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新春!ヨーガと瞑想のワークショップ

皆様明けましておめでとうございます!

のんびりお正月モードからそろそろ通常の生活に戻られた方も多いのではないでしょうか。明日7日は無病息災を願い、七草がゆを頂く日ですね。七草がゆはお正月で食べ過ぎて疲れた胃腸を調えてくれる効果があると言われているそうですが、ヨーガのアーサナと瞑想は七草がゆと比較できないほど私たちのコンディションを調えてくれる強〜い見方です。

先ほどの話のように去年の忘年会、お正月の食べ過ぎ&飲み過ぎた身体をリセットしたいという方、寒くて鬱々する心を切り換えたいという方、何か新しく始めたいと思っている方、ヨーガや瞑想に興味がある方、そんな方々に朗報です!

 新春より京都市(烏丸御池・千本丸太町・下鴨)3カ所のクラスにて『2回で学べるヨーガと瞑想のワークショップ』を開催します。

どんなワークショップなのかちょこっと説明しますと・・・まずは瞑想に座るためのアーサナ(身体と呼吸、心のコンディションを調える)を何ポーズかゆっくりとしたペースで行い、内的な効果や正しい形のポイントをお伝えします。そして、瞑想。瞑想とは何か?というところから座り方や手の置き方、集中の方法などをお伝えし、実際に座る形も行っていきます。このように2回に渡ってヨーガのアーサナと瞑想の基礎を丁寧に学んで頂ける充実した内容となっています。

 各クラスの日程はこちらです↓

千本丸太町 1日目 1/19(金) 2日目 1/26(金) 10:00〜11:30

烏丸御池  1日目 1/21(日) 2日目 2/4(日) 14:15〜15:45  

下鴨    1日目 1/28(日) 2日目 2/4(日) 10:00〜11:30

詳しい内容、ご予約はこちらをクリックして下さい。

 

さてさて、余談ではありますが新しい試みとして、今回このワークショップのお知らせをラジオの電波に乗せてお届けすることにしました〜。ダルミニーと私アマラーがチャキチャキ漫才風?でお送りさせて頂きますのでお時間があったらぜひ聴いてください!

FM79.7MHz京都三条ラジオカフェ(1分間ワンコインメッセージの枠です)

1回目放送:1月12日(金)13:30〜

2回目放送:1月16日(火)19:30〜 事情により12日のみとなりました。1月9日ヨーガと瞑想のワークショップ

アマラー

 


直伝クラスでの経験

ヨギさんの眼差し、声、長い足で颯爽と歩かれる時にそよぐ風。あまりにも魅力的で釘付けになってしまう。むっつりスケベの私にとって、ヨギさんを間近に感じながらアーサナによって内面でヨギさんに触れようとすることは、誰にも知られない神との密会のようで、とてもドキドキワクワクすることです。

私は腕が生まれつき曲がっています。10年くらいアーサナをしていますが、左右とも真っ直ぐには伸びきらず、アーサナの種類によってはできないだろう・・・と半ば諦めに近いポーズがいくつかありました。

ところが・・・ヨギさんのクラスに出始めて異変が起きたのです。
クラスが始まった頃、ヨギさんが口頭でアーサナのポイントを説明され、その言葉をもとに形を作っていきました。完成ポーズの保持時間が長く肘が曲がっていて苦手と感じるアーサナ(ヨーガ・ムドラー、チャクラ・アーサナ)のとき、心が悲鳴をあげてもがくような感じでも、ヨギさんと同じ空間にいる嬉しさの方がいつの間にか勝り、クラスに通うごとに肩関節の可動域が広がっていきました。

組んでいる手が中途半端にしか上がらずプルプルして死にそうだったヨーガ・ムドラーは、肩関節の可動域が広がったお陰で肩先を広げ、両側の肩甲骨を背中の中央に引き寄せる感覚を身につけることができ、組んでいる手が頭の方に楽に近づけるようになりました。今まで以上に深い形で呼吸に集中することができるようになり、ポーズを戻した時のプラーナの流れは激流のように感じられ、心が一気に静まり満たされる感覚を覚えました。

