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「師との出会い」from NY サーディヤー

1/1にニューヨークのマハーヨーギー・ヨーガ・ミッションのブログ「プロジェクト サハスラーラ」にアップされたサーディヤーの記事が素晴らしい内容でしたので、日本のブログでも翻訳して紹介させていただきます!彼女の師との出会いと、それに至るまでの経緯や心情が、ありのまま素直に書かれています!


「あなたの心を私に固定し、知性を私の中に置くのだ。そうすれば今、あなたが私の中だけに生きているということは疑いがない」
– Words of Krishna, Bhagavad Gita, Ch. 12 Verse 8

地下鉄の階段の側に立っていました。どこから来てどこに行こうとしていたかは覚えていません。でもそのニューヨークの各地下鉄駅の特徴である緑色に塗られたフェンスの側に立ち止まっていました。
「この世に欲しいものなど何もない」という思いが手にとって掴めるほど明瞭に、心の中で具体化したのはその時でした。私のハートはただ一つの欲望に満たされました。——神への奉仕にこの人生を完全に捧げたい。

何かを欲するということは、私にとってはおかしなことでした。成長の過程で神への概念に関する様々な段階を通過しました。教会が示す概念をそのまま受け入れていた時もありました。その時はそれだけしかなく、それが触れることのできるすべてでした。その後、キリスト教の神に対する概念に幻滅し、叔父が送ってくれた様々なアメリカ原住民の暮らしの本で読んだグレート・スピリットを崇めて祈りを捧げていたこともありました。10代になると姉に影響されて神を完全に否定しました。神は存在せず、宗教は偽善であり冗談だと。キリスト教徒の宗教を見下し、神を信じる人たちよりも自分を上に見ていました。‘あの人たち’は妄想的で差別的で、常に自分たちの信条を他人に押し付けていると。私はそこから自分を隔てていました、冷笑的だったからだけではなく、そうすることが「カッコイイこと」だと思っていたからです。キリスト教徒の宗教とは関わりたくなかったし、神とも関わりたくなかったのです。

他の宗教をよく知っていたとは言えません、私の宗教教育の多様性は極限られたものでした。けれども、宗教を正当化して残虐に満ちた戦争が今なおあることは知っていましたし、全く理解することも受け入れることもできませんでした。それで宗教やそれに関する事柄を拒絶し、長年こういった意識やものの見方を保ってきました。それは『あるヨギの自叙伝』を読み、『バガヴァッド・ギーター』のようなヨーガの聖典を知り、神に対する概念がほぐれ始め、神についてもっともっと知りたいとハートを開き始めるたった数年前のことでした。

そういった過去があっても、今では私のすべては神に向けられています。神が何であるのか知りませんでしたし、神に私の人生を捧げたり、神に奉仕をするとはどういうことなのか想像もできませんでした。ただわかっていたのは、そうすることだけが私の人生を生きる価値のある唯一のことだということです。それ以外はすべてが偽りでした。ニューヨークを離れる手配をする準備ができていました。最初の考えはインドに行き、すべてを捨てて隠遁生活を送り霊的な生活だけに専念できるアシュラムを探すことでした。世俗的なことへの興味は失っていました。

その一日か二日後、ある友人との会話の中で、彼が噂を聞いて会いに行ったニューヨークにいるヨーガのマスターについての話がありました。彼は鞄の中から『ヨーガの福音』という小さな本を出して私に差し出しました。私は両手でその本を持ちました。その本のデザインの独特な作風である表紙のヨーギーのイメージと、本の中にあったヨーガのマスターの笑顔が際立って見えました。友人がこのヨーガのマスターについて話しているとき、私はとても真剣に聞いてはいても、自分自身がこのマスターに会うことができるなどとは思いもよりませんでした。友人は週末にこのマスターのプログラムに参加するので、どうであったかを教えてくれるとのことでした。

