日常のヨーガ」カテゴリーアーカイブ

何を思いどう生きるのか

 

「行動と思いをより良くしていってください。常により良い理想に心が向けられていくようヨーガを学んでいってください。ヨーガを学び深めることが、カルマを超越する道です」

これは、私が最初に師からいただいたヨーガの教えです。カルマとは過去の自分の思いや行為が原因となって生じた結果のことです。ヨーガを実践すれば、そのカルマを超えることができると師は教えてくださいました。シンプルな教えですが、常により良い思いをもつということを、最初は意識してやっていかなければなりませんでした。心は何かあるとすぐに人のせいにしたり、消極的な思いに執われたりしてしまいがちだったからです。

最近、「シュリ・アーナンダマイ・マーの生涯と教え」という本を手にすることができました。シュリ・アーナンダマイ・マーは「あるヨギの自叙伝」でも至福に浸る聖女として紹介されています。ここにどきっとするような教えが載っていましたので、ご紹介したいと思います。

ある油売りの老女が死の床に就いていた。その老女は生涯バザール(市場)で油を売ってきた。彼女はツケで油を売ったことは一度もなく、ごくわずかな油でさえも決してただでは渡さなかった。乞食が油をくれと頼んできても、彼女はいつも、「一滴もやらないよ、一滴も」と答えていた。老女が死の間際にあった時、彼女の霊的な幸せを心配した親族は、彼女に「ラーマ」か「クリシュナ」を復唱させようとしたのだが、彼女が口に出せた言葉は「一滴もやらないよ、一滴も」だけだった。これが彼女のマントラになっていたのだ。人の生涯を通じての日々の考えと行為が、その人の意識状態と魂の運命を決定するということを示している。

とありました。
油は人間の生活にとってなくてはならないものです。それを売っている老女は他者の幸せを願いながら、それを売ることもできたのだと思います。でもこの老女はお金に執着をして、そんなことも忘れてしまっていたのでしょう。臨終の思いは大切で心が執着をしている思いの下に、また生まれ変わるといわれています。日々繰り返し、心に唱えさせているその言葉が深く印象として心に刻み込まれ、それが彼女の一部となっていたのでした。

 

さて私たちは日々、何を思い、どう行為しているのでしょうか。それが魂の運命を決定するということになれば、日々の思いはとても重要です。私は、より良い思いをもつということを意識すると、それは常に他者のために良き思いをもつということになり、次第に自分のことが後回しになっていくのだということに気がつかされました。常に他者の幸せを願い、他者のためだけに行為する。ヨーガの実践によって、自分自身の心を制御していくことが、自分のもっているさまざまな煩悩をなくしていくことになり、カルマを超越することになるのだということも次第に分かってきたのでした。

心の変革は一足飛びにはいきません。繰り返し、繰り返し、心に良き印象を与えていくことは、日々のヨーガの実践を続けていくことによってもまた刻まれていくのだと改めて感じたのでした。

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常に神とともにある聖女 アーナンダマイ・マー

ダルミニー

 

 

 

 

 


生きるということ

昨日は夜勤でした。(私はヘルパーとして在宅障がい者の支援をしています)朝食のコーヒーを煎れて飲んでもらっているとき、利用者さんRさんがぽろりと言われました。

「私がやってきたことは何の意味もなかった」

彼女は60近い年齢ですが、生まれた時から先天性の障がいがあります。昔は座ったり、膝を使って歩いたり、パソコンを打ったりできたようですが、年とともに障がいが重くなり、今は手も足も自由には動かせません。それでも30年以上一人暮らしをされています。障がい者運動が盛んな時代を生きてこられたので、とても独立心が強く、何でも自分でされます。

たとえば料理は、使う材料から切り方、炒める時間など調理の細かなことにも指示を出されます。調味料の分量も指示されます。味見をして味を整えることはほとんどなく、たいていは言われた分量を入れると美味しくし上がっています。私が手や目を通じてつかんでいる感覚を何も見ず、さわらずつかんでいるのだと思います。

