聖者と教え」カテゴリーアーカイブ

聖人

お久しぶりです、皆さんお変わりありませんか?私は南相馬に来て3回目の冬を迎えています。私は変わりないですが、私の周りで変わったことと言えば、職場の定年がまた一年延びたことです。新しい人が入らないので、今いる人に長く働いてもらうしかないのです。去年も一年延びたので、今定年は62歳です。この地域の施設も同じような感じで、定年が65歳という所や70歳という所もあると聞きます。今の仕事を70歳までやるって…ちょっと想像できないですね。

ところで、タイトルに書いた聖人についてですが、カソリックの中でマザーテレサが聖人に認定されることになったそうですね。認定されるにはその人にまつわる2回の奇跡が必要だとか。もっとも、そういうことには本人が一番関心がないのかも知れませんけど。

そのマザーテレサですが、私は昔から彼女が好きで、ヨーガを始めてからずっと瞑想の対象にしていました。でもある時ふと疑問を持ったんです。紹介されたヨーガの聖者なら私の魂を導く確かな人だと信頼できるけれど、マザーはどうなのかと。確かに彼女は多くのシスターを導き、素晴らしい業績を残し宗教を越えて多くの人から讃えられている。私には一点の曇りもないくらい純粋に見える。でも、本当に純粋かどうかは人間の目ではなく、もっとずっと厳しい神の判断が必要だと言われます。瞑想の対象にするということは、私自身の霊性がそこに向かうということです。これはマザーテレサの問題ではなくて、私自身の魂の問題であり、私がこの世に生きる上で最大にしてたった一つの問題です。

そこで私は師であるヨギさんに聞きました。もう何年も前のことです。「私はマザーテレサを瞑想して大丈夫なんでしょうか」と。とても失礼な質問にも思えますが、私は0.01%の疑いも残したくはなかったんです。ヨギさんはすぐに「大丈夫です。彼女は本物です」と答えられました。そしてその後続けて理由を言われたのですが、それがちょっと意外に感じたのを覚えています。「なぜなら、彼女には矛盾がない」と。〝矛盾″だったか〝ぶれ″だったか〝揺るぎ″だったか忘れてしまいましたが、一本筋が通っている、変わらないそんなことだったように記憶しています。本物かどうかの基準っていうのは、そういう所にあるのかとその時思ったんですね。彼女はこれこれこういう境地にあるとか、私のような凡人には見ることも想像もできない霊的なことを言われると思ったからです。

考えてみれば、神は普遍で永遠ですから、神だけを見ていればすべて基準はそこにあり、その人は変わることもぶれることも矛盾が起こることもないんですよね。ヨギさんが今も昔もずっと同じであるように。本当にシンプルなこと。でもそれを実現している人は本当に稀。

そう言えば、もうすぐクリスマスですね。(なんだか取って付けたみたいですけど)マザーが最も愛したイエスキリストのご聖誕日だ…と私も思ってたんですが、実は12月25日は後からキリストを祝う日にと定められたもので、実際にお生まれになった日は新約聖書にも書かれていないんです。つまりいつなのか誰にも分からないと言うことです。それについて調べてみると、色々な根拠が書かれていました。「パレスチナでは12月は雨期でかなり寒く、聖母マリアの馬小屋での出産はかなり危険な行為となる。12月の誕生はありえません」ふんふん、なるほど。納得できる科学的な根拠ですね。でもイエスは奇跡の人。生まれる時からそんな奇跡を起こしていたのかも知れませんよ。

12月に毎年仙台で行われるイルミネーションイベント、「光のページェント」とっても綺麗です☆

12月に毎年仙台で行われるイルミネーションイベント、「光のページェント」とっても綺麗です☆

 ユクティー

 


笑い、泣き、踊り、歌う!