翌週彼に会い、彼の体験を聞きました。すぐに何かが違うと感じました。いつもより彼が静かで、何かが彼の中で変わったようでした。彼がヨーガのマスターについて話す時、涙が浮かんでいて、まるで長い間失っていた何かを見つけたかのような彼の気持ちを感じることができました。彼は言いました、「自分で会いに行くといいよ」。それまで、それが可能だという思いさえもありませんでした。どういうわけか、そんな簡単に会いにいける方だとは思っていなかったのです。誰かを知っているとか紹介がないと会えないものだと思っていたのです。このシュリー・マハーヨーギーという名前のヨーガのマスターは、日本から来られていて、ニューヨークを訪問されているのだと彼は続けました。日本に戻られる前に、ヨーガのクラスを幾度か行なわれ、サットサンガ(質疑応答)も一度行なわれるとのことでした。友人は翌日にアメリカを出るため、シュリー・マハーヨーギーにお会いする機会はそれ以上なかったのですが、情報を教えてくれて、行くように勧めてくれました。

真のヨーガのマスターに会うことは容易ではない

家に戻って、すぐにマハーヨーギー・ヨーガ・ミッションのホームページを調べました。シュリー・マハーヨーギーが帰国される前に行なわれるクラスと一度行なわれるサットサンガについて確認しました。次にあるクラスはラージャ・ヨーガクラスでした。クラスの受講料はこれまで私が馴染んでいた以上のもので、当時、予算的に厳しかったのですが 、このマスターに会おうと決めていたので、「クラスを一度だけでも受けてみよう」と決断しました。ホームページにあるように、予約をするために電話をしました。女性が電話を受けました。クラスについてどうやって知ったのかと聞かれました。「友人から」とだけ答えました。すると彼女は、「どなたですか」と聞きました。当時は、沢山の人たちが通う大きなヨーガのスクールに電話をしているとばかり思っていたので、それを不思議に思いました。その大きなヨーガのスタジオだと思っていた所が「ケーヴ」というマハーヨーギー・ヨーガ・ミッションの本部であり、アーナンダマーリーがたった一人ですべてのクラスの問い合わせに懸命に対応されている、あの小さなアパートだったとは考えてもいませんでした。

クラスの日と共にハリケーン・アイリーンもやってきました。クラスの前日に、市は地下鉄とバスの運休をし、交通網を遮断する可能性を勧告しました。クラスに行く手段がなくなり参加できなくなることが心配で、クラスの予約をした同じ番号に電話をしました。クラスは、友人をその存在によってこんなに早く変えてしまったシュリー・マハーヨーギーという偉大なマスターに会う機会と捉えていたので、そうする必要があるのであれば、191丁目から10丁目まで歩くのは厭いませんでしたが…ハリケーンなので、そうするべきかどうかも分かりませんでした。電話口からは予約をした時と同じ女性の声が聞こえました。クラスを行なうか否かは、まだ未定とのことで、もう少ししたら決断を下し、ホームページでアナウンスするとのことでした。
少なくとも、決まったかどうかを確認するためにもう一度電話をしたと思います。最終的にクラスが中止になったと聞いて、そこに行く手段がなくて私が行けないがためにクラスに参加できないわけではないことにホッとしたと同時に、大切な機会を逃すかのような気持ちになりました。

お帰りなさい

クラスは再度スケジュールされ、遂に機会が訪れました。クラスに早く到着すると、後にカルナーと知ることになる一人の女性が準備をしていました。何かお手伝いできることはないかを聞くと、彼女は快く花瓶の位置を動かすよう指示してくれました。シュリー・マハーヨーギーがどのようにクラスに入場されたか、どのようにクラスが始まったかなど、詳しくは覚えていません。ただ覚えているのは、前列のシュリー・マハーヨーギーの持ち場の右側でプラクティスを行なったということです。

