風を掴むのは非常に難しい。
真の自己の自覚ー即ち悟りがあるでしょう。
真の自己の自覚ー即ち悟りがあるでしょう。
“アーサナは堅固で快適でなければならない”
アーサナとは坐法のこと。あらゆるアーサナは、堅固で快適な状態で座り続けられるようになるために行います。
堅固とは、心がしっかりと定まって動かないことだと、昨年先輩グルバイから教わりました。
ヨーガでは、プラーナ(気)を制御することによって身体や心の動き、そして呼吸を制御していきます。
呼吸と心は密接に関わっており、呼吸が止まると心も止まります。
アーサナにおいては一つの形の中で、まず身体の動きを制御し、次に呼吸を制御していくことによって、心が制御されます。
私がアーサナを始めたのは、通っていた鍼灸学校の先輩のクラスがきっかけでした。
元々股関節と腰に痛みが出やすかったのですが、当時は怪我の影響で膝も痛く曲がりづらい状態で、特にバッダコーナ・アーサナでは上体を倒すと膝の違和感が強くなり、形を深めることができませんでした。それでも行うと腰と股関節に効いている気がして、好んでやっていました。
半年ほど経った頃、初めてMYMのクラスに参加しました。
最初に行ったのがバッダコーナ・アーサナ。それまで参加していたクラスとは異なり、静まり返った雰囲気の中、少しずつ形を作りました。膝に多少の痛みを感じつつも、「しっかりと息を吐ききるように」との声に、ひたすら息を吐くことを意識しました。呼吸する度に身体の感覚がなくなっていくようで、いつもよりも形が深まっていきました。
身体の内側では強烈な刺激を感じ、時間が止まったような気がしました。
「戻して」の声でゆっくりと上体を起こすと、頭がぼーっとしていて、その後のことはあまり覚えていません。おそらく心や感覚が制御されたことで、痛みに囚われずにアーサナできていたのだと思います。
アーサナの形自体はこれまで行っていたものと同じなのに、呼吸を意識することでこんなにも違うのかと驚きました。
MYMのクラスに通うようになってからは、膝の状態は改善して身体の調子も良くなり、バッダコーナ・アーサナをしても痛みや違和感がなくなりました。
それでも長時間座る時は必ず足や腰が辛くなっていましたが、アーサナを毎日行ううちに少しずつ座れるようになりました。
アーサナができない時には、背骨を真っ直ぐに伸ばした姿勢で座るだけで、呼吸が落ち着くことに気付きました。また、クラス受講中に頭痛がひどくてアーサナできなくなった時には、座り続けるうちに痛みが和らぎ、クラスが終わる頃に楽になったことがありました。
座る形を作るためにアーサナがあるのだと納得し、身体を癒す力もあるのだと実感しました。
最近は年齢による身体の変化もあり、腰や股関節に違和感と痛みが出ることがあります。
一通りアーサナをするのが困難な時でもバッダコーナ・アーサナを行い呼吸を繰り返すことで、違和感や痛みに囚われなくなります。
いつまでも吐き続けられるような感覚になり、吐き切った後の自然に呼吸が止まった状態が平安で心地良く、ずっとこのままでいられたらと思うほどです。
身体、呼吸、心が制御された状態の中では、心でも体でもない、本当の自分だけが在ることを体感するから、無呼吸の状態を平安で心地良く感じるのではないかと思います。
アーサナは坐法。
師がお座りになるお姿は本当に美しく、坐法が堅固で快適であることを私たちに見せてくださっています。