料理だけでなく、自分の生活は自分で責任をもって行うことを心がけて生きてきた彼女は、後輩の障がい者が自立して生きる手助けをするため、いろいろと行動されていました。しかし、彼女が若かった頃と時代は変わり、世の中は便利になり、食事は気軽にお弁当が買えたり、宅配があったり、ヘルパー制度が充実したことで、ヘルパーに頼ることが当たり前になったと言われていました。

自分が後輩に伝えたくても、後輩はそれを望んではいない、それで冒頭に言われていた彼女の言葉が出てきたようです。

今さら便利になったさまざまなものを無くすことはできないでしょうし、ヘルパー制度を変えることもできません。彼女がしてきた通りの自立という姿をとるころは今の時代では難しいこともあります。いつもは元気な彼女も少し寂しそうに見えました。

確かに彼女が教えたかったことは教えたかった人には伝わらなかったかもしれませんが、少なからずヘルパーである私にはとても大きな影響力がありました。

障がいがあり、肉体的には思うように動けなくても誇りをもって自立して生きることができるということ、ヘルパーの仕事は手となり足に徹すること「私ならこうしたい」という思いを持たずにできるだけ相手の思うように動くこと、これは何度も怒られながら徹底されました。でもその態度は他の利用者さんに入るときにも気をつけることができ、仕事が続けられています。またお料理のレパートリーも教えてもらい家で作ることがあります。質素な生活スタイルから自分が余計なものを買っていたことに気付かされたこともあります。彼女の本意からはずれているかもしれませんが、少なくとも私を含め、関わっているヘルパーには大きな学びがあったと思ったのです。それで、思わず!

「何の意味もないことなんてないですよ!!!!!」と力説してしまいました。

彼女は私の話を聞いて少し嬉しそうにされていましたし、私もほっとしました。

「これからどうしていけばいいかなぁ」

と言われるので、

「ただこのまま生きてください。それこそが意味のあることです」

と言いました。

人が生きるってすごいことだと思いました。それは外側ではなく、ただその人の内にある信念だけがその人を作るのだと思ったし、それが他の人への影響になるのだと思いました。

お出かけしたときにRさんと見た美しい空

お出かけしたときにRさんと見た美しい空

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無執着ということ

蟻塚(ありづか)ってご存じですか?

蟻が地中に巣を作るとき、運び出した土や砂が盛り上げられてできる柱状、円錐状の山、また落ち葉や枯れ木で作られる蟻の巣だそうです。私は見たことがないのですが、インドの伝説には、蟻の巣が身体を覆ってしまうぐらい長い間瞑想に没入するヨーガ行者がでてきます。蟻が巣を作っても気が付かないなんて、どれほどの集中なんでしょう。すごいですよね。

今日はそんな蟻塚もでてくる一つの教えをご紹介したいと思います。
————————————————————————————————————————————-ナーダラという偉大な賢者がいました。彼はいたるところ旅をしました。そこで、ヨーガを実践している二人の男に出会いました。