アーサナの最中に、指示の多さとその細やかさに驚きました。クラスは二人の女性が声でリードし、実習者のアーサナを指導していました。自分がアーサナをしている時にたくさんの 注意を向けられて指示を受けることに慣れていなかったので、時には少し圧倒されましたが、ここでは注意を払うべきたくさんの細かいポイントがあるようでした。一つ一つのアーサナは、並外れて長く保持するようで、ポーズの間に休憩を挟みました。以前にアーサナをしばらくやっていましたが、ここではすべてが私にとっては新しく、異なったものでした。頭立ちのポーズ時になり、いつも通りに行ないました。頭立ちのポーズは私にとって、なんてことのないものだったので、シュリー・マハーヨーギーが私の横におられることを突然感じた時にはとても驚きました。シュリー・マハーヨーギーの存在感は明らかに否定しようのないほどの強烈さで、今まで感じたことがあるすべてと違いました。私の体位を真っ直ぐになるように導かれた時、私の心臓は突然波立ちました。こんなことは本当に稀で、ポーズを戻した方がいいのだろうかと、一瞬不安になりました。でも、すぐに思いました。「いや、シュリー・マハーヨーギーはマスターだから、私を怪我させることはないわ」師のいかなる指示にも従う弟子の意思の話を一瞬思い出しました。「何がなんでも、戻すように言われるまで留まり続けるわ」その時には、シュリー・マハーヨーギーがどういった方なのかよく知りませんでしたが、これは私がどれだけ師に委ね、どれほど信じる意思をもっているかの私へのテストであるかのように感じました。

瞑想の前に、シュリー・マハーヨーギーは私の前に座り、辛抱強くそれぞれの坐法を見せてくださいました。そのお優しいお顔に面食らい、その見抜くような眼差しと笑顔は私のハートの奥底まで届きました。クラスの終わりに、師がお話をされたかどうかは覚えていません、ただ、師を見続けないではいられませんでした。まるで師は太陽のように眩い光に包まれていました。その場を離れては欲しくなかったけれど…クラスは終わってしまいました。

参加者がマットを丸め、クラスの部屋から退出して行く時、アーナンダマーリーが私のところに来ました。幾つかの言葉を交わしたと思いますが、よく覚えていません。とにかく非常に明瞭に、はっきりと覚えていることは、アーナンダマーリーは私の目を真っ直ぐに見て、「お帰りなさい」と言って、私を強く抱き寄せたことです。世界が回り始め、まるで気絶するかのようでした。何かが起きたのです…それが何であるのか言葉にすることはできませんが、感覚で確かに感じました。「戻ってきた」その時私の心がそれを理解できようができまいが、私のすべてがそれを知ったのです。

***

経済的な理由でシュリー・マハーヨーギーのその後のクラスを受けるつもりはなかったのですが、他のことはすべて横に置き、シュリー・マハーヨーギーが日本にお戻りになる前のサットサンガとクラス両方に参加できるようにしました。サットサンガについてあまりよく覚えていませんが、質問は何もせず、シュリー・マハーヨーギーの真ん前に座り、一瞬たりとも目をそらせたくありませんでした。

最後のクラスで、シュリー・マハーヨーギーが部屋から歩いて退出される時、涙が溢れ、去って欲しくなかった、まるで父を見つけたのに、また会えるのか、いつ会えるのかわからないままサヨナラを言わなければいけないかのように感じました。

その後、とにかく家に戻り一人になりたかった。その晩の睡眠はいつもとは違い、夜中に突然目を覚まし、心の中に残っているシュリー・マハーヨーギーのイメージと存在を思っては涙しました。シュリー・マハーヨーギーは私と共におられ、これからも共におられるように感じました。感謝の気持ちに圧倒され、泣いて神に頭を垂れることしかできませんでした、それがどういうことなのかよく分からなかったけれど、神が、私が求めていたものを授けてくださったのだと何かが私に教えていました。「私の人生を、神に奉仕することに専念したい」という私の思いへの答えだったのです。

October 14, 2018
サーディヤー


思い一つですべてが変わる!

