は知りたかったんだと思った。師に一度でも会えた人なら、きっとそう思うと思う。師はそういう方だ。それでじゅうぶんだと思った。それよりも大事な、知りたいことがあるのか?
だからもう、自分が考えることや行なうことなんか特に価値はない、いちいち悩むのも根本的にヨーガじゃない、問題のあることなんて本当は何もないんだと思えた。ヨーガは悩みや苦しみを解決してくれる、でも、そのためのものじゃない。そんな小さなものじゃない。「仕事や生活はなるようになります」と師がさらりとよくおっしゃっていたこと、本当にその通りだと思った。

静かに佇む竹

半年ほど前、問題があり、心の中で何日も師のお姿を求めていたことがあった。道を歩いていても限界だと思えて涙が溢れてきた。涙がこぼれないよう空や木ばっかり見て、気を逸らそうとしていた。その時、道の上の垣根の草むらがザワザワと動き、虎のしっぽ⁈のような太いしっぽの先が一瞬見えた。何? 目を凝らしていると、一匹の大きな猫が姿を現した。昔、ヨーガのクラスに行く時に限っていつも会う猫がいて、師の化身(?)と勝手に思い込み「行ってきます」とよく言っていた猫にとても似ていた。もう何年も姿を見なくなっていた。その猫にそっくりの猫が、じっと私を上から見おろしていた。猫は、頷き「何も問題はないね」と師の声がした(ホントに!)。そう言うと猫(師⁈)は即座に、くるっと背中を向けてシュッと草むらの中に姿を消した、カッコいい虎みたいに。息が止まるような一瞬だった。「何も問題はないね」という声を聞き、こぼれそうな涙も感情もぜんぶ呑み込んだ。私にとってあれほど大問題だったことが、師のたった一言によって、これは問題じゃないんだ、と一変した出来事だった。

竹林にたくさん咲いている花

竹藪を歩きながらそれを思い出した。そうだった、もう細かいことは取りあうべきじゃない。まるでモグラたたきのゲームみたいに、自分に起こる問題をただひたすら叩き続けて消していく自分を想像すると滑稽だった。好きなことに喜び、嫌なことに苦しみ、快・不快、生きる・死ぬ、その間をさまよい続けている、こんなのが生きるということじゃない! 本当の自分はそんな存在じゃない。
足を止めて、まわりを見渡せば、どんどんと小さな生命が生まれ育まれている。空を見上げれば、雀やひばりが飛びまわり、カラスは高い街灯の上にたくましく巣を作って、よく見ると口をパクパクさせた小さな雛がいて、せっせと親鳥は忙しそうに餌を与えていた。春の風が、ぶわっと吹いた。竹林がシャラシャラ~と音をたてて揺れる。おびただしい数の命が蠢き、その真っただ中に私もいるんだと思った。

どしゃぶり雨でもカンカン照りでも、植物や動物たちは、それなりにいつも過ごし、たくましく生を謳歌している。二元性に右往左往しているのは人間の私だけだった。どうすれば二元性を克服できるのかと頭で考えすぎて、逆に執らわれている。こっちがいいか?そっちがいいか?そういうことじゃない。どっちも棄てる道、それがヨーガの道、ブッダの説かれた中庸の道。何も掴まない、執らわれない、そのニュートラルな道を歩くためには、絶対に信頼できる何か――真実への信仰がなければできないと思った。二元性を克服するなんて普通はできることじゃない。ヨーガという軸があるからこそ、できること。不可能を可能に導いてくださっている師。

真実を深めるということ。教えを体得していく。おのれの存在への純粋な信仰を深めていく。そうすれば生活や作業もその中で行なわれていく。
物事を行なう時はその時々の状況で工夫をして、それなりに対応していけばそれでいい。

そう教えてくださった師のお言葉を思った。いつも何にも執らわれない、そういう生き方がしたい。いろんな事に執らわれて、いちいち余計な思いが多すぎたな、と素直に思った。二元性を感じる原因を作っているのは、自分の心だった。
うららかな春の光の中で、こんなにも美しい世界の中で、一体何をそんなに悩むことがあるというのか。師の声が聞こえるようだった。蝶々が、ゆらゆらと戯れるように、ゆっくりと花から花へと飛んでいく。

煌めく生命

祝祭を紹介するブログ記事に「サナータナ・ダルマの道の真っただ中にいる――」という言葉があった、それを目にした時、身体中がカッと熱くなり震えた。きっとこの言葉の意味することは物凄いこと、それが知りたいし、それを高めたい、と思っていた。そこに繋がるヒントが、その竹藪の道に散りばめられていたのかもしれない。
スッと天に突き抜けるように高く伸びる竹。真っ直ぐな線。幹はしなやかで強く、軽やかな葉は風に乗って自由に揺れ動き、雨が降ればただ雨を受け、枯れる時がくれば枯れる。いつもただ無為自然。竹を見ていると、そんなふうに、また新たな気持ちでヨーガと向き合っていこうと思った。
一本一本が独立したものと見えている竹は、実は土の中で根が繋がっていて、竹林全体で一個の生命体なんだという。一本一本の寿命が異なっていても、全体としての一個体。120年くらいに一度、花を咲かせ種を残し竹林ごと消滅するという。そして新たな種として生まれ変わって次の新しい竹林が形成されるというのだ。まるで時代時代に応じて神の化身が姿を顕し、その時には弟子たちも一緒に、と聞いた、それみたいだと思ってしまう。形や姿は違っても、同じ一つの種が、ずっと繰り返し受け継がれている。また、竹は花を咲かすまでがとても長い。ヨーガは生涯を懸けた大事業だという。竹が120年かけて竹林全体として成長する、その一生を思うと、なんだか鼓舞される。竹の生態は解明されていないことも多いらしく、ちょっと神秘的でもある。

きっと私たちも、師と一つの生命体だと私は思う。別々に見えていたとしても、根は繋がっている!はず。私は誰なのか、まだはっきりとは分からない。でもきっと、そういう、たった一(ひとつ)の存在、それに違いない!

ぐんぐん伸びる竹!

