日常のヨーガ」カテゴリーアーカイブ

最近のオシゴト

南相馬にやって来て約1年半、経験した事や感じたことを綴っています。

私にとって、ここはもう支援の場所ではなく、生活の場になりました。京都が南相馬に変わった、それだけです。ただ、ここでしか経験できないことはたくさんあります。その一つは、今任されている仕事です。今日はそのことについて少し書きたいと思います。

この地域の病院は、どうすれば生き残れるか、それを必死に模索しています。

あの原発事故以来、多くの人が避難したきり戻らず、職員の数も激減しました。都会でも看護師不足は深刻で閉鎖する病棟もありますが、それでも都会はまだ入って来る看護師が期待できます。でも、ここでは今後職員が増えることはありません。今いる人だけで何とかやっていくしかない。しかし、職員自身も高齢化しており、定年間近の人も多く、今の体制も徐々に保てなくなっていくはずです。

私の病棟を例に挙げると、今いる看護師は14人、3年後には6人に減ります。6人のうち、支援看護師や夫の転勤で来た期間限定で働く看護師を除くと、3人になります。3人で50人の患者さんを看ることは不可能ですから、今後病院は縮小したり、形態を変えてやっていくことになります。

そのために私が今取り組んでいるのは業務改善で、その中でも看護記録時間の短縮を図るために記録用紙を作り変えることです。田舎の病院というのは、色々な面で古いやり方をずーっと続けているところが多い。人の出入りが激しい都会の病院とは違い、この病院の看護師はほとんどが定年までの40年間をここで勤めます。働く人も同じだし、多少手間がかかっても、みんななんとなく面倒だと思っていても、自分たちが慣れたやり方の方が安心だしやりやすい。病院間の競争もほとんどない。だから、業務改善があまり行われず、時間も労力も無駄が多いのです。

そこで私は、看護記録用紙をもっと効率的なものにすることを看護師長に提案しました。でも、最初は師長にも主任にも無理だと言われました。それでも、今後業務改善は必ず必要になることを伝え、師長と話し合いました。そうすると、一度見本を作ってみましょうということになり、よそから来た看護師さん2人にも助言をもらいながら、高齢の看護師さんでも抵抗なく書けるような工夫をして、記録用紙の見本を作って見せました。今は看護部長(看護部のトップです)の許可も得て、師長と話し合いながら、さらにうちの病棟に合ったものへと作り変えています。

こうして新しいことに自主的に取り組んだり、ありきたりの方法に捉われず創作していくのって、とても楽しいですね!これまで私にとって業務改善というのは、上司から言われてやることでした。正直、あんまり興味がなかった。ただただ受け身だったんですね。自分のことを大きな組織の末端にいる一員としか思っていなかった。確かに、出来上がった組織の効率化された業務は、素晴らしい。ここは田舎の小さな病院で医療や看護も遅れている。でも、まだ形になっていないこの病院だからこそ、みんなで作り上げていく楽しさを、今私は味わえているのかなあと思います。

ただ、こういうことを、来てすぐの私がやっても、周りの反発しか受けなかっただろうなと思います。いくら正しいといわれていることでも、それが人に受け入れられるとは限らない。やっぱり人間って感情の生き物なんですね。このことは、震災後石巻に支援に行った時に自分自身の経験からも、そして同じ団体で活動した仲間の経験からも学んだことでした。でも、一年半経って、ただ言われるままに働いてきただけだったけれど、少しは周りにも信用してもらえるようになったのかなあと思います。

残念ながら、作成中の記録用紙は守秘義務のためお見せできないですけど、代わりにといっては何ですが、最後に私の働く姿をよかったら見てください。

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私のいる病棟の詰所です。この日は夜勤。看護師一人と助手さん二人の体制です。

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朝5時。仮眠の後、仕事再開です。いつになく真剣です。薬を扱っているので間違ってはいけないのです。この後配薬、検温、採血などなど盛りだくさんの業務をこなします。まだまだ帰れません…。

