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世界でいちばん心に響く歌

私はとても理性的だと思います。音楽を聞いたり、ピアノを弾いたりして、美しい音楽を鑑賞することも好きですが、アイドルや音楽家を好きになったことは一度もありませんでした。そして、私は無神論者でした。多くの友人に誘われて様々な宗教の集まりに参加し、自分なりにオープンな態度で神の存在を検証しましたが、どの宗教にも納得できるものはありませんでした。

初めてキールタンに参加したのは、ミラバイさんが台湾で行なわれた特別バクティ・サンガム(2015)です。とても印象深かったです。クラスの間、きれいな歌声に浸りつつも、頭の中には一つの声が浮かび上がってきました――無神論者なのに、神の名前を繰り返し歌う日がくるなんて……。でもその後、突然涙が止まらなくなりました。それは、神の慈悲を突如として感じたからです。以前神は、何人もの使者(友人)を通して私を宗教の集まりに招待されましたが、私の高慢と無知のため、目に見えないものは何も信じませんでした。それでも、神は諦めず様々な方法で私を導いてくれました。それで、キールタンを歌っていたまさにこの時、神の御名が無知を覆しました。私は初めて神の存在を感じたのです!

しかしその後、あまり一人ではキールタンを歌っていませんでした。私にとってキールタンは演奏会で聞く交響曲のようなもので、その場では感動しますが、家で一人で歌うと虚しさしかありませんでした。

最近オンラインで台湾バクティ・サンガムの一回目のオンラインクラスを受けました。ミラバイさんは家でも歌うよう勧めてくれて、期間限定の映像の配信もありました。私は一度やってみようと決めました――同じ曲だとしても、ずっと聞いてずっと歌えば、何か違いがあるのかどうかを知りたかったのです。それで、毎日通勤時間に映像を流して、繰り返し歌いました。

ある日、出張帰りの道のりが長く、車を運転しなから映像のどこから聞き始めるか調整できなかったため、(一回目のテーマであった)聖者シュリー・チャイタニアの物語をもう一度聞きました。

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シュリー・チャイタニアはとても聡明で論弁に秀でた、インドの方です。彼は賢くて常に鋭い言葉を用いて相手を論破してきました。論争においては誰も彼をうち負かすことはできません。しかしある日、彼はあるヨーガ行者に出会い、そのヨーガ行者は、チャイタニアが本当の意味で真理を知らないことを指摘しました。そして真理の根源であるクリシュナ神の御名を伝えました。それまでの探求と努力の方向が間違っていたことに気付いたチャイタニアは、知性を手放して、神に全てを開け放すことと、優しく人に接することを学びます。その後彼が教壇に上がる度に、クリシュナの美しいお姿が現れ、もう二度と世間の知識を追求することができなくなり、ただクリシュナだけを愛しました。

               画:サルヴァーニー
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彼の物語を聞いた後、家に着き、その映像を止めて、夕食の買い物に行くつもりでしたが、二曲目のキールタンが始まったので、私は米を研ぎながら歌っていましたが、気付くと止まらなくなってしまいました。外出をやめて、冷蔵庫から食材を出して作り始めました。料理の途中でもお玉を置いてしまって、キッチンで一人で回転しながら大声で歌っていました。音楽が終わったらもう一回、またもう一回聞く。聞きながら、言葉にできない喜びを感じたのです。その時、私は本当に幸せだと思いました。
一人でキールタンを歌って、このように恋に落ちたような熱い気持ちになったのは初めての経験です。そしてその恋の相手は、この美しい世界です。

食事の後、もう一度映像を見てしまいました。先輩たちの歌声にはハーモニーが加えられたのに気付きました。ハーモニーの音程をよく聞き取れるように、集中して聞きました。そのうちに、歌声に吸い込まれたようになって、先輩たちがお互いを見て楽しく歌っている姿を見ながら、すごく感動しました。その感動はまるでお湯のようにブクブク沸騰して、私の目から溢れ、止まらなくなりました。

以前の私なら、すぐ自分に「なぜ泣いているの」と問い掛けたかもしれませんが、もうどうでもいいやと思いました。理性や限りある言葉を手放して、今、この瞬間をただ楽しみたいのだ。

