日常のヨーガ」カテゴリーアーカイブ

焦らず気長に、優しさを持って

愛は優しさでしか表せない。

私が大切にしている、師から教えて頂いた言葉です。
日常の中でつい忘れてしまっている時もありますが、繰り返しこの言葉を思い出すようにしています。特に仕事をしている時はこの言葉を胸において働くようにしています。

鍼灸師として日々様々な方の治療にあたっていますが、ある患者さんとのやり取りで気付きがあり、今回はそのことを書こうと思います。
その患者さんは、毎回ほぼ同じ症状を訴えられます。そして辛く感じる所が幾つもあります。治療する度により良い方法を考えて施術をしますが、次に来た時にはまた同じように辛いと言われます。
話に耳を傾け、時に具体的なアドバイスをしたりもしました。しかし、例えば治療をする中で生活習慣によって症状が出ていると気付く事があり、それを指摘すると抵抗する感じで黙ってしまうようで、こちらが話を変えるまで一切口を開こうとはしなくなるのです。毎回肝心な話ができず終いになっていました。

そんなことを繰り返すうちに5年以上が経ち、万策尽きたと感じた私は、自分の考えや思いを素直に患者さんに打ち明けてみる決意をしました。そうして、なるべくその患者さんが落ち着いている時に話そうとタイミングを伺っていましたが、なかなかその機会は訪れず、結局様子を見るしかない状態になっていました。

そうして迎えた今年の師の御聖誕日。『パラマハンサ』NO.142を読んで、グルバイ(兄弟姉妹弟子)の祝辞から、師に倣い他者のためにどう行為するかという一貫した想いを感じました。

愛ゆえに捧げる、ということ。

私はその患者さんのためにと真剣に考えてはいたけれど、その人そのものを愛しんで思いやれていたか、というと、そうではないとハッとしました。その人のために真剣に考えていたとしても、それが正しかったとしても、相手のことを本当に尊重して慈しみを持っていなければ、相手を追い詰めてしまう可能性も出てきます。

これまで師から、一度たりとも真理の教えを強要されたことはありません。もっと真理を学びなさいと急かされたこともありません。いつでもこの上なく優しく接してくださいます。パラマハンサから溢れ出る愛を感じたことで、自分が患者さんに対してしようとしていたことが、優しさとは正反対の行為になりかねないことに気付きました。

ヨーガの道を歩んでいるとはいっても、一足飛びに成長できるわけではありません。私は他者に愛を持って接することに憧れているものの、後から振り返るとそこから程遠い対応をしてしまっていることがあります。それでも気持ちを入れ替えて少しでもそうなれるようにと足掻いたこともありましたが、それは苦しいばかりでちっとも純粋ではない。師はそのことに気付かせてくださいます。同じことを繰り返してしまったとしても、またか、と呆れられることなく、軽やかに純粋な状態へと引き上げてくださいます。私の中の本質だけを見て、本当に気長に見守りながら導き続けてくださっています。それは何の計らいもなくただただ純粋な行為です。

私が今この患者さんにすべきことは、患者さんがより良い状況になれるよう接すること。焦らず気長に、自分がそうしていただいていたことと同じことをやっていくだけだという答えに辿り着きました。

その後、その患者さんは変わらない様子で来院されますが、私の心境に変化があったためなのか、少しずつ関係性にも変化が起きてきています。治療後、以前よりも笑ってくださるようになったのです。

これからも、少しでもより良くなれるように寄り添っていきたいと思います。少しずつ凪いだ状態を持続できるように。

治療院の玄関に飾っているヒマラヤ杉。ヒンドゥー教では聖なる樹木とされています。古代インドでは賢者が好んでこの木の元に住んでいたそうです。花言葉は「あなたのために生きる」です。

今年からこのブログ『ヨーガに生きる』で文章を書かせていただくようになりましたが、読者の皆さんに力を頂き、支えられて続けることができました。ありがとうございました。師に倣い、これからも一層より丁寧に真摯に行為していけるように精進していきたいと思います。

いつでも愛ゆえに捧げることができますように。

ハルシャニー


銭湯の帰り夜空を見上げて思ったこと。

機関誌『パラマハンサ』11月号を読んでとても感動しました!

11月23日の師の御聖誕日はコロナ禍のため、残念ながら弟子一同が京都に集まることはできませんでしたが、『パラマハンサ』を通じて世界各地のグルバイ(兄弟弟子)たちから師への感謝とヨーガへの熱い思いが捧げられたのです!

当日『パラマハンサ』を読むと、遠くに住むグルバイたちがこの過酷な状況の中、師から与えていただいている愛を存分に感じながら、それを道しるべに懸命に生きているのが伝わってきて胸が熱くなりました。読み進めていくうちにどんどん師への思いが増して、歓びが大きく大きく膨れ上がっていきました!!!師やグルバイたちに会えない状況が続いていたので、本当に嬉しかったです。ありがとうございます。

歓びの余韻が続いている中、師走に入り京都の朝晩はずいぶん冷え込んできて、身体を温めようとある晩家族で銭湯にやってきました。ここの銭湯、源湯はアーシュラマからも近く、師も昔入られていたそうです。