 

聖愛[あい]の山の 洞穴に

われ ヨーギーとなりて住み

歓喜[よろこび]の 泉の ほとり

深きヨーガの 瞑想[おもい]に入る

真理の木の実を たべて

智慧の飢えを 満たし

離欲の花を ささげて

主なる神の御足を拝す

思い[こころ]は高く 峰の白雪

清き御足の 甘露をのみて

笑い 泣き 踊り 歌う

以前にも紹介した『インドの光』の「ラーマクリシュナの愛唱歌」に記されているとても大好きな詩です。古代のヨーギーたちはヒマラヤの奥地の洞窟に住み、修行に勤しんだと言われていますが、たとえヒマラヤの奥地に行かなくても、誰ものハートの奥には聖愛の洞穴があるのでしょう。

もうすぐ、最愛の師の御聖誕祭です!

その日(11/23)は皆、清き御足の甘露をのみ、おおいに、笑い、泣き、踊り、歌うことでしょう!!!

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オーム・タット・サット オーム!

サーナンダ

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愛の詩 雨の夕暮れ

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雨雲が見える

黒い雲 黄色い雲 すべてが混ざり合い 雨が降り出す

水! 水! 私がどこに行こうとも 至る所に水がある!

乾いた大地は緑におおわれている

愛しいお方は遠く離れた土地に住む

私は独り 雨の中にびしょ濡れになる

あぁ 雨雲色の肌をした 永遠なる主よ

わが愛を満たしてください

ミーラー・バーイー

imageある日の琵琶湖の雨の夕暮れ。いろんな色の雲が混ざり合い雨が降る。日没時、その雲々は太陽に照らされ、鮮やかな彩りの見事な様相を顕す。

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詩は、バクタのハートから零れ落ちた愛の言葉です。人それぞれで感じ取ればいいと思うのですが、この詩を読むと、いつも私のハートは甘美な愛に酔いしれ、思考と呼吸は停止し、偉大なバクタ、ミーラー・バーイのハートに浸るのです。

サーナンダ

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サマリアの女

京都は暑そうですね~。私の方はと言うと…夜勤明けで、仕事中は急変もあって疲れ果て、帰宅してシャワーを浴びて夕方から翌朝までひたすら眠っていたのですが、朝方眠い目をこすりながら疲れた体を何とか起こして、どうしても我慢できなかったので、ある物を取りに行ったのです。私が取りに行ったもの、それは、なんと、毛布!!毛布ですよ!京都の皆さん。半袖短パンで寝ていた私は、寒くて我慢できなかったのです。寒い…???今夏ですけど。そうなんです、京都人の私にとって、ここの夏は涼しいんです。周りの人は暑くてヒーヒー言ってるんですけど。だからちょっと涼しくなると、私にとっては寒いんです。だからね、今日の晩御飯はアツアツのお好み焼きでした。美味しそうでしょう?えっ?いらんのっ?
お好み焼き
それでは、暑い京都の夏をお過ごしの皆様のために、今日は涼しいお水の話をしたいと思います。聖書に出てくる有名なお話、「サマリアの女」

イエスはシカルと呼ばれるサマリアの町に到着します。ヤコブ(旧約聖書の創世記に登場するヘブライ人の族長)がその子ヨセフに与えた土地の近くにあって、そこにはヤコブの井戸があります。イエスは長旅で疲れ、その井戸のほとりに座って休んでいました。昼頃のことでした。そこに一人の女が水を汲みに来ます。(普通井戸汲みというのは朝と夕の二回、涼しい時間にするのが習わしであり、真昼の最中、井戸汲みにやってきたというのは、彼女は人目を避けてやってきたということ。彼女は過去において五人も夫を替え、現在も正式に結婚していない男性と同棲していた。そのため、人々は彼女を白い目で見ていた)。

「私に水を飲ませてください」とイエスは女に声をかけます。「なんですって!ユダヤ人であるあなたが、サマリアの女である私に水を飲ませてほしいと頼むのですか?」と女は尋ねます。(サマリア人は、イスラエル人とアッシリアから来た移民との間に生まれた人々とその子孫であり、彼等はユダヤ人にイスラエル人の血を汚した者といわれ迫害を受けていた)。

