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The Eternal Quest Essence ― 永遠の探求 ―!!!

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この宇宙はどこから来たのかー。

私は誰か?

どこから来て、どこに行くのだろう。

ー永遠の探求 The Eternal Questよりー

 

The Eternal Quest Essence ―永遠の探求― が12/4にリリースされました。12/1のダイジェスト版に続いての公開です。

Essence(エッセンス)の名の通り、公演「The Eternal Quest」の真髄を凝縮したディレクターズカット版です!!!

ウパニシャッドの珠玉の言葉、息を呑むほどのアーサナの集中感、キールタンの溢れる神への愛!深淵なるヨーガの真髄が具現した、非常にシャープな映像に引き込まれます!

公演、映像ともにデザインされた、師シュリー・マハーヨーギーの祝福とお力に感服いたしました!心より感謝を申し上げます!

さてー

私は誰か?

その答えを私たちは果たして見出したのでしょうか!?

人生は一瞬のうちに過ぎ去る!

それ以外に知るべきものは何もない!

神に恋い焦がれ、狂い、一つになれ!

古来のヨーギー、ヨーギニーたちの魂の問いかけが、私たちの魂を揺るがせます!

 

今日12月8日は、かの偉大な主ブッダが悟りを啓かれた聖なる日です。

「私は古道を見つけ、それに従った」と主ブッダは言われましたが、この吉祥なる日に、古代より継承される永遠の真理とそれを実現する偉大なる道ーヨーガに思いを馳せながら、その精髄をとくとご覧あれ!

オーム・タット・サット オーム!

サーナンダ


日常がアーサナにあらわれる

アーサナのクラスを受講していたときのことです。鳩のポーズ(カポタ・アーサナ)をすると、毎回腰が痛いと思っていたので、講師の先生にポイントを尋ねると、「それは落ち着くところに落ち着くというか・・・自分でやり続ける中で見つけていくしかない」と言われ、そして「やっぱり腰に力を入れること」と言われました(違和感のある痛みであれば無理せず控えることも言われています)。実はその前回のクラスで、別のアーサナ(マッチェーンドラ・アーサナ ねじる形)でも腰が引けていることを指摘して頂いていたのでした。

アドバンスで取り組んでいる鳩のポーズ。もっと腰に力が入れられると、顔の位置がさらに足へ近づきますね。

そう言えば猛暑が始まってから身体がだるく、水分を取る量も増えて、普段から家の中では猫と一緒に寝そべってゴロゴロしていることが多い・・・。仕事中もお腹の力を抜いて悪い姿勢をしていることが多い・・・と日常での行為を思い出し、思い当たる節があることをお伝えすると、「アーサナはたった2時間やけど、他の時間の方が長いから・・・・・・。でも今気付いたんやから、もう大丈夫!」と優しく勇気付けてくださいました。日常の在り方がダイレクトにアーサナに影響していることを改めて実感し、自分の身体の癖をしっかりと見てくださっている先生の視点の深さに感謝するばかりでした。

帰りに自転車をこぎながら、心の習慣も同じだなと思いました。何かに執着していたら、どんな場面においてもそれが原因で心は苦しんでしまう。隠そうとしても隠せなくて誤魔化してうやむやにしても状況は変わらない。謙虚になって努力を続けていくことでしか、前には進めないのだと思いました。

さあ、やっと涼しく過ごしやすい季節となりました。アーサナを始めるのにも良い季節ですね。日々の生活も、アーサナも、瞑想も地道に取り組んでいこうと思います。

アマラー


真実に導かれる <直伝クラスに参加して>

2年前に、ヨギさんのアーサナ直伝クラスが始まる!、と聞いたとき、
「このクラスに参加するからには、絶対にヨギさんにアーサナを正されることが無いようにしよう。何年もアーサナのクラスに通っているのだから、正しくできて当たり前、今さら直してもらうなんて、ヨギさんに失礼だ。」
と、思ったものです。

