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松山にシヴァ神到来!?

先週の9月16日(土)、9月17日(日)にサーナンダさんが瞑想特別クラスとサットサンガのため、松山ヨーガ・サークルに来てくださいました!ちょうどその週末に大型台風到来という情報がありましたが、有難いことに予定通り無事に開催することができました。

初日の瞑想特別クラスでは「布施について考える」というテーマでお金への執着がなくなったらどうなるか、ヨーギーを見倣う生き方を学びました。私自身が最も印象に残ったサーナンダさんの言葉は「ヨーガの極意は執らわれないことです」という力強い一言です。サーナンダさんは具体的に私たちが何に執らわれているか、どうすればいいのか?を丁寧に説いてくださいました。ヨーギーの生き方の何と清々しいことか!憧れずにいられなくなるような内容でした。

講座後の感想をご紹介します。
「お金に対しての教えでしたが、教えていただき自分のカルマ(因果応報の法則)を取り除けてないこと、欲望の生活を送っているのがたくさん見えました。聖者の生き方からお金に対する無執着を教えていただき、お布施の本来の意味を知り熱い思いが常に自分を奮い立たせることだとわかり魂を感じる会でした。実践していきます」
「生活、生き方を志の実現のために整え、行為していくということを教わり、布施ということに限らず、一瞬一瞬の言葉や思い、選択をどれだけこの意識に向けられているだろうと反省します。もっと情熱をもって真剣にもっと精一杯整え、行動していきたいです」
そして、長年ヨーガを実践している方は「最近、お金をあまり使わなくなったのでなるほどと思いました」という感想もありました。


台風にも関わらず30名以上の方が参加されました。

2日目のサットサンガの中で印象に残った話をご紹介します。

上司との関係に悩むMさんは、上司に認められたいという思いを棄てるにはどうすればいいのか質問しました。
サーナンダさん「輪廻転生と言いますが、昨日が前世、今日が今生、明日が来世と、毎日に例えられます。すると、今日考えたり悩んだりしていることは、だいたい昨日も同じことを考えたり悩んだりしていたと思いますし、たぶん明日も同じことで悩んでいるでしょう。それと同じように、今生で直面している問題や悩みですが、多分前世でも同じ問題で悩んでいたでしょうし、このまま行けば必ず来世でも同じことを繰り返すに違いない、と私は思うのです。そうすると、それは嫌だから今生で何とかしないといけない、それならば今を真剣によりよくしていくしかないと思うのです。

Mさんの場合も、このまま行けばまた来世でも同じようなことを繰り返してしまうでしょう。それは嫌でしょう!それが嫌なら、真剣にヨーガをやっていくしかないです。ヨーガをやっていくことで心が変容します。心が変容すれば必ずそれに接する人の反応が変わります。それによって状況も変わっていきます。具体的に言えば、余計なことを考えず、淡々と仕事に励むこと。そして、ヤマ(禁戒)、二ヤマ(勧戒)で行為を整え、アーサナによって呼吸を調え、聖典の学習や瞑想によって心を調えていけばいいです。そうすれば思いも状況も必ず変わっていきます!

生きていればいろんなことが起こります。子供の頃、嫌なことに出会った時、なぜ出会ったのか原因を一所懸命考えたことがありました。すると、一つの答えが出てきました。それは、生まれてきたからだと思ったのです!様々な原因があるかもしれないけれど、その時そこに自分がいたことにも確実に責任があるのですから!生まれてこなかったらそこにはいなかったし、嫌なことも起こらなかった。しかし、生まれてきた以上、どこでどんな目に遭ったとしても仕方がない、自分にも責任があると思うようになりました。ではなぜ生まれてきたのか?自分とは一体なんなのかが肝心なのです。小手先で逃れようとするのではなく、覚悟を決めて今の状況を受け入れて、そうしてやって行けば、いつか転機がやってくるかもしれません。

実際的には、職場の改善を働きかけたり、自分自身についても改善していけばいいと思います。自分にも改善すべきたくさんのことがあるかもしれない。言葉遣いとか行動とか。そうやって実際的に改善していけばよりよくなっていくと思います」

サーナンダさんの気迫のこもった言葉がその場にいた皆さんに、「人や状況のせいにせず、より良く改善していきたい」という情熱が注がれたかのようでした!
その証拠に今回の講座とサットサンガの後日、クラスに来られる方の話す言葉が別人のように変わっていっているのです。
「すごく落ち込んでいたけど、もう後戻りしたくない!身体のことをくよくよ思い悩むよりも、もっと純粋にヨーガだけに邁進していきたい!」
「人に依存していたことに気が付いたので依存をなくしていきたい」

