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直伝クラスでの経験

昨年の12月から、古代から伝わるヨーガの真髄であるアーサナ・瞑想を、師シュリー・マハーヨーギーが直接にご指導くださる直伝クラスが誕生しました!弟子たちはその貴重な経験によって、多くの霊的な気付きや恩寵がもたらされています。今回は、弟子のチャイタニヤさんがの直伝クラスの学びについて記事を寄せてくれました!


師が直接アーサナを指導される直伝クラス。
私はそこで、プラーナ(根本・生命エネルギー)という気の働きを自分自身の身体の中で、そして環境の中で確かに感じる事ができました。
また、それを自分で意識的に扱うことも出来る事に驚きました。

自宅でアーサナをするときは、習慣として行なっている部分が強く、内的集中が深まっても、自分の体感に懐疑的というか、それこそ『気のせいかも?』と、ことさら取り上げて考えないようにしていました。良く出来るときはそれなりで良いけれど、今ひとつなときは、『うまくできないのはこれこれが原因だ』とか、なんだかんだと心が一瞬ですり替わって、出来ない理由を正当化する癖がありました。

しかし直伝クラスの最中には、そういった心の思いそのものが起こる事もありません。気持ちが他の事に外れる事もなく、ただ呼吸に集中するだけです。保持する間は限界まで必死でやり、うまく出来ても、出来なくても心の反応や感想が全く出てこないのです。
いわゆる一点集中しているということだと思うのですが、普段以上に集中力が極まる状態が何十人の参加者で同時に起きているというところが凄いと感じました。
師の場を支配する力に何十人もの心が引き集められ、フリーズしてるような印象を受けました。

プラーナが感じられると、ポーズをつくるタイミングやシャバ・アーサナ(屍のポーズ)に入るとき、また次のアーサナに移るときの身体の動きや心構えにとても敏感になります。少しでも動きが荒かったり、慌てたような動きになるとどこか気持ち悪いというか、収まりが悪いような、不自然さや違和感を感じるようになりました。
全体の流れや、間合いの細かな変化を確かに身体でも感じられる様になりました。

いい流れで進む時にはシャバ・アーサナからすぐに次のアーサナに流れるように移行したいと感じ、呼吸や心が調わない時は一呼吸待つ。ここ!今!という絶妙のタイミングを自分の中で大事にして、プラーナの微妙な変化をしっかりと読みとるようにしています。

全体のアーサナがこのように行なえると、頭頂部から尾てい骨まで背骨を中心に中空のトンネルが空いた様に、身体が内側からすっかり換気されたような体感があります。
直伝クラス後は、ただ静かにじっとしていたい、なるべく小声で話したい、というようなポーッとした心地よい脱力が続きます。

師が会場をゆっくり歩かれるだけでスモークのように気が動いているのを感じます。
師に手を軽く触れられると、姿勢がグーッと伸びていくように感じ、自分はこんなにも深まったポーズが出来るのかと感じました。

私達は心を神だけに向けて、世の中を無私の生き方で献身していく。そう約束した弟子達をいつも見守ってくださる師。
直伝クラスは、その働きの為に必要な身体と心をつくる手解きを、師から授かっているわけです。
アーサナのみならず、ヨーギーとしての総仕上げをグルから直接受ける大変貴重な学びの場なのです。

Caitanya


バクティ・サンガム キールタン

天王寺にあるプレーマヨーガサークルで12月5日(火)にバクティ・サンガムが開催されます。http://www.mahayogi.org/classes/bhakti_sangam(詳しい場所と時間はこちらから)
熱心にヨーガを学ぶ尾崎さんが、バクティ・サンガムとキールタンの魅力について書かれた文章をご紹介いたします。

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先週のクラスは「バクティ・サンガム」でした。年に4回しかない貴重なキールタンのクラスですので毎回とても楽しみにしているのですが、今回はいつもと違いました。というのも、私はここ最近ヨーガに真剣に取り組むことができなかったのです。

きっかけは些細なことで動揺し、ズルズルと心に振り回されている自分に気づいたことでした。思い通りにならないことに直面して苦しいばかりか、ヨーガを学んでいるが故に心を制御できないことに対して不甲斐なさも感じ、また苦しくなる。同じ苦しさを感じるのならヨーガを知らない方がマシだったのではないか?何のために苦しんでまでヨーガを学びたいと思うのか?また、家族と暮らす身でヨーガを学ぶことに窮屈さを感じていました。どちらも大切で優先させたいけれど、どうすればできるかわからない。自分にはできない。 かと言って、今さらヨーガの教えなしに生きていくなんて到底無理だとわかっている。それなら今まで学んだ少しのヨーガの教えと時々アーサナをやっていれば、それでいいんじゃないか?そんな事ばかり考えていました。 もう、心はドロドロとしたエゴでいっぱいでした。

