ヴィヴェーカーナンダ」カテゴリーアーカイブ

聖典に親しむ〜『不滅の言葉(コタムリト)』

インドの大覚者シュリー・ラーマクリシュナの教えや出来事を、弟子であるM(マスター・マハーシャヤ)が書き残した『不滅の言葉(コタムリト)』。今年はブログで3回、この本からの教えやエピソードをご紹介しました。
『不滅の言葉(コタムリト)』は第1巻から第5巻まであります。少しずつ読み進めていましたが、先日最後まで読み終えました。第5巻の最後には、本を出版したMへヴィヴェーカーナンダやホーリーマザーからの手紙が掲載されています。手紙には『不滅の言葉(コタムリト)』を出版したMへの感謝の思いが綴られていますが、私も同じく感謝が溢れ頷きながら読みました。少しご紹介します。

有り難う!十万遍も有り難う、校長先生!あなたは正に、ラーマクリシュナの真実の姿をつかまえた。僅かの人しか、ああ、実にほんの僅かの人しか彼を本当に理解していないのです!私のハートは歓喜のため跳ね上がり、そして今後、この地球上に平和の慈雨を降り注ぐであろう思想の海の真っ只中に、すべての人が乗り出していけることを知ったとき、嬉しさに気が狂わないでいる自分を不思議に思っています。
(ヴィヴェーカーナンダから校長(M)への手紙)

本を読んでいると、まるでその場に同席させて頂いているかのような臨場感があります。ラーマクリシュナがどのようにお話をされて、どのように過ごされていたのか、弟子たちとの交流を目の前で見ているかのように感じることができます。それはMの記録と編集のおかげであることが、次のヴィヴェーカーナンダの手紙からわかります。

言葉使いも、何といって誉めたらよろしいのか――申し分ありません。活き活きとして、鋭く、かつ又すっきりとしてわかりやすい。私がどんなに楽しく読ませていただいたか、いちいち例をあげてここに説明できないのが残念ですが、読んでいると我を忘れてしまうのです。不思議でしょう?
(ヴィヴェーカーナンダから校長(M)への手紙)

この本が、時代を超えて地域を超えて、今日本にいる私の元へ届けられているのはMの偉大な働きのおかげです。ヴィヴェーカーナンダと同じく、十万遍もありがとうございます!という気持ちです。また翻訳をしてくださった田中玉さんにも同じく、十万遍もありがとうございます!という気持ちです。こんなにも素晴らしい本を誰もが手にとって読むことができるとは、何という幸運でしょうか。
そして私にとっては、ラーマクリシュナの優しさは私たちの師であるヨギさんの優しさ、ラーマクリシュナの眼差しはヨギさんの眼差し、ラーマクリシュナの純粋なお姿はヨギさんのお姿と重なります。本を読んでラーマクリシュナを感じることでヨギさんを感じることにもなります。ラーマクリシュナへの敬愛が深まるのと共に、ヨギさんへの敬愛も深まります。
本当に素晴らしい本をありがとうございます。
また最初から読んで、何度でも歓喜を味わいたいと思います。

M(マスター・マハーシャヤ、校長)が『コタムリト』を書いている姿を想像して描きました。

サルヴァーニー


わが師

1896年2月24日、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダはニューヨークで「わが師」という講演をされています。
この講演の中でヴィヴェーカーナンダは、師であるシュリー・ラーマクリシュナに出会った時のことを語られています。

「初めて、私は、自分は神を見ると言い切る人を、宗教は感じることができるところの、われわれがこの世界を感じるより遥かにもっと強烈な形で感じることができるところの、実在である、と言い切る人を見出したのです。(中略)そして実際に、宗教は与えられ得るものであることを見たのです。ひと触れ、一べつが、全生涯を変えることができるのです」

シュリー・ラーマクリシュナと触れ合い、その真実を感じた人から発せられた言葉は、どれほどのリアリティを持って聴衆に響いたことでしょうか。その場で話の内容の全てを理解はできなくても、心の奥深くに強烈な印象を残したに違いありません。
シュリー・ラーマクリシュナの生涯は他の本でも読むことができますが、ヴィヴェーカーナンダが講演されたその光景を想像しながら読むと、その力強い姿、輝く姿が想起され、心が湧き立ちます。きっと瞳は輝き、声は美しく響いたのだと想像します。

サルヴァーニー


世界をよく見ること。それは感じること。

私は障がい者の方の生活をサポートする福祉事業所に勤めています。
ご自宅を訪問して生活介助をしたり、外出のお手伝いをする、いわゆるヘルパーが私の仕事です。

仕事場に向かう途中に通った桂川。雲一つない青空!!(10/3)

また、昨年からは現場以外の事務的な仕事もするようになりました。
先日まで続いていた緊急事態宣言下では、障がい者の方が今どんな生活をしていたり、どんな生活を求めているのか、そういった当事者の方々の現状や需要を調べてまとめる業務をしていました。
現代はとても便利な時代です。
例えば、インターネットで「障がい者 一人暮らし」で検索すると、いろんな情報が出てきます。
最近では20代の車椅子の方たちがTikTokやYouTubeで自分たちの一人暮らしの様子や思いを発信していて、楽しく見れる動画が多くありました。
またTV局や厚生労働省もYouTubeチャンネルで障がい者の方やその親御さんを取材した特集を配信していて、これはまたしっかりと編集されていて見応えがありました。
そうやってたくさんの動画や記事を興味深く見ていたのですが、突然私の心に一つの問いがやってきました。

