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偉大なバクタ ミーラー・バーイー

最近家にいる時間が多くなり『ミーラー・バジャン』をゆっくり味わうように読んでいます。
ミーラー・バジャンとは中世のインドに生きた聖女ミーラー・バーイー(1498-1546)がクリシュナ神に捧げた愛の歌、讃美歌集です。日本ではあまり知られていませんが、インドでは教科書にも載っており知らない人がいないほど有名で、マハトマ・ガンディーも彼女の歌を愛されてよく歌われたそうです。

以前、ミーラー・バジャンをよく読んでいた頃は、ミーラーのクリシュナへの純粋な愛や何ものをも恐れぬ神への信仰心に憧れ、また詩の情景や言葉の美しさに惹かれて読んでいました。今回改めて読んでみると、そのほとんどが苦しみの中にあった生涯で、ただ唯一クリシュナだけを求め続けたミーラーの心情が私の中に流れ込んでくるように感じました。

長く戦乱が続くラージャスターン地方の小国の王女として生まれたミーラーの人生は苦難の連続でした。強国だった隣国の王子と政略結婚を余儀なくされ、夫の戦死後は婚家で迫害を受け続けました。何度も命を狙われることさえあったようです。その理由として、当時のインド社会では夫を亡くした女性は婚家で疎まれたことに加え、ミーラーが婚家の宗教に改宗することなく、幼い頃から信じていたクリシュナ神だけを愛し、婚家の妃としての役割を果たさなかったことにあったようです。

ミーラー・バジャンには、クリシュナへの純粋な愛や献身を歌った詩やクリシュナの愛に満たされる歓びを歌った詩もありますが、クリシュナを求め続けてもなおクリシュナとの合一を果たせない苦しみを詠んだ詩が多くあります。
苦難に次ぐ苦難の日々の中でクリシュナだけを求めるミーラー。クリシュナの愛に満たされたと思った次の瞬間にはクリシュナの面影は跡形もなく消え去ってしまう─。
次の詩からはそんなミーラーの心情が伝わってきます。

なぜに 私は眠りえん

恋人を待ち 見続けて
夜はすぎゆき 朝となり
友はみな来て 諭せども
なぜに 心は聞きえよう
主に逢えぬなら 眠りえようか
心は嘆きに 満たされて
体は細りて 途方に暮れて
主よ 主よ と口は語るのみ
内なる苦しみ 寂しさの
痛みは 誰が知りえよう
チャータクが 幾度も呼ぶように
魚が 水を求むように
ミーラは眠れぬ 悲しくて
心は すべて 忘れるほどに

※チャータク(鳥)の鳴き声は“恋人よ”と聞こえる

美莉亜訳『ミラバイ訳詩集』より

クリシュナへの愛だけに生き、すべてをクリシュナに捧げ尽くして「私」というものがなくなったミーラーの最期は、クリシュナの像に吸い込まれて永遠にクリシュナと一つになったという伝説が残っています。

キールタンに出会って、バクティ・ヨーガを知った頃は神に至る道には歓びだけがあるように見えましたが、プレーマと呼ばれる真の愛を実現するまでには、心から神を愛し求めるが故の渇望の苦しみや、さまざまな内的葛藤を乗り越えるための揺るぎない信仰心を持つ必要があることを強く感じています。
今、私たちはミーラー・バーイーが生きた時代、国、取り巻く状況もまったく異なる世界に生きていますが、500年前のインドに実際に生きた偉大なバクタ、ミーラーの息吹がどうぞ私の中で力強く息づきますように!と、心から願わずにはいられなくなりました。

シャルミニー


心をピカピカに磨く!

ヨーガを実践する上で、大切にしている教えがあります。それは、「真実は既に自分の中にある」ということ。ヨギさんはこの教えを繰り返しおっしゃってくださいますが、耳にする度に胸が高鳴ります。この真実があるから私は生きているんだ!ハートの奥底から力がみなぎってくるのです。
ところが日常生活を送っていると、いつの間にかこのことを忘れてしまい、目の前のことに振り回されてしまっていることに気付きます。クラスやサットサンガが休止状態になってからは、この教えで胸がいっぱいになっている時よりも、忘れている時の方が多くなっていました。だから言い聞かせるように心の中で唱えるようにして、唱えること自体を忘れてしまうことがあっても気にせずに可能な限り続けていました。
そうして過ごすうちに、「真実は既に自分の中にある」ことを忘れてしまう原因に思い当たりました。

それは、「真実」が本当に自分の中にあると信じられていないからなのではないか?
自分には無理…まだできない…そういった心の思いが、曇ったガラスのように真実を覆って見えなくしているからではないかと思いました。

「真実」は物体のように手を伸ばして掴めるわけではありません。
真実は掴むものではなくて、体感するもの。体感するためには、心の思いで曇ったガラスをピカピカに磨いて綺麗にすることが必要なのではないかと思い至りました。

では、どうすれば曇ったガラスを磨いて綺麗にできるのか?
何か手がかりはないかと、これまで参加したクラスやサットサンガの中で印象に残って自分で書き留めたメモ、聖典、等々、これまで以上に意識して読み返しました。そうしている中で、『ヨーガの福音』のある一文が目に飛び込んできました。