源湯。数年前にオーナーが代わったそうです。入り口にはご当地サイダーや駄菓子が販売され、休憩所にはこたつや自由に読める漫画、マッサージ機などが置いてありました〜。

ノスタルジックな雰囲気が漂う浴場で湯船に浸かると、身体が手足の末端からじんわりと温められていき、師の愛に包まれているのを思わず想像しました。

そしてゆっくりとお風呂に浸かったあと、外に出てふと空を見上げると、空気は澄んでいて星がたくさん見えました。

キラキラと輝いている星たちを眺めていると、まるで世界中でヨーガに生きているグルバイたちのようだと思いました。太陽のようなヨギさんの愛の光に照らされて、キラキラとそれぞれの場所で光輝く弟子たち。その輝きはどんどん大きくなって、周りに慰安と勇気を与え、やがて宝石箱をひっくり返したような美しい星空へと広がっていくに違いないと思いました。私もその中の1つとして輝けるように頑張ろう、そんなことを思った夜でした。

                                 アマラー


おのれこそ おのれのよるべ

コロナ禍は収束の気配を見せず流行の第三波とも言われる状況になっています。不都合を感じながらも、いわゆる「新しい生活スタイル」に沿って人との距離を出来るだけ取る生活に慣れ始めている自分がいます。しかし昨年の暮れ、来る東京オリンピック・パラリンピックに心躍らせながら社会生活を謳歌していた頃、このような時代が来ると誰が想像していたでしょうか。

部屋から見えた朝焼け。炎と輝き大空を羽ばたく神鳥ガルダのようでした。

微塵も考えなかったことは人生の様々な場面である日突然起こります。一瞬の気の緩み、コンマ数秒のタイミング、そして神の計らいやカルマとしか考えられないことなど、まるで大きな変化の歯車が冷徹に表情ひとつ変えずに廻っていく感じがします。さらに事故や大災害などによって、人生が激変した方々に思いを馳せると表す言葉さえ見つかりません。

名前あるもの。形あるもの。始めと終わりがあるもの。この世の粗大なものも微細なものもすべて変化し、思い通りにならない。私たちは20世紀初頭のスペイン風邪流行を、歴史上の出来事として知っていましたが、思いもしなかったコロナ禍は、くしくも聖典で学んだ知識を私たちに実体験させることになりました。想像もつかない出来事は人間の計らいなどお構いなしに起きる。なぜならこの世はマーヤー(神の幻影)だから。コロナで痛感させられたことです。

それでも私たちは変化に驚き、慄き、悲しんでばかりいるわけにはいきません。それは変化する対象物に依存しているのだと、ブッダは教えてくださいました。「おのれこそ おのれのよるべ おのれを措(お)きて誰によるべぞ。(法句経160)」ブッダは人間の一生における依存の対象の移り変わりを挙げながら、真に頼るべき対象について教えています。赤ん坊は一心に母親を目で追い、小学生になると先生の言葉に目を輝かせます。青年になれば恋人を昼夜想い、社会に出ると地位や財産、中年以降は健康や美への執着も加わるかもしれません。でもそれらは時が来れば消えてしまい何ひとつ残りません。

続けてブッダはこの経で、よるべとなるのは「よくととのえし おのれ」であると教えています。私が読んだ訳本では「自己の中に一切の『他』を見出した偉大な自己」と解説していました。私なりの理解では、それは「アートマン」(真の自己)であり、「真理」であり、「私の中にある神」ではないかと思います。名前も形も始まりも終わりもないアートマン。それは自分を取り巻く世界に遍満しています。自分はアートマンと悟ること。それこそが受け入れ難い変化を受け止めていく究極の方法なのだと思います。

私は執着を捨てるために、本当の自分への瞑想を進めています。瞑想は少しずつ深まっていると感じますが、同時に自分の執着の根深さを垣間見て、恐ろしささえ感じ無力感に苛まれることもしばしばあります。「わかっちゃいるけどやめられない。」昭和の頃の歌謡曲で聞いたことがある様な文句ですが、飛び跳ねる猿のように狡猾な心の正体を知ったからには、絶対に負けられないと日々気持ちを奮い立たせています。

前述の経はブッダが入滅を目前にして、嘆き悲しむ弟子の阿難に語った言葉だそうです。「お前は自分自身に燈火を抱いて、自分の足もとを照らし、ゆく手を照らし輝かせ」と力強く教えられたそうです。ブッダはこの時こうも語ったそうです。「私の肉身を見る者が私の弟子ではなく、私の教えを知る者が私の弟子である。(ヨーガの福音)
今、コロナ禍のために師であるヨギさんにお会いできないという試練に直面しています。私がそれを悲しみ嘆いてばかりいたら、それは私がヨギさんに依存しているのであり、師の教えとは相容れないことなのだと思います。師に依存するのではなく「私は師とひとつである」という揺るぎない事実。その教えを燈火として、ただひとり歩んでいきたい。師はコロナ禍を通して私にその経験をさせて下さっているのだと思います。

最後に一言。でもやっぱり早くヨギさんにお会いしたいです。

昨年の暮れに訪れた足摺岬。自らの足下と行方を照らす灯台の如くありたいです。

小菅 貴仁


制限された世界、溢れ出る人々の尊い思い!