「そこから何を感じるのか?」

その瞬間、私は約9年前、「ヴィヴェーカーナンダのハートになるためにはどうしたらいいですか?」と師に質問し、それに対して師がおっしゃった言葉が思い出されました。

「世界をよく見ること。それは感じること。……
そうして胸の奥からどんな衝動が起こるのか、それに気付いていく作業が必要」

そして私は、たくさんの動画や記事を見る中、「自立」のために努力している方々に気持ちが動いていることに気付かされました。
障がいがあっても生活訓練所に通って社会生活を営む準備を何年もかけてしていたり、作業所で就労して立派に勤めを果たしている方、事故の後遺症があってもリハビリをして自分でできることを最大限行なっている方、また知的障がいのある息子さんの将来を考えて息子さんと離れた生活を葛藤を抱えながらも決断されたご両親、さらにそういった経験を誰かの助けになればという思いで自らYouTube配信をしている方、そんな方達の自立に向かって行動している姿に私の心は動かされていました。

今回、仕事上の小さな気付きでしたが、師の教えが自分の心の深いところでも働いていることを実感し、とても嬉しく思いました。
師は弟子の自立のため、陰ながらいつも助けてくださっているのですね……‼️
感謝を胸に、仕事もサーダナも前進させていきたいです。

「立て!目覚めよ!そしてゴールに達するまで止まるな!」  スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ

ゴーパーラ


自由への道(呼吸の制御)

先日、私は東寺の近くに用事があり、出掛けました。(急を要する用事でした)
ただ目的地を勘違いして、その周辺を彷徨ったのですが💦、歩道橋から見えた東寺の五重塔の景色がとても綺麗だったので、迷ったことも「まぁ、これが見れてよかったか」と思えました。

さて、今回のブログでは「塔」の話も出てきます。
お付き合いいただけたら幸いです😊🗼


人は普通に生きていると、イライラやドキドキ、ムラムラやモヤモヤなどの感情の波が大なり小なり起こってきます。
しかし、そのような感情や心の思いの波に巻き込まれずに、それらを制御して、すでに私たちの中に在る絶対の存在ーー「本当の自分」「神」「自由」ーーその真実に目覚めることをヨーガは目的としています。
ただ私自身、ヨーガを実践していても、時折その波に巻き込まれそうになります。
最近もそのようなことがあり、識別をしたり神を思ったりしていたのですが、上手くいかず、どうしようかと数日間苦しみました。
そんな時ふと「呼吸を吐き切ろう」と思い、お腹から呼吸をぐっーと吐き切った瞬間、その波が嘘のように一瞬で収まりました。

呼吸が止まれば心の静止につながることは理解していましたが、理屈抜きの出来事にとても驚かされ、緊張したり動揺した時は「深呼吸」というのは本当だったんだと実感しました。

その後、呼吸の制御に関心が出てきた私は、ヴィヴェーカーナンダの『ラージャ・ヨーガ』を読み返しました。
呼吸はプラーナ(気)の大きな現れです。プラーナはこの宇宙万象を動かす根源的な力で、私たちの身体のさまざまな活動も、心の働きも、全てプラーナの力によって起こります。
この呼吸とプラーナの密接な関係と制御について、ヴィヴェーカーナンダはとても分かりやすい喩えで説いていますので、紹介させていただきます。

ある時、ある王様に仕える大臣がいました。彼は王の不興を被りました。王は罰として彼を非常に高い塔の頂に閉じ込めるよう命じました。大臣はそこで、死ぬのを待つことになりました。
しかし彼は忠実な妻をもっており、彼女が夜、塔の下に来て夫を呼び、助ける方法を尋ねました。彼は彼女に、次の夜、一本の長いロープと、丈夫な糸と、荷造り用の糸と、絹糸と、一匹のカブト虫と、そして少しばかりのハチ蜜とを持ってこい、と命じました。たいそう不思議に思いながら、善良な妻は夫の命じるままに、これらの品を持って塔の下に来ました。夫は彼女に、カブト虫に絹糸の端をしっかりと結び付け、それのツノに一滴のハチ蜜を塗り付け、それを塔の壁に沿って上を向けて離せ、と命じました。
彼女はこれらすべての指示に従い、カブト虫は長い旅に出発しました。それはハチ蜜の匂いを追ってひたすら登り続け、ついに塔の頂に達しました。大臣はそれを捕え、絹糸の端を手にしました。彼は妻に、糸の別の端を荷造り糸に結び付けるよう命じ、それを引き上げて手にすると、強い糸で、次にロープで同じ動作を繰り返させ、ついにロープの端を手にしました。そのあとは楽なものでした。大臣はロープをつたって下に降り、逃亡しました。
我々のこの身体の中で、呼吸運動は「絹糸」です。それをつかみ、それを制御する方法を学ぶことによって、我々は神経の流れをいう荷造り糸をつかみ、これから我々の思いという丈夫なより糸を、そして最後にプラーナというロープをつかみます。それを制御することによって、我々は自由を得るのです。

呼吸の制御を第一として、神経、心の感情や思い、そしてその原因であるプラーナ(気)を制御する階梯を見事な比喩でヴィヴィーカーナンダは説いています。
またこの物語は、ヨーガの実践において大切な要素が含まれていると私は感じます。
妻の夫に対する忠実さは真理への忠実さを示し、真理の教えを一つずつ確実に行なうことによって心の檻(塔)から自由になるという、まさに王道のヨーガの実践、そして境地を象徴しているように思います。

私は前回のブログ『失われることのない自由』で、「私たちの本性は自由である」ということを書きました。
今回、その自由への道は、呼吸の制御からも繋がっていることを実感しました。
数千年の歴史をもつヨーガは、私たち人類に自由へと導くさまざまなルートや方法を提供してくれていて、その懐の深さには本当に驚かされます。

お彼岸を迎え、明日の9月23日は昼夜の長さがほぼ同じになる秋分で、大気のプラーナが中庸になる日です。
この力を借りて、プラーナの制御の実践をしていきたいですね!!