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笑っている場合ではないのですよ‼さっさとしましょう。

 ユクティー


波を静めて海を見る

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こんにちは! ミラバイです。
私、最近とても久しぶりに、大きく心が動揺しました(笑)。えー、ヨーガって心の波を静めるんじゃないの〜という声が今にも聞こえてきそうですが 😎 、いやいや、修行途上の身、正直なところ揺れ動くこともまだまだあるんです……。
振り返ってみると原因はなんてことない、本当につまらないことだなぁ〜と思うし、今となってはもうどちらでもいいことで、自分の中に原因があるということも分かるのですが、その時、心をフルに動かして思ったことは、「あー、しんど」(私、関西人)
つまり、心を動かす、心にいろんな思いをもつってことは、本当に疲れる!ということ。身も心も疲労するし、そのためにか食事もわんさか食べてしまったりもします。

ヨーガを始めた頃は、自分がどれだけ変化しているのか、また続けている中で自分が本当に成長しているのかと疑問に思ったり、自信がなくなったりすることもありますが、時間が経ってから振り返ってみると、自分が気付かないだけで、ものすごく変わっているということに後々から気付かされます。また、そういった変化に気付くというのは、本人がいちばん最後なのかもしれません。

心がそのように動いて、「あぁ〜、そういえば昔は毎日こんな感じだったなぁ」と思い出しました。あれやこれや、いらないことや、考えても仕方のないことばっかりずっと考えて、くたくたになって、いっときも心が安まることがなかった。そして今まで自分が心を大きく動かして、これが喜びだと思っていたことが、本当は喜びではなかったこと、そしてそれらを手放した時に本当の歓びを味わい始めたということ。何にも執らわれないということがいちばん楽ちんで、自由で、幸せ‒‒‒‒それは苦しみという反動がやってこないから‒‒‒‒そういうことを実感してきました。それを思うと、今はヨーガのおかげで、本当に軽やかになったなぁと感謝しています。

変化し続けてやまない波のような自分の心や周りの状況、この世界に巻き込まれず、それをしっかりと静めて、変わらない本質‒‒‒‒海だけを見つめられるようになりたい。そして、いつも穏やかで大らかで、かつ愛と力に充ち満ちた心でありたいなぁ〜と改めて思ったのでした。

追伸:おかげさまで次の日には復活しました! これもヨーガの力なり〜!

 

 


あなたは何を持っていますか?

残暑お見舞い申し上げます。 マーダヴィーです!

さてさて、わたくし事なのですが、今年の始めに実家を処分しました♪

住んでいたのは私一人だった(一軒家に一人暮らし!)ので、いつか家の処分はしなくちゃいけないな~と分かっていたものの、なかなかそのような大事には踏み切れず、いつでもできる、でも自分しかやる人いてないぞ、あぁかなり大変そうだ (TーT) ・・・と後回しにしてきましたが、とうとう「やるぞー!」と一念発起して実行しました。

大阪は住之江区の商店街から歩いて15秒の所にあった実家。めっちゃ下町です。ご近所さんとも家は違えど、一つの大きな家族のように育ってきました。今でも私を身内のように心配し可愛がってくれます。

誰もが生まれては死にを繰り返す輪廻転生の中で、自分自身で両親や環境を選んで生まれてくると言われています。私が生まれてきたところはちょっと事情のある家庭で、自分の手で解決しておきたい諸問題もあったので、それも含めてこの際一気に片を付けて、シンプルに生きるのだ~! と決心しました。

まずは、物理的な面での第一歩です。私は生まれてからずーーっと同じ所で暮らしてきたので、実家には相当の物があるのは分かっていましたが、ずっと見て見ぬフリ。自分の物は簡単に処分できますが、いざ開かずの扉を開けてみると、ありゃ~、出るわ出るわの大荷物。私の幼稚園の制服(大事に残してくれていたのね 涙)や、祖母の日本刺繍のお道具や大量の着物、はたまた20年以上も前に亡くなった祖父の3ピース・スーツまで綺麗なまま保管されて・・・ そして、いつか使うやろうと残してあったものの数々(ちょっと置いとこ~と思ってる物は、結局要らないのです)