そうなるための基礎となるアーサナの大切さを感じています。
美しい坐法が描かれているタペストリー。
ずっと見つめていると瞑想しているような感覚になります。
ハルシャニー
アーサナの実践を続けていくと、呼吸の変化や内的なプラーナ(気)の充実とともに、少しずつ自分の限界というものが広がっていくのが感じられます。
始めの頃は身体がきつくてしんどいなと思っていても、いつの間にかその辛さはなくなり、心地よい集中感に変わっていきます。このポーズは苦手だなあと思うものがあっても、逃げずにやり続けていけば、苦手な気持ちはなくなり、不思議と得意なものとの差異がなくなっていったりもします。
アーサナの実践に慣れてきたならば、ポーズを保持して戻す前のもうあと一呼吸か二呼吸、自分の限界を超えていくように行なうことで、さらに深めていくことができるといわれます。
仕事も何事も、自分のできる範囲だけでやっていると、それ以上の進展はありませんが、ここまでしかできない、という限界を少しずつでも超えようとチャレンジすることで、キャパシティが広がっていくのだと思います(注:ただし決して無茶はしないでくださいね。力まずに呼吸を大切にしながら深めるのがポイントです)。
ある時、サマコーナ・アーサナ(開脚の形)を完成に近づけていくコツがあるかという質問に対して、師が「コツは毎日することしかないなぁ」と仰ったことがありました。あまりにシンプルなお答えに、妙に納得した記憶があります。
開脚は、私にとってとても苦手なアーサナでした。かなり内股気味だったこともあり、最初は痛すぎて、立って脚を開こうとしても思うように開かず、バランスを崩しておしりから転倒してしまうほどでした(苦笑)。また力を無理に掛けすぎて怪我をしてしまい、なかなか治らなかったこともありました。もう無理だと避けていましたが、師の言葉を聞いて、少しずつでもまた地道にやっていこうと思えました。
だんだんと刺激はある中でも呼吸が深くなり、背骨へのプラーナの集中を感じるようになっていきました。時間はかかりましたが、10年越しくらいで身体も変わってきたように思います。いつの間にか以前の恐怖心や苦手意識は消えていて、瞑想の坐法に直接繋がるようなアーサナだと感じられるようになりました。
普通は、自分にとって嫌なことは避けたくなるし、好ましいものはもっと欲しいと思うものです。自分の中に「好き」「嫌い」といった心の枠があり、それに当てはまる出来事を前に、大きく心は反応し、揺れ動いてしまいます。嫌なことを避けてばかりいると、その時は逃れられたと思っても、また別のかたちで同じようなシチュエーションがやってきて、いつまでも克服できていないことに気付かされたりもします。そして、好ましいものを求めることで欲望は膨らみ、それが思い通り手に入らないと、結果的には苦悩を味わいます。
アーサナの目的は聖典にもあるように、明確です。それは二元性を超えるということです。二元性――つまり肉体が感じる暑い・寒い、空腹・満腹、あるいは様々な感覚器官の動揺、さらには心理的な好き・嫌いであるとか、好・悪も、善・悪も含めた一切合財の二元性を超えること。
(シュリー・マハーヨーギー)
体と心は常にいろいろなことを訴えてきます。しかし、心身の状態がどうであれ、ちくいち感想をはさまずに、コツコツと淡々と続けていくことで、自分の作った囲いを取り払い、様々な状況に振り回されない精神力を養っていくことができるのだと思います。忍耐力もついていきます!
