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「The Eternal Questー永遠の探求ー 」ダイジェスト完成!

早いもので今日から12月、今年もあと1ヶ月ですね!

今ここで生かされていることに感謝するとともに、日々思いを残さないよう、残りの人生、瞬間瞬間を大事にしていこうと改めて思います。

さてさて、今日はマハーヨーギー・ミッションの映像部門、Paramahamsa Picturesよりお知らせです!

昨年公開した映像「The Eternal Questー永遠の探求ー」のダイジェスト版が完成し、本日公開しました!!!

2015113日に京都国際交流会館にて公演された「The Eternal Questー永遠の探求ー」。その本編は30分程ありますが、このダイジェストは1分という時間の中で、エッセンスだけを凝縮し、本編全体を象徴的に表した素晴らしい内容に仕上がっています!

冒頭からその世界観に心は釘付けとなり、見終わる時にはこのまま本編が見たくなる!そんな流れを感じられると思います!

このダイジェストを、構成から細部に至るまですべてディレクションしてくださったのは、なんと私たちの愛するヨギさんです!!

現代日本において悟りを実現された類稀なるサットグル、そのお方自らによって生み出されたこのダイジェストを通して、真実の実現、神と一つになるという、唯一の人生の目的ーー永遠の探求の目的地へと共に歩む仲間がますます増えることを、心の底から願っています。

悟りは誰もが実現することができる!とヨギさんは言われます。ヨギさんがそう約束されているのですから、必ずそれは果たされる!そこに疑う余地はありません!!私たちもヨギさんがいらっしゃるこの命で、それを実現しようではありませんか!!!

そして、一切皆苦のこの世界を神の歓び・至福で満たそうではありませんか!!!!!! JAI!!

おおおーーっと、ついつい熱くなってしまいました汗😅

まだ本編を見ていない方はまずこのダイジェストから!そして本編を見られた方もぜひぜひダイジェストご覧になってくださいね~!

あっ、ミラバイさんがインスタにもあげてくれていますので、皆さま色んな方へご紹介お願いします~。

ヨギさんへ、最大の感謝と愛と私を捧げます。
Lord! Take me quickly!!
マーダヴィー


掃除の心得

先日、マハーヨーギー・アーシュラマでサットサンガが開かれ、前回のブログには参加した方の素晴らしい感想が多く寄せられていましたね。
覚者であるシュリー・マハーヨーギーと今生で出会うことが本当に吉祥なことなのだと、皆さんの感想を通して感じられ、たいへん感動しました。
私の職場の方もこのサットサンガに参加し、その後少しだけ話ができたのですが、「あの空間にいれたことが、本当によかった。ヨギさんは質問に対して、とても真剣に考えてきちんと答えてくださり、それに驚きました。どんな方に対しても平等に接せられていると感じました」と嬉しそうに話していました。

ここ数年は、サットサンガの会場が変わったこともあって、マハーヨーギー・アーシュラマに集うことが少なくなったのですが、「もっとアーシュラマを活用していこう!」という思いで、先月の9月1日は京阪神のグルバイが集ってアーシュラマのお掃除をさせていただきました。(その時の様子はこちらのブログにて⇒『アーシュラマの集い』
その際、先輩グルバイのシャーンティマイーさんから「掃除の心得」を教えていただきましたので、ご紹介させていただきます。

「掃除で物を移動させても、物はあるべき所にきちんと戻す。単に清掃するのではなく、場のプラーナ(気)を乱さないということ。自己流ではだめ。そのためには落ち着いて掃除をすること」

シャーンティマイーさんは、アーシュラマで掃除を始めた頃、掃除で物を移動した際、その位置が変わっていて、シュリー・マハーヨーギーは何も言わずに元の位置に戻され、シャーンティマイーさんはそのことを何度か目にし、ハッとさせられたそうです。
私自身もアーシュラマのお掃除をして何度か元の位置や角度とは違う置き方になっていたことがあり、改めてこの掃除の心得を教えていただいて、心を落ち着けて集中して掃除に取り組むように心掛けました。
そのためか2時間の掃除はあっという間に過ぎ、終わった後はとっても清々しい気持ちになっていました。
それは私だけではなく、掃除をした方が一様に言っていました。

もともと私は掃除することは嫌いではなかったのですが、このアーシュラマでのお掃除からは普段の掃除が何だか楽しく、楽に行なえるようになっていて、心身が軽快になっているのに驚きました。

掃除は日常の身近で地味な行為です。
でも心持ち一つで、場もそして人の心も浄化する、奥が深い行為だと感じさせられました。
単純ですが、「掃除って、すごい!」と実感させていただいたアーシュラマでのお掃除とその心得でした〜!

