桜の花が美しく咲き始め、鳥たちが喜びをさえずり、大地が春の喜びを身にまとっています!もうすぐ春の大祭サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー(4/7)です!
マハーヨーギー・ミッション主催の今年の春の祝祭では、大聖者シュリー・ラーマクリシュナの存在と導きに心から感謝を捧げ、サナータナ・ダルマを歩む吉祥な生を受けたことを喜び、お祝いします。
ラーマクリシュナといえばキールタンを歌われるシーンが『ラーマクリシュナの福音』の中でもたびたび登場しますが、私たちの周りでも日常でキールタンに親しまれている方が増えてきました。今回、松山で熱心にヨーガをされている山口正美さんがご自身の日常の実践について寄稿してくださいましたので、ご紹介したいと思います。
ヨーガを始めた頃のことですが、ヨーガをやっていこうという決意だけはあったのですが、聖典を読んでも意味がわからない、アーサナも瞑想も続かず、空回りを続けていました。そんな私が唯一興味があったのは「神」でした。思い切って師にお聞きしました。
―私は、神だけしかわかりません。それだけで、いいでしょうか。
「それだけでいい」
―聖典も読めません。聖典の勉強はしなくていいでしょうか。
「しなくていい」
―本当にいいんですか。
「あのね。登り口は人それぞれ違って、いっぱいあるんだよ。いつか、それもわかる時が来る」
それから数年が経ち、やっと「もう、私には神しかいない」という思いになってきました。ところが、そうは思いながらも、日常で神を忘れている自分につくづく嫌気がさし、少しでも「神に近づきたい」と歌い始めたのがキールタンです。
最初は、心が世間のことでおしゃべりをはじめたら、強制的に神の御名を唱えて、神に必死でしがみついていました。 それから毎日、いつでもどこでも、心の中で、声に出して、キールタンを歌って生活してきました。いつからか、神の御名は胸の奥から湧き上がるようになり、最近では、自然の中に神を感じてそれを讃えて歌うこともあります。二年近くたった今、あんなに強かった心がどんなに主張してもキールタンを歌えば、瞬く間に退散してしまうほど、神の御名が、私の日常の支えになっています。
私の憧れの聖者シュリー・ラーマクリシュナは、
「神のみが実在、他のすべては非実在である」
と教えられます。それは、師の教え
「真理、神のみが唯一のリアリティー、それ以外は幻」
と合わさって、私にとって片時も忘れられない大切な教えになっています。 幻なんかいらない、リアリティーだけが、神だけが私の求めるものだ!幾多の輪廻転生の中で感じてきたカルマを生きる虚しさから抜け出したい心の叫びかもしれません。また、本当の生きる目的を見つけた喜びかもしれません。それほどの衝動となって、私を神へと向かわせます。
神を、神だけを見て、神だけを求めて、神だけを信じ、愛し、神の道具となっているラーマクリシュナの姿は、私にとってバクティ・ヨーガの教えそのものです。師のサットサンガに通うように、『ラーマクリシュナの福音』を開いてラーマクリシュナのもとに通って、そこにある息吹を感じています。 これからも師とラーマクリシュナのもとに通い、学んでいきたいと思います。
山口正美