シュリー・マハーヨーギー/師の教えとサットサンガ」カテゴリーアーカイブ

グルの導き in New York

寒暖の変化が激しいですが、あちらこちらで梅の花も開き、春の足音が聞こえて来ています。

今日は、偉大なる神人シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサの御聖誕日です。マハーヨーギー・ミッション主催の今年の春の祝祭(4月5日)では、昨年に引き続き、シュリー・ラーマクリシュナの御降誕をお祝いし、皆で歓びと感謝を捧げたいと思います。あともう少しですね!

さて、師シュリー・マハーヨーギーは12月上旬〜3月上旬までニューヨークにご布教に赴かれていますが、今年の冬は日本からたくさんの弟子がニューヨークを訪問し、師のお膝下でヨーガを学ばせていただいています。グル(師)と共に過ごす日常の中では、弟子はグルの言葉や呼吸、振る舞いに始まり、グルの影響を全面的に受けて、得難い学びをします。

新春の弟子のサットサンガで大きな変貌が話題になった船勢さんが、今回、ニューヨークでの体験を寄稿してくださいましたので、ご紹介したいと思います。


年末年始にかけて、ニューヨークにヨギさんと共に滞在させていただきました。

ニューヨークでのヨギさんはいつも軽快で、動きやしぐさに無駄がなく、どの瞬間でもそのまま絵になるように見えました。目の前に今必要なものだけがある状態で、その中にいると一瞬一瞬が今の連続であるように感じました。話される時はいつも相手が理解できる言い方でお話ししてくださいました。ヨギさんの見ている世界は私が見ているものとは全然違うのだろうと思います。ヨギさんと接していて、ヨギさんの下でヨーガを学べていることがとても正しいことのように感じました。

ニューヨークではたくさん質問して、ヨギさんはその1つ1つに丁寧に分かりやすく答えて下さいました。それと同時に、私が言葉にはしなかったことに対しても答えて下さっていたように感じます。

私はあることに対して「どうして自分はいつもこうなってしまうのだろう」という思いを持っていました。そしてそんな心の思いに負けない強い自分になりたいと願っていました。ヨギさんには、心に影響を受けないようになっていくための質問などをしましたが、その思い自体については話しませんでした。身の上話を聞いてもらうことよりも、強くあろうと実践することを選びたかったことと、必要以上にヨギさんに頼ってしまう状態になることを避けたかったからです。

滞在中ヨギさんは、何度かふとした会話の中で、私と似たような傾向を持つ人がどのように変わってきたかを話されることがありました。その時、私はただの雑談だと思って聞きながら、だんだん「自分だけが苦労している訳じゃないのだな」と感じて、滞在数日後には自分が持っていた思いはどうでも良いことのように感じ、すっかり忘れてしまっていました。知らず知らずの内に、いつも心のどこかに引っ掛かっていた思いから離れて、目の前の出来事を見て、聞いて、感じることができるようになっていたのです。
帰国して数週間経った頃に、その引っ掛かりが戻ってきて、その時初めて、ニューヨーク滞在中はその思いから解放されていたこと、ヨギさんが話して下さったことはただの雑談ではなかったことに気付きました。そして、私が具体的に話さなかったことに対してまで導いて下さったヨギさんに驚き、ただただ尊敬の気持ちでいっぱいになりました。
今、その思いはまだありますが、一度解放された状態を経験していることで、心がそう見せているだけだ、ただ相対的にそう見えているだけだ、と理解することができます。そして、一度理解したのだから、もう二度と思い込まないように気を付け続けています。

また、滞在中のある日、ヨギさんが私の至らない所をはっきりとした口調で注意して下さったことがありました。その時はショックでしたが、ヨギさんが仰って下さったことは自分では気付くことができないことだったので、ヨギさんのおかげで、自分では分からなかったことを知ることができました。そして今何をするべきかが少し見えてきたように感じています。このことは帰国後の自分を強くしてくれたように思います。

ヨギさんが教えて下さったことを実行していって、何年もかけて深めていって、いつか次のアドバイスをもらえるようになっていきたいです。本当にヨギさんには感謝で一杯です!

今回の滞在を通して、滞在中にたくさん助けて下さったニューヨークのアーナンダマーリーさん、そして東京のサルヴァーニーさん、ニューヨークのグルバイ、また渡米前にアドバイスを下さった先輩グルバイ(兄弟姉妹弟子)にもとても感謝しています。サンガ(弟子の集まり)のありがたさを実感しています。先輩グルバイと一緒にいるとヨギさんがいなくてもその場にヨギさんがいるような空気があると思います。自分もいつかそうあれるように一所懸命ヨギさんの教えを実践していきたいです。

船勢洋子


何のために生きるのか〜定例サットサンガより

歓喜のジャヤンティーから2週間後に行われた定例サットサンガ。ジャヤンティーの歓びを抱きつつもそこで捧げられた祝辞について考え、自らと真剣に向き合った参加者から様々な質問がありました。何のために生きるのか。この命をどう使うのか。この根源的な問題について、師は次のようにおっしゃられました。

命とは何なのか。生まれて、あくせくして暮らして、そして死んでそれで終わりなのか?物質的な快楽や刺激を貪るだけなのか?命を見失うことになってはいないか? また、命を考える時は、「本当の幸せは何なのだろう」という問いかけも生じます。何かを得たことによって幸せになるのか?そうではない何かがあるのではないか?