また、その実践の積み重ねは、あらゆる二元的な状況を超えた、一なる真実に向かっていく大きな熱と力となっていくに違いありません。
そうして、『アーサナ(坐法)は堅固で快適でなければいけない』という言葉の意味が達成される時、見るもの、聞くもの、触れるもの、この世界を取り巻くすべての事柄の影響を受けずに、心を完全に制御下に置くことができるのでしょう。
さあ、暑さが過ぎ去って大気のプラーナが中庸といわれるこの時分は、私たちの心身を調えるにはとってもいい季節です! 素晴らしいヨーガの智慧と力をより多くの方に体験していただけることを願って、この「ヨーガ・アーサナの力」のシリーズを終えたいと思います。
そして、古から伝わるヨーガの秘儀を伝授してくださっている師に、心から感謝を捧げます。
マードゥリー
ヨーガ・アーサナに対して、私はとっても大きな信頼を寄せています。それには前回お伝えしたように、呼吸が変化していくことで、動揺しっぱなしだった心の反応が変わってきたと感じられたこともあり、さらには「正しい食事とアーサナの実践によってほとんどの病は回復する」*と教わっていますが、そのことを実感した経験があったからです。
*それには正しい師の下で学ぶことが大切であり、また場合にもよるといわれます。私自身は軽度の症状でした。
ヨーガを始めた頃は仕事に忙殺され、不規則な生活が続いていたこともあって、(20代後半でしたが)心身ともにあちこち不調のサインが出ていました。婦人科系の疾患もわかって手術するかどうかの瀬戸際という時、師や先輩からも助言を頂き、これまでの生活習慣を変えて、ヨーガに添わせていこうと思い立ちました。食事も玄米や旬の野菜を中心に、豆類、海藻類などバランスの取れたものにし、途中で寝てしまうことが多かったアーサナも、毎日基本プログラム全てを行なえるように励みました。
実践して約半年後、慢性的に感じていた疲労感はなくなり、再度受診したら、すっかり問題がなくなっていて驚きました。食事もしかり、アーサナが細胞やホルモンといった身体の内部から変革させていく力があることを、その時、身をもって感じました。
アーサナやプラーナーヤーマ(呼吸法、調気法)、瞑想によって、呼吸が変化します。それが体中の隅々の細胞にまで影響を与え、身体と心の安定をもたらします。
これらの修練によってプラーナ(気)が蓄積され、睡眠時間も減るほど身心が癒やされます。それは身体の中に通っている、普段ダメージを受けている七万二千本のナーディー(プラーナが流れる管)が浄化されるためなのです。
(『ヨーガの福音』サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ著より)
「気を使う」とよく言いますが、ふだん気=プラーナは仕事や人間関係、様々なことに使われる一方で、ストレス社会といわれる現代では、気疲れも溜まっていき、心身の不調和を感じている人も多いと思います。アーサナは内から浄化を施し、本来の調和のとれた気の状態を取り戻していきます。また、様々な生理機能(呼吸、消化、排泄、生殖など)と関連しているチャクラ(プラーナの集まるセンター、つぼのようなところ)に集中されることによって、自己治癒力が高められるといわれています。
チャクラへの集中は、柔軟性は全く関係がなく、その人ができる範囲で正しい形態をとることで、自動的に集中されます。
師が伝授してくださっているアーサナは、完成ポーズでの力点、視線、またポーズを作る時、戻す時の動作まで、細部にわたって配慮がなされています。それは、師ご自身が体験によって目には見えない微細なプラーナやチャクラというものを実証されているからこそ、考えられたものだと感じます。最初は覚えるのに一所懸命になるかもしれませんが、やがて一連の流れが身体に染み込んでくると、全ての動作は最も自然で、理にかなっていることに気付かされます。
アーサナの実践は、ある意味自分の体を使った実験的なところがあるのではないでしょうか。本当にベストな形が作れているか、例えば手足のこのポジションとこのポジションではどちらがより集中感があるか、この身体の動かし方によってプラーナが逃げないかどうか……。意識して見直してみると、ポイントを押さえてやっていたつもりでも、まだまだ改善の余地があることに気付くこともありました。一見細かな作法もとても重要で、呼吸の深まりと共により内的な集中感、プラーナの充足感へと導かれるものだと感じます。