台風が去った翌日、空気がとっても澄んでいて本当に清々しかったです。先日からこのブログでもシヴァ神のお話しが出ていますが、シヴァ神のルーツは暴風雨の神様。そしてシヴァ神は破壊と再生の神様です。サーナンダさんと一緒にシヴァ神が来てくださって私たちのこだわりを破壊し自由にしてくださったのかというくらいクラスに来られる皆さんの表情が変容したのです。しかし、まだまだこれからです。完全な自由に至るまで力強く前進し今までの癖や傾向を破壊し真理とひとつになって新しい命を生きることができますように。

サーナンダさん、シヴァ神とともに来てくださって本当にありがとうございました!
サーナンダさんのハートはヨギさんでいっぱいです。
最愛の師、ヨギさんに心からの感謝を込めて。

アーナンディー


The Truth Shall Make You Free 〜神聖なるものとの出会い〜

みなさん、こんにちは。
台風来てますね〜。ヨーガダンダさんが紹介してくれていたシヴァ神が大暴れ!です。

さてさて、上の写真は私が通っていた大阪女学院の正門です。(短大側)
私は中学高校と仏教の学校に通って「朝に礼拝、夕に感謝。慈悲やさしくきよらかに、和合なかよくたすけあって、精進つとめにはげみましょう」と6年間毎日朝礼で唱え、お花祭りでは玄関に飾られたお釈迦さまに甘茶をかけ、学年全生徒で正信偈なんかのお経を唱え、せっせと仏教的学校行事に参加してました。お釈迦さまの教えに触れた、学んだという記憶は一切ないんですけどね笑。高校卒業後は一転キリスト教の学校へ。ある意味改宗ですね笑。

短大時代は聖書がすごく好きになって、夢中になって読んでいました。今でも自分の聖書には当時の付箋がいっぱい貼られてます。学校内にあるヘールチャペルには特に礼拝の対象となるシンボルは飾られていなかったのですが、要らない装飾が一切ない質素さの中になんだか静かで神聖な雰囲気があって、礼拝にもよく通っていました。
といっても、その時にイエスさまへの信仰にぱーっと目覚めた!というわけではなかったのですが、この門に書かれた言葉に、なぜだか当時強烈に心が惹かれたんです。その言葉の意味は・・・

The Truth Shall Make You Free
真実はあなたたちを自由にする

その時自分の直観で分かったことは、この言葉自体が真実である、ということです。そして、私たちを自由にさせるという「The Truthー真実ー」というものが、ものすごくキラキラ輝いて見えて、猛烈に憧れたんです。振り返ってみると、理由なく惹かれたこの言葉との出会いが、自分の人生の中で神聖なものとの最初の出会いだったんだな〜、そしてそれがそれからの人生で大きな自分の鍵になっていたんだな〜と気がつきました。神さまはいろんな場面でヒントを与えてくださいます。その後もう10年以上この言葉のことも忘れてたんですけどね。大切なのはそれに気がついて、私たちが神さまを愛し、神さまを求めるようになるかどうか!なのかな?

私が好きな聖書の中の言葉は「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」そして「神は愛である」ということです。ヨーガを学んでいくにつれて、ヨーガの教えとイエスさまが教えられていることは、本質的に一致していくことがわかってきました。

誰もの本質は真実であるところの、アートマンである。そのアートマンだけを見るようにと、何回も何回も我が師に教えていただいてきました。はじめは、そう言われてもアートマン以外のことしかないやん!!ってしつこく葛藤格闘してきましたけれども、それをそうなんや、そうなんやでって言い聞かせ続けて続けて続けて・・・(「失敗や小さい後退を気にするな。千回でも理想にしがみつくのだ。千回失敗したらさらにもう一度チャレンジせよ」というヴィヴェーカーナンダの言葉を励みにしながら。ヴィヴェーカーナンダが千回失敗したらって言われるなら、私は一千億回失敗したけど、もう一回って諦めず!)そしたら自分の心は降参したんです。矛盾だらけで完全でない自分の心は、やっぱり真実には最終的には勝てないんですね。

何かに捉われて自分を縛り付けていたものは結局は自分の心やったんやなぁって、本当に楽になりました。「真実はあなたたちを自由にする」という言葉へのあの時のなぜだかわからない憧れは、ここに繋がってたのかな〜。今はその真実なる教えによって、自分の心が “自由” の片鱗を大いに味わっているからです。