・・・結局、家にあるものの98%の物を処分しました。

処分するのに一通り自分で目を通して、はいゴミ、これもゴミ、という風にガツガツ進めていきました。物を捨てる時に、例えば写真とか手紙とか、それらを見始めたらもうキリがないですよね。(みなさんも経験あります?) 色んなことを思い出したり、感傷に耽ったり……。 自分の物だけではなく、家族の物を見ても、その一つ一つに嬉しい思い出やら悲しい思い出やらがいっぱいくっついています。

感情が動くと作業は全くはかどりません。ただ事務的に、はい要らない、これも要らないという風に、ゴミ袋に放り込んでいくことをひたすら繰り返しました。その時につくづくと感じたのは「あぁ、かつて自分、又は誰かが大切にしていた物は悉く本当に無くなる。そして、それを大切にしていたその人もいなくなる」ということ。

この家だって建てられて60年近く経って老朽化し、解体されて無くなる。いつ誰が定めたかもわからない境界線で囲われたこの土地も、今は私たちの所有物だって言うけれど、すぐに他の人に譲渡されるし、そもそも初めからこの地球には境界なんてないのに、限定作って自分の持ち物だ~なんて主張して、ほんとバカげてる。

「だとしたら、この世界に自分の所有物と言えるものはあるのだろうか?」

という疑問がやってきて、思わずゴミを整理する手が止まりました。

でも次の瞬間

「自分の持ち物と言える物はほんとに何一つないけれど、“純粋な信仰” だけは持ってるわ!!!」と、答えがはっきり分かったのです!!

“純粋な信仰” が自分の唯一持ち物だ!と分かったとき、すーごく嬉しかったです。外側にあるいつかは壊れゆく物や、変わってしまう思いでもなくて、自分の内側にある“信仰”、それだけがどんなものよりも心の中に燦然と光輝いていて、何よりも大切で、自分の生命の源であり、それが私と言えるようなものだったと気がついたんです。

信仰と言うからには、何を信じているかという対象があります。私にとっては、神さまと真実です。(私は神さまが大好きです)

そして突然、中世に生きたミラバイのことを思い出しました。彼女も同じように、神への信仰だけを自らの持ち物とし、神だけを愛して、インドの大地に生きたのだと。ミラバイの魂が、時を超えて私の心に流れ込んできました。彼女は何も持っていなくても、どんな状況になっても、恐れるものは何一つなかった。それは神が彼女を愛し、彼女も彼だけを純粋に愛していたから。そんな愛の人を神さまは永遠に守るしかないでしょう。ねぇ?神さま。

自分が生きていくために必要最低限な物(+α+α+αくらい?結構いっぱいあるやん笑!)を実家から持ち運んで、今は暮らしています。無駄な物に囲まれているより遥かに快適!心も軽い!

以上、本日はマーダヴィーがお届けしました!
なお、もうちょっと続きがありますので、それはまた次の機会に~!


放射能のこと

こんにちは~。京の七夕に対抗するわけではないですが、東北の玄関、仙台では、8月6~8日、七夕祭りという大きなお祭りがありました!!私は6日に行ったのですが、毎年200万人の観光客がやって来るだけあり、多くの人でごった返していました。

この祭りは、伊達政宗が藩の文化を発展させるために始めたものだそうです。くす玉みたいな大きな飾りがアーケードにたくさん吊ってあって、それを見るだけなんですが、それぞれ個性があり、とっても華やか!!仙台の街って、広くてゆったりしていて、私は大好きです。人が多くてもゴミゴミした感じがないのがとってもイイ。