今まで、どんな歌にもこれほどの幸せを感じたことはありませんでした。もし今誰かがここにいたら、私は狂っていると思われるかもしれません。でもこの世界には、芸術のために寝ることも食べることも忘れる人もいる、お金のために、何を食べても味を感じられないくらい没頭する人もいる、愛のために自分を失う人もいる、そして憎しみのために理性を失う人もいます。そして多くの人は、決して未来に持ち越すことのできないもののために、自分の生涯をかけています。そのような行為も、狂人ではないでしょうか。

ヨーガに感謝したいです。たとえ私が狂っても、本当の幸せに狂っているのですから!

(文章:MYM台湾ブログより引用)

MYM台湾:シンユンMYM Taiwan


キールタンの醍醐味 ①私にはバクティ・ヨーガは無理と思っていたら

ヨーガを学び始めたころ、私はバクティ・ヨーガ(神への信愛)が苦手でした。クリシュナ神の愛人ラーダーが狂おしいほど甘美にクリシュナ神を愛する物語を知り、男女関係なくラーダーのように神を愛するのだと言われても、正直なところ違和感しかありませんでした。神を愛する気持ちを感情に表すことなど気恥ずかしくてできない。自分の神への愛は確かに心の中にあるのだから、静かにしまっておけばよいと思っていました。しかし、神様は思いもよらない方法で、私のバクティに火をつけてくださいました。

マハーヨーギー・ミッションの活動に参加させていただく中で、多くのグルバイ(兄弟姉妹弟子)の皆さんが、それぞれ異なる人生経験や知識、仕事や家庭などの生活環境に応じて、その人の信仰が最大となる方法で神と向き合っていることを知りました。それでは私が全霊を捧げて神と向き合うためにはどうしたらよいだろうとぼんやり考えていたあるヨーガ・瞑想クラスの日、東京での「バクティ・サンガム」のチラシをいただきました。インドの神々を賛美し、神の御名を歌い奏でるキールタンのことや、そこではアコーディオンを横にして床においたような鍵盤楽器のハルモニウムが使われることなど、多少の予備知識はありました。「あの楽器弾いてみたい!」と即座に思いました。

ハルモニウムへの私の好奇心を察してくださったのか、ある時に先輩グルバイが「弾いてみますか?」と嬉しい一言をくださいました。私は子どものころからピアノを習い、趣味の音楽を続けていたので、「音楽で神を讃えられたら最高だ。それなら自分にもできる」と思い、皆さんと歌えるあてもないのに、さっそくハルモニウムを購入しました。

バクティ・サンガムで初めてハルモニウムを弾かせていただいた日。

その後間もなく新型コロナが流行し、バクティ・サンガムはオンラインクラスとなりました。毎回、聖者や神に関するスライドショーや参加者の体験談など、工夫を凝らした盛りだくさんの内容で、とても楽しく参加させていただいています。なにより、日本中のグルバイの皆さんとキールタンを歌えることがこのうえない喜びです。 

現在、新型コロナの感染も収まりつつある中で、東京では毎週土曜日のアーサナ・瞑想クラスや、月に一度の瞑想会のあとに有志でキールタンの練習をしています。キールタンを歌うときは、神を讃える歌声を邪魔しないように、楽器があまり出しゃばらないように気を付けています。でもせっかく神様に聴いていただくのだから音楽としても素敵にしたいとも思います。楽譜がないので先輩の演奏やCDの「耳コピ」をして、いろいろ工夫しながら弾いています。

そして先日、なんと静岡から参加してくださったグルバイも含めて総勢7人でキールタンを歌うことができました。最初にマントラ(真言)を唱え7人の声がひとつに重なった瞬間から、全員の気持ちが高まっていくのを感じました。クリシュナ神やシヴァ神の御名を繰り返し歌っていると、みんなの心が次第に熱くなり神に集中してくるのがとてもよく伝わってきます。立ち上がり身体を揺らす人、手拍子を打つ人、涙を流す人もあり、気が付けば、私も大きな声と喜びの笑顔で無心に神への愛を表現していました。表情が地味な方なのであまり分からないかもしれませんが…。