私は、アーサナ直伝クラスが大好きです。
ヨギさんがその美しい全身を使い、はっきりとした目的を持ち、働いていらっしゃるところを見ることができるのが、何より嬉しいことだったのです。
誰にでも、必要な人に対して丁寧に、解りやすい言葉をかけ、手を添えサポートされるヨギさんの様子を、自分でアーサナをしながら、五感をフル活動させて追いかけていました。
今思い返すと、アーサナ中は呼吸に集中するよりも、ほとんどヨギさんに集中していたような気がします。
そしてクラスの後半、瞑想に座るころにはもう時間も場所も意識することがなくなり、ただこの時がずっと続いたらいいのにと思う。この思いも雑念だと気づきながら、そう願わずにはいられない。この感覚は、いつでもどんな場所でも瞑想できるようになる、手掛かりのような感覚になってきました。

直伝クラスでの瞑想

真実が人の姿となってこの世に顕れることの有り難さ、ということをなかなか理解できずにいましたが、直伝クラスでヨギさんと共に過ごすことで、少しずつ身に染みてきたように思います。
ヨギさんと共にいるときだけではなく、どんなときも同じように、かけがえのない大切なときであるということも。

直伝クラスには大勢の仲間が参加しており、一人一人、クラスでの体感は違うでしょう。けれど、皆、間違いなく真実の存在の方へ導かれている、それが直伝クラスであるのだと感じます。
ヨギさん、この機会を与えてくださって本当にありがとうございました。

正されまいと覚悟していたアーサナでしたが、そんなに甘くはありませんでした。
いつだったか、予想外の力強さで正された逆立ちに思わず声が出そうになり、私の覚悟も必要のない拘りだったのだと気づきました。

マイトリー


思い一つですべてが変わる!

2019年が始まりましたが、どのような一年になるのでしょうか?皆さんの今年の抱負はいかがですか。熱い思いが力強い行動を生み出し、未来を作っていきますから、素晴らしい一年となる思いを抱きたいですね!
さて、マハーヨーギー・ミッションのヨーガ・瞑想クラスも今日から始まりますが、今回、師の直伝クラスや京都のクラスに熱心に参加しながら、ヨーガに励んでいる桜井さんが、クラスを通した気づきと実践、そして決意について寄稿してくださいましたので、ご紹介したいと思います。


ミッションのクラスを受講し始めて2年が経った昨年の3月、アーサナや瞑想の実践を深めていきたいという思いとは逆に、私はそれまでの職場から勤務時間が大幅に増える職場に異動が決まりました。
悩んでいた私にクラスで指導してくださっているシャーンティマイーさんが「思い一つ、社会で求められていることには応えていかなければいけない。」という言葉をかけてくださり、アーサナや瞑想は手段であり目的ではなく、仕事をする時間が前より増えてもヨーガを深めていくことはできること、また、社会で求められている役割を果たしていくことも大切だということを教えていただきました。前向きに今ある状況でやっていくしかないという気持ちに変わっていきました。

新しい人間関係、新しいルール・・・その中でも、
日々淡々とできる限りアーサナや瞑想をする
職場では、頼まれたことやしなければいけないことは余計な感情なしに、すぐに動く
結果には執らわれず終わったことは捨てていく
ふとした瞬間に自分の中の神に意識を向ける

そんなことを心がけながら、土曜日は変わらずシャーンティマイーさんのクラスに参加していました。
それから2カ月が経った6月のクラスで、以前はアーサナをしていても身体という一つの器で呼吸とアーサナの形を作っていくことは別々のものとしか感じられませんでしたが、呼吸とアーサナの形を作っていくことが身体の中で重なったという感覚があり、マットに寝られないくらい身体中が燃えるように熱くなることがありました。この時に、やっとシャーンティマイーさんが繰り返しクラスで言われていた「アーサナはプラーナによって作られる。」ということが、ありありと実感できました。
その時からそれまで以上にプラーナを身体の中で意識できるようになり、少しずつ集中感も増してきたと感じられるようになりました。