野口美香


正義の味方

よく「ラ・セーヌの星」ごっこをした。これは幼い頃、好きだったアニメの名前で(笑)フランス革命を背景とした少女剣士の物語だった。花屋の少女が、世の不正と闘うため、夜な夜な仮面とマントを付け変身し(笑)白馬に乗り果敢に剣で闘う。いわゆる正義の味方に憧れ、大人になったらあんなふうに!と決めていたのに(笑)気付けばもう大人…。でも、あの純粋な衝動は今も胸の奥に根付いている気もする。知らぬ間に単純だったことは複雑になり(涙)大切な何かを見失っている気がする時も、本当は何が真実か? 子供心に感じた単純なこと、ホントはみんな知っていると思う。

ハートの葉っぱをひっぱって、よく遊んだペンペン草。

ところである時、食品を扱う職場でネズミを駆除することになった。私は上司に電話し駆除をやめてほしいと抗議した。しかし、衛生管理はお店の義務で責任、あなたの言い分は通用しない、と厳しく言われた。それは常識で普通のことだった。でも、ネズミの命を奪う、という現実を前に、分かりましたと言えず、ヨーガの非暴力の教え(ハルシャニーさんの記事の全生命にいかなる苦痛も与えないという教え)を考えてもネズミ駆除は絶対にいけないと思った。昔、鉢合わせしたネズミと目が合ったことがあり、あのネズミだって代わりのきかないたった一匹、みんな精一杯に生きている。また自分がかつて一緒に暮らした猫と、そこにいるネズミと何が違うのかも分からなかった。それにネズミは自分と同じようにも思えた。幼稚な私は公私混同してしまって複雑になり、仕事の義務や考え方の軸を見失った。そして抗議に必死になるあまり「じゃあ○○さんが飼われていた犬と、ここのネズミと一体何が違うんですか! 同じ命やと思います」と言った。突然、上司は黙られた。愛犬を亡くされたばかりだった。私はそれを知っていて、追い込むようなことを言ってしまった。沈黙の後、上司は感情を抑えるように、聞いたこともない低い声で言われた「ここで働く以上は、ここのルールがある。店を営業していかなければならない。店のルールに従えないなら、あなたが店を辞めるしかないということになる」。
真っ当なことを言われていた。静まり返った閉店後の薄暗い店内で、じっとネズミがこの話を聞いている気がした。
「じゃあ、辞めます」師にご相談して関わることになった場所であり、辞めたくなかったが、そのルールには従えなかった。電話を切り、自分の義務と非暴力について考え込んだ。私が辞めたって何も解決しない。誰かが駆除するなら意味ない。絶対に駆除をやめてほしい。一方で、他の人がするくらいなら自分がするべきじゃないのか? 私は非暴力と言いながら実は自分の義務を放棄しようとしているのか? と悩んだ。混乱する中で『バガヴァッド・ギーター』(インドのヨーガの聖典)の一場面がよぎった。戦場で自分の親類や友人たちと戦うことになった戦士アルジュナが、同族たちの戦いに何の意味があるのか? 自分の義務がどこにあるのか分からない、と神の化身クリシュナに訴え、戦いをやめようとする。そこでクリシュナはアルジュナへ、臆病を振り払って立て、戦えという、「汝は賢者のような言葉を使っている。しかし汝の悲哀には意味がない。ほんとうの賢者は生者のためにも死者のためにも悲しまない」。
私は偽善者か。何が正義だろう。アルジュナが訴えるように具体的な答えが欲しかった。藁にもすがる思いで、記憶上の師のある行為に答えを求めて、それにすがろうとした。でもそれは師の本質ではなく、表面的に行為だけを安易に真似ようとする私の盲目的な思いだった。自分の思いという、まさに藁にすがっていた。当然そこから答えは得られず、どうすべきか全く分からなくなった。そうなった時、命が関わるこんな大事なことを、師がこうされていたから私もこうする、とそんなマニュアル的な判断ではこの問題は済まされない! と思い直した。師へ何かをご相談した時、一概にこうとは言えないというふうな言い方をされることがある。Aの場合はBです、みたいな型にはまったルールなんかなく、その場の状況に応じて常に自分がいちばん他者にとって良いと思う最善を尽くすしかない、それを師から学んできたはずだった。定説も、決まりも、ヨーガには一つもない。拠り所は真理だけ。それをもう一度思い起こしながら、純粋に自分が感じることを信じようとした。
ネズミを守りたい、それ以外のことは今、考えることじゃないと決めた。偽善者でももういい、意見は伝えた今はこれでいい、と冷静になるために言い聞かせた。駆除の仕掛けは既に発注されていて、とっくに就業時間も過ぎ、できることはもうなかった。
そして暗がりのなか一人で店の戸締りをしながら、古びた天井や壁に向かって、姿の見えないネズミに説明して回った。明日から駆除の罠が張り巡らされるから絶対に出てきたらいけない、エサはぜんぶ毒だからと。危ない人みたいだが、その時は必死だった。(やっぱり冷静になってなかった)

翌朝、重苦しい気持ちで出勤した。スタッフ全員宛に上司から連絡が入っていた。ネズミ駆除の仕掛けを中止してください、と。奇跡だった。ネズミが来ない別の方法をとるという。見えざる者に救済されたとしか思えず、師に、神に感謝し、ほっとした。と同時に人の気持ちを傷付けたことがズシンと胸に響いた。何かが釈然としないまま月日は経ち、そして今になった。

春になると顔を出す。かわいらしい小さな姿。

非暴力について考えていた最近。ゴーパーラさんのマハトマ・ガンジーの記事が目に飛び込んできた。今から数年前にまたちょっと遡るが、ここのブログの昔の記事で私は、ある先輩が映画『ガンジー』から感じられた話を読んだ時、興味が湧きその映画を見ていた。しかし、見たくないリアルな暴力シーンがたくさん出てきた。インドの人たちが非暴力のために、敵に自らの体を差し出し打たれに行くのだ。想像していたような平和主義とか、そんな生易しさは全くなく、ある意味真逆だった。何の罪もない人たちが戦場で次々に命を落とす姿が衝撃的すぎて、なぜ……と理不尽さに怒りと悲しみで、途中何度もガンジーや非暴力すらも疑ってしまった。でも目を背けてはいけないと目をこじ開けて最後までぜんぶ見た。すると私の中に、ある印象だけが残っていた。それは師の教え「自らを他者の幸せのために与える」。