”心も複合物です。エゴや知性や想念や記憶などさまざまなものによって成り立っていますから。
心は心のためにあるのではなく、他者のためにあるのです。主人である本当の自己のためです。”

何度も何度も読んで十分に知っているはずなのに、今回初めて胸の中にすぅーっと入ってきて、ストンと音がしたと感じるほど、腑に落ちました。

心は主人である本当の自己のためにある。これこそが「真実」であり、これだけを信じて進むのみ。他の思いは一切いらない!
曇ったガラスをきれいに磨き上げるには具体的に何をすればいいのか、数日間ずっと考え続けているうちに、自然と心が「真実」に集中されていたのかもしれません。
自分で勝手にいろいろ考えて自信をなくしたり、できないと諦めたり、心というのは本当に厄介なものだと手を焼くところがあったのですが、何かに依りかかることでしか存在できないようなものだから、たいしたことではないと感じられました。そして心を構成するものをエゴに依るものではなく真実に拠るものにすればいいだけ。そう思えるようになりました。

「真実」は 純粋そのもので、普遍的なもの、永遠に変わらないものです。
対してエゴから生まれる思いは純粋ではありません。それは人によって異なるし、過去に経験してきたことなどによって物事を判断するので、その時々の条件で変化します。
条件によって変化する「私」というエゴ意識をなくすことができれば、心の思いは純粋なものとなり、「真実」に近づくことになります。
これも何度も繰り返し教わってきたことですが、エゴをなくそうと頑張ってもなかなか簡単にはいきません。自分が憧れている具体的な存在だったり、聖典の言葉1つだったり、まず1つのことを足がかりにしてそれに倣うようにすることで「真実」へ近づき、一点集中へと繋がる。それが曇ったガラスを磨いて綺麗にする行程ではないか。ガラスを磨いて綺麗になった暁には「私」という思いはなくなり、覆い隠されていた「真実」がありありと見えるようになるのではないかと感じました。

真実がクリアに見えるようになると、真実という対象が明確になり、自分がどう行為すべきかも明確になる。それ(真実)しか見えなくなったら、どのような手段を取ってもそこに辿り着ける。最終的には覆っていたガラスが砕け散って真実と一つになれる。
身体の奥底から、強い確信のようなものが湧いてきました。

いつも私たちを真実へと力強く辛抱強く導き続けてくださっている、ヨギさん。
時間や距離は何も関係ないと、そのお姿が目の前にある時もない時も、常に私たちと共にある
と言ってくださっていますが、ヨギさんが力強く真実へと手を取り引っ張ってくださったよう
に感じた出来事でした。

きっとグルバイ(兄弟姉妹弟子)のみなさんもそれぞれの場所でヨーガの実践を続けられていることと思います。
今は一人一人が自分と向き合い、すでに学んだことを淡々と実践する時期なのかもしれません。
みんなで集まれる機会はまだ少し先になりそうですが、今できることをやり続けつつ、少しでも成長してその日を迎えられたらと思っています。

 

ハルシャニー


子育ても家事も仕事もぜんぶがヨーガになる!

ママ・ヨーギニーの皆さま、今年の春休みはとーっても長いですね!毎日いかがお過ごしですか?まだ小さなお子さんがいらっしゃるお母さんはお休みなど関係なく、ずっとお子さんと一緒という方もおられることでしょう。外出を控えて家族みんなが家にいる時間が増えた方も多いのではないでしょうか。そうすると、必然的に家事が増えますよねー。あり余る子どものパワーを分けて欲しいくらいですが、大人にはホッとできる静かな時間も必要ですよね。もちろん、家族との時間がゆっくり取れるいい機会だという方もおられると思います。

私が横浜の方で担当させていただいているヨーガサークルも、先月から新型コロナウィルスの感染防止の為にお休みが続いています。先日、皆さんにご様子をお伺いしたところ、クラスに15年以上通われている小6中2高2の三人のお子さんがいらっしゃるお母さんから「ストレス・マックスです」とお返事が返ってきました。そしてその続きには「少しでも自分の時間を作ってアーサナをしたいと思います。皆さん、頑張りましょう!」とありました。長年続けてこられている方だけあってさすがだなぁーと、とても励まされました。

瞑想中の横浜のヨーガ・サークルの皆さん

私には今社会人と高校生の娘がいますが、実は子育て真っ只中の頃、自分の時間が取れず「ヨーガなんて出来ない!」と諦めていた時期があります。その頃はまだマハーヨーギー・ミッションにも師にも出会っておらず、ヨーガ=アーサナ(ポーズ)や呼吸法をすることだと思っていたのです。今、振り返るといつでもヨーガは出来たのに…と、少し勿体ないような気持ちになります。

例えば、ラージャ・ヨーガの一番始めにあるヤマ(禁戒)・ニヤマ(勧戒)は、日常生活の中でこそ行なわれるべきとても大切な基本の教えですし、家事や仕事、また一番身近な家族や自分の周りの人に対しての日々の行為をカルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)にすることが出来ます。

そして、何よりも師に教えていただいたバクティ・ヨーガ(神への信愛のヨーガ)をその頃に知っていたら!聖典を読む時間がなくても、ベイビークリシュナにそうするように喜んで娘たちに絵本を読んで、子守唄にはキールタンを歌ったことでしょう。仕事から疲れて帰宅した夫をクリシュナを見るラーダー(クリシュナの愛人)のような笑顔で出迎え、時折、カーリー女神のように我を忘れ地球を破壊するほど怒って、うっかり夫を踏んづけてしまいそうになっても!?ハッと我に返り、ペロッと舌を出してすぐ素直にごめんなさいと言えたことでしょう!