これからも、師のお導きの下、シャーンティマイーさんから言われた「アーサナは基本に始まり基本に終わる。丁寧に呼吸を見つめて今の中に生きていく。」という言葉、きっとこの先何十年アーサナをしていっても「吐く息をできるだけ長く丁寧にし吐ききること、それとともに一つ一つの段階を追って完成ポーズにもっていくこと」は変わることなく大切で、それが日常生活では今という瞬間に生きていくことに繋がるんだなと思っています。しっかり心がけこれからも精進していきたいです!

桜井みき


イベント報告 & 2018年振り返り

一昨日の12月29日、左京区のZAC BARANにて、アーサナ・瞑想のデモンストレーションを行ないました。
今回の演目のテーマは、ヨーギーの起源であるシヴァ神でした❗️


シヴァ神のルーツは、インド土着のルドラという暴風雨の神だと言われております。
演目は『The Eternal Quest—永遠の探求—』の前半部をベースに、イントロでシヴァ神を想起させる雷雲の音を鳴らし、宇宙万物を司る主であり、またヨーギーの第一人者であるシヴァ神に、アーサナと瞑想のデモンストレーションを通して近づこうと試みました。
ただ私、うっかりして写真撮影を依頼しておらず、その時の様子は写真でお伝えできませんが😓、友人からは「宇宙を感じた!アーサナ、音響、着ていたTシャツ(カーリー・ヤントラ)、すべてがマッチしていた」という嬉しい感想をいただきました。
年末の寒波の中、グルバイやクラス参加者の方々もお越しくださって、とっても嬉しかったです!
本当にありがとうございました😊🙏

それで皆さん、2018年はどんな年だったでしょうか?
私はこの1年を改めて振り返ってみると、主ブッダがその中心にあったと思いました。
今年は、ブッダがテーマであった4月の祝祭をはじめ、師は折に触れてブッダについてたくさんのことを教えてくださいました。
その中でも特に印象に残っていることは、5月の松山特別サットサンガ後の夜でした。
その時に師は、「ブッダはこの世でいちばん偉大な人物」と言われ、私は「なぜそう言えるのでしょうか?」と尋ねると、次のようにおっしゃられました。

「ブッダは聖典の権威に影響されていないから」

私は「それが偉大な理由?」とクエスチョンマークが浮かびましたが、少し考えた後、師がいちばん好きだというシュリー・ラーマクリシュナの次の言葉が思い出されました。

「私はヴェーダも六派哲学も超えている」

そしてその瞬間、師が教えてくださっている次のブッダの言葉とつながったのでした。

「たとえ古い聖典が出てきても、それを鵜呑みにする必要はない。自らで確かめ、実践せよ」

インドの地においてヴェーダをはじめとする聖典は生活やその精神性の支柱であり、最高の権威に位置するもので、「それを超えている」「鵜呑みにする必要はない」とは簡単に言えることではありません。
しかしながら聖典は、人間を悟りという偉大な完成に導く言葉であり、その言葉の意味する内実をどれだけ感じ、肉迫することができるのか、つまり「実践」と「体得」がもっとも大切なことだと私は改めて気付かされ、そして何より、師がブッダやシュリー・ラーマクリシュナが発した言葉の内実を知っていると感じ、驚愕させられたのでした。

聖典の言葉は深遠で、どんな言葉でも奥深い意味や、また修行者を悟りへと導く力が隠されていると感じます。
一昨日の演目で、アーサナを終えて瞑想に座り、『The Eternal Quest』で朗唱されたウパニシャッドの詩を流した際、期せずして次の言葉が私の胸に響いてきました。

「身体の動きを止め、呼吸を制御せよ。御者が馬を操るように、心を制御して、全身全霊で神を瞑想せよ!」

今年も残すところ1日ですが、来年と言わず今日も真剣にヨーガを実践し、もっと、もっと、もっと聖典や師の言葉の息吹を感じたいですね!!!