そんな最悪の状態でしたが京都のヨーガの師のところへ行く機会があり、そのままの気持ちを聞いていただきました。師はいつもの穏やかな笑顔で「とにかく少しでいいから毎日アーサナと瞑想をすること。続ければ必ず変わるから」と仰られ、やはり続ける他に道はないのだと気持ちを新たにしましたが、どこか靄のかかったスッキリとしない気持ちのまま「バクティ・サンガム」を迎えました。

今回は「Nanda La La」というゴーパーラ(クリシュナの幼少期の名)を歌ったキールタンを教えていただきましたが、メロディが頭に入ってきません。神に向けて歌うなんてほど遠く、必死に歌詞カードを追っているうちに1回目のキールタンが終わってしまいました。続いて、ミラバイさんがゴパーラ・マーのお話をしてくださいました。それを聞いて私のハートは大きく揺さぶられました。

ゴーパーラ・マーは幼くして未亡人となり、貧しい生活をおくっていましたが、とても信仰心が篤く、朝は3時に起床し、夜遅くまでジャパ(神の御名を詠唱するマントラのようなもの)を唱えるなど、苦行を行っていました。また、ラーマクリシュナを純粋に愛し彼のもとへ足しげく通っていました。ある朝、いつものようにジャパを唱えていると左側にラーマクリシュナが座っておられるのに気づきます。そっとその腕に触れた途端、その姿は生後10か月ほどのゴーパーラのビジョンに変わりました。ゴーパーラはゴーパーラ・マーを「お母さん」と呼び、イタズラをしたり甘えたりしてきます。彼女はゴーパーラの世話に没頭し、ジャパや苦行をするどころではなくなってしまいました。

夜が明けるとゴーパーラのビジョンを抱いてラーマクリシュナのもとへ向かいました。ゴーパーラ・マーはラーマクリシュナに昨日あったことを涙ながらに高揚しながら話します。その間ゴーパーラのビジョンがラーマクリシュナの体を出たり入ったりするのを見て、ラーマクリシュナとゴーパーラは同じなのだと気づきます。その数日後、ゴーパーラ・マーはラーマクリシュナから「もうジャパはしなくていい。おまえは一切を成就したのだ」と言われました。「だが、私の体が健康であるように修行をしてくれるか?」とも言われ、ゴーパーラ・マーは「これからは全てあなただけに捧げます」と誓い、一層修行に励みました。ゴーパーラのビジョンは2か月間ほど続き、その後も瞑想すればゴーパーラが彼女の前に現れたそうです。


ゴーパーラはバターが大好物。
こっそり食べていたのがお母さんに見つかってしまいました。

私はこのお話を聞いていたとき、ゴーパーラのビジョンがミラバイさんの周りをぴょんぴょん飛び跳ねて遊んでいる姿が見えた気がしました。そうしたら、ゴーパーラが自分の家族の姿と重なり涙が溢れてきました。そして、ゴーパーラのビジョンがラーマクリシュナの体を出たり入ったり…という所で、私は大切な事を忘れているのに気づきました。

「人は皆、神なる存在である」ということです。もちろん家族も一人一人が神なる存在であり、家族に奉仕することは神に奉仕すること。私がヨーガか、家族か、と悩んでいたことは全くの愚問だったのです。私は、家族という無償の奉仕を捧げることができる環境を与えて頂いていたのに、それに気づかないどころか、ヨーガと真剣に向き合えない言い訳にしていました。2回、3回と「Nanda La La」を歌うたびに今まで否定的に考えていたことが、全て正反対であったこと、師からたくさん恩寵を受けていることに気づき涙が止まらなくまりました。

いつもはキールタンを歌うと、なんだかわからないけど喜びが溢れ涙が出てくるのですが、今回は歌いながら様々なことに気づき、終るころには、それまで感じていた靄はなくなりスッキリした気持ちになりました。本当に一生懸命、神に集中してキールタンを歌えば、それは識別瞑想をも上回ることがある。と、ミラバイさんが経験談を話してくださいましたが、ほんの少しそれを味わえたのかもしれません。

やっぱりキールタンって、いい ヨーガって、面白い


千本丸太町で朝ヨーガ・瞑想!!