姉弟子から彼岸花をいただきました。彼岸という言葉はパーラミター(到彼岸)を略したもので、悟りの境地を意味しているそうです。

ゴーパーラ


失われることのない自由

9月になりましたね。
大学生はまだ夏休みかもしれませんが、小中高生は夏休みも終わって授業もスタートしていると思います。

夏の思い出。この夏、訪れた京都御所(写真上)、清滝(左下)、東山動物園横のかき氷屋さん(右下)。すべて仕事で訪れたところです。

ところで皆さんは、「あぁ、夏休み終わった……もう僕(私)の自由は無くなった……」と思ったこと、ないですか?
私はあります、特に小学生の頃は田舎の優しい祖父母の家でコーラを飲みながら野球中継を観ているのが幸せで、この自由気ままな夏休みが永遠に続けばいいのにと思っていました。
でも、現実はそうはさせてくれない……
そこで今回のブログのテーマは、「自由」についてです。


この夏、私はヴィヴェーカーナンダ著『ギャーナ・ヨーガ』を熟読していました。
もう何度読んだか分からないほど読んでいるのですが、また新しい発見があったのです💡
それが何かと言いますと、

『ギャーナ・ヨーガ』の主要なテーマの一つは、もしかして「自由」なのではないのか?

ということです。
「そんな当たり前のこと……」と思われる方もいるかもしれませんが、私は初めてそう感じました。
『ギャーナ・ヨーガ』はヴィヴェーカーナンダが西洋で行なった18講演が収録されているのですが、その題名には「自由」がいくつか使われており、何より自由が「アートマン」「神」「魂」「不二一元」「自立」と同義で説かれ、「私たちの本性は自由」であると述べられています。

「あなたはすでに自由なのです。もしあなたが自分は自由であると思うなら、あなたはこの瞬間に自由です。もしあなたが、自分は束縛されていると思うなら、あなたは束縛されるでしょう」

「もし自由があなたの本性でないのなら、どんな方法をもってしても、あなたは自由になれるはずはありません。もしあなたが自由であったが、何らかの理由でその自由を失った、とおっしゃるなら、それはもう初めから自由ではなかった、ということになります。もしあなたが自由であられたのなら、誰がそれを失わせることができましょう。自立している者を従属的にすることは決してできないのです。もしそれが本当に従属的であるなら、そのものの独立性は初めから幻想だったのです」

『ギャーナ・ヨーガ』〜魂の自由〜

かなりというか、度肝を抜かれる大胆な発言です。
私自身、とても衝撃的でした。
自由は失われたり、何かに依拠しているものではない、すでに私の中に自由はあり、私は自由だというのです……!!!

また、自分は不自由と思った時点で、束縛される。
自分は弱いと思った時点で、弱くなる。
それらの思い込みは、心の思いがつくり出した単なる「幻想」だということーー

では、夏休みが終わって学校や仕事に戻り、田舎の祖父母の家やバカンス先と同じ気持ちで「私は自由だ」と思えるのか?
また安直な宗教のように、もう我々は自由なのだから修行や努力はしなくていいと解釈して生きていくのか?
否、心がつかんでいる「こだわりや執着」を手放さないといけないのです。
私の師シュリー・マハーヨーギーは自由について、こうおっしゃっています。

「心は、何かを持っている手のように常に何かをつかんでいる。一つのものを離してもすぐまた違うものをつかんでしまうーーテニスラケットやゴルフクラブのように。所有というのは常に不自由です。自由というのは何も持っていないこと。そうすればいつでもラケットやクラブをつかめる。だからこだわりや執着をなくして所有しないということーーこれが遊びということです。空の手は自由を象徴している」

『ヨーガの福音』 シュリー・マハーヨーギー

最近、私はあるグルバイ(仲間)と電話で話していたら、今自分が考えていることとシンクロするかのように、次のことを言っていました。

「ヨーガは自由になるためにある」

ヨーガを始めると、最初は今まで自分が感じていた自由が奪われるように思うかもしれません。
厳しそうに見えるヤマ・ニヤマの戒律的教え、食事制限、苦しいアーサナ、じっと座り続ける瞑想など、私自身、「もっとご飯食べたい」「ちょっとこの戒律、厳しい」「アーサナ・瞑想、毎日するのもしんどいぞ」と思っていました。
でも、師のヨーガの教えを拠り所に続けていけば、心身は確実に軽やかになります。
まだ12年ほどですが、これは実践を続けた私が体感し確信していることです。
そして、心のこだわりや執着を手放すこと、つまり放棄の徹底ができれば幻想は消え、自由を体得できると感じてきています。

さて、私の37歳の夏休みは儚くも3日で終わり、うち2日は夏休みの課題のDIYをしていました。
しかし、夏休みの「自由研究」は続いています。
幼い頃、願っていた永遠に続く夏休みは祖父母の家ではなく、もうすでに私の中に在ることは納得しました。
あとは実験(実践)、そして証明です。

夏の思い出⚽️こちらも仕事で、京都サンガFCの試合を観戦しました(8/9)。ホームグラウンドが西京極から亀岡に移り、そこでの試合でした。とても観やすいスタジアムで、FC町田に2–1で勝利。9月4日現在、J2で1位です。空の手で拍手👏

ゴーパーラ


オンラインで「理想の聖者」について語らう!

6月に入りましたが、皆さま、いかがお過ごしですか?
こちら京都は緊急事態宣言が再々延長され、私の住む嵐山は観光客も少ない状況です。
そんな中ですが、5月は多くのグルバイ(仲間)とオンライン交流をしました!