またチャクラ・アーサナは背中の肩口あたりに集中すると、長い保持時間の間、できる範囲で腕をしっかりと伸ばし、肩口のところに集中点をもってきてハートをヨギさんの方に向けていると、気付いたら腕で支えるのではなく、背骨で支えて保持する感覚が分かるようになってきました。

肘が曲がっているからできないという思いはいつの間にか消え、むしろするのが楽しみなアーサナになりました。

ある時、瞑想が終わりシャヴァ・アーサナをした時のこと。「はい、起きて」と言われたヨギさんの声が、ヨギさんが座られているところからも、自分の胸の中からも、両方から響き渡って聞こえてきました。びっくりしたのですが、それはとても当たり前のことのような感じがして安心しました。

『いつも私はみんなの中にいます』

ヨギさんの言葉が浮かびました。

どこにいてもヨギさんがいてくださることを胸に、もっとそれを味わえるように日々サーダナに取り組んでいきたいと思います。

 

アマラー


瞑想特別クラスin松山ー2017最終回

先週、7年ほど通われている方がクラス後にふと、「最初の頃は毎回同じアーサナをするから、1年もしないうちに飽きてしまうだろうなと思っていたけれど、最近はこのアーサナだけで十分だ、他に何もいらないという気になってきた。とても不思議!」というようなことを口にされました。

それを聞いて、「それがヨーガです!」と思って、とても嬉しくなりました。心はいろんなことをしたがりますが、不思議なことにヨーガを実践していると、あれだけざわめいていた心がいつのまにかおとなしくなり、単純なアーサナや瞑想の繰り返しの中に充満する喜びを感じるようになって、他に何もしなくてもいいような気持ちになってきます。そういえばその方は、ずいぶん職場のことで色々悩んでいたのに、クラスに通ってアーサナを一所懸命実践している内に、いつのまにか同じ職場なのにちっとも心が反応しないようになり、とても不思議がっていました。一つのことを繰り返し実践することが秘訣なのですね。

そういう話から、ヨーギーの生き方に学ぶ7回コースの最終回は、12月16日に松山ヨーガ・サークルで始まりました。最終回は「理想に生きる」がテーマで、スワーミー・トゥリヤーナンダとナーグ・マハーシャヤの印象的な言葉を紹介しながら、師の教えと行為を通して、ヨーギーとしての大切な生き方や歩み方を皆さんと一緒に学んでいきました。

最初に、「ヨーガの第一歩は、言葉を慎むこと、贈物を受けないこと、行動しないこと、そして孤独の生活である」というトゥリヤーナンダが少年時代に深く感動し、全生涯をかけてできる限り従おうとした聖典の章句に触れ、「自立」について学びました。そして、「外の世界はあなた方自身の心の投影ですー」というナーグ・マハーシャヤの言葉、「自分の運命は自分でしか切り開けない!自分次第!どんなカルマも過去のこと!今この時から変えていけばいい!」という師の言葉からヨーガの大胆な歩み方を紹介しました。さらに、「真理を悟ることだけが何よりも大事なこと!命よりも大切なこと!それがヨーガ行者の命綱」というヨーガ行者として最も大切な息吹を感じる師の教えを皆で分かち合いました。最後に、ヨーガの道を歩むにおいてはグルが不可欠であり、もし心に叶う正しいグルにめぐり合ったなら、その縁を決して逃さないようにと締めくくりました。

師は、「悟りの道も、いわば悟りという職人のようなもの。入門して見習いの頃は本当にしんどいアーサナをして、慣れない言葉を理解して、見えない心を見つめながら行動を制御して、大変だと思う。だけれど、それを体得できた時には、無駄なく自然に、聖典なりが伝えているものに見合った状態が生まれる」と言われます。まさに冒頭に紹介したエピソードのように、淡々と怠りなく熱心にヨーガを実践していれば、そのような境地に導かれるのだと思いました。