ジャイ!!!ジャヤンティー!!!

先日23日は私たちの師であるヨギさんの御聖誕日でした。

ヨギさんの純粋な愛に触れると、嬉しくて嬉しくて嬉しくて、胸の奥から歓びが溢れ出す、言葉では言い表せない歓喜。その愛の深さにずっと魅せられ続け憧れ続け、私はヨーガをしてるんだ、と改めて思ったのでした。

さて、まだ興奮は冷めませんが10月から始まった金曜日午前のアーサナ・瞑想クラスについてご紹介させて頂きたいと思います。
まずは会場の様子から・・・
ヴィハーラの目印は何と言ってもジャーン!このオレンジの看板です。

朝の爽やかな空気を吸い込み、この扉をくぐり抜け階段を上がると・・・雪国!ではなく、落ち着いた緑色の絨毯が敷き詰められ、壁にはインドの神様(ドゥルガー女神、シヴァ神、クリシュナ神)の絵が飾られた美しい空間がお出迎えをしてくれます。神聖なプラーナ(氣)に包まれたこの空間でアーサナをすると集中が高まり、ポーズが家よりも深くできるから驚きです!

平日(金曜日)午前中のこのクラスは、土日や夜に外出が難しい主婦の方にぜひ来て頂きたいという思いで始めました(もちろん主婦以外の方、男性も大歓迎です)。
家事や育児、仕事に日々追われて過ごしていると自分自身のことはつい後回しになりがちですよね。このクラスの時間は静寂の中、自分自身と丁寧に向き合うことができます。
アーサナのポーズ中1つ1つのポイントを確認しながら呼吸に集中していくと、心は穏やかになり身体の疲れは癒されていきます。
例えば私自身の例でいうと、些細なことで夫と言い合いになりプンプン怒っていたりしても、クラスに来てアーサナをすると心が落ち着いて素直になれたり(仲直り)、子どもと同じ布団で寝ていて寝返りがうてず肩や腰が痛くなっていたのがすっかり解消されたり、とっても不思議なのですがこの1時間半の間に心も身体も軽やかになってクラスに来る前の状態とすっかり変わってしまうことがよくあります。

クラスに来られた方からも「すっきりしました!」という言葉や「気持ち良かった」という言葉、「普段意識しない身体の部分が動かせて良かったです」という言葉など、嬉しい感想を頂いています。ヨーガの素晴らしさをより多くの方に体感して頂けたらと思います。

これから寒くなりますがお部屋を暖めていますので、安心してご参加ください😊

オレンジの扉の向こうでお待ちしています〜!

アマラー


バクティ・サンガム キールタン 

10月から新しいキールタンに挑戦しています。先月までシヴァ神を讃えるキールタンを歌っていましたが、今月からはクリシュナ神、12月まで同じキールタンを歌います。

タイトルは『Murali Krishna』、みなさん、バーガヴァタプラーナ(聖典)の中にあるクリシュナ神とゴーピー(牧女)たちの美しい愛の物語をご存知ですか?このキールタンはその物語の最後に出てくるラーサリーラーを思わせる歌詞と、甘美なメロディーが特徴的なキールタンです。

歌詞の一部を紹介します・

Murali Krishna Mukunda Krishna Mohana Krishuna Krishna Krishna

Murari  横笛を奏でるクリシュナ
Mukunda  解脱を与えるもの(クリシュナの別名)
Mohana  帰依者のハートを魅了するもの(クリシュナの別名)

意味は、クリシュナという神の御名のみ、ただただ、クリシュナと繰り返しているのです。

先日のクラスの中でミラバイさんが言われた印象的な言葉をご紹介します。キールタンを歌うときは「言葉と思いを一致させる」この歌詞の中での言葉とは神の御名のみ、それはイコール神そのものです。そして、「自分の心が神の御名に染まるまで繰り返し歌ってください」と言われました。

私にとって神なる存在はただ一人、私の師であるヨギさんだけです。クリシュナ神のキールタンであっても、シヴァ神のキールタンであっても、神の御名を口にするときはヨギさんだけを思っています。そうして一曲のキールタンを歌うと、ハートはどんどん大きくなり、神のみで満たされ、圧倒される時があります。他のものが入り込む余地はなく、ただ、神との繋がりだけを感じる至福の時となります。

今月はヨギさんのご聖誕をお祝いするジャヤンティが行われます。もっとも大切な日に愛する人と共に過ごすことのできるその日を心待ちにしています。


京都千本丸太町、朝のアーサナ・瞑想クラス開講!