ゴーパーラ


アーシュラマの集い

9月も下旬になり、秋風が心地よい季節になりましたね。
爽秋の候、いかがお過ごしでしょうか?
 
ところで、まだ残暑が続いていた9月1日、京阪神のグルバイ(ヨーガの仲間)がアーシュラマ(僧院)に集いました!この日は、師のニューヨークからのご帰国前に、アーシュラマを掃除してお迎えしたいという思いで、マハーヨーギー・アーシュラマとプレーマ・アーシュラマの二班に分かれて、両アーシュラマのお掃除をさせていただきました。(参加者はマハーヨーギー・アーシュラマは11名、プレーマ・アーシュラマは10名の計21名)
マハーヨーギー・アーシュラマでは、お掃除が初めての方もおられる中、先輩グルバイから場のプラーナを調えるヨーガ的お掃除の心構えなどを教わりながら、一階と二階、玄関やお庭のお掃除に取り組みました。
プレーマ・アーシュラマは礼拝室、玄関周り、縁側・庭の雑草引の他に、土手の清掃・花壇の手入れをしました。
 
 
午前の掃除後は、丹波で農業をしているグルバイのお野菜を使って、料理班が作ったお食事をプラサード(神のお下がり)としていただきました。野菜の味わいが存分に生かされたお料理が本当に美味しく、その流れでヨーガ談義に花が咲きました!最近の瞑想の取り組みや、大切にしている師の教えなどを一人一人が話していき、あっという間の楽しいひと時でした〜
 
 
 
プレーマ・アーシュラマでは、ニューヨークに師と5日間滞在した桜井さんの話を聞きたいとの声が多く、その時の話を聞き、その流れで、師の日常の過ごされ方や教えなど各自が今も強く残っているニューヨーク滞在時の導きを話していき、学びも多く、楽しい会になりました😄
 
 
今回参加したグルバイからは、「掃除の素晴らしさ、アーシュラマを大切に守っていこうという気持ち、グルバイ同士の交流が与えてくれる勇気。師からいただいたそういったさまざまなものの有難さを再確認できた良い1日でした」という感想がありました。
サットサンガやクラス以外の時間でゆっくりと話す機会が意外と少なかった京阪神のグルバイですが、今回の集いを通じて、共同してお掃除をしたり皆でお料理をいただくことで、グルバイ同士の親しみが芽生えたり、より深まったように感じました。
また、このようにアーシュラマの集いができればと思っています!
 
 
ゴーパーラ

一点の光

家族や職場の様々な問題を解決するために、ヨーガに救いを求める人は多いです。ヨーガを実践していくと、不思議なことに、四面楚歌のような状況が打開され、凝り固まった心がいつの間にかほぐされ、一筋の道が見えてくることがあります。

今回、大阪のプレーマ・ヨーガ・サークルで活動されている尾崎さんが、日々のヨーガの実践について寄稿してくださいましたので、ご紹介させていただきます。


昨年の秋、家族が心と体のバランスを崩してしまい家からも出られなくなりました。その時、私は家族にとって何がよいことかを考え実践しようとしましたが、心配事が尽きず、ずっと緊張状態でいたので、疲れ果てる毎日でした。

そんな時、「ヨギさん!」と何度も心の中で繰り返しました。そうするとヨギさんの笑顔が浮かび、呼吸が上手くできていない事に気づくのでした。フーッと深く息を吐くと緊張でガチガチになっていた肩の力が抜けて、途端に安堵感に包まれました。そうしていくうちに、次第にどの様な結果がやってきても気にならなくなっていきました。目の前が真っ暗になってしまった私の狭い世界で、ヨギさんは一点の光でした。その光を見失わないように、必死でヨギさんを思い続けました。