「何のために生きるのか」を自らに問いかけ、心の思いを点検すること。もし何かしらに執らわれていることがあれば、それは本当だろうか?永遠の値打ちがあるものなのだろうか?と真理をそこに突き合わせる。それを積極的に、仕事も手に付かなくなってしまうほど熱心にやらなければなりません。

真理を学び、それを実現するために自らを、その生涯を使うことで永遠の命を得ることができます。

私達は、心が執らわれる様々なことを手放せず苦しみ悩むことが多々ありますが、8歳で真我に目覚められ何の執らわれもない師は、「皆は何に悩んでいるのだろう?」と不思議に思われたそうで(笑)、その正体を明らかにするため瞑想に没頭する高校生だった(没頭して高校に行く暇もないほど熱心に瞑想されていた!)そうです。その結果、19歳の時には何も問題がやってこない、謎が何もない、全てクリアで全ての意味が解けたとのことでした。

この日のサットサンガも、オーム、ナーダ・ブラフマン、リグ・ヴェーダの宇宙開闢の歌、心の解体方法など様々な質問がありましたが、師は全ての質問に淀みなく答えられ、真理を説き、皆を導き励まされました。
私はそのお姿を拝見し、「真実を求める者よ!ここに全ての疑問に答えてくださる方がいらっしゃる!早くここに、師の御足下に集まって!!」と願わずにはいられませんでした。あぁ、師の存在はなんて尊くて有難く、師と共に過ごすことがどれほど吉祥なことなのか!!

12月11日、師は3ヶ月間のニューヨークご布教へと赴かれました。ニューヨークでも日本でも台湾でも世界中のどこでも、真実を求める一人でも多くの方が師の下に辿り着きますように。そして私自身が、ほんの少しでもそのお役に立てるよう働くことができますように。

ターリカー


歓喜のジャヤンティー2019!!!

晴れ渡った秋空に紅葉が見事に映える、朝から心地よい日射しの11月23日(土)、最愛の師、シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサの御聖誕祭(ジャヤンティー)が開催されました!

11月23日朝、プレーマ・アーシュラマ横の紅葉

1年で最も大切な日!常日頃私たちを絶えず真理へと導き、溢れる愛を注いでくださっている最愛の師に、少しでも感謝の思いを伝え、ヨーガの道を歩む決意を伝えようと、弟子たちが高まる思いを胸に抱いて集いました!日本各地から大勢の弟子が集い、台湾からもたくさんの弟子が参加しました。ニューヨークにはインターネット中継が繋がり、深夜にも関わらず、熱心なグルバイ(兄弟姉妹弟子)が参加しました。皆、特別な日に師とお会いできる幸運を喜び、紅潮する顔が印象的でした。もちろん、都合で参加できなかった弟子たちも、それぞれが師への純粋な思いによって参加していたことでしょう!

たくさんのグルバイたちが全国各地から続々と集まりました。受付を済ませ、開始を待ちます。

台湾からも!ジャヤンティー初参加の方もおられ、ドキドキしながら開会を待ちます。

真理の恩寵が天から降り注ぐような歓喜の1日!!!さあ、ジャヤンティーの始まりです!

ジャヤンティーでは、プージャー(礼拝)、祝辞、キールタン奉納、聖劇奉納が行なわれます。詳細は新年の機関誌『パラマハンサ』1月号に譲るとして、ブログでは写真を中心にジャヤンティーの内容をご紹介したいと思います。

真実そのものの顕れであるサットグル(真実の師)とのかけがえのない縁を喜び、深い感謝を込めて礼拝が捧げられました。清らかな鐘の音が会場を鎮め、聖音オームの振動が広がります。マントラが殷々と朗唱され、散華の歌が捧げられました。無形の真理が人の姿をとって地上に顕現するその祝福と喜び!!!サットグルに出会えることがどれほど稀有で、得難いことか!道を歩む者にとって暗闇の中の唯一の光!その輝きに目を奪われることでしょう!

弟子は、グルの存在と導きにどれほど救われ、新しい命を授かり、生き方が変わったことか。その思いを結晶化し、8名の弟子が力強い祝辞を捧げました。またニューヨークからもたくさんの歓びのメッセージが届けられ、紹介されました。生中継ではニューヨークに集まったグルバイたちのリアルタイムの声も届けられました。本当に、純粋な思いが宝石のように輝いていました!