「フォカッチャの会」では愛媛、金沢、和歌山、また台北のグルバイと楽しく有意義な時間を共有しました。

また、ニューヨーク・ミッションで行なわれている「Study In Practice (SIP)」にも3回続けて参加させていただきました。

「学ぶことを学ぶ」がテーマのSIPは、余談なしの真剣な勉強会で、終始ヨーガの話が展開されます。
「ヨーガは知識ではなく実践、そして体得」
そう師は教えられますが、「どうしたら知識ではない学びができるのか?」「自分の偏った考えに陥らずに学べるのか?」「どのようにヨーガの教えを日常に結び付けられるのか?」といったことを話していきます。
会に参加する中で、私自身改めて感じたのは、やはり「学ぶ」には「理想の存在」が必要不可欠だということです。
「こうなりたい」「こう生きたい」「こうすればいいんだ」という気付きや道標が、理想の存在を見つけることでより明確になるーー
つまり、理想の存在を持つことで、学び、見倣うことがより実際的になされ、修行者の大いなる助けになると思ったのです。

SIPに参加した数日後、フォカッチャの会のヨーガ・トークスの時間には、皆さんと理想について話をしました。

参加したグルバイたちは、それぞれ理想の聖者をもっておられ、そこに近づく努力をされていました。
以下、要約したものをご紹介します!

神に対してひたむきで真っすぐなスワーミー・アドブターナンダが大好きで理想としていますが、私は以前、人間関係に悩み、部屋で声を押し殺してよく泣いていました。そんな時、アドブターナンダのエピソードを読みました。「人気のないところに行き、泣いて神に祈らなければならない。その時に初めて、彼はご自身をお示しくださるだろう」というシュリー・ラーマクリシュナの教えを実践していたこと、「彼はこの世の何事にも頓着せず、人生の唯一つの関心ごとは師にどのように忠実にお仕えするかということだった」、これらに衝撃を受けました。「私は自分のことばかり考えて自分のために泣いている。こんなばかばかしいことは、もうしたくない!神を求めて泣きたい!神に対して誠実に真摯に生きたアドブターナンダのようになりたい!」苦しい時だったからこそ、真逆の生き方をしていたことに気付き、より深く心に響き、理想に生きたいと心底思うことができました。

・昔から闘う女性に憧れている自分がいて、その性質を棄てるのではなく、ある時から生かそうと思い、闘う女性の究極に女神カーリーを見出しました。また理想の聖者は、煉瓦に頭をぶつけるぐらい狂っているナーグ・マハーシャヤ、それしかないと思っています。

・以前、理想(の聖者)を決めかねていた時、先輩弟子から「気楽に決めていいよ」とアドヴァイスをもらいました。理想って気楽に決めてええの?と戸惑いつつ再考……スワーミー・プレーマーナンダの伝記の一節「彼は骨の髄まで清らかだった」に触れた時、「私には無理だ」とすぐに自分でもびっくりするほどの拒否反応が出た事を思い出しました。そして、なぜそれほどまでに拒否したのだろうとその原因を探っていく中で、逆に清らかさに憧れをもっている自分に気付き、プレーマーナンダを理想としました。彼に近づきたいけれど近づけない。壁を感じていたのですが、つい最近、どうにかしたいと七転八倒していると、「プレーマーナンダ」という「名前と姿」を超えた言葉では表せない『何か』が理想であり、更にその先に師のヨギさんがおられるのを感じました。
プレーマーナンダの言葉、「まずはじめに全身全霊でひるむことなく誠実であるように試みることだ。過去、現在、未来におけるいかなる時も、真理は必ず勝利する」が大好きです。

・最近、ブラザー・ローレンスの『敬虔な生涯』を読んで、とても感銘を受けました。この人生を彼のように神への礼拝に生きたいです!

理想について話すのは、本当にいいですね。
とってもポジティブになれます!!

最後に、私の理想の聖者スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの最高に力強い言葉を紹介させていただきます。

皆さん自身の心にむかって、「私は彼である、私は彼である」とおっしゃい。歌のように、それを昼夜、心の中に響かせなさい。そして死の時には、「私は彼である」と宣言しなさい。それが真理です。世界の無限の力は皆さんのものです。皆さんの心を覆っている迷信を追い払いなさい。勇敢になろうではありませんか。真理を知り、真理を実践せよ。ゴールは遠いかもしれない、しかし目覚め、立ち上がり、ゴールに達するまで止まるな!

今こそ、内面へのヨーガを深める時ーー理想を見つけ、学び、近づき、一つになる時だと感じます!!

誰かが間違ったボタンを押したら、こんな画面になりました。

ゴーパーラ


スワミ・ヴィヴェーカーナンダからのインスパイア

『ヴィヴェーカーナンダの生涯』は何年も前に一度読んだことがあるのですが、断片的な記憶しかありません。しかし、あまりにも有名な聖者ヴィヴェーカーナンダのことは、サットサンガやパラマハンサ、ブログでもよく登場するので有名なエピソードは知っています。久しぶりに読み返してみると、とにかく心臓がえぐられるぐらい感動し、言葉をなくし、ただただ泣いてしまいました。なんと濃密な人生でしょうか。今回は、その感想を少し書かせていただきました。


(ヴィヴェーカーナンダの略歴などは今回省かせていただきます。まだ読んだことがないかた、あまり知らない方は私の説明を聞くよりは実際に読んでもらった方が良いと思います。)

今、私がヴィヴェーカーナンダとはどういう人か?と聞かれたら、こう答えます。

「人間の中にある神性を最も信じ、それをありありと見た人。自分自身がそれであるということも、それを他の人の中に見ることも、誰にでも可能だと断言し、それは、人に奉仕することによって実現する、ということを自らの命を削って世界に発信した人」

読んでいると、本を飛び出してヴィヴェーカーナンダが、今この世界に向けて同じように「全てが神の表れである、だから万人に仕えなさい」と語りかけてくるようで正直圧倒されました。それは彼のあまりにも濃厚な人生全体が、そのメッセージを含んでいると思ったし、一瞬たりともその想いから外れていない彼の一つ一つの行動が、彼の獅子の如く力強い言葉とともに証明しているように感じました。彼は、メッセージを世界に送っただけに留まらず、実際に一人でも多くの人間を目覚めさせるために、具体的に行動を起こし、そのために命を使ったのです。