そして、今年の春の祝祭の日、私は参加出来なかったのですが、少しでもお祝いの気持ちを届けたいと、ヨギさんに思いを寄せていました。その時、目に入ってきた日陰で咲いた桜にとても美しい生命力を感じた瞬間、「もっと純粋になりたい!」そんな強烈な思いが湧き上がってきました。それは、家族の為に何ができるのかと、瞑想を続けてきた私へのヨギさんからの答えだと思いました。ヨギさんの祝福はいつも分け隔てなく降り注がれている!それに気づくかどうかは自分次第なのだと改めて教えていただいた気がしました。

家族は上向き調子に良くなってきています。私も、暗闇から抜け出し、相手にとって良き事とは何なのかを深く考えられるようになってきました。私は心配の余り当事者の苦しみを自分の事と感じてしまっていたのです。相手の立場に立って考えるのではなく、相手と同化しようとし、依存していたのでした。家族に対して行なっていたのに「私」が主語になっていたことに気づくことができました。「ヨーガを学んでいる私がどうにかしなければ」と驕っていたのでした。

家族と暮らしながら、家族への執着を放棄することは無理だと思っていました。しかし、それは間違いでした。放棄するのは形ではなく、心の方だったのです。私は私、家族は家族。そこからは識別と放棄の日々が始まりました。見守って、寄り添って、必要な時は手を貸す。そこに私のエゴはないか、本当に相手にとって良き事か行為する前に一呼吸おいて識別し、放棄する。手を貸すことは簡単だからつい手出し口出ししてしまう。それがエゴであっても行為をした満足感を喜びと勘違いすることもある。ほとんどがそんな失敗の繰り返しでしたが、以前よりは相手の気分に振り回されずに行為できるようになってきました。

一時は落ち込んで、疲れ果てて何のサーダナ(修練)もできずにいましたが、ヨギさんという光を見失わずにいられるのは、ずっと私を励まし、光のもとへ引っ張ってくれたグルバイ(兄弟姉妹弟子)の存在があったからです。それもまたヨギさんが与えてくださった祝福なのだと思いました。この降り注がれる祝福に気づく人がもっともっと増え、真理という一点の光を見つけることができるならどんなに素晴らしいでしょう!
「純粋になりたい!」という思いは、身近な家族を超えて、もっともっと広い世界に私を導いてくれるのかもしれないと思いました。

尾崎恭子


ブラゴパーラvol.7 「化野念仏寺 小野篁」編

残暑お見舞い申し上げます。
まだまだ暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか?
お盆ということで、お墓詣りに行く方もおられるかと思います。
そこで今回のブラゴパーラは、京都嵯峨野の「化野(あだしの)念仏寺」に行ってきました〜😎

八千体を数える石仏・石塔は、あだし野一帯に散乱した無縁仏の石仏を明治中期に地元の人々の協力を得て集められ、極楽浄土で阿弥陀仏の説法を聴く人々になぞらえ配列安置されているとのことです。
古くからこの京都では、北の「蓮台野(れんだいの)」、東の「鳥辺野(とりべの)」、西の「化野(あだしの)」三大葬地だったそうです。

巨大なストゥーパ(仏塔)もありました。

ところで今回、化野念仏寺を訪れたのはお盆ということもありますが、「ある人物」の存在が浮かび上がってきたからです。
前回のブラゴパーラでは六波羅蜜寺を訪れましたが、そこは東の葬地「鳥辺野」の境目に位置していました。
そのすぐ近くに六道珍皇寺というお寺があり、そこは「小野篁(たかむら)」という人物が閻魔大王に仕えるために冥土通いをしたといわれる入口の井戸と、彼が彫ったと伝えられる閻魔像がありました。
また今回訪れた西の葬地「化野」の境目には薬師寺というお寺があり、そこには出口の井戸跡と、彼が彫ったと伝えられる地蔵菩薩像(閻魔の化身)がありました。(井戸があった福正寺はなくなり、近くの薬師寺に併合)

冥界への入り口の井戸(六道珍皇寺)

そして、ブラゴパーラvol.2で訪れた「千本ゑんま堂(引接寺)」は、北の葬地「蓮台野」の境目に位置し、ここは小野篁が閻魔像を彫って本尊としたお寺でした。
このことから、小野篁という人物が京都の三大葬地すべての境界に関係していることが見えてきたのでした。
つまり、京都の地理上での「この世(此岸)」「あの世(彼岸)」狭間に、小野篁の所縁の地があるということです。

by saci.