 一人目の男は、白蟻が巨大な蟻塚で周りを囲んでしまうほど長いこと座り続け、瞑想をしていました。彼はナーダラに聞きます。

「あなたはどこにいらっしゃるのですか」

「私は天国に行くところです」

「では、彼はいつ私にお慈悲をくださるのか、いつ私はヨーガを成就するのか、神様にうかがってみてください」

 二人目の男は、飛び回って歌ったり踊ったりしています。彼は粗野な声と身振りでナーダラに聞きます。

「あなたはどこにいらっしゃるのですか」

「私は天国に行くところです」

「では、わたしがいつヨーガを成就するのか、たずねて下さい」

 やがて……

ナーダラはまたあの蟻塚に囲まれて瞑想をしている男の前を通りかかりました。

「おおナーダラ様、あなたは主にうかがって下さいましたか」

「ええ、うかがいました。主は私に、彼はあと四回の誕生のうちにヨーガを成就する、とおっしゃった」

その男は泣き出して、こう叫びました。

「私は蟻塚に囲まれるまで瞑想をしました。それでもまだ四回も生まれなければならないとは」

 ナーダラはもう一人の男にところに行きました。

「私のことを尋ねてくださいましたか」

「ええ、お尋ねしました。ここにタマリンドの木があるでしょう。実は、まだこの木の葉の数だけ生まれなければならない。それからヨーガを成就することができるそうです」

男は喜びに踊りはじめました。

「そんなに早く、自由になれるとは」

 その時、声が聞こえました。

「我が子よ、おまえは今、自由になれるぞ」

無限時間を待ち続ける男の忍耐、その覚悟が最高の結果をもたらしたのです。
—————————————————————————————————————————————-
この話を読んで、私は二人の違いは何なのかを考えました。蟻塚ができるほど瞑想していた男は、誰の目から見ても真剣にヨーガを実践しているように見えます。かたや踊り狂い歌っている男が、真剣にヨーガを実践しているようには見えません。その人がどのような思いで一途にヨーガの成就を求めているのか、端からは全く分からないことのなのだと思いました。でももしかしたら自分自身ですら分からないことなのかもしれません。自分はヨーガを真剣に実践している、そのような思いも邪魔になるのだと思いました。

師は説かれます。

 行為の結果に一喜一憂せず、結果を受け取らないようにしなさい。

蟻塚に囲まれていた男は結果を期待していたのでしょう。踊り狂っていた男のように、私たちはただ一心に結果を気にせず、ヨーガを深めていくだけなのだと思いました。そしてヨーガへの思いが真剣であれば、必ずその思いは神様に通じるのだと思いました。

 ダルミニー


どういうふうにも見ない

クラスなどでよく話題になるのが、職場や家庭における人間関係の悩みです。

生きていく上ではさまざまな人との関わりが生まれますが、そのとき意見の違いや態度が気に入らないなどで色んな摩擦が生まれます。それらの差違がなくなることはありませんから、悩みは尽きません。

心はよくその差違をみて、優劣をつけたり、動揺したりしてしまいますが、師は常に表面的な違いに執らわれないで、本質をみなさいと言われます。

ある時、ある弟子が、師はみんなのことをどういうふうに見ているのですかと尋ねたことがありました。師は少しの間考えられて、次のようなことを言われました。

どういうふうにも見ていません。もちろん心の状態もわかります。でも心の状態は常に変化していますから、その瞬間瞬間に対処しているだけです

そう言われて、師は笑いながらそこに在りました。

私はこの言葉を聞いてとても驚きました。「どういうふうにも見ていない」ってどういうことだろう!?普通は、その人たちとの様々な出来事や経験の印象を通して見てしまうし、色々なレッテルを貼ってしまう。また、先生であるなら生徒を生徒として見ているだろうし、師なら弟子を弟子として見ているのではないかと思うのです。

でも「どういうふうにも見ていない」っていったい・・・

最近、よく思うのは、「こういうふうに見ている」ときは、心はとても疲れるなあということです。その人をこうだと決めつけてしまい、とてもしんどくなります。でもヨーガをやっていくと、確かに様々なものに対する執らわれが薄らいでいって、「どういうふうにも見ていない」ような感じになるときがあります。

一見すると無関心で、薄情に思えるかも知れないけれど、実際はすごく心は自由で、その人の本質を見ているような感じなり、喜びにあるように思います。反対に心が何かその人の印象を持ち、それに執らわれていると、心はとても不自由でしんどくなります。付き合いが長くなるほどいろんな印象を持ってしまいがちになるものですね。夫婦が最たるものです。

面白いことに、執らわれが強ければより苦しいけれど、ほんの微かな執らわれがあったとしても確実に心は動揺するものです。それがわかれば、もう何にも執らわれないようにしようと心は観念すると思います。

サーナンダ

 

 


バガヴァッド・ギーター

ヴァがバッド・ギータ 6

人は自分の心で自分を向上させ
決して下落させてはいけない
心は自分にとっての友であり
また同時に仇敵でもあるのだ

心を克服した人にとって
心は最良の友であるが
心を克服できない人にとっては
心こそ最大の敵である

第6章5〜6節

心が友達のときってあったかな……と思ってしまいました
でも友達というのは、「私はあなたの友達だ!!」と主張することもないかと思います。だから心が友達の時は、わざわざ友達とは思わないかもしれませんね。

それにしても、この絵は恐ろしい。これは心の中の状態を描いているのでしょう。自分の心でもって自分自身を悪くしている。私、こんな風になっている時があるなぁ……とまじまじと見てしまいました。