最後になりましたが今年も1年間、ブログ「ヨーガを生きる」を読んでくださった皆様、まことにありがとうございました‼️
来年はより精進をし、良い形でブログに反映できればと思います。
そして、いつも真理を教え、導いてくださっている師シュリー・マハーヨーギーに感謝致します。
皆様、来年もブログ「ヨーガを生きる」をどうぞよろしくお願い致します😇🙏

ゴーパーラ


ヨーガアーサナ・瞑想 デモンストレーションのイベント案内

イベント告知です📢
12月29日(土)19時〜ヨーガアーサナ・瞑想のデモンストレーションを、私一人ですがさせていただきます‼️
場所は、3年前にも出演させていただいた「ZAC BARAN」という京都の老舗ライヴハウスです。

3年前のZAC BARANでのデモンストレーション。

今回の出演にあたって新たなチャレンジを試みており、それは「音響」です!
今まではシタールやタブラの生演奏とともにアーサナ・瞑想のデモンストレーションを行なってきましたが、今回、師の助言をいただき、『The Eternal Quest—永遠の探求—』前半部の詩の朗唱とシタール音をピックアップして編集録音し、それを流しての演出となります。
また、イントロでは「雷雲」の音を流します。
なぜ雷雲なのか?👀☁︎⚡️
ちゃんと意味とコンセプトがあります〜!

年末でお忙しいと思いますが、もしご興味ある方は、ぜひおこしください😃
音の編集録音をしてくださっている丹波在住の兄弟子クリパールさんも当日、音響入りします🎧

ゴーパーラ


12/29 sat   start 19:00 (open 18:00 )
@ZAC BARAN (京都市左京区聖護院山王町18 メタボ岡崎B1)
charge ¥1,000

ミッチー(ピアノ)
POP山モアレcity(バンド)
山本無二(ギター弾き語り)+ナカガワ ユウジ(インド楽器サーランギー)
ゴーパーラ(ヨーガアーサナ・瞑想)


ヨーガを続けてきて今、感じること—烏丸ヨーガ・瞑想クラス インタビュー②

ヨーガ・瞑想クラスに参加されている方へのインタビュー第二弾!(前回の記事はこちら

5年ほど前には、インドの北から南まで旅をしてアーシュラマ(道場)に滞在したこともあるという藤井かおりさんにお話を伺ってみました。クラスに来られて3年が過ぎましたが、彼女を見ていると姿勢が美しく変わり、体の軸がしっかりしてこられたのがよ〜く!わかります。 


——ヨーガと出会いどのような変化を感じていますか?

以前は呼吸が浅く、息苦しくなることもありましたが、今は日常で気持ちのよい呼吸ができているように感じます。
また、物事を自分のいいように解釈したり、都合の悪いことは見ないようにしていた部分があったのですが、ありのままを受け止めて、前向きに捉えられるようになってきました。

——藤井さんにとってクラスはどんな場所ですか?

心が落ち着く場所です。クラスの後、何日かはその余波が続きます。
みんなでアーサナをするとすごく集中できるし、穏やかな気持ちになるので、やっぱり行くとぜんぜん違うなあと感じます。

——ヨーガを続けている理由は何でしょうか?

ヨーガは、私にとって一生学んでいられると感じる大切なものです。その時々で自分に必要な新しい気づきのようなものがあるからです。
例えば、日常のふとした時にヨーガの教えや、ブログに書かれていたことが腑に落ちたり、悩んでいることの解決法が見えてきたり、本当に大事なものはこっちだと、教えてもらっているように感じます。

——ヨーガを通してどのようになりたいですか?