一つ前の記事で、ダルミニーさんがシュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサについて書いてくれていましたね。インドのカルカッタ郊外にあるラーマクリシュナ・ミッションの僧院ベルル・マト敷地内には、Ramakrishna Museumがあって、シュリー・ラーマクリシュナや彼の直弟子たちに縁あるものなどが展示されています。
私はそこで見た一枚の絵にものすごく衝撃を受けたんです。それは、主イエスが瞑想に座っている絵でした。それまでイエスさまが瞑想をされていたとか考えてもみなかったので、にわかには信じがたく非常に衝撃的だったのですが、その姿は父である “神” の至福に浸りきっているようで、「あなたたちは私を通して父の下に行く」という教えを絵で表すとこういう風になるんだろうなぁと素直に思えてきて、「私と父は一つである」という教えが自然と心にわき起こってくるようでした。
ああ、イエスさまが教えられていることはこうした瞑想の中で悟られたことなのかもしれないとなんだかすごくしっくりきて、イエスさまの教えとヨーガというものが一直線に繋がったように感じました。ちなみに、その絵ではないですが、私が好きなイエスさまの絵はこれです

そんなこんなで(突然ですが!?)私が担当させていただいている大阪の瞑想専科では、ブッダが教えられた瞑想の道に沿って学びを進めています。詳しくはこちらをご覧くださいネ。
9月24日(日)14時〜、瞑想一日体験会を開催しますので、この機会にぜひ瞑想を体験してみてください。ただ今ご予約受付中です!

また、大阪とは別に、京都では瞑想1日ワークショップが同じ24日にありますので、京都の方はぜひこちらにご参加くださいませ〜!

マーダヴィー


京都 ヨーガ・瞑想クラス 交流会

京都ヨーガ・瞑想クラスの合同交流会がありました!

プログラムの初めにはアーサナのデモンストレーションがありました。今回はどのクラスでも人気もののゴパーラと土曜日のクラスに通い、最近とても熱心にヨーガと向き合っているMさんがアーサナをしてくれました。気迫に満ちたとても素晴らしいアーサナで、私自身は息を飲むような集中感にとても感動しました。

参加した皆さんも、食い入るようにデモンストレーションを見ておられました。「2人のアーサナを見て、集中間というものはこういうものかと感じた」「自分たちが普段しているアーサナの完成形が分かった」「いいものを見せてもらった」といった感想をいただきました。

その後、さまらさの食事を食べながら、自己紹介を兼ねて、皆さんがヨーガを始めたきっかけや、ヨーガをしてから変わったことなどを話していただきました。

クラスに通うようになって2年になる方が数人おられましたが、皆それぞれに2年前と比べて明らかな変化を感じておられるようでした。

ある方は数年ぶりに会った友人に「人相が良くなった!」と言われたようです。確かに最近の彼女は表情が明るく(昔が暗かったわけではないですが)とても軽やかな印象があります。

毎日アーサナをしていると言われた方は体にしっかりとした軸ができたと言われていました。確かに、最近の彼女からは芯の通った強さを感じます。

またある方は、仕事場でうまくいかなかった同僚と真理を学び瞑想していく中で怒りや不満の感情なく普通に話ができるようになったと言われていました。きっと瞑想によって心が変化し、動揺しなくなっていったからでしょう。

皆さんが日常生活の中で変化を感じながらクラスに通ってくださっていることを知り、とても嬉しかったです。

一方でアーサナの実践にムラがあり、甘いものがやめられない…と話されている方もおられました。それはそこにいる誰もが多かれ少なかれ経験があること、それぞれの体験を話しながら、みんなで自然とアドバイスしあいました。

みなさんの話を聞いていて感じたことは、調子が良い時も、悪い時もあり、状況は色々変わるし、誰もがトントン拍子でうまくいっているわけではないということ。人と比べる必要はなく、それぞれに道があり、コツコツと実践していくことで必ず進歩しているのだということです。
同じヨーガをしている仲間とこのようように話し、励まし、刺激しあえる機会はとても貴重だと思いました。

最後に話をしてくれたSさんは、熱心にクラスに通う中、自分の内に歓びがあることを体感し、自分自身も人に歓びを与えられる存在になりたいと話してくれました。彼女の話している言葉や姿、発しているプラーナ(気)から歓びが溢れ出ているのを感じ、こちらまで歓びが伝わってきました。そんな彼女も、ヨーガをする前は仕事のストレスで体調が調わないことがあったようですが、今ではそのようなことはなくなったと話されました。

改めて、ヨーガって本当にすごい!!一人の人の人生を大きく変化させる、なんとすごい力でしょう!!!!是非またこのような機会が持てたらと思います。


シヴァ神 

この夏、バクティ・サンガムでは、ジメジメとした空気を一掃し、ヒマラヤ山脈の澄み渡る青空を思わせるような爽やかな曲――SHIVA SHAMBHOを歌ってまいりました。
さて、シヴァ神を皆さんご存じでしょうか?

