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夏の松山瞑想特別クラス

また7月も行ってきました夏の松山に!サーナンダです。
瞑想特別クラスでは累計14回目の訪問になり、随分と松山にも行き慣れてきました。松山のたくさんのヨーガを学ばれている皆さんともすごく顔なじみになってきて、顔を見かけると嬉しくなります。
さて、そんな瞑想特別クラスの感想が松山のアミティさんから届いたので、掲載させていただきます。相変わらずヨーガに熱い松山の皆さまでした!


今年2月から7回シリーズで始まった松山瞑想特別クラスとサットサンガ。その4回目が7月15日(土)16日(日)に開催されました。講師のサーナンダさんは、松山ではすっかり顔なじみになり、いつも多くの人が心待ちにしています。サーナンダさんが定期的に来てくださることで、その度毎にインスパイヤされ、ますます皆さんのヨーガの熱が高まってきています!

今回のテーマは「食と言葉を調える」でした。「食」も「言葉」も私たちの日常生活と切り離す事ができないとても身近なテーマです。具体的な実践のヒントをたくさん頂いて、さっそく日常の中で実践していきたいという声が多く聞かれました。

この2日間で私が感じたことは、真実を悟った人は、どのように行為をするのだろうかということでした。その行為を学び、日常で実践していくことによって心が調えられ、真実を悟ることへとつながっていくということです。

食事について言えば、「すべての存在は等しく尊い存在である」ことが本当にわかったならば、自分の体を維持するための食事は、食物の尊い命を頂くわけだから、旬のみずみずしい良質のものを必要最低限の量で十分だということになり、食材やそれを育てた人や自然に対する感謝の気持は自ずと起こり、他者を思いやり集中して調理するということも自然な行為として行われることになるでしょう。

言葉についても、心の波がなくなったときに真実の自己が輝き出ると教えられるように、真実を悟ったならば、心の思いがないのだから、愚痴や不平不満などあるはずがないし、すべてが等しく尊い存在であるとわかったなら、相手を傷つける言葉を発することなどあり得ない。常に心は沈黙しているだろうから、自分が話したいから話すということもなくなるでしょう。言葉はただ他者のためにあり、相手の話をよく聞き、相手の必要としていることを話し、時には、相手の心を解きほぐすために会話を楽しむこともあるでしょう。

2日目のサットサンガでは、「傲慢な自分を直したい。謙虚さについて教えてください」という質問があり、サーナンダさんは次のように答えられました。
「ヨーガをやって行くと、自分がどれだけ偉いのかということを考えた時に、自分が人より優れていることとか、傲慢になったり、威張ったりする理由が見つからなくなる。この自分の命、生きているっていうことそのものが、自分の力で支えているわけではないから、謙虚にならざるをえない。
才能や、社会的な地位や人より知識があるとかないとか、それで優劣をつけるとかは、本当に些細な事。原点に立ち返って、ここにこうして尊い一個の命をもって存在している、生きていることの神聖な意味を感じることができたなら、自然に傲慢さがなりをひそめて謙虚な思いになって来ると思う。
訓練としてやる時は、徹底してへりくだるということを実践して行くべき。態度、言葉遣い、姿勢、徹底してへりくだる。行動も常に相手を尊重、敬うような行為を無条件にやって行く。」

真実を悟り、真実に生きているヨーギーの生活のあり方はどのようであるのか?それを学び、理想、目標とすること。そして、日常の食事を気をつけたり、言葉に気をつけたり、徹底してへりくだる実践も、何のためにやるのかと言えば、その理想に向かっていくため。
サーナンダさんは、真実、真理は自分の一番身近にあるもの。目の前にある日常にこそそれがある。だから日常が大事、と言われていました。
理想を見失わないようにしっかりと見据えて、目の前の日常を調えていくこと。
ヨーギーは、いつも軽快で大らか。私たちは、その理想の姿になろうとしているのだから、細かいことにこだわりすぎることなく、大らかに軽快に実践して行けたらいいなと思います。

アミティ


ヨーガの熱が高まる松山!

先日松山の瞑想特別クラスに行ってまいりました。
「ヨーギーの生き方に学ぶ7回シリーズ」の3回目「働きの秘訣」がテーマでした。3カ月ぶりだったので、皆さん覚えているかなと思っていたのですが、44名が参加され、新しい方も多く、凄い熱気で驚きました。その理由について、アーナンディーさんが寄稿してくださいましたので、ご紹介したいと思います。(サーナンダ)


松山のアーナンディーです。
ジメジメした梅雨の湿度も逃げてしまうような勢いで、最近の松山のクラスはヨーガへの情熱が高まり続けています!
今回はそんな松山のクラスからご報告したいと思います。

それもこれも5月のヨギさんの特別サットサンガの後からのことです!

5月の特別サットサンガでは、松山ヨーガ・サークルの空間は喜びでいっぱいになりました!
その後、クラスの参加者の皆さんからヨギさんのお名前を聞かない日がないほど、ヨギさんへの感謝の声が続き、皆さんの笑顔が朗らかでハッとするほど美しくなっています!
特別サットサンガ初参加の方からこんな感想をいただきました。

「サットサンガに参加して、私は今幸せだなと思って帰ってきました。サットサンガの翌日によく行くお店の店員さんに『顔がスッキリしてますね!何か悪いものがすべて取れたような顔つきです』と言われました。そしてサットサンガから1週間経った今、私のたいしたことない1週間前の悩みは何もしてないのに解決しました。不思議です。今日のクラスに行く予定です!」

と今まで以上に熱心に通い続けてくださっています。他にも「誰もの中に真実があるという教えが腑に落ちて希望を感じました」「ヨギさんへの感謝の思いから実践する力をいただいています」などなど特別サットサンガの醍醐味を味わったという喜びいっぱいの感想をいただき、多くの方とヨギさんへの感謝を話し分かち合えるのが嬉しくてたまりません。

そんな楽しそうな熱気が伝わったのでしょうか。新しくクラスに定期的に通い続ける方が1人、2人と増え始め、先日はスタジオが一杯になるほどになりました!
また長年通っている方がヨギさんを見倣って本当に優しく誠実に皆さんに接してくださっていて、すごくいい雰囲気です。
新たな参加者の皆さんにも改めて感想をお聞きすると、「ヨーガって楽しい!」「1週間に1度のクラスが楽しみ」「クラスに参加するか迷うほど心と身体が重かったのに、ヨーガの後、心も身体も軽くなって驚きました!ヨーガに出会えてよかった!」「(マハーヨーギー・ミッションのブログを読んで)心に響くものがありました。次回はヨギさんにお会いしたいです」とそれぞれの方が嬉しそうに答えてくださいました。


木曜の夜のクラスの皆さん。笑顔が美しい証拠写真がこちらです!