曲が終わっても、「終わりたくない!ずっと歌っていたい!」と皆さんの神への思いが高まり、なかなか収まらない様子でした。涙ぐみながら言葉にできない余韻を味わうグルバイの顔がとても印象的でした。苦手だと思っていたバクティ・ヨーガを自然に実践できるキールタンは最高です。

小菅貴仁


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ ④

 今回は、『Paramahamsa』No.78の表紙を紹介させていただきます。

アール・ヌーヴォー調のフォントをあしらった表紙は、師であるヨギさんがデザインしてくださったものです。
ヨギさんは、毎回その絵にあうようにとフォントを選ばれますが、いつも何かしら、明確な、具体的なイメージがあり、そのイメージに沿ったものが見つかるまで何度も見返して探されました。
言葉にすると単純な作業ですが、その集中力は並大抵ではなく、また選んでくださったフォントでデザインされたものは、いつも私の想像をはるかに超えた美しさを放っていました。

*実際に発行された『Paramahamsa』はモノクロです

 No.78の裏表紙に、この絵を描いた当時のエピソードを掲載していましたので、ここに紹介させていただきます。

毎週金曜日夜、シャクティたちはヨーガ・ヴィハーラに集い、キールタンを歌い踊っている。いえ、実際には踊っていないのだけれど、まさに踊っているようだと感じたことがありました。
その日、私たちは輪になってシヴァ
を讃える歌を歌っていました。身体を左右に揺らし、満面の笑顔で声高らかに歌うシャクティたち。そこにはヨギさんがおられ、ともに遊び戯れている! そんなふうに感じ、私は深く感動したのでした。そして「あぁ、こういう絵を描きたい」と思ったのです。

このミニアチュールから、神だけを見つめ、神と一緒に遊ぶシャクティたちの歓びが少しでも伝われば嬉しいなぁと思います」

*2023年7月20日配信のWeb版Paramahamsaにて、このイラストを紹介していただきました。

シャチー

 

 


ブッダから届いた宝物

木曜日と土曜日に、京都、大阪で開講されている瞑想入門のクラスでは、講師のゴーパーラさんならではのヨーガ行者としての鋭い視点で、瞑想やこの世界の理、心のしくみについての興味深いお話が聞けて参加者たちの質問も活発です。先日は、ブッダってどういう人だと思う?という投げかけからそれぞれのイメージを共有し合い、ブッダを身近に感じてよりブッダが好きになってしまいました♡ 「入門」というだけに素朴な質問がしやすい雰囲気があり、質疑応答を通じたみんなでの交流も楽しく、また、瞑想の時間はピタッとした静けさと集中があり、メリハリがあります。

そんな瞑想入門クラスに熱心に通われているNさんは、「自分はまだまだ真理やヨーガを信じられていない」と包み隠さず話されます。ある日のクラスで、「真理があるか、ないかを確かめたい」と真剣に言われました。ゴーパーラさんは、ブッダの教えにもある「たとえ古い聖典が出てきてもそれを盲目的に信じる必要はない」という言葉を紹介され、師も同じように仰っていることを話されました。

師は「まずヨーガを進めていくには、それまで経験で培った観念とか概念とかいう心の秤を無視するところから始める、あるいは疑うところから始める。またその聖典とか真理の言葉といわれるものも、鵜呑みにする必要はない。ただし、その両方についてよくよく考え、そして瞑想して、間違いのない答えが出てくるまでそれを探求しなければいけない」と説かれています。

まさに師のこの教えの通り、探求の真っ只中のNさんと私たち。ゴーパーラさんは、瞑想を山登りに例えられ、学生時代に行ったチベットの高度5000メートルの山で、高山病になったことを紹介されたことがありました。どんな山を目指すかは人それぞれ。目指している山が違ってもいいけれど、でもどんな山を目指すにしても頂上に辿り着くためには、やらないといけないことがある。それは土台作り。基礎体力が必要! その基礎作りが瞑想入門のクラスなのです。基礎は何度も繰り返し学び実践することで強固になるなぁと私は感じています。