2019年が始まりましたが、どのような一年になるのでしょうか?皆さんの今年の抱負はいかがですか。熱い思いが力強い行動を生み出し、未来を作っていきますから、素晴らしい一年となる思いを抱きたいですね!
さて、マハーヨーギー・ミッションのヨーガ・瞑想クラスも今日から始まりますが、今回、師の直伝クラスや京都のクラスに熱心に参加しながら、ヨーガに励んでいる桜井さんが、クラスを通した気づきと実践、そして決意について寄稿してくださいましたので、ご紹介したいと思います。


ミッションのクラスを受講し始めて2年が経った昨年の3月、アーサナや瞑想の実践を深めていきたいという思いとは逆に、私はそれまでの職場から勤務時間が大幅に増える職場に異動が決まりました。
悩んでいた私にクラスで指導してくださっているシャーンティマイーさんが「思い一つ、社会で求められていることには応えていかなければいけない。」という言葉をかけてくださり、アーサナや瞑想は手段であり目的ではなく、仕事をする時間が前より増えてもヨーガを深めていくことはできること、また、社会で求められている役割を果たしていくことも大切だということを教えていただきました。前向きに今ある状況でやっていくしかないという気持ちに変わっていきました。

新しい人間関係、新しいルール・・・その中でも、
日々淡々とできる限りアーサナや瞑想をする
職場では、頼まれたことやしなければいけないことは余計な感情なしに、すぐに動く
結果には執らわれず終わったことは捨てていく
ふとした瞬間に自分の中の神に意識を向ける

そんなことを心がけながら、土曜日は変わらずシャーンティマイーさんのクラスに参加していました。
それから2カ月が経った6月のクラスで、以前はアーサナをしていても身体という一つの器で呼吸とアーサナの形を作っていくことは別々のものとしか感じられませんでしたが、呼吸とアーサナの形を作っていくことが身体の中で重なったという感覚があり、マットに寝られないくらい身体中が燃えるように熱くなることがありました。この時に、やっとシャーンティマイーさんが繰り返しクラスで言われていた「アーサナはプラーナによって作られる。」ということが、ありありと実感できました。
その時からそれまで以上にプラーナを身体の中で意識できるようになり、少しずつ集中感も増してきたと感じられるようになりました。

これからも、師のお導きの下、シャーンティマイーさんから言われた「アーサナは基本に始まり基本に終わる。丁寧に呼吸を見つめて今の中に生きていく。」という言葉、きっとこの先何十年アーサナをしていっても「吐く息をできるだけ長く丁寧にし吐ききること、それとともに一つ一つの段階を追って完成ポーズにもっていくこと」は変わることなく大切で、それが日常生活では今という瞬間に生きていくことに繋がるんだなと思っています。しっかり心がけこれからも精進していきたいです!

桜井みき


神への態度 バクティ・サンがム キールタン

先日の日曜日は今年最後のバクティ・サンガムでした。10月から3ヶ月間歌い込んできたキールタン、「ゴーヴィンダ・ハレ・ゴパーラ」をみんなで歌いました。ゴーヴィンダもゴパーラもクリシュナ神の幼少期のお名前。このキールタンでは、その御名を、何度も何度も繰り返します。愛らしい幼子ゴパーラが、森の中で無邪気に遊び戯れている様子を見て、母親は愛おしい我が子の名前を叫ばずにはいられなくなる。そんな印象がこのキールタンにはあります。

バクティ・ヨーガの中では、バクタ(神を愛するもの)の神への態度が5つ教えられていますが、その5つの中には、ヴァーツァリアという、神を子供と見立て、母親のように愛するという態度があります。まさにこのキールタンは、ヴァーツァリアの態度がぴったりだと思いました。ちなみに、他の態度には、神を平安な気持ちで愛するシャーンタ、召使いの態度のダースィヤー、親友の態度のサキヤ、そして愛人の態度、マドゥーラがあります。

私は、このバクタの態度の話を聞くたび、自分は一体どの態度なのだろうか…という疑問が生まれます。以前そのことをヨギさんにお尋ねしたとき、「それぞれの人の素直な態度というか、ふさわしい態度というのが自ずと生まれてくる」と教えてもらったことがあります。