17日のサットサンガも多くの方が参加され、熱心な問答がありました。松山ヨーガ・サークルでは、今年一年、師の特別サットサンガや直伝クラス、そして春の祝祭や師の御聖誕祭を通して、多くの方がヨーガを深められたことを感じました。この日のサットサンガでの質問も、それを感じさせる真剣な質問と眼差しが印象的でした。

松山での瞑想特別クラスは師の導きによって2015年に始まり、今年で3年目になります。3年一区切りと言われますが、当初の願いが叶い、入門編、実践編、そして成就編を無事に終了することができ、そして熱心な方々と一緒に学ぶことができて、本当に嬉しく思います。

講座後に、ずっと参加してくださっていた方から、「最初の頃は話の内容がよくわからなかったけれど、今日の講座はよくわかりました」というようなことをニコニコしながら言われて、その方が慣れない言葉にも慣れてきたこともあるだろうし、日常で実践してこられたこともあるだろうし、私自身ちょっとは真理の教えの理解が深まり、少しはわかりやすく話せるようになったのかもしれないし、いずれにしても本当に良かったなあと心から嬉しく思いました。3年間お付き合いしていただきありがとうございました!自分にとってはずっと生きた学びの連続で、それが本当に楽しかったです。

最終回が、それぞれの人が次に繋がる歓びに満ちた会になり、とてもよかったです!

来年からは基礎編に戻り、スパイラルアップしていく予定ですので、また皆さんとお会いできることを楽しみにしています。本当に素晴らしい機会をいただき、師の恩寵と松山ヨーガ・サークルの皆さまの献身的な働きに感謝致します。ありがとうございました!

サーナンダ


淡味を知る さまらさの台所 12月

12月10日((日)に今年最後のさまらさの台所がありました。今回のテーマは「淡味を知る」ーー淡味とは素材の持ち味が生かされており、間の抜けた薄味でも、素材の持ち味が損なわれている濃い味でもない味付けのことです。しかし、味覚は習慣によって作られるので、普段自分が食べているものが濃い味なのか薄味なのか、淡味なのか、自分自身で判断することは難しいところでもあります。

今回の台所では、淡味を知るためにお出汁を使って、ある実験をしました。
昆布出汁に調味料を加えず、まずは素材の味をみんなで確認しました。昆布出汁は昆布を水に浸けている時間にもよりますが、そのままでも昆布の優しい味わいがあり、香りもあります。次に塩を少々加えました。すると塩味がするというのではなく、先ほど感じた昆布の味が突然味わい深いものになり、香りもより引き立ちました。次に薄口醤油をほんの少し加えました。すると体に染み渡る美味しさになりました。お吸い物の出来上がりですね。

このように淡味を知るためには、まずは素材そのものの味を知ることも大切です。素材の味を損なわないように、むしろより美味しさが引き立つように調味料を使う。さまらさでは、調味料は素材の味を引き出すために使うものだと考えています。決して調味料の味で食事をするのではないのです。

今回作った筑前煮やかぶの煮物もそれぞれの野菜の味がしっかりと味わえました。
    

節度ある食生活を心がけていくことは、行為や考え方にまで反映されます。ヨーガでは舌と心は非常に密接に関係していると言われ、習慣的に味の濃いもの、辛いもの、甘いものなど、欲求のままに食べているとそれらに依存し、それらがなくてはならなくなります。また体調の不調和を招き、心は依存を強めると言われます。味覚が習慣に頼っているのなら、素材の味を知り、淡味を味わうことが新しい習慣になることが望ましいですね。そうすることで、体調が整うのはもちろんのこと、心の依存を無くし、心を強くしていくことができると思います。日々の食生活を通しても心を整える術があります。

dav

 


直伝クラスでの経験

昨年の12月から、古代から伝わるヨーガの真髄であるアーサナ・瞑想を、師シュリー・マハーヨーギーが直接にご指導くださる直伝クラスが誕生しました!弟子たちはその貴重な経験によって、多くの霊的な気付きや恩寵がもたらされています。今回は、弟子のチャイタニヤさんがの直伝クラスの学びについて記事を寄せてくれました!