幼子クリシュナ神と養母ヤショーダ。神を愛する態度の一つに、母が子を愛するように、神を我が子のように愛する母親の態度があります。クリシュナは偉大な神の化身でしたが、恩寵によってヤショーダは神の偉大な面ではなく、ただ愛しい我が子を愛するように、愛そのものである幼子クリシュナを愛し献身したのでした。

カーリー女神は悪魔の軍勢(人間の無知)との我を忘れるほどの激しい戦いに勝利し、その歓喜の踊りで大地が破壊されそうになりました。そこで夫のシヴァ神がカーリーの足元に横たわり自らがクッションに!夫を踏みつけたカーリーはやっと我に返りペロリと舌を出しました。

ヨーガでは、この世界のすべてに神が顕現していると言われます。たとえ、今の私にまだそれを見ることが出来なかったとしても、どんな時も全てのものの中に神を見よう、見たい!と思う時、子育ても家事も仕事も、家族や周りの人との関わり方に至るまで、毎日の生活全部がヨーガになっていくのだなぁと、感じています。

今、世界中が先の見えない状況にありますが、私の師は「どんな時でも、誰にでもヨーガは出来ます」と教えて下さいます。その時その時、それぞれの人の置かれた立場の中で実践出来ることが必ずあると思います。一人一人別々の場所にいたとしても、共にヨーガを学び、共に実践していきましょう!

シャルミニー/東京


何があっても淡々と黙々と!

想いが溢れる。
ヨーガを実践にするにつれ、時に強烈にそれが起こるようになりました。
ヨーガに出会う前は、その時々の感情が昂り、爆発してしまうこともありました。嬉しい、腹立たしい、悲しい・・・種類は違えど、感情が昂っておさまった後に残るのは虚しさが多かったように思います。
今も感情が昂ることがなくなったわけではありませんが、以前のような感覚とは異なる想いが湧いてくることがあります。胸の奥がじーんとするような、それは愛しいような感じもするし、ひと言では言い表せない感じ。その想いがあるだけで揺るぎのない安心を感じるというか。胸の奥から自ずと湧き上がってくるものが、ただ在る、という感覚です。
その想いが強く溢れ出てくるのは、師であるヨギさんのお姿を目の前にしている時。お姿は見えなくてもヨギさんのことを想う時。そして、ともに学び実践しているとグルバイ(兄弟姉妹弟子)と一緒にいる時。

東京では、2月末から新型コロナウイルス感染症の影響で、グルバイと会うこともままならない状況となりました。クラスもなく、こんなにも長く誰とも会えないのは初めてのことです。

また、私は鍼灸師として働いていますが、心身共に不安定になった患者さんと接することが急に多くなりました。こんな時こそぶれないよう淡々と、と意識はしていても、強い不安感に引っ張られそうになる瞬間が度々ありました。

そんな時、受講中の瞑想専科の配信動画を観ました。

2月22日に開催された会員限定瞑想専科のYouTube動画配信クラスの一画面

テーマは「ヨーギーの生き様」。
今回は最初に瞑想だったので、45分間座につきました。
日中だったので周りの音が気になりましたが、ひたすら胸の奥一点に集中するよう努めました。ここしばらく長く座る時間を取れないまま過ごしていたこともあり、落ち着きのない心との格闘が続きました。決して集中できたとはいえない45分間でしたが、自分の中の軸のようなものが一筋通ったような感覚がありました。

瞑想に続いて講座が始まりました。
ヨギさんの教えは比類のない叡智。真理を糧に生き、人を導き救済する。そこから一瞬もぶれない生き方をされている。その生き様を見せてくださっている。私たちはどれだけヨギさんの生き様を感じられているか。
PCの画面越しですが、いろんなものが一気に伝わってきました。
「ヨギさんは、淡々と、黙々と、それを実行され続けている。何が起きてもまったく惑わされず、ただ同じように淡々と黙々と…。」
それを聴いた瞬間、涙がどっと流れました。久しぶりに、大泣きしました。そして自分の中に鬱々と溜まってきたものが何もなくなったと感じました。

白いダリアの花。サハスラーラ・ チャクラのようで、眺めているだけで穏やかになり、胸の奥に集中が起こりました。

ヨギさんは常々時間も空間も関係ないとおっしゃっています。
分かっていても、ヨギさんにお会いする機会がなくなり、クラスなどでグルバイにも会えなくなると、モチベーションを保ち続けるのが厳しくなってきていました。
そんな中、この動画が一気にいろんなものを吹き飛ばしてくれました。
そうして、胸の奥にただ在る感覚が戻ってきました。ヨギさんはいつでもここにいらっしゃってくださること。真理はいつでもここに既に在ること。同じ真理への道を歩んでいるグルバイの存在がいつでも共にあること。想いが溢れて、次の一歩を踏み出す原動力となりました。