七夕まつり

賑やかな仙台に比べて、私のいる南相馬は閑散としています。ちょっとした街なのに、ひっそりしていて、最初に来た時はなんて寂しげな所だろうと思っていました。でも、今ではそれが当たり前になってしまいました。ここに来て一年と約半年。ただひたすら働いてきただけの単調な生活だったようにも思えますが、いろんな経験もしてきました。これまでの生活を振り返り、私が感じたことをこれから何回かに分けて書いていきたいと思います。

今でも友人や家族は私の体のことを心配してくれます。放射能ですね。たびたびニュースでも内部被爆のことが取り上げられていますから。でも体調はとてもいいです。私はミネラルウオーターも水道水も飲みますし、野菜はこの土地のものを中心に、他の所から仕入れられたものも食べます。どこでもそうであるように、ここの人たちも色々な考えの人がいて、全く土地のものを食べない人もいますし、風呂の水さえミネラルウオーターを使う人もいますし、反対に土地のものを優先して食べる人もいます。(食べ物ではないですが、今でも洗濯物を外に干さない人は結構います)京都では福島産の野菜やお米って目にしなかったし、きっとほとんど福島以外には出荷されないのでしょう。もし見かけたとしても、京都でわざわざ福島産のものは選ばなかっただろうと思います。

でも、なぜだか分からないですが、私はここに来て、以前よりずっと食べ物が大切に思えるようになりました。前は自分が食べ物を選べて当たり前だったし、どこかでそれらは無限にあるような気がしていました。でも、今は食べ物も水も自然も「すべては限りあるもの」という意識が強くなったように思います。だから、食べ物だけでなく、空気も人も、今日という日も、そして自分自身ももっと大切に思えるようになりました。

それでも、やはり原発のことは心配です。汚染水漏れのニュースを見るたびに、またか…と落胆しますし、地震が大きければ爆発を起こすんじゃないかと不安になります。そして、ここに来て心配なことが増えました。それは、原発や除染で働く人たちのことです。コンビニには除染の車がよく止まっていますし、業者さんたちが買い物をしている姿も見かけます。うちの病院にも健診に来られますし、入院している患者さんの家族には原発で働いておられる方もいます。ある入院患者さんの息子さんは福島第一原発で働いておられ、週の真ん中が休みらしく、いつも平日にお父さんの洗濯物を持って来られます。福島第一原子力発電所で働く人のことを、現場や地元の人たちはイチエフと呼びます。イチは第一のイチ、エフは福島の頭文字のF。看護助手さんたちから「息子はイチエフなんだって」と聞いて、最初は何のことか分かりませんでした。F1じゃなくて1Fなんですね。その息子さんは、最近ご飯が食べられなくなってきたとのこと。とっても痩せておられます。他の看護師が受診を勧めると、「もう、そういう体になってきたから」と諦めたように言われていました。現場は想像以上に過酷なようです。あの事故から3年、今もこうして最前線で働いてくれている人たちがいるからこそ、私たちの生活が守られている、それを忘れてはいけないな、と息子さんを見るたびに気持ちを引き締める私なのです。色々な人との出会いもまた、私自身が頑張って生きようと思う力になっています。ありがとう!息子さん。でもあなたの体は心配です…。

つづく
ユクティー


ヨーガの実践 「私は正しい?」

皆さん、こんにちは、下鴨ラージャ・ヨーガクラスを担当しているダルミニーです。

ある時、師はこうおっしゃいました。

「みんな自分は特別だと思っている」「みんな自分は正しいと思っている」

本当にそうだなと思いました。あなたも自分の考えは正しいと思っていませんか?私もそうでした。人はみな自分の経験と照らし合わせて、それと違うことは正しくないと判断するのです。「私は正しい、でもあの人は間違っている」それがこの世の争いの原因ですよね。

