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正気の沙汰

ステイホームだった年末年始は、おせち料理に使うハレの日の野菜の飾り切りに初挑戦した。吉祥な亀の甲羅に見立てられた六方むきが、シンプルなだけにバランスが難しかった。

元旦。夜明け前の静寂。近くの川辺にて。

亀の甲羅といえば、いつだったか車の行き交う道路を、大きな亀が横断していたことがあった。とっさに駆け寄り亀を抱きかかえると、亀は顔と手足を甲羅に引っ込め岩のようになった。そして川辺の道に置くとニョキっと手足を出し、何事もなかったかのように歩いていく。が、なぜか道路に戻ってくるので、慌ててまた抱き上げ、もっと奥の川辺に置くと、亀はようやく茂みへ静かに姿を消していった。この話を当時は小さかった甥っ子と姪っ子に話した時、二人は即座に「ありがとう言いに戻ってきたんちゃう? 恩返しに竜宮城に連れて行ってもらえるんちゃう!」と目をキラキラさせて喜んでいた。

ところで、その亀に纏わるあるヨーガの境地に密かに憧れている。亀が手足を甲羅の中に引っ込めるように、人間の感覚器官の働きを制御するというもの。例えば、寒い暑い、痛い心地よい、苦い甘い、といった反射的な反応を意識して自分でコントロールする。深い段階では、五感の影響を全く受けない境地があるという。一見、人間離れしているような凄い境地になぜ私が惹かれるのか??
絶えず見、聞き、匂ぎ、味わい、感じている、この眼や耳や鼻や舌や皮膚という五官は、心に情報を伝える大切な役割がある。ただ問題は、五官からの情報に、心は瞬時に反応し、各人の記憶や経験に基づき様々な感情へと結び付くそうで、私はそういう感情に翻弄されてきた。良くも悪くも、見るもの聞くものに影響を受け過ぎるので対象を厳選しないと、と思ってきた。でも本当は、何を見ようが聞こうが、あの亀のように自分の意志で自由自在に手足(感覚器官)を甲羅に引き戻し、何にも影響を受けない堅固な岩のように強くなりたい。だから、反応から解き放たれて自由になる! というその状態に惹かれる。

初日。眩い光明に照らされる世界。

さて、ここからが本題。生活をさらけ出すことになるが、私はお菓子を食べることや作ることが好きだったが、それほど執着している自覚はなく、これまで特に意識して制御しようとしてこなかった。むしろ大したことはないと、執着は消える寸前だと思い込んで、心底やめる必要性を感じていなかった。ところがこのステイホームの一年、まるで「灯滅せんとして光を増す」ということなのか(笑)、気付けばお菓子がますます楽しみの一つとなり、お菓子好きが爆発した。思えば、9月に開催されたさまらさの台所のオンラインクラスが、灯滅のとどめを刺す出来事に繋がる予兆だった。そこでのテーマは舌の制御で、私にも話を振られた時、ちょうど爆発ピーク時だったので正直に、お菓子を食べ過ぎていること、自分にはこの教えが課題だと思う、というようなことを話してしまった。クラスが終わった後、自分の言ってる事、やってる事、思ってる事がバラバラ…と、何とも後味の悪い感じが続いた。そして、動画クラスの瞑想専科で、ヨーガの仲間の一人がお菓子を完全に止められたという話を聞いた時、初めて聞いた話ではなかったのに、妙に心に浸透したのも予兆だったのかもしれない。何の??

そう、私は歯の試練に見舞われた(笑)。突然、歯の詰め物が取れてしまい、歯医者が苦手な私だったが、何とか決心して、それでも痛いのが嫌なので無痛治療の医院を探して治療に行った。ところが、詰め物を元通りに詰めてほしいだけなのに、歯をたくさん削られ痛みが走りショックを受けてしまった。そして、本当に大バカなのだが、治療の帰りに、あろうことか、気持ちを紛らわすためにお菓子を買った。なんとも破茶滅茶でお粗末な行動。そして麻酔が切れるとさらなる激痛に襲われ続けた。それから紆余曲折あり、昔から信頼する別の医院に変えた。初めからそこへ行けなかったのは、そこで昔アルバイトをしていたため、その先生には虫歯だらけの自分の実態を知られたくなかったから。20年ぶりくらいに会ったその先生は、私が別の医院へ行った経緯を話しても嫌な顔などされず、とても繊細な治療を、麻酔なしで様子を見ながら時間をかけてしてくださった。麻酔で感覚を麻痺させないということは、患者がギリギリ痛さに耐えられるような技術が求められたり、時間もきっと余分にかかると思う。先生は口の中を見れば私の食生活の実態が分かられたに違いない。口の中は、普段は人に見せないがその人の現状が表れているところだと思う。師が、家の押し入れの中は心の中。どれだけ見えないところに押し込んでいてもすぐにバレてしまう、という真意を突くユーモアを言われた記憶があるが、口の中も似ていると思う。
先生は黙々と治療を尽くされた後、最後に一言だけ言われた。
「甘いものをやめなさい」
「……」
「分かりました」と私は言った。まるで師から言われたようだった。虫歯のことだけではなく、生き方への指摘を受けた感覚だった。十数年余りたくさんの虫歯を自覚しながら、痛い治療が嫌だからと放置し、だましだましにやってきたツケでもあり、そういう自分の甘い習性が外側に表れた現象だと思えた。
帰り道、もうお菓子なんて買ってる場合じゃない。原因は砂糖、甘いもの、つまりは舌の制御……、そしてそれは心の制御だ、とようやく身に染みた・・・まるでヨーガクラスからの帰り道。先生や歯科衛生士さんがあまりにも淡々と黙々とケアをされる姿から、治す・浄化という意味において、ヨーガと歯科治療が重なって仕方なかった。これほど丁寧に修正を施され指導されたのだから、もう自分の間違った習慣に従ってはいけない、と誓った。虫歯の治療は、まさに師が間違ったものを取り除きいつも修正してくださっていることを私に思い起こさせた。師がしてくださっていることは目には見えないけれど、もし目に見えるとしたら、繊細な治療を休みなく丁寧に、来る人来る人に行ない続ける医師のような、きっとこういうことだと思えた。だから、それからは治療の帰り道には毎回、万感の思いで涙が滲んだ(痛みではない)。歯は悪い部分を削って詰め物をすれば治るのではなく、虫歯を作ってきた悪い習慣そのものを断ち切り、新しい良い習慣に変えない限り、根本的には解決しない。これってヨーガの教えそのものじゃないか!!
無痛治療を優先した私は、結果的に激痛を受け取った気がする。最初から物差しが間違っていた。逃げたらいけなかった。ましてや苦痛感を紛らわすために、帰り道にその苦痛の原因たるお菓子を買うなんて正気の沙汰じゃない(涙)。狂気だ。嫌なことから逃げて快楽だけを味わいたいという、煩悩の極み。しかし、こんな正気の沙汰ではないことを私は、他にも同じようにやってきてないか? と真剣に考えた。問題が起こった時、何かひと時の楽しいことで誤魔化して、見ないふりをしてなかったか。
歯科医院の先生は、対処療法ではなく、根源の原因を取り除くことを教えてくださった。その日からお菓子をやめ料理にも砂糖をやめた。舌の制御は“心”の制御。狂気から正気への道。これは真の目的――何にも執らわれない本当の自由への道のりなんだと思う。