さて、アーサナを行なった後、食事は2時間くらい空けたほうがよいと推奨されています。それはアーサナによってプラーナが全身に行き渡ってバランスが取られているところが、そこに食べ物が入ると、消化のほうに一気にプラーナが使われてしまうからという理由があります。ずいぶん前のことを打ち明けると、アーサナ後、極力すぐに食事をしてしまったことがあり(しかもガッツリと!)、その時は感覚的に、とっても満ち足りたいい状態だったのが、一気になし崩しになり、乱れてしまったな、もったいないことをしたなというのがよ〜くわかりました(反省)。やっぱりせっかく行なうなら効果を最大限に持続させたいですよね。
ヨーギーたちは修練によって培った強靭な肉体をもって、プラーナのすべてを瞑想に集中させていったそうです。真実のみを求め、毎日毎日、幾年もかけて―—。
自らの内にしっかりと蓄積させたプラーナは、余計な問題のために浪費したり、欲望的な行為に使うのではなく、瞑想に、内面を磨くために集中させていきたいものですね。そうして、日常の中でいつでも良いプラーナを内側から発散させていけたらと思います。
(つづく)
マードゥリー
今夜から明日にかけての満月はスーパームーンらしいですね。インドでは7月の満月の日は、グル・プールニマといわれ、師に感謝を捧げる、とても吉祥な日だそうです〜。
さて、前回はアーサナの役割や位置付けについて書かせていただきました(→「アーサナは瞑想のためにある」)。今回のテーマは「呼吸」についてです。
皆さんは普段、ご自分がどのような呼吸をしているかを感じながら過ごしておられるでしょうか? あまり認識していないというのが通常かもしれませんが、もしかしたら意識しているという方もいるかもしれませんね。
呼吸と心がとても密接な関係にあるということは、ヨーガの大きな発見だったそうです。私自身はアーサナを始めて呼吸について学ぶようになって、普段の呼吸も意識するようになりました。すると、焦ったり、イラッとしたり、気持ちが高ぶったりしたような時には、心臓の鼓動とともに呼吸も、あっ、すごく早くなっているな、反対にリラックスしている時は呼吸もゆっくりしてるな〜と、なるほど(!)確かに連動しているということがわかってきました。
現代では医学的にも、深い呼吸<腹式呼吸>によって自律神経の働きである副交感神経が優位になり、心身ともに落ち着く、また浅い呼吸<胸式呼吸>はストレス、緊張、興奮時に働く交感神経が活発になるということもいわれています。
古(いにしえ)から呼吸と心の繋がりを解き明かしてきたヨーギーたちはスゴイなあと思います!
呼吸も心も、乱れてしまった時は落ち着けようと思っても制御困難です。しかし、アーサナの実践によって制御可能になっていきます! 特定の形(ポーズ)を作り、身体を静止させた中で呼吸を調律していくことによって、深く安定した呼吸のリズムへと変化させることができるのです。「アーサナは鋳型に押し込めるようなもの」と師は言われます。日常生活の姿勢ではなかなか難しい呼吸の制御が、一見窮屈な閉じ込められた形態の中でこそ制御できていくという感じでしょうか。
そのように呼吸が変われば、心も平静に保つことができ、日々降りかかってくる、心を刺激する様々な出来事の影響を受けずにいられるようになっていきます。これは本当に、驚くべきアーサナの力だと思います! もちろん、1日、2日ではムリですが、何カ月か続けたら、法則のようにやった分、必ず効果として自分に返ってくる、ヨーガの恩恵だと感じます。
あれっ?! いつもだったらもっと動揺していたのに、巻き込まれずに冷静に対処できているな、あれっ?! 今日は腹立たないな、というふうに心の暴走にブレーキがかかる、反応がすっかり変わる、そんな変化が感じられたら嬉しくなりますよね♪
そういうわけで、アーサナの実践においては呼吸がとっても大切です。基本は「吐く息を長く伸ばして完全に吐き出す」ということ。