常識と言われるものもそうですよね。常識は世界各国で異なっています。日本では常識であることも他国にいけば非常識です。それは皆さんもよくご存じのことでしょう。常識と言われるものも本当はあやふやなものなんだなと思いました。常識と言われることも自分が正しいと思うことも、常に移り変わる人の心が作り出したもので、本当は実体のないものなのです。私たちも、みな誰かに評価されます。子供の頃から、まず親に兄弟たちと比較され、小学校に上がるとすぐに通知簿が付けられます。大人になっても上司や周りの人に評価され、それが私を判断する基準になります。

ところが師はおっしゃいます。

「物事の判断基準は、それが真理なのか、真理でないのかだけです」

では真理とは何でしょう?真理とは、永遠にあるもの、純粋であるもの、本当の幸せであるもの、本当の私であるものです。考えてみてください、およそこの世で永遠なものなどないですよね。私たちのこの身体もいつかなくなります。そして心も、いい時もあれば悪い時もあるし、いつも動揺して止まない、永遠に変らないものではありません。それを聞いて、私は本当に悲しくなりました。この世に真理なんてないんだと。
でもその後、師はおっしゃいました。

「誰もの中に真理はあります。それこそがリアリティです」

「この世の変動して止まないものを追いかけるよりも、自分自身の中にある真理を求めなさい」

私はその言葉に救われ、心が軽くなりました。今までの判断基準が間違っていた、自分をああだ、こうだと判断しなくていい、他者のこともあれやこれやと判断しなくていい、だってみんなが真理なのだから。それから私の判断基準は簡単になりました。「これは真理か」、この世で真理にあるものなどほとんどありません。それはすぐに捨てればいいのです。

しかし、なかなか言うことを聞かないのが私たちの心です。
そのためには、皆さん、これからが本題です。ヨーガのアーサナ、瞑想が不可欠です。すべては呼吸が鍵を握っています。呼吸を変えなければ心は変わりません。不動のものに心を寄せるには、心を不動にしないといけないのです。ヨーガは私たちの疑問にすべて答えてくれます。本当です。自分自身のことは自分で責任をもたなければいけません。誰もやってくれません。自分のことは自分でしましょうね。私もそうです。呼吸は一朝一夕には変わりません。毎日のアーサナと長い間の修練が必要です。でも必ず呼吸は変わります。呼吸が変われば心が変わり、真理を理解し深めていくことができます。
今の自分から自由になることができますよ。さぁ、今からアーサナをしましょう。


人生が始まる

ヨーガを学び始めてから2年か3年かたった頃、「やっと自分の人生が始まったのだ」と感じたことがあったように覚えている。
20代が幕を開けたばかりの頃である。

僕は、小さな子供の例にもれず、「なんで〜は…なの?」を連発して大人を困らせるような子供だったと思う。
子供の問いは恐ろしく素朴で深い。
おそらく中学生の頃に最も不思議に感じていたことは、「どうして一人ひとりの人間に意識というものが宿っているのか」ということだった。
コンセントにつながれているわけでもないのに、この意識はどこからやってきているのか? そして一人ひとりが別の
意識をもって動いている(ように少なくとも見える)のはどうしたわけなのか?

たぶんとても奇妙な問いだったと思う。
一応自分なりに考えて答えを出してみたが、その真偽を確かめるすべはない。
きっと大人になったら分かる。
少なくとも、頑張ればそういったことが分かるような道具(知性)をもつことができるだろうと思った。

