夜勤に入る前、いつも時間調整をしている公園があります。その公園のベンチに腰掛けると、目の前には大きな田んぼが、見上げればどこまでも続く大空が拡がっています。
ほっと一息つき、心に空白が生まれるような瞬間。神に思いを馳せると、身体も心も、目の前の景色も、すべて神で満たされるような気持ちになります。田んぼから聞こえてくる蛙の声はオームの振動、電灯や星の光は純粋意識の顕れであるかのような・・・・・・ そんな時、私が憧れる境地を表わしたシュリー・ラーマクリシュナの教えが蘇ってきました。
水また水――
上も下も、果てしない水――
人は魚のように楽しげに泳ぐ
無限の大海よ、水に極みなく
その中に一つ 瓶が漂う
瓶の外も、中も水――
智者は悟る、これすべてアートマン
あぁ、早くこの境地を知りたい!と切に願いました。
瞑想の状態は必ずしも行儀良く座っている時に訪れるものではないと、師は言われます。集中しようという力みが抜けた――ふとした瞬間に、すっと瞑想に入れるのだと思います。だからこそ、何の手応えもなく、何の感触も得られないけど、ひたすら瞑想に座って集中し続けた時間も決して無駄ではないと思うのです。
これからもあきらめず、めげずに瞑想に座っていきたいと思います。
ヨーガダンダ