そして今。ゴーパーラさんの記事をきっかけに久しぶりに開く『あるヨギの自叙伝』。ガンジーは非暴力について、こうお話されている。
私は、何物をも恐れぬこと、何物をも殺さぬこと、という誓いを立てています。(中略)私には、その場の都合で自分のおきてを曲げることはできません
稲妻が走った。何物をも殺さぬこと。それは、何物をも恐れない、という精神があってこそ成り立つものなのか、と。敢えていえば、何物をも殺さぬことが目的だとは言われてない。非暴力の本質は、自分が解釈していたものとは別ものに思えた。

私は職場であの時ネズミを守りたかったが、表現を変えれば、生き物の死と直面するのが怖かった。「死」に、いろんな思いも重ねていた。『バガヴァッド・ギーター』のクリシュナの言葉通りだったかもしれない。命を守ろうとする思いが間違いとは思わないし後悔はしてない。でも自分の望む以外の状況を恐れていたから、他の意見は悪だと思っていた。
これは真の正義でも非暴力でもないし、私自身の行為の表し方は間違っていた。今さら気付いた。
正義感からくる思いは正しいと思い込んでいる分、自分の間違いに気付くのが難しい、また正義感は良くも悪くも恐ろしく威力がある。今のコロナ禍の問題も似ているかもしれないが、私はあの時、ネズミを守るためなら他を傷付けても仕方ない、という愚かな考えを持っていた。一方、上司はお店も従業員もお客さんも守る責任があり、その上で結局、私の拙い思いとその責任までぜんぶ被られた。未熟な私は当時それに気付けず、正義も非暴力も分かったつもりで、自分の意見だけが正しいと思ってしまっていた。
師から教わった大事なことがある。
物事は両面を持っていて、見方による。本当の意味で良い、良くないという基準をどこに設けるか。ヨーガでは真理という間違いのない真実。それを物差しとする。

光を浴びて、咲き始める桜

世の中の現象で絶対の答えはないと学び、その上で非暴力の教えはやっぱり大切だと思う。非暴力の神髄は、内面の凄まじい闘いの連続と、不屈の覚悟の上にあると思う。非暴力は、場面場面の行動ではなくて、終始一貫した生き方だと思った。でもそんな孤独な闘いを、なぜ死をもってまでガンジーとインドの人々は最後まで貫き通せたのだろうか…。

ガンジーは、人間が本来もっている崇高な本性を心の底から信じておられたという。そしてそれは、自分が特別なものを身に着けていたわけでもない、と言われている、「誰もが潜在的にもっているものではないでしょうか?」と。
人間の本性――永遠の真理をガンジーは信じられ、そこのみに集中し、人々がそれに目覚めることだけを信じておられたと思う。暴力の争いの中で、そのことを見失っている人たちを放っておくことはできなかったんだと思う。インド統一がガンジーの非暴力の上に達成されたということは、人間の本性――永遠の真理が証明された証だと私は思う。
・・・そのような信念で生き抜かれたからこそ、ガンジーも、あの名もなき人々も、自らを他者の幸せのために与えられた・・・やっとそのことに数年越しで納得した。やはりガンジーは、究極の正義を貫く存在だった。正義の味方の究極は、ヨーガの聖者、覚者たち。

身近な存在だったユキヤナギ。摘んでも摘んでも、元気いっぱい満開で、子供たちの人気者だった! 強く、春の美しい香り!

師からこんなことを教わったことがある。

無知や不正に対する怒りが出てきた時、単に火に油を注ぐのでは意味がなく、問題はどのように不正を無くすかという具体的な行為。ヨーガの様々な活動は世界の無知に対する挑戦、人助けの究極でもある。

子供心に感じた事に嘘はないと思う。あの憧れの思いも昇華させたい、だったら、もう正義の味方ごっこではなく、ほんものの、究極の正義の味方になるしかない!

野口美香


真っ正直

自分が巳年だからか蛇に割と愛着がある。動物園でも爬虫類館が好きだった。蛇は、ヒンドゥー教ではナーガという蛇の神様もいらっしゃるし、日本でも白蛇は縁起が良いとされているように、どこか神秘的なところがある。特に目が神秘的だ。
ところがそんな私にとって、昨年は蛇の生殺しのような期間(!)から始まった年だった。

毎年、寒い一月頃、いつも艶やかに姿を見せる。

昨年の元旦、眼に不調があり救急病院へ行き、大学病院で精密検査するまで安静に、と指示を受けた。目の不自由な方に付き添う仕事をし、目の知識だけは頭でっかちだったため、最悪の眼の事態を想像した。じっと待つしかない長い休み期間は、まさに蛇の生殺し状態だった。

休みが明け、大学病院で精密検査したが原因不明。ところが気持ちが切羽詰まっていたからか、その時の医師の、何げない一言に傷付いた。次週、別の検査となったが、不信感を抱いたまま同じ医師に診てもらっても納得できそうになく、それにまたこのまま一週間待つ…、と思うと途方に暮れ、家族に相談した。家族は、昔に家族がお世話になった個人眼科を受診するのも一案、と提案してくれた。セカンドオピニオンだと考え、家族が信頼する先生の診断なら納得できるはず、とその眼科へ行った。私の目的は、別の先生による真っさらな診立てを知ることだったから、最初に救急病院へ行ったこと以外の、大学病院のことや家族から紹介を受けたことは特に話さないことにした。ただ純粋に眼の症状だけを診てほしい、真実が知りたいと、その時は思っていた。

