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京都 ヨーガ・瞑想クラス 交流会

京都ヨーガ・瞑想クラスの合同交流会がありました!

プログラムの初めにはアーサナのデモンストレーションがありました。今回はどのクラスでも人気もののゴパーラと土曜日のクラスに通い、最近とても熱心にヨーガと向き合っているMさんがアーサナをしてくれました。気迫に満ちたとても素晴らしいアーサナで、私自身は息を飲むような集中感にとても感動しました。

参加した皆さんも、食い入るようにデモンストレーションを見ておられました。「2人のアーサナを見て、集中間というものはこういうものかと感じた」「自分たちが普段しているアーサナの完成形が分かった」「いいものを見せてもらった」といった感想をいただきました。

その後、さまらさの食事を食べながら、自己紹介を兼ねて、皆さんがヨーガを始めたきっかけや、ヨーガをしてから変わったことなどを話していただきました。

クラスに通うようになって2年になる方が数人おられましたが、皆それぞれに2年前と比べて明らかな変化を感じておられるようでした。

ある方は数年ぶりに会った友人に「人相が良くなった!」と言われたようです。確かに最近の彼女は表情が明るく(昔が暗かったわけではないですが)とても軽やかな印象があります。

毎日アーサナをしていると言われた方は体にしっかりとした軸ができたと言われていました。確かに、最近の彼女からは芯の通った強さを感じます。

またある方は、仕事場でうまくいかなかった同僚と真理を学び瞑想していく中で怒りや不満の感情なく普通に話ができるようになったと言われていました。きっと瞑想によって心が変化し、動揺しなくなっていったからでしょう。

皆さんが日常生活の中で変化を感じながらクラスに通ってくださっていることを知り、とても嬉しかったです。

一方でアーサナの実践にムラがあり、甘いものがやめられない…と話されている方もおられました。それはそこにいる誰もが多かれ少なかれ経験があること、それぞれの体験を話しながら、みんなで自然とアドバイスしあいました。

みなさんの話を聞いていて感じたことは、調子が良い時も、悪い時もあり、状況は色々変わるし、誰もがトントン拍子でうまくいっているわけではないということ。人と比べる必要はなく、それぞれに道があり、コツコツと実践していくことで必ず進歩しているのだということです。
同じヨーガをしている仲間とこのようように話し、励まし、刺激しあえる機会はとても貴重だと思いました。

最後に話をしてくれたSさんは、熱心にクラスに通う中、自分の内に歓びがあることを体感し、自分自身も人に歓びを与えられる存在になりたいと話してくれました。彼女の話している言葉や姿、発しているプラーナ(気)から歓びが溢れ出ているのを感じ、こちらまで歓びが伝わってきました。そんな彼女も、ヨーガをする前は仕事のストレスで体調が調わないことがあったようですが、今ではそのようなことはなくなったと話されました。

改めて、ヨーガって本当にすごい!!一人の人の人生を大きく変化させる、なんとすごい力でしょう!!!!是非またこのような機会が持てたらと思います。


ヨーガの秘訣・北海道編 神は私を待っておられる!

シュリー・マハーヨーギーの弟子には、遠方に住んでいて、容易に師に会えない方もいます。京都に住む弟子たちは、直伝クラスに通ったり、サットサンガなどで、よく師にお会いすることができますし、ブログでもご紹介させていただいているように、昨年からは台湾や松山、京都など各地で特別サットサンガも開催していますが、それでもなかなか会えない人はどのようにヨーガへの思いを高め、日々実践していけばいいのでしょう。

それについて、遠く北海道に住んでおられる三井さんが、ご自身の思いと日々の実践について投稿してくださいました。北海道から京都まで容易く来られませんから、三井さんはブログやパラマハンサに掲載される師のお言葉を何回も読まれているそうです。そして、年に一度ヨギさんに会いに来られた時の三井さんの、実に濃密な師との交流シーンが目に焼き付いている方も多いと思いますが、この記事を読むと、物理的な距離や回数ではないということが実証されているように感じます。