秋の青い空が広がり、草木がほんのりと色づき始めた頃、とある小さな集まりに参加する機会があった。その会館はにぎやかな街なかにあったが、今はコロナの影響で辺りはひっそりと静まり返り、そばに佇む木々が伸び伸びと存在感を放っていた。

一本の幹から広がる美しい枝葉 。

会館に入ると、まず受付で手の消毒、そして体温を測られた。参加者は高齢の方が多く、感染対策のため座席数は少なくされており、座席間隔も広くてガランとしていた。換気のためにすべての窓は開け放たれ、マスクの着用、順次消毒、検温という流れを見ていると、やっぱり少し緊張感をもった。みんなの顔も笑顔が少なかった。

最初のプログラムは音楽演奏で、本来なら和気あいあいとみんなで口ずさむようなものだった。でも今回は、音楽に合わせて高揚し大声で歌を歌うと飛沫が飛ぶので、歌うことはできません、とアナウンスがされる。そして会が始まり、演奏者がヨーロッパの陽気な楽曲を次々と演奏され、緊張感の漂っていた部屋に明るい雰囲気が広がっていった。みんなの表情もマスク越しではあったけれど、少しずつ柔らかくなってきていた。
窓が開いているおかげで時折、爽やかな風がヒューっと吹き込んでくる。外の大きな木の葉が風でサラサラ~と揺れ動く音や、木々の間から差し込む木漏れ日が部屋の中にも届き、床には影絵のような模様がキラキラと煌めく。マスクをして忍者のように(?)じっと息を潜めているせいか、いろんなことがいつもより繊細に豊かにも感じられ、それは思わぬ恩恵だった。もしかしたら鼻と口を封じていることで、その分、感覚器官が限定されて研ぎ澄まされるのかな? マスク生活も悪くない。

秋風に揺れるコスモス。

みんな目を閉じたり、じっと聴き入ったりしながら、思い思いに楽しまれている様子だった。演奏者は全身を使ってさらに懸命に演奏され、曲の説明も朗らかに弾む。ただ、やむを得ないことだけれど、こちら側の参加者はマスクを着け、歌うことは禁じられているので、音楽で共に盛り上がるという点においては何となく制限というか窮屈感も無きにしもあらず…。参加者と演奏者はいわば静と動で、音楽が素晴らしいだけに、ある種の隔たりのようなものも少し感じた。それでもこのコロナ禍で、こんな夢見心地にさせてもらえる音楽の力ってすごいなぁ~と思いながら聴き入っていた。

曲は、次に日本の童謡へと変わった。さっきのヨーロッパの曲も誰もが知っているような曲で楽しかった。でも童謡は、何かが違った。音楽が奏でられると、徐々に会場の中から、かすかな小さな音が聞こえ始めた。歌うことは禁止されている中で、皆さんの中から抑えきれない何かが溢れ出てきた。

その童謡は、故郷を題材としたものだった。歌っているのではなく、皆さんがマスクの下で口を閉じたまま、かすかにハミングをされているのが分かった。それは、今できる精一杯で、とても素敵だった。
次第にその音色は、故郷、ふるさと、父、母……、そういう枠を超え、普遍的な同じ一つの源へとまとまっていくようだった。何本もの糸が一つの束になっていくように皆さんそれぞれの思いが一つの尊い思いとなり、部屋中に満ち、屋根を突き抜け、大空へ高く高く、伸びやかに昇っていくようだった。そこの人も、あちらの人も、おじいさんもおばあさんも、なぜか小さな子供に見えて、純真な子供のような、みんながそれだった。会場は一体になり、もう何の隔たりもなかった。小さな音だった。でも荘厳で尊いその振動は、みんなを包み込み、命の原点、誰もの源へと響き合っているようだった。胸の奥でじんわりと温かいものが広がっていった。

目を細めている人、笑顔の溢れている人、目元を拭っている人。
隣の人との距離は遠く、今は自由におしゃべりも出来ない、でもお互いに何も話さなくても、みんなの中に同じものがある、ということをそれぞれが知っているような美しい瞬間だった。ふと師が、すぐそばの椅子に腰かけられ、足を組まれて目を細められながら、みんなを見てくださっているお姿がよぎった。みんなの中にある根源的なもの、それは決して見失うことはないものなんだと思った。世界には未知なウィルスが蔓延っていて、いろんな事も起こるけれど、でも世界がどうなっても、人が生まれた時からごく自然に感じ、包まれ、無意識に求めているもの、その真実は常にずっと本当は在る。人の中に息づいている。いつでも還れる場所、命の根源への思いは、きっと誰もの中でずっと変わらないんだなと思った。こんな時だからこそ、より強く、皆の中からそれが溢れ出したようにも思えた。
なんて素敵なんだろう、師の笑顔と同じ、みんなの優しい温かな笑顔を見ていると、嬉しくて、熱いものが込み上げ、自分も笑顔になっていた。それさえあればいいと思った。何があっても、笑顔がいちばん!

師の御聖誕の日に。黄昏時に光輝く半分の月。

野口美香


育児を通してヨーガに向き合う

私が初めて「本当の幸せ」について、とことん突き詰めて真剣に考えたのは長女が生まれた時でした。
「自分の命と引き換えにしても、この子に絶対に幸せになってほしい!」という思いが心の底から湧いてきました。これほどまでに、自分以外の人の幸せを願ったことは一度もありませんでした。が、私が死んだらこの子を幸せにできないということにすぐに気が付き(笑)、この子のためにも元気に生きていかなければ!と思い直しました。この時私に、わが子を通して、自分の命と人生が自分のためだけにあるのではなく、他者のためにもあるという自覚が芽生えました。子どもが生まれたことで突然生じた大きな心境の変化に、自分自身が驚きました。