この瞬間もヨギさんはヨーギー/ヨーギニーの生き様を見せてくださっています。私たちはどれだけその生き様を感じ取ってそこに迫れるのか。何が起きても、淡々と黙々と。今こんな時だからこそやるべきだし、より集中して迫っていけるのではないでしょうか。

ハルシャニー

*クラス体制の変更に伴い、3/29より東京クラスの Webサイトがリニューアルします。それに合わせて東京ブログメンバーだったハルシャニーとシャルミニーが新たにこちらのブログメンバーに加わります。


ヨーガの秘訣・東京編・・・身近な真実

現代社会は、仕事や家事、育児、介護など、本当に忙しい毎日をたくさんの人が送っています。そんな忙しい生活の中で、どのようにヨーガを実践していけばいいのか、と誰しも悩みます。毎日アーサナを実践すればいいことはわかるけれど、やりたくても気力が残っていない、瞑想しようと思っても疲れて眠ってしまう・・・多くの方が現実に直面し、共通の悩みを抱えています。

そんな激務の日々を東京で過ごしているサルヴァーニーが、日頃の仕事とヨーガの実践について寄稿してくれました。同じように日々忙しく過ごされている方に、何かヒントになるのではないかと思います。


私は会社員をしています。昨年秋に異動があって、別の部署で働くことになりました。異動先 の部署は仕事量が多く、スピードが早く、新しく覚える仕事も沢山あって、これまでよりも忙しく働いています。 仕事は、得意不得意/出来る出来ない/やりたいやりたくない/など私の状況に関係なく、様々な依頼が来ます。スケジュールが速いのでどこか停滞するとあっという間に別の仕事が遅れる という事態におちいるため、次々と片付けていかなければなりません。中には不得意な分野や、これまで経験したことがなく良く知らないからどう手をつけたらいいのかわからない仕事もあるのですが、皆忙しく、誰も手伝ってはくれません。ここでは来た仕事はなんとかして自力でやらなければいけないのだ、と異動して早々に認識しました。

知らないながらもとにかく手をつけてみると、一つずつ問題をクリアしていけば解決できたり、 調べれば答えが出てきたり、案外どうにかなるのだと思うこともあります。また自力で出来るところまでやれば、それ以上は周りの人が助けてくれることもあります。反対に出来ると思って確認を怠ったためにミスをして反省することもありました。 やりたくないと思うと手は止まり行動が遅くなるし、過信して気が抜けると失敗します。結局やらなければいけないので、やる前から色々思わずに目の前の仕事に取りかかるだけでいいのだ、やる前から色々思わないほうがスムーズに出来ると実感して、最近は何か思う前に行動する、を続けています。ひたすら集中という感じです。

こんな風に昨年末は特に忙しくしていました。その日にこなす仕事を考えながら出勤して、仕事して、明日にやるべき仕事を考えながら帰宅し、明日に備えて体を整えて寝るという生活でした。休み返上で仕事をしたり、休みの日もどこか仕事の段取りを考えていました。

そんなある日の帰り道、突然、なんだか、むなしいーーーーと叫びたい気持ちになりました。

出来なかった仕事が出来るようになることは嬉しいし、仕事の中で達成感を感じることもたまにはあるけれど、仕事は仕事です。本当のもの・真実との交わりがないと、移り変わるものの中で生きているのはむなしいだけだと思いました。仕事は仕事と割り切っているつもりだったけれど、異動してから新しい環境や仕事に慣れてこなすのに必死で、仕事だけになっていた、仕事以外の時間も引きずったり、仕事の疲れで寝て過ごしたりと切り離せていなかった、と立ち止まりました。だけど仕事の忙しさは変わらないどころかますます忙しくなる一方です。どうやったら仕事をしながら真実と交わることができるのだろう、と考えました。忙しいとはいえ、夜に家でくつろぐ時間はあります。それまでも夜に真実に心を向ける時間を持とうとしては来ました。だけど考えることが沢山あって、真実に心を向けようと思っても、 簡単にスイッチが切り替えられずに、上手くいきませんでした。違うところに向かっている心を力づくで真実の方へ向かわせようとしても全然気持ちがついていかず、無理にそうしようとすればするほど空回りです。だんだんと気持ちが向かう時だけそういう時間を持つという自分本位な状態になっていました。だけどこのままを続けていては本当にいけない、と思いました。一日のどこかの時間だけをどうにかしようとするからいけないのだ、もっと根本的に変えなければ、と思いました。日常を真実と結びつけるにはどうしたらいいのだろう、と心の深くで考え続けていました。

ある朝の通勤時間、なんだか疲れてしまって頭を働かせるのを止めて、胸の奥にただ意識をおいてみました。そうするとそこに確かな輝きを感じました。あーここに真実があった、と思いました。無理してどこかへ心を向けることはいらなくて、ただここにあるんだと、思いました。それからは、仕事中のひと息つく時や、トイレに行く時など、ちょっとした一瞬に、胸の奥の真実を確かめるようになりました。いつも確かなものを感じ、いつもここにある、と思いました。考え続けていた日常を真実と結びつけるということがどういうことか、これからも考え続けていきたいと思っていますが、今の私にとっては、いつも真実と共にあることを感じて生活することが、忙しい中で拠り所となっています。