「ふさわしい態度が自ずと生まれる」

では、生まれるまでは何をしたらいいのでしょうか。そんなことを考えていたとき『ラーマクリシュナの福音』の中である物語を見つけました。

ある娘が幼いときに夫を失って寡婦となった。彼女は自分の夫に会ったことがなかった。他の少女たちの夫を見て、ある日父親に「私の夫はどこにいるのですか?」と尋ねた。父親は「ゴーヴィンダがお前の夫だ、もしお前が呼べば、彼は来るだろう」と答えた。これを聞いて少女は自室に入り、扉をしめてゴーヴィンダに向かって「おお!ゴーヴィンダ、私のところに来てください、なぜ来てくださらないのですか!」と叫んだ。神は少女の哀れな叫びに抵抗することができず、彼女の前に現れた。人は子供のような信仰と子供が母親を見たいと感じるときの強烈な憧れとを持たなければならない。その憧れは、暁の東の空の紅のようなものだ。空が紅くなれば、必ず太陽が昇る。その憧れの直後に人は神を見る

このお話を読み、「ふさわしい態度が自ずと生まれる」までは、この少女のように、ただ純粋に神を求め続けることだと思いました。神への態度が先にあるのではなく、まずは素直さと熱心さが何よりも大切なのだと思います。

12月でいったん歌い納めした「ゴーヴィンダ・ハレ・ゴパーラ」ですが、1月のバクティ・サンガムでは2018年の振り返りをするので、もう一度歌います!ぜひ、ゴーヴィンダ!!ゴパーラ!!!と叫びにきてください。


無知の中で百年生きるより、真理の中で一日生きる方がよい

八年前、私は師に同行させていただいたニューヨーク滞在の後半、「瞑想が深まらないのですが、どうしたらいいのでしょうか」と質問し、師は次のことを言われました。

「どう生きていきたいのか?」

先週のアーサナ・瞑想クラスで姉弟子のシャーンティマイーさんから「瞬間、瞬間を生きる」ということが話されました。
「アーサナを形づくる中、ポイント、ポイントを押さえ、呼吸を吐き切ることで、アーサナが完成へと導かれる。それをしっかりと意識してアーサナを行なうことが身口意(形・呼吸・意識)の一致になり、それが瞬間、瞬間を生きるということになる」

ニューヨークで師は「どう生きていきたいのか?」と言われる前、瞑想を深めるために、もう一つの教えをおっしゃっていたことを思い出しました。

「日常の身口意を一致させなさい」

十二月八日はブッダが悟りを啓かれた日です。
「ラージャ・ヨーガの八支分とブッダの八正道は共通している」と師はおっしゃられ、それら一つ一つをニューヨーク滞在時に教えていただきましたが、あれから八年経ち、私は改めて師からいただいた教えの深遠さを感じさせられます。

今、私の思いは「真理に生きる」、それだけです。
しかし、未だ悟れていない。余計な思いや雑念、本能の制御ができていない。
本当の意味で真理に生きる、「無知の中で百年生きるより、真理の中で一日生きる方がよい」と言ったブッダのこの心境を切に願うのなら、もう一度改めて、基礎である八支分のヤマ(禁戒)・ニヤマ(勧戒)、八正道の正見・正思・正語・正業の教えの意味を考え、瞑想して心に刻み込み、日常の身口意を一致させていきたい。
そしてただ一つの的、アートマン(真我)だけを見て!!!

ゴーパーラ


笑顔になりますように!

師がヨーガを教えてくださるようになって40年以上が経ち、その間、真理にそって生きていきたいと真剣に求める弟子が年々少しずつ増えてきました。住んでいる国、性別、年齢、職業とさまざまな弟子がいる中で、師に会いに京都に来るのが難しい弟子も大勢いますが、皆、それぞれの形でヨーガを深めています。
その中の一人、現在東京で暮らしている佐野さん。数年前までは大阪に住み、中央公会堂のクラスには毎週通い、クラスのムードメーカー的存在でもありました。

最近の佐野さんの近況をお聞きすることがあったので、ここに紹介させていただきます。

(東京に移ってから、仕事もお忙しく以前ほどクラスに通えていないとのことですが)
Q「佐野さんにとってヨーガとは何ですか?」
佐野さん「軸。何においても、はっきり正しいと言えるもの」