相変わらず、お店や様々なメディアから甘いものへの誘惑が五感を通って飛び込んでくるが、今は、それらを見ても聞いても、私には必要ない、無い方が自由、と思うようになった。甘いものという名の毒が抜け始めたことで、正気を失っていた心身が元の元気へと、また麻痺していた判断力も働きだそうとしているのかもしれない。まだまだこれからだけど、五官からの刺激が感情の回路と結び付いても、それ以上は膨らませないように繰り返し意識する。甘いもの=甘い誘惑は、ひと時の間の幸福感を味わわせてくれるが、それを継続させようと貪ると、その結末は……。そういうものは、本当の幸せじゃない、真実じゃない、私にはもう要らない―そう思うと、亀の手足のようにシュッと何かが引っ込む感じがする。これは亀からの恩返しだろうか?(笑)

気付いたことは訓練していく、と師に教わった。外部との接触が減ると内面をコントロールしやすいといわれる、そういう意味では今はまさにチャンスかもしれない。
ヨーガはいつも新鮮な気付きを与えてくれる。これから一つ一つ扉を開いていきたいな。どうぞよろしくお願いいたします!

光のように輝く花!

野口美香


瞑想会 @嵐山 シャーンティ庵

昨日、京都でも緊急事態宣言が発令されました。
年始から全国的にコロナの感染者数が増加していますが、皆さま、お元気でお過ごしでしょうか?

不安な日々が続いていますが、先日の1月10日、私の自宅である嵐山のシャーンティ庵で小さな瞑想会を行ないました。
参加されたのは、私が勤めている福祉事業所のヨーガクラスに通っているスタッフ2名の方でした。
1人の方は70代の女性で、もう1人の方は昨年に埼玉から移住してこられた50代の男性です。
お2人とも瞑想の経験は私よりも長く、長時間座ることには慣れており、その集中感に引っ張られてか、あっという間に感じた1時間の瞑想でした。

瞑想後に70代の女性は、「途中から目を開けて、(本棚にあったラマナ・マハリシの)書籍の帯に書いてある『私は誰か?』という言葉に瞑想していました」と話されました。
すると50代の男性が、「実は私は小さい頃、寝る前に『自分という存在は一体何なのか?』ということをずっと考えていました。それを考えると、宇宙を感じる時や自分がなくなっていく感覚があり、これが私の瞑想の原点なのです」とお話されました。
私自身、「この人生、どう生きていきたいのか?」とは大人になるにつれて考えていましたが、その人生の主体である「私とは誰か?」ということを真剣に考えるようになったのはここ数年のことなので、この男性の話を聞いて驚きました。
この時に話題にあがった「私は誰か?」という帯が付いていた聖典『沈黙の聖者』の中で、ラマナ・マハリシは次のことを説いています。

「私たちは自分の内部にある長年のサンスカーラ(潜在残存印象)のすべてを完全に投げ出さねばならない。それらがすべて放棄されたとき、真我(本当の自分)がひとりでに輝くだろう。しかし、あなたは努力なしにはその状態に達することはできない。それは意図的な瞑想への努力なのだ」
「真我である、注意深く観察されたスムリティ(記憶)以外には、どんな想念をも微塵だに生じさせないほど真我の中にしっかりと留まる、よく鍛えられた内在性こそが、至高の主への自己放棄を形成する」

ーーー『沈黙の聖者』ラマナ・マハリシーー

瞑想後の少しの会話でしたが、瞑想者同士、静かに深い話ができ、私自身も「私は誰か?」という問いを常にもって「本当の自分を実現したい」と改めて強く感じた、たいへん有意義な瞑想会でした。

そして一昨日の1月12日は、私が尊敬してやまないスワーミー・ヴィヴェーカーナンダのご聖誕日でした。
最後にヴィヴェーカーナンダが瞑想について述べた言葉を紹介したいと思います。