瞑想の姿勢で座り、うっすらと開いた瞳の奥には至福の大海が映っているようです。青い肌を持ち、首には毒蛇を巻きつけ、縮れた髪の毛を伸ばしている・・・・・・どこかしら不思議な印象をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。

数千年昔、人々にとって雷や暴風雨は、人知を超えた偉大なる力でした。特に農耕民族にとってそれらは、田畑に災害をもたらすものであり、一方で雨の恵みを与えてくれるものでもありました。破壊と再生を司る偉大なる力は、ルドラ-神として神格化されます。そのルドラ-神にヨーガ行者の姿が合わさって、現在私たちが知るシヴァ神という神が形作られていったそうです。

またシヴァ神は、ヨーガを最初に教えたグル(師匠)であると聖典は伝えています。 

SHIVA SHAMBHOの歌詞の中に、gangadhara(ガンジス河を受け止める者)というシヴァ神の別名が出てきますが、それにまつわる神話が残されています。天上界を流れていたガンジス河が、ある時地上に降下することになり、地上に洪水が起こることを心配した天界の神々たちが、何とかシヴァ神にお願いし、シヴァ神は大水を頭で受け止め、その流れの一端がガンジス河となったということです。それでシヴァ神の頭頂部にはガンジス河が吹き出している様子が描かれているんですね。

 ガンジス河が氾濫しないことで、人々に恩恵が与えられ、つつがなく生活ができているのと同じように、私たちの生活も、目に見えない力に支えられ、微妙なバランスを保ちながら成り立っています。

私たちが住んでいる地球は太陽の周りを廻っていますが、その距離が少しでもずれてしまったら、もう地球は太陽の周りを廻らなくなり、どこかへ飛んで行ってしまいます。次の日から私たちが見上げる空には太陽は昇らなくなり、すると食物も育たなくなります。

また私たちは自分で意識していないにもかかわらず、勝手に心臓は動いて、呼吸をし、酸素を取り込み二酸化炭素を排出するということを行なっています。この一連の働きが失われたなら、身体を維持することすらできません。

目には見えないし、意識もできませんが、この大宇宙、小宇宙、全てを支え、私たちを存在たらしめている神なる存在が在る――。そんな神と一体となり、悟りを啓いたヨーガ行者が、数千年昔にカイラス山の奥深くにいらっしゃったのではないかと、最近思うようになりました。

そのヨーガ行者は、日照りが続き、人々が不作に喘いでいる時には、雨を降らすこともできたでしょう。またヨーガを教え諭すことで、心の苦悩や、人生の難問から人々を救い出していたことでしょう。

私たちと同じ肉体を持ち、地上を歩き、時に瞑想し、時にヨーガを教えられた。

数千年の時を経て、そのヨーガ行者にまつわるエピソードは神話となり、そのお姿はシンボル化され、青い肌や、さまざまな特徴を身に着けるようになったのではないかと思います。

シヴァもクリシュナも、実際に私たちと同じような肉体を持たれた神の化身であったのだと、私は思うようになりました。

 と、こんな偉そうなことを書いている私も、九州の実家に帰ったときは、「お前は感謝の気持ちが足らん!」と未だに父によく叱られます。十数年前にも、同じように叱られたことがあって、師に「感謝とは何か」と尋ねたことがありました。

その時に、師は、何かをもらったからとか、得をしたから感謝するというのではなく、私たちの存在を支える目に見えない力、また見えるものの中に現れた力、その偉大なる恵みに頭を下げることが感謝の原点であると教えていただきました。そうして次の言葉で締めくくられたのです。

万物の背後にあって偉大なる力となり偉大なる意識となって働いている一者がある。それによって太陽は昇り、月は輝き、万物は呼吸する。その偉大なるものが、この我が胸の内にもあるに違いない・・・・・・。こういうふうに感謝という些細な日常の気持ちからもアートマンへの道、ブラフマンへの道が通じている

シヴァ神、あるいはグルは、この万物の背後にある一者への入り口であると感じています。そうして、その偉大なる一者に思いを馳せていくことが、私にとってはこのエゴを小さくし、自然と頭を垂れることができる唯一の方法だと感じています。

今月のバクティ・サンガムでのシヴァ神のキールタンSHIVA SHAMBHOを歌いますので、ぜひご参加くださいね。

 ヨーガダンダ


千本丸太町ヨーガ・瞑想 土曜日のクラス

皆さん、こんにちは
千本丸太町のヨーガ・瞑想クラスは毎週土曜日の14時から、ヨーガ・ヴィハーラで行なっています。千本丸太町にあるヨーガ・ヴィハーラは町屋の二階にあって、アットホームで落ち着いた雰囲気の中、アーサナ(ポーズ)や瞑想を行なうことができます。