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昨年夏、東京でのクラス後。後列左がサルヴァーニー。

サルヴァーニー
(内山弘子)


牟尼草庵(むにそうあん)

東京!今年すでに3回目。でも今回は研修で行くいつもとは違います。出来たてホヤホヤのあの東京牟尼草庵でお泊まりしました。まずは写真でその様子を楽しんでください☆
㈰バス
私の体を東京まで運んでくれたのは、これ。今年4月から南相馬⇔東京の直行バスが出たんです。今は試験的に一日一本ですけど、乗客が増えるようなら増便するそうです。片道休憩2回挟んで約5時間、3300円、平日はもっと安い!朝8時55分に出発~
㈪walkman
旅のお伴はこれ、音のいいwalkman。聴くのはもちろんキールタンと…世界の歌姫、レディーガガ❣私、実はガガの大ファンなんです。。。ふふっ大好き

東京到着は少し遅れ、バス停から駅まで思いのほか歩くので、結局13時30分から始まる高井戸のクラスはアーサナが終わった頃に到着。瞑想だけ皆さんとご一緒しました。

井之頭線に乗って5駅、吉祥寺で降り、井之頭公園をぶらぶら散歩しながら牟尼草庵に向かいます。
㈫散歩

「ヨーギニーのいい笑顔♡♡♡ 広い広い井之頭公園。土曜日なので人が多い!若い女性グループが芝生でお弁当ランチしてたり、老夫婦でベンチに腰かけてたり、子供連れが大道芸見ていたり…老若男女、いろんな人がいろんなことして楽しんでいるのが面白い!外国のおっきな公園みたいでした」
㈬鳥さん
「大の鳥好きの私。公園には野鳥もいた!動きが速すぎで道路と一体化した鳥さん」
㈭準備
「一足先にクラスから牟尼草庵に戻って夕食を作ってくれていた純子さんと鈴木さん。お二人も牟尼草庵の住人です。ずっとキッチンで準備してくれてた…。ありがとう!」
㈮セッティング
「17畳の広いリビングで、今日は人数が多いので床に布を敷いてセッティング。テキパキと真剣に、でも楽しんで。今日はさまらさメニュー。春巻き、蒸し野菜、ソラマメごはん、おくらと春雨のお吸い物、ソラマメの皮の揚げたの。どれもプラーナたっぷり味付けもgood‼」
㈯DVD

「昔の動画があるということでサナータナさんが出してきてくれて、みんなで見ることに。96年なので今から約20年前。映っているのは若かりし頃のサーナンダさんの逆立ちと、いつ見てもカッコいいヨギさんの足」
㉀ナウリ
「際立つ腹筋を見せるサーナンダさんのナウリとツーショットで喜ぶ私」
㉀やもり
「瞬く間に11時近くになり、みなさんを玄関まで見送ると、ヤモリのお客様。優しくホウキで外に誘導するサナータナさんと…
㈷やもり2
「横で戦闘態勢に入るジャヤデーヴィー」

「リビングでジャヤデーヴィーと布団に入って朝4時までお話。真剣な話をしたりしょーもないことしゃべったり、話が尽きない。」
㉃カーテン
「N.Y.から送られてきた噂のカーテン。朝陽を受け、美しく輝いています。さらに生きる意欲が湧いてくる!」
㈹朝食
「まずはエネルギー補給から。今朝ホームベーカリーで焼けたばかりのパンとコーヒー、蒸し野菜とぎんちゃんのお母さん手作りのリンゴジャム、そして私のために買ってくれていた地域限定東京牛乳!濃くてなめらかです。ごちそうさまでした」
㈺遊具
「ジャヤデーヴィーと東京見物へ。…といっても、どこに行くかさんざん検討したけど、イマイチ決まらないまま出発。まずは駅まで井之頭公園を通って。ジャヤデーヴィーが面白いものがあると紹介してくれたのが、これ。なんと開脚練習用の遊具(大人用ですって)」
㈱開脚
「遊具を使って見事な開脚を見せるジャヤデーヴィー。でもこれ遊具いらんやろ」
㈾片足開脚
「何とか片開脚で対抗する私」
㈴ジェラート
「吉祥寺駅ビルのアトレに入っているアラビアン・ジェラートのお店。ものすごく美味しかった!!店員さんのアドバイスを聞きながら真剣に2種類を選ぶジャヤデーヴィー」
㈲ジャヤデーヴィー ジェラート
「お気に入りのジェラートを手に入れて喜びが頂点に達したジャヤデーヴィー」