初めての育児は毎日戸惑うことばかりでした。何度も自分が泣きたくなりましたが(実際、泣きました。笑)、一生懸命おっぱいを飲んで、か弱い声で泣くことしか出来ない小さなわが子を見ていると、この子にはどんなことがあっても幸せになって欲しい!という思いがふつふつと湧いてきます。
私は娘を幸せにするための具体的な方法を考え始めました。「とにかく、愛情いっぱいに育てよう。それが一番大切だわ」そして、育児書や子育てに関する本も参考にしながら、わが子が幸せになるために私に出来得るあらゆることを探しました。
絶対幸せになるための方法…絶対の幸せ…。「ちょっと待てよ…」ふと疑問がわきました。「何が絶対の幸せなんだろう?何があっても壊れない幸せ、本当の幸せってなんだろう?」
目指す目的地が曖昧では、そこに向かう方法も定まらない。まずは目的地を明確にする方が先決だ!と思った私は、今度は目的地である「本当の幸せ」について必死で考えました。
お金持ちになること、ずっと健康でいられること、皆から愛されること、世間から認められること、平凡で穏やかに暮らせること、好きな仕事に就けること、夢が叶えられること、自由気ままに生きられること、それから…。
考えても考えても簡単に答えは見つかりませんでした。私が思いつく「幸せ」には、わが子が絶対に幸せになれるという確信が持てなかったのです。少しでも不安材料があれば本当の幸せにはなれないのですから。
─結局、納得できる答えは見つけられませんでした。とはいっても、子どもの成長はちょっと待って、というわけにはいきません。私が取りあえず目的地としたのは“自己実現ができること”でした。

子育て中には親としていろいろなことを子どもに教えなければなりません。子どもは時折、哲学的な質問を投げかけてきます。「私は生まれる前はどこにいたの?」「私はどうして私なの?」「人は死んだらどうなるの?」
子どもが成長していく中で、他者に対する本当の優しさや、善悪の判断等について、ただ常識だからとか、単なる処世術のような表面的なことではなく、もっとその奥にある本質的なことを教えたいと思った私は、結局、自分自身が何度も物事を根本から考え直すことになりました。私は子育てを通して、この世界の在り様に対する疑問に本気で向き合うことになったのです。物事の根本、この世界の在り様を問うということは、今思えば真理を求めることとまったく同じことだったのです。
そして、私は師に出会い、ヨーガの中に「本当の幸せ」もこの世界に対する疑問の答えも、すべて見つけることができました。

ヨーガとは本当の自分を実現させること。
私たちの本性、真の自己とは不滅で永遠の存在であり、至福そのものである。普遍の真理には名前もなく、言葉では言い表すことが出来ない、神と呼ばれるものと同じである。それが誰もの本質であり、本当の自分であると─。
「本当の幸せ」とは、何かによって得られるものではなく、もうすでに誰もの中にあって、私たち自身が至福そのものであり、ただそれを実現することだったのです。
考えに考えて、私が取りあえず目的地にした“自己実現ができること”は、ヨーガでの意味としては間違っていなかった!?

クリシュナ神話の一場面、幼子クリシュナと養母ヤショーダ。クリシュナは神としての偉大な面を隠し、母親がわが子を愛するように神を愛することを教えました。

私は二人の娘の子育て真っ最中に師と出会い、師の下でヨーガの道を歩むことを決心しました。時間に追われる日々の中で、もっと早く師に出会えていれば…と思った事もありましたが、今振り返ると、私にとって家族を持つことや子育てはとても大切なことであり、ヨーガに向かうために必要なことだったのだなぁと感じています。
今もヨーガの学びは続づいていますが、今はわが子だけでなく、誰もが絶対に壊れない本当の幸せ=本当の自分が実現できることを心から願っています!

シャルミニー


オンライン深水会

前回深水さんから「深水会」なるものについての報告がありましたが(→前回のブログ)、このコロナ禍で開催が難しくなり、2月17日に第6回深水会(お蕎麦、おにぎり)を行なって以降、しばらくお休みしていました。
しかし折角始めた良い機会なので、5月よりスカイプを使ってオンライ深水会をすることにしました。私と深水さんの二人でスカイプを繋いで行なっています。
今回、少しその様子をご紹介させていただきたいと思います。
 
 
第7回深水会(オンライン第1回目):5月18日
メニュー:スパニッシュオムレツ、ひじきご飯、とろろ昆布のお吸い物
 
初めてのオンライン深水会!ブログにアップされた、さまらさ3分間クッキングを予め見ておいていただいて、実際にそれぞれで食材等を準備して、スカイプで繋いで一緒にお料理して、試食、食やヨーガの話をしました。

このようにして調理工程を、パソコン画面を通して見ていただきます。

パソコンによると思いますが、画像が粗くて、火の通り具合などを確認するのは難しいところがあります。それでも深水さんから、「一人で作るよりも楽しく前向きに取り組めた」とお聞きして、一緒に料理をする機会が深水さんの励みになっているのだなと思い、定期的にできればいいなと思いました。
 
この回は、さまらさ3分間クッキングの動画があったので、調理の工程、食材の切り方などはわかりやすかったと思います。動画は何度でも確認できるのでわかりやすいです。

深水さん(下の画面)も同じように調理を進め、私(アミティ)が必要に応じて助言します。

第8回深水会(オンライン第2回目):6月13日
メニュー:麻婆豆腐、トマトと卵と春雨のスープ、トマトのマリネ、きゅうりの漬物
 
レシピは事前に送付して、深水さんが初めてとなるような食材の切り方については、予め参考のサイトをご紹介して、事前に見ておいていただきました。
深水さんから、買った食材を上手に使い切りたいという要望があったので、旬のお野菜のマリネや漬物をメニューに取り入れました。また、一人暮らしならではの、一度作ったお料理をアレンジして次の日に頂くなどの工夫や、食材の保存の方法もご紹介して一緒に学びました。