その眼科は、地元の人に愛されているような、こじんまりとした和やかな雰囲気で、患者さんとスタッフの方たちの朗らかな会話が、ゆったりと流れていた。そこでボーっと順番を待っていると、自分の眼のことだけでいっぱいの張り詰めている自分に気付いた。名前を呼ばれ、小学校の保健室にあったような、視力検査の黒いスプーンみたいな懐かしい器具を手渡され、片眼ずつを覆い、看護師さんが手作業で視力検査から進めていかれる。幾つかの検査が終わり、いよいよ部屋の一角にある小部屋に入る。まるで洞窟のような真っ暗な空間。闇を照らす煌々としたライトを額に付けた、ちょっと怖そうな男の先生がおられた。先生は、理科室にあったような眼の模型やイラストなどを使い、熱心に丁寧に症状を説明された。どうなるのか、はっきりと原因が知りたかった。爆弾を抱えたまま安静に過ごすなんて嫌だった。だけど先生は、私の質問に対して、科学ではどうしても原因の分からないこともある、今は様子を見るしかなく、申し訳ない、と説明された。その謙虚な説明のされ方に驚きながら、なぜ原因不明かということにも納得し、治療方針をお伺いし、お礼を伝え診察室を出ようとした。
すると「〇〇さんのご家族ですね」とおっしゃった。「(保険証の)住所を見れば遠い所からわざわざここへ来られるのもおかしいし、分かりましたよ、〇〇さんお元気にされていますか?」と。先生は、家族の眼のことを大切に思われ、一人の医師として、かつて診た患者の将来を案じておられたことが分かった。そしてなんと突然、涙を流された。びっくりした私は家族がここを勧めてくれたこと家族の眼のこと、元気にしていることを伝えた。忙しそうな診療時間中にもかかわらず、先生は真っすぐに私の目を見ながら真剣な表情でずっと話を聞かれた。先生の真心のような、尊いものが伝わってきて胸が熱くなった。

咲き始めた!

次の診察は一週間後。私は大学病院の経緯を話してないことに引っかかりだし、これで本当にいいのかな、と思った。自分が決めた方針だったし、だからこそ診断にも納得できた。嘘を付いた訳でもないし何も悪いことはしてない。でも、と思った。繰り返し考えた。今思えば、些細なことをわざわざ取り上げ大層な問題にしていたのかもしれないが、その時は無視できなかった。私はトゥリヤーナンダ(インドの聖者の方)が好きで、かつてヨーガの仲間の前でそのことを話したことがあった。トゥリヤーナンダがある弟子に言われた言葉があり、よく心の中で唱える。

「悟りは強く、純粋で、真っ正直な者だけに与えられる」

明日は診察日という日の夜、お風呂の湯船の中でもその言葉を唱えていた。ふとその時、トゥリヤーナンダからの言葉が聞こえてきた。(気がした!)

「なぜできないのか。もし君が彼を本当に愛しているのなら、彼が知らないことを知らせてあげることをなぜ躊躇するのだ。愛している者に向かっては、何でも話すことができるはずだ。人を愛する時、どうしてそこに恐れなどがあり得よう」

瞬きもせず、じっと話を聞かれた先生の眼差しが焼き付いていた。その先生に、話せないことがあるのはおかしい、やっぱりありのままを話そう、と思った。先生が仕事をされる上で必要な情報かもしれない。患者の役割があるとすれば、それを果たさなければいけない。
「彼(先生)が知らないことを知らせるのになぜ躊躇するのか?」。 今更知らせれば私が医者に不信感を持っている人という悪い印象になる、そうなると家族にも迷惑が及ぶ、それに大学病院の診立てを伝えれば先生の診方も変わるかも…、次から次へと奥に潜んでいた自分への保身、人への疑い、恐れが浮かび上がる。でも「人を愛する時、どうしてそこに恐れなどがあり得よう!」。トゥリヤーナンダのこの言葉は、あまりにも力強すぎて、私のしょうもない拘りの思いを吹き飛ばした。もう自分の眼がどうなるかとか、眼に対しての本当のことが知りたいとか、もうそんなことはいいやんかと思えた。先生の真っ直ぐな眼差しはトゥリヤーナンダの眼差しと重なった。私も真っ正直でありたい!と、不安が全くなくなった。

翌日の診察日、先生に、ありのまま経緯を伝え最初から話さなかったことを謝った。すると「そうです、真実を話してほしいのです」 先生の声が、洞窟のような暗室に響いた。ドキッとした。真実を、真理を軸にしてきたつもりだったから。先生は続けて、小さな町医者ではどうしようもないことがあります、もうここでは診られないという時にはすぐに信頼する大学病院の医師を紹介します、とおっしゃった。私にできる限りのことをここでします、と真摯に話された。胸が詰まりそうだった。
それからしばらく通院し、眼は治っていった。先生は、どうして治ったのか分かりません、薬の効果か分からない、あなたの自然治癒力で治ったのかもしれません、よかったです、ととても喜ばれた。そんなことを正直に言われる病院の先生に会ったことがなかった。最後の日に先生は、私は医師としては失格です、と言われた。涙を流したことを恥ずかしそうに謝られた。医師は、力士が土俵上では決して感情を出さないように、どんな時も淡々と行為しなければいけないのです、と自分を戒めるようにポツリと話された。私は先生のことは全然知らないが、先生には先生の精進されている道があり、先生も私もみんな同じなんだと思った。私は私の信じるヨーガの道を誠実に歩みなさい、と教えられたようだった。そして、真っ正直とは理屈じゃない、それが真理だった。真理に対して潔白でいること、誠実でいること。自分が切羽詰まろうが、張り詰めようが、そういう時こそ、だった。トゥリヤーナンダが真っ正直な先生の姿を通して、教えてくださった。そして、そこは師のお膝元でもある北野天満宮のお側だったのも単なる偶然とは思えなかった。(思い込みだろうか⁈)

最近、近所の山で偶然見つけた、木・石・牛だけの小さな拝所。

真理に対して間違ったことをしている時には自分で気付けますか? と師にお尋ねしたことがある。師は「自分で気付くし、結果が教えをくれることもあるし、また第三者が教えをくれることもある」とおっしゃった。
師の恩寵の下、周りの人や環境からどれほど与えられているか。私は真理を軸にできている! なんて奢らないように、古い自分からは蛇みたいに脱皮を繰り返していきたい。そういえば、蛇は脱皮する前の期間じっと動けなくなるという。ということは、もしかして私のあの時も、生殺しではなく脱皮前の…⁉ (また都合よく解釈 笑。もはや願望) とにかく!常により良く変身していけるように、何度でも脱皮するため(笑)やっぱりいつも唱える。

「悟りは強く、純粋で、真っ正直な者だけに与えられる!!!」

冬に際立つ。木の枝の美しさ!