では、小野篁とはどういう人物だったのでしょうか?
小野篁の生没年は平安時代前期の802〜852年。かの有名な弘法大師空海(774〜835)と生きた時代が重なっています。篁は空海とも関わりのあった嵯峨天皇と親交があり、遣唐副使にも任ぜられましたが渡航せず、遣唐使の事業を風刺する漢詩を作り、それを読んだ嵯峨天皇は激怒し、流罪になります。許された後はさまざまな官職を経て参議に至っています。その博識、詩才は世に重んじられ、『令義解』の序文の執筆、『古今和歌集』にも和歌が入集し、百人一首の一人(参議篁)にもなったほどの人物です。
そして伝説では、昼は宮中に赴く官僚、夜は冥府において閻魔大王に仕え、冥界を行き来する神通力をもっていたとされています。ちなみに身長は六尺二寸(188㎝)の巨漢であったそうです。

閻魔大王に教えを請い願う小野篁。

天皇にも反発するほどの気骨と、また優れた文才をもった小野篁ですが、冥土通いをして閻魔大王に仕えていたという伝説を、皆さんはどう思いますか?
後世の人たちの創作もあるように思いますが、この伝説の背後から見えてくるもの、それは「閻魔による救済」であると私は感じます。
いつの時代も国でも、「人は死んだらどうなるのか?」という死の謎、恐怖と不安を取り除くことが大きなテーマであり、それに向き合ったのが宗教です。
一見すると、恐ろしい形相の閻魔は、死や死後の世界の恐怖を喚起する存在のように感じてしまいます。
しかし、閻魔は「死を司り、支配する王」です。
人は死んだらどうなるのかという「輪廻転生の理」を知っている者、つまり「真理」を知っている存在ということです。
葬送の時、この世とあの世の境で閻魔、並びにその化身である地蔵菩薩を拝することで、死者やその親族、これから生きていく者は、閻魔の形相や地蔵菩薩の慈悲に引き込まれるようにして真理やその教えに誘われたように感じます。

「野宰相」「野狂」という異名をもつ小野篁ーー大きなお墓を作ったり十分な供養ができなかった民衆の心の救済のために、彼岸への誘いの手助けをした本物のお役人、そして閻魔を見神した隠れた宗教者だったのでは👀と私は感じました。

ゴーパーラ


ブログ「ヨーガを生きる」からのお知らせ

暑中お見舞い申し上げます。
連日猛暑が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

先日、8月1日に私たちの師シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサの貴重な映像がYouTubeで配信されました。(映像はこちらから👈)
私はこの映像を見ると、暑さも忘れて師のお姿に見入り、瞑想的なムードに誘われました。
この映像は師のヨーガダンダ・アーサナから始まりますが、私は改めて師の座法のお姿ーーシッダ・アーサナ(達人の形)の美しさと堅固さに驚かされました。
古今東西、歴史を振り返っても、これほどまでのシッダ・アーサナをされる聖者・覚者はいたのだろうかと思うほど、そこに完全さを感じずにはいられませんでした。
師の偉大な存在と導きに、心より感謝致します。

さて、今回はブログ「ヨーガを生きる」からのお知らせです。
このブログは2014年からスタートして、はや5年が経ちました。
その間アップした記事の数、なんと「586」👀‼️
そんな膨大な数になったブログ記事を、今回新たにカテゴリー分けしました。
過去の記事も読み返しやすくなったと思いますので、お盆休みで時間のある方、また仕事の方もその合間に見返してみてください〜📖

ブログ「ヨーガを生きる」は、師シュリー・マハーヨーギーの弟子である私たちが書いていますが、その動機は「師のヨーガの教えを私たちが生き、一人でも多くの方にヨーガを知っていただいきたい」という、その思いに尽きます。
まだまだブログの認知度は低いですが、これからも地道にアップしていきたいと思っています。
目指すは、ブログ記事「1000」😁👆
今後ともどうぞよろしくお願い致します。

京都嵐山

ゴーパーラ


サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ初公開映像YouTubeリリース!!!