ところが、大学生になり20歳も超えて大人の仲間入りを果たすと、それとは別の不思議な現象が起こっていた。
今こそ、本当に知りたかったこと、本当にやりたかったこと、本当になりたかったものに、やっと挑戦できるだけの能力と機会が開けようとしているのに、友人たちは早々に諦めたような選択をしようとしていた(ように僕には見えた)。
自分にしても、問いは答えがないという焦りの中に蓄積していくばかりで、むしろ社会に飲み込まれるデッドラインが迫ってきていた。
友達とのつきあいや、大学での学問、有名な哲学者の本にも答えはなかった。
本当に知りたかったこと、本当になりたかったものを諦めるのが大人になることなのか?
僕の問いは相変わらずとても抽象的だったが、自分自身にとっては、今日食べるご飯があるかないかというくらい具体的に感じられていた。
「この見えている世界は本物なのか? この世界の正体が、バリバリと壁紙をはがすかのように見えてきそうなのに、どうして見えないのか? どこまでいってもそれは分からないことなのか? 」
ギリギリのところで反発を試みた。
インドとネパールに行き、中国やチベットに行った。
そしてその間にヨーガを始めた。

「窮鼠猫を噛む」ではないが、ギリギリまで追い込まれた心の力(決意)はすさまじかった。
「自分の全存在を懸けた一撃を打つ」という気魄だった。
ヨーガを始めてすぐさま問題が解決したという自覚があったわけではない。
しかし確実に解答に向かう列車に乗っていた。

そして数年がたった頃、「やっと自分の人生が始まったのだ」と感じていた。
知りたかったことを教えてくれる人がいて、自らそれを知るすべもある。
「自分のやりたいことと、自分がやるべきことと、世界の真実が一致している。こんな幸せなことはない」と思った。
今でも時折思うことがある。
もしタイムマシンがあって昔の自分に会えるなら、こう言ってやりたい。
「何も心配するな。お前は自分がなりたいものになるよ」

20年前に僕の人生は始まった。
それから一切のことが革命的な速さで進んできた。
それと同時に、もう一度、人生が始まる予感がしている。
まだ何も成し遂げてはいないし、有り体に言えば、まだ死ぬわけにはいかない。
個人としての人生(自我意識)はもう終わってしまって構わないし、終わらせにかかってもいるのだけど、それと同時に、すさまじい力で生き始めようとする何かがあるのも感じるのである。
それをどう言うかは、まだはっきりしない。

サナータナ


ヨーガの実践、「苦手意識をなくす」

皆さん、こんにちは、下鴨ラージャ・ヨーガクラスを担当しているダルミニーです。

ラージャ・ヨーガクラスでは、この身体を使って、呼吸を静め、心を静め、本質としての自分を取り戻すということを目的にヨーガを行なっています。

呼吸と心は表裏一体、深呼吸をすれば心が落ち着くのは、みなさんもよーくご存じのことですよね。ヨーガはその呼吸に着目し、呼吸を変えることによって、心も変えられるということを発見したのです。心が変るってすごくないですか?こんな私、あんな私、いいところも悪いところも一生のお付き合いと諦めていませんか。ヨーガと出会って、そしてヨーガの師と出会って、心を変えることができると知って、すごく驚き、そして嬉しかったことを思い出します。

心はいつも外界の刺激にさらされて波だっています。ヨーガを行じることによって、心は不動の状態を取り戻し、本当の自分、存在としての自分を浮かび上がらせていくというのです。それをぜひぜひ実現したい、その一心でヨーガを実践しています。

みなさんはご存じでしょうか?人はみんな狭い狭い自分の経験した、自分だけの小さな心の世界に住んでいることを。そしてその世界に住んでいることは苦しいこともあるけれど、慣れ親しんだ楽な世界でもあるのです。私たちはそんな限定されたものではないと、ヨーガの師は教えてくれます。限定された狭い世界に住み続けたままでいいのですか?ヨーガによってもっと広大な自分の中の宇宙を感じてみたいと思われませんか?私はこのままの狭い世界に住んでいる自分が、本当にいやになってしまったのです。

この心が作った狭い世界から脱出するためには、あえて「苦手なことをする」ことが、そのきっかけになると師は教えてくださいました。苦手なことしたくないですよね。心はすごく嫌がるんだものね。だって苦手なんだもの。かくいう私は、今まさに苦手なことに挑戦しています。それにはすごく勇気がいります。その勇気はどこからくるのでしょうか。私は自分を変えたい、そして本当の自分に戻りたいと、強く、強く、それだけを願っているのです。