女神を母として信仰し、信じて生きていくという境地に憧れます。神様のこと、その中にある純粋な愛をもっと知りたいです。

以前、人のためにと思ってしたことで、自分のことしか考えていないと言われたことがあり、それに対して相手を責めるような強い感情を持ったことがありました。
その時に、知らず識らずのうちに見返りを求めていた自分に気づき、考えされられました。ヨーガを通して教えを学び、本当の意味で強く温かい、愛のある人でいられたら…と思います。


軸がしっかりしてきたと感じたのは、確かなものを藤井さんが感じていて、自分の中に理想とするあり方をきちんと据えているからなのですね。納得です〜。

今回お二人からお話を伺ってみて、あぁ、こんなふうに感じてくれていたんだ〜!と初めてお聞きする内容に驚いたり、また頼もしくも感じたり、とっても楽しいインタビューとなりました。

呼吸が変わり、心が調い、そこにヨーガの教えがすーーっと入っていく。生きるということとヨーガが結びついてきて、今の実践の先に「こうなりたい自分」というものが持てるようになるんだなあと、やっぱり続けてきた中で培われていったものは大きいと感じました。私自身もとっても貴重な贈り物をいただいたような気持ちになりました。

これからも一緒に学び、励んでいけますように!

マードゥリー

烏丸スタジオにて

クラス後に。サティヤー、二宮さん、藤井さん、マードゥリー(左から)


ヨーガを続けてきて今、感じること——烏丸ヨーガ・瞑想クラス インタビュー①

烏丸御池で行なっている火曜日の夜クラス。参加者は今年になって来始めた方から、中には10年近く(!)熱心に学んでおられる熟練者までおられ、経験はさまざまです。今回はその中から二人の方にインタビューし、ヨーガと出会っての変化や今の心境などを聞いてみました〜!

駅近のスタジオ サンゴッホにて

まずお一人目は、仕事もしながら、銅版画の製作にも取り組んでおられるという二宮さち子さん。クラスに通うようになって3年半ほどになりますが、久しぶりに会った友人からは「人相が変わったね」と言われたとか。確かに〜〜〜!はじめてお会いした頃よりも表情がいちだんと柔らかく優しくなったように思います。いったいどんな変化があったのでしょうか。気になりますね〜。


――アーサナを続けてきた中で感じていることは何でしょうか?

呼吸が調うことで、心が穏やかになってきたことを実感しています。
またアーサナをしないと翌日身体がだるくなってぜんぜん調子が違うので、何ポーズかでも毎日続けるようにしています。今となっては生活の一部です。
それから、アーサナをすることで『ヨーガの福音』などに書かれている教えの理解が深まっていくように思います。アーサナと教えについての読書には相互作用があると思うので、この二つを続けていきたいと思っています。

――ご自身の課題や目標としているものはありますか?

近い目標としては今練習しているシールシャ・アーサナ(頭立ち)とナウリ(浄化法)ができるようになること。
それから聖者の思想から学ぶことです。今はマザー・テレサの残された言葉が載っている本を読んでいますが、聖者の方々は皆すごく謙虚で、自己犠牲の精神をもっておられますよね。爪の垢でも煎じて飲みたい気持ちです。
最終的には瞑想ができるようになりたいです。以前に瞑想では本を読むよりも、世界のことを本当に理解できると聞いて、そういった状態を体感したいと思い、憧れています。

――関心の高まっていること、もっと知りたいことは何ですか?

ニュースを見ていると、ひどい事件や、紛争が絶えないことにいたたまれない気持ちになります。幼くしてなくなる命の意味や、なぜそういうことが起こるのかを考えたりしますが、社会問題として捉えると不条理ですが、カルマという視点で捉えるとまだしも受け止めやすくなりました。

生きている意味をもっと理解したいと考えたとき、リーラー(神の遊戯)*という、ただ遊ぶということ、世間一般的な楽しみではなくて、生きていることが遊ぶということになるなら、リーラーに身を委ねる、そんな境地を知りたいと思うようになりました。


