ヨーガの仲間(グルバイ)のユクティー、彼女は約15年以上ヨーガを実践し、一年前、京都から福島に移り住み看護師として働いています。ユクティーから嬉しい福島便りが届きました。
私が福島に移り住んで1年が経ちました。
若者が町を出て行ったっきり戻って来ない、というニュースを見た人からは、さぞかし地域には高齢者が溢れているのでしょう?と聞かれますが、そんなことはありません。たくさん若者の姿を見かけます。近くのコンビニでは、大きな関西弁でしゃべるオジサンの姿もたまに見ます。除染や工事などの業者の方々がたくさん外から入って来られているようです。
しかし、私が勤める病棟はかなりの高齢化が進んでいます。ちなみに、患者さんじゃないです。職員の高齢化です。15人いる看護師のうち、60代が1名、限りなく60に近い50代が7名、50代半ばが3名、40代3名、30代1名です。新人の2人を除いては、全員夜勤をしています。人間ってこの年まで普通に病棟で働けるんだなあって初めて知りました。でも、皆やたらと休憩が多いのと、何度も同じことを聞いてくるのが気になります…。私ももうすぐ後を追うんですけどね。(-_-;)
先月には知り合いが何人かこの地域を去り、また今月は支援看護師やリハスタッフが入職し、私もここで人を見送ったり迎え入れたりする立場になりました。
ここで一年を過ごして自分がどれだけ変わったかはよく分からなかったし、場所が変わっても意識して努力しなければ自分は変わらないんだと思っていました。でも、たった一つ、ここで暮らしてきたことで、知らないうちに周りの人たちから教えてもらい、私の中に根付いていたことがありました。それは、自分が明日もまたここで同じように暮らしているのが当たり前だという意識がなくなったということです。京都にいた時は、明日も明後日も、ずっと同じ所にいて、同じことをしていると思っていました。だから先々のことまで考えて綿密な計画を立てたり、未来に過度な期待を寄せたり憂いたり…。でも、今は地震が起こるたびにニュースを点けて皆で見入り、これからどうなるか話します。原発に何かあればすぐに出て行かなければならない。だから、いつも車のガソリンは満タンです。2、3日くらいなら生き残るための物はリュックに入れています。私は明日ここを去るかも知れない。来た当初はそんなこと考えもしなかったけど、今はそれが普通になりました。本当は京都にいた時だって、誰もこれからの自分の生活を保障してくれていたわけではなかったのに。だから大切なのは、先を憂えず、とにかく今日を生きる。それを毎日実感させてもらっています。
ユクティー