師が直接アーサナを指導される直伝クラス。
私はそこで、プラーナ(根本・生命エネルギー)という気の働きを自分自身の身体の中で、そして環境の中で確かに感じる事ができました。
また、それを自分で意識的に扱うことも出来る事に驚きました。

自宅でアーサナをするときは、習慣として行なっている部分が強く、内的集中が深まっても、自分の体感に懐疑的というか、それこそ『気のせいかも?』と、ことさら取り上げて考えないようにしていました。良く出来るときはそれなりで良いけれど、今ひとつなときは、『うまくできないのはこれこれが原因だ』とか、なんだかんだと心が一瞬ですり替わって、出来ない理由を正当化する癖がありました。

しかし直伝クラスの最中には、そういった心の思いそのものが起こる事もありません。気持ちが他の事に外れる事もなく、ただ呼吸に集中するだけです。保持する間は限界まで必死でやり、うまく出来ても、出来なくても心の反応や感想が全く出てこないのです。
いわゆる一点集中しているということだと思うのですが、普段以上に集中力が極まる状態が何十人の参加者で同時に起きているというところが凄いと感じました。
師の場を支配する力に何十人もの心が引き集められ、フリーズしてるような印象を受けました。

プラーナが感じられると、ポーズをつくるタイミングやシャバ・アーサナ(屍のポーズ)に入るとき、また次のアーサナに移るときの身体の動きや心構えにとても敏感になります。少しでも動きが荒かったり、慌てたような動きになるとどこか気持ち悪いというか、収まりが悪いような、不自然さや違和感を感じるようになりました。
全体の流れや、間合いの細かな変化を確かに身体でも感じられる様になりました。

いい流れで進む時にはシャバ・アーサナからすぐに次のアーサナに流れるように移行したいと感じ、呼吸や心が調わない時は一呼吸待つ。ここ!今!という絶妙のタイミングを自分の中で大事にして、プラーナの微妙な変化をしっかりと読みとるようにしています。

全体のアーサナがこのように行なえると、頭頂部から尾てい骨まで背骨を中心に中空のトンネルが空いた様に、身体が内側からすっかり換気されたような体感があります。
直伝クラス後は、ただ静かにじっとしていたい、なるべく小声で話したい、というようなポーッとした心地よい脱力が続きます。

師が会場をゆっくり歩かれるだけでスモークのように気が動いているのを感じます。
師に手を軽く触れられると、姿勢がグーッと伸びていくように感じ、自分はこんなにも深まったポーズが出来るのかと感じました。

私達は心を神だけに向けて、世の中を無私の生き方で献身していく。そう約束した弟子達をいつも見守ってくださる師。
直伝クラスは、その働きの為に必要な身体と心をつくる手解きを、師から授かっているわけです。
アーサナのみならず、ヨーギーとしての総仕上げをグルから直接受ける大変貴重な学びの場なのです。

Caitanya


バクティ・サンガム キールタン

天王寺にあるプレーマヨーガサークルで12月5日(火)にバクティ・サンガムが開催されます。http://www.mahayogi.org/classes/bhakti_sangam(詳しい場所と時間はこちらから)
熱心にヨーガを学ぶ尾崎さんが、バクティ・サンガムとキールタンの魅力について書かれた文章をご紹介いたします。

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先週のクラスは「バクティ・サンガム」でした。年に4回しかない貴重なキールタンのクラスですので毎回とても楽しみにしているのですが、今回はいつもと違いました。というのも、私はここ最近ヨーガに真剣に取り組むことができなかったのです。