イエスは答えます。

「もしあなたが神の賜物を知っており、また『水を飲ませてください』と言ったのが誰であるか知っていたなら、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えるでしょう」

女は言います。「あなたは汲む物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手に入れるのですか?あなたは私たちの父ヤコブよりも偉いのですか?ヤコブがこの井戸を私たちに与え、彼自身もその子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです」

するとイエスは言いました。

「この水を飲む者は誰でもまた渇く。しかし私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」。

女は言います。「主よ、渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもいいように、その水を私にください」

これは、師と弟子の出会いの場面です。あるいは、人が弟子となる瞬間を描いたものです。イエスが彼女に「水をください」と言った時、彼女は困惑し拒否します。でも、徐々に彼女の内面は変化していくのです。最後には「その水を私にください」と懇願しています。イエスは言葉によって、眼差しによって、存在すべてによって彼女の中に入り、彼女に祝福を与え、彼女の心を変えてしまわれたのです。彼女はイエスとの出会いによって、イエスが誰で、彼が何を与えるかを悟り、自分が何を必要としていたのかを知ったのです。そして自分から求めたのです。「あなたの愛をください」と。

イエスは弟子たちに言いました。「求めよ」と。そしてこの場面でも言っています。「あなたの方からその人に頼み、その人は与えるでしょう」と。だからまず弟子が求めなければならないということです。そうでないと、神の愛は無駄に流されていくだけなのです。神はそれが耐えられないのです。なぜなら、神は私たちを愛しすぎているからです。この場面はいつも私に問いかけます。

あなたはイエスが待っているその人になりますか?

 

                               ユクティー


アッシジの聖フランチェスコ

この記事を書いている今日は、7月5日です。この日に、どうしてもある聖者のことを書きたかった。アッシジの聖フランチェスコ。今日は、彼の御聖誕日なのです。
フランチェスコ

私がフランチェスコに関心を持ったのは、マザー・テレサが彼の生き方の影響を大きく受けていたからです。マザーは12歳の時にフランチェスコの伝記を読み、胸が震えるほど感動したといいます。そして生涯その感動を胸に留め、彼を敬愛し、自身の修道生活の手本としました。彼が作ったものではないですが、彼の精神を表したとされる「フランチェスコの平和の祈り」。「主よ、私をあなたの平和の道具にしてください。憎しみあるところに愛を。疑いあるところに信仰を………」という祈祷文、マザーは大好きでミサの後に唱えていたといいます。

フランチェスコといえば、鳥に説教したとか、人食いオオカミと人を和解させたとか、動物の守護聖人としても有名ですが、彼の生き方の軸となるのは、清貧。マザーの創設した修道院「神の愛の宣教者会」のシスターたちは、私たちの想像を遥かに越える、徹底された清貧の生活を送っています。マザーは理想を思いの中だけに留めるのではなく、それを現実に生きたことが今も証明されているのです。

では、どうしてフランチェスコは清貧に生きたのでしょうか。マザーが彼を模範としたように、フランチェスコはイエス・キリストを模範としました。彼は裕福な織物商人の息子として生まれましたが、不思議なことに母ピカは、彼をイエスと同様に家の馬小屋で出産したと伝えられています。青年時代は、散財家で仲間たちと享楽的な生活を送っていましたが、彼に精神的な変革が起こったのは19歳の時。功名心にかられ軍に志願し戦闘に参加した際に、病気になって軍から取り残され、病床で神の声を聞いたのがきっかけだといわれています。それにしても、聖者たちはよく神の声を聞いているのですね。