 アーサナとアーサナの間にシャヴァ・アーサナといってリラックスのボーズをはさんで行なうのですが、シャヴァ・アーサナの間じゅう微笑んでおられる方がありました。その理由を聞いてみると、思いもかけず簡単なことができない自分がおかしかったとも言われていましたが、何か分からないけれど楽しかったとも言われていました。ヨーガを行じていると理由もなく自分自身の内にある歓びのようなものが沸き上がってくることがありますが、その方もその一片を味わっておられるのかなと思いました。 

湖面のさざ波が月の姿を正しく映さないように、
私たちの心のざわめきが真実を覆い隠している
ヨーガによって心のざわめきを静めたなら、
真の自己は自ら輝き出るだろう

             サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

湖が波立っていると丸いお月さんは歪んで見えますが、その波が静まると本来のまん丸のお月さんを見ることができますよね。ヨーガを実践するたびに、私たちの波だっている心は少しずつ本来の静けさを取り戻していきます。そうして私たちは自分の知らなかった身体や、忘れていた心と向き合い、自分自身のいろいろなことに気が付き、変えていく努力をすることで、より良く、さらにより良く調えられていくことになるのです。それは私たちにとって大いなる歓びです。なぜならそれが、そうやって円満な完全な人間となることが私たちの生きる目的だからです。私たちは、本来は自由そのものであり、至福そのものであり、永遠の存在なのだ、その自分を早く思い出しなさいと、私たちの師は繰り返し、繰り返し説かれ、導いてくださっています。 

忘れていた自分自身を取り戻すためにも一緒にヨーガを学んでいきましょう。
土曜日の14時、ヨーガ・ヴィハーラにぜひお越しください。お待ちしています。

ダルミニー

ダヌル・アーサナ
肩関節の可動域や胸を広げ、身体を調えていきます


第四の意識

まだまだ残暑が厳しい日が続いていますが、それでも少しずつ朝夕はしのぎやすくなってきているのでしょうか。皆さま、よく眠れていますか。

私は睡眠時にあまり夢を見ない、あるいは夢を見たことをほとんど覚えていないし、一度寝ると途中で目覚めることは滅多にないくらいの睡眠なのですが、先日のサットサンガで師が、誰もが毎日三つの心の状態を経験していると教えてくださいました。

  1. 起きている時の心の状態
  2. 睡眠中、夢を見ている時の心の状態
  3. 夢も見ない深い熟眠の心の状態

起きている時は、心は、それはそれは色々な経験をして、「あ〜楽しい!」とか「あぁしんどい・・・」とか印象を刻んでいます。夢の中では、起きている時の印象を反映しつつも、全く違った不思議な世界ー空を飛んだり、海に潜ったり・・・が展開されます。熟眠中は、一切の心の活動が停止し、ただ「空無」という思いがあるだけの状態になってしまいます。同じ心なのですが、この三つの心の状態は驚くほど違っているのですね。

毎日経験しているものだから、誰も不思議にも思わないのですが、よく考えてみれば、同じ心が劇的に異なる世界を経験していることはとても不思議です。もっとも大切な自分の心が、不思議なことに強制的に夢見の状態に陥り、さらには何もわからない状態になっているのに、誰も嫌だとは思いませんものね。

どれほど起きている時に心が苦しんだり悲しんでいても、あるいは喜び楽しんでいても、睡眠中はそれらを忘れて、夢の中で全く違う世界に行ったり、あるいはそれらもなく、心自体が眠ってしまう状態になってしまうのです。

睡眠は、知性や能力に関係なく誰もに等しく訪れ、熟眠中は、どれほど賢い人も愚かな人も、善き人も悪人も、同じような状態になってしまいます。

起きている時に心に刻まれる経験の印象の力が大きいので、あたかも起きている時の心の状態が全てと思われがちですが、現実的に1日の3分の1の時間程度は、全く違う世界に行っているわけですね。そして大方の場合、睡眠は心に安らぎをもたらす大切な時間になっています。要は、心というものはダイナミックに常に変化しているということであり、起きている時の心の経験も、夢見も、熟眠も、等しく心に現れた一つの状態であるわけです。

そして師は、さらにもう一つの意識状態があると教えてくださいました。これら三つの心の状態を見ている第四の意識があるというのです。だからこそ、これら三つの状態を心が経験していることが知られているのですね。その第四の意識=トゥリヤーこそが、真実の自己であると教えられています。