クラスに通い始めて間もない頃は、特に苦手なポーズは呼吸がままならず、吐く息を長くするどころか、まるで走っている時の呼吸のようにハアハアしてしまい、早く戻させて〜っと思いながらひたすら耐えていたものです(泣)。そんなスタート時を思えば、劇的に呼吸は変わっていきました。3カ月?ほどした頃に変化を感じ、1年、2年……10年……と実践を重ねていくことでまた違った体感が生まれました。
最初は身体への刺激を強く感じますが、慣れてくると呼吸に意識を向けられるようになっていきます。やがて吐く息がすーーーっと伸びていき、力まずに吐き切れていく感触が掴めてくる。さらには、だんだんと吐き切った後にしばらく呼吸が入ってこない、自然に止まったかのような状態が訪れます。そのように深まっていくと、アーサナ後、瞑想に座った時には呼吸の出入りがより微かになり、心が静まった感覚を得られるようになると思います。
気が動くと心も動く。気が動かなければ心も動かなくなる。
(『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』より)
*「気」とはプラーナの訳語であり、プラーナは生命エネルギー、宇宙エネルギーともいわれる森羅万象を支える力のこと。プラーナの最も大きな現れが呼吸といわれる。
ヨーガの修練には、プラーナーヤーマという呼吸法/調気法もあります。(指で鼻腔を押さえ)呼吸をコントロールし、呼吸すなわちプラーナ<気>の停止によって、心を不動の状態へと導くものです。
有名な映画(『グラン・ブルー』)にもなった素潜りの記録をもつジャック・マイヨールという方は、そのヨーガの呼吸法を学んでいたとか。海中を長時間潜るには、呼吸を制御することはもちろん、心の制御というものも必須だったのでしょう。
インドの伝統では、修行者はアーサナを12年、その後に呼吸法を12年、さらに瞑想を12年と、長い年月(トータル36年も?!)をかけて、真我に目覚めるというゴールへと修練を積み重ねるものだと師から伺ったことがあります。しかし、師ご自身がそれらを10代の頃から徹底的に実践し、マスターされたご経験があるからこそ、アーサナにおいては、ポーズ自体は一見同じようなものが様々あるとしても、その作法は師が発見された、たいへん革新的な内容を開示してくださっています。その一つがアーサナ中の吐く息にフォーカスしていく呼吸の方法であり、それはアーサナを行ないながらもプラーナーヤーマの領域にまで及ぶ内容になっているのです。師が伝授されるアーサナは、まさに瞑想の入り口まで運ばれる力のあるものであり、ヨーガの道のりを速やかに進めていく素晴らしい実践法だと感じます。
(つづく)
マードゥリー
こんにちは! ヨーガ・瞑想クラスを担当しているマードゥリーです。
今回から、クラスで行なっているヨーガ・アーサナ(ポーズ)について、その実践がもたらす力がどのようなものか、これまで師から教わってきたことや自分自身が感じてきたことをもとに、4回シリーズ(予定)で書いてみたいと思います。皆さまどうぞお付き合いください〜。
ヨーガ・瞑想クラスは、マハーヨーギー・ミッション(MYM)の各クラスの中でも最もクラス数が多く、開講歴も長いレギュラークラスです。
師が京都にアーシュラマ(道場)を開設されたのが1976年。師の下で学び、ヨーガの素晴らしさに感銘を受けた先輩たちが、一人でも多くの人に提供しようとクラスを始め、それから25年以上が経ちますが、現在に到るまで、クラスはず〜っと同じスタイル(内容・プログラム)で行なわれています。
私自身、MYMのクラスに一受講生として参加したことがヨーガの始まりでした。目まぐるしく日常が過ぎる中、立ち止まって生き方を見つめるきっかけを与えてくれたのがクラスであり、アーサナは自分と向き合うヨーガの第一歩でした。軽い気持ちで足を運んだつもりが、私たちの身体の神秘や呼吸の深まり、さらには心の紐解きなど奥深い内容があることを知り、ヨーガの世界に惹きつけられていきました。
* * *
さて、ここからはアーサナの役割について少し触れてみたいと思います。
全クラスでは、当初から変わることなく、師が厳選された基本アーサナ十数個と瞑想を行なっています。来られる方の体調や進み具合に応じてプログラムは組まれるので、中にはプラーナーヤーマ(呼吸法)や瞑想を中心に行なっている人、より高度なアドヴァンスなアーサナに取り組んでいる人もいます。しかし、どのようなアクロバティックなアーサナであったとしても、アーサナは瞑想のための準備段階として位置付けられています。