神は彼に尋ねます。「あなたにもっと恵みを与えるのは主人か、召使いか」「主よ、私に何をさせようとお思いなのですか」と彼が聞くと「家に帰りなさい。そこで何をすべきか教えよう」と神は答えました。アッシジに帰ったフランチェスコは、以前のように自然の美しさを楽しめず、友人との放埓な生活にも虚しさを覚えるようになり、時折籠って瞑想や祈りをするようになったといいます。

そして24歳の時、十字架の前で祈っていると再び神が語りかけてきます。「私の教会を建て直しなさい」。フランチェスコは朽ち果てた教会の修復作業に奔走するようになりますが、父親は息子の行動が理解できず、公衆の面前で勘当を言い渡します。ところが、フランチェスコはその場で着ている服を脱ぎ「すべてをお返しします」と言って父親に差し出し、自分の父は「天の父」だけだとして親子の縁を切ったといいます。その後彼は一人で托鉢をしながら教会の修復とハンセン氏病患者の看護など貧しい人々への奉仕に励みました。また、彼は街頭や広場に立ってキリストの教えを説き始めます。

このように彼が清貧に生きることを決意させたのは、イエス・キリストが12人の弟子たちを宣教に派遣する際に清貧を説いた「マタイによる福音書10章」の説教を聞いたことが転機になったといわれています。イエスはその中でこう教えています。「行って『神の国が近づいた』と伝えなさい。あなた方がただで受け取ったものはただで与えなさい。帯の中に金貨も銀貨も入れて行ってはならない。旅のための袋も替えの衣も履物も杖も、持って行ってはならない」と。ただちにフランチェスコは履物を脱いで裸足となり、革のベルトを捨てて縄を腰に巻きました。次第に彼に共感した人々が彼の元に集まり、彼らは「小さき兄弟団」として活動していくようになります。

フランチェスコは福音書でイエスが命じていることをそのまま実行し、イエスの生活を完全に模倣しようとしました。まさに「裸のキリストに裸で従った」のです。今、私たちは、彼があのような生き方を実践できたのは、あの時代だったからだと言うかもしれない。でも、本当にあの時代あの生き方が実践しやすい世の中だったかと言えば、決してそうではありません。

フランチェスコが生きた時代、聖職者や修道士が托鉢をしたり、司祭職の権限を持たない者が説教を行うことは禁止されていました。そして実際に、周りは彼を色物扱いしていました。フランチェスコが教皇に活動の許可を求めるためローマを訪れた時も、一切を所有しないという清貧や托鉢、宣教活動は異端として危険視され、実践困難だと枢機卿(すうききょう:カトリック教会で、ローマ教皇に次ぐ高位聖職者)たちは認可に難色を示したといいます。しかし、ある一人の枢機卿が言った一言ですべてが覆ります。「そのような理由ではねつけたなら、福音が実践不可能であるということになります。そうなれば、福音をお与えになったキリストを冒涜することにもなるのではないでしょうか」と。

イエス、ブッダ、ラーマクリシュナ、神の化身はただ夢や理想を語っているのではない。私たちに現実に教えを生きよと語りかけているのです。そしてその教えをそのままに生きようとした聖者の一人がフランチェスコなのです。聖職者たちが困惑するほど、彼は素直にイエスの生きたままを生きようとしていたのです。

この素直さ、ヨーガの聖者ナーグ・マハシャヤとかアドブターナンダとかにも通じるものがある…。ヨギさんも、弟子は素直、単純であることが大切だと言われます。ただイエスを愛しイエスになろうとしたフランチェスコ。彼のひたむきさ、素直さと一つになりたい。

ユクティー


愛の詩

KrishnaRadha

何者かが 私の眼を奪い去った!

あなたの身体 青黒い体中の産毛

その全てに恋い焦がれる

私が家にいると あなたがふと立ち寄る

あなたの顔は 月のように美しく輝き

その愛らしい笑顔に 私は釘付けになる

家族は低い声で「二度と彼に会うな!」という

しかし この眼はもはやあなたのものであり

愚かな世間を笑い飛ばす

世間の人が何を言おうとも

私はすべての重荷に耐えよう

ミーラーはいう

山を持ち上げる力なしに

この命がどうして生きながらえようか!