みなさんも苦手なこと、やってみてください。もっと、もっと自分の可能性を信じることができるはずです。私は苦手なことに挑戦し、その成果をお伝えしたいと思っています。

ダルミニー


文明的東京、でも本当の文明は…。

先日、行ってきました、東京。久しぶりの都会。前の日からドキドキして落ち着かず…。京都に住んでいた時は、東京が大都会のように思えたのに、福島の田舎に来て一年も経ったら、東京も京都も今の私にとっては同じようにしか見えなくなっていました(あらら…)。

今回は看護の勉強会に参加するために東京へ行ったのですが、夜はグルバイが集まってくれて、オシャレかつシャンティーな雰囲気のイタリアンレストランで食事しながら、皆でワイワイ賑やかに色々な話をしました。サプライズゲストもあり、初めてお会いするグルバイもいて、単調な田舎の生活に慣れていた私は、この日やや興奮ぎみでした。

東京のグルバイはみんな生き生きしていて、とてもエネルギッシュ。色々な問題にぶつかりながらもヨーガの教えに沿って生きようとする前向きな姿が印象的で、私もとても刺激を受けました。みんながシッダマールガで京都や大阪に行っては与えられる課題に真剣に向き合い、瞑想している成果なんだということがひしひしと感じられました。

その日は一人のグルバイの面白くて不思議なお家に宿泊し、遅くまでヨーガ話に花が咲きました。彼女の気遣いはとてもさりげなくて、自然に触れるような心地良さがあります。翌日はまた別のグルバイと待ち合わせ。連れて行ってもらったのは、なんとっ!オシャレなかふぇっ☕ カフェ、なんて素敵な響きでしょう!!私の住むところには喫茶店はあるけどカフェはありません(あるのか知らないけど、見たことありません)。せっかくカフェに来たのだから、普通のコーヒーは注文しません。私が頼んだのは、都会でしか飲めない(と勝手に私が思っている)手の込んだ飲み物、キャラメルマキアートです。ソワソワしながらも、グルバイの真剣な話に引き込まれていきました。

彼女は鍼灸師をしており、ある患者さんと向き合ってきたこと、その中で難しかったこと、発見したことや疑問に感じたことなどを話してくれました。医学は多くの症例を経験してそこから知り得たことが正しいとされますが、一つの症例からでも本質を探れるようになることが必要なのだと気づいている人はたくさんいます。みんなが彼女のように誰か一人の人との関わりの中で、命や人の存在というものを深く探究していけば、医学はもっと計り知れない可能性を秘めた素晴らしいものになるんだろうなと思いました。

 

福島に帰る新幹線の中で、建ち並ぶビルや忙しそうに歩く人を見ながら、1981年、マザーテレサが初めて東京に来た時の映像を思い浮かべていました。高度経済成長が終わり、物質経済優先が当たり前になった時期の日本にマザーはやって来ました。滞在中に開かれた記者会見で、「あなたにとって現代社会の文明とは何でしょうか」という質問に彼女はこう答えています。

「現代の文明とは、み旨のようにお互いが愛し合うこと、それが偉大な文明です。それこそが神の言う福音です。みな愛に結ばれた兄弟姉妹であること。理解は難しいかも知れませんが、神を愛したいなら実行できるでしょう。私の答えは他の方とは違うかも知れません。聖なることが真の文明です」

今回東京のグルバイと触れ合うことで、それぞれが聖なる者に心を向かわせそこに繋がる道を真剣に探究していることを知りました。どんな環境にあっても、それぞれがひたすら弛まずその道を探究していくことが、マザーの言う真の文明を自己の内に築いていくことなんだなあと感じ、そのことに改めて気づかせてくれた東京のグルバイに深く感謝しながら、現代文明が作り上げた?洗練された美味しい駅弁に感動する私でした。