『アーサナは堅固で快適でなくてはならない』という格言的な言葉が、聖典『ヨーガ・スートラ』にはあります。本来「アーサナ」とは瞑想の「坐法」のことを意味し、生き物の数ほどたくさんあるともいわれている全てのアーサナ(ポーズ)は、瞑想にしっかりと座るために開発されてきたのだそうです。えっ、座る方が簡単で楽じゃないの?と私も最初に聞いた時は驚きました。しかし、実はシッダ・アーサナ(達人坐)やパドマ・アーサナ(蓮華坐)で両膝が床に付いて安定し、背骨を真っ直ぐにしてどこにも力が入っていない不動の状態で長時間保つことは、とっても難しいのです。坐法の完成は、座ると自然に呼吸が静止し、それによって心も静止することだといわれます。やっぱりそれには相応の修練が必要なんだなと思います。
アーサナは、柔軟性を競うものでも、単に肉体の健康のみを求めるものでもなく、また身体表現の美しさを見せるためのものでもありません。伝統的にも、ヨーガ=「瞑想によって本当の私に目覚める」というゴールに向かっていくための霊的な修練であり、内側から強くてしなやかな身体へと改造し、深く安定した呼吸に変化させることによって心を静寂へと導く、瞑想のための土台を築いてくれるものなのです。
一連のアーサナをやりこんでいくと、プログラム最後には身体と呼吸と心が統一され、坐法がまさに定まったという感覚、研ぎ澄まされた集中感が生まれ、自ずと瞑想へと連れていってくれるのを感じることができます。
ハタ・ヨーガは高遠なラージャ・ヨーガに登らんとするものにとって、素晴らしい階段に相当する。(『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』より)
*ハタ・ヨーガとは、アーサナや調気法などの修練を中心に行なうヨーガの道。ラージャ・ヨーガとは、瞑想によって真の自己を実現することを意味します。
また、アーサナの実践を続けていくと、毎日の食事が(欲するものがより良質で軽やかなものへ)変わっていったり、環境が調えられていったり(部屋が綺麗になったり?!)もします。不思議に思われるかもしれませんが、それらは心身が調ってきた結果、起こることでもあります。さらには真理を理解する力が養われてくるともいわれます。アーサナによって心が落ち着き、受け入れ態勢ができてくるような感じでしょうか。瞑想するには、まず真理の教えを聞いて、学び、深く考えていくことが基本にあると常々師から教わっていますが、真理の理解を育むことや日常生活を調えることも含めて、瞑想の土台となっていくのだと思います。
ある受講生の方が、クラスに通い始めて3年ほど経った頃、「アーサナをすることが今の自分にはとても大切で、教えが身体を通して入っていく感じがします」と言われたことがありました。アーサナの力は偉大だなと改めて感じました。もちろん、呼吸や心身の変化もあってのことと思いますが、身体を動かして修練を積み重ねることで、ヨーガの教えも頭だけの理解ではなく、自分のものとしてしっかりと身に付いていく、そして着実に瞑想への道筋ができていくのだと思います。
(つづく)
マードゥリー
私は介護の仕事で車椅子の方と外出する時、休憩する小さな公園があります。暑くなり始めた先週、その公園の蔦が絡まる木陰のベンチに座ると、その場所がとても涼しく、一瞬にして癒されました。その瞬間、野口美香さんのブログで「木陰は涼しい」と書かれていたのが思い出されました。隣の車椅子の方もその涼しさに癒されたのか、笑顔で嬉しそうでした🍀
さて、そんな5月の終わり、名古屋近郊からはるばる京都のアーサナ・瞑想クラスに一人の女性の方(以下:Yさん)が見学に来られました。Yさんは私たちのブログ『ヨーガを生きる』を1年半ほどずっと読んでくださっていたようで、なんと2週間前、まだ会ったことのない私たちにブログ内でコメントを寄せてくれたのです!それがきっかけとなり、「ぜひ、お会いしてお話しましょう!!!」ということになり、コメントをくださってから1週間後、すごいスピードで交流が実現しました。
クラスの見学も含め、その前後でもたくさんのお話ができ、とっても楽しく素晴らしいひとときでした!!!