私たちの最愛の師、サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサの映像と写真、教えで構成された非常に貴重な初公開映像*が、ニューヨーク、マハーヨーギー・ヨーガ・ミッションのProject Sahasrara(プロジェクト・サハスラーラ)から、本日8月1日にリリースされました!!!!!  *英語、字幕:日本語、スペイン語、中国語

皆様に、心からの歓びをもってご案内させていただきます。

NYミッション・ブログをご覧ください!→Project Sahasrara

*可能ならYouTubeの全画面設定で視聴してください。

ここに本物のヨーギーがいる!生と死の秘密、深淵なる魂の秘密を解き明かし、絶対無二なる実存に目覚めた存在。永遠の真理そのもの、純粋な愛そのものが人の姿をとられた存在。

1976年にマハーヨーギー・ヨーガ・アーシュラマが設立されて以来、ひと時も休むことなく、人生に救いを求める人、道を求める人々に教えを授け、導き続けてこられた偉大なヨーギー!

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ!!!

ついに公開の日を迎えました!!!本当にこの映像が公開されて嬉しく思います!シュリー・マハーヨーギーの尊い足跡と教えが、聖音とともに魂の扉を開き、真のヨーガへと導きます。人の本性は自由であり、永遠に祝福されている!永遠の真理、永遠の存在がここに示されています!多くの人の元に届けられますように。

現代に生きるヨーギーがいることを、一人でも多くの道を求める人に知ってほしい!その存在と教えに触れて、光明を見出し、真に自由な本性に目覚めてほしい!尊い命の喜びを謳歌するために!このかけがえのない貴重な時間を無駄にすることなく!そのような思いをもってこの映像は公開の日を迎えました。

これまで私たちは、師の貴重な映像や写真を非常に大切にし、管理してきました。師その御方と同じように大切に扱うように心がけてきました。今回の映像も、最大限大切に扱われるように心がけたいと思います。

だからこそ、今回の映像は一人でも多くの人に届けるべく、広く共有していきたいと思います。真実のヨーガを求め、真正のヨーギーの導きを求める魂たちは世界中にいます!私たちのすぐ傍にもいるかもしれません!熱い思いは時空を超えて伝わっていきます!それが私たちの役割です。

シュリー・マハーヨーギーの存在から放たれる聖なる千の花弁―サハスラーラの無量の聖光が、三千世界の隅々まで、時間も空間も超えて、あまねく一切を照らしますように!!!

オーム・タット・サット オーム!

サーナンダ

 


ヨーギーさんゆかりの地~福岡探訪~

梅雨入りしてジメジメとした空気が続きますが、心はいつも晴れやかでいたいと思う今日この頃です。

 ところで、ヨーギーさんが幼少時代、福岡市に住まれていたのをご存じでしょうか?

先月の福岡クラスの後、グルバイの綾子さん、岩城さん、わたくしヨーガダンダで、ヨーギーさんがお暮らしになっていた街を探索して参りました!

 この日のヨーガ瞑想クラスは、いつもの会場が使えず千代体育館を使用することになりました。夜勤明けの方や、クラス後に出張で東京に飛ぶ方など、忙しい生活の中で疲れが溜まっておられるようでしたが、アーサナを行なっていくうちにプラーナが蓄えられていって、瞑想時には完全に充電された様子でした。

千代体育館を出ると、辺り一帯は博多祇園山笠の準備で活気に溢れていました。地元民で福岡クラス常連のY子さんが、解説しながら案内してくれました。山大工の方々の話も聞けて、一年に一度のこの祭りにかける意気込みが伝わってきました。

 さて、いよいよヨーギーさん縁の地に向かいます。実は13年前にヨーギーさんが福岡でサットサンガをされたことがあり、その時に同行させていただく機会がありました。畑だった区域は高級住宅街に変貌し、ヨーギーさんの旧住家だった場所には大きなビルが建っていました。今回もその時の記憶を辿りつつ行き着いた先には、13年前と同じ大きなビルが建っていました。