この10月から京都千本丸太町にあるヨーガ・ヴィハーラにて、アーサナ・瞑想クラスが平日の午前中に始まりました!毎週金曜日10:00〜11:30です。
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このクラスの講師を担当させて頂くアマラーです。アーサナと瞑想は日常とリンクしていると思うことがよくあります。そのことについて私の体験談をご紹介させて頂きたいと思います。

私たちの師であるヨギさんが以前、『ヨーガは真人間になること』とおっしゃられたことがあります。

私はヨーガと出会うまで、自分はそこそこまともな人間だと思っていました。でも真理を学び始めて自分の心の有様を冷静に見つめてみると、とても狭い視野で物事を考え感情に振り回されてばかり、思ったことを素直に行為すればいいのに感情が邪魔をして上手くできないことが山ほどありました。そしてそれが原因となってあまり良くない結果を迎えたりと、これがカルマの法則(原因と結果)なんだな・・・・・・とその仕組みがいろいろな経験を積み重ねるごとに分かるようになってきました。世の中を見渡すと、自分みたいに感情に振り回されている人の何と多いことか・・・ということも見えてきました。

「感情がなければ人間ではない」という考え方こそが無知です。感情というのは心の煩悩から出てくるものです。修行が深まれば感情は大きな慈悲となります。それはもはや個人的感情とは呼びません。そのエゴ的な感情を普遍的な感情にしてください。
(シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ『ヨーガの福音』より抜粋)

余計な思いをもたなければ本質を見失わずその場に必要なことを行えますし、人に優しく接することができます。多くの人がそのような人間になりたいと思うに違いありません。

でも何生涯も煩悩に塗れてきた心をコントロールするのは相当むずかしい……。

ヨギさんはそんな私たちに人生最大の贈り物をくださっています。それがアーサナ、瞑想、真理の学びです。

これらは毎日するものと言われていますが、できる限り毎日実践していると呼吸と心が静まり、客観的に物事に対処できるようになるのを感じます。最近も「あ、効果が出ている!」と思うことがありました。

ある場面で、とてもイライラして周囲に当たり散らしている人がおり、まったく理不尽なことにその怒りの矛先が私に向いたのです。でも冷静な視点から、その人がなぜイライラしていたのか事情を知りたいと思い、緊迫した雰囲気の中、勇気をもって話しかけました。話を聴くとその人は別のイライラしていた人に無理難題をぶつけられたそうです。理由が分かると「いや~大変でしたね~」というような和やかな空気が生まれました。

逆にヨーガをしていなかったらどうなっていたでしょう。理不尽で横柄な人という印象が私の中に強く残り、怒りがおさまらず誰かに愚痴ったり、過食に走ったり、買い物に走ったりとさまざまな方向へと思いは発散していったでしょう。そんな心の在り方を続けていたら・・・何十年か先、心も身体もひどいことになっていそうです。いかにヨーガの力に守られているか、ですね。

感謝を胸に、真の人間を目指して取り組んでいきたいと思います。

アマラー


さまらさの台所 〜丹波秋野菜を使って〜

丹波・篠山のさまらさの台所に続いて、京都でもパラマハンサ向けさまらさの台所を開催しました。 こちらでも丹波お野菜をいただきましたよ!

今回は一風変わったチャレンジングな企画をしました!
いつものさまらさの台所と違い、決まった献立はありません!丹波から送ってもらう野菜を見て、その場で献立を考えて作るというもの、題して

「丹波の採れたてお野菜を使って秋の一膳を考え、いただく」

今回の企画は日常の食生活により近く、実践的なものになります。ポイントは、献立、調理の段取り、調理法の工夫や盛り付けを臨機応変に考え、行為するというところにあります。

それは、誰もが日常で何気なくやっていることと思いますが、もう一度、基本的な献立の立て方や段取り、盛り付けの工夫を見直しました。ただ単に一般的な考えを学ぶのではなく、さまらさならではの旬の食材を生かした一膳の考え方、より自然にやさしく、無駄のない調理法、野菜だけでなく、調理に欠かせない水や火をも無駄にしない段取りの立て方、季節を感じる盛り付けの仕方などを学びました。