この戦いを後ろで見ている人たちがいます。その中にクリシュナらしき存在がいます。「ただ見ている純粋な意識」、本当はこちらが私自身だと気がつかなければいけませんね。

サティヤー

 


MYMとの出会い

最近は台湾からヨーガを学びにたくさんの方が京都のMYM(マハーヨーギー・ヨーガ・ミッション)を訪れています。本当にその熱心さには感心するばかりで、日本でヨーガを学んでいる私たちも発奮します。

さて、9月に京都を訪れたエセーさんが台湾のヨーガのブログに滞在記をアップされていたのを、ルーさんが翻訳してくれたので、ぜひ紹介したいと思います。


 

「MYMとの出会い」 劉梓潔(エセー)  (日本語訳ルー)

9月京都で一週間のヨーガ修行生活の中で、多くの先輩たちと良い時間を過ごし、たくさんの問答をしました。彼らの謙虚さや和らかさ、静まりに感動しました。

毎回私が必ずした質問があります。

どうやってマハーヨーギー・ヨーガ・ミッションに出会いましたか?

意外にたくさんの先輩たちにとって、人生の初めてのヨーガクラスはMYMのクラスだったそうです。東京の内山さんは、大阪に住んでいた時にチラシを見てMYMのクラスを受けました。京都の嶋田さんは、インターネットでヨーガクラスを探し、最初にMYMのホームページを見つけました。台湾のルーさんは、従姉のヨーガ教師リンさんが師であるヨギさんに会う時に同行し、何と直接ヨギさんに出会いました! それを聞いた時、私は驚きながら、羨ましかったです。彼らは迷いもなく、探し求めることもなく、まっさらな状態でヨギさんの教えを受け入れたのですから。

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シャーンティ庵での日本の仲間との交流風景。一番右がエセーさん。

私はMYMのことを知る前に、7年間ぐらい他のヨーガをやってきました。私は風のように自由な性格で、束縛されたくなく、面白そうなものを全部試したかったのです。規模が大きいヨーガセンターの会員になったので、いろんなヨーガクラスを受け放題というシステム中、自分でクラスメニューを決めました:週3回のハタヨーガやフロー、また2回のYin(陰)やRestorative(癒し)Yogaです。もしお金に余裕があれば、有名な先生のワークショップを受けたり、外国のヨーガリトリートを楽しんでいました。

2014年の10月、初めてリンさんが個人的に行なっているクラスに参加し、MYMのアーサナクラスを受けました。そのクラスは、私が知っている他のヨーガクラス(音楽を聞きながら連続の動きで汗をかくクラス)とは全然違っていて、私はクラスの静まりに驚きました。しかし、私はまだ疑いがあり、恐れました。

私には他のクラスで記憶されたサンスカーラ(心的印象)がありました。: 手と足の指を全部広げる、呼吸は波のように喉を通る、鋤き(ハラアーサナ)や肩立のポーズをする前に早くマットやタオルを畳む、前屈のポーズをする時はお尻の位置を調整してから形を作る、できないポーズは道具を用いる…それらは、シュリー・マハーヨーギーの教えの中には、全くありません。なので、私はただやってみたいという気持ちで、ラージャ・ヨーガを自分のクラスメーニュに加えました。

2015年の5月、京都での旅の途中、寄り道でヨーガ・ヴィハーラを訪ね、一つのMYMのアーサナクラスを受けました。

エセーさんヴィハーラ
夕暮れのヨーガ・ヴィハーラ入り口

2時間だけの滞在でしたが、先生と先輩たちの親切さや優しさはすごく温かかったです。そのクラスで自分の本心がわかりました。私がずっと恐れて逃げていた理由は、もしMYMの練習を選んだら、以前やっていた練習はすべて諦めなければならないのではないかという心配があったからです。京都でその質問をシャーンティマイーさんにして、台湾に戻ってミラバイさんにも同じ質問をしました。彼女たちの答えは同じでした。 「もう他の練習は要りません」