まだヨーガに出会っていない頃、よく見る夢がありました。
夢の中で私は、とっても大事なことをしていないことに気づき、これをちゃんと覚えておいて毎日やらなきゃ!と決意するのですが、目覚めた時には、その大事なことが何だったのか全く思い出せないのです。
私は何か、とても大事なことをしていない・・・・・。
そこで、今までよりも注意深く意識しながら生活してみることにしました。大事なことをしていないはずなのに、日々の生活は何の支障もなく過ぎていきました。そしてまた同じ夢を見るという繰り返し。

私は一体何をしていないのだろう?

ヨギさんの下に導かれ、ヨーガを学び、毎日アーサナと瞑想をするようにな ってから、あの夢を見ることはなくなりました。
毎日続けるに値する確かなものを得て、心はようやく安堵しました。私の魂は、ヨーガを渇望していたのだと思います。
ご飯を食べたり、お風呂に入ったり、歯を磨いたりするのと同じようにアーサナと瞑想も当たり前の習慣になり、何をしていても時間になれば2階の修行部屋へ向かいます。階段を上りながら思うことはただ一つ。

「神は私を待っておられる。もっともっと深い瞑想を捧げよう!」

どんなに離れていても、どんなに会えなくても、心から尊敬できる師と、同じ志を持つ仲間に巡り会えたことは大きな喜びです。
京都に伺い、ヨギさんにお会いした時に伝わってくる神聖なバイブレーションや、慈愛 に溢れた眼差しや、とろけるような笑顔や、ぬくもりのある声は、言葉や文章ではとても伝えられず、実際に味わってみなければ決してわからないことです。
そして、謙虚で穏やかで親切なお弟子さんたちに接すると、頭が下がる思いになります。ヨギさんの教えが深く浸透し、ヨギさんの存在が心にも身体にも染み渡っていると感じます。ヨギさんのお側にいるということは、こういうことかと思わずにはいられません。
ヨギさんのお側でグルバイと一緒にヨーガを学べたらどんなにいいだろうと思う時、頭に浮かぶのはパラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』の中の一節です。

私はカラ・パトリに、彼の放浪生活について尋ねてみた。
「あなたは冬でも、ほかに着物を着ないのですか」
「着ません。これで充分です」
「あなたは本をお持ちですか」
「いいえ、ひとに物を尋ねられたときは、記憶の中から答えます」
「ほかにはどんなことをなさいますか」
「ガンジス河のほとりを散歩します」
この淡々たる答えを聞いたとき、私の心に、彼の素朴な生活に対するあこがれが強く湧いてきた。私は、アメリカと自分に負わされた重い責任の数々を思い起こした。『いけない!ヨガナンダ』私は一瞬さびしく自分に言いきかせた。『この生涯では、ガンジス河の散歩はお前には許されていないのだ』

この生涯では、ヨギさんのお側でグルバイと一緒にヨーガを学ぶことは私には許されていない・・・・・。
パラマハンサ・ヨガナンダの崇高な使命とは比較にならないとわかっていても、そんなことを考えて寂しくなる時、私を励まし力づけてくれるのは、機関誌『パラマハンサ』に掲載されているサーナンダさんの文章です。

インドの山奥で瞑想行に勤しむヨーギーたちも、社会において多忙な仕事に勤しむ世俗人も、等しく神の思し召しによってその境遇が与えられている。私たちを神の御下に導くための道筋がその境遇にある。
今ある状況は、カルマが要請したものであると同時に、カルマを果たすためにはなくてはならないものであると理解できる。
自分の前にやってくる状況は、すべて神が私たちに与えられる素晴らしい導きなのかもしれない。
肝要なことは、現状に不満を言わず、知足し、淡々とヨーガを実践していくことである。
私たちの真剣なヨーガの実践は必ず神に届き、神はそれを見て慈悲深くもヨーガの道を歩むに必要な熱意と力を与えて下さる。これは真実である。

