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一切は神

今回は、ラマナ・マハリシの「沈黙の聖者」をご紹介いたします。

インドの聖者であるラマナ・マハリシはその生涯をアルナーチャラという聖なる丘で過ごされました。インドの聖地の中でもアルナーチャラは最も聖なる場所、シヴァ神の秘められた聖なるハートの中心であるとも表現されています。そしてアルナーチャラにはさまざまな動物が住んでいて、この本の中でもたくさん紹介されています。

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いちばん有名なのは雌牛ラクシュミーの逸話です。子牛のラクシュミーは、毎日シュリ・バガヴァン(ラマナ・マハリシ)のところへやってきては足元に頭を垂れていくのでした。また牛小屋の定礎式のときにはたいそう喜んで、シュリ・バガヴァンを迎えに来たりしました。たいへん利口で気の利いたラクシュミーが亡くなった後の墓碑銘には、タミル語で「雌牛ラクシュミー、ヴィシャーカ星座の下で解脱したことをここに記す」とあります。そしてたくさんのお猿さんたちもアルナーチャラには住んでいました。猿たちがシュリ・バガヴァンの前にサマーディの状態で坐り、瞑想の手ほどきを受けている様子も書かれています。また白い孔雀も登場します。このときシュリ・バガヴァンは、これは混じりっけのない純白、グナの混合をもたないスッダ・サットヴァ(純粋の自己)を意味すると言っておられますが、その前を得意そうに通り過ぎる孔雀の写真が載っています。また三日間、同じ枝に止まり続けたカラスの話も出てきます。シュリ・バガヴァンに会いにきたこのカラスは、待ち望んでいたかのように主の手のひらの上で死んでいくのでした。他にも虫や、犬や蛇などたくさんの動物たちがラマナ・マハリシと一緒にアルナーチャラで暮らしていたのでした。その中には高貴な魂の動物たちもたくさんいたのでしょうか。ラマナ・マハリシはすべての動物たちに対して、本当に分け隔てなく接し、共に暮らしておられたのだなと思いました。

師は説かれます。

「ヨーガ行者たちがどのように社会と対処していけばいいのかといえば、すべて平等に接していくのがいい。すべては尊いアートマンなる存在、神なる存在なんだから、その真理を心得た上で丁重に接する、優しく接するということが基本になります」

「結局のところ、実存という、真実在として在るのは真理であるアートマン、あるいは神という存在だけです。形が千差万別あったとしても、そこにあるのは一つの真実だけです」

「ヨーガやあるいは神について学んでいけばいく程に、神は打算がない、そして駆け引きもない、そしてヨーガが教えるところはすべてが神でありアートマンである。単純にその思いだけが心を占めれば、さまざまな出来事の中に自ずと謙虚と感謝が生まれると思います」

 日本にも山を、神がいる場所、神が降臨する場所とみなすような山岳信仰がありますよね。それを思うとラマナ・マハリシがアルナーチャラという丘に住み続けておられたことも、私たち日本人にとっては、なんら驚くべきことではない、素直に受け入れられる出来事なのではないでしょうか。そして京都の町中の至るところにたくさんのお地蔵さんがおられます。日本古来の宗教である神道は「一切は神である」という考えを持っていますが、神々が住むこの日本に、そしてここ京都に、真実を説かれる私たちの師がお生まれになったことも、なんら不思議なことではないのかもしれないと思うのでした。

ダルミニー


平和にあるということ

在るのは平和である。
私たちに必要なのはただ静謐(せいひつ)だけだ。
平和が私たちの真の性質なのだ。
                       ラマナ・マハリシ

ヨーガを学び始めた頃、心は、身体のように目に見える物質ではないけれど、微妙な物質であると聞いてびっくりした覚えがあります。物質なのだと思ったとたん、心が自分から少し離れていったように感じました。心はいつも何かを考え、片時も静かにしていません。そのように客観的に「心」を眺めたことは今までにはなかったことでした。