ヨーガや瞑想の目的は、第四の意識に覚醒することです。

起きている時の様々な思い煩いに翻弄され、睡眠で癒されて、また起きて翻弄され、癒されるということを心は繰り返しているわけですが、それらの背後にあって黙って見ている第四の意識に心を集中していくことによって、心は思い煩いから解放されていくのです。

まあ実際のところ、いかほどの苦しみも、どれほどの喜びも、熟眠中は消えて無くなっているわけですから、そう考えれば大したことでもないのかもしれないと思う時があります。あったり、なかったり、変化するものに翻弄されないようにし、常に実在する第四の意識に心を向けていけばいいのですね。

さて、京都の瞑想専科は、現在第2期を行なっていますが、第3期が10月から始まります。第3期では、第四の意識を探求していきたいと思います。

また、それに先立ち、9月24日(日)には瞑想1日ワークショップを行ないます。

大阪の瞑想専科でも同日時に瞑想一日体験会があります。

ご関心のある方は、是非ご参加ください。

サーナンダ


完熟トマトのパスタと通のコーヒー さまらさの台所8月

8/13(日)に京都のヨーガ・ヴィハーラにてパラマハンサ会員向けさまらさの台所を開催しました。好評につきたくさんの方にお申し込み頂き、当日は2部制で行ないました。今回のメニューは、旬の夏野菜を使った完熟トマトとナスのパスタ、グリーンサラダ、通のコーヒーでした。

トマトとナスは丹波で取れたお野菜を提供いただきました。夏の太陽を浴びてルビーのようにピカピカのトマト、美しさにハッとします〜

パスタソースはシンプルに塩のみで味付けし、じっくり丁寧に炒め、煮込むことで旨味がぎゅっと詰まっています。見てください!最初は鍋にいっぱいだったトマトたちが煮込むことによってこんなに凝縮され美味しいソースになるんです。

そして食後にはアーシュラマで普段飲まれているコーヒーの淹れ方をデモンストレーションでお伝えしました。みなさん興味津々!釘付けでコーヒーに注目していました。

じっくりとコーヒーと向き合いながら丁寧に淹れると、コクがしっかりとあるのにとてもまろやかで飲みやすく、「あ〜、おいし!」と思わず言ってしまうようなほっとする円満さを感じる味わいになります。

会を通じて「他者の喜ぶ料理」をテーマに担当のラームダースがお話しました。一緒に食事する相手のことを気づかいながら料理をすることでいつもより集中して調理ができ、もっとシンプルに相手の喜びだけを見ることが大切だと気づいたそうです。
また、参加者のみなさんにも宿題として「他者の喜ぶ料理」について考え実践してきて貰った内容を発表してもらいました。みなさんの素直に取り組んでこられた内容と気づきは、こちらまで届き胸が熱くなりました。なんの計らいもなく純粋な思いで作られた料理が、最も「他者が喜ぶ料理」なのではないでしょうか!

参加された方の感想

・味付けが塩だけなのに、ものすごくおいしかったです!この時期にしか味わえない 贅沢でフレッシュなトマトソースでした。コーヒーの淹れ方は、心と日常の充分な落ち着いた時間がまず大切なのだと感じました。

・誰もが1回は作ったことのあるようなシンプルなメニューですが、だからこそ作る側の気持ち調理法がダイレクトにでて奥が深いのだと感じました。料理もヨーガ、瞑想なのだと実感しました。

次回は、10月15日(日)を予定しています。詳しくは、ホームページにてご案内いたしますのでお楽しみに!


バクティ・サンガム 新しいキールタンに挑戦!

6月からのバクティ・サンガムでは、新しい歌(キールタン)に挑戦しています。
タイトルは “Siva Sambho  Hara Hara Sambho” シヴァ神を讃えるキールタンです。

元々は暴風雨や雷の神さまであったルドラー神がヨーガ行者の姿をとってシヴァ神となりました。シヴァ神はアーサナをはじめに教えたグルであり、ヨーガ行者の守護神です。今回のキールタンは、ヨーガ行者の自由闊達さをイメージさせる、爽やかなメロディー、夏にぴったりのキールタンです。

さて、話は変わりますが、先月のバクティ・サンガムのとき、気になった人がいました。何が気になったかというと、毎月熱心に通って来てくれているYさんの表情、一見して先月よりもさらにパワーアップしている。気になって聞いてみると……やはりそこには理由がありました。Yさんがその変化の理由を寄稿してくれました。

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神の御名を唱えなさい
神の御名は神そのもの
神は愛
神の御名を唱えるだけで
誰もが神に近づくことができる