しかし、まだまだこれからです!なぜなら、誰もが本当の喜び、本当の自由を求めているのに、ヨーガに出会えてない人がたくさんいらっしゃるはずだからです!!!1年ぶりにサットサンガに参加されたWさんがこんな感想を寄せてくださいました。「先日家族に『ヨーガを始めて優しくなった。世の中には色々なヨガがあるけど、お母さんがやっているヨーガは本物だと思う』と言われました。嬉しかったです!」

この感想のように私たち1人ひとりが真のヨーギー、ヨーギニーになることで本物のヨーガをもっと多くの方と分かち合えるようになりたいです。ヨーギー、ヨーギニーは一日にして成らず!でも私たちは着実に前進しています!ヨギさんを知りたければあの人をみればいいよ!と私たち1人ひとりがそんな存在になるよう精進していきます!
いつも、どこにいても私たちを至福へと導いてくださるシュリー・マハーヨーギーに心からの感謝を込めて。

アーナンディー


特別サットサンガ in 松山(後編)

松山特別サットサンガの2日目の朝、ヨギさんたちとホテルの一階のバイキングで朝食をとっていると、松山グルバイ(仲間)のアーナンディーが昨日のサットサンガのアンケートをもってやって来ました。
それを読むと素晴らしい感想ばかりで、胸がいっぱいになりました。
ただ、ある方の感想にはこうありました。

「考えが深いから、悩み苦しむのだと思った。気軽に生きたら、楽しく生きれると思った」

私はこの感想に、はっとさせられました。
20代前半くらいの若い方のものでありました。
1日目のサットサンガでは家族や職場関係での質問も多く、若い人から見たら、「なぜ大人たちはこんなに考え、悩んでいるのだろうか?」と感じたのだと思いました。
毎日を楽しく生きていくことができれば、それがいちばんいいに決まっています。
でも大人になるにつれて、なぜかそれができなくなる……
大人は仕事や子育ての義務があるから?
大人になっても、子供のように楽しんで生きることはできないのか?

「楽しむとは何か? また、遊びとは何か?」

2日目の松山特別サットサンガは、そんな問答が展開されました。

質問者「『ヨーガの福音』ーー子供の遊びーーには、子供は結果にこだわらないということで、子供は遊ぶために遊ぶからというふうに書いているのですけれど、子供のようになるには,どんなふうにしたらいいのでしょうか」
ヨギ「子供を表現する時に使われる言葉でよく、無邪気とか無垢といいます。まさにそのようになるということです。それはどういうことかというと、心に計らいがないこと、あれやこれや思わないこと。単純にその目の前の行為に集中して行ない、済んだら忘れるという単純なこと。これに徹していくことができれば、遊びの達人になります」

子供は無邪気、つまり「あれやこれや思わないこと」――
今回の松山特別サットサンガでヨギさんは一貫して、「嫌なことがあったり失敗しても引きずらない、今をより良く生きること」と言われていましたが、それは子供の状態ということだったのです。
そしてサットサンガの後半、「ヨギさん、楽しむことについて教えてください」とシンプルな問いがあり、ヨギさんは次のようにお答えになられました。

ヨギ「有名な古代の聖典の冒頭にこうあります。『かつてアートマンはひとりであった』――アートマンというのは真実の存在のことです。これは形もないけれども実在として確実にこれだけがあるというものであり、みんなの本質でもあるところのもの。しばしばこれを真我というふうに訳しています。本当の自己、本当の自分という意味です――このアートマンだけがあった。しかし彼は、まあこれは彼女でもいいですが、『彼女は一人では楽しめなかったので、自らを二つに分けた。そこに男と女が生まれ、子が生まれ、そして彼女は異なる動物の姿になり、彼もまたその後を追い、その動物の姿となりというふうに、次から次へとさまざまな動物が生まれていき、現在私たちが見るようなこの世界、万物が形成された』という、宇宙の始まりはこうであったというお話でもあります。この原点に、楽しむという言葉が使われているのです。これは別名インドの言葉ではアーナンダといい、楽しみとか楽、あるいは至福、このような意味合いの言葉です。だから、本質が本来至福である、そしてそれを味わうという楽しみは、他者とともに味わうという、万物とともに味わうのが本来であると。なぜなら、すべてのものがアートマンなのだから。そのことを知って、いつもどこでも誰とでも楽しんでください。いつもどこでも誰もが至福でありますように」

ヨギさんから何度も聞いていたこのウパニシャッドの教えでしたが、この冒頭の言葉を聞いた瞬間、不思議と私は歓びに包まれました。
昨年の愛媛の特別サットサンガで私は、胸の奥から熱い思いが湧き、その衝動は真実の自己アートマンからくるものであり、それに近づき、実現したいという思いに駆られました。
それからというもの、瞑想の中で「私はアートマンである」と何度も繰り返していました。
でも、このヨギさんのお言葉を聞いた瞬間、私の思っていたアートマンは本当にちっぽけなものであると気付かされました。
「アートマンともっと楽しみたい、もっと多くのアートマンと楽しみたい、遊びたい!!!」
自然とそのような思いが溢れてきました。

この松山での滞在中、ヨギさんは本当に計らいがありませんでした。
車に乗っている時、食事をしている時、ホテルでくつろいでいる時など、語弊を恐れずに言うとサットサンガがどうなるかなどの心配や不安なんて全く感じられませんでした。
本当に無邪気な子供のように、その時その時を楽しんでおられました。
でも、いつも準備万端!!
サットサンガの時は常に精一杯、真剣に問答をされ、どこでもどんな時でも、かかわる人すべてを至福の渦に巻き込んでいました。
まさに「遊びの達人」ヨギさんを目の当たりにし、ただただ圧倒された今回の師の松山特別サットサンガでした。

一緒に遊んでいただいこと、そして至福の歓びを味わわせていただいたこと、私にとって本当に格別のひとときでした。
ヨギさん、まことにありがとうございました!!!

最後になりましたが、松山の方々、今年も本当にありがとうございました。
昨年同様、今年も皆様の献身の働きにのっかっただけでした。。
でも正直に言います、また遊びたいです!!!