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                                  ユクティー


夏がやってきたぞ〜〜ある日の昼食。

夏がやってきたぞ〜〜〜!! 今年は冷夏と聞いた気がしたけれど、何だか猛暑を予感させるような日中の気温。
こんな時のお昼は・・・そうだあれだ! 冷蔵庫の中を見るとまさしくその材料があったので、きっと同居人のミラバイもそろそろあれをと考えていたに違いない、とあれを作りました。

そうです。中華ドレッシング。
新玉ねぎとしょうがをすって、濃口醤油とごま油、ごまを少々。混ぜるだけの簡単ドレッシングです。
これ、さまらさからの紹介で春巻き膳の時に教えてもらったものですが、その時には蒸し野菜にかけていましたね。
ちょうど5月発行の『パラマハンサ』No.103でもご紹介しています。

私たちは夏にはこのドレッシングを冷麺にかけていただいています。市販のタレは甘めが多いですが、このドレッシングだと意外とさっぱりして美味しいのです〜〜〜
ぜひお試しあれ!

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具がモリモリのところは目をつむってください。
お肉類がなくても、レタス、キュウリ、トマト、薄焼き卵で充分いけます。

シャチー

 


とにかく今日を生きる

ヨーガの仲間(グルバイ)のユクティー、彼女は約15年以上ヨーガを実践し、一年前、京都から福島に移り住み看護師として働いています。ユクティーから嬉しい福島便りが届きました。

私が福島に移り住んで1年が経ちました。

若者が町を出て行ったっきり戻って来ない、というニュースを見た人からは、さぞかし地域には高齢者が溢れているのでしょう?と聞かれますが、そんなことはありません。たくさん若者の姿を見かけます。近くのコンビニでは、大きな関西弁でしゃべるオジサンの姿もたまに見ます。除染や工事などの業者の方々がたくさん外から入って来られているようです。

しかし、私が勤める病棟はかなりの高齢化が進んでいます。ちなみに、患者さんじゃないです。職員の高齢化です。15人いる看護師のうち、60代が1名、限りなく60に近い50代が7名、50代半ばが3名、40代3名、30代1名です。新人の2人を除いては、全員夜勤をしています。人間ってこの年まで普通に病棟で働けるんだなあって初めて知りました。でも、皆やたらと休憩が多いのと、何度も同じことを聞いてくるのが気になります…。私ももうすぐ後を追うんですけどね。(-_-;)

先月には知り合いが何人かこの地域を去り、また今月は支援看護師やリハスタッフが入職し、私もここで人を見送ったり迎え入れたりする立場になりました。

ここで一年を過ごして自分がどれだけ変わったかはよく分からなかったし、場所が変わっても意識して努力しなければ自分は変わらないんだと思っていました。でも、たった一つ、ここで暮らしてきたことで、知らないうちに周りの人たちから教えてもらい、私の中に根付いていたことがありました。それは、自分が明日もまたここで同じように暮らしているのが当たり前だという意識がなくなったということです。京都にいた時は、明日も明後日も、ずっと同じ所にいて、同じことをしていると思っていました。だから先々のことまで考えて綿密な計画を立てたり、未来に過度な期待を寄せたり憂いたり…。でも、今は地震が起こるたびにニュースを点けて皆で見入り、これからどうなるか話します。原発に何かあればすぐに出て行かなければならない。だから、いつも車のガソリンは満タンです。2、3日くらいなら生き残るための物はリュックに入れています。私は明日ここを去るかも知れない。来た当初はそんなこと考えもしなかったけど、今はそれが普通になりました。本当は京都にいた時だって、誰もこれからの自分の生活を保障してくれていたわけではなかったのに。だから大切なのは、先を憂えず、とにかく今日を生きる。それを毎日実感させてもらっています。

今年も桜が見事に咲きました

今年も桜が見事に咲きました

ユクティー