多くの言葉に感銘を受けましたが、その中で自分自身が時代を超えてヴィヴェーカーナンダの恩寵をいただいていると感じた言葉を一つ紹介させてください。

「ヒンドゥ思想を英訳し、無味乾燥な哲学と難解な神話、奇妙で驚くような心理学をわかりやすく簡潔な一般向けの宗教にして、同時に最高の知性の要求にも答えることは、実際に試みた人にしかわからない大役だ。難解なアドヴァイタが日常生活の中で生命を持った詩的なものとならねばならない。煩わしいヨーガの学説が極めて科学的で実践的な心理学が引き出されなくてはならない。そしてすべての子供にも把握できるような形にすること、それが私の仕事だ。どこまで完成するかは、神のみがご存知だ。働く権利はあっても、その結果に対する権利は持たないのだから」

インドの歴史背景については詳しくありませんが、ヴィヴェーカーナンダの時代(そのもっともっと前から)インドには宗教の地盤はしっかりとあったと思います。しかし、難解で誰にでも分かるようなものではなく、おそらくブラーミンと呼ばれる僧侶階級にある人が理解できるものとなっていたのかもしれません。彼はヒンドゥ思想がもつ、その霊性の宝石をもっと日常生活の中で生命を持つよう、子供でも分かるような形にする必要性を感じていたのではないでしょうか。インド人に対してはもちろんのこと、新しくヒンドゥ思想に触れた世界中の人、特にアメリカ人に対して理解できるようにという思いがあったと思います。ヴィヴェーカーナンダは、インドの貴重な霊性の宝石は、宝石箱がないために汚物の山に埋もれている、反対に西洋は、健全な社会という形で宝石箱を作り上げたが、宝石を持ってはいなかったと言われています。そのため宝石箱を持つ国に、宝石を伝える必要性を感じていました。

そして実際に試みられた彼のいう「大役」の一つが、私たちが手にすることができる代表的な四冊「カルマ・ヨーガ」「バクティ・ヨーガ」「ラージャ・ヨーガ」「ギャーナ・ヨーガ」ではないでしょうか。


クラスに通いだしてまず始めて読んだ本は、「カルマ・ヨーガ」だったと思います。働くということの意味が理解できない、生きるためにお金を稼ぐ必要があることは頭で理解できるが、それをすることが生きることなのかと混乱していた私にとって、働くときの正しい考え方を教えてくれました。「利己心を捨てて働くこと、働きの結果、果実は私のものではないこと、そこに重要性はないということ。結果ではなく、働くという行為によって束縛から解き放たれ、ついには自由になること」自分自身の人生の方向性を知り、安心と喜びを得たことを覚えています。

「キャーナ・ヨーガ」を読んだときは、人間の本性について、私の中に神聖なものがあるのだということを知り、そのものすごく力強い言葉に圧倒されてしばらく動けなくなったことを覚えています。また、神、宗教というこれまで漠然としていた言葉、それでもその言葉の中に「神聖なものがあってほしい」と心のどこかで願っていたことに対して、「それでよかったのだ」と思うことができ、喜びで満たされたことを覚えています。

どちらの本にしても、それを読んで終わりではなく、実際の仕事や家族と関わりの中で、その考えを根付かせようと努力するすべを教えてくれたように思います。これこそが、ヴィヴェーカーナンダが願っていた「アドヴァイタが日常生活の中で生命を持ったもの」となったのだと思います。彼の働きは、時代を超えて、国境を超えて、ひとりのまだヒンドゥの思想を知らない日本人の中に根付き、理想を持たせてくれたと思います。

そして何より、インパクトがあったのが、「誰がこれを言っているのか!」ということでした。これを書いた人が実際に存在していた人間であるということ、それが何よりの励ましでした。人間の可能性をどこまでも広く大きくし、理想的な姿を現してくれました。同じ人間としてこのような人がいる・・・それだけで私は希望を持ち興奮したことを覚えています。

ヴィヴェーカーナンダと自分との関わりについて思いを馳せていたとき、ふと思い出されるエピソードがありました。それは、ヴィヴェーカーナンダのグルであるラーマクリシュナが、修行時代、自らの内にある驕りを無くすため、パリヤと言われる不可触民のトイレを自分の髪の毛を使って掃除をしたというエピソードです。ラーマクリシュナの中に不平等さや驕りが実際にあったのかどうかは分かりませんが、これは弟子に、教えを行為で示すためになされたように思います。誰もの中に神聖がある、すべてが同じ存在であると口で言うだけでなく、実際の行為で見せる。ヴィヴェーカーナンダがアドヴァイタ(不二一元論)を日常生活に根ざしたものとするために奮闘したことは、師であるラーマクリシュナの教え、そのものだったのだと思いました。ラーマクリシュナが実際に生き、それを見たヴィヴェーカーナンダが、それを同じように生き、さらに方法を駆使して世界に広めた、すべての根っこは師であるラーマクリシュナにあるし、こうして生きざまとして師と一つである、その姿にとてもとても憧れを感じました。

ひとつひとつのヴィヴェーカーナンダの行為は、あまりにも大きく、自分の生きている生活とかけ離れていて、彼を理想として何をすればいいのか一瞬わからなくなることがあります。でもそうではなく、彼が信じた人間の本性、神聖さ、純粋さは、すでに誰もの中にあるのだから、それを自らの中に実現していくこと、そして、目の前の人もその神聖な存在なのだから、自分の目の前の人に奉仕していくこと、それだけなのだと気付かされます。

最後にヴィヴェーカーナンダの力強い言葉を紹介して終わりにします。

「私は死ぬまで弛まずに働くだろう。そして死後も世界のために働くだろう。非真理に比して、真理は無限の力を秘めているのだ。それは人格、純粋さ、そして真理の力、人としての力だ。私にこうした力がある限り、あなた方は安心してよい。誰一人として私の髪の毛一本とて痛めることはできない。やっても失敗に終わるだろう、主がそうおっしゃったのだから」