ゴパーラ


松山ヨーガ・サークル 瞑想特別クラス7回シリーズ

3月20日は春分の日でしたね!松山ヨーガ・サークルのアーナンディーです。

松山ヨーガ・サークルでの瞑想特別クラスも3年目を迎え、今年はヨーギーの生き方に学ぶ7回シリーズが2月から始まり、3月18日に2回目がありました。講師はサーナンダさんです。
今回は34名(男8名、女26名、初参加5名)の方が参加されました!
サーナンダさんが「来週は春分の日ですね。昼と夜のバランスがとれているので瞑想しやすい季節です。この頃からヨーガを始めると成就するといわれています」と優しく柔らかい声で話された時、まるで会場に春が呼び込まれたように一気に和やかな雰囲気になり参加者の皆さんが希望で胸が満たされたのが伝わってくるようでした。

瞑想 (1)
おさらいで瞑想の基本を教わり皆で10分ほど座ります。

瞑想のあと、いよいよ本日のテーマ「無執着の生き方」の本題に入っていきます。
全部ご紹介したくてムズムズするほど本当に面白い内容だったので長くなってすみません!
要点としては
1、 ヨーガの極意は執らわれないこと
2、 無執着の秘訣
3、 ヨーギーの日常
という流れでヨーギーの生き方をわかりやすく紹介してくださいました。

最初の導入としてサーナンダさんは十八番のシュークリームを事例に話されました。
「たとえばシュークリームに執着するということは自分がシュークリームの奴隷になっているようなもの。そんな人生、嫌ですよね(笑)しかもたとえばカスタードクリーム系にこだわりがあるとします。するとカスタードクリーム系シュークリームしか食べられなくなる!不自由だと思いませんか?美味しいスイーツがたくさんあるのに、それしか食べられないなんて。なぜ、それにこだわるかというと、たいしたきっかけではないんですね。たとえば好きな人が生クリームとカスタードクリームのダブルシュークリームが好きって言ったらすぐに変わるでしょ?(皆爆笑)そうやって心って変わっていく。こだわりがある方がかっこいいと思いがちですが、心がこれが美味しいと幻想のように執らわれているんです。執らわれ=不自由です。でもヨーギーは執らわれがないから、空っぽで自由自在。何でもできるし何もしないでもいられる。シュークリームを趣味や仕事や考え方、生き方などに置き換えてみればいいのですが、いずれにしても執らわれが自分を不自由にしているのかもしれません。
では、意見や志は必要ないのかというと、自分の意見や志は大いにもつべき。ただ、こだわらないだけです。そうすると違う意見や志も尊重することができる。自分の意見も大事にするけれど、他の人の意見も大切にできる」

サーナンダさんはさらに、よくある日常的な事例として、嫉妬、卑屈、思い込み、過去の記憶など心を乱すものがどのような執らわれによって起こるのか、そしてヨーギーのあり方はどうなのかをひとつひとつ話されました。
最初はシュークリームの事例で他人事のように大笑いしていた皆さんもだんだん、ああ、こんなにも執らわれていたのかと気付かされ、次第に真剣な質問がたくさん続き、サーナンダさんの明快なお答えに唸ったり、考え込んだりしました。

私がとても印象に残ったのはサーナンダさんの次の言葉です。

「無執着の別名は無一物(むいちもつ)です。腹の中に一物もない。腹=心のこと。先ほどの嫉妬などの事例は腹に一物があるということですね。いろんなものが何にもなくなった時が無一物です」そして終盤に話された次の言葉です!「空っぽじゃないといけない世界があるんです。一物をもっていると真理にたどりつけない。物にしても考えにしても、悩みにしても、何かに執らわれていては見失ってしまう。真理は無限の喜びといわれます。ハートに無限の喜びがある人は何にも執らわれないのでしょう」

このように誰もがヨーギーの生き方に理想を抱き、憧れをもって近づけるように励ましてくださいました。参加者の皆さんの声を少しご紹介します。

  • 心のあり方としての無執着について事例をあげていただき、より具体的に理解できた。そもそも条件付きで物事をみてそこに価値を見ていた。真理に沿った心のあり方、無執着に向かってサットヴァ(軽快)になっていきたい。
  • 自分自身、レッテルを貼る。感想を持つ。違いに執らわれる・・・すべて当てはまり茫然自失。でもブッダの憂いを離れた境地に瞑想するというのを今日初めてやってみたところ少しだけ感じられた気がして心地よかった。

サットサンガ
翌日のサットサンガも大変充実した時間で「理想を明確にするには?」「謙虚について」「依存から抜け出したい」など実践に基づいた熱意のある質問ばかりでした。
土曜日の講座と関係する質問でサーナンダさんのお答えで印象的だったものをひとつだけ紹介します。昨日の講座を聞いて、違いに執らわれないということは何となくわかるが、実際なかなか思うようにいかず、いつも執らわれてしまい、全然変わらない。どうすればいいのかという真剣な質問者の問いに対して、サーナンダさんは少し考えられ、次のように話されました。

「本当にカルマの力って強いんです。ヨーガを始めた最初の頃や、聖者にお会いした時、大きな衝撃を心が受けてカルマの力が弱まるということが起こります。やっていけそうな気がします。でも放っておくとカルマの力がまた盛り返してくるかもしれない。心が円柱だとしたら、日常で顕在している心は円柱の上の部分だけですが、心の大部分は潜在下にあると言われています。1回や2回教えを聞いて頭では理解できても、それは表層部分の話で、心は潜在下では全然納得しておらず、カルマの影響を受け続けているかもしれません。少しばかり瞑想しても、心全体をすぐさま変えることは難しいのです。だから繰り返し繰り返し理解を育んで実践して体得していく必要があります。しかしそれでも、潜在下ではカルマの掃除が進んでいるんですよ。それが自覚できるほど表層に変化が表れるには少し時間がかかります。
今はまだ変化していないように感じるかもしれませんが、実践していけば、いつの間にか執らわれはなくなっていきます」

サーナンダさんの謙虚さと誠実さを感じた濃密な2日間。そこには常に師であるヨギさんを見倣う姿がありました。
そして敬愛するヨギさん、さらに熱意を込めて実践を続けることで感謝に代えさせていただきたいです!いつも本当にありがとうございます。

アーナンディー


瞑想を深めよう!3回シリーズ最終回(松山)

少し前になりますが、松山ヨーガ・サークルでの瞑想特別クラスも9月17日(土)、18日(日)に最終回を迎えました。ちょっと長くなりますがレポートします。アーナンディーです。

講座は35名(男性8名、女性27名)の方が参加され、最終回にも関わらずチラシをみた方や口コミで初参加の方が7名も来られました。瞑想への関心の高さが伺えます。
さて、今回の講座は「一点集中を極める!」がテーマです。1回目で理想、志について考えました。2回目で生活を調えるという実践を学び、3回目は足元が調ったら理想に向けて没頭していきます。
心は思っているものになります。苦しい、苦しいと思っていたら心はそうなってしまいます。だから常に理想について思うことがとっても大事です」と講師のサーナンダさんが話されヨーガの一点集中と瞑想の目的について分かりやすく教えてくださいました。

「瞑想は心の中に潜っていくようなものだと言われます。いつもは心は海面でチャプチャプしているようなものですが、どうやって潜っていくかというと、集中によって潜っていくのです。海とか川で初めて潜ったときは必死で無駄な動きも多かったと思います。でも慣れてくれば力を抜いてすっと潜っていける。瞑想も同じで初めはじたばたしているけどコツがわかってくるとスッと集中できるようになっていきます。最初から無念無想になれるわけではなく、真理に集中していくことで思いの一つもない寂静の境地になっていくのです。それがヨーガの目的であり、瞑想の目的です」

さらに散漫な心を理想に向けていくことで心の思いを一つにしていくという一点集中の話があり、そのあとで「直観知」の話があり、「瞑想では心は対象の本質を知る、対象に成るということが起こり、例えば、他人の目を気にしてしまうという悩みに徹底して瞑想していけば、他人の目を気にしない心になって帰ってくる」と瞑想には心を変える力があることを力強く話されました。「その源は集中力、思いの強さです。頭の良い悪いも関係ない。ヨーガの知識があるか、ないか、過去がどうとかも関係がない。集中が大事です!」
「その集中力をつけていくために繰り返し実践していくことで瞑想も面白くなっていくし、手ごたえを感じていける」と熱く話されるサーナンダさんの熱意が参加者の皆さんへと伝わり、皆が鼓舞されました!