師は心についてこう説かれています。

「心は自立できません。そのために常に何かを所有したがっている。『私は何々である、誰々である』『これを持っている、あれを持っている』『これができる、あれができる』『知恵がある、力がある』。何であれ心はそういうものであってしか成立しないのです」

師は、心は常に何かに依存しているものであると教えてくださいました。そしてそういう一切の依存関係、執着関係を離れた状態に心があるとき、それが静謐というものであり、その静謐を得る方法がヨーガにあると教えてくださっています。

ある時の問答で、この地球上での戦争や環境破壊、さまざまな理不尽なこととどう向き合っていけばいいのかという質問に、師は、人として苦しんでいる人たちにできることをしていくべきだとも教えてくださいましたが、それよりも自分自身をより良くしてくことが先決だと教えてくださいました。

「第一には自分自身の器、心とか身体とか状況とか、そういうものをより良くしていく。これは心が作り出す間違った欲望とか執着をなくしていくということに他ならないと思いますし、そうして普遍的な愛や慈悲あるいは平和を望む心、そういうものを培って、それを具体的な行為に移していくことができればいいと思います。ともあれ、まずすべきは自分自身の中の平和を確立すること、真実を確立すること、それによって外への働きは有意義に行なわれると思います」

自分自身をまずより良くしていくこと、それがこの世界をより良くしていく第一歩となる、この意味はヨーガの教えを学び、実践していくと実に良く分かります。なぜならヨーガを実践していくと家庭や職場の中で、次第に自分と人と人との間に調和というものが生まれてくるのを感じることができるからです。平和が私たちの真の性質であるからこそ、私たちは平和を強く望んでいるのだと思います。
ヨーガを実践し、もともとの性質である平和な自分自身に戻ろうではありませんか。
それが、世界の平和に貢献することになるのですから。

ダルミニー

シュリー ラナマ マハリシ

シュリー ラマナ マハリシ

 


ヨーギーの日常

ある時、ヨーギーは自分の心に起こるすべての思いを制御しなければならないということを本で読んだことがあります。その時、すごいな〜と思う反面、大変だなぁと思いました。

思いは絶えず無秩序、無制御に湧き起るし、とてもじゃないけれどすべての思いは制御できそうにありません。

でもある時、師は言われました。

自分の体の行為、それから言葉、そしてまた心が何を思っているかという想念は、すべて知られている。知っていなければいけない。そうでなければ制御できない。そうでないと、単に習慣が我が物顔で体を支配してしまう。

これを伺って、「単に習慣が我が物顔で体を支配している」様子を思い浮かべると、何だかぞっとしました。

でも自分の行動をよく観察すれば、習慣的に無条件で行動し、言葉を話し、思いが湧き上がっているようです。実態を知ることから始め、ここにヨーガの条件を当てはめて習慣を変えていく、これが「識別」といわれる実践です。

知らず知らずについた習慣と言いますが、よくよく注意して自分自身の行動と言葉と思いを検証してみなければなりませんね。

ヨーギーとは、そんなとてつもないことをさり気なくしているのですね。

サーナンダ


明日はパラマハンサ発刊日

隔月奇数月10日は機関誌『パラマハンサ』の発刊日です。『パラマハンサ』はMYM会員として年会費を払われた方に無料配布している会報誌になります。

パラマハンサ表紙
1997年から発刊されているので今年で19年になります。

『パラマハンサ』は現代の聖典、真理の教えが書かれています。内容はサットサンガ(真理の集い)での質疑応答、ヨーガの教え、ヨーガを学ぶ者の実践談などが書かれています。何度も読み返すことで学びは深まります。

ヨーガを始めた頃、いくつかある『聖典』は時代背景が違ったり、国や文化が違うことで読んでいてもどこかのおとぎ話を読んでいるかのような感覚がありました。パラマハンサを読むことで、ヨーガの教えをもっと具体的に自分のこととしてとらえることができたと思います。

自分も同じ悩みや苦しみがあると質問者に同調し、それに対する教えを読むと、まるで自分が教えを授かっているかのような気持ちになりました。先輩方の具体的なヨーガの歩みを知ることで、日常の中に実践するヒントを見つけ、真似をすることで少しずつヨーガを理解していったところがあります。