Yさんはインドにグルがおられ、その教えを日本で毎日欠かすことなく一人で実践されています。
1年半ほど前にYさんは、私たちの師シュリー・マハーヨーギーのYouTubeを見つけ、そこで紹介されている教え「ヨーガの瞑想は、一生涯のその結果に留まらず、何百、何千生涯を通過するぐらいの威力をもってなされなければならない」に触れてとても感じるところがあり、それがきっかけで私たちのブログを読み始めたそうです。【師のYouTubeはこちら💁♂️『サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ:現代に生きる真正のヨーギー』】彼女はグルも仲間もいない日本でたった一人で実践し続けることが本当に苦しかったそうですが、ブログを通して、自分と同じようにグルへの思いをもったマハーヨーギー・ミッションの修行者の存在やその情熱に励まされながら実践を続けていたと話してくださいました。
今回の交流中、1秒たりとも真理・神以外の話をされなかったYさん。そんな大変熱心で信仰心の厚い彼女と交流して、私たちもとてもインスパイアされました!!!そして、グル(師)とサンガ(仲間)が修行者にとってどれだけ大きくかけがけのない存在なのか、改めてその有り難さを教えていただいたように思いました。本当にグルとサンガは、この世界における木陰のような避難所です!!!
私自身、木陰の一枚の葉っぱになれるようにと願い、これからその木陰の下に多くの人が集い、休足し、語らい、そして遊び戯れることを心から願った今回のYさんとの出会いでした。
Yさん、この度はご縁をいただき、たくさんのお話ができたこと、本当にありがとうございました🙏🙏🙏ぜひぜひ、また京都にいらしてください!!!一同、心よりお待ちしております😇
ゴーパーラ
生命力溢れる木々の緑が眩しい季節になってきましたね。
さて、今日はゴールデンウィーク明け5月12日(木)から始まる「ヨーガ・瞑想 オンライン体験コース」についてPRさせてください。
初心者の方や久しぶりという方向けのこのコース。全4回でヨーガ・アーサナ(ポーズ)と瞑想の基本を学んでいきます。10程度のアーサナを行ないながら、深く安定した腹式呼吸を習得していくための呼吸法、チャクラ(気の集まるセンター)への集中やプラーナ(気)の充実から得られる効果、瞑想に大切な坐法や集中力の養い方などをお伝えする予定です。
コロナ禍が続く中、クラスへ足を運ぶのを躊躇されている方や、遠方で受講が難しいという方もおられるのではと思い、昨年からオンラインでのコースを企画しました。
前回は、10年ほど前にマハーヨーギー・ミッションのクラスに通っていた方の参加がありました。遠くに引っ越して続けられなくなったけれど、クラスでの体感が印象に残っていて、いつかまたやりたいと思っておられたとのこと。再会も懐かしく、とても嬉しかったです〜。
体験コースを受けた後に、レギュラーのオンラインクラスで継続している方もおられます。アーサナの基礎が身についてきて、よい変化を感じておられるようです。呼吸の深まりは画面越しからでも伝わってきます。
アーサナを続けることによって身体が軽やかに快適になっていくとともに、呼吸の変化に伴って現れる精神面での変化は、誰もにとって大きな贈りものとなると思います。ストレスやダメージを受けにくくなり、さまざまな出来事に反応して湧いてくる怒りやイラ立ち、不安や恐怖、焦りや緊張……といった感情の起伏をおさめていくことができていきます。
心身に調和をもたらすアーサナは、本来の私へと立ち返ろうとするヨーガの道の第一歩。少し踏み出せば、そこには大いなる恩恵と、今をより良く生きるための智慧と力があることが感じられるでしょう。一人でも多くの方にご体験いただけたら!と願っています。
オンラインってけっこう勇気がいるかも?!と思われるかもしれませんが、少人数で行ないますし、見本も見ていただきながら、ゆっくりとムリなく進めていきますので、どうぞご安心くださいね。
日時:5/12, 19, 26, 6/2 木曜日 20:00〜21:00
*最終回6/2は21:30まで
受講料:4回 6,000円(税込)
<各回のテーマ>
1回目:体と呼吸と心を調える
2回目:自己治癒力を高める
3回目:集中力を養う
4回目:瞑想で静けさを味わう
次回は秋に開講予定。今後は瞑想中心の体験コースも企画しています。