振り返ってみれば私はずっと、本当のことだけが知りたいと願い、探し求め、これも違う、これも違う・・・と彷徨っていました。もう探し回らなくていいと思うと、深い安心感に包まれます。
お導きくださったヨギさんには、感謝の気持ちでいっぱいです。

サーナンダさんは、「私たちには、戻ることのない長い旅路の覚悟が必要です。」と書いておられます。途中下車することなく最終目的地だけを目指し、風景を楽しみながら長い旅を続けていこうと思っています。

三井


謹賀新年

皆様、明けましておめでとうございます🎍🌅
本年もどうぞよろしくお願い致します🙏
2017年最初のブログは、ヨーガ・ヴィハーラの瞑想会の様子をお届けします。
毎週月曜日、ヨーガ・ヴィハーラでは瞑想会が行なわれていますが、昨日の1月2日は月曜日ということで、お正月にもかかわず、ヨーガ・ヴィハーラの住人のヨーガダンダさんのご厚意で瞑想会を開催していただきました。

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私の今年の目標は「自己実現」ですので、私は真実の自己であるアートマンに瞑想しました。
参加者はヨーガダンダさんと私の2人でしたが、お正月ということもあって、普段よりも静かなプラーナが流れ、2時間の瞑想もいつもより早く感じられました。
このように、ヨーガの仲間と集える場所があることに深く感謝し、今年は自己実現という大いなる目標に向かって一日一日、ひいては一瞬一瞬をアートマンに留まれるように努力していきたい所存であります。
そしてその内面の充実が、ブログにも反映されたらと思っています😁
本年もブログ「ヨーガを生きる」をどうぞよろしくお願い致します🐓

飯尾洋平


ヨーガ・ヴィハーラの瞑想会 曜日と時間について

今年の夏は去年よりはマシかな〜なんて思っていたら……そんなことはないですね。毎日めっちゃ暑いです!

さて、ヨーガ・ヴィハーラの瞑想会の日程について、変更があるのでお伝えします。

月曜日:毎週 18:30〜20:30まで (開場18:15)

土曜日:奇数週(第1、3、5)19:00〜21:00まで (開場18:45)
第5土曜日の開催が追加されました。

・どちらも2時間の瞑想になりますが、座るために軽くアーサナをしてもらっても良いです。(アーサナをメインにするのはご遠慮ください)
・途中でシャヴァ・アーサナをしてもらっても大丈夫。自分のペースで瞑想していただけます。
・途中参加もできます。(瞑想していますので静かに2Fに上がってきてください)
・ドネーション制で行っているので、良ければ階段横にかけてあるオレンジの入れ物に入れてください(値段は決まっていません)

最後にスワミ・ブラフマーナンダの言葉をご紹介します。瞑想には興味があるけれど、2時間なんてとてもじゃないと思っておられる方もいると思いますが、地道な努力によって必ず良い経験をするようですよ。今日から参加できますので、良かったらぜひお越し下さい!!

「最初、瞑想の実践は無味乾燥に思われるものだ。苦い薬を飲むのに似ている。無理矢理にでも神の思いを心に注ぎ込まなければいけない。続けているうちにやがて、心が歓びでいっぱいになるのだ。試験をパスするためには、学生はどんなに苦しい試練を経なければならないことだろう。神を悟るのはそれよりもずっと容易なことなのだよ!静かな心で真剣に彼に呼びかけたまえ」

 

 


瞑想の感触

瞑想をしているとき、「あー懐かしいな〜」という気持ちが湧いてくることがあります。そうなると、身体と心はじわーっと溶けていき、何もない静かな中で心底ほっと安心する感覚があります。安心の中にすっぽりと包まれているとそれは時とともにじわじわと歓びに変わり、歓びが身体の奥底から湧き出てくるのです。