ヨーガを始めた年の夏、かじりつくように過去の『パラマハンサ』を読みふけったことを覚えています。軽く持ち運びができるので肌身離さず持ち歩き、少しでも時間があるとどこででも読んでいました。それはまるで乾いたスポンジが水を吸収するかのように真理の教えは私の身体と心に染み渡り、どこにいても何をしていてもヨーガの教えに浸っていたことを覚えています。とても幸せで忘れがたい夏です。

会員の方は明日を楽しみにお待ちください。そして、まだ読んだことがない方はクラスでもお見せしますのでぜひ声をかけてくださいね。きっとあなたがヨーガを深めるヒントがそこにあると思います。

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パラマハンサ109

美しいパラマハンサはみなさまの手元に届いていますか〜?(パラマハンサとは隔月に発刊されるマハーヨーギーヨーガミッションの会報誌です)
paramahamsa109

パラマハンサには、ヨギさんの教えが弟子との問答形式で載せてあります。不思議なことことですが、自分が一番気になっていること、悩んでいること、そういったタイムリーな教えが載っていて、はっとさせられることも多いのです。

私は介護の仕事をしているのですが、長年、週に何度か、長時間一緒にいる利用者さんがいます。とても気性が激しく、一旦火がつくと大変なことになる方。最近もありました。「あーいつものパターンだな……。関わらないように、空気のように過ごしておこう」と思っていたのですが、あまりにも激しいので、ついつい心はあれこれ感想を述べだします。その人に対して「もーまたそんな文句ばっかり言ってる。そんなこと言っても仕方ないのに!やりにくいな〜」などなど。

しかも今回はそんな状況が以外と長—いこと(何ヶ月も……)続き!!!「いつまでそんなことで怒ってんの!?もういい加減にして欲しい!!!」と私の心はだいぶ動揺していました。

そんなときにふと思い出したのが「諸行無常」という真理の言葉。諸行無常の意味は、言葉の通り、この世界の出来事は常に移り変わり、永遠に続くものはないということです。「当たり前じゃない!?年もとるし、若い時とは体もお肌もぜんぜん違うし」と思うこともあるのですが、それがそれが、なかなか、以外といろいろなことを変わらないと思っていることって多いのです。

今回のパラマハンサに書かれています。

 

「身近なところに、現実的にその諸行無常というのを当てはめていかないといけない。単なる知識じゃないわけだから」

 

なるほど、なるほど、では早速、身近なところに当てはめてみましょう!

私の利用者さんについて、ずっと機嫌が悪いから「この人はホンマに機嫌が悪くて付き合いづらい人」と決めつけています。この何年かでも機嫌の悪い状態は一定期間あり、また収まって、また始まって……と返されてきたのですが、最近ではその人が笑っていても「笑っていてもどうせすぐに怒りだすんじゃないかな?」と疑って見ている自分がいることさえありました。機嫌のいい時、もしくは穏やかな時って意外と印象にない。むしろ怒っている時の方が強く印象に残っている。しかし確かに機嫌が悪い時もあるけれど、いい時もある、それは波のように変わる、それこそ一瞬一瞬で変わる。

私が彼女に持っている印象って、本当にころころ変わるその一瞬を取り上げて勝手に作り上げた印象じゃないのかな?もし、たまたま穏やかな日にしか顔を会わせていなかったら、全然違う印象を持っていたはず。

そう思ったときに、この何年かで蓄積されてきた彼女の印象、それによって出来上がった私の中にある「彼女の性格」というのは、本当に偏りがあるのではないかという気がしてきたのです。諸行無常というのは目に見えることだけでなく、心の思いにもあてはまるのですから、まず「性格」というものを断定するということ自体間違っていると気がついたのです。