「瞑想は重要だ。瞑想せよ! 瞑想は偉大だ。それは霊的生活への近道だ。それはわれわれの日常生活における全く物質的ではないーー魂がそれ自身を思うーーしばしの時間だ。あらゆる事物から自由なーー魂のこのすばらしい感触」

ーーー『真実の愛と勇気』スワーミー・ヴィヴェーカーナンダーーー

緊急事態宣言が出されて瞑想会は当分できませんが、また状況が改善されたら皆様にもお声がけして、一緒に瞑想をしていきたいです。
1日も早いコロナの収束を願い、感染予防に努め、今はひとり瞑想に励み、「魂がそれ自身を思うすばらしい感触」を増やしていきたいと思います。
今冬は寒さも厳しいので、皆さま、どうぞお体には気を付けてお過ごしください。

ゴーパーラ


銭湯の帰り夜空を見上げて思ったこと。

機関誌『パラマハンサ』11月号を読んでとても感動しました!

11月23日の師の御聖誕日はコロナ禍のため、残念ながら弟子一同が京都に集まることはできませんでしたが、『パラマハンサ』を通じて世界各地のグルバイ(兄弟弟子)たちから師への感謝とヨーガへの熱い思いが捧げられたのです!

当日『パラマハンサ』を読むと、遠くに住むグルバイたちがこの過酷な状況の中、師から与えていただいている愛を存分に感じながら、それを道しるべに懸命に生きているのが伝わってきて胸が熱くなりました。読み進めていくうちにどんどん師への思いが増して、歓びが大きく大きく膨れ上がっていきました!!!師やグルバイたちに会えない状況が続いていたので、本当に嬉しかったです。ありがとうございます。

歓びの余韻が続いている中、師走に入り京都の朝晩はずいぶん冷え込んできて、身体を温めようとある晩家族で銭湯にやってきました。ここの銭湯、源湯はアーシュラマからも近く、師も昔入られていたそうです。

源湯。数年前にオーナーが代わったそうです。入り口にはご当地サイダーや駄菓子が販売され、休憩所にはこたつや自由に読める漫画、マッサージ機などが置いてありました〜。

ノスタルジックな雰囲気が漂う浴場で湯船に浸かると、身体が手足の末端からじんわりと温められていき、師の愛に包まれているのを思わず想像しました。

そしてゆっくりとお風呂に浸かったあと、外に出てふと空を見上げると、空気は澄んでいて星がたくさん見えました。

キラキラと輝いている星たちを眺めていると、まるで世界中でヨーガに生きているグルバイたちのようだと思いました。太陽のようなヨギさんの愛の光に照らされて、キラキラとそれぞれの場所で光輝く弟子たち。その輝きはどんどん大きくなって、周りに慰安と勇気を与え、やがて宝石箱をひっくり返したような美しい星空へと広がっていくに違いないと思いました。私もその中の1つとして輝けるように頑張ろう、そんなことを思った夜でした。

                                 アマラー


制限された世界、溢れ出る人々の尊い思い!

秋の青い空が広がり、草木がほんのりと色づき始めた頃、とある小さな集まりに参加する機会があった。その会館はにぎやかな街なかにあったが、今はコロナの影響で辺りはひっそりと静まり返り、そばに佇む木々が伸び伸びと存在感を放っていた。

一本の幹から広がる美しい枝葉 。

会館に入ると、まず受付で手の消毒、そして体温を測られた。参加者は高齢の方が多く、感染対策のため座席数は少なくされており、座席間隔も広くてガランとしていた。換気のためにすべての窓は開け放たれ、マスクの着用、順次消毒、検温という流れを見ていると、やっぱり少し緊張感をもった。みんなの顔も笑顔が少なかった。

最初のプログラムは音楽演奏で、本来なら和気あいあいとみんなで口ずさむようなものだった。でも今回は、音楽に合わせて高揚し大声で歌を歌うと飛沫が飛ぶので、歌うことはできません、とアナウンスがされる。そして会が始まり、演奏者がヨーロッパの陽気な楽曲を次々と演奏され、緊張感の漂っていた部屋に明るい雰囲気が広がっていった。みんなの表情もマスク越しではあったけれど、少しずつ柔らかくなってきていた。
窓が開いているおかげで時折、爽やかな風がヒューっと吹き込んでくる。外の大きな木の葉が風でサラサラ~と揺れ動く音や、木々の間から差し込む木漏れ日が部屋の中にも届き、床には影絵のような模様がキラキラと煌めく。マスクをして忍者のように(?)じっと息を潜めているせいか、いろんなことがいつもより繊細に豊かにも感じられ、それは思わぬ恩恵だった。もしかしたら鼻と口を封じていることで、その分、感覚器官が限定されて研ぎ澄まされるのかな? マスク生活も悪くない。

秋風に揺れるコスモス。

みんな目を閉じたり、じっと聴き入ったりしながら、思い思いに楽しまれている様子だった。演奏者は全身を使ってさらに懸命に演奏され、曲の説明も朗らかに弾む。ただ、やむを得ないことだけれど、こちら側の参加者はマスクを着け、歌うことは禁じられているので、音楽で共に盛り上がるという点においては何となく制限というか窮屈感も無きにしもあらず…。参加者と演奏者はいわば静と動で、音楽が素晴らしいだけに、ある種の隔たりのようなものも少し感じた。それでもこのコロナ禍で、こんな夢見心地にさせてもらえる音楽の力ってすごいなぁ~と思いながら聴き入っていた。