松山瞑想
今回は30分の瞑想に挑戦しました。

講座後のアンケートをご紹介します。

  • 一点集中、自分の理想を追い求める、自分との闘いなど、心に響くお話しで前向きなエネルギーをいただくことができました。(初参加の方)
  • 今回の瞑想特別クラスは本当に力強い3回でした。今、この瞬間から闘いに勝つための努力をします。今までは負けることばかり考え続ける癖があったと思います。この癖にも負けません!!毎回、覚悟と勇気をいつも授けてくださって本当にありがとうございました。
  • 「平安になりたい、静寂になりたい」と思いヨーガをしている感じです。しかし最近ふと「苦しみがなくなればヨーガをしなくなるのか」と思う時がありました。「動機背景のない行為」からが本当の勝負というお話を聞き、すごく腑に落ちました。自分の理想に近づけるようにアーサナや瞑想を継続していきます!!

講座を受講された皆さんの心の中に自分の心との闘いに勝って理想や志の方に向かわなければならない!と熱い思いが芽生えていたのが印象に残りました。

さて、2日目のサットサンガは17名(男性3名、女性14名)で3回シリーズを継続して参加された皆さんばかりでした。参加者の皆さんのほぼ全員の方が質問され、その内容も瞑想の実践をしている中で、上手くいかない葛藤があり、どうしたら前進していくことができるのかという具体的な質問が多く、サーナンダさんはとても丁寧に答えてくださいました。誰もに当てはまる心の状態を「何度も同じことを聞いて申し訳ない」と言いながらも勇気を出して質問してくださったDさんは、なかなか心が変わらないしアーサナも瞑想も集中できない、今の状況をなんとかしたいと真摯に質問されました。
サーナンダさんは誠実におっしゃいました。
「皆、そんなものです。Dさんだけでなく、皆じぶんがちっとも変わらないことに気づいて悩みます。その、〝どうしたらいいんだろう〟という苦しみが集中の源になります。頭で考えてなんとかなる問題はそれでいい。頭で考えてなんとかならないから、集中が起こるのです。なぜこの問題が繰り返し起こるのか、なぜ苦しむのか、どうしたらいいのか、心をじっと見つめていくのです。すると自分が掴んでいる思いが見えてくる。今の状況が決して悪いわけではなくて、これから本当の瞑想に進んでいくんです。それでいいです」。
Dさん「問題はどうでもいいことなんですか」
サーナンダさん「執らわれている問題は解決していかないといけない。例えば執着しているならなぜ執着しているのか、みつけないといけない。単純にこれは無知だから、エゴだからではなくその正体を掴んだ時にはじめてこれがエゴなんだと分かる。その時、真理の教えと照らし合わせる。手放したほうがいいか、掴んだままがいいか、心に突きつけることになる。1回や2回でできないです。ずっと見続けることによって、集中を持続することによって、心の奥にある精妙な思いが見えてくるのです。その時に、サーナンダさんは何て言ってたっけ?とレジュメを見てしまったりすると集中が弱まってしまうのです。そうではなくて、自分の心が何に苦しんでいるのか必死になって切実に感じ取っていく。真剣にその問題に向き合っていくことで、その正体が捉えられる」
Dさん「切羽詰まった感がないんですか?」
サーナンダさん「切羽詰まった感はあるけど、答えを導き出そうとあれこれ頭を使ってしまっているような気がします。もう十分教えを学んだのだから、誰かに聞くのではなく自分で見つけ出す覚悟を決めればいいと思います。他人に聞いたらぼやけて粗大なところに戻ってしまう。他人はヒントは与えられても、その答え自体は与えられないから。ずっと考えていたらひらめきがやってくるかもしれない。でも答えが得られるかどうかもわからないんです。だから必死になる。自分で答えを見つけるしかないんです。その葛藤は闘いですよ。でも本当に解決したい問題は真剣に向き合っていけば、原因であるエゴや無知に行き着きます。だから、それに向き合って答えが出るまで持続するのがポイントです」

松山サットサンガ
毎回、真剣だけど軽やかなサットサンガ。

その後も瞑想について、信仰についての真剣な質疑応答が続きました。
サーナンダさんから明確な答えをいただいて安心した方、識別について具体的に何をするのか理解が深まり、同時にまた強い信仰心を育んでいくことの大切さを痛感したという方もおられました。
そして3回シリーズは終わってしまったけど近いうちに、またサーナンダさんに来ていただけると有り難いという多くの声を聞くことができました。
サーナンダさん本当にありがとうございました。
そして、私たちを導いてくださっている京都の師、ヨギさんに心からの感謝を捧げます。

アーナンディー


松山の瞑想特別クラス+サットサンガの3回シリーズ2回目!

この暑さに負けることなくヨーガへの情熱を燃やしたいと願う松山のアーナンディーです。
(なんだか暑苦しい登場ですみません!)
7月30日(土)、7月31日(日)に松山で行われたサーナンダさんの2回目の瞑想特別クラスとサットサンガをレポートします。(またまた長くなってしまってすみません!)

1日目は33名(男性6名、女性27名)の方が参加されました。1回目の6月の講座やサットサンガがよかったと口コミで聞いて新しく参加された方もおられました。6月の講座では「生きる目的」について瞑想しましたが、今回は生活を変える瞑想の力!がテーマでした。
7月講座1さあ、これから15分瞑想していきますよ~。

印象に残ったのは、昨年の4月からずっと熱心に参加してくださっているSさんが、時間は自分で作ることについて、ご自身の日常の瞑想を楽しそうに生き生きと話されたことでした。

Sさん「この瞑想特別クラスに来始めて瞑想が変わりました。前は瞑想しようとしても眠かったんですが講座を受けて自分の瞑想が間違っていたのがわかり、姿勢が良くなって瞑想が一気にできるようになりました。また食事も簡単に切り替えたんです。前は食事の支度に45分くらいかかっていたけど、今は作る時間は5分~10分にし、それでも美味しいと言って皆が食べてくれます。私も体力的にその方が助かるし、そうやって時間をつくっていきました。睡眠時間も聞くところによると3時間寝たらいいらしいので、眠れなくても瞑想でもしようかなという気になって座るようにしています。特に家族が寝静まった夜の11時くらいから瞑想すると50分くらい瞑想に入り込めるようになりました。今日のサーナンダさんの話しを聞いて、そんなに食べなくてもいいとか寝なくていいというのがすごくよく分かるんです!」