Q「何を拠り所としていますか?」
佐野さん「愛です。大阪クラスで『ヨーガを深めていくと、すべては愛につながる』と聞いてから、心の中で愛を連呼しています。

今でも、皆の前でヨーガの取り組みについてお話をさせてもらった際に、『ミッションのクラスは、ヨーガを通して愛を教えるクラス』と表現したことを思い出します。雑巾がけされた会議室に行くと、笑顔でシャチーさん、マーダヴィーさんが迎えてくれる。人知れず相手のためを思って行なうその行為こそが、あのクラスで学ぶべきものであったことを痛感しています。
今、私も会社に早朝に行き、皆が仕事がしやすくなるような環境づくりを行なうようにしています。それが私のヨーガです」

佐野さんは今までのご自分の失敗を学びに変え、自分にとっても周りの方にとってもより良くなるようにとヨーガを実践していることを話してくれました。

佐野さんが常に意識しているというマザーテレサの言葉を紹介します。

想いに気をつけなさい。
それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい。
それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい。
それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい。
それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい。
それはいつか運命になるから。

2カ月ほど前だったか、大阪の朝クラスに佐野さんの元同僚が来られました。彼女は、ヨーガを始めてから佐野さんが本当に変わったことが印象的だったそうで、何年も前のことなのにミッションの名前を覚えていて参加してくださったということでした。
佐野さんはその報告を聞いてとても嬉しかったそうです。そして自分の何が変わったのか考えてみたということでした。
「あの当時は、自分の主張が先にあったと思います。今は『(相手が)笑顔になりますように』が先になっていると思います。それによって、私も嬉しくなり、幸せを感じます」

私と佐野さんとは、クラス終了後の駅までの道のりを、よくご一緒し、ヨーガについて語り合ったものです。ヨーガの効果は日常に現れるといわれますが、佐野さんのヨーガは着実に彼の日常に浸透していることを感じ、私もとても嬉しかったです。


*大阪在住だった頃の佐野さん(白シャツ)。佐野さんのキールタン好きは私たちの間では有名で、今でも東京バクティ・サンガムでキールタンを熱唱しているとか・・・。

シャチー

 


京都マムフェスにてヨーガ・瞑想ワークショップ

今現在、師であるヨギさんが台湾をご訪問されています。ミラバイさんの速報記事から、ヨギさんの愛でハートいっぱいに満たされた台湾の方々が目に浮かびます!

さてさて、11月3日(土)京都では子育て中のママを応援するお祭り、マムフェスにてヨーガ・瞑想ワークショップをしてきました〜。

会場は平安神宮の参道です。広々していて、しかも清々しいほどの秋晴れに恵まれ、とっても気持ちの良い日でした。赤ちゃん連れのお母さんや、もうすぐ臨月に入る妊婦さんと旦那さん、ママに限らずいろんな方が会場の前を通り、ワークショップに興味を持って参加してくださいました。

ヨーガのアーサナは呼吸からアプローチして、心を穏やかに、身体を健康にしていくという話をさせて頂いたのですが、どの方もそのことについて興味深そうに聞いてくださっていました。会場の隣ではヴィーガンフェスが開催されており、そこから流れてくる人たちもちらほら。「他のヨーガに通ってるんです」と言われる方も何人かおられましたが、その方たちも呼吸の話は初めてだったようで、「へ〜!なるほど〜!」ととても感心されていたのが印象的でした。

ワークショップの後は「気持ち良かった〜!」と来たときよりも顔が緩んだ様子で帰っていかれる方がたくさんいました。師から学んだヨーガを、少しの時間でしたが体験して頂く機会をもてたことが、とても嬉しかったです。参加された方の中には京都クラスがどの場所にあるか聞いてくださる方もいて、今後もヨーガのご縁が繋がっていくといいな〜と思っています。