京都、東京、松山の弟子たちから祝辞が捧げられました!みんなそれぞれが、シュリー・マハーヨーギーへの深い感謝の思いと力強い決意を捧げました。

ニューヨーク・ミッションのアーナンダマーリーの祝辞がジャヤデーヴィー代読で捧げられました!

そして、台湾から参加したグルバイが、初めてジャヤンティーでキールタン「Bhajamana Ram バジャマナ・ラーマ」を奉納します。歓び溢れる歌声が会場を満たし、聴く者のハートを震わせます!みずみずしい純粋な思いに会場が満たされました。

台湾のグルバイによる初めてのキールタン奉納!シュリー・マハーヨーギーへの純粋な思いがキールタンとともに捧げられ、師は終始慈愛に満ちた目で見ておられました!

さあ聖劇です!今年の演目は、聖典ウパニシャッド「ウパコーサラが火から学んだ教え」です。2007年に奉納した聖劇「サティヤカーマのグルへの入門」の続編です。この日のために全てを出し尽くした面々が師に喜んでいただけるよう、精一杯演じました!

ウパコーサラは、グル・サティヤカーマに入門し、火の儀式を習得します。しかしブラフマンの叡智を学びたいウパコーサラ・・・果たして結末はいかに!? 2007年の聖劇の写真も登場?火の化身が渾身のハカを披露?!タパスはブラフマンなり!!! 写真を拡大してお楽しみください!

聖劇の後のインタビューでは、聖劇にまつわるエピソードが紹介されました。

弟子たちの祝辞や奉納を喜びをもって受け取ってくださったシュリー・マハーヨーギー。その慈愛に満ちた御姿を目にし、私たちのハートは歓びに満ちました!

なんと歓喜に満ちたジャヤンティーだったことでしょう!最愛の師への限りない感謝の思いと、ヨーガの実現への力強い誓願は、誰ものハートにしっかりと刻まれました!

ジャヤンティ後は各庵に集い、皆でプラサードをいただきながら、歓びの余韻を味わいました。その報告は次回のブログに譲ります。

少しはジャヤンティの様子が伝わりましたでしょうか。このような歓びの機会を与えてくださった師シュリー・マハーヨーギーに心より感謝いたします!本当にありがとうございました!

ジャイ!サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ キ ジャイ!!!!

サーナンダ拝


すべての聖典が教えるところ〜京都 定例サットサンガ〜

師の教えに耳を傾けていると、自分の小さな心の世界を突破し、無限に広がる真理の大海が広がっていくような感覚になることがあります。

先日行なわれた京都の定例サットサンガ。
和やかながらも真剣な問答が続く中、師が気迫を込めて語られた、印象に残るシーンがありました。

聖典『バガヴァット・ギーター』を読みながらノートをとり、わからない部分をチェックしているという質問者。意志や想念などの心の働きと専心(バクティ)についての問いに、師は明瞭にそれらを解き明かれた上で、些細な言葉に翻弄されず心を神のみに向けるよう、力強く導かれました。

 シュリー・ラーマクリシュナはどう言っているかーー。
『バガヴァット・ギーター』の教えは、すべてを放棄せよ! これだけだよと。
単純じゃないですか。言葉上の詮索なんていうのは学者がすればいいことであって、ヨーギーがするものではない!
ノートなんてとらなくてもいいし、分析なんてしなくてもいい!
それよりも、自分自身の心の安らぎ、もう一方ではどれだけ神の至福を味わえているかーー実質的な果実というものを味わうようにしてください。 

真摯に受け止めた質問者がお礼を述べた後、師は満面の笑顔で軽やかに続けられました。 

すべての聖典が教えるところは、無知煩悩をなくしなさい、放棄しなさい、
そして神、アートマン、ブラフマンという真理だけが真実だと――この二つです。
すべての聖典が詰まるところ言いたいことは、これだけなんです!

師の言葉は、時に落雷のように、私たちの頑ななこだわりや観念、習慣性といった心を一撃します。心はついつい複雑にいろんなことを捉えようとしますが、真理は、神は、単純でシンプル。師がいつも私たちに伝えてくださっていることも、まさにこの二つのことに限るのです! 
余計な心を一切排除し、大胆に、ダイレクトに真理に飛び込んでいけますように!

さまざまな知識や情報が氾濫している現代、古代から続くヨーガの道の入り口を見つけることはとても難しく、たとえ権威ある聖典を手にしたとしても、その内容を正しく理解していくことは困難だと思います。またどれだけ知識を得たとしても、実際のものとはならないでしょう。

あらゆる聖典のエッセンスをご自身で実証し、ヨーガの道をたった独りで開拓してこられた師の存在と生きた教えは、求道者を速やかに真実へと導く、何よりも確かな道しるべであり、稀有なるものだと感じます。

敬愛する師のご聖誕日を前に、師の導きに心から感謝を捧げます。

マードゥリー


神様への奉仕 〜松山特別サットサンガより

さて皆様、11月に入りました!  11月は師シュリー・マハーヨーギーが御聖誕された吉祥な月です。11月23日(土・祝)には師の御聖誕祭が開催されます!弟子にとって一年に一度の特別な日です。私たちを絶えず導いてくださっている最愛の師への感謝と喜びを胸に、弟子は喜びの中で御聖誕祭の準備に勤しみ、心待ちにしています!