私は講座の後、改めてSさんとお話しをしたのですが、親の介護をしていて一緒に寝ている母親がお手洗いに起きたらSさんは寝られなくなるそうです。でも「今置かれた状況の中で瞑想の時間を作っていく他ないしね!でもね、昼間は横になることもあるんよ」と明るく笑うSさんの言葉を聞いて正しく学んで実践してこられたからこその信念と力強さを感じました。

瞑想22回目の瞑想は30分間!心地よい静寂に包まれながら。

講座後の感想は前向きな声を多くいただきました。

  • 瞑想と行為の両輪でやっていく大切さがわかりました。実践します。
  • とにかく実践してみようと思った。できなくても諦めないでいようと思った。
  • 少しずつ日常の中でできることを取り入れてきたつもりだったけど、まだまだ変えられることがたくさんあるということ、また自分自身に甘いなということに気付きました。楽しみながら日常の中で実践につなげていきたい。

さて、2日目のサットサンガは19名(男性4名、女性15名)の方が参加されました。皆さんの質問が途切れず50分延長の約3時間に及ぶ熱意に満ちた時間となりました。

今回はバクティとグルの導き、信仰についてのお話しが印象的でした。
最近、アーサナのおかげで心が静かになってきたという女性Iさんに対して、サーナンダさんがバクティとグルの導きについてお話しされました(要約)。
「ラージャ・ヨーガ的にはそれでいいのですが、もう一つバクティ・ヨーガというのがあります。バクティにはグル(神)の導きと恩寵があります。グルの導きは計り知れないものです。グルが与えてくれる力こそが最も頼りになります。どんなに苦しんでいてもグルが一瞬にして活力を与えてくれるのです。自分の力って知れています。グルの教えをどれだけ信仰しているのか、教えを信頼して力にしていけるのかです。ヨーガをやっていくと、まだ目標に達していないけれど世間のことに興味がないという宙ぶらりんの状態になることがあります。その時バクティがあれば楽に進むことができます」
Iさん「バクティ・ヨーガは難しいと思ってしまう。(昨年の講座で教わった)対象に恋愛の気持ちを持つというのがよく分からない」
サーナンダさん「親が子供を思う気持ちもそうだし、子どもが親を愛する気持ちもそうです。その愛の感情を神あるいは聖者に向ければいいのです。バクティ・ヨーガは本当に力があります。理屈ではなくて、聖者のハートに瞑想していけば衝動のように自分の中に既にあるバクティが目覚めるのです。喜びに溢れるのです。聖者のハートに瞑想していく醍醐味はそこにあります」

7月サットサンガ2日目のサットサンガ。質問者Tさんの素朴な本音に思わず笑いが起こります。

また、別の女性Oさんの質問で「自分が苦しむ原因を考えた時、周りの状況に依存していることに気付いた。自分の足で立っていかないと問題が変わっても苦は続く。自立したいと思った。強くなりたい。目の前の人に優しくなりたいと、そういうものが自分の中にある!強さ、優しさはヨギさんと同じものがあると思って瞑想している。日常は昨日の講座で教えていただいたものをやっていきたい。自立できるようになるためにはどうしたらいいですか?」
サーナンダさん「信仰、ヨギさんへの信仰を育んでいかれればいいと思います。心は何かに寄りかからないと自立できません。常に何かを思わないといけない。変化するものに寄りかかると動揺しますが、変化しないものに寄りかかれば動揺しなくなります。信仰を拠りどころにすればいいと思うのです。それに寄りかかっていきたいという思いは発心です。最初は弱いかもしれない。信じている時もあれば弱くなる時もある。でも続けていくことで確かな基盤ができていきます。教えは生きた聖者の口からから発せられたのですから、その存在にこそ心を寄せていけばいいと思います。心を寄せ、いつも思う。そうしていくのがバクティの基本です。聖なる存在に対する信頼、憧れ、素朴な好きという感情を大事にされたらいいです」(要約)

サーナンダさんの言葉がその場にいる皆の心に深く浸透していくのを感じました。講座もサットサンガもサーナンダさんの言葉や揺るぎない実践の一つひとつにヨギさんの溢れる恩寵を感じ、感謝で胸がいっぱいになる2日間でした。
「松山瞑想特別クラス 瞑想を深める」3回シリーズの最後は9月17日(土)「一点集中を極める!」です。翌日、9月18日(日)はサットサンガです。松山の皆さんとお互い助け合って励まし合って、でも軽やかに毎日、実践を繰り返していきたいと思います!

サーナンダさん、濃密な2日間をありがとうございます。
ヨギさん、いつも私たちを導いてくださってありがとうございます。
NYのヨギさんに感謝が届きますように!!!

アーナンディー


松山の瞑想特別クラス+サットサンガの3回シリーズ開始!

今年の梅雨は本当に雨がよく降ります。松山のアーナンディーです。

6月18日(土)、19日(日)にサーナンダさんが松山での瞑想特別クラスとサットサンガ開催のために京都から来てくださいましたので、少し長くなりますが、そのレポートをしたいと思います。
約一ヶ月前の5月21日(土)、22日(日)に松山で行われた私たちの師、ヨギさんの特別サットサンガ以降、梅雨にも関わらず熱心にクラスに通う方が増え、今回の瞑想特別クラスは1年以上継続して学んでこられ、ヨギさんの特別サットサンガにも参加された方が大半という熱い集いになりました。

まずは1日目の瞑想特別クラスの内容を振り返ってみます。
サーナンダさんの講座はいつも導入がおもしろいのですが、今回は「瞑想は心のお風呂のようなもの。毎日、その日のしがらみを落として心を理想(原点)にリセットしましょう」と始まりました。参加者の皆さんの「瞑想したくなるモード」に一気にスイッチが入ります!今までの講座では瞑想の対象を丁寧に学んできましたが、今回は「生き方を見つける」がテーマです。サーナンダさんは3回シリーズの講座の全体像としてStep1からStep3まで話されました。2,500年前のブッダの科学的な教え、八正道を学んでいく力強いシリーズです!
Step1は生きる目的、意味を瞑想して自分の理想、志を見つけていきます。(八正道の正見)

『真実を求めて』の読者の方が多いこともありサーナンダさんは著者ミラバイさんの話を用いて「ミラバイの場合、ヨーガの教えを聞いても簡単には納得しなかった。聖者の教えを聞いても聞くだけでは心の動揺は静まらない。心はいい話を聞いたら知的に満足してしまい、不満のエネルギーがなくなって瞑想へのエネルギーがなくなる。でもミラバイの場合は知的な理解ではまったく満足できなかった。自分が何のために生きているのか分からずずっと動揺していて、確かなものを求めてその思いが臨界に達するほど集中が高まった。・・・
今回のシリーズでは年齢やキャリアも忘れて、少年少女になって理想や志を見つけていってください」と話されました。サーナンダさんの柔らかくも熱意のある口調に参加者の皆さんがどんどん引き込まれていきます。
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わかりやすい講座に納得!