とっても為になる実践的な瞑想入門クラスなのですが、実は参加人数が少なくて(涙)クラス宣伝のため、チラシ蒔きを兼ねて数人でインドカレーのお店に行く機会がありました。私はそこでNさんと初めてゆっくり話しました。Nさんは、すっごく正直で、真っすぐで、ある意味、師の教えの言葉を地で行く(!)絶対に何も鵜呑みにしない人(笑)なんだなということを感じ、何てヨーガ向きな人なんだ?!と思いました。真理も神ももちろん全く鵜呑みにはせず(笑)、自分自身で確かめながら、着実に道を歩んでこられたんだと分かりました。Nさんは師のサットサンガでも師に、疑心暗鬼になるんです、神という存在についても信じられないです、どうやって信仰する神を選ぶのですか?というような正直な質問をたくさんされていました。私はNさんに対して、疑心暗鬼だと言われながらも、でもこんなにも熱心にサットサンガやクラスに参加し、これだけヨーガを続けられるその理由は何なんだろう??凄いなと密かに思っていました。お話してその謎が解けました、Nさんは師の存在にただただ惹かれている! 好きになってしまっている♡

さて、そんなNさんからあるエピソードを聞きました。Nさんが書いてくださったそのエピソードをここでご紹介したいと思います。(ナリニー)

* * *

 

「まあ、なんてかわいらしい仏様!」
2019年12月8日、この絵はわたしのもとに届きました。
その1週間前、師の特別サットサンガの日、瞑想の対象を決められずにいたわたしは

師に「神様に来てくださいとお願いしてもいいですか」と尋ねました。
師は「お願いしてもいい。その中で親しみのもてた神を信仰すればいい」と
仰ってくださいました。

それから数日後、知人から「Kさんが、渡したい絵があると言われている」というお電話がありました。Kさんは長年マザーテレサの下で奉仕活動をされている方だったので、わたしは「もしかしたら、キリスト様かマリア様が家に来られるのかなぁ」と思っていました。

そして、12月8日、ブッダが悟りをひらかれたその日、この絵はわたしのもとへ。
以来、ずっと見守ってくださっています。

師のはからいによってもたらされた宝物です。

 

ブッダの版画
N 

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「夢ーー應作如是観」台湾展覧会報告

4/14〜23まで、台北市内で「夢ーー應作如是観」と題したヨーガの展覧会が開催されました! 
昨年発刊された台湾華語版『ヨーガの福音』をより多くの方に知っていただきたいと、この企画を立ち上げられたそうです。私はその期間中の4月21日,22日とサットサンガとバクティ・サンガムを行なわせていただくことになり、約4年ぶりに台湾に行かせていただきました。

ヨーガの展覧会ってどんなもの?? 皆様、イメージできますでしょうか? 

私自身、それまで何度か企画内容をお聞きしてきましたが、実は当日その場所に足を運ぶまでは、全くイメージが湧きませんでした。しかし会場に入った瞬間、その美しくて静謐なプラーナと、みんなのヨーガや師に対する大いなる情熱を感じて、とても感動しました。今回は、簡単ですが、展覧会の様子を写真を中心にご報告させていただきます。

会場は「カルマの法則」「死の衝撃」「瞑想の森」など、ヨーガの教えごとに6つのブースに分かれていて、それぞれのブースでヨーガの教えに触れ、またそれらについて考えながら、実際に瞑想なども体験することができます。あちらこちらに散りばめられたヨーガの教えやエッセンスを、視覚的にも、また感覚的にも捉えることができ、とても美しく、神聖なプラーナ(気)に満ちた、本当に素晴らしい空間となっていました。もちろん私たちの師であるヨギさんや、マハーヨーギー・ミッションの紹介、書籍の販売コーナーなどもあって、さらに詳しく知りたい方は、書籍を手にとって見ることもできます。
展覧会に参加された方からは、「深く考えさせられた」「これまでと違う角度からヨーガを理解できた」「デザインが美しく、説明もわかりやすかった」など、いいご感想がたくさん届いたそうです。

また週末の土日には、アーサナ(ヨーガのポーズ)やキールタン(神と魂を結ぶ愛の歌)のデモンストレーションを見ることができ、会場は多くの人たちで埋め尽くされました!