もともとはスピリチュアルなことに関心がなかったという二宮さんですが、アーサナをコツコツと続けていく中で、身体を通してどんどんヨーガの教えや聖者のスピリットが入っていったようですね。今は、ますますヨーガが楽しくなってこられているようで、何より嬉しいです。

次回はもう一人のインタビューをご紹介します。お楽しみに〜。

(マードゥリー)

シールシャ・アーサナ練習中の二宮さん

*リーラー:この世界は一なる神の遊び戯れであるという真理を表す言葉。心が主人であると誤解し、利己的な思いをもって世界に執着すれば、そこで苦を味わうことになる。しかし、その幻影(マーヤー)を破り、真我を悟った境地から見れば、この世界万物は、愛そのものである一なる神がさまざまな形を取って顕れ、純粋に自ら遊び戯れているにほかならない。(『悟り』より)

■ クラスからのご案内
9/28(金)、烏丸御池スタジオサンゴッホにて秋の特別クラスを開講します! この日はアーサナに加えて瞑想の学びと実践の時間を長めにとって行ないます(チャイ付きです!)。初めての方もこの機会にぜひご参加ください。>> 詳しくはこちら

 


二元性を超えるーー夏の暑さを乗り越えようとした奮闘記(2)

最高気温38.7℃の日中、私はあえて暑い部屋でアーサナをして熱中症になった。(前回のブログはこちら☜
身体が火照って頭痛がひどく、一睡もできず夜勤に行く。職場は行事の後で酒盛りをしていて、多くの人で賑わっていた。「オー・マイ・ゴット!もう終わった……」酔った職場のオーナーからいろいろ話しかけられる。「おい、死んだらどうなる? 人生って決まってんのか? お前の人生のゴールは何や?」などなど。でも不思議だった、会話中、呼吸が止まっている自分がいた。何を言われようが動揺しない自分がいて、何だか口調も穏やかになっているのを感じた。そして熱中症はどこかにいって、その後は楽しくW杯決勝戦を観て、無事に仕事を終えることができた。

この出来事は、師の恩寵としか言いようがなかった。しかしながら、私の心はその「結果」を受け取っていた。
私は呼吸が止まった経験を機に、アーサナでは吐き切る呼吸を心掛けた。しかしその後のアーサナクラスでは2週続けて「アーサナを丁寧に形作ること」「基本ポーズのポイントをしっかり押さえてアドバンスに移行すること」という指導を受けた。クラス指導者の方から言っていただくことはいつも納得いくのだが、素直に受け入れられない思いが湧いていた。だが自分のアーサナを自宅で確認すると、それらができていないことが分かった。そのことから、私は知らず知らずの内に「アドバンスができる」「呼吸が止まった」などの慢心が湧いていたことに気付かされた。
心のエゴは結果だけを受け取り、それに執らわれてしまう——呼吸の停止はあくまで結果であり、どのようにすればそれができるようになるかという過程が大切であったのだ。
ミラバイ著『真実を求めて』には次のようにある。

「アーサナは肉体を扱っているようで、本当は自分の心と向き合うこと」

とても暑かった夏を振り返り、テーマであった快不快・寒暑の「二元性を超える」とはどういうことかと考えてみた。「呼吸の停止」「結果への無執着」がそうだと言えるかもしれない。でも、「神」という唯一の存在に憧れ、近づいていこうとすること、それだけなのかもしれない。それさえあれば、どんな状況も超えられる。否、超えさせてくださる——
そのように感じた、この夏でした😇 

トンネルを越えると、「桃源郷」をテーマにした空間が広がっていました。8/1 @MIHO MUSEAM

ゴーパーラ


二元性を超えるーー夏の暑さを乗り越えようとした奮闘記(1)

皆さま、先日に台風21号が過ぎましたが、大丈夫だったでしょうか? こちら京都では停電や建物損壊の被害がありました。また、北海道では地震により甚大な被害が発生しているとのことで、災害に遭われた皆様が1日も早く平穏な生活に戻られることを心からお祈りいたします。