Step2は生活――衣食住に瞑想し足元を調えていきます。(八正道の正思、正言、正業、正命)
Step3は足元が調ったら理想に向けて没頭する。(八正道の正精進、正念、正定)
※Step2は7月30日(土)、Step3は9月17日(土)に学ぶことができます!
さて、サーナンダさんは八正道でまず最初に大事なことは正見と言われました。自分の心が何を求めているのか、どう生きたいかを自らに問いかけていく時に「自分が何を求めているのかごまかさず丁寧に問いかけていく」「必死でやらないとみつからない」そして「理想がみつかったら、本当に求める価値があるものなのか、ヨーガの教えと照らし合わせてみること」と実践とその具体的な方法を教えてくださいました。
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理想について瞑想しました。

講座後の皆さんの感想をご紹介します。
・理想に集中、瞑想するということがとてもわかりやすいと思った。前回の講座の後から毎日、少しずつ座るようにしてきたので今回のお話しがよく分かったのかな?と思いました。これからも続けていきたい。
・知識で埋めていたことに光が当たりました。
・今日の講座は本当に本当に勉強になりました。最初の瞑想でいろいろ理想が出てきたのですが突然、真の理想に気づいて、それがヨーガの理想やこれまで教えていただいたこととぴったり一致しました。すごく神秘的な体験ができて、これまで自分がなぜ瞑想に興味を持ち続けて、実践してきたのかが、やっと分かりました。つぶつぶの理想がヨーガの理想の大きな一つと重なって志が強くなったように思うので、日々、また毎日毎日座って、自分がその理想の姿になれるようにしたいです。
・「理想の自分、志を見つける」ということの大切さを日々感じています。それが分かると力が沸いてくるし、日々が楽しいし、生きているって実感があります。ヨギさんがヨーガを検証されたその原動力となった「並々ならぬ志」の話にすごく胸が熱くなりました。私もそんな志にしていきたい。そしてヨギさんが「この時代の中でブッダのように生きよう」と決めたように「どう生きるのか」答えが明確に見えるようにサーダナ(アーサナや瞑想)、カルマ・ヨーガ、バクティ・ヨーガに取り組んでいきたい。

2日目のサットサンガは5月の特別サットサンガの祝福を実感する感動的な時間でした。5月にヨギさんから教えていただいたことをじっくり考え実践した中から出てきた質問が多く特に平等についての質問が続きサーナンダさんは心を見るより理想に憧れることが大事でどのようにしていけばいいかを話されました。どの質疑応答もご紹介したい誰にも当てはまる内容だったのですが、印象に残ったものを2つだけお伝えします。

私の理想は平等ですというSさん。「今、私の思いを挟まずに物事をやっていくというのを実践しています。頂上は完全な平等ですが、今は感情を挟まずに目の前のことをする!というのでいいですか?」という質問に対してサーナンダさんは「それでいいと思います。ヨギさんはいつも公平で同じ態度で接しますよね。どんな心だと思います?ヨギさんの心に憧れて、そっくりそのまま自分のところにもってくるのでいいと思いますよ。ダイレクトに平等な心を感じていくようにすればいいと思う。平等って何なのか、瞑想の中でもいいし感じていく。遠いものと思わないように。そして平等じゃないということは優劣をもっている。好き嫌いがある。それはなくしていかないといけない。識別は自分が不平等であるというところから始まるけれど、逆に単純にシンプルに平等の境地に憧れてやっていけばいい。いちいち平等じゃない心を取り上げて識別するのも癖になっていくし、自分の不平等なところを見続けると不平等な気持ちを逆に強くしてしまう。どうやったら、その理想という姿になれるんだろうかという、ものすごい憧れによって識別が成功する。理想の思いをもっともっと強くして必死になっていけばいいと思う。あんまり深刻になってもあかん。真剣に軽やかに」
その後も途切れることなく質問が続き、サットサンガの終盤に初参加のKさんが口を開きました。Kさんは自律神経を乱して4年間不眠に悩まされ、病院に通って3~4日に一度眠れるようになってきたが、不調になった理由は信じていた人に裏切られ自律神経が乱れるほど人を憎んでしまい今でも許すことができない。でもそのままでいいのか、自分でもよくわからないと深刻に話されました。
サーナンダさんはしばらくの沈黙のあと優しくKさんに尋ねました。「どうなりたいと思ってはります?」
Kさんは「許すことができないと自分で決めてしまっている」と即答され、それに対して、サーナンダさんはゆっくりと誠実に話されました。「苦しいですよね。私がヨーガを始めて最初に学んだ教えが世の中、自分の思い通りになりませんということ。人の心もそうです。でも自分の心なら思い通りになる可能性がある。心が強く思ったことは心の潜在記憶に刻み込まれる。強い印象や繰り返した印象は心を束縛してしまい神経や身体を壊すほどになってしまう。でも一瞬前も過去にすぎない。一秒一秒過去になっていく。過去を変えることはできない。過去は実在しないんです。そんな実在しない幻のようなものに執らわれているのは情けない。本当にもったいない。勇気をもって過去を手放していかないといけない。手放さなければ、自分自身を傷つけたまま生きていくことになりますね。もう過去ですから、実在しない。誰しもが理不尽な経験があるかもしれないけど、もうお互い十分苦しんできたと思います。また新たにお互いを生きていくのがいい。解放されたら速やかに身体も回復していくと思います。本当に心の力って強い。悪く働くと身体を壊す。よく働くと喜びに満ちる。
もう一つはアーサナが自律神経を調えてくれる。夜と昼のバランスが調えられる。アーサナによって速やかに改善されるたくさんの実例をみてきました。
本当に人生、心次第って言いますけど、この世界を天国にするのも地獄にするのも心次第。一瞬で変わります。刹那は600分の1秒といって、瞬間瞬間変わっている。言い換えれば瞬間的により良く変われる。念なんですね。よく死んだ気になってと言われる。もう一回生まれ変わる気になって、それくらい心の力を発動させる。切羽詰まった、どうしようもない時、生まれ変わることができる。一瞬で生まれ変わることができると言われています」
ヨギさんと一体になってただただ他者のために尽くされ話されているサーナンダさんの姿がありました。この濃密な2日間で理想に向かって大胆に積極的に前進していくよう励ましてくださいました。どれだけ参加者や私たち松山スタッフのことを考えて引っ張っていってくださっていることか、私はサーナンダさんの並々ならぬ志を感じました。サットサンガ直後、しばらく動けない状態になるほど感極まった参加者の皆さんの表情が印象に残っています。
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真剣な質疑応答の中にも時々サーナンダさんはユーモアを交えて話してくださいます。