瞑想のあと、このようになる時はどうしていつも「あー懐かしいな〜」という所から始まるのかな?と思っていました。懐かしいと思うということは、過去にそれを感じたことがあるからだと思うのです。心底安心するあの感覚、いったいいつ感じたのでしょうか。大人になってからではないな〜と思い、子供の頃かな?と思い出してみても特に思い当たることはありません。いつも不思議だなと思っていました。

以前、そのことをヨギさんに尋ねたことがありました。

「そのような体験はあたかも身体の中から、中心から泉のようにやってくるものだと思います。そのほっとしたような懐かしさのような心地良さというものが感じたということは、それはもう取りも直さず自分自身の本当のふるさと――それはアートマンの存在そのものですよね。そこから万物が派生したから。本当の故郷をちょっと感じたということになる。だからまたそれを瞑想するときには、それを手がかりとしてもっていくのはかまわない。集中、瞑想は心の力を使ってやりますから、だからそれをもって行なうのはかまわない。でもそれにあまりこだわり過ぎないで、静かにそういう思いに沈潜していったときに忘れてしまったら、それは自動的にまた進んでいくことになりますから、それでいいです」

今でも瞑想に座るとき、その感触が身近に感じられる時はそれを頼りに瞑想することがあります。本当は、瞑想している時だけでなく、いつもいつもずっとあのようにいられたらな……と思ってしまいます。

夕立の後の鴨川、とても蒸し暑いけれど、川の近くは風が気持ちいい。

夕立の後の鴨川、とても蒸し暑いけれど、川の近くは風が気持ちいい。

 

 


夏の瞑想合宿ータカフミ編

こんにちは。ブログ初投稿の國友隆史です。
京都では梅雨入りしましたが、すぐに夏がやってきますね!今年の夏は暑いそうです!そして夏といえば7月に夏の瞑想合宿があります。私も瞑想合宿に参加するのですが、今回は自分がヨーガを始めた頃の瞑想体験について寄稿したいと思います。

ヨーガを始めてから毎日1時間ぐらい座ることを続けてきて、座るということに心身ともに少しは慣れてきたのですが、瞑想の姿勢で座って静かに過ごしていると、自分の内側にある喜びを感じるようになってきました。そして忙しい日常からいったん距離をおいて、自分の思いを見つめることができるようになっていきました。

ある時期、自分はこの人生に何を求めているのか、どう生きていきていきたいのか、ひたすら瞑想したことがありました。おおよそ1年ぐらいは取り組んだのですが、そのなかで気づいたことがあります。
それは、この世界で特に何かをしたいということがないこと、自分の心の状態も毎日変わるし、当てにならないということでした。そして自分の人生を振り返ってみた時、心の奥底ではいつも絶対に壊れない至福を求めて、これまでの人生を過ごしていたのだなあと実感させられました。この思いをヨーガの実践を通じて、もっと純粋に具体的にしていけばいいのだと確認することができ、ホッとしたことを覚えています。

瞑想は心を使って行ないますので、その風景や感触は十人十色だと思いますが、その実践には心を内側に向ける集中が専ら必要になります。普段は外側のことばかりに終始しているので、その集中力を呼び覚まし開発するには、学びと訓練を継続することが必要だと言われています。
7月の瞑想合宿では、瞑想について基礎から学ぶとともに、実際に瞑想に座る実習時間も十分とって実体験を通して、瞑想の感触を体感していくようです。私は合宿は初体験ですが、もう一度一から学ぶつもりで参加したいと思っています。

瞑想が気になっている、あるいは瞑想に何かヒントがあるのでは思われている方、さらにはもっと瞑想を深めたいと思われている実践中の方も、忙しい日常からしばしの時間離れて、静かな空間の身を置いて、一から瞑想を学び、その世界をどっぷりと味わってみてはいかがでしょうか?

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近江神宮。夏の朝の清々しいプラーナの中で瞑想してみたい!