曲は、次に日本の童謡へと変わった。さっきのヨーロッパの曲も誰もが知っているような曲で楽しかった。でも童謡は、何かが違った。音楽が奏でられると、徐々に会場の中から、かすかな小さな音が聞こえ始めた。歌うことは禁止されている中で、皆さんの中から抑えきれない何かが溢れ出てきた。

その童謡は、故郷を題材としたものだった。歌っているのではなく、皆さんがマスクの下で口を閉じたまま、かすかにハミングをされているのが分かった。それは、今できる精一杯で、とても素敵だった。
次第にその音色は、故郷、ふるさと、父、母……、そういう枠を超え、普遍的な同じ一つの源へとまとまっていくようだった。何本もの糸が一つの束になっていくように皆さんそれぞれの思いが一つの尊い思いとなり、部屋中に満ち、屋根を突き抜け、大空へ高く高く、伸びやかに昇っていくようだった。そこの人も、あちらの人も、おじいさんもおばあさんも、なぜか小さな子供に見えて、純真な子供のような、みんながそれだった。会場は一体になり、もう何の隔たりもなかった。小さな音だった。でも荘厳で尊いその振動は、みんなを包み込み、命の原点、誰もの源へと響き合っているようだった。胸の奥でじんわりと温かいものが広がっていった。

目を細めている人、笑顔の溢れている人、目元を拭っている人。
隣の人との距離は遠く、今は自由におしゃべりも出来ない、でもお互いに何も話さなくても、みんなの中に同じものがある、ということをそれぞれが知っているような美しい瞬間だった。ふと師が、すぐそばの椅子に腰かけられ、足を組まれて目を細められながら、みんなを見てくださっているお姿がよぎった。みんなの中にある根源的なもの、それは決して見失うことはないものなんだと思った。世界には未知なウィルスが蔓延っていて、いろんな事も起こるけれど、でも世界がどうなっても、人が生まれた時からごく自然に感じ、包まれ、無意識に求めているもの、その真実は常にずっと本当は在る。人の中に息づいている。いつでも還れる場所、命の根源への思いは、きっと誰もの中でずっと変わらないんだなと思った。こんな時だからこそ、より強く、皆の中からそれが溢れ出したようにも思えた。
なんて素敵なんだろう、師の笑顔と同じ、みんなの優しい温かな笑顔を見ていると、嬉しくて、熱いものが込み上げ、自分も笑顔になっていた。それさえあればいいと思った。何があっても、笑顔がいちばん!

師の御聖誕の日に。黄昏時に光輝く半分の月。

野口美香


シャーンティ庵、嵐山に引越し

ご存知の方も多いかと思いますが、先月末に8年間住んだ上京区のシャーンティ庵を引越ししました❗️

新しいシャーンティ庵の場所は、嵐山です‼️

新居1階の部屋。

渡月橋。

よくテレビなどで映る渡月橋にも歩いて行けて、周りは自然が多く静かで、サーダナ(霊的修行)をするのにはとてもよい環境です。

今回引越しをしたのは、コロナウィルスの影響で遠方のグルバイの方たちがシャーンティ庵を利用できなくなったことと家の更新年が重なったこともあり、シャーンティ庵をコンパクトにしようと思い物件を探したところ、職場のある嵐山に良い物件が見つかったからです。
上京区の旧居は5部屋でしたが、嵐山の新居も3部屋あり、3人前後は泊まっていただけます。
古い家ですが、リフォームもされていて良い家ですよ〜
車も購入予定なので、また遠方のグルバイの皆さんとお会いできる時には車で送迎もできるようにしたいと思っています。
京都のグルバイの方もぜひお越しください!

今後もシャーンティ庵の方、どうぞよろしくお願い致します‼️

ゴーパーラ


永遠の物語 悪から善がでて来る

またもや永遠の物語を読んでいると、こんな話がありました。

王様が大臣をつれて狩りにでかけました。王様は無神論者でしたが、大臣は大変信心深く、人の身に起こったことはなんであれ、究極には神の思召しで彼のためによいことになる、と信じていました。

王様は森の中で雄ジカを見つけました。弓に矢をつがえようとした時、鋭い矢の先端で手の指を1本傷つけてしまいました。大臣は王様にこの傷は何かお為になるでしょう、と進言しました。これを聞いて王様は腹を立て、近くの井戸に大臣を突き落としました。王様は憎々しく、井戸に落ちたのはお前の幸せためであるぞ、と言いました。

王宮に帰ろうとした矢先、王様は盗賊の一団に捕まってしまいました。彼らは女神カーリのお祀りの準備をしていて、生贄(いけにえ)として祭神に捧げる男を探していました。王様は女神の前につれてこられ、沐浴させられた後、身体を調べられ、指の傷が発見されました。身体が完全に無傷な人間しかお供えしない、というのが盗賊たちの掟でした。それで彼は放免されました。

ここで王様は今日の出来事をよく考え、指の傷が自分を救ったことに思いいたり、大臣の言葉の正しさを悟りました。彼はそこで井戸に戻って大臣を引き上げました。彼が大臣に一部始終を話すと、後者もまた、もし王様が私を井戸に突き落としていらっしゃらなかったら、盗賊は私を捕らえて生贄にしたでしょう、と言いました。


どんな状況下にあっても、素直に神を信じ続ける大臣の姿に胸が躍りました。すべては神の思し召し、と言葉にするのは簡単ですが、実際にどんな状況も受け入れていくということは、尋常でない強い信仰が要ることです。そして物語の結末は痺れました。王様は大臣の進言の通り、指に傷を負ったことで命が助かり、大臣は王様に井戸に突き落としてもらったお陰で、盗賊に見つからずに命が助かったというのです。神のなさることは人間の想像を超えている、と言います。そして神は不可能を可能にすると言います。どんなときも神へのゆるぎない信仰をもつ大切さが、とてもよく感じられる物語でした。

ところで最近、私はわりと長く働いた職場を辞め、新しい仕事に就くことになりました。新たな人との関わりや、新たに仕事を覚えることなど、今までと勝手の違うことに慣れるのには、しんどいことも色々あるだろうな・・・と思うと、自分で決断したこととはいえ少し不安を感じていました。けれどこの物語を読んで頑張れる気がしてきました。すべては神の思し召し。どんなことも自分のためになるのです。この金言を常に胸に抱きながら、新しい仕事と向き合っていきたいと思います。

                                  アマラー

 


幸せ、生きがいとは?