そして何より、そんなにころころと変わるものを勝手に限定し、自分で付き合いづらくしていることこそバカらしくなってきたのでした。と言ってもいったん作り上げた印象を無くすことはそう簡単ではないですが、やはり諸行無常を理解しないと本当に自分が苦しめられるということは痛感しました。

 

「……からくりというかそのヴェールを剥ぐことができれば、正しく物事を見ることができる。そうするとすべては諸行無常であると、そういうふうにいろんなところから材料を検討することによって、識別というのはより完全になされていきます。そしたら心はぐうの音も出ないというか、もうそれ以上屁理屈も言えないし、つぶやきもでてこない」

 

今でもその人と話すとき、いろいろなタイミングで「印象」が蘇ってきます。でも心の中で、そんなものは諸行無常のものだ、私はそれには関わらないと無視することにしました。


『さまらさの台所』発行日

5月2日(土)は『さまらさの台所』の出版日!!
出版日を記念して、みんなで集まり、歓びを分かち合いました。
さまらさ本 お披露目
みなさん、本を手にし、ずーーーーっとを見てくれていました。
写真が美しい!美味しそう!!メニューが豊富!!!
などなどたくさんの感想があちこちから聞こえてきました。
さまらさ本 2
料理本ではありますが、この本はヨーガの精神が貫かれた、ヨーガの本です。
身体と心を元気にしていくための食事のあり方、さらに心を制御していくことを学び、ひいては食事を通り越して、どのように生きていくのかという点まで、ヨーガの理想の姿が書かれています。

シャーンティマイーに聞く
このヨーガの食事をずっと作り続けてこられ、それを教えてくださったのはシャーンティマイーさんです。日常の食事作りについて質問がひっきりなしに続きました!誰もが何かを食べて生きていますから、必ずヒントになることが書かれているはずです!ぜひお読みくださいね〜

 

 

 

 

 

 

 

 


『さまらさの台所』発刊!!

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4月8日には『真実を求めてーあるヨーギニーの手記』が発刊されました。みなさまもう読まれましたか〜?そして!!嬉しい新刊報告は続きます。5月2日には、『さまらさの台所』が発刊されます!!!

さまらさの活動が始まってから約10年、この本では、その間にできた美味しい料理のレシピを季節ごとに紹介しています。しかし、それだけではありませんよ!この本には、お料理だけでなくヨーガの教えもしっかりと詰まっているのです。この本は多くの人の協力で出来上がりましたが、その中でも、プロフェッショナルな技術を生かし、印刷会社さんもビックリするようなできに仕上げてくださったのがシャチーさんです。
「シャチーさーーーん!念願の『さまらさの台所』やっとできますね〜。多くの人に見てもらえるように、ぜひPRをお願いします!」

本日、アーシュラマに届きました〜〜〜〜!!

最初に手にした感触は、「ああ、本当に本になったんだな」としみじみ。そして1枚1枚めくってみました。制作者としては実はこれがいちばんドキドキしました。色、きれいに上がってるかな?レイアウトは大丈夫かな?でも、めっちゃ素敵な本に仕上げていただいていました。皆様のお手元に届くのももうすぐです。楽しみにしていてくださいね!

 さて、本のPRということですが……

さまらさスタッフとして、この本に関わらせていただけたことは、本当に歓びですし、不思議な気持ちでもあります。思えばヨーガを始めた頃、料理なんて全くできなかった私が、いつの間にか大きな顔をしてスタッフと名乗っていたのですから……今考えても本当に驚きです。でも、シャーンティマイーさんに教わる料理はどれもとっても簡単で、本の表紙にも書いてある「目からうろこ」な気付きが満載、とっても楽しく、覚えるのも嬉しかった。

 なるほど〜なるほど〜、いやぁほんまや!