一所懸命トマトを切る深水さん。回数も重ね、包丁使いもこなれてきました。

第9回深水会(オンライン3回目):9月19日
メニュー:ナスの味噌煮、しめじご飯、そうめんのおすまし
 
第8回深水会以降に、マハーヨーギー・ミッションのさまらさの台所Webクラスがありまして、深水さんも受講されました。(夏野菜の南蛮漬け)
その時のメニューは、深水さんにとっては「複雑な部類」とのことで、次のオンライン深水会ではもう少しシンプルな調理工程のものがいいとご希望がありました。
それで、第9回目のオンライン深水会では、あまり時間をかけずに気軽にできるもので、料理の工程もシンプルにできるようなレシピにしました。
オンラインゆえに難しい点は、深水さんが準備された例えばナスの皮や身の硬さはどんな感じかや、使うお味噌の味加減などが確かめられないことです。
一緒に料理するとその場で火の通り具合はこんな感じで、味はこれくらいかな、など一緒に確認しながらできるのですけれど。
それでも、出来上がったお料理はとても美味しくて、画面を通してではありますが二人で、「めちゃくちゃ美味しいね!」と唸りながら頂いています。

完成すれば、画面を通してですが、一緒に頂きながら、食やヨーガの話題を楽しんでいます!

オンラインならではの難しい点もありますが、一緒に調理して、試食して、食の話やヨーガの話、ヨーギーさんの話など、いろいろとグルバイ同士での話も弾み、深水さんも楽しく取り組んでいただいているようです。
深水会が始まったのは去年の7月です。私たちが京都に毎月ヨーギーさんに会うために松山から通っていた頃、深水さんは宿泊のお世話になっていたグルバイの庵で、お料理をほとんどしたことがないために食事の準備を手伝うことができなかったのです。それを知ったある先輩グルバイの、「深水さんにお料理を教えてあげたら?手始めにカレーライスかな」の一言から、深水会は始まったのです。
最初は、包丁の持ち方、体の構え方、食材の切り方など、基本的なことから始めたのですが、今では、お正月におせち料理を作るなど、本当に凄まじい成長ぶりです!
私もメニューを考えたり、試作したりと、深水会に向かって色々と準備するのがとても楽しく、一緒に学ばせていただいています。
 
今後も、さまらさの台所Webクラスを受講しながら、オンライン深水会も続けていきたいと思っています。
 
また以前のように集まって料理できる時がきたら、調理の工程がちょっと複雑な野菜のフライや、アーシュラマでヨーギーさんも召し上がっておられる精進お好み焼きも、メンバーで一緒にワイワイとやれたらいいな〜と思っています。
 
アミティ

幸せ、生きがいとは?

前回まで、お金や仕事を通して何を求めているのか?と考えていた時、最終的に行き着いた答えは「本当の幸せ」だった。
子供の頃、日本昔話に限らず…お伽話を信じていた私は(笑)、「もし魔法のランプから、願いを一つ叶えてくれる魔人が現れたら何を頼もう?」と考えていた。幼稚園がキリスト教でお祈りが習慣づいていたからか、魔人へ考えた願い事は「一生、願い事がない最高の幸せにしてください」だった。今思うと、我ながら欲張りな願い事だと思うけれど、子供心にも願い事には終わりがない、と思っていたからなのだろう。しかし、すべての願い事がなくなるほどの最高の幸せって何だろう? そう思いを巡らせていた時、数年前の経験が思い起こされた。

ある時、一からやり直したい、誰も知らない所に移って人の役に立つ生き方がしたい、と思っていた。そんな時、ハンセン病患者へ治療を尽くされた精神科医の生涯を偶然に知り、取り憑かれたように関連する本を片っ端から読み続けた。
特効薬がない時代、患者さんの多くは、突然、家族と引き離され強制隔離をされたという。名前、素性、人間としての尊厳も奪われ、療養所(隔離施設)の中で病の為に朽ちていく自分の身体と向き合い、一生そこで生き長らえなければならなかった。過酷な環境で精神錯乱状態になった人、自ら命を絶った人、そのような中で生き抜いた人。一縷の光を見失わず、懸命に生きた方たちの痕跡を知るにつれ、生きることと死ぬことの狭間、命の存在の根源は何なのかと、そこから目を背けられなくなった。
隔離施設のあった島で偶然にもその医師の特別展が展示中だと知り、導かれるように島へ行ったのは数年前の今頃だった。

残酷な歴史が刻まれた収容所や監房、当時のままの史跡を巡った。完治された方々が今も島に住んでおられるが、ほぼ誰にも会わなかった。
島で生涯を全うされた死後でさえも、差別や偏見の為に引き取り手の家族がない何千もの遺骨が安置されている所にも向かった。現地で借りた自転車で、長い坂道を登り切ると、突如、空を舞うたくさんのトンボに囲まれた。そこは海が見下ろせる小高い丘のようになっていた。無数のトンボが、あまりにもフワフワと周りを舞い続けるので、今は姿なき人たちに代わって先導してくれているようだった。残酷な歴史とは裏腹に、その辺りは静かで安らかな空気に満ちていた。