前回まで、お金や仕事を通して何を求めているのか?と考えていた時、最終的に行き着いた答えは「本当の幸せ」だった。
子供の頃、日本昔話に限らず…お伽話を信じていた私は(笑)、「もし魔法のランプから、願いを一つ叶えてくれる魔人が現れたら何を頼もう?」と考えていた。幼稚園がキリスト教でお祈りが習慣づいていたからか、魔人へ考えた願い事は「一生、願い事がない最高の幸せにしてください」だった。今思うと、我ながら欲張りな願い事だと思うけれど、子供心にも願い事には終わりがない、と思っていたからなのだろう。しかし、すべての願い事がなくなるほどの最高の幸せって何だろう? そう思いを巡らせていた時、数年前の経験が思い起こされた。

ある時、一からやり直したい、誰も知らない所に移って人の役に立つ生き方がしたい、と思っていた。そんな時、ハンセン病患者へ治療を尽くされた精神科医の生涯を偶然に知り、取り憑かれたように関連する本を片っ端から読み続けた。
特効薬がない時代、患者さんの多くは、突然、家族と引き離され強制隔離をされたという。名前、素性、人間としての尊厳も奪われ、療養所(隔離施設)の中で病の為に朽ちていく自分の身体と向き合い、一生そこで生き長らえなければならなかった。過酷な環境で精神錯乱状態になった人、自ら命を絶った人、そのような中で生き抜いた人。一縷の光を見失わず、懸命に生きた方たちの痕跡を知るにつれ、生きることと死ぬことの狭間、命の存在の根源は何なのかと、そこから目を背けられなくなった。
隔離施設のあった島で偶然にもその医師の特別展が展示中だと知り、導かれるように島へ行ったのは数年前の今頃だった。

残酷な歴史が刻まれた収容所や監房、当時のままの史跡を巡った。完治された方々が今も島に住んでおられるが、ほぼ誰にも会わなかった。
島で生涯を全うされた死後でさえも、差別や偏見の為に引き取り手の家族がない何千もの遺骨が安置されている所にも向かった。現地で借りた自転車で、長い坂道を登り切ると、突如、空を舞うたくさんのトンボに囲まれた。そこは海が見下ろせる小高い丘のようになっていた。無数のトンボが、あまりにもフワフワと周りを舞い続けるので、今は姿なき人たちに代わって先導してくれているようだった。残酷な歴史とは裏腹に、その辺りは静かで安らかな空気に満ちていた。

島の路地でふと視線を感じ、見上げると目が合った花

姿なき存在へ挨拶を終え、丘から降りると不意に道に迷った。とその時、島の人に初めて出会った。おばあさんは顔や手が不自由だった。道を尋ねると、すぐさま笑顔でハキハキと教えてくださった。そして別れ際「またいらっしゃい!」と誰かのような満面の笑顔で言われた。「また来ます!」元気よく私は手を振った。
その後、時間の限りに史跡を巡り、最後に浜辺に行った。この浜辺から身を投げた人、対岸へ泳いで帰ろうと途中で力尽きた人、真っ暗な夜の浜辺で帰りたいねと泣きながら、そして歌を歌った人たちもいたという。どんな思いでこの海を見ていたのだろうか。それでも生きていくと思った人たち。血のにじむような努力と忍耐を重ねられ生き抜かれた。医師の記述によると「肢体不自由で視力まで完全に失ってベッドに釘付けでいながらも、窓の外の風物の佇まいや周囲の人々、動きに耳を澄まし、自己の内面に向かって心の眼をこらし、そこからくみとるものを歌や俳句の形で表現し、そこに生き生きとした生きがいを感じていた人たちもいた」という。
どのような状況でも平安に満ち足りたムードを保つことができれば、それは一種の悟りだと師に教わったことがある。並大抵のことではないけれど、如何なる状況にあっても、万物の背後にある本質、大いなる一者を感じ取ることができたなら、それほどの生きがいはないと私は思う。
その日、結局ほとんど島の人に会わなかった。代わりにたくさんの猫やトンボは寄ってきて、花や草木や石、建物さえもが無言の存在感を放っていた。そしてずっと太陽は、真上から島をじっと見守るかのように照らしていた。島全体が沈黙にあるような空気の中で、存在って、幸せって、生きるって何かな、と思わずにはいられなかった。
さっき出会えたおばあさん、今ここで生きておられることは、きっと今は不幸じゃないよなと私には思えた。過去の歴史の出来事からおばあさんを見るよりも、今のおばあさんの存在だけを正面から見たいと思った。おばあさんの満面の笑顔が、私にそう思わせた。
過去は過去。あるのは今しかない、と師の言葉が蘇る。じゃあ私に今できることは何かなと思っていた。