ジェラート食べた後はウインドウショッピングしながら話をして、あれよあれよと言う間に時間が経ち、東京駅へ向かいました。時間ってこんなに早く過ぎ去るものなんですね。

そしてまたバスに乗り南相馬へ。

どうです?みなさん、楽しんでもらえましたか?…と言っても、これで終わったら単なる旅行記ですので、最後に私の感想を書きたいと思います。

牟尼草庵で20年前のジャヤンティやアシュラムでのアーサナクラスのDVDを見ました。昔も今も変わらないあの京都のアシュラムで、その時のグルバイは10人くらい。この広大な世界、宇宙から見たらほんの小さな空間にわずかな人が集まっていました。そこで祝辞を述べる弟子たち。サナータナさんは泣いて、何度も言葉に詰まり、グルを見つけた歓びを表そうとするけれど、なかなか話が進まない。その姿を見て、私は思いました。もし私がこの人たちと同じ時期にヨギさんに出会っていたら、自分のグルだと分かっただろうか。自分にとってこれほどまでにかけがえのない存在だと感じられただろうか。私たちはどれだけ多くの人が認めているとか、世間的な評価に振り回されて生きてきた。一人で判断したことなんかほとんどなかった。先輩グルバイたちにいっぱいヨギさんのことを教えてもらってその影響を受けたから私はヨギさんをグルだと感じたんじゃないかな。少なくともこの時の弟子たちはそんな世間的な評価には頼らず自分の足で歩き、自分でグルを見つけた。もちろん、ほとんどがグルの恩寵なんだろうけど。

最初はそんなことをブツブツと考えたけれど、次第にその泣きじゃくる人に引き込まれ、しばらく思考が停止しした後、ヨギさんのことを考え始めました。一生懸命祝辞を述べるサナータナさんに優しく微笑みかけるヨギさん。プラサードを楽しむヨギさん。一瞬一瞬に弟子への感謝と尊敬と歓びが表れていました。アーサナクラスの指導では、シャヴァアーサナの時でも真剣に途切れることのない集中で一人ひとりをご覧になっていたヨギさん。「愛はいつでも今を生きる」マザーテレサの言葉が目の前で証明されているのを感じていました。

どうやってグルをグルだと感じられたのか、そんな最初の問題は私の心から消え去り、あの泣きじゃくる人によって、私は自分の心が神を愛する思いの中に投げ込まれたような気がしました。そして思いました。きっとバクタの役割というのは、こういうものなんだと。神と誰かの間に道を作ってくれる人。あなたもこっちに来なさいよと心の扉を叩いてくれる人。翌朝このことをジャヤデーヴィーに話した時、彼女はこう言いまいした。バクティは人から人へと伝えられるんだと思う、人から人へと。

東京のミッションはまだスタートを切ったばかり。まだほとんどの人が知らない小さな空間だけれど、永遠と無限と普遍が存在するアシュラムに繋がる確実な道を、あの雑多な都会の中で築いていくことになるんだなあと感じていました。

ユクティー


東京!

サナータナさんとジャヤデーヴィーさんが東京に移住してそろそろ半月!!お二人には頻繁に会っていたのでちょっと寂しいですが「東京の拠点としてのお家はどんなのかな〜? 新しい暮らしは? 東京の仲間は? 東京の活動は?」などなど気になることがたくさん。みなさんも聞きたいのでは?!ということで直接聞いてみましょうか。

「ジャヤデーヴィーさーん!!教えてください!」

はーい。
引越早々ご近所の方に「外国の方ですか?」と聞かれたジャヤデーヴィーです。

桜が満開の季節に東京に引っ越して2週間が経ちました。これから近くの井の頭公園は新緑のころを迎えます。東京での新しいお家の名前は『牟尼草庵(むにそうあん)』グルバイの越川純子さんと鈴木さん、そしてサナータナさんと私の4人暮らしです。

『牟尼草庵』と聞くとなんだか修行者の庵、あばら屋を想像してしまいますが、緑に囲まれた多少メルヘンチックな出窓つきの白いお家です。1階には17.5帖の広~いリビングとキッチン、2階にはそれぞれ4部屋、そして3階にはこれまたありえないほど大きなグルニエ(屋根裏部屋)があります。毎日一家4人、この広すぎるリビングで小さな机を囲んで夕ご飯を食べたりしていますが、この環境と空間を活かしてヨーガのクラスや活動をしていけるようにただいま準備中です。

先週はミラバイの著書『真実を求めてーあるヨーギニーの手記』が出版されましたね。
ミラバイ、おめでとう!
ミラバイの本 東京

 牟尼草庵でも東京の仲間たちが集まり、ささやかな出版のお祝い会をしました。新しく生まれた本と一緒に牟尼草庵の誕生も祝福していただきとても嬉しかったです。

ミラバイの本を手にパチリ

ミラバイの本を手にパチリ

カレー&サモサをいただいた後は、集まった人たちが今の自分自身のことや、ヨーガの実践のこと、いろんな質問や話が飛び出し、自然な流れでサットサンガが始まりました。

ヨーガに邁進している友達が眩しくて、私はずっとその周りをぐるぐる回っているような気がする・・・とおっしゃっていたTさん。私もそんな時があったな~と思い出しました。
でもクラスに行ったり、セーヴァー・クティーラやヨーガ・ヴィハーラ(ヨーガの仲間同士が暮らしているお家)で、先輩の話を聞いたり、その姿を見ているうちに、私もこんな風に生きてみたいなと思うようになった気がします。もちろん、ヨギさんの存在とアーシュラマがあることは言うまでもないのですが、その一歩手前でそこに行けば仲間がいて『サンガ』がある、ということが大切なことに気づかせてくれる機会になったのかもしれません。牟尼草庵がそんな場所になっていけばいいなと思います。

来週からここで瞑想会を予定していて、その後クラスやいろんな講座なども開催していけたらと思っています。そしてゴールデンウィーク明けからは、新宿でヨーガ・瞑想クラスが始まります!
牟尼草庵を拠点としながら、外へも飛び出して行きますよ。また報告をお楽しみに。

今はカーテンがないので、東京のグルバイで制作したサハスラーラを吊るしてます。
東京 サハスラーラ旗

ジャヤデーヴィー

東京 2days by Sakti ダイジェスト公開!