マードゥリー
「ヨーガのアーサナ(体位法)や内容は、すべて生理的にも心理的にも哲学的にも科学のように説明が可能です。いつでも簡単にできます。しかし大事なことは、それらを知的に理解するよりも、体験によって良い変化を身体と心に与えてやることです。悟りとは単に知ること(知識)ではなく、成ること(体得)なのです。これが何千年にもわたる東洋の霊的修行なのです。真理はすでにあなたの中に在ります」——『悟り』より
思い返せば、アーサナの体験によって良い変化を身体と心に、ずっと与えられ続けてきたのだと思います。
七年前、ヨーガへの信頼はすでにありましたが、ヨーガを生きるということに対して、難しいから私には無理なのでは? 何かを失うのではないか? という思いも同時に抱えていました。度々、表面的な心の動揺に心が占められてしまい、苦しくなることがありました。
そのような中、京都でのアーサナのデモンストレーションに参加する機会をいただきました。いつもより自然と集中した中、アーサナを行なっていると、「真理の道とそうでない道」という言葉が浮かんできました。その瞬間、師から伝えられたアーサナは「真理を実現する道」であると直観的に感じました。真理に反する思いがあれば、抗うような力が内にあり、もうすでに私の身体と心は真理の道を歩むためのものに大きく変化させられているということが分かったのです。私自身、本当は真理の道を歩みたいと強く思っていることにも気付かされ、涙が溢れました。
今、私はアーサナを行なうことで心が内向きになり、すでに在る真理に近づいていけることを実感しています。このような具体的な方法を教えられ実践できることは、何と恵まれていることでしょうか。そして、真理の道を歩みたいと心から願うようになりました。それだけが本当の幸せになれる道だと確信しています。
師への感謝を胸に、日々実践を続けて深めていけますように。
りょうこ
師のヨギさんとお会いした2カ月後くらいから、自宅でもヨギさんの教えてくださるアーサナ(ヨーガのポーズ)をするようになりました。毎日アーサナに取り組めることが嬉しくて、生活の中にヨーガの為だけの時間があることを本当に幸せだと感じました。そして当時の私は「自分は弱い」という漠然とした思いを強く持っていたのですが、アーサナに取り組み続けることで、その思いがどんどん自分から離れていくことを体験させていただくことになりました。
初めの頃は、ポーズを維持している時間は、体のしんどさでいっぱいでしたが、同時に自分の内側が浄化されていくような安心を感じました。また、苦手なポーズに取り組むとすぐに心が折れてしまっていましたが、このままではいけないと思い、気持ちに負けてしまわないように強い意思をもって取り組むようにしました。すると、ポーズを終えてシャヴァ・アーサナ(休憩の形)をした時に頭の中がスッキリ晴れ晴れとした、という体験が何度かありました。そしてやり続けていくうちに、苦手なポーズの中でも心を乱さないように呼吸だけに集中しようと心がけることができるようになりました。
ある時にアーサナ中の呼吸が以前よりも長く吐けるようになったと実感したことがありました。そして日常生活の中に変化が現れ始めました。私は面倒ごとから逃げる癖がものすごくあったのですが、いつの間にかそれが消えて、目の前の状況に淡々と対応することができるようになっていました。また以前なら動揺していたような場面に出会っても、特に何も感じなかったということが何度もありました。以前あった「自分は弱い」という思いはただの間違った思い込みであることに気付かされました。そして生活全体の波が以前よりも少なくなり、瞑想の時に落ち着いて座れることが増えていきました。
現代はストレス社会と言われていますが、ヨーガに取り組むことで、ストレス社会の中にいながらも真実だけを見つめて生きていこうと実践することができるのだと思います。ヨーガは、ヨーガの守護神であるシヴァ神が作ってくださったと言われていますが、「ヨーガに取り組むことができる」ということそのものの中に神様の愛を感じます。そしてアーサナの実践は、身体だけでなく心にも変化を与えてくださいました。きっと神様はその人が理解できる方法で導いてくださっているのだと思います。ヨーガとの出会いに感謝し、師であるヨギさんの教えだけを見つめて、もっともっとヨーガを深めていきたいと強く願います。
船勢洋子