しかし、私にはまだ疑問がありました。そこで、自分の体で経験しようと決心して、一週間、毎日リン先生のクラスを受けました。

5日目の夜はSpace Yogaのbasic クラスでした。クラスの前に、リン先生は、あとで座って瞑想する時間が長いですから、必要がある人はヨガブロックを準備してくださいと優しく言いました。その時、私は自分の前の何も置いてないヨガマットを見て、「もう要らない」という言葉が心に浮かびました。 ブロック、ロープ、クッションはもう要らない。止めどなく続く指令も要らない。テンションを上げる音楽も要らない。高級でおしゃれなヨガウェアも要らない。 昔の練習ではある器具を使ったり、今まで身に付いた習慣などなど、自分を支え、自分を守ってきましたが、ヨギさんの教えでは、一つ一つのサンスカーラや障害を取り除いて、もっと純粋な道へ進んでいきます。

私は突然分かるようになりました。過去の練習に対して、否定や放棄ではなく、感謝です。今までの先生たちのおかげで、私はまだこの道を続けられます。過去の練習はまるで森や野原で私を盲目的に迷わせるようなことではない、むしろ私をもっと上に登らせて、源に連れて行くことです。 一人一人の歩み方は、長いか短いか、真っ直ぐか曲がっているか、それぞれ違います。けれども、幸いなのは、私たちがここでMYMと出会って、同じ目的地に進んでいくことです。

言葉にならないほど感謝しています。


 

 

エセーさん、素敵な体験記を本当にありがとうございます。台湾のブログは中国語なので読めなかったのですが、ルーさんのご尽力で日本語に翻訳していただいて感激です!共にヨーガの学びを深めていきたいです。

(サーナンダ)

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一なる永遠の真理

インドの光

(あま)つ真清水(ましみず) ながれきて

あまねく世をぞ うるおせる

ながく かわきし わが魂も

くみて いのちに かえりけり

『インドの光』より

田中嫺玉(かんぎょく)著『インドの光』は、シュリー・ラーマクリシュナの生涯と教えに触れられるとても人気のある本です。私もヨーガを学び始めた頃に読んだのですが、冒頭に詠まれているこの詩を目にしたとき、釘付けになりました。

「あぁ〜本当にその通りだ」と思いました。

なぜなら、ヨギさんにお会いしたとき、面前に座っているだけで、まるで真清水に洗い流されるように自分の心がきれいになっていく感じがしたからです。純粋無垢な一なる永遠の真理が、ヨギさんを通してこの世界に流れてきて、遍く一切を潤している様子をこの詩に感じました。

そして、その真清水に触れ、自分の魂の奥底からこんこんと湧き出す喜びの命の泉に出会うことができました。

田中嫺玉さんもシュリー・ラーマクリシュナの存在と不滅の言葉に触れたときに、そのように感じられたのだろうと思います。それがどれほどの喜びを自らの魂にもたらしたことか!永劫の乾きに飢えていた魂が、やっと真清水に触れて潤い、永遠の命に還ることができたのですから!

縁あって聖者に出会うとは、そのような長い転生を覆す大事件だろうと思います。

 

サーナンダ

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バクティの秘訣

..

ただ神を好きになって、

神を愛する。

これだけで十分です。

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

 

クリシュナとラーダー
クリシュナとラーダー

 

ずいぶんと昔、師がふとこの言葉を口にされました。

えっと思いましたが、師のご様子から、本当にそれだけで十分なんだという印象が心に刻み込まれました。心はあたかもそれだけでは十分ではないと言わんばかりにジタバタしますが、それらはすべて心の計らいなんだと思います。

それだけで十分です。

サーナンダ

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東京での再会、そして横浜ドヤ街での瞑想

先日、日帰りで横浜の勉強会に参加する予定だったが、ある人に会うために急遽前日から東京へ行くことにした。その人は、南相馬で知り合ったシスターで、時々会っては宗教的なことを教えてもらっていた。でも、今年の春に10万人に1人という難病を発症し、治療のために東京の病院に入院、その後は東京の修道院に移られた。南相馬の修道院には彼女の代わりに、アフリカに30年いたというパワフルな新しいシスターが来られた。