彼は今も働いているのです。私たちもそれに続こうではありませんか。


『あるヨギの自叙伝』を読んで(8)ーーマハートマー・ガンディー

マハートマー・ガンディー
イギリス植民地支配からの独立を非暴力運動で勝ち取り、「インド独立の父」と称される彼の名を、誰もが一度は聞いたことがあると思います。

「剣を取るものは剣で滅びる」ーーこの聖書の格言が『あるヨギの自叙伝』のガンディーの章で引用されていますが、ガンディーは武器を取らず、掴んだのはインドの聖賢たちが太古より発見し培ってきた「偉大な叡智」非暴力でした。
ガンディーが生きた2度の世界大戦のあった激動の20世紀インドにおいて、イギリスの圧政・暴力は想像を越える厳しさだったと思います。
その過酷な状況下において、非暴力を実行に移すことは容易でなかったにもかかわらず、なぜガンディーはそれを貫き通せたのでしょうか?

今回『あるヨギの自叙伝』を読み返すと、ガンディーの揺るぎない非暴力の信念・信仰の根底には「ヨーガの教えと日々の実践」があったことがはっきりと分かりました。
『あるヨギの自叙伝』には、1935年にガンディーとその信奉者の住むアーシュラマにヨーガーナンダが数日間滞在したことが記されています。
そこではガンディーがヨーガを実践していたとは明記されていませんが、ガンディーの熱心な信奉者たちが立てたサティヤグラハ(真理を順法する)の11の誓いが紹介されており、それを読むと最初の5つがヨーガの基礎を成すヤマ(禁戒)そのものであることは明らかです。

「暴力を用いぬこと、真理に従うこと、盗みをせぬこと、禁欲を守ること、何物も所有せぬこと、労働をいとわぬこと、嗜好品をつつしむこと、何物をも恐れぬこと、いかなる宗教をも平等に尊敬すること、スワデーシ(自家製品または国産品)を用いること、非賎民を解放することーーこれら11か条の誓いを、謙譲の精神をもって守ること」

ヤマの教えを基本に、残りの6つの条項が加えられ、ガンディーとその信奉者たちが日々この教えを実践しているのでした。
アーシュラマでのガンディーの暮らしは至極シンプルです。
常に下帯一枚しか身に付けていない衣服、味覚と密接に関わっている性エネルギーの禁欲を実行に移すために嗜好品を排した菜食の食生活、また宿泊したヨーガーナンダの部屋は最小限度の手作りのロープ製のベッドが一つ置いてあるだけーーしかし、窓の外からは保護している牛の鳴き声や鳥のさえずりという牧歌的な豊かな自然の響きが調べを奏でていたことが記されています。
ヨーガーナンダ自身、「至るところに現れているガンジーの徹底した質素と自己犠牲の精神に心を打たれた」と述べているほどです。

「もし真の政治家になりたいのならガンディーを見よ」

現代の日本の老獪な政治家に対して私はそう言いたい。
国民に自粛を要請している中での高級クラブ訪問やステーキ会食、また女性蔑視発言などガンディーには無縁であります。

ガンディー(右)とヨーガーナンダ(左)。

余談はさておき、ガンジーはヨーガの実践によって自らを律し、真実という愛をインドの民衆、とりわけパリヤ(不可触民)に分け与え、カースト差別撤廃と宗教間の壁も取り払い、インド国民のみならずすべての人を平等に見ていました。
そんな母国とすべての人を愛したガンディーですが、その彼に多大なる影響を与えたのが真正のヨーギーであったスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(1863-1902)です。
ヴィヴェーカーナンダはインド放浪中、イギリスの支配により自信を喪失し怠惰に陥っていた民衆とその貧困の惨状に胸が張り裂け、インドに必要なのは「宗教でなくパンだ」と言い、西洋の物質科学を自国に持ち帰るべく海を渡り、西洋世界にはインドが古来より培ってきた真実の叡智を与え、インドのみならず世界をヨーガによって救おうと行動し、人類への奉仕に身を捧げました。
さらに、すべての宗教の平等ーー「それに至る道はさまざまだが、真実は一つ」という宣言を大胆にもキリスト教優位の西洋世界で臆することなく高らかに叫びました。
ガンディーはヴィヴェーカーナンダのすべての著作を読んだ後、「私の祖国に対する愛が何千倍も深くなった」と語っているほどヴィヴェーカーナンダから大きなインスパイアを受けています。

そしてこのインドの英雄ヴィヴェーカーナンダを生み出したのが、とりもなおさず彼の最愛の師シュリー・ラーマクリシュナでありました。
ヴィヴェーカーナンダは師を「ブラーミンの中のブラーミン」と讃え、自らが最上カーストのブラーミンであるという奢りを拭い去るために、夜中にこっそりとパリヤの家に忍び込み、自らの長い髪でトイレ掃除をしていたシュリー・ラーマクリシュナのその謙虚な生き様を「真似したい」「私のヒーロー」とまで言っています。

「もし神を実現したいのなら、謙虚な掃除人であれ!」

この言葉は政治家ではなく、自らに言いたい。
シュリー・ラーマクリシュナのこのトイレ掃除の驚愕のエピソードは、謙りの極みだと痛感します。
そしてまたガンディーのサティヤグラヒスの誓いが「すべて謙譲の精神でもって守ること」と記されているように、何を行なうにも謙虚さが最も大切であると教えてくれます。
『あるヨギの自叙伝』には、ガンディーは毎朝4時に起床し、神に祈りを捧げていたことが記されています。
以下、ガンディーの祈りと謙譲についての言葉です。

「祈りはわれわれに、もし神の支えがなかったらわれわれは全く無力である、ということを思い出させてくれる。どんなに努力しても、もし祈りを怠ったら、もし自分の背後にある神の恵みなしにはどんな努力も役に立たぬという明確な認識を忘れたら、その努力は完全とは言えない。祈りは謙譲への呼びかけであり、また、自己純化や内的探求の呼びかけである」

インド独立は、真理・神への不屈の信仰と謙譲の精神の持ち主であったガンディーの大いなるリーダーシップにより成し遂げられました。
そのガンディーの偉大な思想・働きは日々のヨーガの実践とヴィヴェーカーナンダの強力なインスパイアリング、そしてヴィヴェーカーナンダを育てたシュリー・ラーマクリシュナの存在によって生み出されたと言っても過言ではないと思います。
マハートマー・ガンディーの「マハートマー」とは「偉大な魂」という称号で、民衆が進んで彼に捧げたものであるそうです。
ガンディーという偉大な魂は、ヴィヴェーカーナンダとシュリー・ラーマクリシュナから受け継いだ魂であったのだと私は感じます!!!