國友隆史


京都 瞑想会 

先日、京都のヨーガ・ヴィハーラで毎週月曜日に瞑想会をしていることをこのブログで紹介しました。この4月からは月曜日に加え、奇数週の土曜日にも開催することになりました。(5月は7日、21日)時間は19時〜21時の2時間です。月曜日は平日なので仕事の都合で参加できないという人も土曜日なら参加しやすいということで、月曜日の瞑想会とは違う顔ぶれがそろい、人数も少し増え、一緒に瞑想を深めています。どなたでも参加していただけますので、ぜひ一度参加してみてください。

今回は瞑想会に欠かさず通ってくれているOさんから瞑想会への熱い思いをいただきましたので掲載します。

神さまに逢える場所

去年の夏に瞑想会に参加しませんか~と先輩に呼びかけてもらって、春まで続いてきた。
1人で座るのもいいのだけれど、やはり人と共に坐ることの力というのを改めて感じている。

自分だけの取り組みでは、様々な日中の出来事を心が自動再生したりして、肝心の瞑想の対象に辿り着くこともなく、ただ何となくぼーっとしていただけ?という時間になってることもしばしばだった。

ところが、先輩方が用意してくださってる時間や空間は、何もなくスッキリとした、落ち着きのある雰囲気で、そこに入っただけで、或は思い出すだけでもほっとして、様々の思いなど勝手に離れてしまう。
あの神聖な空間にふさわしい自分でありたい、と注意しながら生活するので、瞑想に入りやすい状態を普段から保てるようにもなってきたのだと思う。

そして、この春にはついに神々のタペストリーが壁に掲げられた。
つい先日は、ナタラージャの新しい神像も置かれた。
浄らかなものと私たちは隔てられている。或は、自分でそれらと隔たりを作ってしまっている。
神が、真理が、浄らかなものが、どこにあるのか、どのようなものなのか、見たことがなければ、想像することなどできない。

神さまはみんなのものだ。
浄らかさとは、みんなのことだ。
そしてソレは、ワタシの中にもきっとある。

私たちは師から「あなたはソレです」と教えていただいた。
本当の自分に目覚めること。ソレを目指すこと。ソレになること。

神さまと一緒になって遊びたい。
それを実現するための、神さまに逢える場所。

みんなで一緒にそれを味わえる瞑想会に一人でも多くの方と共に坐ってみたい。

ヴィハーラの2階 シヴァ神の絵

ヴィハーラの2階 シヴァ神の絵


四の五の言わずにやってみる!

瞑想を始めた頃は、ほんの5分間でも座るのが難しく感じるものです。座って眼を閉じた途端に心がざわめきだし、体はそわそわしだします。不思議なことです。ただ座って眼を閉じて、心を集中させるだけなのに、そんな単純なことができないなんて!

町家瞑想
長岡京クラスー神足ふれあい町家にて

心と体は動くことが仕事だから、何もせず静かに座ることには耐えられないのですね。だから瞑想は闘いになります。じっと座っていたら体はあちらこちらが痛くなり、「もうやめようよ」と不平を言い出します。心は雑念の嵐か睡魔に襲われ、「今日は調子が悪いからもう止めて、明日頑張ろう」と言い訳を始めます。

そんな体と心が黙るには少しばかり時間がかかるかもしれません。しかし思い出してください。何のために瞑想しようと思ったのか!それはこの心の動揺や不安、苦悩を無くしたいからに違いありません。そしてヨーガの境地を味わいたいからでしょう。

ずーーーーっとほったらかしにしてきた体と心が、毎日淡々と黙々と瞑想を続けていくと、次第に静まっていきます。何だか生活に役立ちそうなヨーガの教えを学んでも、頭だけの知識では一時の気休めにしかなりませんが、瞑想はその知識が指し示すところの境地ー空っぽで自由な境地に導いてくれます。それを加速させてくれるのがヤマ・ニヤマやアーサナになります。全部つながっていて、本当にヨーガは科学的なのですが、その通りやれば深まっていくことに気付くのはずいぶん経ってからかもしれません。