シスターは、目白のキリスト教系の病院の入口で私を待ってくださっていた。この病院は修道院の近くにあり、治療が終わってリハビリのために一時期シスターも入院していたそうだ。私の姿を見るなり笑顔で右手を出して近づいて来られた。「遠くからよく来てくださいました。まさか来てくださるとは思っていなかったから、とても嬉しい。どうぞ、病院の最上階にとても眺めの良い食堂があるから、そこでお話しましょう」と言われた。せっかくだからと病棟と院内の聖堂にも案内してくださった。キリスト教系の病院らしく、病棟に祈りの部屋というのがあった。入口にはマリア様の像、中庭にはフランチェスコの像もあった。

マリア様

「マリア様」

フランチェスコ

「フランチェスコ」

食堂ではシスターと二人きりで、色んな話ができた。「病気になってどんな風に祈ったか」、「シスターになる時に神からの呼びかけはあったのか」など結構踏み込んだことを聞いてしまったけれど、シスターはどの質問に対しても快く丁寧に答えてくれた。

シスターの南相馬での仕事はやむなく終わったけれど、それは決して志が挫かれたわけではない。神に仕える者にとっては、忠実に神に仕えることこそが志であって、仕事が何に変わっても落ちこんだり悲しんだりすることはないのだ。だから、シスターは前と同じようにとても落ち着いていてイキイキしていた。神に仕える、神のために生涯を捧げる、それがどういう意味なのか、もう一度考えさせられた再会だった。

その後、私は横浜に向かった。宿泊先は石川町という駅が最寄りで、個室で一泊素泊まり2800円。勉強会のある場所から一駅で、寝るだけだからいいと思ってたし、土地勘もなかったのでどんな所か深く考えなかった。日本には、東京の山谷、大阪のあいりん地区、横浜の寿町という三大スラムと呼ばれる日雇い労働者の街がある。しかし今はどこも高齢化が進み、日雇い労働者の街から生活保護者の多い福祉の街に変わってきたそうだ。こういう町をドヤ街と呼ぶのは、安宿街の略で、ヤドをひっくり返して言っただけらしい。横浜の寿町の最寄り駅が石川町であり、私が泊まる宿がそのドヤ街の一角にあることを、横浜に行く道中で知った。駅を降りて地図を見ながら進むと、酔っ払いのオジサンたちがたむろしているし、路中に座っている。歩き方もなんだかおかしい。でも、以前大阪のあいりん地区を知人に案内してもらったことがあるけど、大阪よりきれい(??)だし悪臭も少なく(?)こじんまりしてるように思えた。○○会館、○○荘、といった安宿が並んでいるのを見ると、ああ、どこのドヤ街も同じなんだなと思った。あいりん地区は普通の世界と隔絶されているような印象があったが、ここは世間と共存してる、溶け込んでいる、という感じがした。横浜の人にとってはそうでもないのかな。
中華街㈮
中華街もごく近くにあって、私は夕食のために中華街をブラブラした。飛び交う中国語に興奮して店員さんに中国語で話しかけ、会話を楽しんだ。懐かしい…。久しぶりに別世界に飛び込んだような感覚だった。

「ここが私の泊まった宿」

「ここが私の泊まった宿」

「廊下はこんな感じでアジアの宿泊所っぽい」

「廊下はこんな感じでアジアの宿泊所っぽい」

「部屋は2畳?3畳くらいかな」

「部屋は2畳?3畳くらいかな」

近年この辺は、ドヤ街のイメージを払拭するために、バックパッカー向けに安宿を改造するなどの試みをしているそうだ。だから、改築してやや綺麗めの宿もあり(注:個人の価値観による)、時代と共に旅行者の町に変わりつつあるようだ。ここで眠れるか心配したけど、夜中に自分の寝言で一度起きた以外熟睡した。インドなどの安宿に比べたら比べ物にならないくらいきれいだし、南京虫もいなかった。

今日はこの小さな空間からから出られないんだな、そう思ったら特にやることもなくて8時過ぎに寝た。そして一度夜中に起きた時、なんとなく瞑想してみた。誰も来ないしやることもない。いらないことを考えないせいか、ずっと求めていた問題に対しインスピレーションがあった!!「ああ、ありがとう!」と今日の日に感謝した。

もしかしたら余計なものがないドヤ街って、瞑想にいいのかもしれない。(注:女性一人はあまりお勧めしません)

ユクティー


あなたはそれです

ああ

この世界を正しく理解することが必要です。つまりこの世界は絶えず変化するものだということを正しく理解するということです。

わたしもあなたも、そして様々な動物、植物も生まれては消え、また生まれては消えていきます。それは永遠の繰り返しです。

その背後に決して変わることのない唯一の意識があります。

あなたはそれです!