さて、話は変わりますが、京都金曜午前クラスは今月から第1,3金曜日のみのクラスに変更となり、それに伴い新しい企画を始めています。アーサナのあと、ヨーガのお話を月ごとにテーマを決めてお伝えする内容となっています。https://www.mahayogi.org/classes/kurashi-yoga
ちなみに11月のテーマは『呼吸と心の関係を知る』、体験談を交えてお話しさせて頂きます。お子さん連れ、身体の硬い方、シニアの方、大歓迎です!ぜひお越しください!朝ヨガ気持ち良いですよ〜

amara


アイドルと神の追っかけ

もう10月も終盤ですね。この1年を振り返るにはちょっと早いですが、私にとって2018年は仕事でもヨーガでも「追っかけ」ということを感じている年であります。

私は介護の仕事をしているのですが、車椅子の利用者さんが今年に入ってから急に女性アイドルグループにはまり、毎日その音楽を聴いたり動画を見るようになって、コンサートにまで行くようになりました。介助の付き添いでコンサートに行くと、そこには「追っかけ」のような熱狂的なファンの人がいっぱいいて、会場内は「超絶カワイイ〜ちゃん!」などの叫び声が聞こえ、その興奮と熱気で独特の雰囲気が醸し出されていました。

で、ヨーガの方はいうと、今年に入って私はバクティ・サンガムによく参加するようになりました。今までバクティ(神への愛)やキールタン(神の讃歌)には抵抗があったのですが、ちょっと行きたくなって参加してみたら、なんとはまってしまいました(笑)。それからというもの、京都にとどまらず大阪、松山、この前の神戸のインディア・メーラーにと、バクティ・サンガムがあるところ、「追っかけ」のようにどこでも行くようになりました。

そして先日も大阪のバクティ・サンガムに参加してきました。会場には大阪や兵庫、京都、また松山から来た熱狂的バクタ(神の信愛者)たちがいて、不思議と歌う前から瞑想的な独特のムードに心が支配されました。今月からテーマ曲は『Govinda Hare Gopala』。自分の名前が連呼されるという嬉しいような恥ずかしいような曲……歌の始めはリードと追っかけの掛け合いですが、後半からはみんなで神の御名を歌っていきます。今回、繰り返し繰り返し神の御名を歌っていくうちに、太鼓、鈴、ハルモニウム、コーラス、そしてリードも追っかけもすべてが一つに溶け合うような一体感があり、それは初めて味わう感覚でした。

10/28(日)京都のコイズミ楽器さんでバクティ・サンガムがあります。
どうですか、神の御名の「追っかけ」、一緒にしませんか?

ゴーパーラ


インディア・メーラーに参加してきました!

10月7日(日)、神戸メリケンパークで行なわれたインディア・メーラーのサブステージに参加してきました。

快晴! 10月とは思えないほどの暑さとなりましたが、大空の下、潮風を受けながら歌うキールタンはとっても気持ちがよかったです。

少しですが、動画をご紹介〜↓

 

ご参加くださいました皆様、本当にありがとうございました!

ミラバイ

 


ヨーガを続けてきて今、感じること—烏丸ヨーガ・瞑想クラス インタビュー②

ヨーガ・瞑想クラスに参加されている方へのインタビュー第二弾!(前回の記事はこちら

5年ほど前には、インドの北から南まで旅をしてアーシュラマ(道場)に滞在したこともあるという藤井かおりさんにお話を伺ってみました。クラスに来られて3年が過ぎましたが、彼女を見ていると姿勢が美しく変わり、体の軸がしっかりしてこられたのがよ〜く!わかります。 


——ヨーガと出会いどのような変化を感じていますか?

以前は呼吸が浅く、息苦しくなることもありましたが、今は日常で気持ちのよい呼吸ができているように感じます。
また、物事を自分のいいように解釈したり、都合の悪いことは見ないようにしていた部分があったのですが、ありのままを受け止めて、前向きに捉えられるようになってきました。

——藤井さんにとってクラスはどんな場所ですか?

心が落ち着く場所です。クラスの後、何日かはその余波が続きます。
みんなでアーサナをするとすごく集中できるし、穏やかな気持ちになるので、やっぱり行くとぜんぜん違うなあと感じます。

——ヨーガを続けている理由は何でしょうか?