さて、その師の魅力に惹きつけられ、虜になった女性がいます。師の直伝クラスに参加されるようになってから、毎週のように大阪から京都まで熱心にヨーガを学びに通われている船勢(ふなせ)さんです。今回、船勢さんから松山特別サットサンガに参加した感想を寄せていただきましたので、ご紹介したいと思います。


10月の京都でのサットサンガで、ヨギさんに神様を信仰することについて質問をしました。

質問の中で、ヨギさんと向かい合いながら、「神様のシヴァ神がとても好きで」と言った時、シヴァご本人に向かって「あなたのことが好きです」と言ってしまったような感覚になりました。すると胸がいっぱいになり声が出なくなってしまって、質問を最後までしゃべることにすごく苦労しました。1年前に直伝クラスでお会いした時からヨギさんのことは信頼していましたが、これがグルの恩恵なんだと初めてはっきりと感じました。

そんな体験があった2週間後に松山での特別サットサンガがあり、ただただヨギさんに二日間続けてお会いしたくて、参加させていただきました。
ヨギさんがスタジオに入って来られた時、場の空気が静まり、胸が暖かくなるのを感じました。ヨギさんがそこにいてくださるということがとても幸せでした。ヨギさんと同じ空気の中にいるだけで、心が整理されて軽くなるような感覚があります。

松山での特別サットサンガ(10月19日)

サットサンガの中で「神様は、こちらが一歩近づくと、神様の方は三歩近づいてきてくれる」とのお言葉がありました。

ヨギさんと出会ってからずい分とシヴァを身近に感じるようになりました。自分にはそんな能力はないのでヨギさんの導きなんだろうと漠然と思っていましたが、知りたいという思いをヨギさんやシヴァが受け取ってくれていたように感じて涙が出てきました。ヨギさんのおっしゃる言葉は心の内側にそのまま入ってしまう感じがあります。

また、「純粋な信仰とは、自らを神にささげる、神に奉仕する、神からもらおうとするのではなく神に与えようとすること」というお言葉も印象的でした。

サットサンガの中ではあまりピンときていなかったのですが、その後に先輩グルバイさんたちと接していた中で腑に落ちたように感じました。先輩グルバイさんたちは後輩である私が少しでもヨギさんに近づけるように考えてくださり、応援してくださり、見守ってくださいます。

ヨギさんがおっしゃっていた「神に奉仕する」というのはこういうことも含まれているのではないかと感じます。先輩たちを見ていると、いつかは自分もそうありたいと心から思います。

松山特別サットサンガでの船勢さん

そしてヨギさんが「いつも一緒にいます」とおっしゃって下さった場面がありました。

このお言葉の意味は今もよく分からないと感じています。いつかははっきりと理解できるように、毎日ちゃんとサーダナ(修練)をして、シヴァを想い、ヨギさんの下でヨーガを学び続けていきたいと強く願います。

船勢洋子


松山特別サットサンガのご報告(2)‼️

10月19日・20日、師シュリー・マハーヨーギーが松山をご訪問され、特別サットサンガが開催されました!!
その報告は、感動いっぱいに東京から初参加のターリカーさんが前回のブログにアップしてくださいました!!

2016年から始まった松山の特別サットサンガは、今回で5回目となります。
たいへん有難いことに私ゴーパーラ、地元が松山ということもあり、今回も京都から参加させていただきましたので、私の方からも特別サットサンガで印象に残ったことを、少しお伝えさせていただきます。

松山の特別サットサンガは、年に一度か二度の貴重な場ーーこの時にしか師と会えない方、また京都を頻繁に訪れている松山のグルバイもこのサットサンガにすべてを懸けていると言っても過言ではないほど、熱い思いで師をお迎えしています。
そのため、サットサンガ開始時は師にお会いする歓び、また緊張感が入り混じり、いつも独特の雰囲気が会場内を覆っています。
そんな中、ほとんどのサットサンガの先陣を切って質問をするのが、玉井さんという女性の方です。

師の真正面に座っている玉井さん。

今回も玉井さんの質問から1日目のサットサンガは始まりましたが、2日目のサットサンガはその会の中盤、「自分で自分を評価するという自惚れた感情を徹底的に取り出すいい方法はありますか」と彼女は真剣な様子で師に質問を投げかけました。
少し間があり、師がどのようにお答えになるのか皆が集中する中、師は次のように答えられました。