島の路地でふと視線を感じ、見上げると目が合った花

姿なき存在へ挨拶を終え、丘から降りると不意に道に迷った。とその時、島の人に初めて出会った。おばあさんは顔や手が不自由だった。道を尋ねると、すぐさま笑顔でハキハキと教えてくださった。そして別れ際「またいらっしゃい!」と誰かのような満面の笑顔で言われた。「また来ます!」元気よく私は手を振った。
その後、時間の限りに史跡を巡り、最後に浜辺に行った。この浜辺から身を投げた人、対岸へ泳いで帰ろうと途中で力尽きた人、真っ暗な夜の浜辺で帰りたいねと泣きながら、そして歌を歌った人たちもいたという。どんな思いでこの海を見ていたのだろうか。それでも生きていくと思った人たち。血のにじむような努力と忍耐を重ねられ生き抜かれた。医師の記述によると「肢体不自由で視力まで完全に失ってベッドに釘付けでいながらも、窓の外の風物の佇まいや周囲の人々、動きに耳を澄まし、自己の内面に向かって心の眼をこらし、そこからくみとるものを歌や俳句の形で表現し、そこに生き生きとした生きがいを感じていた人たちもいた」という。
どのような状況でも平安に満ち足りたムードを保つことができれば、それは一種の悟りだと師に教わったことがある。並大抵のことではないけれど、如何なる状況にあっても、万物の背後にある本質、大いなる一者を感じ取ることができたなら、それほどの生きがいはないと私は思う。
その日、結局ほとんど島の人に会わなかった。代わりにたくさんの猫やトンボは寄ってきて、花や草木や石、建物さえもが無言の存在感を放っていた。そしてずっと太陽は、真上から島をじっと見守るかのように照らしていた。島全体が沈黙にあるような空気の中で、存在って、幸せって、生きるって何かな、と思わずにはいられなかった。
さっき出会えたおばあさん、今ここで生きておられることは、きっと今は不幸じゃないよなと私には思えた。過去の歴史の出来事からおばあさんを見るよりも、今のおばあさんの存在だけを正面から見たいと思った。おばあさんの満面の笑顔が、私にそう思わせた。
過去は過去。あるのは今しかない、と師の言葉が蘇る。じゃあ私に今できることは何かなと思っていた。

静かな浜辺

島の会館で、映像を通して知った何名かの中の、あるおばあさんの話が忘れられない。
その方が幼い少女だった頃、隔離施設に入ることになった。お兄ちゃんが途中まで送ってくれた。最後の駅で別れる時、お兄ちゃんは優しく肩を撫でて、そして去っていった。それから辛くて毎日泣き続けた。夜空を見上げながら海へ石を投げ、この海がなければ帰れるのに、と泣いた。
「いつも、いつも泣いていた。でもある時に、私の業(ごう)を果たそうと決めた」と、きっぱりとおばあさんはおっしゃった。壮絶な状況で、生きるという覚悟を決められたのだ。魂が震えた。与えられた命を全うするということ、人の命はなんて神々しいのか、たった一人の人の命は本当にかけがえがない、決して代わりのきかない尊いものだと思った。涙が止まらなかった。どんな命も同じ、トンボの命も、猫の命も、人の命も本当に同じで、どんな姿であろうが存在は太陽のように煌々と輝いていた。
「誰もの中に尊い存在があるということを忘れてはいけない。固く信じるべきです。自分自身の中にあるその尊い存在を見失ってはいけない」と師から教わった。島の無言の空気から、なぜかそれをありありと感じ続けていた。

数日後、師に、役に立てるならそこに行きたいと思いをお伝えした。師は私の思いを大切にされながらも、今焦って決めることではない、というニュアンスのことを言われた。その瞬間、思い詰めていた何かが溶け、今ある場所でやることをやらないとダメだと思い、ここでできないことは、どこでもできないと自分の未熟さを実感した。島の方たちの生き様に触れ、心は自然と内へ向き、押し黙っていた。思えば私は、誰かの役に立ちたいという思いに、実は自分が誰かに必要とされたい、私が生きている意味が欲しい、という願望を重ねていた。その時、私にとっての不幸とは、誰にも必要とされないことだと思っていた。今、気付いた。状況に幸せや不幸を見いだし逃げていたのだ。環境や状況によって変わるものは、本当の幸せではないのに。
私は私としてこの世に生を受けた。人それぞれ与えられた環境があり、私は私の人生を生きていかなければならない。
「自分が自分を生きる」という師のお言葉がある。比べたり、逃げたり、背伸びしたり、誤魔化したり、そういうことは全部、自分が自分を生きていないことになる。自分を見失っているからこそ光を求めるけれど、別のものでは置き換えられない。求めるのなら本当のものだけを求めなさい、と学んできた。本当のもの…、本当の幸せ、本当の自分――それは限りない至福そのものだという。まさにそれが子供の頃に思った、すべての願い事に終止符を打つ最高の幸せなのだろうと思う。それに至る道がヨーガの道。いちばん幸せなことは師に、ヨーガに、縁を持てたこと。今の自分に向き合うことが、「本当の自分」に目覚める道だと思う。

いちばん身近にある京都の地元の川

世の中の不条理さとは無関係に、今、自分に与えられているもの――自己の命に対して謙ることができれば、生きていること、息をしていること、生かされているからこそ今見ている世界があることにも気付かされる。瑞々しい純粋な命のきらめきを感じた時、美しく愛おしい生命の躍動感を感じた時、自分を形作るすべてがそれに共鳴しその歓びと一体化する時、その背後にあるのは、たった一(ひとつ)の存在だと思う。万物の、命の根源の現れに触れる歓び、それこそが真の生きがい、幸せであると思う。それを私に教えてくれたのは、ハンセン病患者の方たち、そしてその方たちと共に生きた方だった。そう学ばせてくださったのは師だ。「自分の中に本当の幸せがある」と。

…と考えると、まさか魔人は、私の願いを叶えるための道は用意してくれたのか⁈(まだ信じてる⁈) でも道を歩くのは自分!「自分が自分を生きる」ために。

野口美香


時間も空間も超える存在

昨年までは、ヨーガの学びを深めるために月に1回ほど東京から京都に通う生活でしたが、今年はそれが叶わない状況が続いています。
クラス休講中はオンラインでのクラスや瞑想会でグルバイ(兄弟姉妹弟子)と繋がり続けられたことが支えとなっていましたが、クラスが再開されてからは東京のグルバイとは会えるようになりました。短い時間であっても、直接顔を見て話せること、クラスで共に集中を高め合えることに、これまで以上に喜びを感じています。
ただ、東京以外のグルバイとはまだしばらくは会うことができそうにありません。このブログ『ヨーガを生きる』で各地域のグルバイの実践の様子に触れられることが楽しみの一つとなっています。