 

ミーラー・バーイーはどれほどの豊かな表現で主の美しさを讃えるのでしょうか?!
眼を奪い去られるほどのクリシュナの美しい御姿!

ラージャ・ヨーギーが生涯をかけた弛まぬ努力で獲得するその集中力を、
バクタは主の魅力ひとつで獲得します。
眼は主の御姿に釘付けになり、離れることはありません!

まことに恐るべきは、バクタの愛!

サーナンダ

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白衣の天使は神の声を聞いた

白衣の天使といえば、私……ではなく、ナイチンゲールですよね(すみません)。今日は彼女のことについて書きます。看護団を率いてクリミア戦争の現地に赴き、病院に運び込まれた兵士たちの死亡率をわずか3カ月で42%から5%まで引き下げた業績は伝説のように伝えられています。看護師として彼女はもちろん偉大なのですけれど、私が今日お伝えしたいのは、信仰者としての彼女の素晴らしさです。

「病人の大群がなだれ込んでくれば、24時間ぶっ続けで立ち働き、怪我人に包帯をするために8時間もひざまずいていた」と想像を絶するような記述もあり、まさに自己犠牲的精神の権化!といった感じですが、彼女自身は「白衣の天使」という優しく清らかなイメージの呼ばれ方を、あまり好んでいなかったようです。彼女は言います。

「天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者のことだ」

苦悩する者のために戦う者は、苦悩も全てその人たちと共にするものなのですね。その通り、彼女は生涯苦しみ抜いた人でした。苦しむ人たちのために、そして神のために。

看護師は、中世ヨーロッパにおいて低い身分の女子がする仕事でした。当時の病院は、今の病院とは比べ物にならないくらい不衛生。電灯はなく薄暗く、掃除はされず、トイレの設備もないため汚れが床にべっとり滲みついていた。汚物の悪臭が強烈で病棟に入った人は吐き気を催す。患者の体は洗うことなく汚れきっており、シーツは変えられることはなかった。看護婦たちと言えば、騒音もひどく、風も通らず光も当たらない、普通の人なら到底寝ることができない木の檻のような所で寝泊まりしていた。一人の看護婦がおびただしい数の患者を受け持ち、酒を飲み、男性患者と同じ病室で寝泊まりすることもあった。などなどすごいことが書かれています。

ナイチンゲールはとても裕福な上流階級の出身でしたから、彼女が看護婦になるということは、当時は考えられないことだったのです。もちろん彼女の両親は、「恥知らずだ!」とものすごく反対したんですね。そもそも彼女が看護婦になろうとしたのは、彼女が通っていた教会の慈善活動の一つとして病院で貧しい人たちのお世話をしたのがきっかけでした。でも、それだけなら単なる経験で終わったかも知れない。彼女はもともと贅沢で煌びやかな上流階級の生活や、そこにいる自分にずっと疑問を持っていたんです。「ここは私のいる場所ではない」と。そして病院での慈善活動を通して「私のやるべきことはこういうことだ」と思い定めるようになるのです。

「何千、何万の苦しんでいる人々の存在を思う時…農民たちの小屋という小屋には同情さえも受け付けない苦しみが満ちているのを目にする時…そうしてこの世は全て相も変わらず朝ごとに同じことを繰り返している。そしてこの彷徨える地球は、永遠の沈黙を守りつつ、何事もないかのように、これまた冷徹な星々の間をその単調な軌道の上を容赦なく回り続けるのです。こんなことなら死よりも、生きている方が一層侘しいというものです」