集中感のあるアーサナに来場者が惹きつけられていくのが肌で感じられます。また最終日のキールタンでは、会場のみんなも一緒に神の御名を熱唱! 熱く一体となった瞬間でした!

また、サットサンガやバクティ・サンガムでも、多くの方にご参加いただきました。

 

10日間のイベントは多くの来場者に恵まれ、大きな歓びを台湾グルバイ(兄弟姉妹弟子)たちに残し、大成功のうちに幕を下ろしました。私は最後の数日だけでしたが、彼らと共に時間を共有させていただくことができ、様々なことを学びました。師のヨーガを多くの人に届けたいという純粋な信仰心と情熱はもちろんのこと、仲間を思いやる優しさ、このイベントを成功させるという気迫、割り当てられた仕事を必ず果たすという責任感の強さ、未知のことや困難さにも立ち向かっていくチャレンジ精神、持ち前の明るさ、などなど、書き始めるとキリがないほどです。

力強く、ひたむきにヨーガの道を歩んでいるグルバイの姿は、言葉を超えて本当に美しく、感動的でした。きっと多くの人は、彼らの真剣で真摯な姿と熱意に胸を打たれたに違いありません。

イベントの成功、本当におめでとうございます!!!
彼らのいちばんの願いである、師の教えが台湾で広まっていくことは、きっと必然の結果として訪れることと思います。今後、ますます師の教えが広がっていきますように!!! そして、今回貴重な機会に参加させていただきまして、本当にありがとうございました。

ミラバイ


京都・大阪 瞑想入門4回コースのお知らせ

皆さま、こんにちは。
ゴーパーラです。
私が講師を務めさせていただく「瞑想入門  4回コース」が京都(5/13)・大阪(5/18)でスタートします‼️(詳しくはこちらから⇨瞑想入門

昨今、たくさんの瞑想が紹介されていますが、どれが正しい瞑想なのか分からないほど多く出回っていて、混乱しますよね。。
私は瞑想をして15年ほどになるのですが、正しい瞑想のポイントとして「目的と基礎がしっかりとしていること」、それが挙げられると思っています。

例えば、○○大学に入りたいとなったら、その大学に受かるためにがんばって勉強すると思いますし、まずはその目標・目的を定めることが大事なことになってきますよね。
また、どの大学を目指すにしても、いちばん始めにするべきことは、基礎を学ぶことだと思います。
基礎が身に付いていれば、それがベースとなって、勉強をさらに促進させてくれるはずです。

この瞑想入門コースでは、瞑想の「目的」「基礎」をしっかりと学べるプログラムになっています。
瞑想の王道の教え「ラージャ・ヨーガ」を指針に、正しい座り方や呼吸法、ひいては日常の心構えについても学び、目標に向かって実践していきます。
瞑想で実現したい目標は人それぞれかもしれませんーー集中力をつけたい、心穏やかになりたい、また真実を悟りたいなどさまざまかと思いますが、王道に則って瞑想をすれば、それらは実現できます!

瞑想に興味がある、やっていきたい、深めたいという方、誰もに必要な基礎が学べ、無理なく始められるプログラムになっております。
ぜひご参加いただけたらと思います😇🙏

ゴーパーラ


5月スタート!!  瞑想入門 4回コース<京都・大阪>

「瞑想入門 4回コース」のお知らせです!
5月から京都・大阪で、初心者の方を対象にした瞑想の4回コースをスタートします!!(詳細はこちらから☞『瞑想入門』


このコースでは、瞑想によって「心の静けさ」を感じていただきたいと思っています。
心の静けさとは、言い換えると「心の安定」でもあります。
家を建てる時、土台がしっかりしていればよい家が建つように、瞑想も安定した土台作りが大切になってきます。
まずは心身を安定させる基礎の教えを学び、瞑想をしっかりと継続できるプログラムを組んでおります。
これから瞑想を始めたい方、また深めたいという方、ぜひご参加ください!
門戸を開いて、お待ちしております!!