ヨーガを学んでいるという大きな共通点はあるものの、性質や傾向は人それぞれ違うので、共感し鼓舞されるところもそれぞれ異なります。また、一人一人の環境や状況も違うので、ヨーガの実践の仕方や体感の内容も様々です。ブログからはそれらが垣間見られて、力をもらったり、気付きがあったりします。

最近、野口美香さんの書いたブログ記事『何のためのお金』を読んでいて感じたのですが、生活していく中での気付きの過程が、一つ一つ丁寧に自分自身の視点で描かれていて、美香さんがかつて聞いた師の教えを着実に実践していっている様子が伝わってきて、私ももっと丁寧に確実に実践していきたい!と鼓舞されました。
ブログの締めくくりには、
野菜を油で揚げる音が、まるで水琴窟(すいきんくつ)と雨音のように澄んでいて美しかった。瞑想的な、さまらさな音色。
と「さまらさの台所」Webクラスの感想があり、とっても素敵な表現に、日々の慌ただしさが一瞬静止してリセットできたような感覚にもなりました。

そして読み終わった後、思い出したことがあります。
美香さんと初めてお話したのは、京都に通い始めたばかりの頃。美香さんがまっすぐとこちらを見て、時折うなずきながら私の話に耳を傾けてくれたことは、今でもはっきりと覚えています。
美香さんご自身は決して多くを語られませんでしたが、彼女の話した言葉の中で特に印象に残っているものがあります。(言い回しは正確ではないことをご了承下さい。)
「ヨギさんはこちらが近づいた分だけ、近づいて来てくださる。自分をさらけ出すほど、こちらが近づいた以上にもっともっと来てくださる。」
美香さんがまっすぐ前を見据えて話してくれたその姿を見て、私もそうしていきたい!と憧れのような想いを持ちました。
もっとヨーガのことを学んでから質問しないと、とか、こんなこと質問しても、とか、余計なことばかり考えて足踏みしていたのですが、何でも質問してしまえ!と背中を押されたようで、これを機に少しずつ質問ができるようになりました。

こんなふうに、グルバイとの交流では、ほんのちょっとした会話やメールのやりとりの中であっても、大きな気付きやインスパイアを受けることがあります。それは時に自分を省みるきっかけとなったり、背中を押してもらうきっかけとなったり。もしグルバイの存在がなければ、ヨーガの道を歩むスピードはもっと遅くなっていたのかもしれないと思うことが多々あります。
少し前のシャルミニーさんが書いたブログにありましたが、「ガンジス河の砂の数ほどもあるこの世すべての命の中で、人として生を受けるということはそのガンジス河の砂を手ですくったほどであり、たくさんのご縁が重なって成る稀有なことである。さらにそこから親指の爪の上に乗る砂の数ほどの人が、人として生まれてきた本当の大切さに気づき、喜ぶことができる」、というこの教えの通り、グルバイとは稀有な縁で繋がっていて、共に喜びを分かち合える存在だと思います。
離れた場所にいて会えなかったとしても、互いの存在に支えられていると、確かに感じることがあります。

東京代々木クラスにてヨーガの仲間と共に!新しいトートバッグと。

“ヨーギーは時間と空間を超えている”と言われていますが、師はもちろんのこと、ヨーギー・ヨーギニーとして道を歩んでいるグルバイもそうであると思います。
現在のような状況下で様々な葛藤や迷いが生じることもありますが、いつどこにいても常に師やグルバイと共にあるということを忘れずに、実践を続けていきたいです。

ハルシャニー


恒河沙 ― 大都会東京でヨーガに生きる!    

故郷である大阪から家族とともに横浜に転居して3年、その後東京に移り住むこととなり早11年以上が経ちました。
こちらの生活にもすっかり慣れ、東京ライフをエンジョイ!?していますが、それでもいまだに東京の街の大きさや人の多さに圧倒されることがあります。まるで小高い山のようにあちこちにそびえ立つ高層ビル群、どこに行っても街中に溢れ返る人人人…。特に都心に行くと東京が世界有数の人口の多い大都市であることを実感します。

大都会東京

とても大きな数を表す単位に「恒河沙/ごうがしゃ」(10の52乗)というものがあるそうですが、これは仏教の経典に出てくる言葉で「ガンジス河の砂の数くらいたくさん」という意味なのだそうです。東京の人の多さを体感する度に、私はいつもこの「ガンジス河の砂の数」という言葉が頭に浮んできます。と同時に、ここ東京だけではなく世界中には多種多様なたくさんの人が生きているということを改めて思い出します。

以前、仏教の教えで「ガンジス河の砂の数ほどもあるこの世すべての命の中で、人として生を受けるということはそのガンジス河の砂を手ですくったほどであり、たくさんのご縁が重なって成る稀有なことである。さらにそこから親指の爪の上に乗る砂の数ほどの人が、人として生まれてきた本当の大切さに気づき、喜ぶことができる」というようなお話や、「ガンジス河の砂の数ほどの仏さまがいる」という教えがあると聞いたことがあります。
古代インドのリシと呼ばれる聖者や賢者たちは、人として生まれること、そして真実を探し求めること、それを実現することのできる人としての命はとても尊いもので、人として生まれたということは吉祥なことであると教えていると師から教わりました。またヨーガにもこの世のすべてが神の顕れであるという教えがあります。そして、ヨーガを志す者にとって本当の師に巡り合えるということは大変に稀なことであり、得難い宝であると教えられています。