そういえば、ヴィヴェーカーナンダやマザーテレサも、一大決心をして行動を起こすきっかけは、こういった人々の惨状だったのを思い出します。

そしてナイチンゲールは、生涯のうちで神の声を4回聞いたといいます。最初は16歳の時。「1837年2月7日、神は私に語りかけられ、『神に仕えよ』と命じられた」とメモに書いています。神の声は、初めて病院の職に就く前やクリミア戦争の前など、彼女の人生のうちで特に重要な時に語りかけてきたようです。神の声を聞いたというと、マザーテレサも同じですね。おそらく、こういった出来事の前は、自分を究極まで追い詰め、苦悩の真っ只中にあったのだと思います。ナイチンゲールは、看護の道に進むことについて、ものすごく思い悩んでいました。看護師の社会的地位の低さ、そこに飛び込む葛藤、自分のエゴ。

「私はあらゆることを他人からの賞賛を得るためにやっている」と気づき、神からの言葉に応えるには、こういった自分の気持ちに打ち勝たなくてはいけないのだと感じていたんです。純粋な人ですね。「『ああ、神様、どうしてあなたは私を見放されたのですか』という以外に言葉もありません。私の人生は真っ暗闇です。このような取るに足らないことでどうして私たちはこんなに苦しまねばならないのか」と手紙に書いています。真剣に悩み壮絶な葛藤を通してエゴが消え、心が透明になった時、神は語りかけてきたのかも知れません。

でも、徐々に自分の葛藤を手放すような記述が見られるようになります。

「今日で私は30歳、キリストが伝道を始められた年だ。もう子供っぽいことはたくさん。人を好きになることも、結婚ももう結構。主よ、どうぞ御心のみを、私への御心のみを為してください。主よ、御心を。御心を」

葛藤が消え、神の命に応える準備が整っているように思えます。

そしてある人の言葉も彼女の生き方を後押しします。上流階級の若い女性が看護の仕事に一生を捧げることについてどう思うかという彼女の質問に、その人はこう答えます。

「それは確かに異例のことです。しかし私は『進みなさい』と言いましょう。もし、そのような生き方が自分の示された生き方だ、自分の天職だと感じるのであれば、その心のひらめきに従って行動しなさい。他者の幸いのために自分の義務を行っていく限り、決してそれは間違っていないということが分かってくるでしょう。たとえ、どんな道に導かれようとも、選んだ道をひたすら進みなさい。そうすれば神はあなたと共にあるでしょう」

彼女はその後、その言葉通り生涯を生きました。ナイチンゲールは、看護という職業で世の中に貢献したことで尊敬され讃えられています。けれど、神の言葉に応え、神の命を生きるようと必死に自分と戦い続けた、その愛と信仰こそが本当に讃えられるべきものなのではないでしょうか。彼女は私にとって尊敬すべきカルマヨーギニーであり、バクタなのです。

実は、ナイチンゲールは90歳という長寿を全うし1910年8月13日に亡くなっているんですが、その13日後の8月26日にマザーテレサは生まれているんですね。神はきっと甘美な劇の続きをまだ見せたかったに違いない。
ナイチンゲール

 

ユクティー

 

 


ヨーガの実践 「身・口・意の一致」

皆さん、こんにちは ダルミニーです。

以前、瞑想専科のクラスで薦められた、本願寺出版社の「ブッダ」を読んでいます。この本は絵本になっていて、一つ一つの教えが大変読みやすくなっています。ここで一つの教えをご紹介しましょう。

「三業(身・口・意)に悪をつくらず、諸々の有情をいためず、正念に空を感ずれば、無益の苦しみはまぬがれるべし」

難しいですね。

チューダパンタカはこの教えを覚えることができず、一緒に修行している聡明な兄から精舎を出ていくように言われて、呆然と門の脇に佇んでいます。ブッダは、悲しそうなチューダパンタカの手を取って精舎に連れて行き、「塵を払い、垢を除く」と唱えながら掃除をするようにと、箒を与えます。

