お久しぶりです、皆さんお変わりありませんか?私は南相馬に来て3回目の冬を迎えています。私は変わりないですが、私の周りで変わったことと言えば、職場の定年がまた一年延びたことです。新しい人が入らないので、今いる人に長く働いてもらうしかないのです。去年も一年延びたので、今定年は62歳です。この地域の施設も同じような感じで、定年が65歳という所や70歳という所もあると聞きます。今の仕事を70歳までやるって…ちょっと想像できないですね。
ところで、タイトルに書いた聖人についてですが、カソリックの中でマザーテレサが聖人に認定されることになったそうですね。認定されるにはその人にまつわる2回の奇跡が必要だとか。もっとも、そういうことには本人が一番関心がないのかも知れませんけど。
そのマザーテレサですが、私は昔から彼女が好きで、ヨーガを始めてからずっと瞑想の対象にしていました。でもある時ふと疑問を持ったんです。紹介されたヨーガの聖者なら私の魂を導く確かな人だと信頼できるけれど、マザーはどうなのかと。確かに彼女は多くのシスターを導き、素晴らしい業績を残し宗教を越えて多くの人から讃えられている。私には一点の曇りもないくらい純粋に見える。でも、本当に純粋かどうかは人間の目ではなく、もっとずっと厳しい神の判断が必要だと言われます。瞑想の対象にするということは、私自身の霊性がそこに向かうということです。これはマザーテレサの問題ではなくて、私自身の魂の問題であり、私がこの世に生きる上で最大にしてたった一つの問題です。
そこで私は師であるヨギさんに聞きました。もう何年も前のことです。「私はマザーテレサを瞑想して大丈夫なんでしょうか」と。とても失礼な質問にも思えますが、私は0.01%の疑いも残したくはなかったんです。ヨギさんはすぐに「大丈夫です。彼女は本物です」と答えられました。そしてその後続けて理由を言われたのですが、それがちょっと意外に感じたのを覚えています。「なぜなら、彼女には矛盾がない」と。〝矛盾″だったか〝ぶれ″だったか〝揺るぎ″だったか忘れてしまいましたが、一本筋が通っている、変わらないそんなことだったように記憶しています。本物かどうかの基準っていうのは、そういう所にあるのかとその時思ったんですね。彼女はこれこれこういう境地にあるとか、私のような凡人には見ることも想像もできない霊的なことを言われると思ったからです。
考えてみれば、神は普遍で永遠ですから、神だけを見ていればすべて基準はそこにあり、その人は変わることもぶれることも矛盾が起こることもないんですよね。ヨギさんが今も昔もずっと同じであるように。本当にシンプルなこと。でもそれを実現している人は本当に稀。
そう言えば、もうすぐクリスマスですね。(なんだか取って付けたみたいですけど)マザーが最も愛したイエスキリストのご聖誕日だ…と私も思ってたんですが、実は12月25日は後からキリストを祝う日にと定められたもので、実際にお生まれになった日は新約聖書にも書かれていないんです。つまりいつなのか誰にも分からないと言うことです。それについて調べてみると、色々な根拠が書かれていました。「パレスチナでは12月は雨期でかなり寒く、聖母マリアの馬小屋での出産はかなり危険な行為となる。12月の誕生はありえません」ふんふん、なるほど。納得できる科学的な根拠ですね。でもイエスは奇跡の人。生まれる時からそんな奇跡を起こしていたのかも知れませんよ。
ユクティー