野口美香


見落としていたファクターX

瞑想専科には2018年の春から通い始めたので、今回で3年目になります。
アーサナのクラスにはその前から通っていましたが、日々の生活の中で、自分の心をうまく制御できないことが気になり始めて、瞑想専科にも参加させていただくようになりました。
私にとって「心」というものは、あっちこっちにとっちらかって、振り回されてしまうものだったけど、瞑想専科では、「心」をいろんな切り口で分析した解説をしていただけるので、いつもは厄介な「心」が、まるで科学の公式のようにすっきりと美しく理論立てて説明がつくのが気持ちよくて、もっとよく知りたいと思うようになっていきました。
瞑想の実践も、家ではなかなか長く座れないのが、クラスで座ると、(まぁ、やむを得ないから、というのもありますが)ある程度の時間ならじっと座っていられるようになり、繰り返していくことで、足が痛くなるまでの時間や、集中を保っていられる時間も少しずつ長くなっていきました。そして、心が飛び回る時間も少しは短くなってきたような気がしています。

瞑想専科での瞑想実習の様子。

とはいえ、私の心は日々の生活の中ではなかなかクラスで習った公式の解のような理想の状態にはならず、ついついエゴ的になってしまいます。「この習慣は、まぁ確かにエゴだけど、人に迷惑をかけてるわけじゃないと思うし、すぐに手放す必要もない。もう少し付き合ってもいいエゴだよね。」と飼い慣らしてしまったり、苦手な人がいても、「でも前よりはだいぶ普通に接することができているし、私もずいぶん成長してるはずよ」と自分を甘やかせてしまったり。そんななか、瞑想専科に行くと、エゴ的になっていた心がチューニングされて、ヨーガ的なところに近づけてもらえるような、そんな効果もあるように感じています。

そして、今年度。いままでのレクチャーに加えて、今年度は日ごろアーサナやお料理やキールタンを教えていただいている、ヨーガ経験者の先生方がゲスト講師として体験談を語っていただけるとのこと。昨年度末に予告を聞いてからとても楽しみにしていました。

ゲスト講師の先生方のお話は淡々と静かに語られているのに、その実践の中の取り組みは、必死さとか、ひたむきさとか、そんなものが伝わってきて、熱を分けていただいたような感覚になりました。
熟練者のお話ならではの、「すごい実践だなぁ」「そこまでやるもんなんだ」という驚きもあり、「そんな状態になれるんだ」「そんな境地を味わえるのか」という憧れもあり、でもそんな中にも、過去のお話を聞くと、「それ、私もいま感じることある!」と共感できるような思いもあり、「そういう実践なら私もすぐに試せそう」というメソッドもあり。
いま私がいる場所と、熟練者の方たちのいる場所は、隔たりがあるように感じていましたが、うっすらとした道でつながっているのが見えるようになった気がします。

「これを実践してるという実感がなくなるまで続ける」という徹底したサティヤーさん(左)の実践の話とか、マードゥリーさん(右)のカルマの鎖がはじけ散っていった話など、ゲスト講師の皆さんの実践体験談を、すごいなーと思いながら聞いてました。

私は日ごろ、データ解析の仕事をしていますが、理論上はこうなるはず!という実験データを解析しても結果はそうならないことが結構あります。その原因としては、重要なファクターを見落としていたり、そもそも実験データのとり方が悪かったり、などいろいろあるわけですが。。。
瞑想専科で学ぶ公式の解(理想の状態)と、実際の私の心も、ギャップを感じてはいましたが、「まぁ方向性は合ってるだろうし、この程度のギャップは何事にもよくあることよね」、と受け入れてしまっていました。
今回の講義をずっと聞いてきて、私がいままで見落としていたファクターは、「妥協したり途中で逃げ出したりしない強さ」というものだったのかなと気付かされました。

歩むべき道があっても、そこに葛藤があると、ついつい言い訳をつけて、途中で方向を変えてしまったり、目の前にある課題を後回しにしてそのまま放置してしまったり。今回聞かせていただいた体験談のなかでは、私がついついやってしまうような、そういう逃避が全くありませんでした。

今回見えるようになったと感じるうっすらとした道は、ちゃんと歩んだ人だけはしっかりとクリアに見える道になるのかもしれません。いままで、瞑想のメソッドや、心のしくみや、そんなことを少しずつ理解することで、なんとなく満足してしまっていましたが、私も目の前の課題から逃げ出さず、一歩一歩しっかり歩んでいかなきゃいけないな、と、そんな思いにさせていただいた、今年度の瞑想専科でした。

貴重なお話を聞かせてくださった講師の皆様、ありがとうございました。

篠田景子


正気の沙汰

ステイホームだった年末年始は、おせち料理に使うハレの日の野菜の飾り切りに初挑戦した。吉祥な亀の甲羅に見立てられた六方むきが、シンプルなだけにバランスが難しかった。

元旦。夜明け前の静寂。近くの川辺にて。

亀の甲羅といえば、いつだったか車の行き交う道路を、大きな亀が横断していたことがあった。とっさに駆け寄り亀を抱きかかえると、亀は顔と手足を甲羅に引っ込め岩のようになった。そして川辺の道に置くとニョキっと手足を出し、何事もなかったかのように歩いていく。が、なぜか道路に戻ってくるので、慌ててまた抱き上げ、もっと奥の川辺に置くと、亀はようやく茂みへ静かに姿を消していった。この話を当時は小さかった甥っ子と姪っ子に話した時、二人は即座に「ありがとう言いに戻ってきたんちゃう? 恩返しに竜宮城に連れて行ってもらえるんちゃう!」と目をキラキラさせて喜んでいた。