それからのチューダパンタカは、ブッダの言いつけ通り、片時も休まず、「塵を払い、垢を除く」と唱えながら、掃除をするという行為を続けます。そうしているうちに、チューダパンタカは「心にも塵が積もり、垢が溜まる。塵を払い、垢を除けば、汚れた心も清浄になる。煩悩は垢、智慧は箒」と自らが気づいていくのです。

私たちも何か一つでもいい、師だけを思い、その教えを忠実に守り、心に唱え続け、その教えを生きるよう行為する。そうすれば自然と身・口・意は統一され、外側からの師の恩寵と自らの内側から輝く光によって、真実へと導かれていくのだと思いました。

師は説かれます。

常に、思いと言葉と行為を一つにしなさい。

身・口・意をもって真実に従うようにしなさい。

私たちにもすぐに実践することができますよね。

ブッダ

 

ダルミニー

 


多くを愛し多くを赦された人、マリア

シッダマールガでの聖者についての発表、興味深いですね。今日は私も、聖書に出てくる憧れの人について書いてみたいと思います。ちょっと長いけれど、お付き合いください。

マグダラのマリアとベタニアのマリア。初めて聞く名前だという人も多いかも知れません。聖書には何人かのマリアという名前の人物が登場します。マグダラ、ベタニアというのは地名です。昔は大半の人は名前しかなく、マリアという名前はとてもポピュラーでしたから、地名をつけて呼ぶことで区別していたようです。ただ、聖書に出てくる各場面のマリアが、どのマリアのことを言っているのか、よく分からないことも多いんです。とても曖昧なんですね。分かっているのは、マリアと呼ばれる聖書の登場人物は、多くが「罪深い女」だということです。「罪深い」とは何を意味するのかと言えば、はっきりした記載はありませんが、おそらく娼婦だろうと言われます。マリアの代表、イエスの母マリアは「純潔」の象徴でしたから、彼女と比べると対照的ですね。

それで、私の好きな二人のマリアですが、実は同一人物だったのではないかという説もあります。二人とも聖人とされており、マグダラのマリアはイエスの受難や復活に深く関係する人物で、聖母マリアの次に人気が高い。ベタニアのマリアは兄ラザロと姉マルタとともに登場し、イエスが最後の一週間ベタニアとエルサレムを頻繁に往復したのは、彼女たちがいたからだと言われ、それほどイエスは彼女たちを愛されていたようです。

私が彼女たちの何に惹かれるかと言えば、イエスに対して表す素直で単純な愛の行為です。では、彼女たちがどんな風に行為したか。彼女たちがイエスと関わったいくつかのエピソードの中から、ベタニアのマリアとイエスが登場するある場面での出来事について書いてみたいと思います。

ある日、イエスはシモンという人の食卓に招かれます。するとそこに一人の女がやって来ます。「この町に一人の罪深い女がいた」と書かれています。これがベタニアのマリアだろうと言われます。「この女は香油の入った石膏のツボを持ってきて、後ろからイエスの足元に近寄り、泣きながらその足を涙で濡らし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った」。なかなかフツーではないですね。完全に飛んでしまっている。そして、そこにいた人たちは思います。「この方(イエス)が預言者なら自分にさわっている女が誰でどんな女であるか知っておられるはずだ。この女は罪深い者なのだから」

当時汚れた者とは食事も共にできなかった。でも、イエスは彼女が自分の足に触れるのを見て、拒絶する訳でもなく、おそらく愛深い眼差しで見ておられたのでしょう。また当時香油は大変高価なものでしたから、無駄使いだと彼女を非難する者もいたわけです。

そこでイエスは彼らの間違いをある例え話を使って指摘します。

「ある金貸しから、二人の者が金を借りていた。一人は500デナリオ、もう一人は50デナリオ。彼らは返すことができなかったので、金貸しは二人とも帳消しにしてやった。では、二人のうちどちらが金貸しに感謝するだろうか」と。1000円借りた人と100万円借りた人、返さなくていいよと言われ、どちらがより感謝するかと言えば、100万円借りた方ですよね。