「こう覚えてください。その自惚れの反対は何かといえば、謙虚さです。(きっぱりとした口調で)謙虚さがなければ、ヨーガは進めていくことはできません。だからヨーガを進めたいと思えば、謙虚にならないといけない。これはもう鉄則なんです。だから自惚れが出てきそうになったら、もうそれは反省して、すぐさま謙虚になるように訓練していってください」

この師のお答えの最中に私は、玉井さんの「ハッ」という心の声のようなものが、不思議と大きな音で聞こえてきました。
そして玉井さんを見ると、その瞳から涙が溢れていました。
後日、玉井さんにあの問答の時に何が起こっていたのか聞くと、次のように話してくれました。

「『自惚れの反対は謙虚さです』というヨーギーさんのお答えを聞いた瞬間、自分がヨーガを始めるきっかけが『謙虚になりたい』ということだったと思い出し、ハッとしました。その思いはずっと忘れていて、なんでヨーギーさんは私のことを知っているのかと驚きました。また『謙虚にならないといけない』ときっぱりとした口調で言い切られたことも初めてで、そのお答えを聞くと、自然と涙が溢れて止まらなくなりました。今でもあの時のことを思い出すと、涙が出てきます」

ヨーガを歩んでいく上で、もっとも大事なことの一つが「初心(発心)」だといわれています。
師があの問答の中で、玉井さんのいちばん大事な原点の初心を一瞬にして思い起こさせたことに私は驚き、これこそがサットサンガの醍醐味であり、真正のグルの導きと恩寵であると感動しました。

この話を聞いた後、玉井さんは最近職場で「小さな気付き」があったことも話してくれました。
実は玉井さん、偶然にも私の母と同じ職場の郵便局に勤めているのですが(母もヨーガ・サーラ・スタジオに通っており、今や玉井さんとは一緒に食事をする仲のようです笑)、郵便局は今の時期から年賀状の受付の仕事が始まり、作業をしながら多くの電話対応をしなければならない繁忙期に入ってきているそうです。
玉井さんは、そんな忙しい時に電話が鳴ると「イラっとする」と素直に話していましたが(笑)、サットサンガを終えた翌週、職場で電話対応をすると、次のことが感じられたそうです。

「電話で相手の方が丁寧に話していたのが感じられ、今まで忙しさで自分のことしか見れていなかったことに気付かされました。初めて電話の向こう側の相手のことが感じられたように思います」

「小さい気付きかもしれない」と玉井さんは謙虚に言っていましたが、「自分ではなく他者」という転換は、本当に素晴らしい気付きだと私は感じました。
期せずして、あのサットサンガの玉井さんの前の問答で、師はこのように話しておられました。

「一人で部屋の中でアーサナや瞑想をしているのは、まだ練習にすぎない。やはり、さまざまな自然界の中で、人の中での出来事の中で、自分の心がどれほど落ち着いていられるか、そこでヨーガが試されている」

今回も師シュリー・マハーヨーギーの計り知れない恩寵と導き、また松山の方々の純粋で熱いハートと献身奉仕を間近で体感させていただいた、最高の松山特別サットサンガでした!!!
心より、感謝を申し上げます。
今回も参加させていただき、本当にありがとうございました。
日常こそがヨーガの本番、そのことを肝に銘じ、私自身も日々の実践を行なっていきたいと切に願います。「謙虚さ」をもって!

ゴーパーラ


松山特別サットサンガのご報告‼️

10月19、20日、師シュリー・マハーヨーギーは愛媛・松山を訪問され、特別サットサンガを行なってくださいました。今回のご訪問は初物尽くし!まず、ヨーガ・サーラ・スタジオという名前をいただいてから初めて!!
さらに今年5月に続いて年2度目のご訪問となるのも初めて!!そして私(ターリカー)が参加させていただくのも初めて(笑)ということで、東京から初参加の私の方からサットサンガの様子をご報告させて頂きます。

両日とも会場は満員、質問は途切れることなく続きあっという間に時間が過ぎていきました。参加者には高校生の方や、たとえ10分でもいいからと、初めて師にお会いするために仕事の休憩時間に参加された方もいらっしゃいました。終始集中感があり、師を見つめる皆さんの眼差しはうっとりしながらも熱く、またそれに応える師のお姿は言いようがない程美しくて、とにかく歓びに溢れた甘美な2日間。甘美とはこういうことか!!と感じた至福の時でした。

参加された方々は、瞑想クラスや日々のクラスでの学び、そして何よりこれまでの師の特別サットサンガで授かった教えを、日常生活で取り組み参加されていることが、初参加の私にも伝わるサットサンガでした。師はやさしく笑いを交えながらも、時にきっぱり且つシンプルにわかりやすく質問に答えられ、1日目の最後には力強く私たちを鼓舞し導かれました。