きっかけは些細なことで動揺し、ズルズルと心に振り回されている自分に気づいたことでした。思い通りにならないことに直面して苦しいばかりか、ヨーガを学んでいるが故に心を制御できないことに対して不甲斐なさも感じ、また苦しくなる。同じ苦しさを感じるのならヨーガを知らない方がマシだったのではないか?何のために苦しんでまでヨーガを学びたいと思うのか?また、家族と暮らす身でヨーガを学ぶことに窮屈さを感じていました。どちらも大切で優先させたいけれど、どうすればできるかわからない。自分にはできない。 かと言って、今さらヨーガの教えなしに生きていくなんて到底無理だとわかっている。それなら今まで学んだ少しのヨーガの教えと時々アーサナをやっていれば、それでいいんじゃないか?そんな事ばかり考えていました。 もう、心はドロドロとしたエゴでいっぱいでした。

そんな最悪の状態でしたが京都のヨーガの師のところへ行く機会があり、そのままの気持ちを聞いていただきました。師はいつもの穏やかな笑顔で「とにかく少しでいいから毎日アーサナと瞑想をすること。続ければ必ず変わるから」と仰られ、やはり続ける他に道はないのだと気持ちを新たにしましたが、どこか靄のかかったスッキリとしない気持ちのまま「バクティ・サンガム」を迎えました。

今回は「Nanda La La」というゴーパーラ(クリシュナの幼少期の名)を歌ったキールタンを教えていただきましたが、メロディが頭に入ってきません。神に向けて歌うなんてほど遠く、必死に歌詞カードを追っているうちに1回目のキールタンが終わってしまいました。続いて、ミラバイさんがゴパーラ・マーのお話をしてくださいました。それを聞いて私のハートは大きく揺さぶられました。

ゴーパーラ・マーは幼くして未亡人となり、貧しい生活をおくっていましたが、とても信仰心が篤く、朝は3時に起床し、夜遅くまでジャパ(神の御名を詠唱するマントラのようなもの)を唱えるなど、苦行を行っていました。また、ラーマクリシュナを純粋に愛し彼のもとへ足しげく通っていました。ある朝、いつものようにジャパを唱えていると左側にラーマクリシュナが座っておられるのに気づきます。そっとその腕に触れた途端、その姿は生後10か月ほどのゴーパーラのビジョンに変わりました。ゴーパーラはゴーパーラ・マーを「お母さん」と呼び、イタズラをしたり甘えたりしてきます。彼女はゴーパーラの世話に没頭し、ジャパや苦行をするどころではなくなってしまいました。

夜が明けるとゴーパーラのビジョンを抱いてラーマクリシュナのもとへ向かいました。ゴーパーラ・マーはラーマクリシュナに昨日あったことを涙ながらに高揚しながら話します。その間ゴーパーラのビジョンがラーマクリシュナの体を出たり入ったりするのを見て、ラーマクリシュナとゴーパーラは同じなのだと気づきます。その数日後、ゴーパーラ・マーはラーマクリシュナから「もうジャパはしなくていい。おまえは一切を成就したのだ」と言われました。「だが、私の体が健康であるように修行をしてくれるか?」とも言われ、ゴーパーラ・マーは「これからは全てあなただけに捧げます」と誓い、一層修行に励みました。ゴーパーラのビジョンは2か月間ほど続き、その後も瞑想すればゴーパーラが彼女の前に現れたそうです。


ゴーパーラはバターが大好物。
こっそり食べていたのがお母さんに見つかってしまいました。

私はこのお話を聞いていたとき、ゴーパーラのビジョンがミラバイさんの周りをぴょんぴょん飛び跳ねて遊んでいる姿が見えた気がしました。そうしたら、ゴーパーラが自分の家族の姿と重なり涙が溢れてきました。そして、ゴーパーラのビジョンがラーマクリシュナの体を出たり入ったり…という所で、私は大切な事を忘れているのに気づきました。