静かな浜辺

島の会館で、映像を通して知った何名かの中の、あるおばあさんの話が忘れられない。
その方が幼い少女だった頃、隔離施設に入ることになった。お兄ちゃんが途中まで送ってくれた。最後の駅で別れる時、お兄ちゃんは優しく肩を撫でて、そして去っていった。それから辛くて毎日泣き続けた。夜空を見上げながら海へ石を投げ、この海がなければ帰れるのに、と泣いた。
「いつも、いつも泣いていた。でもある時に、私の業(ごう)を果たそうと決めた」と、きっぱりとおばあさんはおっしゃった。壮絶な状況で、生きるという覚悟を決められたのだ。魂が震えた。与えられた命を全うするということ、人の命はなんて神々しいのか、たった一人の人の命は本当にかけがえがない、決して代わりのきかない尊いものだと思った。涙が止まらなかった。どんな命も同じ、トンボの命も、猫の命も、人の命も本当に同じで、どんな姿であろうが存在は太陽のように煌々と輝いていた。
「誰もの中に尊い存在があるということを忘れてはいけない。固く信じるべきです。自分自身の中にあるその尊い存在を見失ってはいけない」と師から教わった。島の無言の空気から、なぜかそれをありありと感じ続けていた。

数日後、師に、役に立てるならそこに行きたいと思いをお伝えした。師は私の思いを大切にされながらも、今焦って決めることではない、というニュアンスのことを言われた。その瞬間、思い詰めていた何かが溶け、今ある場所でやることをやらないとダメだと思い、ここでできないことは、どこでもできないと自分の未熟さを実感した。島の方たちの生き様に触れ、心は自然と内へ向き、押し黙っていた。思えば私は、誰かの役に立ちたいという思いに、実は自分が誰かに必要とされたい、私が生きている意味が欲しい、という願望を重ねていた。その時、私にとっての不幸とは、誰にも必要とされないことだと思っていた。今、気付いた。状況に幸せや不幸を見いだし逃げていたのだ。環境や状況によって変わるものは、本当の幸せではないのに。
私は私としてこの世に生を受けた。人それぞれ与えられた環境があり、私は私の人生を生きていかなければならない。
「自分が自分を生きる」という師のお言葉がある。比べたり、逃げたり、背伸びしたり、誤魔化したり、そういうことは全部、自分が自分を生きていないことになる。自分を見失っているからこそ光を求めるけれど、別のものでは置き換えられない。求めるのなら本当のものだけを求めなさい、と学んできた。本当のもの…、本当の幸せ、本当の自分――それは限りない至福そのものだという。まさにそれが子供の頃に思った、すべての願い事に終止符を打つ最高の幸せなのだろうと思う。それに至る道がヨーガの道。いちばん幸せなことは師に、ヨーガに、縁を持てたこと。今の自分に向き合うことが、「本当の自分」に目覚める道だと思う。

いちばん身近にある京都の地元の川

世の中の不条理さとは無関係に、今、自分に与えられているもの――自己の命に対して謙ることができれば、生きていること、息をしていること、生かされているからこそ今見ている世界があることにも気付かされる。瑞々しい純粋な命のきらめきを感じた時、美しく愛おしい生命の躍動感を感じた時、自分を形作るすべてがそれに共鳴しその歓びと一体化する時、その背後にあるのは、たった一(ひとつ)の存在だと思う。万物の、命の根源の現れに触れる歓び、それこそが真の生きがい、幸せであると思う。それを私に教えてくれたのは、ハンセン病患者の方たち、そしてその方たちと共に生きた方だった。そう学ばせてくださったのは師だ。「自分の中に本当の幸せがある」と。

…と考えると、まさか魔人は、私の願いを叶えるための道は用意してくれたのか⁈(まだ信じてる⁈) でも道を歩くのは自分!「自分が自分を生きる」ために。

野口美香


永遠の物語 牡牛ー神

最近、『永遠の物語(日本ヴェーダーンタ協会)』の本を読みました。

その中でこんな話がありました。

ある1人のヨーガ行者が人里はなれた森で修行をしていました。1人の牛飼いが、このヨーガ行者が何時間も瞑想や苦行をし、1人で勉強して過ごしているのを毎日見て、何をしているのか興味が湧き、近寄って言いました。

「旦那、神への道を教えてください」このヨーガ行者は非常に学識が深く、偉大な人物でした。「お前がどうやって神を理解できるのかね。お前はただの牛飼いだ。うすのろめ。帰って牛の番でもしていろ」と答えました。男は立ち去りましたが、しばらくすると本当に知りたいという欲求が強くなりました。居てもたってもいられず、またヨーガ行者のところにやって来て、神の教えを請いましたが、また追い返されました。

それでも牛飼いは神について知りたくてたまらず、またヨーガ行者のところに行きました。あまり強引にせがむので、ヨーガ行者は男を黙らせようと、「お前の飼っている群れの中の大きい牡牛のようなものだ。それが神だ。神はそのような大きい牡牛になるのだ」と言いました。

男は牡牛を神と信じ、日夜拝み始めました。その牡牛のために一番緑の濃い草をやり、横で休み、明かりを灯してやり、近くに座り、後を追いました。そのようにして年月がたちました。

ある日、あたかも牡牛から出たような声が聞こえてきました。「私の息子よ、私の息子よ」牛がしゃべっているのかどうなのか、心の悩みを思いめぐらしました。何度か声を聞くうちに、やっと分かりました。声は自らの心の中から聞こえて来たのです。そして神は自分の心の中に居ることを悟りました。最高の教師が説くすばらしい真理が分かったのです。「私はつねに汝とともにある」。まずしい牛飼いは神秘の全容が分かりました。

そこで彼はヨーガ行者のところにまた赴きました。牛飼いは全身神々しい姿に変わり、顔つきにも天国の光の輝きが放たれているかのようでした。ヨーガ行者は思わず立ち上がりました。「何という変わりようだ?どこで見つけたのだ?」「旦那、あなた様がそれをくださいました」「なんだって?私は冗談で言っただけなのに」