最後に一言、ガンディーがヨーガを実践していたことは『あるヨギの自叙伝』を読んで再確認しましたが、私がそのことを初めて知ったのは、わが師シュリー・マハーヨーギーからであります。
またヨーガーナンダが1952年にロスアンゼルスでインド大使ビナイ・セン氏のために開いた晩餐会で演説した後にマハー・サマーディに入ったのは、「インド独立を見届けたから」という大変深い意味があってのことで、そのことも師から教えていただきました。

1998年10月のマハーヨーギー・ミッションのカレンダー。

※マハートマー・ガンディー
(1869年10月2日ー1948年1月30日)
イギリスで教育を受け弁護士となって赴任した南アフリカで、彼は人種差別を受ける。傷心の彼が故国で発見したものは聖賢の偉大な叡智だった。彼はそれまでの西洋思考や価値観、生活態度の全てを改め、ヨーガを実践する。その頃インドではイギリスからの独立運動が高まり、人々は彼をリーダーに推し上げた。彼が提唱したサティヤ・グラハ(真実と愛、あるいは非暴力から生まれる力)、スワデーシ(自力生産)、塩の行進等は民衆の心を動かしめ、遂にはインドを独立へと導いた。

ゴーパーラ


『あるヨギの自叙伝』を読んで(7)ーーヴィヴェーカーナンダのシッディ

突然ですが、皆さんは「シッディ」という言葉を聞いたことがありますか?
シッディとは、ヨーガ修練の副産物として現れる成果で、「超自然力」のことです。
四章から成る『ヨーガ・スートラ』の第三章にはシッディの章が設けられ、ヨーギーたちが発見・感得してきたシッディの数々が記されています。
しかし、『ヨーガ・スートラ』の冒頭の文句にあるように、ヨーガの真の目的は「心の作用を止滅させ、本来の自己(神)に留まること」です。
『あるヨギの自叙伝』では「シッディとは、神の探求の途上に咲く路傍の花にすぎない」と述べていて、このシッディの超自然力を得て傲慢になり、過ちを犯した修行者のことにも触れています。
この『あるヨギの自叙伝』には、そういう間違ったシッディの使い方を教訓として示している一方で、聖者の無為自然なシッディの奇跡の数々も紹介されています。
病気治癒、肉体分離、空中浮遊、透視能力、未来の予言などなど、まさにシッディのオンパレードなんですね!
「これって、本当ですか……」というようなシッディのエピソードと、まるで好奇心旺盛な少年が物語を楽しく話すようなヨーガーナンダの軽快な文章とが相まって、とても魅力に溢れた聖典となっていると感じます。

そして私は今回、『あるヨギの自叙伝』を読み返す中で特に印象に残ったのは、「ヴィヴェーカーナンダのシッディ」のエピソードです。
以下、その内容を要約した形でご紹介させていただきます。

1893年、シカゴで第一回世界宗教会議が開催され、ヴィヴェーカーナンダはヒンドゥ教代表で講演をし、連日にわたって大反響を呼んでいました。
ちょうどその頃、17歳のディキンソンというアメリカ人の青年が、母とシカゴの大通りを歩いていました。
すると突如、「まばゆい光」が見えます。
そして、その二、三歩前をゆっくりした足取りで歩いて大公会堂に入っていくヴィヴェーカーナンダを見て彼は叫びます、「お母さん! あの人は、僕が溺れそうになったとき、幻に現れた人です!」
ディキンソンは5歳の時、池で溺れて死にそうになった時、まばゆい光の中で優しい微笑をした男性が助けてくれたヴィジョンを見ていました。
それがヴィヴェーカーナンダだと直観したディキンソンは大公会堂に入り、ヴィヴェーカーナンダの魂を震わす講演を聴きます。
講演後、彼は面会を求め近づくと、ヴィヴェーカーナンダはまるで昔からの友達のように微笑み、なんと驚くことに「やあ、水の中から出られてよかったね!」と言います。
そして「私の師であると名乗ってほしい」というディキンソンの心の声を読み取って、ヴィヴェーカーナンダは美しい射るような眼差しで次の予言を言います、「あなたの先生は、あとで来ます。その人は、あなたに銀のコップをくれるでしょう」
その後ディキンソンは、ヴィヴェーカーナンダに会うことがなく、また師と出会うこともなく、長い歳月が過ぎていきました。
しかし1925年のある夜、ディキンソンは、神に「どうぞ師をあたえたまえ」と熱心に祈り、その夜眠りに就いた時に天使のヴィジョンと神々しい音楽を聴く恩恵を得て、そしてその翌晩にロスアンゼルスで生涯の師となるヨーガーナンダと出会います。
ただ、その師であるヨーガーナンダから銀のコップが渡されることもなく11年の月日が流れ、その間ディキンソンもヴィヴェーカーナンダの予言を時々思い出すも、次第にあの言葉は何かの比喩に過ぎなかったと言い聞かせるようになっていきました。

