愛は優しさでしか表せない。
私が大切にしている、師から教えて頂いた言葉です。
日常の中でつい忘れてしまっている時もありますが、繰り返しこの言葉を思い出すようにしています。特に仕事をしている時はこの言葉を胸において働くようにしています。
鍼灸師として日々様々な方の治療にあたっていますが、ある患者さんとのやり取りで気付きがあり、今回はそのことを書こうと思います。
その患者さんは、毎回ほぼ同じ症状を訴えられます。そして辛く感じる所が幾つもあります。治療する度により良い方法を考えて施術をしますが、次に来た時にはまた同じように辛いと言われます。
話に耳を傾け、時に具体的なアドバイスをしたりもしました。しかし、例えば治療をする中で生活習慣によって症状が出ていると気付く事があり、それを指摘すると抵抗する感じで黙ってしまうようで、こちらが話を変えるまで一切口を開こうとはしなくなるのです。毎回肝心な話ができず終いになっていました。
そんなことを繰り返すうちに5年以上が経ち、万策尽きたと感じた私は、自分の考えや思いを素直に患者さんに打ち明けてみる決意をしました。そうして、なるべくその患者さんが落ち着いている時に話そうとタイミングを伺っていましたが、なかなかその機会は訪れず、結局様子を見るしかない状態になっていました。
そうして迎えた今年の師の御聖誕日。『パラマハンサ』NO.142を読んで、グルバイ(兄弟姉妹弟子)の祝辞から、師に倣い他者のためにどう行為するかという一貫した想いを感じました。
愛ゆえに捧げる、ということ。
私はその患者さんのためにと真剣に考えてはいたけれど、その人そのものを愛しんで思いやれていたか、というと、そうではないとハッとしました。その人のために真剣に考えていたとしても、それが正しかったとしても、相手のことを本当に尊重して慈しみを持っていなければ、相手を追い詰めてしまう可能性も出てきます。
これまで師から、一度たりとも真理の教えを強要されたことはありません。もっと真理を学びなさいと急かされたこともありません。いつでもこの上なく優しく接してくださいます。パラマハンサから溢れ出る愛を感じたことで、自分が患者さんに対してしようとしていたことが、優しさとは正反対の行為になりかねないことに気付きました。
ヨーガの道を歩んでいるとはいっても、一足飛びに成長できるわけではありません。私は他者に愛を持って接することに憧れているものの、後から振り返るとそこから程遠い対応をしてしまっていることがあります。それでも気持ちを入れ替えて少しでもそうなれるようにと足掻いたこともありましたが、それは苦しいばかりでちっとも純粋ではない。師はそのことに気付かせてくださいます。同じことを繰り返してしまったとしても、またか、と呆れられることなく、軽やかに純粋な状態へと引き上げてくださいます。私の中の本質だけを見て、本当に気長に見守りながら導き続けてくださっています。それは何の計らいもなくただただ純粋な行為です。
私が今この患者さんにすべきことは、患者さんがより良い状況になれるよう接すること。焦らず気長に、自分がそうしていただいていたことと同じことをやっていくだけだという答えに辿り着きました。
その後、その患者さんは変わらない様子で来院されますが、私の心境に変化があったためなのか、少しずつ関係性にも変化が起きてきています。治療後、以前よりも笑ってくださるようになったのです。
これからも、少しでもより良くなれるように寄り添っていきたいと思います。少しずつ凪いだ状態を持続できるように。
今年からこのブログ『ヨーガに生きる』で文章を書かせていただくようになりましたが、読者の皆さんに力を頂き、支えられて続けることができました。ありがとうございました。師に倣い、これからも一層より丁寧に真摯に行為していけるように精進していきたいと思います。
いつでも愛ゆえに捧げることができますように。
ハルシャニー