あなたは本当にそれなのです!!!

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

 

これを言われたときの師の眼差しと恩寵を忘れることができません。

まるですべてのヴェールが師の光り輝く恩寵によって取り除かれたかのように、歓喜が溢れ出し、私のハートははち切れんばかりに喜びに満たされました。その〝それ〟というものが理性を超えてありありと感じられるような気がしました。その喜びの奥に〝それ〟があるっていう感じでした。

それ以来、私は自分自身が〝それ〟であることを疑うことができなくなりました。師とともにいることの恩恵とは、まさにこのようなことだと思います! 師と弟子
古代インドの師と弟子のサットサンガの様子 

しかし、疑うことはできなくなったとしても、まだ私自身がそれであることに目覚めたわけではないから、これだけでは不十分でした。師が教えられるように、この世界を正しく理解していくことが必要だったのです。最初はその必要性がよくわかりませんでした。〝それ〟を悟ることが大事なのに、なぜ〝それ〟を覆い隠す世界を理解していかなければならないんだろうと思ったのです。でも、師と共にいる時には追い払われたかのように見えたヴェールも、日常に帰ればまるで月にかかる雲のように絶えず現れました。

世界を理解する――諸行無常やカルマの法則の理を正しく理解していくことが、ヴェールを取り除き、光り輝く自らの本性に目覚めていくことにつながるということを実感していったのは、ずいぶん経ってからでした。心はあらゆる変化するものに執らわれ、その思いに翻弄され、世界を正しく見られていないことに少しずつ気付いていきました。

今この瞬間と次の瞬間の世界は違っています。自分の心も絶えず異なる思いや感情がやってきては去っていきます。この世界には変わらない確かなものは何一つありません。あらゆるものがそれぞれのやり方で瞬間瞬間変化していきます。観察してみれば、自分の心も他者の心も、恋人や友人や家族や同僚との関係も、仕事の状況や家族の状況、社会や世界の状況も、大自然も大宇宙も刻々と因果律に従って変化していっているということに気付かされます。

でも、心は連続性をもって世界を見るからそれを「変化」と捉えますが、今この瞬間しか存在しないのであれば、過ぎ去った一秒前の世界は消滅しているのですから、瞬間瞬間新たな世界が生まれているようなものかもしれません。心は世界の中に幸福を見つけようとしますが、すべてが変わっていくこの世界の中で、変わらない幸福を求めること自体が矛盾しています。手に入れた瞬間からその幸福は消滅していくのですから。にも関わらず心は、幻のような幸福を世界に追い求めます。

そんなふうに識別しながら、自らの心と経験を通して丹念に世界に向き合っていった結果、ヨーガの「何事にも執らわれない」という教えは、実に理にかなった教えだと思うに当たりました。人は常に何かに執らわれ、妄執し、苦しみを生み出して世界は狂っているというけれど、執らわれを離れ、この世界を正しくありのままに見ることができれば、世界と見ていたものはそのまま、喜びに満ちた〝それ〟であることを悟るのかもしれないと思うに至りました。

心が世界に幸福を求めれば苦しみを生み出すけれど、心が世界に幸福を求めなければ至福を実現する。実に不思議です!

一つ一つ丁寧に自分の執らわれをなくしていく作業は根気のいる作業かも知れないけれど、覆いが一枚一枚取り外されていくたびに、真実の世界が現れ、喜びが内から放たれるのはおかしなことです。

師によって最初に押された歓喜の刻印は、私のハートに消えることのない印象をもたらしました。その聖なる印象の力によって、私は根気のいる作業を続けていけるのです。傍らから見れば地味な面白みのない作業に見えるかも知れないけれど、本人から見ればそれは栄光に満ちた輝かしい仕事であり、まさにあの時師によって垣間見させていただいた、歓喜の源に回帰する歩を進めているのだと実感するのです。

サーナンダ

 

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