 野菜がこんなに生きるのか!! 教わったように作ると本当に美味しいやんか! と何度も驚きました。そして、何よりもおおっと思ったことは! 教わっている過程にはヨーガの教えがふんだんに盛り込まれ、料理って料理するだけではないのね、と気付いたことです。

 こんなふうにして私たちが実際に感じてきたことを、この本にはできるだけ表すようにしてみました。メニューはさまらさスタッフの食卓にもよく登場するものばかりなのでお墨付き、レシピはできるだけシンプルに分かりやすくしてみました。また、一口メモやポイントなども入れ込んだので、実際に作る時の助けになるといいなあと思います。

 私のように何もできない人でも、この本に基づいて作ってみれば、きっと美味しくできます! また、料理は得意よという方にも実際に作って目からうろこな気付きを発見してほしいです。
ぜひ覧くださいね。

シャチー

シャチーさん!ありがとうございました。
本の企画から、レシピ作り、撮影、内容校正、デザインやレイアウトなど、多くの仕事がありましたが、制作中のこぼれ話(苦労話?)なんかもたくさんありますよね〜!それはまたおいおい紹介できればと思います〜。みなさま、ぜひご購入ください。

 

 


発売開始!!

昨日、ついにミラバイさんが書いてくれた『真実を求めてーあるヨーギニの手記』が発売されました。夜には、発売を心待ちにしていたグルバイが集まり、出版をお祝いしました

ミラバイの本

ミラバイの本 祝賀会

やっぱり、著者から買いたい !!ということで、一人ずつ並んでお買い上げ。
初めて手に取ってみて、「何てきれいな本!!」と感動しました。
表紙の写真、本の中の写真もとても美しい!
本の大きさといい、字の大きさといい、とても読みやすい!
初心者の方に気軽に読んでいただけるようにと考えてくださったのだと思います。

実は私、昨日の昼頃から嬉しくて嬉しくて、なんだか歓びがあふれています!
一冊の本を作るということがどれだけ大変なことかは、想像すら出来ませんが、一人でコツコツと書き続け、一人で校正し!?何年もかけて書き上げてくれました。それは、1人でも多くの魂がヨーガに出会うことを望んでいるからだと思うのです。そこには、まだ見ぬ人や、既にヨーガはやっていてもまだ迷いの中にいる人、そういった多くの人への愛があると思いました。何より、その愛の源は師であるヨギさんだと思うと……何だかもう!!いても立ってもいられないぐらい嬉しくなるのです。

さー!!ぜひぜひお買い上げして、読んでくださいね。そしていろんな人にお勧めして下さい。
本の感想もお待ちしています!!

 


傑作『真実を求めて』発刊間近!

この度、4月8日お釈迦様のご生誕日に合わせ、MYMから新書籍ー
『真実を求めて あるヨーギニーの手記』を発刊することになりました。

『真実を求めて』カバー

皆さま、ぜひお求めくださいませ!

なぜなら、ここに現代人が、どのように生活の中でヨーガを実践し、歩んでいけばいいかの道筋が示されているからです。
ヨーガのヒントや秘訣が盛りだくさんです。

この書籍は、著者ミラバイが構想・執筆5年の歳月をかけ、苦難の日々を乗り越えて、師の恩寵をいただき出版の運びになりました。
いや〜本当に一冊の本を完成させ、出版するのは大変な道のりです。よくやり遂げたなあと感服しています!

一人でも多くの方がこの本に触れ、彼女の歩みを通してヨーガに関心を深め、ヨーガを歩むヒントや力になることを願います。

そして、この本には、ミラバイが学んできた師の主要な教えも見事に編纂されているのです。これは道を歩む上での何よりの力になると思います。
まさに近年見られない傑作だと思います!

彼女からメッセージをいただいています。

ついに本が出来上がりました!
長くて、でも振り返るとあっという間の道のりでしたが、今はなんだか自分の子供を送り出すような心境でいます。

この本はこれからヨーガを学ばれる方、また、ヨーガを始めて間もない方に読んでいただければと思って作りました。私自身、ヨーガを学び始めて10年ちょっとになりますが、当時はこの世界で生きる意味を見いだすことができず、苦悩の最中にいたことを記憶しています。しかし、そんな中、師の下で必死になってヨーガに取り組み、何度も失敗と成功を繰り返しながら、ヨーガを続けてきました。そうして今思うことは、この命の意味について、また私たち自身の存在がどういうものなのかについての答えが、このヨーガの中に明示されているということ。それを知り、体験していくことによって、私たちの心と人生は、真の歓びに向かって大きく転換していきます。