ところで、その亀に纏わるあるヨーガの境地に密かに憧れている。亀が手足を甲羅の中に引っ込めるように、人間の感覚器官の働きを制御するというもの。例えば、寒い暑い、痛い心地よい、苦い甘い、といった反射的な反応を意識して自分でコントロールする。深い段階では、五感の影響を全く受けない境地があるという。一見、人間離れしているような凄い境地になぜ私が惹かれるのか??
絶えず見、聞き、匂ぎ、味わい、感じている、この眼や耳や鼻や舌や皮膚という五官は、心に情報を伝える大切な役割がある。ただ問題は、五官からの情報に、心は瞬時に反応し、各人の記憶や経験に基づき様々な感情へと結び付くそうで、私はそういう感情に翻弄されてきた。良くも悪くも、見るもの聞くものに影響を受け過ぎるので対象を厳選しないと、と思ってきた。でも本当は、何を見ようが聞こうが、あの亀のように自分の意志で自由自在に手足(感覚器官)を甲羅に引き戻し、何にも影響を受けない堅固な岩のように強くなりたい。だから、反応から解き放たれて自由になる! というその状態に惹かれる。

初日。眩い光明に照らされる世界。

さて、ここからが本題。生活をさらけ出すことになるが、私はお菓子を食べることや作ることが好きだったが、それほど執着している自覚はなく、これまで特に意識して制御しようとしてこなかった。むしろ大したことはないと、執着は消える寸前だと思い込んで、心底やめる必要性を感じていなかった。ところがこのステイホームの一年、まるで「灯滅せんとして光を増す」ということなのか(笑)、気付けばお菓子がますます楽しみの一つとなり、お菓子好きが爆発した。思えば、9月に開催されたさまらさの台所のオンラインクラスが、灯滅のとどめを刺す出来事に繋がる予兆だった。そこでのテーマは舌の制御で、私にも話を振られた時、ちょうど爆発ピーク時だったので正直に、お菓子を食べ過ぎていること、自分にはこの教えが課題だと思う、というようなことを話してしまった。クラスが終わった後、自分の言ってる事、やってる事、思ってる事がバラバラ…と、何とも後味の悪い感じが続いた。そして、動画クラスの瞑想専科で、ヨーガの仲間の一人がお菓子を完全に止められたという話を聞いた時、初めて聞いた話ではなかったのに、妙に心に浸透したのも予兆だったのかもしれない。何の??

そう、私は歯の試練に見舞われた(笑)。突然、歯の詰め物が取れてしまい、歯医者が苦手な私だったが、何とか決心して、それでも痛いのが嫌なので無痛治療の医院を探して治療に行った。ところが、詰め物を元通りに詰めてほしいだけなのに、歯をたくさん削られ痛みが走りショックを受けてしまった。そして、本当に大バカなのだが、治療の帰りに、あろうことか、気持ちを紛らわすためにお菓子を買った。なんとも破茶滅茶でお粗末な行動。そして麻酔が切れるとさらなる激痛に襲われ続けた。それから紆余曲折あり、昔から信頼する別の医院に変えた。初めからそこへ行けなかったのは、そこで昔アルバイトをしていたため、その先生には虫歯だらけの自分の実態を知られたくなかったから。20年ぶりくらいに会ったその先生は、私が別の医院へ行った経緯を話しても嫌な顔などされず、とても繊細な治療を、麻酔なしで様子を見ながら時間をかけてしてくださった。麻酔で感覚を麻痺させないということは、患者がギリギリ痛さに耐えられるような技術が求められたり、時間もきっと余分にかかると思う。先生は口の中を見れば私の食生活の実態が分かられたに違いない。口の中は、普段は人に見せないがその人の現状が表れているところだと思う。師が、家の押し入れの中は心の中。どれだけ見えないところに押し込んでいてもすぐにバレてしまう、という真意を突くユーモアを言われた記憶があるが、口の中も似ていると思う。
先生は黙々と治療を尽くされた後、最後に一言だけ言われた。
「甘いものをやめなさい」
「……」
「分かりました」と私は言った。まるで師から言われたようだった。虫歯のことだけではなく、生き方への指摘を受けた感覚だった。十数年余りたくさんの虫歯を自覚しながら、痛い治療が嫌だからと放置し、だましだましにやってきたツケでもあり、そういう自分の甘い習性が外側に表れた現象だと思えた。
帰り道、もうお菓子なんて買ってる場合じゃない。原因は砂糖、甘いもの、つまりは舌の制御……、そしてそれは心の制御だ、とようやく身に染みた・・・まるでヨーガクラスからの帰り道。先生や歯科衛生士さんがあまりにも淡々と黙々とケアをされる姿から、治す・浄化という意味において、ヨーガと歯科治療が重なって仕方なかった。これほど丁寧に修正を施され指導されたのだから、もう自分の間違った習慣に従ってはいけない、と誓った。虫歯の治療は、まさに師が間違ったものを取り除きいつも修正してくださっていることを私に思い起こさせた。師がしてくださっていることは目には見えないけれど、もし目に見えるとしたら、繊細な治療を休みなく丁寧に、来る人来る人に行ない続ける医師のような、きっとこういうことだと思えた。だから、それからは治療の帰り道には毎回、万感の思いで涙が滲んだ(痛みではない)。歯は悪い部分を削って詰め物をすれば治るのではなく、虫歯を作ってきた悪い習慣そのものを断ち切り、新しい良い習慣に変えない限り、根本的には解決しない。これってヨーガの教えそのものじゃないか!!
無痛治療を優先した私は、結果的に激痛を受け取った気がする。最初から物差しが間違っていた。逃げたらいけなかった。ましてや苦痛感を紛らわすために、帰り道にその苦痛の原因たるお菓子を買うなんて正気の沙汰じゃない(涙)。狂気だ。嫌なことから逃げて快楽だけを味わいたいという、煩悩の極み。しかし、こんな正気の沙汰ではないことを私は、他にも同じようにやってきてないか? と真剣に考えた。問題が起こった時、何かひと時の楽しいことで誤魔化して、見ないふりをしてなかったか。
歯科医院の先生は、対処療法ではなく、根源の原因を取り除くことを教えてくださった。その日からお菓子をやめ料理にも砂糖をやめた。舌の制御は“心”の制御。狂気から正気への道。これは真の目的――何にも執らわれない本当の自由への道のりなんだと思う。