牛飼いの、偏見をもたれても2度断られても諦めず、ヨーガ行者に教えを請いに行った心の強さに感服しました。彼の中では、ただ純粋な神への探求心で胸がはち切れそうなのがひしひしと伝わってきました。

そして牛飼いは、方便であるヨーガ行者の言葉をそのまま素直に受け入れて実行し、ついに内なる神に目覚めました。牛は神のシンボルとなっていたのです。純粋に神だけを求めて礼拝する真剣な思いを、ヨーガ行者の思惑とは別のところで神はちゃんと受け止めておられ、ついには恩寵を与えられたのです。

どこにいても、何をしていても、純粋に神に捧げたいという気持ちで日々を過ごしていれば、神はその思いに応えられ、いつか道が開ける時が来るのだと勇気をもらいました。

                                                                                                               アマラー


仕事の動機は?

面接や履歴書で問われるのは、志望動機。幼い頃も「将来は何になりたい?」と聞かれた。私はずっとなりたいものが見つからず、学校の進路指導では、最後は先生にも諦められた(!)

仕事というのは、人生の中で重要な位置を占めていると思っていた。けれど、ヨーガでは仕事が特別な位置付けではなかった――仕事自体は何でもよく、従事することになった仕事に対してベストを尽くすが、それ以上でもそれ以下でもない、仕事での結果にも執らわれない。それを知った時、目から鱗が落ち、仕事像の呪縛から解き放たれた。

空に向かって真っ直ぐ咲く!

ところで私は最近、転職を考えていた。目の不自由な方に付き添う仕事をしてきたが、情熱が薄れてきていた。しかし、「仕事は何でも構いません」と師もいつもおっしゃっているし、ここから淡々と続けるのも大切に思える。これまで仕事を続ける中で、師はさりげなく私の仕事への思いを尊重され、そして優しく背中を押してくださった。だからこそ迷いながらも続けられてきた。…と、悩んでいた矢先、不意に元日から眼に不調があり仕事をセーブすることになり、調子が元に戻ると次はコロナ禍で仕事ができなくなった。必然的にお金や仕事について、じっと見つめることになった。(お金については前回書かせていただいた→前回ブログ

振り返ると、始めた当初は、私が目になる!役に立ちたい!と思い入れがあり、やりがいも大きかった。いつからか、誰もがそれぞれの立場で人生を歩んでいると知るにつれ、目が不自由ということが単純に不自由とか障害というふうには思えなくなり、最初に抱いていた「困っている人」という見方がなくなった。この仕事の必要性を見いだせなくなり、最近は仕事をする動機がよく分からないまま働いていた。
その状態を何とかしたくて、ヨーガの教えを拠り所に仕事自体の目的を考えていたことがあった。目の不自由な方が求める視覚情報を正しく伝え、自分の体を道具にして道中を安全に案内し、相手がその日の目的を果たせれば、仕事の目的も果たされたことになる。仕事の前には、そう意識し、相手の今日の目的に集中するよう徹していくと問題点は気にならなくなり、どんな仕事も仕事自体の目的を果たすことが仕事なのだと実感する瞬間があった。仕事が存在しているということは、その仕事自身の目的があるから。道理として、目的がない仕事なんて存在しないことになる。だから、この仕事は必要ないのでは?と私が考えるのは愚問だったことが分かった。けれど、情熱は戻らないままだった。

そしてステイホーム期間、生活にさほどお金がかからないと気付いた時、お金を得るための仕事は優先順位が下がっていった。その頃、前回ブログを書き進めていた。
種明かしになってしまうけれど、前回ブログ『何のためのお金?』の中で
「生きていく、それだけをシンプルに考えれば、本当はそんなにたくさんのお金は必要ないのかもしれない」という文章の後、最初は
“そんなにたくさん働く必要もないのかもしれない”
と続けて書いていた。しかし校正してくださった先輩から、この一文に対してコメントが添えられていた。
「働くのは結果的にはお金を得ることが目的になりますが、それだけでなくて、仕事を通じて様々な経験を積むというカルマを果たすためだとも考えられます。生きている限り行為をしなければなりませんし、ではどう働くのかという働き方と働きの目的が大事になってくるのかなと思います」

ハッとした。 ここだけ文章の校正というよりも、私への核心を突かれるヨーガの教え…、働きの目的…、私自身の働きの目的は、はっきりしないままだった。お金、仕事、人生…もう一度それぞれの目的について考え続けた。

そんな時、久しぶりに長時間の仕事があった。内容的にも安全確保に神経を注ぐ仕事だったので、ちゃんと動けるか不安もあった。結論からいえば、私の体が私自身を導いてくれた。口からは必要な情報が勝手に飛び出し、足と手は安全確保をしながら勝手に動いてくれた。不思議だった。こんな感覚は初めてだった。仕事後、妙に静まり返り、私はこの身体を生かさなければいけない、と思った。昔、「自分が人間として生まれたからには、この心と身体を使って生かせることがしたい」と思ったことを突然、思い出した。たしか当時の履歴書にもそう書いた。人生の目標が「悟り」なら仕事もそのためにある、だから働くんだ、ということが実感を伴って繋がった。