そして本日、4月8日はブッダの御聖誕日です。
皆さんもご存知のように、ブッダは瞑想によって悟りを啓かれた覚者です。
私は20歳の時、ブッダ成道の地ブッダガヤを訪れた際、その場所の静寂に包まれたプラーナ(気)に安心を覚え、自然とブッダの教えや仏教を学びたいという思いが湧いてきました。
この瞑想入門のコースが、心の静けさや瞑想への思いが高まる空間になればと願っております。
そして、新しいご縁ができることを心より楽しみにしております。

ゴーパーラ


マハーヨーギー・ミッションのInstagram

ミッション公式のInstagram(インスタグラム)が始まりました。今は、それぞれ自分に合う方法を使って情報を得られる恵まれた時代だなぁと思いますが、その方法の一つにInstagramがあります。そこで、少しでも多くの方に真理の教えやヨーガを生きるということについて、ご縁を持っていただけばとInstagramはスタートしました。

新刊『マハーヨーギーの真理のことば』からの教えを、マハーヨーギー・アーシュラマや、アーシュラマに由縁のあるお花や、美しい自然の写真などと共にお届けしたり、またクラスに纏わるコンテンツ、旬のお知らせなどもアップしていきたいと計画中です! 秘蔵写真もお目見えするかもしれません(!)ぜひご覧いただき、フォローしてくだされば嬉しいです。

「見る、という行為はフィルターを通さずに直接に心に届く」と師からお聞きしたことがあるのですが、Instagramは、写真や動画をまさに見ることが中心のSNS。
仕事の休憩時間や家事の合間のひとときに、心に静けさを感じたり、胸の奥の真実を思い起こしたり、自分をリセットしたりできる機会となれば・・・。

情報が溢れかえり混沌としている中でも、古(いにしえ)より伝えられてきた永遠の真理を悟るためのヨーガの道を、その一筋の光を、純粋に発信していければと願います。
師がお伝えくださっている真のヨーガが多くの方に届くよう、ぜひみんなで一緒にMYMのInstagramを盛り上げていけたらと思います。どうぞよろしくお願いいたします! 

Instagram-image

Instagramのプロフィール画面の上に並んでいる丸いアイコン(ハイライト)の「書籍」をクリックすると・・・『マハーヨーギーの真理のことば』の案内が出てきます。その画面の右下にある♡マークを押していただくと、見たよ!いいね!という意思表示で、MYMのInstagram管理画面には、♡ハートがたくさん届きます~! 皆さんの画面からはその様子をご覧いただくことができないので、ぜひここでご覧ください。 こんなふうに師へハートマークが・・・届きます。

Instagram
Instagramアカウント:@mahayogi.mission
https://www.instagram.com/mahayogi.mission/

 

ナリニー  


アーサナの力

“アーサナは堅固で快適でなければならない”

アーサナとは坐法のこと。あらゆるアーサナは、堅固で快適な状態で座り続けられるようになるために行います。
堅固とは、心がしっかりと定まって動かないことだと、昨年先輩グルバイから教わりました。

ヨーガでは、プラーナ(気)を制御することによって身体や心の動き、そして呼吸を制御していきます。
呼吸と心は密接に関わっており、呼吸が止まると心も止まります。
アーサナにおいては一つの形の中で、まず身体の動きを制御し、次に呼吸を制御していくことによって、心が制御されます。

私がアーサナを始めたのは、通っていた鍼灸学校の先輩のクラスがきっかけでした。
元々股関節と腰に痛みが出やすかったのですが、当時は怪我の影響で膝も痛く曲がりづらい状態で、特にバッダコーナ・アーサナでは上体を倒すと膝の違和感が強くなり、形を深めることができませんでした。それでも行うと腰と股関節に効いている気がして、好んでやっていました。