そしてこうも言います「この女を見ましたか。私がこの家に入って来た時、あなたは足を洗う水をくれなかったが、彼女は涙で私の足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。 あなたは口づけしてくれなかったが、彼女は私が入って来た時から足に口づけして止まない。 あなたは、私の頭に油を塗ってくれなかったが、彼女は私の足に香油を塗ってくれた。だから、この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさでわかる。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのだ」

愛する思いと行為は別々のものではありません。愛したならそれを表さずにはいられないのです。彼女にはイエスしか見えていなかった。自分が娼婦だという現実も周りの非難も、彼を愛するのに何の障害にもならなかったのです。

別の弟子が書いた福音書には、同じ場面でのイエスのこんな言葉も見られます。「(マリアは)埋葬に向かって、前もってわたしの体に香油を塗ってくれたのだ」。足に香油を塗る行為は当時埋葬の習慣でした。実はこの後すぐにイエスの受難は始まります。つまり捕えられ、処刑されるのです。マリアはそのことを知っていたのでしょうか。聖書からそのことは分かりません。でも、おそらくは知らなかったでしょう。でもどうして彼女はそのように行為したのでしょうか。

神への愛が大きくなればなるほど、その行為はもはや自分自身のものではなくなります。神と一体化し、神が神に対して行う行為になると言われます。マリアの行為は彼女が意図して行った訳ではなかったのでしょう。イエスへの愛以外、すべての感情が剥がれ落ちてしまった。そして神はその愛だけを見ておられる。赦されるのは、ただ愛だけが基準なのですから。maria
「いつも香油を持った女性で描かれるマグダラのマリヤ(ベタニアのマリヤ?)」

                                  ユクティー

 

 


ヨーガの実践 「三つの宝」

皆さん、こんにちは ダルミニーです。

師は折に触れ、ブッダの教えとヨーガの教えは同じであり、ブッダも偉大なヨーギーであったと説かれています。

仏教の教典にこうあります。

「人身得ること難し 佛法値うこと希れなり 今我等宿善の助くるに依りて 已に受け難き人身を受けたるのみに非ず 遭い難き佛法に値い奉れり 生死の中の善生最勝の生なるべし 最勝の善身を徒にして 露命を無常の風に任することなかれ」

「にんしんうることかたし ぶっぽうおうことまれなり いまわれらしゅくぜんのたすくるによりて すでにうけがたきにんしんをうけたるのみにあらず あいがたきぶっぽうにあいたてまつれり しょうじのなかのぜんしょうさいしょうのしょうなるべし さいしょうのぜんしんをいたずらにして ろめいをむじょうのかぜにまかすることなかれ」

ヨーガの師と出会う前には、人間として生まれたことがそんなに希であるということが、あまり理解できませんでした。幸せなんてちょっとの間で、多くの苦しみを味わうだけのようなものだと思っていたのです。

師は説かれます。

 

「人生の目的は真実を実現することです」

「悟りという完全、円満な世界に目覚めることができるのは、人間だけです」

「確かに人の心は時には天使のようになったり、または悪魔のようにもなります、でもいずれも真実ではないし、不完全なものです。ヨーガにおいては、ただ真実の存在という、そこにだけ目を向け、神々の世界を超えて、そこに目覚めるように教えられます。また実際的な修行もあります。だから人として生まれること、真理を目指す志を持つこと、その実現を施してくれるグルに出会うこと、この三つがもっとも大切なものというふうにいわれています。他でもない自らの魂の問題ですから、決して知的な知識ではないのです。それが人として生まれることの、本当にありがたい祝福です」

 

私はこのまま真実が何かも知らずに死にたくはありません。人間として生まれたことが、恵まれた生であることを十分に理解し、全うすること、それが私の唯一の願いなのです。

皆さんは、どう生きたいですか?

 ダルミニー