皆やむを得ずカルマを持って生まれてきています。カルマというのは、いいものも悪いものもあるのだけれど、総じて一切は苦であると言われているように、たとえいいことがあったとしてもその人生の最後においては皆死んでしまうという苦しみを負うわけです。何があったとしても、詰まる所は苦しみになってしまうのですね。
それらを引き起こしたのがカルマ、過去生の経験からの出来事の見返り、ということになります。過去生のカルマから抜け出すことが出来てもまた新たなカルマを作り出していくことにもなるわけで、それが延々と輪廻転生していくわけです。そういう理・道理というものをまず理解して、その苦しみを無くしていくため自分の心の習慣、カルマを具体的に無くしていかなければならない。そうすれば、もはやこの苦しみを感じる所も無くなっていく。それがヨーガの全工程です。アーサナ・瞑想、聖典を学びながら、またこういうサットサンガや色々な手立てをもって、自分自身をより本当の幸せという所に持っていこう、苦しみを無くしていこう、というものなのです。 だからこれはライフワーク、生涯の仕事です。これが一生涯で終わったら本当にものすごくラッキー(笑)それくらい輪廻転生の生涯にわたって連鎖している膨大なカルマがあり、そこからの脱出劇が行われているわけです。
その中で皆はその主人公、ヒーローでありヒロインなのだから、もっともっとそれらしく(笑)やってほしい!苦しみを作り出すカルマなんて本当は無いのだから。そんなものは心と無知が作り出した幻想に過ぎない。それに気づいて克服していく、そしてそれを実現していくことがひいては周りの人にもいい影響を与えるに違いないのです。一人一人の実現がとても大事なことです。真実は既に自分の中にあるわけですから、それを隠しているいらないものを取り除けば、それだけでひとりでに現れます。

そして2日目はこうもおっしゃられました。

自分自身を高める、悟りに対して真剣に努力する。真剣さによって万事円滑にやさしく運んでいくと私は信じています。だから私はあまり細かいことは言わないはずです(笑)。本当に信じています。みんながいいものを持っているに違いない。本当にそうだと思います。

師が語られた真実の教えは、会場がアットホームな雰囲気で師との距離が近いこと、また2日にわたって師と共に過ごさせて頂いたこともあり、よりダイレクトに私のハートを震わせ心はサットヴァになったように思います。そして今回私は、師が「いつも一緒にいます」と言ってくださっているそのお言葉を体感すると同時に、魂は共にあるけれど肉体が分かれているからこそ、こうして師と遊び、甘美な時間を楽しみ、歓びあい、歓びがどんどん広がる様を味わえる!なんと吉祥なことか!!と強烈に感じ、師への感謝でいっぱいになりました。

終わったばかりではありますが、松山の皆さんはそれぞれがお教えいただいたことを日常生活で実践する決意をし、もう既に次に師と過ごす時間を心待ちにされていることでしょう。私たちを信じてくださっている師をハートに感じながら、一日も早くカルマの人生から脱出することを目指して、今いる場所で互いに精進してまいりましょう!!

最後になりましたが、師をお迎えする準備を歓びの中で進めてくださった松山の皆さんに感謝致します。皆さんの働きを傍で見せて頂き、多くを学ばせて頂きました。必ずこの学びを糧にします。
そして何より、何も計らいが無いながらも誰よりも皆を気遣い、楽しませ、献身される師のお姿を近くで拝見させて頂きました。全てを与えてくださった師に心から感謝申し上げます。もっともっと歓んでいただけるよう精進して参りますので、これからもずっと遊んでください!そしていつか東京でも、この歓びを爆発させます!!

ターリカー


グルの存在と導き 〜サットサンガより

十月五日、秋の日は釣瓶落としという言葉通り、サットサンガ開始時間には、日が完全に沈み、暗闇が広がっていました。師から聞くヨーガの教えは、暗闇を照らす光のようだと感じ、その暗闇さえも美しく思えました。師のお座りになられる椅子の前には、すすきや秋の草花が涼やかに生けられており、はじめて師に会われる方も含め、たくさんの弟子が集いました。質疑応答は、途切れなくおこなわれ、質問内容は日常のこと、識別や瞑想、心のしくみ、マントラなどヨーガのあらゆる視点から行われました。

印象的だった師の教えをご紹介します。

「ヨーギーたちは昼間眠るようにしながら、そして夜中に活動する」っていう言葉は事実です。それは、何を意味しているかといえば、執着です。
世間一般の人たちは、はからずも、カルマによって、世界という社会や様々なつながりの中で執着というものがあり、その執着が活動的にさせるということで、朝日が昇れば起きるわけです。そして、疲れて夜眠る。しかし、ヨーギーたちは、まず、執着をなくしていますから、たとえ朝、目が開いていたとしても、そこには、執着する対象がない。しかし、義務としてなんらかの仕事や生活をやっていく上の活動というのは、あたかも眠ったかのような無執着の心で行うというそういう意味です。