半年ほど経った頃、初めてMYMのクラスに参加しました。
最初に行ったのがバッダコーナ・アーサナ。それまで参加していたクラスとは異なり、静まり返った雰囲気の中、少しずつ形を作りました。膝に多少の痛みを感じつつも、「しっかりと息を吐ききるように」との声に、ひたすら息を吐くことを意識しました。呼吸する度に身体の感覚がなくなっていくようで、いつもよりも形が深まっていきました。
身体の内側では強烈な刺激を感じ、時間が止まったような気がしました。
「戻して」の声でゆっくりと上体を起こすと、頭がぼーっとしていて、その後のことはあまり覚えていません。おそらく心や感覚が制御されたことで、痛みに囚われずにアーサナできていたのだと思います。
アーサナの形自体はこれまで行っていたものと同じなのに、呼吸を意識することでこんなにも違うのかと驚きました。
MYMのクラスに通うようになってからは、膝の状態は改善して身体の調子も良くなり、バッダコーナ・アーサナをしても痛みや違和感がなくなりました。
それでも長時間座る時は必ず足や腰が辛くなっていましたが、アーサナを毎日行ううちに少しずつ座れるようになりました。
アーサナができない時には、背骨を真っ直ぐに伸ばした姿勢で座るだけで、呼吸が落ち着くことに気付きました。また、クラス受講中に頭痛がひどくてアーサナできなくなった時には、座り続けるうちに痛みが和らぎ、クラスが終わる頃に楽になったことがありました。
座る形を作るためにアーサナがあるのだと納得し、身体を癒す力もあるのだと実感しました。

最近は年齢による身体の変化もあり、腰や股関節に違和感と痛みが出ることがあります。
一通りアーサナをするのが困難な時でもバッダコーナ・アーサナを行い呼吸を繰り返すことで、違和感や痛みに囚われなくなります。
いつまでも吐き続けられるような感覚になり、吐き切った後の自然に呼吸が止まった状態が平安で心地良く、ずっとこのままでいられたらと思うほどです。

身体、呼吸、心が制御された状態の中では、心でも体でもない、本当の自分だけが在ることを体感するから、無呼吸の状態を平安で心地良く感じるのではないかと思います。

アーサナは坐法。
師がお座りになるお姿は本当に美しく、坐法が堅固で快適であることを私たちに見せてくださっています。

そうなるための基礎となるアーサナの大切さを感じています。

美しい坐法が描かれているタペストリー。
ずっと見つめていると瞑想しているような感覚になります。

ハルシャニー  


『マハーヨーギーの真理のことば』” 生きる秘訣 “を読んで

 私は人と平和に仲良く付き合いたいという思いが強く、意識しすぎて他人とうまくコミュニケーションがとれず苦しみを感じています。ヨーガを始めて、他人によく思われたいという思いが原因だと分かりましたが、他人に好かれなくてもいいと心に言い聞かせようとすると、その人に対して無関心な冷たい感覚を感じたので、これは絶対違うとも思いました。好かれたいもダメ、好かれなくていいもダメ・・きっと好かれなくていいけれど、私は他人を愛し奉仕しますという境地が正しいのだろうと思いながらも、どうしたらそうなれるのか雲をつかむようでした。

 今回、「生きる秘訣」の章を読んで、他人と接する際、個性は無視すればいいとの教えに衝撃を受けました。ずっと、その人のいいところを見てそれを愛していくもの、悩みを打ち明けてもらえる程関係を深めて、その悩みや困りごとに対して自分ができることを親身になって行為することが「他者に善きことを行為すること」だと思っていたからです。
この教えをよく考えてみると、ここが好き、あそこが好きと判別すること自体、全ては等しく尊いという真実に矛盾しているのかなと思いました。

 また、愛に感情や言葉は要らない。ただ奉仕すればいいという教えも目から鱗でした。これもよく考えてみると、感情や言葉で仰々しく飾る程に、こんなに思っている私を分かってほしいというような見返りを求める気持ちが加わる気がします。無償の愛は本来もっとさり気ない、ただ状況がより良くなるよう行為する。そんなシンプルな姿なのかなと思いました。
そして自らを振り返ると自分を良く見せるために発している言葉がいかに多いか気づきます。やはり、きっぱりと「人に好かれたい」という気持ちを捨てることが必要だと改めて思いました。

他者のために思い、話し、行為できるように、「私」が出てきたら改めていけるように、日々自分の言動をしっかり観察するようにしていきたいと思います。

白石雅子