前日に丹波から旬の野菜を持ってきてもらいました。何の野菜が届くかは、当日まではっきりと分かりません。それこそが旬野菜の醍醐味ですね。

生き生きした採れたての野菜たち。素材自体が新鮮で良質なので、何を作っても美味しくなる予感がしました。お野菜を育て、届けてくれたヨーガの仲間クリパールに感謝しています。

今回は3班に分かれて会を行ったのですが、各班にはそれぞれテーマがあり、それに沿って進めていくことになります。

・秋の炊き込みごはんの一膳
・秋野菜のパスタの一膳
・さっとできる秋のお弁当

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー今回は、「秋野菜のパスタの一膳」の担当者から感想をいただきました。

私は秋野菜のパスタ班だったのですが、まず様々な野菜たちの中でもひと際良い感じで、私を使っておくれ!と言わんばかりにピカピカだったかぶをメインにしたパスタを決めました。そして、次にせっかくなので、丹波の特産物、黒枝豆を使う副菜を考えていきました。

初めての試みでしたので、うまくいくかな〜と当日まで不安がありましたが、いざ始まると皆さんが話し合いから調理、試食までずっと積極的に会に関わり楽しんでおられ、とても良い会になった!と感動しました。中でも参加者同士でより良い料理になるよう、ここはもっとこうした方がいいんじゃない?といった提案をしあっているのが印象的でした。

そして決まった献立は、かぶのペペロンチーノ、枝豆とブロッコリーのポタージュ、野菜チップス。食感や色味などバランスよく献立を決めることができました。

感想にもありましたが、参加者みんなが積極的に取り組めて、学びがある会になったようです。また季節を変えて、やりたいと思っています。今回残念ながら参加できなかった方もぜひ次の機会にご参加ください〜!

サティヤー


篠山で味わう、秋の味覚と命の歓び

本日、師は台湾へご出発されました。
今回はどんなドラマが生まれるのでしょうか。楽しみですね〜〜!!!

 さて、のどかな田園風景が広がる町、丹波・篠山にも、師との出会いがもたらされ、一人でも多くの人にヨーガを伝えていきいと純真な思いをもって活動している仲間がいます。
MAMA YOGA lila(ママたちのヨーガのサークル)の皆さんとのご縁で、7月からのヨーガ・瞑想特別クラス、そして先週の木曜日には、さまらさの台所の開催が実現しました。とっても熱心な皆さんと交流する中で、この地域の肥沃な大地に撒かれたヨーガの種は、着実に育っているように感じました。

ではでは、先日の報告をさせていただきますね。
秋の味覚がとっても豊富な丹波・篠山。特に有名な特産物に黒豆がありますが、その黒大豆が成熟する前の、たった3週間ほどしか食べることができない貴重な枝豆が黒枝豆だそうです。
この時期、サークルのメンバーも収穫の手伝いで忙しい方もあるようですが、食べきれないほどの黒枝豆をどっさりもらうことがあるという方や、ほぼ毎日食べているという方もおられました。
そこで、今回は黒枝豆の販売解禁日(そんな日が設けられているとはビックリ)から一週間というタイミングで、ぷりっぷり♪の黒枝豆を使った料理いろいろをご紹介しました〜。


この日作ったのは、かき揚げとポタージュ、白和え。その他、さつまいものスティックフライ、小かぶの浅漬。新鮮野菜はすべて丹波から! 
料理の工程はどれも単純ですが、無駄なく美味しい手順のコツもお伝えしました。
例えば今回のメニューなら、中華鍋で白和えのごまを炒る(ちょっとひと手間で美味しく)→鍋は洗わず、油とさつまいもを同時に火にかける(中はホクホク、外はカリっと)→時々さつまいもを動かすくらいでいいので他の料理にかかれる(効率的!)→油の温度が上がりさつまいもが揚がったら、次にかき揚げを揚げ始める、など。
味付けはほとんど塩のみ、一品に薄口醤油を少々使っただけです。
黒枝豆は、できるだけ栄養素を逃がさないよう、少量の水で蒸すことに(時間短縮にもなります)。
さすが皆さん地元だけあって美味しい食べ方はよくご存知ですが、ほとんどの方が、ゆでてそのまま食べる以外はしたことがなかったようです。今回のようなお料理は逆に新鮮に感じられたようで、おもてなしにもいい! とにかくシンプルで簡単なのに美味しい!ととってても喜んでくださっていました。