ところで、この夏は本当に暑かったですね。皆さま、いろいろな暑さ対策をされたことと思いますが、ヨーガの根本経典『ヨーガ・スートラ』には、

「アーサナ(座法)によって快不快、暑い寒いの二元性を超える」

と説かれています。えっ、ヨーガで暑い寒いを超えるってどういうこと?そんなの無理でしょう〜と普通は思ってしまいますが、でもこの夏、私は「二元性を超える」ということをテーマに、ちょっとばかり暑さと闘っていました。以下、その奮闘記のようなものを書いてみました😤✏️


梅雨明け間近の7月前半、私はヨーガ・ヴィハーラの夜の瞑想会に遅れて参加した。この日の最高気温は34℃、クーラーがかかっているだろうと思って部屋に入ると、クーラーはかかっていなかった。そこにはタンクトップと短パンという最小限の衣服で、涼しげに瞑想する先輩ヨーガダンダさんがいた。この暑さなのになんとも涼しげなご様子、というかご格好!私はというと、瞑想に座るもムッとした暑さで集中できない。。こういう時、どうすればいいのか?

「まず、捉えやすい身体に集中したらいい」

他の先輩の言葉が思い出され、それに伴って聖典『ウパニシャッド』の一節の言葉が蘇ってくる。

「胸と頸と頭とを真っ直ぐに保って正しく坐り、外に出ようとする感覚器官を内に向けよ」

私は姿勢を正し、呼吸を調え、内側に意識を向けていった。その後瞑想では、暑さのことは忘れていた。この日私の心には「アーサナ(座法)によって快不快、暑い寒いの二元性を超える」という『ヨーガ・スートラ』の一文が浮かび上がっていた。

それから1週間ほど経った日、師ヨーギーさん唯一のTV映像である『あどりぶランド』の上映会があった。この日は松山や名古屋からもグルバイ(兄弟姉妹)が京都に来ていて大勢でその10分ほどの映像を見たが、いろんなことに驚かされた。
まず、師の妹さんのシャーンティマイーさん。長い黒髪を後ろで結んで軽快に動き、アドヴァンスのアーサナをされたりしていて、それはまるで「くのいち」のようだった。その隠密さ漂う凛としたお姿に驚愕。
そしてヨーギーさん。何といっても、インタヴューされている時のお声がとっても美しい。声色もそうだが、独特の間合いというか、静かで穏やかな口調。この番組の司会担当をしていたヨーギーさんの同級生アナウンサー野村啓司さんは「彼の話の間合いにイライラする」と冗談めいて言っていたが、やはり普通の人の話し方とは異なる特有のものがあった。
客観的に映像で見る二人のお姿は、何か「超越したもの」が感じられた。それは言葉ではない、その存在から醸し出される「隙のなさ」のようなものでもあった。師は夏でも冬でもクルター(インドの民族服)一枚で過ごされていたという話や、当初アーシュラマ(道場)では扇風機もなく、先輩たちは汗だくでアーサナをしていたという話も聞き、私は姿勢を正される思いになった。

「暑いとか寒いとかそんなこと、言ってられないな!」

そう思った翌日、私は『あどりぶランド』に影響され、涼しい部屋でアーサナはせず、あえて暑い部屋でアーサナを行なった。ヘロヘロになりながら何とか一連のアーサナを終えるも頭がガンガン、熱中症になっていた……それもそのはず、その日の最高気温は38.7℃だったのだ?!(続く)

@MIHO MUSEUM。このトンネルを超えると……

*『あどりぶランド』は、1984年1月25日から1998年3月18日までMBSテレビで放送されていた同社アナウンサーの企画・出演によるバラエティ番組。ちなみにヨーギーさんは野村アナウンサーとは中学時代の同級生であり、同窓会で再会したことがきっかけで、この番組企画「野村啓司の私の同級生は今!」に出演することになったそうだ。

ゴーパーラ