これは、ミラバイさんがバクティ・サンガム中で紹介してくださった言葉で、私はこの言葉が大好きです。けれど今までの私は、気が向いた時に家で歌う程度でした。歌い方も、私の神への想いをキールタンにのせて歌っていましたし「声が出ないなぁ」「この歌好き」など歌いながら、心が動き回っていました。それでも、それなりにキールタンの良さを感じていましたし、そんなものだと思っていました。けれど、自分の気持ちを主にすると、神を求める気持ちが弱くなった時、神が遠くに感じる時は、まったく歌えなくなってしまいます。自分の好きな言葉と自分の現状とのギャップをなんとかしたいという気持ちが、バクティ・サンガムに参加するきっかけでした。

5月のバクティ・サンガムのとき「神が遠いとか近いとか、求める気持ちがあるとかないとか、そんなことは、無視してただ単純に神の御名を唱えればいいんだ。だって神の御名は、神そのものなんだから」という気づきがあり、それから、毎日歌うことにしました。好きなフレーズばかり繰り返し歌う日もあれば、CDと一緒に歌う日もあります。1回歌って終わる日もあれば、1時間熱唱する日もあります。6月のバクティ・サンガムまで、ただ単純に歌いました。

6月のバクティ・サンガムのとき「この感覚を神の御名にのせたらいいんだ」という気づきがありました。キールタンを歌っていた1ヶ月の中で自然に「礼拝する」「讃える」という感覚が芽生えていたことが、そこでわかりました。神の御名は、私の計り知れない力、導きがあり、本当に神そのものなんだと思います。それがこの体験から私が強く感じたことです。

「『単純に神を求め、神を愛し、神の名前を唱える』それだけでいいんだよ」とミラバイさんは、教えてくださいます。これからも、大阪クラスで学びながら、家でも歌って、もっともっと、単純に、純粋に神への愛を歌えるようになりたいです。

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毎日の実践!それが彼女を変化させていたのですね。
神の御名を唱えることで彼女は神に純粋に近づいていかれたのでしょう。
その証拠に、彼女の表情には神の歓びが溢れていましたから。


手前で歌っているのが、Yさん。

さて、キールタンを体験してみたい方、8月6日(日)に500円で参加できるワークショップがありますので、ぜひ体験しに来てください。
日時:8月6日(日)17:30〜19:00
場所;クレオ大阪南3F(大阪市平野区喜連西6-2-33)
参加費:500円
持ち物:ヨーガマット、バスタオル、布などの敷物
http://www.iwf.jp/11osaka/item_2136.html


夏の松山瞑想特別クラス

また7月も行ってきました夏の松山に!サーナンダです。
瞑想特別クラスでは累計14回目の訪問になり、随分と松山にも行き慣れてきました。松山のたくさんのヨーガを学ばれている皆さんともすごく顔なじみになってきて、顔を見かけると嬉しくなります。
さて、そんな瞑想特別クラスの感想が松山のアミティさんから届いたので、掲載させていただきます。相変わらずヨーガに熱い松山の皆さまでした!


今年2月から7回シリーズで始まった松山瞑想特別クラスとサットサンガ。その4回目が7月15日(土)16日(日)に開催されました。講師のサーナンダさんは、松山ではすっかり顔なじみになり、いつも多くの人が心待ちにしています。サーナンダさんが定期的に来てくださることで、その度毎にインスパイヤされ、ますます皆さんのヨーガの熱が高まってきています!

今回のテーマは「食と言葉を調える」でした。「食」も「言葉」も私たちの日常生活と切り離す事ができないとても身近なテーマです。具体的な実践のヒントをたくさん頂いて、さっそく日常の中で実践していきたいという声が多く聞かれました。

この2日間で私が感じたことは、真実を悟った人は、どのように行為をするのだろうかということでした。その行為を学び、日常で実践していくことによって心が調えられ、真実を悟ることへとつながっていくということです。

食事について言えば、「すべての存在は等しく尊い存在である」ことが本当にわかったならば、自分の体を維持するための食事は、食物の尊い命を頂くわけだから、旬のみずみずしい良質のものを必要最低限の量で十分だということになり、食材やそれを育てた人や自然に対する感謝の気持は自ずと起こり、他者を思いやり集中して調理するということも自然な行為として行われることになるでしょう。

言葉についても、心の波がなくなったときに真実の自己が輝き出ると教えられるように、真実を悟ったならば、心の思いがないのだから、愚痴や不平不満などあるはずがないし、すべてが等しく尊い存在であるとわかったなら、相手を傷つける言葉を発することなどあり得ない。常に心は沈黙しているだろうから、自分が話したいから話すということもなくなるでしょう。言葉はただ他者のためにあり、相手の話をよく聞き、相手の必要としていることを話し、時には、相手の心を解きほぐすために会話を楽しむこともあるでしょう。