「人は皆、神なる存在である」ということです。もちろん家族も一人一人が神なる存在であり、家族に奉仕することは神に奉仕すること。私がヨーガか、家族か、と悩んでいたことは全くの愚問だったのです。私は、家族という無償の奉仕を捧げることができる環境を与えて頂いていたのに、それに気づかないどころか、ヨーガと真剣に向き合えない言い訳にしていました。2回、3回と「Nanda La La」を歌うたびに今まで否定的に考えていたことが、全て正反対であったこと、師からたくさん恩寵を受けていることに気づき涙が止まらなくまりました。

いつもはキールタンを歌うと、なんだかわからないけど喜びが溢れ涙が出てくるのですが、今回は歌いながら様々なことに気づき、終るころには、それまで感じていた靄はなくなりスッキリした気持ちになりました。本当に一生懸命、神に集中してキールタンを歌えば、それは識別瞑想をも上回ることがある。と、ミラバイさんが経験談を話してくださいましたが、ほんの少しそれを味わえたのかもしれません。

やっぱりキールタンって、いい ヨーガって、面白い


千本丸太町で朝ヨーガ・瞑想!!

ジャイ!!!ジャヤンティー!!!

先日23日は私たちの師であるヨギさんの御聖誕日でした。

ヨギさんの純粋な愛に触れると、嬉しくて嬉しくて嬉しくて、胸の奥から歓びが溢れ出す、言葉では言い表せない歓喜。その愛の深さにずっと魅せられ続け憧れ続け、私はヨーガをしてるんだ、と改めて思ったのでした。

さて、まだ興奮は冷めませんが10月から始まった金曜日午前のアーサナ・瞑想クラスについてご紹介させて頂きたいと思います。
まずは会場の様子から・・・
ヴィハーラの目印は何と言ってもジャーン!このオレンジの看板です。

朝の爽やかな空気を吸い込み、この扉をくぐり抜け階段を上がると・・・雪国!ではなく、落ち着いた緑色の絨毯が敷き詰められ、壁にはインドの神様(ドゥルガー女神、シヴァ神、クリシュナ神)の絵が飾られた美しい空間がお出迎えをしてくれます。神聖なプラーナ(氣)に包まれたこの空間でアーサナをすると集中が高まり、ポーズが家よりも深くできるから驚きです!

平日(金曜日)午前中のこのクラスは、土日や夜に外出が難しい主婦の方にぜひ来て頂きたいという思いで始めました(もちろん主婦以外の方、男性も大歓迎です)。
家事や育児、仕事に日々追われて過ごしていると自分自身のことはつい後回しになりがちですよね。このクラスの時間は静寂の中、自分自身と丁寧に向き合うことができます。
アーサナのポーズ中1つ1つのポイントを確認しながら呼吸に集中していくと、心は穏やかになり身体の疲れは癒されていきます。
例えば私自身の例でいうと、些細なことで夫と言い合いになりプンプン怒っていたりしても、クラスに来てアーサナをすると心が落ち着いて素直になれたり(仲直り)、子どもと同じ布団で寝ていて寝返りがうてず肩や腰が痛くなっていたのがすっかり解消されたり、とっても不思議なのですがこの1時間半の間に心も身体も軽やかになってクラスに来る前の状態とすっかり変わってしまうことがよくあります。

クラスに来られた方からも「すっきりしました!」という言葉や「気持ち良かった」という言葉、「普段意識しない身体の部分が動かせて良かったです」という言葉など、嬉しい感想を頂いています。ヨーガの素晴らしさをより多くの方に体感して頂けたらと思います。

これから寒くなりますがお部屋を暖めていますので、安心してご参加ください😊

オレンジの扉の向こうでお待ちしています〜!