こんにちは〜! マーダヴィーです。

猛暑到来!みなさん、夏バテしていませんか?

さてさて、今日は、新しい映像公開のお知らせでございます〜。

ところで、MYMには映像部門があるのをご存知ですか? えっ、そんなんあったん?という方も??
あるんです! その名もパラマハンサ・ピクチャーズ、略してPPS!
2011年から「Sakti」「Epiphany(聖性示顕)」2つのシリーズで映像を制作し、YouTubeにて公開しています。

pps_new2014

※白鳥さんが新しくなりました♪ 今にも飛び立ちそう!

PPSが今回お届けするのは、シャクティのミラバイとジャヤデーヴヴィーが東京で行なった、ヨーガ特別クラスのダイジェスト映像です。(7月12日ラージャ・ヨーガ/アーサナ・瞑想クラス、7月13日バクティ・ヨーガ/キールタン・ワークショップ。その他のシーンもあり)

「ラージャ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、二つのヨーガを体験してもらいたい、そしてその目的は同じであることを伝えたい」というミラバイとジャヤデーヴィーの願いと、東京の仲間たちの熱~い思いから実現したこの機会。その2日間の様子をまとめています。

ラージャ・ヨーガとバクティ・ヨーガのクラスって、面白い組み合わせ♪ そしてその二つのヨーガでは、やっていることはまるで正反対のように見えるけれど、目指している目的は同じなのですね。ふむふむ。

ラージャ・ヨーガでは、身体と呼吸を調えて、心の働きを静め、本当の自分に目覚めます。アーサナ、瞑想が位置づけられている王道のヨーガと言われる道ですね。そしてバクティ・ヨーガでは、神を愛することで神と一つになる、愛のヨーガと呼ばれる道です。キールタンは、ただただ神の御名を唱えるというもの。超簡単で誰もができることです。

一方では心を静止させ、一方では心を神や愛で充満させていく・・・そのいずれもが、私たちを “本当の自分” であるところの “神性” を目覚めさせるよう導いてくれています。

何それ?(言っていることが全く分かりません、という声が聞こえてきそう汗) そもそもそんなことってあり得るの!?と思うのですが、それを実現していくためにはやっぱり、師から正しい教えを学び、実践するということが不可欠です。

私自身、尊敬する先生のもとでこの10年程ヨーガを学んでいる中で、心を静める道と愛を深める道がやがて同じ一つのところに終結していくんだと分かってきました。

自分は完成にはまだまだほど遠いのですが、それでも、心が静まった時に現れる光り輝く尊い存在にただただ圧倒され、純粋そのものである神を愛することだけで自分の心までもが純粋になり、神の愛に歓び震え、ある時には、神々しい神の姿を目にしその美しさに我を忘れてしまう・・・
そのような瞬間・体験を重ねながら、「神は本当に実在するんだ」「自分の内にある尊い存在と、神という存在は同じものなんだ」ということを今は実感しています。

この映像の中で登場しているミラバイとジャヤデーヴィーも、アーサナや瞑想をみーっちり実践し、同時に神への愛を深める中で実感することがたっくさんあるに違いないので、それは今週金曜日(8/1)に大阪のプリヤメーラさんで行なわれる、バクティ・サンガムで直接聞いてみてくださいね (○゚∀゚)♪♪

それでは、前置きが長くなりましたが「Sakti vol.7 – 東京 2days ダイジェスト」お楽しみくださいませ〜。

マーダヴィー


東京ヨーガ体験特別クラス2days! 無事終了〜!

東京に行ってきました〜〜!

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おっと、失礼いたしました。ご挨拶が遅れました。こんにちは! ミラバイです。
7/12(土)〜13(日)、東京にてラージャ・ヨーガとバクティ・ヨーガを体験できる特別クラス2daysを行なってきました。行く前に私たちのヨーガの師からは、「もちろん新幹線はサリーで行くんやな〜!」とにっこりと笑顔で言われ、いつもながらの師の大胆な発想に思わず、えぇっ〜〜???と思いましたが、それもそうや、せっかく行くなら着ていこう〜ということになりました。(お上りさん気分でハイ、記念撮影)

東京駅に到着すると、ヨーガの仲間たちがホームまで出迎えてくださいました(ありがとうございます!)。さらに電車に乗って、まずは井の頭公園でキールタン。この日の東京は快晴で本当にいいお天気! じっとしていても汗が噴き出すほどでした。