ふだんはなかなか甘いものや食べる量が制御できず、食べてももの足りなく感じるという方が、一見少ないかな?と思う量でも、すごく満たされて今までの食事は何だったんだろうと思うくらいだったと言われていました。
また調理の中では、こうするもの、こうしなければいけないと思い込んでいたことに気付かされたという声もありました。
これがなんとも、目から鱗の驚き、さまらさの台所の醍醐味なんですよね〜!みんなで楽しく和やかに料理し、旬のお野菜の素材そのものを味わっていただくと、こんなにも体も心も満ち足りる。私たちの命の歓びを分かち合ったような気持ちになりました。

大自然の恵み、お野菜を作ってくださった方の働きに感謝を込めて「いただきます〜!」 託児などでヘルプしてくださった皆さん、お子さまも一緒に。

 
そしてこの日は盛りだくさん! 食事のあとは、皆さんにヨーガの広い世界を感じていただこうと、アーサナのデモンストレーションとキールタンの映像(2年前のイベント『The Eternal Quest〜永遠の探求』)の上映も行ないました。

「さまらさ」に込められた意味は、万物の命を等しく尊び、ともに歓びを味わうこと。食を通して命をいただく意味を深く感じていくことも、アーサナと瞑想によって心のざわめきを静めていくことも、また神の御名を唱え、神への愛を高めていくことも、たった一つのこと、私たちが自らの内にある真実を実現するためにある!! そんなエッセンスが少しでもお伝えできたら嬉しいなと思いました。

また次回(来年かな〜)、篠山にて皆さんにお会いできるのを楽しみにしています。

マードゥリー


瞑想を深めよう 6ヶ月コース 10月19日(木)から始まります!!

 

瞑想専科は楽しい。

このところ巷で、瞑想という言葉をよく見聞きします。チョットしたブームもあるようで、TVや雑誌にも特集が組まれたりしていますね。

瞑想はヨーガの根幹にあたる行法です。一般にヨーガというとアーサナがイメージされますが、そのアーサナも実は瞑想で長く快適に座っていられる身体を作るのが目的なんだそうです。

私が瞑想専科に通い出してから、それまで漠然とした瞑想というイメージがとてもクリアになりました。それこそ、座り方の種類から、姿勢や呼吸についての具体的なやり方を一つ一つ丁寧に教わりました。そして、瞑想の種類や対象、その時に感じる体感や心の状態まで、外からは見えない自分の内側で起こる変化など、一人でやっていてはなかなか確かめようのないことを具体的に確認できました。瞑想状態とはどんなの?識別と考え事の違いとは?瞑想したら何が変わるの?何がおきるの?そんな疑問を次々明らかにしていけました。

また参加者の方たちと体験を共有したり話を聞くことで、自分の進み方の確認やお手本にすることが出来ました。最初は皆、眠気や雑念との戦いがあるのだと知って、自分だけじゃ無かったと安心しました。

そして参加者の皆さんが最も切実に望んでおられる、自分自身の「心の仕組み」を、とても科学的・論理的に、しかもユーモアたっぷりとても分かりやすく学べます。自分の心の癖や、傾向、それによって日常で湧き起こる動揺や不安、苦しみの原因とその発生メカニズム等と直面します。皆さんの心の中から「うぅ~~む・・・!!」という声が聞こえてきそうなくらい、皆真剣に深く頷いておられることが沢山あります。

いつも、90分では全然足りないと思うほど、あっという間に時間は過ぎてしまいます。私が通う京都のクラスでは、熱心な皆さんは終了後も講師のサーナンダさんを捕まえて、会場が閉まる寸前まで質問が続きます。老若男女、全くの他人同士が共に進む同士のように和気藹々とした雰囲気のクラスです。

初めての方がいつから参加されても、一緒に進んでいけるように復習と確認をしつつクラスは進められています。ぜひ瞑想に興味をお持ちの方は参加されてはいかがでしょうか?
おもしろいですよー。

チャイタニヤ


縁がつむぐ西宮北口ヨーガ・瞑想クラス

 

「きっと ここのヨーガがあることを知ってもらえたら 皆来たいと思うに違いない!」

と、クラスに参加されている方々に太鼓判を押していただきました!