相変わらず、お店や様々なメディアから甘いものへの誘惑が五感を通って飛び込んでくるが、今は、それらを見ても聞いても、私には必要ない、無い方が自由、と思うようになった。甘いものという名の毒が抜け始めたことで、正気を失っていた心身が元の元気へと、また麻痺していた判断力も働きだそうとしているのかもしれない。まだまだこれからだけど、五官からの刺激が感情の回路と結び付いても、それ以上は膨らませないように繰り返し意識する。甘いもの=甘い誘惑は、ひと時の間の幸福感を味わわせてくれるが、それを継続させようと貪ると、その結末は……。そういうものは、本当の幸せじゃない、真実じゃない、私にはもう要らない―そう思うと、亀の手足のようにシュッと何かが引っ込む感じがする。これは亀からの恩返しだろうか?(笑)

気付いたことは訓練していく、と師に教わった。外部との接触が減ると内面をコントロールしやすいといわれる、そういう意味では今はまさにチャンスかもしれない。
ヨーガはいつも新鮮な気付きを与えてくれる。これから一つ一つ扉を開いていきたいな。どうぞよろしくお願いいたします!

光のように輝く花!

野口美香


瞑想会 @嵐山 シャーンティ庵

昨日、京都でも緊急事態宣言が発令されました。
年始から全国的にコロナの感染者数が増加していますが、皆さま、お元気でお過ごしでしょうか?

不安な日々が続いていますが、先日の1月10日、私の自宅である嵐山のシャーンティ庵で小さな瞑想会を行ないました。
参加されたのは、私が勤めている福祉事業所のヨーガクラスに通っているスタッフ2名の方でした。
1人の方は70代の女性で、もう1人の方は昨年に埼玉から移住してこられた50代の男性です。
お2人とも瞑想の経験は私よりも長く、長時間座ることには慣れており、その集中感に引っ張られてか、あっという間に感じた1時間の瞑想でした。

瞑想後に70代の女性は、「途中から目を開けて、(本棚にあったラマナ・マハリシの)書籍の帯に書いてある『私は誰か?』という言葉に瞑想していました」と話されました。
すると50代の男性が、「実は私は小さい頃、寝る前に『自分という存在は一体何なのか?』ということをずっと考えていました。それを考えると、宇宙を感じる時や自分がなくなっていく感覚があり、これが私の瞑想の原点なのです」とお話されました。
私自身、「この人生、どう生きていきたいのか?」とは大人になるにつれて考えていましたが、その人生の主体である「私とは誰か?」ということを真剣に考えるようになったのはここ数年のことなので、この男性の話を聞いて驚きました。
この時に話題にあがった「私は誰か?」という帯が付いていた聖典『沈黙の聖者』の中で、ラマナ・マハリシは次のことを説いています。

「私たちは自分の内部にある長年のサンスカーラ(潜在残存印象)のすべてを完全に投げ出さねばならない。それらがすべて放棄されたとき、真我(本当の自分)がひとりでに輝くだろう。しかし、あなたは努力なしにはその状態に達することはできない。それは意図的な瞑想への努力なのだ」
「真我である、注意深く観察されたスムリティ(記憶)以外には、どんな想念をも微塵だに生じさせないほど真我の中にしっかりと留まる、よく鍛えられた内在性こそが、至高の主への自己放棄を形成する」

ーーー『沈黙の聖者』ラマナ・マハリシーー

瞑想後の少しの会話でしたが、瞑想者同士、静かに深い話ができ、私自身も「私は誰か?」という問いを常にもって「本当の自分を実現したい」と改めて強く感じた、たいへん有意義な瞑想会でした。

そして一昨日の1月12日は、私が尊敬してやまないスワーミー・ヴィヴェーカーナンダのご聖誕日でした。
最後にヴィヴェーカーナンダが瞑想について述べた言葉を紹介したいと思います。

「瞑想は重要だ。瞑想せよ! 瞑想は偉大だ。それは霊的生活への近道だ。それはわれわれの日常生活における全く物質的ではないーー魂がそれ自身を思うーーしばしの時間だ。あらゆる事物から自由なーー魂のこのすばらしい感触」

ーーー『真実の愛と勇気』スワーミー・ヴィヴェーカーナンダーーー

緊急事態宣言が出されて瞑想会は当分できませんが、また状況が改善されたら皆様にもお声がけして、一緒に瞑想をしていきたいです。
1日も早いコロナの収束を願い、感染予防に努め、今はひとり瞑想に励み、「魂がそれ自身を思うすばらしい感触」を増やしていきたいと思います。
今冬は寒さも厳しいので、皆さま、どうぞお体には気を付けてお過ごしください。

ゴーパーラ


銭湯の帰り夜空を見上げて思ったこと。

機関誌『パラマハンサ』11月号を読んでとても感動しました!

11月23日の師の御聖誕日はコロナ禍のため、残念ながら弟子一同が京都に集まることはできませんでしたが、『パラマハンサ』を通じて世界各地のグルバイ(兄弟弟子)たちから師への感謝とヨーガへの熱い思いが捧げられたのです!