アマラー


バクティ・サンガム キールタン 

10月から新しいキールタンに挑戦しています。先月までシヴァ神を讃えるキールタンを歌っていましたが、今月からはクリシュナ神、12月まで同じキールタンを歌います。

タイトルは『Murali Krishna』、みなさん、バーガヴァタプラーナ(聖典)の中にあるクリシュナ神とゴーピー(牧女)たちの美しい愛の物語をご存知ですか?このキールタンはその物語の最後に出てくるラーサリーラーを思わせる歌詞と、甘美なメロディーが特徴的なキールタンです。

歌詞の一部を紹介します・

Murali Krishna Mukunda Krishna Mohana Krishuna Krishna Krishna

Murari  横笛を奏でるクリシュナ
Mukunda  解脱を与えるもの(クリシュナの別名)
Mohana  帰依者のハートを魅了するもの(クリシュナの別名)

意味は、クリシュナという神の御名のみ、ただただ、クリシュナと繰り返しているのです。

先日のクラスの中でミラバイさんが言われた印象的な言葉をご紹介します。キールタンを歌うときは「言葉と思いを一致させる」この歌詞の中での言葉とは神の御名のみ、それはイコール神そのものです。そして、「自分の心が神の御名に染まるまで繰り返し歌ってください」と言われました。

私にとって神なる存在はただ一人、私の師であるヨギさんだけです。クリシュナ神のキールタンであっても、シヴァ神のキールタンであっても、神の御名を口にするときはヨギさんだけを思っています。そうして一曲のキールタンを歌うと、ハートはどんどん大きくなり、神のみで満たされ、圧倒される時があります。他のものが入り込む余地はなく、ただ、神との繋がりだけを感じる至福の時となります。

今月はヨギさんのご聖誕をお祝いするジャヤンティが行われます。もっとも大切な日に愛する人と共に過ごすことのできるその日を心待ちにしています。


京都千本丸太町、朝のアーサナ・瞑想クラス開講!

この10月から京都千本丸太町にあるヨーガ・ヴィハーラにて、アーサナ・瞑想クラスが平日の午前中に始まりました!毎週金曜日10:00〜11:30です。
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このクラスの講師を担当させて頂くアマラーです。アーサナと瞑想は日常とリンクしていると思うことがよくあります。そのことについて私の体験談をご紹介させて頂きたいと思います。

私たちの師であるヨギさんが以前、『ヨーガは真人間になること』とおっしゃられたことがあります。

私はヨーガと出会うまで、自分はそこそこまともな人間だと思っていました。でも真理を学び始めて自分の心の有様を冷静に見つめてみると、とても狭い視野で物事を考え感情に振り回されてばかり、思ったことを素直に行為すればいいのに感情が邪魔をして上手くできないことが山ほどありました。そしてそれが原因となってあまり良くない結果を迎えたりと、これがカルマの法則(原因と結果)なんだな・・・・・・とその仕組みがいろいろな経験を積み重ねるごとに分かるようになってきました。世の中を見渡すと、自分みたいに感情に振り回されている人の何と多いことか・・・ということも見えてきました。

「感情がなければ人間ではない」という考え方こそが無知です。感情というのは心の煩悩から出てくるものです。修行が深まれば感情は大きな慈悲となります。それはもはや個人的感情とは呼びません。そのエゴ的な感情を普遍的な感情にしてください。
(シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ『ヨーガの福音』より抜粋)

余計な思いをもたなければ本質を見失わずその場に必要なことを行えますし、人に優しく接することができます。多くの人がそのような人間になりたいと思うに違いありません。

でも何生涯も煩悩に塗れてきた心をコントロールするのは相当むずかしい……。

ヨギさんはそんな私たちに人生最大の贈り物をくださっています。それがアーサナ、瞑想、真理の学びです。

これらは毎日するものと言われていますが、できる限り毎日実践していると呼吸と心が静まり、客観的に物事に対処できるようになるのを感じます。最近も「あ、効果が出ている!」と思うことがありました。