しかし、予言の日はやってきます。
1936年の聖なるクリスマスの日、インドからアメリカに再び戻ったヨーガーナンダは、ロスアンゼルスでアメリカの弟子一人一人にお土産のプレゼントを渡していきます。
「これはきっとディキンソン氏が気に入るに違いない」と、そうヨーガーナンダは思って買った包みを彼に渡し、そしてディキンソンは包みのリボンを解いて叫んだそうです、
「銀のコップだ!」
この時、彼は人生で三度目のまばゆい光を見たのでした。

シカゴでのヴィヴェーカーナンダの予言から43年後の奇跡のこのストーリーを読み、私は思わず「う〜ん!!」と唸ってしまいました。
また同時に、「あなたに銀のコップをくれるでしょう」と言ったヴィヴェーカーナンダの無為自然なユーモアというか遊び心というか、本当にシッディを他者の歓びのために有益に使っている、最高にサプライズなクリスマス・プレゼントだと感嘆しました。

ヴィヴェーカーナンダは師であるシュリー・ラーマクリシュナに出会って修行を始めた頃、師から「将来、霊性の師として働く時は、役に立つだろう」と言われシッディを授かる機会がありましたが、次のように答えます。

「まず神を悟らせてください。そうすれば、超自然力が必要か否か、おそらく分かることでしょう。今そうした力を頂いたなら、神を忘れて利己的に利用してしまって、自滅するかもしれません」

そしてその後、ヴィヴェーカーナンダは悟り、またシッディの力を持っていたことは、『あるヨギの自叙伝』の「銀のコップ」のエピソードを読むと明らかです。

シュリー・ラーマクリシュナは晩年、ヴィヴェーカーナンダを傍らに呼び寄せて、じっと彼に視線を注いだまま、深い瞑想にお入りになり、その後泣きながら次の言葉をお話になられたそうです。

「今日、私は自分が持つすべてをお前に与えた。私は一介のファキール、無一物の乞食にすぎない。お前に授けた力によって、お前は世界で偉業を成し遂げるだろう」

このシュリー・ラーマクリシュナのお言葉がすべてだと思います。
悟りもシッディも、師のすべてがヴィヴェーカーナンダに引き継がれています!!!

2月18日は偉大なる覚者シュリー・ラーマクリシュナの御聖誕日です。
2月はもう1回、『あるヨギの自叙伝』からシュリー・ラーマクリシュナ、ヴィヴェーカーナンダに関連する記事を書きたいと思っています😄📝

 

ゴーパーラ


瞑想会 @嵐山 シャーンティ庵

昨日、京都でも緊急事態宣言が発令されました。
年始から全国的にコロナの感染者数が増加していますが、皆さま、お元気でお過ごしでしょうか?

不安な日々が続いていますが、先日の1月10日、私の自宅である嵐山のシャーンティ庵で小さな瞑想会を行ないました。
参加されたのは、私が勤めている福祉事業所のヨーガクラスに通っているスタッフ2名の方でした。
1人の方は70代の女性で、もう1人の方は昨年に埼玉から移住してこられた50代の男性です。
お2人とも瞑想の経験は私よりも長く、長時間座ることには慣れており、その集中感に引っ張られてか、あっという間に感じた1時間の瞑想でした。

瞑想後に70代の女性は、「途中から目を開けて、(本棚にあったラマナ・マハリシの)書籍の帯に書いてある『私は誰か?』という言葉に瞑想していました」と話されました。
すると50代の男性が、「実は私は小さい頃、寝る前に『自分という存在は一体何なのか?』ということをずっと考えていました。それを考えると、宇宙を感じる時や自分がなくなっていく感覚があり、これが私の瞑想の原点なのです」とお話されました。
私自身、「この人生、どう生きていきたいのか?」とは大人になるにつれて考えていましたが、その人生の主体である「私とは誰か?」ということを真剣に考えるようになったのはここ数年のことなので、この男性の話を聞いて驚きました。
この時に話題にあがった「私は誰か?」という帯が付いていた聖典『沈黙の聖者』の中で、ラマナ・マハリシは次のことを説いています。

「私たちは自分の内部にある長年のサンスカーラ(潜在残存印象)のすべてを完全に投げ出さねばならない。それらがすべて放棄されたとき、真我(本当の自分)がひとりでに輝くだろう。しかし、あなたは努力なしにはその状態に達することはできない。それは意図的な瞑想への努力なのだ」
「真我である、注意深く観察されたスムリティ(記憶)以外には、どんな想念をも微塵だに生じさせないほど真我の中にしっかりと留まる、よく鍛えられた内在性こそが、至高の主への自己放棄を形成する」

ーーー『沈黙の聖者』ラマナ・マハリシーー

瞑想後の少しの会話でしたが、瞑想者同士、静かに深い話ができ、私自身も「私は誰か?」という問いを常にもって「本当の自分を実現したい」と改めて強く感じた、たいへん有意義な瞑想会でした。

そして一昨日の1月12日は、私が尊敬してやまないスワーミー・ヴィヴェーカーナンダのご聖誕日でした。
最後にヴィヴェーカーナンダが瞑想について述べた言葉を紹介したいと思います。

「瞑想は重要だ。瞑想せよ! 瞑想は偉大だ。それは霊的生活への近道だ。それはわれわれの日常生活における全く物質的ではないーー魂がそれ自身を思うーーしばしの時間だ。あらゆる事物から自由なーー魂のこのすばらしい感触」

ーーー『真実の愛と勇気』スワーミー・ヴィヴェーカーナンダーーー

緊急事態宣言が出されて瞑想会は当分できませんが、また状況が改善されたら皆様にもお声がけして、一緒に瞑想をしていきたいです。
1日も早いコロナの収束を願い、感染予防に努め、今はひとり瞑想に励み、「魂がそれ自身を思うすばらしい感触」を増やしていきたいと思います。
今冬は寒さも厳しいので、皆さま、どうぞお体には気を付けてお過ごしください。

ゴーパーラ