当日『パラマハンサ』を読むと、遠くに住むグルバイたちがこの過酷な状況の中、師から与えていただいている愛を存分に感じながら、それを道しるべに懸命に生きているのが伝わってきて胸が熱くなりました。読み進めていくうちにどんどん師への思いが増して、歓びが大きく大きく膨れ上がっていきました!!!師やグルバイたちに会えない状況が続いていたので、本当に嬉しかったです。ありがとうございます。

歓びの余韻が続いている中、師走に入り京都の朝晩はずいぶん冷え込んできて、身体を温めようとある晩家族で銭湯にやってきました。ここの銭湯、源湯はアーシュラマからも近く、師も昔入られていたそうです。

源湯。数年前にオーナーが代わったそうです。入り口にはご当地サイダーや駄菓子が販売され、休憩所にはこたつや自由に読める漫画、マッサージ機などが置いてありました〜。

ノスタルジックな雰囲気が漂う浴場で湯船に浸かると、身体が手足の末端からじんわりと温められていき、師の愛に包まれているのを思わず想像しました。

そしてゆっくりとお風呂に浸かったあと、外に出てふと空を見上げると、空気は澄んでいて星がたくさん見えました。

キラキラと輝いている星たちを眺めていると、まるで世界中でヨーガに生きているグルバイたちのようだと思いました。太陽のようなヨギさんの愛の光に照らされて、キラキラとそれぞれの場所で光輝く弟子たち。その輝きはどんどん大きくなって、周りに慰安と勇気を与え、やがて宝石箱をひっくり返したような美しい星空へと広がっていくに違いないと思いました。私もその中の1つとして輝けるように頑張ろう、そんなことを思った夜でした。

                                 アマラー


制限された世界、溢れ出る人々の尊い思い!

秋の青い空が広がり、草木がほんのりと色づき始めた頃、とある小さな集まりに参加する機会があった。その会館はにぎやかな街なかにあったが、今はコロナの影響で辺りはひっそりと静まり返り、そばに佇む木々が伸び伸びと存在感を放っていた。

一本の幹から広がる美しい枝葉 。

会館に入ると、まず受付で手の消毒、そして体温を測られた。参加者は高齢の方が多く、感染対策のため座席数は少なくされており、座席間隔も広くてガランとしていた。換気のためにすべての窓は開け放たれ、マスクの着用、順次消毒、検温という流れを見ていると、やっぱり少し緊張感をもった。みんなの顔も笑顔が少なかった。

最初のプログラムは音楽演奏で、本来なら和気あいあいとみんなで口ずさむようなものだった。でも今回は、音楽に合わせて高揚し大声で歌を歌うと飛沫が飛ぶので、歌うことはできません、とアナウンスがされる。そして会が始まり、演奏者がヨーロッパの陽気な楽曲を次々と演奏され、緊張感の漂っていた部屋に明るい雰囲気が広がっていった。みんなの表情もマスク越しではあったけれど、少しずつ柔らかくなってきていた。
窓が開いているおかげで時折、爽やかな風がヒューっと吹き込んでくる。外の大きな木の葉が風でサラサラ~と揺れ動く音や、木々の間から差し込む木漏れ日が部屋の中にも届き、床には影絵のような模様がキラキラと煌めく。マスクをして忍者のように(?)じっと息を潜めているせいか、いろんなことがいつもより繊細に豊かにも感じられ、それは思わぬ恩恵だった。もしかしたら鼻と口を封じていることで、その分、感覚器官が限定されて研ぎ澄まされるのかな? マスク生活も悪くない。

秋風に揺れるコスモス。

みんな目を閉じたり、じっと聴き入ったりしながら、思い思いに楽しまれている様子だった。演奏者は全身を使ってさらに懸命に演奏され、曲の説明も朗らかに弾む。ただ、やむを得ないことだけれど、こちら側の参加者はマスクを着け、歌うことは禁じられているので、音楽で共に盛り上がるという点においては何となく制限というか窮屈感も無きにしもあらず…。参加者と演奏者はいわば静と動で、音楽が素晴らしいだけに、ある種の隔たりのようなものも少し感じた。それでもこのコロナ禍で、こんな夢見心地にさせてもらえる音楽の力ってすごいなぁ~と思いながら聴き入っていた。

曲は、次に日本の童謡へと変わった。さっきのヨーロッパの曲も誰もが知っているような曲で楽しかった。でも童謡は、何かが違った。音楽が奏でられると、徐々に会場の中から、かすかな小さな音が聞こえ始めた。歌うことは禁止されている中で、皆さんの中から抑えきれない何かが溢れ出てきた。

その童謡は、故郷を題材としたものだった。歌っているのではなく、皆さんがマスクの下で口を閉じたまま、かすかにハミングをされているのが分かった。それは、今できる精一杯で、とても素敵だった。
次第にその音色は、故郷、ふるさと、父、母……、そういう枠を超え、普遍的な同じ一つの源へとまとまっていくようだった。何本もの糸が一つの束になっていくように皆さんそれぞれの思いが一つの尊い思いとなり、部屋中に満ち、屋根を突き抜け、大空へ高く高く、伸びやかに昇っていくようだった。そこの人も、あちらの人も、おじいさんもおばあさんも、なぜか小さな子供に見えて、純真な子供のような、みんながそれだった。会場は一体になり、もう何の隔たりもなかった。小さな音だった。でも荘厳で尊いその振動は、みんなを包み込み、命の原点、誰もの源へと響き合っているようだった。胸の奥でじんわりと温かいものが広がっていった。

目を細めている人、笑顔の溢れている人、目元を拭っている人。
隣の人との距離は遠く、今は自由におしゃべりも出来ない、でもお互いに何も話さなくても、みんなの中に同じものがある、ということをそれぞれが知っているような美しい瞬間だった。ふと師が、すぐそばの椅子に腰かけられ、足を組まれて目を細められながら、みんなを見てくださっているお姿がよぎった。みんなの中にある根源的なもの、それは決して見失うことはないものなんだと思った。世界には未知なウィルスが蔓延っていて、いろんな事も起こるけれど、でも世界がどうなっても、人が生まれた時からごく自然に感じ、包まれ、無意識に求めているもの、その真実は常にずっと本当は在る。人の中に息づいている。いつでも還れる場所、命の根源への思いは、きっと誰もの中でずっと変わらないんだなと思った。こんな時だからこそ、より強く、皆の中からそれが溢れ出したようにも思えた。
なんて素敵なんだろう、師の笑顔と同じ、みんなの優しい温かな笑顔を見ていると、嬉しくて、熱いものが込み上げ、自分も笑顔になっていた。それさえあればいいと思った。何があっても、笑顔がいちばん!

師の御聖誕の日に。黄昏時に光輝く半分の月。

野口美香