だから、ぜひより多くの方にヨーガを知っていってほしい! そしてそのために、私の体験談やこの本が、少しでもお役に立つことができればいいなぁと思っています。

ミラバイ拝

声をかけてくだされば、いつでも、どこへでも駆けつけ、ヨーガの話をしたり、キールタンをすると言っていますので、どうか遠慮なく、声をかけてください。 \(^o^)/
頑張れ!ミーラー・バーイー!

ということで、ご自身のはもちろん、ご家族、ご友人の分も!春満開のようにヨーガを広げていきましょう!
4月10日19時からアーシュラマで発売開始です!郵送も受付けます。詳しくはWebサイトで。

サーナンダ


パラマハンサ

パラマハンサ・サーラ 表紙

パラマハンサ(MYM会員機関誌)108号が発刊されました!プラナヴァ・サーラには、12月に行われたサットサンガでの師と弟子の質疑応答が載っています。この日のサットサンガのことはとてもよく覚えています。北海道から約一年ぶりに師であるヨギさんに会いに来たグルバイ——彼女はヨギさんの正面に座っていましたが全身から歓びが溢れ出ていました。私はちょうどヨギさんが座っておられる所のすぐ下にいたので、その歓喜する様子、そしてその様子をご覧になりとても喜ばれているヨギさんのお顔を今でも記憶しています。

彼女は瞑想の体験について、ヨギさんに質問されています。それは、ヨギさんに瞑想していくと流れ星の雨が降るような宇宙空間の中にぽっかりと浮遊しているようになることがある、それをさらに深めるためにはどのようにすればいいのかというものでした。(詳しくはパラマハンサNo108号をご覧くださいね)

全身全霊で質問される姿を目の当たりにし、どれほどの思いで日々瞑想されているのだろう……と思わずにはいられませんでした。きっとヨギさんに会えない寂しさや恋しさ、お会いすることを心待ちにする思い、すべての感情でもってヨギさんに瞑想されているのだなと感じました。ヨギさんも彼女の真剣さ、瞑想の様子に感心されていました。彼女を見ていると、グルと弟子との関係は物理的な距離は関係ないのだと思わざるを得ません。

彼女の質問をきっかけにしてこの日は瞑想の質問がたくさん出たと記憶しています。瞑想は対象に向かって集中するところから始まります。その結果として、その対象と一つになる状態をサマーディ(三昧)と言います。サマーディにはいくつもの段階があり、瞑想の深さ、心の純粋度によって体験されるものは異なるようです。……というのも、いったい誰がそのすべてを体験しているのでしょう。私には「…のようです。」と仮定して、もしくは「そのように聞きました」としかお話しすることが出来ません!

しかし、サットサンガの中でヨギさんがサマーディについて話をされるとき、「ヨギさんはすべてを当たり前のことのように話される!」と思うのです。そんな時はいつも「私の知りたいことをすべて知っておられる!」と確信します。そんなときは細胞一つ一つが歓びで生き生きと活動し、まるで電気が走ったかのようになり、興奮するのです。そして子供がまだ行ったことのない世界のお話を聞き、胸いっぱいに思いを膨らませ、話を聞くことをせがむように、いつも「もっともっと話を聞きたい、話が終わらなければいいのに」と思うのです。今回のパラマハンサを読んで、その時の興奮が蘇ってきました。

瞑想は地道に続けるものです。時には「私の瞑想って進んでいっているのかな〜?」と思うほどに何の心の変化もないかのようなときもあります。しかし、時としてこうして生きた瞑想の歓びに触れるたび、また新たな気持ちで続けていこうという気持ちになるのです。質問をしてくださったグルバイに、そして、その時の興奮を思い返すことが出来たパラマハンサに、いつも新鮮な歓びを与えてくださるヨギさんに感謝しています。

サティヤー