仕事帰りによく立ち寄る。いつも季節の花が咲いている。

眼に不調が出た期間、やっぱり困ること不自由なことがあった。それで気付いた。困っている、不自由というのは、ただの事実なだけで良い悪いの次元ではないと。つべこべ考えず、ただあるがままを見よ!と自分の眼から一喝された気がした。仕事にベストを尽くすには、自分の情熱とか、相手が困っている・いないとか感情論は必要なく、あるがままの事実を正しく見ることがまず必要だった。そういえば、事あるごとに意識してきた言葉がある。「一にも二にも観察」 十数年前、福祉職に転職した時にヨーガの先輩から言われた言葉だ。先輩は全く違う仕事をされていた。けれど私はこのアドヴァイスを守ることで、仕事中、幾度も助けられてきた。職種は関係なかった。どれだけ自分を棄てて、対象だけを正しく見れるか? 長年、師の下で学ばれた先輩は私にそう示唆されていたのかもしれない。

どんな仕事にも必ず対象(人やモノ)があり、対象のために仕事を進めていっている。その仕事自身の目的を果たすことが仕事。でも仕事は単なる一つの役割。だからこそ役割ならば、それに徹しなければいけない。もっと目的に集中しなければいけない。この身体に任せて、今の仕事がくるなら無心で働けばいい。「どんな役割にも優劣はなく同等で、できることは心を込めてやっていくということ」と師から教わってきた。
この命が生かされ、身体が動くのは、やっぱり摩訶不思議で、大いなる存在を思わずにはいられない。ヨーガでは、本当の自分はこの体でもなく、この心でもないという。心のざわめきが静まったとき、本当の自分が輝き出るという。

夏の光で輝く花

自分のやりがいも動機も何も要らないじゃないか!と思えた。むしろこれからは、自分自身の個人的動機のない働きを目指したいな。そして、師が仕事に対して贈ってくださった言葉、「真心を込めて、やっていく」を胸に、その時々の与えられた役割に徹したい。それが仕事をする動機だと思う。
今なら進路指導でも、「将来は何になりたい?」の質問でも、堂々と言えそうかな(笑)「なりたいものはヨーギーです」

野口美香


さまらさの台所 WEBクラス一回目の報告

こんにちは、梅雨明けして暑い夏が始まりましたね。さまらさの台所では、7月に初めてのWEBクラスを開催しました。クラスは、2部構成になっていて、まず調理の動画を視聴していただき、一度家で調理してもらった後、別日にzoomを使ったオンラインクラスに参加してもらいます。オンラインクラスでは、小グループでお互いに感想を言い合ったり、質問をしたり、ヨーガの教えを紹介したりという内容です。実際に会うことが難しい昨今ですが、WEBクラスということで、遠方からの参加者もあり、久々の再会(オンライン上ですが)をみんなで喜びました!

さて、1回目のWEBクラスを終えて、参加してくださった深水さんから感想をいただきましたのでご紹介します。深水さん、ありがとうございました!!

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 長年料理に親しまれてきたであろうベテランの女性をして「今まで敬遠していた」と言わしめる『揚げもの』。初心者の男子には少々ハードルが高く、手を出すには神の思召しが必須でしたが、さまらさの台所WEBクラス開講という思召しを賜った私は、結果、一か月弱の間に5回ほど夏野菜を素揚げすることになりました。

 要点を分かりやすく伝える洗練された動画の力か、それとも講師のお二人の何とも言えないまったりとしたやりとりに催眠効果でもあったのか、動画を見終わった直後には「南蛮漬けなら俺にまかせろ」といわんばかりの出来る感に満たされており、意気揚々と調理に臨むことができました。

 しかしいざやってみると、初めて切ったかぼちゃの皮の硬さ然り、高温の油の中で弾け回るみょうがとのソーシャルディスタンス然り、なかなか思うようにはいきません。食材を油から上げるタイミングも、編集された動画内では比較的分かりやすいように感じたのですが、実地ではその変化に気付きにくく、「……ん? ちょっと長くね?」という心の指摘で慌ててすくい上げるといったこともしばしばでした。

 調理に手間取っている間に割り増した空腹感や、初心者の分際で『揚げもの』を作り遂げたという達成感などで、大概のものは美味しく感じたであろう状態だったことを差っ引いても、料理の出来はなかなかだったように思います。

 その後、WEB会議通話システムを利用したオンラインクラスで、他の参加者の話を聞きながら振り返る機会もいただきました。みなさん動画にあったことだけでなく、「トマトでもやってみた」「にんじんをフライドポテト型に切ってみた」などなど、それぞれに工夫なさっている様子がうかがえて、いろいろ勉強になりました。

 また昨今の状況下での実践の様子や、なかなか会えない師への思い、また先輩方の昔のエピソードなども聞かせていただきました。現代の通信技術を介して受ける刺激や学びに、状況に応じて形を変えながらも、なお変わらぬサンガの導きを実感します。

 今回さまらさの台所を受講してみて、長年ヨーガの実践を重ねてこられた方々が作った動画をとおして、改めてヨーガの普遍性を感じました。ミッションの動画でも、過去の映像を編集したものやクラスの様子を録画したものを見たことはありましたし、それはそれでどれも素晴らしいものばかりでしたが、考えてみれば、動画を作る目的で一から作成されたものは初めて見たような気がします。

 一緒にオンラインクラスを受講した方が「今回の動画を見てたら、サットヴァなプラーナを感じて、思わず掃除した」とおっしゃっていましたが、それほどの動画を完成させる根底に長年のヨーガの実践があると思うと、あらゆる仕事を深化させるヨーガの普遍性を感じずにはいられません。見ると作りたくなる料理動画は数あれど、見ると掃除したくなる料理動画などそうはないでしょう。神動画。

 今回の受講を経て、今学んでいるヨーガに対する信頼が一層増したとともに、サットヴァな食との縁を深めていただいたことに感謝いたします。ありがとうございました。

 

 深水晋治