このサットサンガの3日後にKさんはクラスに来てくださいました。別人のように表情が明るくなっていました。このヨーガへのご縁によって1人ひとりの命が輝く人生を取り戻すことができるということを改めて実感しました。
サーナンダさん2日間本当にありがとうございました。
そしていつも導いてくださるヨギさんに心からの感謝を捧げます。

アーナンディー


愛媛サットサンガ(3)

愛媛の特別サットサンガの最終日は今治。
ゆるキャラのバリィさんに象徴される今治は、タオルや造船、やきとりが有名なしまなみ海道の町です。
会場の山本さん宅に入ると、ちょっとお年を重ねた方が多いような気が……
それもそのはず、名簿を見ると70代の参加者だけでも10名近く……(驚き!!)
でもみなさん、色鮮やかなミッション40周年Tシャツを着て、何だかとても可愛らしい。(←お世辞ではありません。ヨーガ行者は嘘は言いませんから笑)
会場は幾分、和やかな空気感でしたが、サットサンガが始まるとそのムードは一転、皆がヨギさんに集中し、真剣な問答が展開されました。

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その内容は、身近な人を亡くした方が多かったため、死に関連した問答が多くありました。
「亡くなった人と、どのように付き合っていったらよいのか?」「お経を唱えるとは?」「来世に修行をもちこしてもいいのか?」
死についての問答は松山でもありましたが、ヨギさんが説かれることは一貫しているように思いました。
それは、「死を正しく理解すること」です。
この今治のサットサンガでは、以下のように説かれました。

「死という問題がありますけれども、生まれた者はいずれ死にます。これはこの宇宙、すべての掟です。死なないためにはどうすればいいのか。生まれないことになります。でも、誰もが生まれてきてしまったんですから、この死という問題には直面せざるを得ません。やはり、死というものを正しく理解する必要があります。死を恐怖するだけではだめです。不安に思うだけでもだめです。正しく理解すればいいんです。死というのは肉体がなくなること。肉体から命が去ってなくなること」

そしてヨギさんは、もっとも大切なことを説かれました。

「その本体である魂は決して死なない。決して殺されることはない。どんな爆弾をもってきても破壊されることもない。そんな不死の永遠の存在がそれぞれの本質、本性です。神そのものです」

私は愛媛へ出発する日、「今までで一番心に残っているヨギさんの言葉は何ですか?」と、ある方から尋ねられました。
その時突然、「本当の自分とは、この身体でもなく心でもない、その奥にある永遠の存在」という言葉が浮かび上がってきました。
私はその言葉が今までで一番印象に残った言葉であるとは思ったこともなかったので、驚きました。
そのままを伝えたらよかったのですが、それを口に出すことができませんでした。

大袈裟に聞こえるかもしれませんが、この今治のサットサンガが終わった時、そこにあったものはヨギさんの振動だけでした。
私は愛媛の3日間、胸の奥にずっと熱いものを感じていました。
それはヨーガを始めた頃に感じたものと同じ感覚でしたーー「これがあれば、どんな宝石も財産も名誉もいらない」、そう思えるものです。
私は改めて、この愛媛の3日間を振り返り、胸を熱くさせるものがどこから来ているのか、それが何なのか、確信しました。
それこそが、「不死の永遠の存在」だと!!!
そしてヨギさんはいつもずっとそれだけを説かれ、それに目覚めるように皆を導かれている。
クレイジーともとれるこの真実を真剣かつ誠実に述べている人に、私は未だかつて会ったことがありません。ヨギさん以外に!!!

この愛媛の特別サットサンガは、愛媛のグルバイの方々の長年に渡る準備と、ヨギさんへの純粋な思いがあってこそ、実現したものでした。
愛媛の方々の働きは本当に誠実そのもので、京都から来た私はそれに乗っかっただけでした。
ヨギさんの存在とお言葉、そしてグルバイこそが真の宝であり、希望であり、祝福であり、どんな爆弾にも負けない至福の爆弾だと感じる3日間でした。
本当にありがとうございました!!!(終)

飯尾洋平


愛媛サットサンガ(2)

「この人生で、もっとも大切なものは何でしょうか?」

家族や恋人、仕事、お金、または神……その答えは人の数だけあるのかもしれません。
でもたぶん、自分が幸せを感じることが、その答えであるように思います。
生きている限り、人は必ず幸せを求めていると思います。
でも、なぜかその幸せは続かないし、また得られない。
満たされることはなく、結果は苦しむことがほとんどです。
では、どうしてそうなってしまうのでしょうか?
愛媛の特別サットサンガ二日目は、この人生の難問についての問答がありました。

サットサンガ二日目は、昨日に引き続き、松山ヨーガ・サークルで行なわれました。
二日目ということもあり、昨日よりも会場の雰囲気は和らぎ、心地よい集中感がありました。

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昨日に続いて2回目の方〜!

そんな中、ある男性の方が次の質問されました。

男性「心は道具として使うということなんですけれども、結局僕らは上手く使えてないから苦しみの中で生きてしまっていると思うんです。人の本性が真理であったり神であったりするならば、なぜ苦しみが次々生まれて絶えることがないのかということがすごく疑問で、その点についてお伺いできればと思うんですが」

ヨギさんのお答えは、「真理ではない間違った智慧、これに心がすがって、そこからさまざまな欲望を紡ぎ出し、それに執着した挙げ句、結果として苦しみに至る」という、「真実を知らない無知」が苦しみの原因であるというものでした。
心は常に変化する世界や肉体が永遠であると思い、またエゴを自分であると思っていることがその間違いであるとヨギさんは説かれ、そして「幸せ」について、以下のように言葉を尽くして答えられました。

誰もが幸せを願って人生の中で努力をしていると思いますが、その幸せや喜びというものが本当に永遠であるのかどうか、完全であるのかどうかといえば、つくりあげられた幸せもやはり、この世界と同じように状況の変化の中で刻々と姿を変えます。つかの間の喜びは、やがて苦しみや悲しみに変わることはある。またこの世界は最近も起こったように天災もあれば、どうにも人間の力では敵わないような出来事も起こります。そんなことに接すると心も痛むし、苦しみ悲しみも起こります。しかしそれらも、いわば変化の一相なんです。いいときもあればよくないときもあります。東洋の農業国にとっては雨は必要なものだし、農作物を豊かにもしますが、それが増えすぎると洪水にもなって人の命も奪うこともある。包丁も美味しい料理を作ることができれば、人を傷つけることもできる。何事にも二面性があります。一方的にそれが善であり、悪であるとも言いがたい。しかし心は何かしらに執着をして、それにとりすがってしまう。それは正しく見れていないから。その結果、思うようにならない時に苦しみ悲しみを感じてしまうわけです。心はそんな間違いを原点としながら、儚いことも知らずにこの世界の中でいろんな喜びをつくりあげようとしています。そうしてそれにすがってしまうんです。それに執らわれてしまうのです。それが苦しみとなるわけです。そのような無知、そして無知から生じた煩悩、つまり欲望や執着というものを自分がつくり出したにもかかわらず、それらによって自分が苦しんでしまうというのが先ほどの問題の答えなんです。
ここに苦しみから脱出する方法も暗示されています。つまり、無知を無くせばいいわけです。簡単な話です。正しい智慧、真理を学べば、無知は無くなるわけです。そうすれば儚いことを追いかけることも、それに執らわれることもないし、心は混乱することもないのです。