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公園にはちらほらとマーケットが出ていたりして、ご家族連れの方やお散歩中の方がいらっしゃいます。少し場所を見つけて座り、キールタンを歌っているとソロリ〜ッとちらしを取っていってくださる方や、少し離れてじーっと聞いてくださっている方、また側に来て一緒にキールタンに挑戦してくださる方たちもいらっしゃいました。今回の東京2daysには参加できないけれども、キールタンだけでも聞いてみたいという方が来られたりして、10名くらいで汗を流しながら?キールタンを歌いました。

さて、その後はごろっと雰囲気を変えまして、いよいよアーサナ・瞑想クラスです! 会場は高井戸区民センタ−。

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普段からアーサナを実践されているメンバーや、またヨーガを始めて間もない方など12人の方が来てくださいました。クラスの途中からみんなの集中感がグンっと高まっていくのが肌で感じられました。アーサナではタパスという熱を生じさせることがとても大切だといわれています。最初はポーズの形を覚えるのにも必死で、呼吸すらできないこともよくあるのですが、少しずつポーズに慣れてくると自分の限界までさらに追い込んで行なっていくことになります。その時には苦痛を感じたり、内的な熱が生じたりするのですが、その熱によって不純物を焼き尽くしていくことが大切なのです。そのタパスが皆さんの中で起こっていたのでしょうね。会場の中が熱気を帯びていました。

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アーサナが終わった後は皆さんピタっと止まったかのようにとても集中して瞑想をされていました。
最後に円になって話をした時には、ご自身でもそれを感じられた方がおられたようで、毎日このように集中してアーサナをしていきたいと改めて思ったという感想も聞かれました。また一つ一つのポーズと呼吸を丁寧にすることによって、心が落ち着いていくのを感じられた方もおられたようです。退出時間ぎりぎりまでみんなでいろいろ話しました。
そして会場を出ると、わあっ!光り輝く満月! なんだかこの日はひときわ大きく見えます。

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しばしの間みんなで佇み、美しいお月さまを鑑賞したのでした。

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さて、2日目! キールタンの日です! 昨日行なった高井戸のお隣の駅にある久我山会館にてWSです。

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この日は17名の方がご参加くださいました。キールタン初体験の方や、キールタン大好きな方などいろんな方がいらっしゃいます。もともと今回、東京で2daysをすることになったきっかけは、東京でぜひキールタンをしたい!という、一人のヨーガ仲間の熱い願いから始まりました。ヨーガを行なっていく中では、さまざまな体感をすることがあります。アーサナや瞑想では自分の体の不調和が改善されたり、心がとても穏やかになっていったりしますし、また日常生活でもそれまで抱えていた悩みがなくなり、軽やかに生きていけるようになります。そしてキールタンにおいては、これまで自分が経験してきたようなこの人生の中における喜びとは別格の、とても深い歓喜を味わうことがあります。神の御名を繰り返すというキールタンでは、その神に直接呼びかけ、語りかけることになるのですから、そこではその神との交流が生まれ、神ご自身の属性でもある歓びを体感していくことになるのです。それをぜひ東京のみんなにも味わってほしい! 少しでも多くの人に体験してほしい! そんな彼女の強い願いがこの企画を推し進めていました。それはもちろん私たちも願っていたことでもあります。

最初は緊張気味だった皆さんも会の終盤には少しずつほどけ、笑みがこぼれ始めるのが見えました。みんなで何度も何度も長い間御名を唱え続け、少しずつ大きな合唱になっていきました。私はこの企画を熱心に進めてきた彼女が涙を流して歌っているのを見て、とても感動しました。その瞬間、私は自分が歌っているのか、誰が歌っているのかが、分からなくなってしまいました。たった一つの神の御名の下に、すべてが溶け去っていくかのようでした。
参加された方は、とても楽しかった、もっと歌いたかった、瞑想的だったなど、いくつかご感想をいただきました。後日、参加された方から嬉しいメールをいただいたので、ここに紹介させてください。

「東京でキールタンという夢が叶い、私も本当に楽しい1日を過ごさせていただきました。思い切り歌わせていただき、終わってしまうのが悲しいくらいでした。
歓喜というのは神様なんですね! なんてすてきなことでしょう。もっと神様の懐に飛び込もうと思いました。キールタンを歌っていらっしゃるお二人の歓びに満ちたお顔を見て、私もきっとそうなりたいと思っています。私は、リーラーという言葉(神の遊び戯れの意味)が分からない、分からないと言っていたのですが、今回少しだけ分かった(だとよいのですが)ような気がします」

「2日目のキールタンの日は帰ってからなんだか体がとても軽く、家の用事がスイスイはかどってビックリしました! 神様の御名で体が軽く感じられたりするのでしょうか…?! 不思議です。
キールタンはとても楽しくて、教えていただいた歌を毎日ノリノリで歌っています」

 

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……ねぇ! 本当に良かったです!!

2日間を終えた最後の日には、みんなで交流会〜〜〜〜! まぁ、なんとも健全に、お水でかんぱーい!

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もちろん、ヨーガ談義で3時間もわいわい盛り上がりました!(貸し切りなので大丈夫!)
本当に充実した2日間でした。今回は東京2daysに向けていろいろと準備をするにあたり、東京の仲間たちが努力を惜しまず、本当に走り回ってくださいました。多くの人の力をお借りしたと思います。皆さまのおかげで無事終えることができ、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

また、しようね!!