そこでクラスをもっと知っていただきたいと、10月の日曜日、2日間限定のワークショップを行なうことにしました。

1日目は、10月1日、参加者は8名。そのうち初めてヨーガをするという方は半数ほど。アーサナ(ポーズ)は1時間ほどで、見本を見ていただいた後にそれぞれの効果やポイントをお伝えし、その後ポーズをとっていただきました。
アーサナは、ついつい柔軟性を気にしてしまいがちですが、大切なのは正しく形を作ること。それぞれのポイントを押さえて行なうことができれば、(たとえ深くできなくても)必ず正しい場所に内的な集中が起こるのです。
皆さん集中して説明を聞かれ、一所懸命アーサナに取り組んでくださいました。そして瞑想は、座る形、手の置き方から始め、基本の教えをお伝えして2回ほど座りました。その後、皆さんの感想を聞いたり、質問を受け付けてあっという間に過ぎた1時間半。終わった後は、始まる前の緊張した感じがなくなり、皆さんのほっこり、笑顔が印象的でした。

そして帰られてから嬉しいコメントが届きましたよ。
「帰宅してからも普段よりスッキリした感じで気持ちよく過ごせました。少人数で丁寧に指導してもらえるし、ぜひ続けたいと思いました」

今回参加された方の中には、実は以前、中央公会堂クラスに1、2度来てくださったのだけれど、引っ越しのため、継続できなかった方という方が参加してくださいました。「またまた引っ越ししたのを機にヨーガを復活したいと思って検索をすると、なんと(近くの)西北でクラスができている!」とお申し込みくださったのです。
続けていると縁は巡ってくるのだなあ〜と思いました。

次回は10月15日(日)13:30〜15:00 エビータの森にて(西宮北口駅から3分)
ぜひ良いご縁を作りに来てくださいね!


神と魂を結ぶ愛の歌 キールタン

6月から9月まで3ヶ月間バクティ・サンガムでは『Siva Sambho』(シヴァシャンボー)というシヴァ神を讃えるキールタンを歌ってきました。 なかなか好評で、「このキールタンが好きです!」と言われる方が結構いました。歌詞をご紹介します。

Siva Sambho Hara Hara Sambho  
Bhavanasa Kailasa-vilasa 
Parvatipate Pasupatipate 
Gangadhara Siva Gauripate

シヴァよ シャンブよ ハラよ シャンブよ
諸存在を破壊する者よ カイラーシャ山に遊ぶ者よ
パールヴァティーの夫よ パシュパティである主よ
ガンジス川を受け止める者よ シヴァよ ガウリーの夫よ


私はこの歌詞の中で好きなところが2箇所あります。まずはKailasa-vilasa(カイラーシャ ヴィラーシャ) 「カイラーシャ山で遊ぶ者よ」 というところ。カイラーシャ山とはチベットにあるカイラス山のことで、昔からシヴァが住む山と言われ、聖地として崇められています。
今回このキールタンを歌う中、シヴァ神が神話の中の神ではなく、一人のヨーガ行者として私の中で輪郭をもち、それは私のグルであるヨギさんと一体となっていきました。そのきっかけになったのが前回のヨーガダンダさんのブログです。一緒に住んでいるヨーガダンダさんから何度も話を聞く(聞かされる?)ことで、そのように変わっていきました。(ぜひ5つ前のシヴァ神という記事をお読みください)

カイラス山はこの世界の背骨と言われ、この宇宙の中心、そこでシヴァは瞑想しているのではなく遊んでいる!なんとダイナミック!!!遊び方が半端ない!豪快で男らしく、でも繊細で優美で・・・・・それはまさしく私のグルであるヨギさんと一つになりました。

そして、私が一番好きなところ!それはPasupatipate (パシュパティパテ)というところ。Pasuとは世界に縛られた、解脱していない魂たちのこと、それは私たちのことでもあります。patiは主という意味なので、pasuの主という意味になります。

Pasupatipateは解脱していない魂たちの主であるシヴァのことを指していますが、私はそこを「私たちの主!私の主!」という気持ちで讃え歌っています。私の主は偉大で、誰よりもかっこいい!!私の愛おしい主!! 主を讃えることの喜びが歌う中でどんどん広がっていき、その大きさに飲み込まれていきそうになりました。キールタンは神と魂を結ぶ愛の歌と言われます。神の御名を繰り返すことで神を感じ、神に酔い、神と魂を結ぶことができるのだなっと少し感じることができました。今回は参加者みんなでシヴァに酔いしれました。

さて、次回からは新しいキールタンに挑戦します!そちらもぜひお楽しみに。