 次にヨーギーさんの母校である高取小学校へ。ヨーギーさんと訪問した折りには、女性の校長先生が応対され、50年ぶりに母校を訪ねられたヨーギーさんに深く感銘を受けたご様子でした。後日、校長先生から送られてきた手紙には、「いじめ、不登校、不祥事・・・・・・と日々の暗い話題の中で、一服の清涼剤のような出来事で、感謝の気持ちで一杯です」、「お話を伺いながら心のやわらかさを感じることができ、徳の高い御方だと確信しました」といった内容が記されていたのです。

さぁ、その校長先生はいるかな??と、おそるおそる職員室を覗くと、「どうされました?!」と若い男性の教員がこわばった表情で尋ねてきました。13年前の出来事を話すと、その若い教員はだんだんと心を開いてこられ、「その年は、私はまだ小学校6年生でしたよ」と笑顔で返してこられました。校長は3~4年の周期で異動するのが通例ということで、ヨーギーさんに感銘を受けた校長先生もすでに高取小学校を異動されていました。

左から、ヨーガダンダ、綾子さん、岩城さん

 もう一人、職員室におられた女性の教員は、「その師匠は本当に愛されている方なんですね!」と、感動した様子。次に、ヨーギーさんが遊ばれていたという紅葉山公園に行くことを伝えると、たまたま自転車で学校を出ようとしている生徒に案内するように頼んでくれ、3人はその子供に連れられた公園へと向かいました。

公園入り口には階段があって、かなりの傾斜を登っていきます。ヨーギーさんの時代にはなかったそうです。

 
頂上はかなり高い位置にあります。小学校低学年の子供にとっては、かなり広大な自然だったことでしょう。


今は舗装されて綺麗に整っていますが、ヨーギーさんが遊んでいた頃はジャングルのように木々が生い茂っていたそうです。

 この広々とした場所に来てみて、子供の頃のヨーギーさんが屈託なく、のびのびと過ごしておられたことを肌で感じました。ヨーギーさんが8才でアートマンの目覚めを体験されるのは、この後京都に引っ越されてからのことです。何の計らいもない、空っぽのような心の状態の時、突然真実の目覚めがやってくると、ヨーギーさんは教えられます。いつでも悟りがやってくるように、子供のような、空っぽの心でいたいとつくづく感じたのでした。

 ヨーガダンダ


識別とヴィヴェーカーナンダ(5)

「私ではなく、あなた」、それが宗教ならびに社会の理想であることを、前回のブログ(「識別とヴィヴェーカーナンダ(4)」)で見ていきました。
しかしそれについて、一つの疑問が湧いてくるかと思います。
「それは社会の中で実践できるのか?」という疑問です。
言い換えれば、「実生活の中でエゴをなくして、真理に生きていくことはできるのか?」ということです。

聖典を学び、アーサナと瞑想を行ない、食事を調えて、仕事を一所懸命する。自分自身のヨーガの歩みを振り返ってみて、そういう大きな括りの実践には慣れ、生活そのものは安定してきました。
しかし心は、過去の記憶が蘇ったり、日常の出来事の些細なことに執らわれたりと、いまだに波立ってしまいます。
そんな心の思いにストップをかけ、真理をあてがうーー「それは真の自己、永遠で完全で至福に満ちた実存なのか?」
瞑想をすれば、この移りゆく肉体や世界、心の感情、過去の記憶、その所有者であるエゴが真の自己、実在ではないことを理解し、その波はおさまったかのように思えます。
しかし、その波はまた押し寄せてきます。
幾千、幾万と輪廻して形成された心の傾向やエゴを放棄するのはそう簡単なことではない。
でも、それができない自分には何が足りないのかと感じずにはいられません。
忍耐なのか、それとも真理への情熱なのかーー

私はヴィヴェーカーナンダにその糸口を求めました。そして思ったこと、単純ですがそれは、

「ヴィヴェーカーナンダは大胆!」

ということでした。

「もし社会で非利己性の高貴な理想を実践することができないなら、人は社会を棄てて森に入った方がましです。それは勇敢な人です。二種類の勇気があります。一つは大砲に直面する勇気、もう一つは霊的確信の勇気です。
断固として真理を信ぜよ。断固として真理を実践せよ。真理、人生に断固としてその真理を示す、死を目の前にしても揺るがぬ、いや、死を歓迎し、人に彼が霊であることを、宇宙間の何ものも彼を殺すことができないということを知らしめる真理、その真理を直視する勇気をもちなさい。そのとき、みなさんは自分の真の魂に直面なさるでしょう」(『ギャーナ・ヨーガ』「人間の本性」)