 師ご自身も、お仕事をされていたある時期には、昼間は精一杯、フル回転で働き、真夜中に家族が寝静まってからアーサナをされていたそうで、この教えは、師、ご自身の経験でもあると話されました。また、「朝、目が開いていたとしても、そこには執着する対象がない」と表現された、師ご自身の境地に胸が震えました。私は、その時、師が真のヨーギーであることを改めて実感したのです。私たちと同じ現代社会を生きる真のヨーギーが、日本の京都という地にいてくださって、こうしてその叡智に実際に触れられるという事実がどれほど尊いことなのかと思いました。そして、師はさらに、昼間眠るように世間の義務を果たすコツを教えてくださいました。

コツは何かと言えば、無執着心でいること、もうひとつには、真実である神を見つめること、同時にまた目の前の人たち、いろんなものに対して神を見ること、それが、コツになると思います。

 師の教えは、質問者がその境地に至るように、今、実践できることが必ず示されています。どんなにその境地が遠くても、今できることを指し示されます。そこには真理だけがあります。そしてそれは、純粋な愛によって発せられ、祝福と共に質問者に授けられる、とてもリアルなものです。それに触れるだけで、自らの不純なものがあぶり出され、消え去るように感じます。改めて、師(グル)の存在と導きを実感したサットサンガでした。

オーム タット サット オーム!!

山口正美


サットサンガ@マハーヨーギー・アーシュラマ

先週の土曜日、マハーヨーギー・アーシュラマにてサットサンガが行なわれました。趣のある調えられた京町家の空間に、各クラスからの初参加の方が中心に集いました(なんと九州から遥々来られた方もありました!)。

和やかな雰囲気の中、活発な質疑が続きました。シュリー・マハーヨーギーは終始にこやかに様々な質問に応えながら、私たちが人生において何を一番大切にするべきか、何をゴールに据えるべきか、丁寧に語ってくださいました。
誰もが師の存在に魅了され、師が語られる真理の言葉を受け止め、これから歩みを進めるための大きな力をいただいたように思います。

終了後にはたくさんの感謝と感動の声が届けられました。師の尊さ、人となり、導きをそれぞれがどのように感じ取られたのかが、それらのメッセージからみずみずしい喜びとともに伝わってきます。ここにいくつかをご紹介します。


ヨギさんに近くでお会いして、実際のお声を聞くことはなかなかないのですが、それだけで透明な、とても純粋な水に触れたような、清らかな心地よい時間を過ごさせていただきました。
自分は誰か?という問いかけについて、瞑想クラスで教えていただいてきたことが、より具体的に理解できたように思います。
エゴで覆い隠されてしまっている本当の自分を少しずつ明らかにしていくことがするべきことなんだとわかりました。
そして、カルマについても果たしていかなければいけないんだと気付きました。
みなさんの真剣な問いかけに対して、ヨギさんの柔らかな笑顔がとても印象的でした。本当に素晴らしい機会を与えてくださり、ありがとうございました。
これからのヨーガの実践のための、心の支えになりました。

* * *

質問に対して真理から答えを出されているということが初めての体験で、非常に心に響きました。ヨギさんが言っているからという理由でただ信じるのではなく、「自分で考えて、確かめて、実感してください」と言われたことが印象的でした。

* * *

ヨギ様にお会いできて一番強く感じたのは「何もない中にすべてある」ということでした。
所有や肩書きの多い生き方より、最も豊かな生き方だと思いました。
「すべての命が永遠であり、一つである」
あなたが私で、私があなた。すべては一つ。
みんなが「それ」に目覚めたら、争いも諍いも苦悩も消滅すると思いました。
貴重な体験をさせていただき心から感謝いたします。
また必ず参加したいです。

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アーシュラマの2階に着いた時、不思議と緊張がほぐれ、以前お会いした時と変わらない雰囲気のヨギさんにほっとしました。
「わたしは誰?」ということを考えていくことで真我が目覚めることに近づいていく、名前はあくまで印であるということが強く印象に残りました。
家に帰ってからそのことについて考えていると、そういえば「ブッダ」という言葉は人の名前でもあるけれど、「目覚めた人」という意味があったことを思い出しました。本当の自分(=真我)に目覚めることが、今後の目標だなということを、今回のサットサンガを通じてようやく実感しました。
まだスタート地点に立っている感じで、まずはヤマ・二ヤマできているかなという確認と実践から取り組んでいく所存です! 道は長そうだし、今世で実現できる可能性は限りなく低い気がしますが、今回知ることができただけでも一歩踏み出したのかなと思います。
また、食事や働き方に対する姿勢など他の方の質問も、自分自身の今ある状況に置き換えて考えることができてとても勉強になりました。ヨギさんと今回この場を作ってくださった皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。