なぜ人はこの人生において幸せを求めているのに苦しむのか、またそれをどのように無くせばいいのかーー心や世界の二面性を正しく見ることによって、つまり真理を学ぶことによって無知が無くなり、苦しみから抜け出せるーー
この人生の難問についてここまで分かりやすく、また確信をもって答えるヨギさんのお言葉に、参加者は真剣に聞き入り、会場の集中度はピークに達していました。
しかし、ヨギさんはそれを解きほぐすかのように、以下のように話されました。

と言葉では簡単に言えます(皆大笑)。実際は心というのは、なかなかそれをこうだよと理屈で言ってもそのようになってくれない。これが厄介なところ。だから少々時間も必要です(皆笑)。そして学ぶことも、昔の言葉で言う修行といいますけれど、やっぱり少しは努力をしなければなりません。なぜならこの無知というものは昨日や一昨日できたものではないのです(納得や驚きの声)。もうおよそ想像がつかないぐらい昔から輪廻転生してきている、生まれ変わって何度も何度も繰り返し生まれ変わってきているこの中で形成されてきているわけですから、心そのものをすっかりクリーンアップするにはちょっと手間も時間もかかることを覚悟してください。
だけど、この智慧に人生において出会う縁をもったということは、その生涯においてそれを達成することができるという希望です。必ずできます。

私はヨギさんのこの「希望」という言葉を聞いた時、天井から何かが降ってくるような、そんな感覚がありました。
それは「祝福」でした。
ヨーガと出会ったこと、そしてヨギさんと出会ったこと、この人生においてこれほど吉祥なことはない、そう感じました。
私だけではない、会場にいるすべての人が「祝福」され、ヨーガに「希望」を見いだした瞬間であったように感じました。

サットサンガが終わって、ヨギさんに「今日のサットサンガ、どうだった?」と尋ねられ、この時感じたことを話そうとすると、不思議と胸の奥から込み上げてくるものがありました。
言葉に詰まりながら「松山が祝福されたと感じました。会場にいた人は皆、ヨーガをやっていこうという気持ちになったと思います」と話すと、ヨギさんは笑顔で一言、「松山まで来た甲斐があったな」とおっしゃいました。(続く)

飯尾洋平


愛媛サットサンガ(1)

5月21日、22日、23日の三日間に渡り、ヨギさんが愛媛を訪問され、特別サットサンガが行なわれました!
これは愛媛の方々の念願であることはもちろんですが、私の念願でもありました!
なぜなら愛媛は、私が京都の大学に進学するまで過ごした「地元」だからです!
そして今回、私は京都から師に同行させていただくという幸運にも授かり、本当にドキドキとワクワクで胸が高鳴っていました!

愛媛での特別サットサンガは、最初の二日間は松山、三日目は今治で行なわれ、申し合わせたように45名を超える参加者が集いました。大袈裟ではなく、この三日間とも質疑応答は全く途切れることはありませんでした。どの参加者も真剣かつ誠実にヨギさんに質問し、そのヨギさんのお答えは大変素晴らしいものでした。そのすべてをご紹介したいところなのですが、このブログでは特に私の印象に残ったことをお伝えしたいと思います。 

一日目の松山、その会場は松山ヨーガ・サークルでした。
2005年から発足したこのサークルの拠点になっているスタジオは、松山の一等地である松山市駅のすぐ近くにあります。
京都でいえば四条河原町、東京でいえば新宿アルタ前といったところでしょうか? 地元の方なら本当に驚くような中心地です。
この日は初日ということもあり、参加者はヨギさんと会える歓びと期待、また緊張が入り交じったある種、独特の雰囲気が会場全体を覆っていました。

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スタジオは満員!

そんな中、二番目に質問したのが、去年の二月に京都のサットサンガに初参加したDさんでした。
その京都のサットサンガの時にDさんは、幼い頃から母親の言葉に傷付けられ、今は介護が必要な母親にどのように接していけばよいかと質問し、ヨギは「過去に執らわれないこと。どんなことを言われようと奉仕すること」とお答えになっていました。
Dさんはこの一年間、ヨギさんのお言葉を胸にもって母親に接し、母が嫌いだという思いはなくなってきたが、自分自身のことを思っている不純さと、真理からいちばんかけ離れているお金に対する執着が抜けきれなく、どうしたらいいのかと質問をしました。

ヨギさんは即座に次のように答えました。

「もったいないね。そんなこと思っている、それだけでも時間も精力もご自身の人生そのものがもったいない。そんなことやっている暇はない。そんなのどうでもいいこと! はっきりそこでそんなことに執らわれないようにする。そうして心を教育していかないといけない。あぁ、もったいない! あぁ、本当に目の前に宝物があるのに!」

厳しさもあるお言葉でしたが、Dさんは一瞬にして何かが落ちていったように、その表情はとても晴れやかになっていました。
Dさんとは去年の二月に京都でお会いして、その後松山でのクラスに熱心に参加され、また瞑想特別クラスの際は積極的にお手伝いをしている姿や話などを見聞きしていたので、その良い変化は京都からでしたが感じていました。
ヨーガは実践だといわれますが、真理の教えはすぐには身に付かないのが大半です。そんな葛藤から生まれたこの質問とこのヨギさんのお言葉はサットサンガの醍醐味そのものであると感じました。

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参加者のみなさんがヨギさんを食い入るように見つめていたのが印象的でした。

その後サットサンガは、死の恐怖というところから苦集滅道の教えがあり、また輪廻転生や宗教の本質についてのことが話され、最大延長の二時間半のサットサンガになりました。
ヨギのお言葉に涙する方、目が点になっている方、納得してうなずいている方、いろんな反応がありましたが、質問をせずに下を向いて座っている人もいました。
その下を向いていたのが私の母でした。

実は私の母は約二年前から松山ヨーガ・サークルのアーサナクラスに通っており、今回ヨギさんに初めて会いました。
質問はしなかったし、下を向いていることが多かったので、「ちゃんと聞いているのかな?」と思っていたのですが、サットサンガが終わって数時間後に電話をして「今日はどうだった?」と聞くと、「ヨギさんの声がよかった。若々しかった! 笑いもあって、ヨギさんてこういう人なんだというのが少し分かった。空の教えや苦集滅道の話が分かりやすかった」と話し、電話越しの母の声がいつもよりイキイキしているのが分かりました。
何だかそれがとても嬉しかった一日目のサットサンガでした。(続)

飯尾洋平