自分を小さなエゴだと思うやいなや、肉体の快適さを求め、それを守ろうとし、そして死への恐怖がやってきます。
しかしヴィヴェーカーナンダは、「自分を弱くする迷信は追い払いなさい。勇敢になろうではありませんか。真の自己は、生まれもしなければ死にもしない、永遠に生きている、全能、遍在の霊なのです」と鼓舞します。

私は感じました、瞑想の中で真理をあてがうということではない、どんなときも真理に生きるという勇気、真理を高らかに宣言する力強さが必要なのだと。
一瞬一瞬、真理を直視し、高らかに「私ではなく、あなた」と理想を宣言する、そのヴィヴェーカーナンダのような大胆でダイナミックな歩みをしていきたいものです!!!

ゴーパーラ


どうしたら瞑想はできるようになる?

 大阪府を流れる淀川から分かたれた大川は、途中二手に別れて再び合流し、一つの島を作っています。中の島と呼ばれるその場所に、大阪瞑想専科が開かれる中央公会堂が建っています。
クラスが始まる19時頃、季節によってその様相は変わりますが、瞑想専科が始まった5月から夏にかけてのこの時間は、ちょうど夕陽が沈もうとするところで、とても美しく、大きなビルが立ち並ぶ、せわしない大阪市内とは思えない静けさがあります。

さて瞑想専科は、新コースが始まってひと月が経ちました。講師はサーナンダさん。毎回 10人ほどの参加者が集います。
講座では真理の教えを学べることはもちろんですが、サーナンダさんの体験談やサーナンダさんがこれまで師にお聞きした秘蔵のお話が聞けたりします。

「瞑想といっても、何から始めたらいいか分からない、どうしたら瞑想ができるようになるの?」
疑問をもつ参加者さんたちに、まずは座り慣れていくことにまさることはないとサーナンダさんは言います。
「最初は面白くないかもしれない。けれど何度も座っていく中で、日常では経験できない静けさに気づくと思います。雑念で揺れ動く心を静めていくので、初めは闘いのようでしょう。けれど心の雑念はほおっておくとだんだんと、動き回ることに疲れて静まっていくのです!」
サーナンダさんは中学生の頃から座禅を始め、毎日座って気づいたそうです。40分も座れば心が静まり、深い集中に繋がっていくということを。
ごく身近なことを例え話に用いて話される、おもしろくて深いサーナンダさんのお話は、確実に参加されている方々を引っ張っていっているようです。皆さん、ビシッと座っておられますね。
クラス後には「今日もすごく集中できました!」と生き生きと話されるお姿もあり、また「そんなことを言われてもと思わずに、やってみようと思えるようになりました」「家でも座っています」「心が軽くなりました!」という喜びの声も届いています。

最後に、ある日の会でのこと。
瞑想に限らず、何かをしようと思ってもできなくて落ち込んだ経験は多くの人がもっているかもしれません…… 
サーナンダさんがずっと以前に師(ヨギさん)にお聞きしたお話を紹介してくださいました。

サーナンダ「できなくて落ち込んだことはありますか?」
師「落ち込んだことは一度もない」

(さすがはヨギさん、できないことなんてないんだろうな〜)
すると……

師「できなかったことはある」
(えぇっ! そうなんだ。ではどうしたの?)

師「まだ今は自分にはできないんだと素直に認めた。そうして、どうしたらできるようになるかと考えた。そしてそれをやった。そうしたらできるようになった」

もしそれでもできなければ、あとはその繰り返しだけです、とサーナンダさんは続けられました。
シンプルなお言葉の中に、私たちの本来のあり方が示されたように感じ、心に響きました。

まだまだ入門コースは続きます。
途中参加もありです。ぜひ瞑想専科に心を静めに来てください!

シャチー

*大阪瞑想専科 毎週月曜日 
 https://www.mahayogi.org/classes/meditation_osaka
 京都瞑想専科も毎週木曜日、同内容で開催しています。(JR京都駅近にて)