2日目のサットサンガでは、「傲慢な自分を直したい。謙虚さについて教えてください」という質問があり、サーナンダさんは次のように答えられました。
「ヨーガをやって行くと、自分がどれだけ偉いのかということを考えた時に、自分が人より優れていることとか、傲慢になったり、威張ったりする理由が見つからなくなる。この自分の命、生きているっていうことそのものが、自分の力で支えているわけではないから、謙虚にならざるをえない。
才能や、社会的な地位や人より知識があるとかないとか、それで優劣をつけるとかは、本当に些細な事。原点に立ち返って、ここにこうして尊い一個の命をもって存在している、生きていることの神聖な意味を感じることができたなら、自然に傲慢さがなりをひそめて謙虚な思いになって来ると思う。
訓練としてやる時は、徹底してへりくだるということを実践して行くべき。態度、言葉遣い、姿勢、徹底してへりくだる。行動も常に相手を尊重、敬うような行為を無条件にやって行く。」

真実を悟り、真実に生きているヨーギーの生活のあり方はどのようであるのか?それを学び、理想、目標とすること。そして、日常の食事を気をつけたり、言葉に気をつけたり、徹底してへりくだる実践も、何のためにやるのかと言えば、その理想に向かっていくため。
サーナンダさんは、真実、真理は自分の一番身近にあるもの。目の前にある日常にこそそれがある。だから日常が大事、と言われていました。
理想を見失わないようにしっかりと見据えて、目の前の日常を調えていくこと。
ヨーギーは、いつも軽快で大らか。私たちは、その理想の姿になろうとしているのだから、細かいことにこだわりすぎることなく、大らかに軽快に実践して行けたらいいなと思います。

アミティ


瞑想でヨーガにダイブする!

何だか皆さん、とても熱心で、仲がいい・・・!

というのが、最近の京都瞑想専科の印象です。クラス中は皆とても真剣に話を聞いたり、質問したり、瞑想の実習をしているのですが、クラスが終わると、皆さんそれぞれ互いに話し合ったり、延長で問答したりして、話が弾みます。よい仲間、あるいは同志みたいですね。

京都駅前にあるキャンパスプラザ京都では、毎週木曜夜に瞑想専科のクラスを行なっています。


京都瞑想専科は、サーナンダとゴパーラが担当しています。
だいたい絵のような感じの二人です。

第2期「瞑想で日常を変えていく6カ月コース」が5月から始まり、瞑想に関心があるたくさんの方が熱心に通われています。
毎回、

 ①ためになる瞑想を深めるためのワンポイントレッスン
 ②集中力を鍛える行法トラータカの実習(目の浄化法)
 ③瞑想実習1
 ④瞑想を学ぶレクチャー
 ⑤Q&A
 ④瞑想実習2

という90分のプログラムで瞑想について学び、実習しています。
7月6日は「仕事の秘訣」がテーマでした。瞑想を深めるには、まず真理の教えを学ぶ必要がありますが、マハーヨーギー・ミッションから発行している書籍を購入して読まれている方も多く、この日はレクチャーや書籍で学び、それを日常で実践しながら格闘している様子が伺え、とても頼もしく思いました。

真理の教えは誰もが共感できるものですが、いざ実践しようとするとなぜだかうまくいかないこともしばしば。「結果に執らわれない」という仕事の秘訣も、理屈はわかっていても、なぜだか執らわれてしまう自分がいて、どうすればいいのかと考え込みます。そういう葛藤がもう一度教えの真意について熟考することにつながり、理解を育み、瞑想のテーマになっていくのですね。

多くの方が、無心になりたい、静かになりたいと願い、瞑想を始められます。渦巻くように収まらない心のざわめきから解放され、静けさを味わいたいのです。その願いは、毎日熱心に瞑想を続けていけば、いつの間にか叶えられていることに気づくでしょう。一体何に心はざわめいていたのだろうと、不思議に思う日が来るに違いありません。熱心に取り組まれている皆さんの姿を見ていると、ふとそんなふうに思いました。

一緒にクラスを担当しているこのブログでもお馴染みのゴパーラさんも、話の輪の中でいつも皆との交流を楽しんでいます。そんなゴパーラさんが、来週からNYを訪問されている師の下にヨーガを学びにいくと発表すると、皆さん興味津々。彼の今年のテーマは、「神にダイブする!」です。四の五の言わず、ヨーガに飛び込むゴパーラさんの姿勢は、見ていて清々しいものを感じます。NYにダイブするゴパーラさんとの一月後の再会が楽しみです!

第2期も7月20日からは、いよいよステップ2「生き方を変えていく」に入っていきます。
瞑想は自分自身へのダイブです!思いっきりダイブしますよ〜!

サーナンダ