ヨーガは、私にとって一生学んでいられると感じる大切なものです。その時々で自分に必要な新しい気づきのようなものがあるからです。
例えば、日常のふとした時にヨーガの教えや、ブログに書かれていたことが腑に落ちたり、悩んでいることの解決法が見えてきたり、本当に大事なものはこっちだと、教えてもらっているように感じます。

——ヨーガを通してどのようになりたいですか?

女神を母として信仰し、信じて生きていくという境地に憧れます。神様のこと、その中にある純粋な愛をもっと知りたいです。

以前、人のためにと思ってしたことで、自分のことしか考えていないと言われたことがあり、それに対して相手を責めるような強い感情を持ったことがありました。
その時に、知らず識らずのうちに見返りを求めていた自分に気づき、考えされられました。ヨーガを通して教えを学び、本当の意味で強く温かい、愛のある人でいられたら…と思います。


軸がしっかりしてきたと感じたのは、確かなものを藤井さんが感じていて、自分の中に理想とするあり方をきちんと据えているからなのですね。納得です〜。

今回お二人からお話を伺ってみて、あぁ、こんなふうに感じてくれていたんだ〜!と初めてお聞きする内容に驚いたり、また頼もしくも感じたり、とっても楽しいインタビューとなりました。

呼吸が変わり、心が調い、そこにヨーガの教えがすーーっと入っていく。生きるということとヨーガが結びついてきて、今の実践の先に「こうなりたい自分」というものが持てるようになるんだなあと、やっぱり続けてきた中で培われていったものは大きいと感じました。私自身もとっても貴重な贈り物をいただいたような気持ちになりました。

これからも一緒に学び、励んでいけますように!

マードゥリー

烏丸スタジオにて

クラス後に。サティヤー、二宮さん、藤井さん、マードゥリー(左から)


さまらさの台所 コロッケの美味しい作り方

先日のさまらさの台所では、今が旬のじゃがいもを使ったコロッケを3種と、ライスコロッケ を紹介しました!黒豆の枝豆を贅沢に使った、枝豆コロッケ、本格インドスパイスを使ったカレーコロッケ、旬のきのこの旨味をギュッと引き出した、きのこコロッケ、そして、チーズがとろーり美味しい、トマトライスコロッケ です。

参加した方からは、「どのコロッケも素材の旨味があって感動しました!」「今まで自分で作っていたものもあったのに全然違うものでした」「コロッケの種類がこんなに豊富とはびっくりしました」と喜びの感想をいただきました。

それぞれのコロッケが美味しいのは、黒豆の枝豆や、きのこといった旬の素材が美味しいのはもちろんですが、ベースになるじゃがいもの味がポイントになります。ではここで、さまらさ風コロッケの種の作り方をご方法をご紹介します。

じゃがいもをゆがくとき、たっぷりのお水でゆがき、最後にゆで汁を捨てるという方も多いと思います。実はゆがいている間に、ゆで汁にじゃがいもから栄養分が流れ出ています。そのゆで汁を捨てるのはとてももったいないですね。また、水っぽく仕上がることで、じゃがいもの味が薄くなり、つぶしたときにも水っぽい仕上がりになります。

でも、さまらさのゆがき方だと、はじめに鍋に入れる水を少なくしているので、栄養分も逃さず、じゃがいもの味も濃く仕上がります。また、水分がしっかり飛んでいるので、じゃがいもをつぶしたとき、ホクホクとした仕上がりになります。このように作った種に、旬のきのこや黒豆を混ぜて作るコロッケは、美味しいこと間違いなしです!

さまらさではいつも、素材そのものの味を生かす調理方法をご紹介しています。今回は、じゃがいものゆがき方だけでなく、きのこの旨味を出す方法や、カレーのスパイスを美味しく使うポイントなどもご紹介しました。新鮮な食材は、それだけで十分美味しいのですから、大切にいただきたいですね。

ご好評につき、12月16日(日)(@ヨーガ・ヴィハーラ 15:00〜17:30)にもう一度コロッケの会をします。残念ながら、黒豆の枝豆コロッケは時期が外れてしまうので作れませんが、カレーコロッケ、きのこコロッケ、ライスコロッケ の3種類を作ります。ぜひ!ご参加ください。