母なるガンジス河

そんなことを思いながら大勢の人々がせわしなく行き交う東京の雑踏の中に立っていると、ガンジス河の砂の数ほどもあるこの世の命の中で、皆一人一人が人として生まれてきた尊い命をもっている人達なんだなぁと感じます。そしてその中の一人である私は、たくさんのご縁によってヨーガと出会い、本当のヨーガの師に巡り合うことができ、師の下でヨーガの道を歩むことを決意しました。

   「それ」は今、ここに在ります。
   「それ」は常にどこにでも在ります。
   「それ」のみが在るのです。
   「それ」が真のあなた自身なのです!
      シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

まだまだ道半ばの私ですが、たとえ何処にいたとしても、真実を実現することのできる人として生を受けたこの尊い命を吉祥なものとして生きたいと思います。

シャルミニー


ある夏の日の出来事

今年の7月は太陽が恋しくなるほど梅雨空が長く続きましたが、8月は太陽のパワーを存分に感じる気候となりました。

私は6、7月の2ヶ月間、職場である治療院の移転作業をしていました。壁を塗ったり、畳からフローリングへ変える施工をしたり、普段はしない力仕事が続いたせいか、あちこちが筋肉痛になり身体が硬くなってしまいました。毎日自宅でのアーサナは続けていたものの、なかなか硬さが取れない状態。でもクラスでみんなと一緒にアーサナすると、次第に硬くなっていた身体がふわふわになる感覚がして、クラスが終わる頃には気分も頭の中もスッキリした状態になるので、これまで以上にクラスのありがたさを感じていました。

治療院に生けられている向日葵

ようやく移転作業が終わり無事に新しい治療院で診療を開始した日は、ちょうどクラスがある日でした。
最後の患者さんの治療を終えたら急にホッとして、眠気とともに身体が重だるくなりました。ああ、早くアーサナがしたい!とクラス会場のある代々木へ向かう電車に乗っていたところ、車内が急にざわめき始めました。乗客同士のトラブルで、男性2人が激しい喧嘩をしていました。他の車両へと移る人、スマホに夢中で無関心の人、車両内の光景に強い緊張感と違和感をおぼえました。ちょうど乗り換えする駅に到着したのでその車両から降りましたが、乗り換えを済ませても心拍数はしばらく上がったままで、自分で思っていた以上に動揺していたことに気付きました。とにかく早くアーサナがしたい!プラーナを調えたい!とすがるような気持ちになっていました。

その後クラス会場に到着し、いつも通りクラスが始まりました。最初のヴリクシャ・アーサナ(立木の形)では思いの外ふらついて、まだ落ち着いてないんだなという思いが頭をよぎりましたが、その思いはすぐに捨て去るようにして、今吐いている息に集中するようにしました。続いてマールジャーラ・アーサナ(猫の形)では、普段はない背骨がきしむような感覚がありましたが、今できる最大限まで形を深めたら、あとは息を吐くことだけに集中しました。シャヴァ・アーサナをする度に身体から緊張感が取れて、眠気と重だるさはすっかりなくなりました。疲れている時にアーサナをすると、これはきついだろうな、とか今日は無理しないようにしよう、という思考がいちいち出てきてしまうことがあったのですが、この時は最初に多少の思いがよぎっただけで、あとはリードの声に導かれながら淡々と形を作り呼吸を深くしていくことをやり続けたような感覚がありました。

8月26日の代々木クラスにて

クラスが終わり家に戻ると、夫に「今日は(移転初日で)大変だっただろうに何でそんなに元気なの?」と言われました。そう言われて初めて、そうか今日は確かに大変だったかも、と人ごとのように思い出したくらいでした。もちろん電車内での出来事の記憶もありましたが、それに対しての印象や思いは消え去っていました。クラスの後でなければ帰ってすぐに夫に一連の出来事を報告していたと思いますが、話そうという思いもありませんでした。

アーサナをすることもクラスに通うことも日常の一部となり、毎回集中して行うようにしていたつもりでも、いつの間にか真剣さが足りない状態になっていたのかもしれません。
今回のクラスに関しては、切羽詰まった状況に陥ったことで真剣さが引っ張り出されたのだと思われます。
このことで思い出したのが、『ヨーガの福音』の中の、神を求める1人の男が聖人の元へ行き「神を悟らせてください!」とお願いをするという話です。
聖人はくる日もくる日も同じ生活をしていましたが、ある日河で沐浴している時に、聖人についてきていた彼の頭を河の中に押さえつけました。彼の苦しみが限界を超えようとしたとき、聖人は手を放して彼に言いました。
「何が欲しかったのか?」
彼は答えました。
「息がしたかったのです!」
聖人は言いました。
「もしおまえが、ちょうど息を求めたように心底から神を求めるなら、神を悟ることができるだろう」

息ができなくなるというのは苦しく、そのまま死に直結するという恐怖もあります。
それが限界を超えようとしたときに、ただ息がしたいとそれだけを求める純粋さと真剣さが生じる。それを日常の中でいかに持ち続けるか。けして容易いことではありませんが、そうしていく必要があります。

人はあっという間にその時々の状況に慣れて、何となく日々を過ごすことができます。
どんな状況下でも流されることなく、何にも惑わされることなく、本当の自分を実現するという目的を達成したい。より純粋に、より真剣に、求め続けたい。
そんなことに気付かされた、夏の出来事でした。

ハルシャニー