ある場面で、とてもイライラして周囲に当たり散らしている人がおり、まったく理不尽なことにその怒りの矛先が私に向いたのです。でも冷静な視点から、その人がなぜイライラしていたのか事情を知りたいと思い、緊迫した雰囲気の中、勇気をもって話しかけました。話を聴くとその人は別のイライラしていた人に無理難題をぶつけられたそうです。理由が分かると「いや~大変でしたね~」というような和やかな空気が生まれました。

逆にヨーガをしていなかったらどうなっていたでしょう。理不尽で横柄な人という印象が私の中に強く残り、怒りがおさまらず誰かに愚痴ったり、過食に走ったり、買い物に走ったりとさまざまな方向へと思いは発散していったでしょう。そんな心の在り方を続けていたら・・・何十年か先、心も身体もひどいことになっていそうです。いかにヨーガの力に守られているか、ですね。

感謝を胸に、真の人間を目指して取り組んでいきたいと思います。

アマラー


さまらさの台所 〜丹波秋野菜を使って〜

丹波・篠山のさまらさの台所に続いて、京都でもパラマハンサ向けさまらさの台所を開催しました。 こちらでも丹波お野菜をいただきましたよ!

今回は一風変わったチャレンジングな企画をしました!
いつものさまらさの台所と違い、決まった献立はありません!丹波から送ってもらう野菜を見て、その場で献立を考えて作るというもの、題して

「丹波の採れたてお野菜を使って秋の一膳を考え、いただく」

今回の企画は日常の食生活により近く、実践的なものになります。ポイントは、献立、調理の段取り、調理法の工夫や盛り付けを臨機応変に考え、行為するというところにあります。

それは、誰もが日常で何気なくやっていることと思いますが、もう一度、基本的な献立の立て方や段取り、盛り付けの工夫を見直しました。ただ単に一般的な考えを学ぶのではなく、さまらさならではの旬の食材を生かした一膳の考え方、より自然にやさしく、無駄のない調理法、野菜だけでなく、調理に欠かせない水や火をも無駄にしない段取りの立て方、季節を感じる盛り付けの仕方などを学びました。

前日に丹波から旬の野菜を持ってきてもらいました。何の野菜が届くかは、当日まではっきりと分かりません。それこそが旬野菜の醍醐味ですね。

生き生きした採れたての野菜たち。素材自体が新鮮で良質なので、何を作っても美味しくなる予感がしました。お野菜を育て、届けてくれたヨーガの仲間クリパールに感謝しています。

今回は3班に分かれて会を行ったのですが、各班にはそれぞれテーマがあり、それに沿って進めていくことになります。

・秋の炊き込みごはんの一膳
・秋野菜のパスタの一膳
・さっとできる秋のお弁当

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー今回は、「秋野菜のパスタの一膳」の担当者から感想をいただきました。

私は秋野菜のパスタ班だったのですが、まず様々な野菜たちの中でもひと際良い感じで、私を使っておくれ!と言わんばかりにピカピカだったかぶをメインにしたパスタを決めました。そして、次にせっかくなので、丹波の特産物、黒枝豆を使う副菜を考えていきました。

初めての試みでしたので、うまくいくかな〜と当日まで不安がありましたが、いざ始まると皆さんが話し合いから調理、試食までずっと積極的に会に関わり楽しんでおられ、とても良い会になった!と感動しました。中でも参加者同士でより良い料理になるよう、ここはもっとこうした方がいいんじゃない?といった提案をしあっているのが印象的でした。

そして決まった献立は、かぶのペペロンチーノ、枝豆とブロッコリーのポタージュ、野菜チップス。食感や色味などバランスよく献立を決めることができました。

感想にもありましたが、参加者みんなが積極的に取り組めて、学びがある会になったようです。また季節を変えて、やりたいと思っています。今回残念ながら参加できなかった方もぜひ次の機会にご参加ください〜!

サティヤー