前回の記事でサティヤーがヨーガ・ヴィハーラでの2時間瞑想のことを書いてくれました。2時間座るのはまさに闘いですけれど、習慣になれば喜びに変わっていきます。静かな瞑想の流れが心にしっかりと刻み込まれることでしょう。もし「やってみたいな!」「すごいなあ!」と思うなら、「自分にはまだ早い」「しんどそう」など、四の五の言わず自分もやってみたらいいと思います。やってみないことには始まりませんから。週1回やるだけでも心が定まってくるなら、毎日やればもっといいに違いありません。

ヨーガを始めた頃「時間は自分でつくり出すものだ」と教わりました。長い時間座ればいいものではありませんけれど、しっかりと瞑想するなら、やっぱり1時間、できれば2時間くらい座るといいと思います。座法が瞑想に導いてくれます。過去の聖者たちの伝記を読むと、日々8時間や16時間瞑想していたと記されていて、「え〜〜!」と絶句した記憶がありますが、古のヨーギーたちは凄いものですね。でも、彼らにできて我らにできないはずはありません。5分が10分になり、10分が30分になり、さらに1時間、2時間・・・と心はもはや時間を忘れて瞑想の流れの中で自分自身に深く深く潜っていくことになるのでしょう。

MYMでは、4月から大阪で瞑想クラスが新たに始まり、東京でも瞑想専科が始まります。瞑想はヨーガの主たる修練ですから、ぜひ深めていってください。

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春から始まる大阪瞑想クラス

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東京で始まる瞑想専科

明日は春分!悟りの彼岸を象徴する日です!心機一転するにはとってもよい季節ですね。

サーナンダ


毎週月曜日 ヨーガ・ヴィハーラでの瞑想会

みなさん、毎週月曜日の夜18時半〜20時半まで、京都のヨーガ・ヴィハーラで瞑想会をしているのをご存知でしょうか?瞑想会はクラスではなく、瞑想したい人が自主的に集まり、2時間黙々と瞑想をする会です。

ヨーガ・ヴィハーラの扉、この扉を開けが2階で瞑想会は行われています。

ヨーガ・ヴィハーラの扉、この扉を開けが2階で瞑想会は行われています。

この会は2人のヨーギーの熱い気持ちによって2013年の夏から始まりました。

でも実はこの2時間の瞑想会、さかのぼること16年前の2000年から存在していました。その後、瞑想会は2008年頃から形を変えていきます。1時間の瞑想の後、参加者でヨーガの学びを深めるサットサンガをしたり、2012年頃にはヨーガ・ヴィハーラを飛び出し、外の会場を借りて瞑想を学ぶクラスが出来ていきました。黙々と2時間瞑想をする「瞑想会」というものは6年間存在していなかったのです。

2013年のある日、一緒に食事をしていたYさんとKさん、この二人は2000年から瞑想会に通っていた2人なのですが「最近、瞑想できてる?」という会話から2時間の瞑想会を懐かしむようになったようです。そして、再び2人で瞑想会を復活させることを計画しました。誰も参加しなくても構わない!2人だけでも続けていく!それはとても強い情熱でした。

Kさんは6年ぶりに2時間の瞑想会に参加した感想を「うれしくて、うれしくてたまらなかった!」と話してくれました。

瞑想会を始めた2人ヨーギーYさんとKさん

瞑想会を始めた2人ヨーギーYさんとKさん

そんなKさんに2時間瞑想の醍醐味を聞いてみました。
はじめは、一人だと5分も座ることができなかったKさん、瞑想会に参加し、先輩の中で見よう見まねで座っていたと言います。アーサナクラスと一緒で会の間は勝手に途中でやめることはできないし、みんなが一所懸命瞑想していることが励みになり、少しずつ集中できるようになったと話してくれました。今は2時間座ることに苦痛はないと言います。「座る」ということはできたけれど、瞑想は内容が大切!!毎週通うことで瞑想の流れができ、自分の軸ができてきたと言います。
そして、瞑想ができるようになりたい人はとにかく一度参加してみてくださいと話してくれました。

瞑想に興味がある方、よかったら一度参加してみませんか〜?