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子どもに伝えるべきことについて、ヨギさんが「神はここ(胸の内)にある」とおっしゃられたことがとても胸に響きました。自分の子が救われ、また自分も救われた思いがしました。
ヨギさんの眼差しと、ヨーガと瞑想に励みなさいとのお言葉を胸に努力していきたいと思いました。

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ヨギさんの印象は、(上手な表現ができません。失礼をお許しください!)よい意味で拍子抜けするほど、師匠とか教祖とかにありがちな変な威張るような力んだ威厳が全くなくて、もんのすごいニュートラルな感じの方(力みが全く感じられない人)だなぁと感じました。
一連のお話を拝聴させてもらって感じたことは、アートマン(真我)を覚醒することが人生の目標、目的であるということ。そのためには、自分の心のモヤモヤ(カルマやエゴ)が起こらないような選択をし、思考を変化させていくことも必要なのかなと感じました。
かなり独りよがりな思考に陥りがちな私には、よい影響を受けたと思います。

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ヨギさんが慎重に言葉を選んで長くなく必要なお話を受け答えされている姿に感銘を受けました。お一人ずつの思いは違えどその方の必要な答えと言葉には、普遍的な共通するものがあり、サットサンガに集まる理由がわかりました。真の導師のお姿に感謝の念を覚えました。
私へのお答えにも、確たる確信の言葉を得られました。この日が来たことに大きな感謝と、これからは迷わずひたすらにヨーガの道を歩んで行きたいと決心したところです。


マハーヨーギー・ミッションでは、毎月第一土曜日、師の定例サットサンガを行なっています。
また今月、10月19日(土)、20(日)は松山でも特別サットサンガを開催予定です。
どちらも、初めての方も、どなたでもご参加いただけます。
生き方を模索している人、ヨーガや瞑想を真に学びたい人、師を探している人、自由や愛、真実を求めている人・・・ぜひ、師の息吹に直接触れてみてください!


徹底した識別の先にあるもの~サットサンガより

2カ月にわたるニューヨークご布教から戻られた師にお会いするため、多くの弟子や新しい方が集まった9月の定例サットサンガ。今回、師からニューヨークの様子をお聞かせいただきとても嬉しく励みとなったのは、ニューヨークのサンガ(弟子たちの集まり)のつながりが強くなっているということです。

彼らは個人主義的な教育を受けて育ち、サンガのつながりを深めていくことは簡単なことではなかったようですが、勉強会やミーティングを通じそれぞれの悟りへの熱情が高まり、サンガのつながりが強くなっていったそうです。
ニューヨークでの最後のクラス後、深夜にもかかわらず師と別れ難かった多くの弟子たちが師の滞在するお住まい前の公園に集まり、師にキールタンを捧げたそうです。捧げずにはいられない!!それほど情熱が高まっている!!!そんな様子が目に浮かび、聞いている私たちもその溢れる思いに触れたようでした。
こうした変化について師は、「2年前に話した“ロープの例え話”が薬となったようです(笑)」といたずらっぽくおっしゃいました。(→ロープの例え話のブログ

いくら知識があっても、アーサナをして瞑想をしていても、此岸(しがん)につながっていては一歩も彼岸(ひがん)に進むことはできない。すべきことは、ロープを外すこと。まずこの世界に対する執着を無くすこと。

そして、こうもおっしゃられました。
心にまがい物があるような状態では、真剣さも情熱も限りがあるということになる。

世間への執着を手放し、放棄する。それがなければ、全てに限りがありその先へは進めない。師はこの日のサットサンガを通じて識別の必要性を説かれましたが、まず自分が握りしめているものを見極め、手放さなければならないと強く感じました。そして、初めて師にお会いするために遠方から参加された方にこう説かれました。

放棄というものは、闇雲には出来ないものです。正しい識別によって、心が「これは間違っていたのだ、これはいらないものなのだ、これは完全ではない、永遠ではない」ということを理解すれば、その問題は識別されたということになって、自動的に放棄されます。
やるべきことは、引っ掛かっている問題に対して「それは完全なのか、それは本当の幸せなものなのか、永遠に存在しているのだろうか、真実なのだろうか」と、真理の言葉を突き合わせるようにして。そうすればどちらが正しいかということが直観されます。識別はそのようにしてやっていってください。

識別と放棄を繰り返し、さらに微細なところから原因というところまで識別を徹底する。本質としての真実性があるのか、ないのかを見極めていく。こうした徹底した識別は、「玉ねぎの皮を剥いていくようなもの」と師はおっしゃいます。

全部剥いてしまえば何もない!からっぽで自由!!それは私たちが拝見している師のお姿そのものです。私も夢からすぐにでも覚めたいけれど、やることは一歩ずつ、日々努力を積み重ねること。玉ねぎを剥いたその先に何があるのかを、ご自身で示してくださる師に出会えた奇跡に感謝をしながら、努力を重ねる!!そう強く思ったサットサンガでした。

ターリカー